2013/12/22 - 2013/12/22
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ドクターキムルさん
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逗子市桜山8の富士見橋に近い田越川沿いには「蘆花獨歩ゆかりの地」碑が建っている。ここは明治の文豪徳冨蘆花、国木田独歩が一時期を過ごした貸し家業「柳屋」がかつてあったところである。碑は石渡嘉兵衛の跡を継いだ長男喜市によって石渡嘉兵衛50回忌に当たる昭和36年(1961年)に建てられた。
明治22年(1889年)横須賀線が開通し、逗子駅が開業したことから逗子には多くの別荘が建ち、貸別荘や貸間が増え避暑地として名が知られるようになった。明治27年(1894年)には隣町に葉山御用邸もできているくらいだ。蘆花の兄、徳富蘇峰もたびたび保養のため訪れ、故郷の熊本県水俣に似ていることから逗子が気に入り、両親のために貸し家業の「柳屋」に部屋を借りた。このことから蘆花や独歩も「柳屋」と深い縁を持つことになった。明治28年(1895年)11月には蘇峰の紹介で、国木田独歩が信子夫人と新婚生活をここでスタートさせた。しかし、結婚生活は思うようにいかず、わずか数か月で逗子を後にし、実家で両親と同居した。それから1年もたたないうちに、蘆花もこの地で愛子夫人と暮らすことになった。また、蘆花が新聞に連載した小説「不如帰」は逗子を一躍有名にした。
独歩も柳屋近くで眺めた富士が忘れ難かったようで、「武蔵野」で「われわれが逗子の「あぶずり」で眺むるよう」な富士に言及している。「あぶずり」とは「鐙摺」のことで、その海岸縁に国木田独歩文学碑が建てられているが、立入禁止となっており近づいて見ることはできない。
蘆花は蘆花記念公園の郷土資料館に関係資料が展示されており、公園内にある野外活動センターから長柄桜山古墳2号墳に上る山道の入口に徳富蘆花文学碑が建っている。
この郷土資料館を訪れると逗子湾に建つ「不如帰」の碑が石碑の裏面の文面で、表面には「徳富健次郎之碑」と彫られていることを説明される。
(表紙写真は「蘆花獨歩ゆかりの地」碑)
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