2013/12/22 - 2013/12/22
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ドクターキムルさん
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逗子市桜山9の海岸縁の公園に国木田独歩文学碑が建てられている。
国木田独歩(明治4年7月15日(1871年8月30日))〜明治41年(1908年)6月23日)は若くして(満36歳)没した小説家で、自然主義文学の先駆舎とされている。
学生時代に徳富蘇峰と知りあい大いに影響を受けると、明治27年(1894年)、民友社に入り徳富蘇峰の「国民新聞」の記者となり、この年起きた日清戦争に海軍従軍記者として参加し、「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となった。
明治28年(1895年)11月、蘇峰の媒酌で佐々城信子と結婚し逗子で暮らし始めたが、あまりの貧困生活に耐えられず帰郷し両親と同居した。翌年信子が失踪し協議離婚している。信子との間には長女がいる。その後、明治31年(1898年)、下宿の大家の娘・榎本治(はる)と再結し、四子をもうけた。この最初の結婚生活を送った地が逗子であり、独歩ゆかりの地となっている。また、独歩も貸し家の「柳屋」近くで眺めた富士が忘れ難かったようで、小説「武蔵野」で「われわれが逗子の「あぶずり」で眺むるよう」な富士に言及している。
国木田独歩文学碑は浄水管理センターのゲートで囲まれた立入禁止の公園の中にあり、傍まで行けない文学碑は初めてのことだった。逗子市の文化レベルが低いと感じるのはこうしたこともあるからだ。
(表紙写真は国木田独歩文学碑)
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