2013/10/22 - 2013/10/28
1864位(同エリア2601件中)
明石DSさん
①台南:②嘉義:③阿里山:④台中:⑤清水
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はじめに
台湾に残る日本の足跡を訪ねて・・・。
旅の前、旅先、帰国後、その全てを含めてが私の旅であり。
実は、この旅行記を記すのが正直一番時間と労力を要する。
そんな私にとって旅は何なのか?分からなくなる時がある
一応私なりに調べはするが真偽は保証の限りにあらず。
文章の内容・感想・思いは、すべて自分の主観なり。
そうはいっても他からの「パクリ:引用」も数知れず。多分。
白紙の状態からの出発ゆえ仕方ないと・・・勝手に許しを乞う
- 旅行の満足度
- 5.0
-
山岡 榮先生:享年29歳
台中市新社區:児童を助けに川に入り流されて亡くなる
1905年:愛媛県伊予郡中山町(生)
旅の前に何度も見ていたはずの山岡先生の写真だったが
現地、慰霊碑の前で見た小さな写真は、あまりに男前で凛々しかった
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目次
(0) 旅たち前
(1) 10月22日(火)関空〜桃園経由、台南へ出発
(2) 10月23日(水)烏山頭水庫・台南市内散策
(3) 10月24日(木)飛虎将軍廟・安平古堡〜嘉義へ
(4) 10月25日(金)阿里山へ登る
(5) 10月26日(土)義愛公・嘉義散策〜台中へ
(6) 10月27日(日)豊原・新社・台中
(7) 10月28日(月)清水区〜桃園〜関空・帰国へ -
殉職山岡先生之碑
2013/平成25年10月27日(日)
台中市新社區中和街4段240巷にて撮影
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台南・嘉義・台中への旅
私が1989年39歳で初めてパスポートを作ったのが台湾への旅だった。その時は終始嫌な臭いに悩まされ、そのトラウマもあって1998年から中国語学習を始めたが行くのは大陸中国ばかりで、台湾へ行きたいという思いは湧いてこなかった。
それが昨年、「この命、義に捧ぐ」門田隆将(著)の本との出会いで根本博中将を知り、その根本中将が蒋介石に恩義を感じ、金門島での戦いに参謀として参加し勝利に貢献をした。その「金門島へ行こう」との思いから台湾への旅が再開した。
私が知る中国人は、根本中将が感じた“義”とは一番遠い民族であり根本中将の気持ちが理解できなかった。なぜ?と、蒋介石や台湾に興味を抱き、今年二月に台北から金門島への旅をした。その24年ぶり二度目の台湾旅行では驚くことばかりだった。
台北は無論だが目と鼻の先に共産中国がある金門島。対岸中国も同じ漢族のはずなのに私が17回旅をした大陸の街の様子や人の雰囲気と違った。いや同じは同じでも何かが違う。目つきが違う。接する態度が違う。わずらわしい喧騒がない。違いを感じる一番の理由は「親日台湾」と「反日中国」という先入観あってのことかなのか?
それに最初に経験した嫌な臭いは探しても見つからず。もっと台湾を知りたいと思うようになり二月に続いての台湾行きとなった。今まで身近で何となく分かっていたつもりの台湾が、興味を持った途端「知らないことだらけ」の台湾になった。日本人の足跡を紆余曲折ありながらも大切に残してくれている台湾。
今回の旅は、台南からスタートした。「烏山頭水庫」「安平古堡」「飛虎将軍廟」「阿里山」「義愛公」「山岡榮先生之碑」「白冷圳」「旧清水国民学校」他、日本人の残した痕跡は山ほどあるので歩いても歩いても行けるところは少ない。しかし行かなければ知らないままだろう。
私は大東亜戦争を賛美し、明治維新から敗戦までの日本こそ、日本史に燦然と輝く時代だと思っている。そして男系継承による天皇陛下の存在が日本の証だと信じて疑わない。そんな人間が台湾の旅で感じたことをここに記す。
殉職山岡先生之碑
http://www.youtube.com/watch?v=QO6JZx1P_mw&feature=share&list=UUzrxbtOkfUGNWFHtM15uTew -
烏山頭水庫
八田與一座像
花で埋もれる座像
写真で見たような気がしたが
実際現場で目の当たりにし驚く
感謝!
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2013.平成25年4月30日(火)
■台南へ行く事に
嘉義農林高校
台湾から甲子園へ行った実在の球児たちを描く映画「KANO」がクランクアップ―台湾
1931年、昭和6年:日本人・高砂族・台湾人で構成された嘉義農林高校野球部は台湾予選代表決勝で日本人ばかりの台北商業に勝ち甲子園出場を果たした。甲子園でも快進撃を続け決勝で惜しくも3連覇をした中京商業に敗れたが準優勝の栄冠を勝ち取った。
今日あるブログを見ていたらこの映画の話が取り上げてあり、来年の春節に公開されるとのこと。そしてこの嘉義市は台南にあり、私が次の台湾旅行に考えていた杉浦茂峰少尉が祀られている「鎮安堂 飛虎(ひこ)将軍廟」と八田與一で有名な「烏山頭ダム」にも近い。
たまたま見つけたのも何かの縁を感じる。これで私の今秋の旅先は決まった。これらの地を訪ねよう。1931年:昭和6年9月18日「柳条湖事件」が勃発した。そんな時に甲子園でこんな感動ドラマがあったのか・・・。
今頃になって親父からいろんな昔話を聞かなかったことが悔やまれる。今は誰でも良いから傍に年寄りがいれば何でも聞きたいけど。そんな俺もすでに二年前に老人会に入る資格を得た。入る気はしないけど。いつになったら老人と自覚することになるのだろう。
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2013.平成25年5月7日(火)
■魏志倭人伝の時代から
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄(著)を読んでいる。このなかに今秋再訪予定の台湾で神となって奉られている二人の日本人巡査:「森川清治郎巡査」と「広枝音右衛門警部」の紹介がされている。
この本は、外国人の日本賛美の紹介本であり、戦後自虐史観に埋没し自国の誇りも名誉も省みない現代日本人には、読んでいて気恥ずかしいくらいの誉め言葉に溢れているが、それが先人たちの生き様であり、そのお陰で今も日本は世界でそれなりの評価をされている。
そして魏志倭人伝にも「婦人淫(いん)せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし」と記され、1400年前の隋書「東夷伝」にも、日本人は文明度が高く「人すこぶる恬(てん)静(せい)にして、争訟(そうしょう)まれに、盗賊少なし。」と書かれているそうだ。
魏志倭人伝は3世紀末1700年以上前だから、皇紀2673年の今年の日本は、建国以来そういった民族性を有していたといえる。ならば世界が認める高貴な資質は、ちょっとやそっとのことでは変わらず永遠に不滅だろうと思いたい・・・が。
そんな高貴な道徳を持つ人間集団が生まれたのは、皇室の存在あったればこそなのか?それとも日本列島に暮らし始めた人間集団が高い道徳性を持ちえたからこそ万世一系の天皇陛下が出現したのか?「鶏がさきか卵がさきか」/どっちが先なのか?分からないが・・・。
サミュエル・ハンティトン教授のベストセラー「文明の衝突」で世界の文明を『①中華文明、②ヒンドゥー文明、③イスラム文明、④日本文明、⑤東方正教文明、⑥西欧文明、⑦ラテンアメリカ文明』の七つに分けたのが頷ける。やはり外国人から見れば日本は独自の文明を保持しているのだ。
しかしながら日本の歴史始まって以来の敗戦、大東亜戦争敗北による勝者の占領政策により、日本文化・日本精神の継続性に危機を抱いている。敗戦までと戦後では随分と日本精神が乖離したことだけは確かだろう。
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2013.平成25年5月8日(水)
■「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄(著)
152頁「バジル・ホール・チェンバレン」の日本人感
『絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋みの一語に要約できよう』
『金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)、社会の隅々まで浸透しているのである』
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「日本人の趣味は渋み」「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない、ほんものの平等精神」・・・私も海外旅行をして、海外との比較によって日本人のなんたるかがより分かるようになった。外国は大概そうだが、特に大陸シナでは「金持ちは傲慢で、貧乏人は屑」であり平等精神の欠片もない。
日本人にとっての人間の価値は「金の多寡」でも「地位・身分」でもない。渋みの象徴は伊勢神宮である。祠(ほこら)のすべてがこれ以上ない質素な建屋だが、そこに日本精神が凝縮され日本人の心根があれば誰しも感動する。外国人でもそんな日本文化に感動するのだろう。
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2013.平成25年8月9日(金)
■台南へ
10月後半に台湾に行く事を決めて格安航空券を購入した。今年の2月の台湾行きは、ジェットスター(シンガポール)だったが今回はピーチ航空で行く事になった。ピーチ航空とは・・・「全日本空輸を筆頭株主に持つ、 関西国際空港を拠点とする格安航空会社 (LCC) である」
いつから格安航空が始まったのか知らないが、金のない私はやはり安いが一番の選択になってしまう。同じ場所に行くのに高い料金を選ぶことは出来ない。でも発着時間は選択する。もうちょっと安くてジェットスターの便があったが、関空午前7:05発なのでこっちを選んだ。
それでも往復計¥28,200円なり。一昔前には考えられない価格だし、この先一体どうなるのだろう?即日でeチケットが送られて来た。あとはその日を待つだけとなる。今年の海外旅行は二回とも台湾が決定した。来年は何処に行くのだろう?
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2013.平成25年8月21日(水)
■秋の台湾行きに備えて
台南で二泊して「八田與一の作った烏山頭ダム」「日本人:杉浦茂峰少尉が飛虎将軍として神になり祀られた鎮安堂」「母親が日本人、国姓爺とも呼ばれる鄭成功の史跡」を巡る。そして次は嘉義市で二泊の予定。やはり台湾で日本人巡査:森川清治郎が神となり「義愛公」として祀られている富安宮、そして1931年:昭和6年に高校野球台湾代表として甲子園に出場した嘉義農林(現在嘉義大学)へ。
その次は、昭和5年1930年、嘉義農林が甲子園に出場する前年に起きた台湾原住民の抗日事件「霧社事件」の跡地へ行って一泊。最後に新竹か台北かで一泊して帰国予定。六泊七日の台南・台中の旅か。
“ゆっくり”旅がしたいけど、次々に行きたい場所が増えてしまう。幾ら気を揉んでもなるようにしかならないのが世の常であり、どうなることか?乞うご期待だ。今は、往復航空券だけ手に入れている。出発までの二ヶ月の間に本を読んだりネット検索で準備する。『台湾に生きている「日本」』片倉佳史(著)によれば台湾各地に明治・大正・昭和の日本が驚くほど残されている。 -
飛虎将軍廟
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2013.平成25年8月28日(水)
■「鄭成功(ていせいこう:ジィエンチャンゴン):旋風に告げよ(上)(下)」陳舜臣(著)
平戸で生まれ7歳まで日本で育ち、母と弟と別れて父の故郷福建に行った。頭脳明晰凛々しい若武者になり南京の大学に入学、将来を嘱望される青年となる。その時はすでに妻あり子ありか。ちょうどその時、明朝が滅亡し大陸は満州族が支配者となり新たな王朝が誕生の時だった。
今まで名前しか知らなかった鄭成功のことが少し分かった。今も台湾の英雄のようだが、大陸支那でも英雄とされ、日本でも近松門左衛門作の人形浄瑠璃『国性爺合戦』として正徳5年(1715年)に大坂で上演されている。1715年は鄭成功死後53年だから、まだその本人を知る者も健在だったのかも。当時の日本でも有名であり慕われた人物だったのだ。
武士の娘を母とし、その武士としての躾教育がされていたようだ。利にさとい父と決別し、大儀のために不利を承知で抗清復明に迷わず全てを賭けた。その軍団の統率は若気の至りか峻烈を極めた厳しさもあったようだ。ネットでもこんなに多くの資料があったのか・・・と思うくらいある。この秋、そのゼーランジャ城跡へ行く。私の旅はとっくに始まっているハハハ。旅の前と後がしんどいけど・・・面白い。
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2013.平成25年9月1日(日)
■八田與一の妻:外代樹
産経ニュース(抜粋)
水利事業の日本人技師を支えた妻を顕彰 台湾に銅像:2013.9.1 19:47
「八田與一記念公園」に設置された八田氏の妻、外代樹さんの銅像=1日、台南市
日本統治時代の台湾で水利事業に尽くした日本人技師、八田與一(よいち)氏(1886〜1942年)の妻、外代樹(とよき)さん(1901〜45年)の銅像が台南市の「八田與一記念公園」に設置され、外代樹さんの命日の1日、日台の関係者が除幕式を開いた。
銅像は夫妻の出身地の金沢市や墓のある台南市の団体が八田氏を支えた外代樹さんを顕彰しようと数年前に設置準備に着手。2男6女を育てた外代樹さんが20代の時に四女を抱いて写る写真を基に石川県の彫刻家に作成を依頼した。
式には、外代樹さんの母校の高校の後輩ら石川県からも多数が参加。対日交流窓口機関、亜東関係協会の李嘉進会長ら台湾側の出席者が夫妻の功績をたたえた。外代樹さんは終戦後、同公園近くの八田氏が手掛けた烏山頭ダムに身投げした。当時、八田氏はすでに亡くなっていた。(共同)
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今時の私には、当時の日本人の強さに恐れ入る。昔の日本人はみんな強かった。時代や状況のせいだろうけど、辛抱強く生きることはきっと充実感はその分強いだろう。
「我慢」「辛抱」は「楽は苦の種苦は楽の種」と同義だ。外代樹と言う女性は、一体どんな人だったのか?この秋、今日除幕式があった外代樹の銅像を現地で見る。
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2013.平成25年9月4日(水)
■「台湾紀行」司馬遼太郎(著)
若き頃、司馬遼太郎の歴史小説をよく読んだ。親父が私に「坂の上の雲」をくれたのが最初だった。祖父が騎兵として日露戦争に従軍していたので親父が読んだあとで私にくれたのだろう。以来、山本周五郎ほどではなかったが司馬の本をよく読んだ。でもいつの頃からか、司馬思想に疑問を持つようになり司馬の人間性に懐疑的になった。
この台湾紀行も確かに文章として面白く参考になるが、司馬の根底にある左翼思想、日本を越えたグローバル思想が伺えて気分が悪い。こんな人間が日本の歴史小説家として影響を与えて来たのかとおもうと「ふざけるな!」と思う。この台湾紀行の最後に書かれた以下の一節もそうだ。
『三百年も独力でつづけてきたこの孤島を、かって日本がその領土にしたことがまちがいだったように、人間の尊厳という場からいえば、既存どの国も海を越えてこの島を領有しにくるべきでないとおもった。当然なことだが、この島のぬしは、この島を生死の地としてきた無数の百姓たちなのである。』
司馬は「日本の台湾併合が間違いであり、日本人が台湾人の尊厳を傷つけた」と批判している。司馬の言う「島の主」とは一体誰のことか?それは高砂族であり、彼ら原住民だろう。しかしその多種多様な原住民とて「島の主」とは言いがたい。時を経て南方から流れ着いた連中が土着したのだ。だからこそ隣の部族とも言語が違うまま生きていた。
むろんのこと福建・広東から「化外の地」と言っていた台湾に移り住んだ漢族は主とはいえないだろう。それを日本の領有こそが間違いであり、主の尊厳を傷つけたなんて、日本人でありながら、ぬけぬけと言う司馬の性根には我慢ならない。
司馬が歴史小説家として評価が高ければ高いほど、日本人に大きな罪過を残す。ふざけるな。
「尊厳を傷つけた」と司馬は言っているが・・・。「台湾紀行」の巻末に「司馬遼太郎の歳月」との題で“向井 敏”が添えている。そこに平成5年5月から6月にかけて朝日新聞のコラムで連載された「台湾の短歌と俳句」が紹介されている。それは「台湾万葉集」から選ばれた短歌・俳句らしい。
万葉の流れこの地に留(とど)めむと生命(いのち)のかぎり短歌(うた)詠みゆかむ 孤蓬万里
指を折り短歌(うた)詠み居れば忘れ居し大和言葉が次々と湧く 高秀
歌とふは我一代のすさびなり継ぐ人なきに今日をいそしむ 王重圻
平成の皇后陛下お夏痩せ 董昭輝
こうやって平成の世まで短歌・俳句・長歌・旋頭歌など5千首にもなるらしい。日本時代を生きた人もその子孫を含めて作者はいる。この短歌や俳句を読めば彼らの日本への望郷にも似た思いを感じる。父祖が行った艱難辛苦の台湾合邦を「尊厳を傷つけた」と安易に言うべきではない。台湾の主といえば、本来漢族より高砂族のほうだろう。
そのなかに短歌というより狂歌だと思うが、ハハハうまい!と笑ってしまう歌があった。俺のことだった。
“鉛筆の芯(しん)ぎりぎりに尖らせて今日一日の嘘記し居り” 林彩雲
■台南への旅
やはり知らないことばかりだ。次から次に日本人に関する話や日本時代の物が登場してくる。きりがないくらいに・・・。どこへ行けば良いのか?行きたいところがどんどん増えてどうしようもなくなる。行くべき場所が多すぎて途方にくれる。
面積は九州よりちょっと小さいがほぼ同じ。(台湾:約3万6000km2<九州:約3万8,268km2)
よし、こうなったらボチボチ踏破しよう。折角中国語学習を続けていることだし、これから何度か台湾へ行こう。 -
千歳檜 樹齢約2,000年
紅檜の前に立つ人間と対比すればその大きさが分かる
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2013.平成25年9月6日(金)
■台湾で神として祀られるている日本人
台湾には日本人でありながら神とし祀られている廟が沢山ある。何故?台湾人は日本人を祀るのか?
「杉浦茂峰海軍少尉:飛虎将軍」「森川清治郎巡査:義愛公」「広枝音衛門警部(位牌):観化堂」は知っていたが、他にも「小林三武郎巡査」とか「日本人・田中將軍:枋寮東龍宮」 「日本神廟の存在する共和新村」「日本軍艦を祀る:保安堂海衆廟:高雄」
その他にもある。地元の人が神として祀るようになったのは、「夢枕に出て来た」というのが多い。そしてお祭りしたらその人や村に良いことが次々と起き、それから廟を造って今に続いているような感じだ。それが日本人であっても関係ないようだというより「日本人=強い・真面目・立派」という感覚があるのではと思う。
台湾には神として祀られる日本人もいるし、台湾人が認める日本人の偉人も多い。そりゃあ未開の大地を開拓したのは日本人だから当然なのだろう。それをその国の人たちが認めるか認めないのかの違いだ。台湾はその事実を認め評価してくれている。
台湾でこれだけ日本の偉人がいるなら、同じように日本が統治した朝鮮半島を開拓した日本人は、その面積と投入した資金量からも台湾以上にいるはずだ。でもその一人たりと私は知らない。当時朝鮮半島で艱難辛苦をしながら朝鮮の発展に寄与した日本人は、このまま歴史の彼方に埋没のままなのか。満洲もしかり。
今、「台湾の若者の間で日本統治時代に建設された日本家屋がブーム」とある。台湾・朝鮮・満洲・南洋諸島、みんな日本が一時期統治した。南洋諸島と台湾は親日だ。日本が一時期統治した国で反日は支那朝鮮だけ。台湾や南洋諸島の存在がどれだけ日本と日本人を救ってくれているのか・・・感謝する。
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2013.平成25年9月12日(木)
■台南の旅:航空券
航空券:?ジーティーアンドカンパニー 本社営業所:http://www.good-tour.co.jp/
ピーチ航空/往復料金¥28,200
2013年10月22日(火) MM 27 大阪(関西/関空)/16:00発―台北(タイペイ)/桃園国際空港/17:55着
2013年10月28日(月) MM 28 台北(タイペイ)/桃園国際空港/18:50発―大阪(関西/関空)/22:10着
■ホテルの手配
10月22日(火)23日(水):「台南大飯店」 ¥14,400(二泊)台南市成功路1号
10月24日(木)25日(金):「嘉義兆品酒店」 ¥15,000(二泊)嘉義市文化路257号
10月26日(土)27日(日):「台中福泰桔子商旅公園店」 ¥11,600(二泊)台中市中区公園路17号
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六泊七日の台南の旅、航空券往復¥28,200+ホテル代¥14,400+¥15,000+¥11,600=¥69,200円なり。
飛行機も格安、ホテルも格安といってもビジネスホテルだけど、まだ私にとってはこれでも昔より少しはランクが上がっている。性分ケチ、おまけに仕事が暇で金欠なので、どうしても安くて便利が優先となる。台南・嘉義・台中と二泊づつの宿は、駅から歩いて行ける。
“Google”地図やグーグルアースでホテルの場所は確認済み。地図の“ストリートビュー”を辿りながら駅からホテルまでシュミレーションをする。こんな世の中になろうとは、もっと長生きすればもっと驚くべき世界が開けるのだろう。実際に行かずに旅行気分になれたらどうしよう・・・・。
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2013.平成25年10月9日(水)
■台南・台中への旅の準備
台南・嘉義・台中と二泊づつの計6泊7日の旅となる。鄭成功以外は日本人の足跡を訪ねての旅だ。台南では、八田與一の造った「烏山頭ダム」、そして神と祀れている「飛虎将軍:杉浦茂峰少尉」の廟、「鎮安堂 飛虎将軍廟」へ
嘉義では阿里山開発の父と言われる「琴山河合博士旌功碑」を阿里山に見に行く。義愛公となった森川清治郎巡査が神として祀られる富安宮へ。その他、嘉義農林。嘉義神社跡、日本時代のまま残っている阿里山北門駅、嘉義監獄跡などなど。
台中では豊原からタクシーで磯田謙雄(いそだ・のりお)氏が1932年に完成させた「世界最大のサイフォン用水路」と、昭和5(1930)年、台湾人の学童を救おうとして急流にのみ込まれ、殉職した山岡榮先生(29歳)。その「殉職山岡先生之碑」を見に行く。
台湾には日本時代からあった日本人の慰霊碑や記念碑、建物が数多く残っている。まだ旅程は大体しか決まっていないが“ゆっくり”旅をしたい・・・けど。
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2013.平成25年10月11日(金)
■映画:「台湾アイデンティティー」
日本人女性:酒井充子(さかい あつこ)監督作。台湾に行くことになって台湾映画を良く見るようになった。でも「英雄・国姓爺合戦」は、まあまあ面白かったが、「悲情城市」「海角七号」は興行成績はよかったようだが私には全然だった。
しかしこの「台湾アイデンティティー」は感動した。小さな元町映画館に来ていた客はほとんどが60歳以上の人だと思うが、きっとみんな感激していたんだと思う。映画が終わった時、観客の誰かが拍手をしていた。
日本統治時代の台湾で日本人として生まれた台湾の人たちが、酒井さんの問いに自らの生涯を振り返りながら訥々と語る。その言葉にはなんの脚色もないのが伝わる。素直に率直に心の底からの自分の思いを搾り出すように・・・時に、大きな声で、時に静かに、時に言葉につまり。
一人でも多くの日本人に、そして台湾人に、そして世界中の人に見てもらい映画だ。この映画を支那朝鮮人が見ればどう感じるのだろうか?良くぞ「作ってくれた」「残してくれた」と酒井監督に心から感謝したい。見に行って良かった。 -
富安宮の祭神:義愛公(森川清治郎巡査)
1897年、森川清治郎は36歳の折単身渡台
1900年日本内地より妻と子(一人息子:眞一)を招いた。
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2013.平成25年10月18日(金)
■台南・台中への旅の準備
六泊七日の旅程と訪問先の資料整理をしているが、ネットからの情報は無尽蔵のように「おもわぬ言葉」の検索から新たな物が出てくる。次から次で整理が出来ない。欲張りなだけで結局得るものは少なくという結果が目に見える。
「浅く広く」は自分のスタイルとして仕方がないにしても、「一体何がしたいんや?」と自分自身が不安になる。今日も新に素晴らしい頁が見つかった。台湾人の台湾語の頁「Tony的自然人文旅記」・・・写真や略図も素晴らしく、この頁にめぐり合って助かった。
もうこれで十分としよう。でも「きりがない・・・」と思いながらまた探すのだろう。
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2013.平成25年10月21日(月)
■明日の今頃は・・・。
現在時午後10時41分。明日の今頃は台南飯店にいるはずだ。午後4時発の飛行機で桃園空港へ、6時頃に到着し、空港からバスで高鐵桃園から台南、そして台鉄「沙崙駅」から台南へ。一体夜の何時頃ホテルに入れるのだろうか?
今回の旅で一番不安なのが明日の夜、台南飯店に無事到着すること。反日の大陸中国と違って親日の台湾への旅は、不安も少ないがそれでも63歳一人旅の旅立ち前はいつも不安だ。「取り越し苦労」「いつも最悪を考える」「枕が替われば寝れない」などなど旅は修行?と自認している私にはルンルンの旅立ちはない。
強がりで「その緊張感が良い」「戻れば又行きたくなる」と言っているが、まあそれもまんざら嘘ではない。だから毎年二回の海外旅行を続けている。今回の台南の旅は、「日本人の足跡探訪」という感じだけど、台湾には、その日本人の足跡が今も多く残されていることに驚く。
50年の日本併合の歴史があるから、それは当然なのか?いや当然ではなく戦後台湾の人たちが反日にはならなかった証だろう。中国、南北朝鮮の“きちがい”じみた反日国家と比較すればその違いが歴然だ。満洲建国・蒙古聨合自治政府を含めて、日本と中国・南北朝鮮と台湾との関係は、敗戦までは大きな違いはなかった。
それが日本の敗戦後、台湾と中国南北朝鮮は真逆の関係になった。中国と南北朝鮮は民族の資質や宗主国と属国の関係は普遍であり一つと見ても差し支えなく、台湾の存在が如何に日本にとって救われるか、その存在のありがたさを思う。
明日三回目の台湾へ行く。何があるのだろうか?天気はどうだろう?今我が家、明日の今頃台南、幾ら交通手段の進歩の現実があるとはいえ。まるで瞬時の移動で超常現象によるワープとしか思えない。ハハハ、いつも旅の前日に思うことは同じだ。
さあ寝よう。寝れるかなァ〜・・・。荷物は7.5キロほどだった。
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