2010/09/25 - 2010/10/12
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アクアマリンさん
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ライフワークで「日本統治時代の台湾」を調査・研究しています。対象は、「台湾で日本人たちがどう暮らしていたか」に関することです。
1895~1945年の50年間日本の統治下にあった台湾。終戦時点で台湾にいた日本人は50万人(軍人含む)というのですから、50年の間に台湾で日本人が繰り広げたドラマはどれほどの数にのぼったでしょうか。
それなのに、現代の日本ではあまりに影が薄い扱いを疑問に思い、細々と調べ始めました。
同時にそれは、観光ルートにもあまり上らない台湾の旅でもありました。ありきたりではない内容や、もっと深く台湾を知りたい人の参考にしてください。
これは台南エリアですが、嘉義編、屏東・高雄編もご覧ください。
表紙は、私お気に入りの台南市塩水区(昔の塩水港)。
*アメーバブログ『海王星の魚座だより』http://ameblo.jp/kozakura11/theme-10050795795.html、note https://note.com/takigami88でも、日本統治時代の台湾史の解説を書いているのでぜひご覧ください。
◎kindleで「台湾南部で暮らしてみれば」(南部のエッセイガイド)、「台南夜話・フォルモサ昔がたり」(台南の歴史解説を盛り込んだ小説)、「ガランピ魚」(高雄・屏東・台東を舞台にした短編小説集)、「しんきゃう伝」(明治期の福島県開拓と実在した僧侶のノンフィクション作品)を発刊しました。Amazonのサイトをご覧ください
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今回は旧・台南県(現在は台南市●●区になっています)各地を飛び回りました。
第一歩はやっぱり台南市(本当の?台南市街)から。宿は、市街はずれの安南区で日本人+台湾人ご夫婦がやっている「cocoaゲストハウス」に泊まりました。
このゲストハウスの近くにある、土城子小学校へ行きたかったからです。昭和11年当時にここの校長をしていた人物こそ、義愛公の一人息子・森川眞一氏です。
父の自殺後、母もほどなくして死去、養父の援助で教師になり、旧・台南州各地の公学校(台湾人が行く小学校)で校長を歴任されました。
なお眞一夫妻に子供はなく、義愛公の血統は絶えています。 -
今度は台南市街へ。
国立台南女子高級中学(高校)。台湾南部で一二を争う女子進学校です。
戦前は、台南第一高等女学校(略して台南第一高女)といって、台北第一高女と並ぶ台湾屈指のお嬢様学校でした。
事前に許可を取って訪問しました。この赤レンガ造りの本館は、1917年創立当初からあるそう。地震の多い台湾でこれだけ立派に残っているのだから、どれだけ頑丈に造ってあることか。
台南第一高女時代の貴重な写真や資料をたくさん見せていただき、時が経つのを忘れました。
注:通常、部外者は立ち入り禁止です。 -
台南駅。これも日治時代から続く駅舎です。
-
台南駅から電車で30分ほどの善化へ。昔は湾裡といい、清代から続く町です。
町の郊外にある善化製糖では、敷地内に日治時代の日本人社宅が残っていました。80年も残っていることに驚きました。
これは一般社員用とのこと。2軒が中央(トイレ部分のよう)でつながっており、(中に入れないので外から見た限りは)6+6+4.5畳ぐらい。製糖会社社員は高給取りと言われましたが、生活を見た限りはつつましいと感じました。
日本人引揚げ後、台湾人の住まいだったこともあるようですが、老朽化して無人になってから、取り壊すのも金がかかるので放置状態とのこと。
「復元して史跡にしたら、日本人が見に来ますよ」と意見してきました。
注:通常は部外者立ち入り禁止です -
他の製糖会社社宅跡も見ましたが、日本人の集落あるところでは、必ず神社を造ったようです。善化製糖社宅でも、狛犬だけが残っていました。
『日治時代の面影』とは、台北の総督府(現・総統府)など立派な官公庁以上に、こういう【日本人が生活していた場所】を指すべきではないかと思うのです。
それが今はまだ存在しているのに、この先朽ち果てるのを待つだけとは・・・保存も管理も大金がかかるので仕方ありませんが、残念でたまらなくなりました・・・。 -
麻豆に住む方が、総爺という場所に連れていってくれました。
戦前は明治製糖の本社があり、当時の建物を復元、ギャラリーやイベントスペースに使用しています。
日治時代の台湾で最重要産業だった製糖会社の様子を知ることができて、非常に有意義でした。入場自体は無料(イベントによると思う)のようなので、多くの日本人に行っていただきたいですね。
これは事務棟。 -
社長宅。大邸宅というほどではなく、戦前の住宅事情からいえば「そこそこ裕福」程度だったのではないでしょうか。
意外と部屋数が少なかったので、単身赴任だったのかもしれません。
このすぐ近くには幹部用社宅(セメント?造りのような平屋)も残っています。
製糖会社の社員の生活をうかがい知ることができて、とても興味深かったです。 -
社長宅の内部。欄間などは凝った造りです。
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社員食堂入口。
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接待所。他支社からの出張社員や官公庁からの視察用の宿泊施設で、製糖会社敷地には必ずあったようです。ここの中は和室でした。
麻豆は台南駅からバス。麻豆は清代から南部の交通要衝だった町で、非常に賑やかです。町から総爺までは特にバス便はないようで、歩きなら30分といった感じ。バスに乗り慣れていない人は、台鉄隆田駅からタクシーがいいでしょう。 -
総爺から台鉄を越えて、烏山頭水庫へ。今じゃ日本人ツアーも行くようになった名所です。
広々とした水辺はやはり気持ちがいい。湖畔にはリゾートホテルも立っています。
大勢の台湾人が来ていて、みなガイドさんの説明に聞き入っていました。やはり三害(塩害、夏は水害、冬は日照り)のため不毛の地といわれた嘉南平野を緑野に変えた功績は、永遠に語りつぐべきものです。 -
ご存知、八田与一夫妻のお墓。
次回、ここを訪れる時は2011年5月にオープンした八田与一記念公園に立ち寄りたいです。 -
★追記:
2012年10月この地を再訪、八田与一紀念園区(記念公園)を見学してきました。
紀念園区横に延びる道路には「八田路」という名称が付いています(現地でご確認ください)。命名者の頼哲顕氏は、善化の元中学教師。「八田の功績を後世に伝えるためにこの名称にするべき」と10年もの間一人で運動されてきました。
頼氏の努力もぜひ多くの日本人に知っていただきたいです。 -
塩水へ。台湾で最も古い歴史を誇る町のひとつで、清代には水陸ともに交通の要衝として栄えました。当時、この町は「月津」という風雅な別名を持っていましたが、その由来となった港跡が史跡として復元されていました。
塩水は、台鉄新営駅からバス(頻発)15分と交通の便もいいので、おすすめです。 -
月津港のすぐそばから延びている橋南街という通りは、清代には嘉義〜台南を結ぶ主要街道でした(といっても道幅は広くありません)。往時のたたずまいを一部復元してあり、レトロな店も数軒ありました。
その一軒の店先で、おじいさんが突然青竹で麺打ちを開始。珍しくて写真を撮ってから振り向くと、イスに座って一服していました。
観光客向けのポーズだったようです(^▽^)
観光協会?からでも言われたのかな?
飲食店(喫茶含む)も少しあります。のんびり歩くには、なかなか良いスポットでした。 -
塩水八角楼。塩水に一番早くやってきた葉という一族が、170年ほど前に建てた住まい。台湾領有が始まった明治28年に伏見宮がここに滞在した石碑も残っていて、塩水きっての史跡になっています。
なお清代、台湾人の住居のうち、一番お金がかかったのが木造、それもこの八角楼のように大陸から建材を運んだものだったとか。そのため、この家も保存状態は良好です。 -
お昼は、塩水名物の意麺を食べました。汁無しラーメンで、ニンニクの利いた肉そぼろがかかっていて食をそそります。
器の中いっぱいに麺が入っているので、小サイズでも満腹になります。 -
塩水の中心部には、日治時代の建物が並ぶ商店街があります。大正〜昭和初期に建ったもので、正面はセメント造りの洋風、奥は木造なので戦時中焼失したそう。
同様の商店街は、善化など台南各地(台湾全土かも)で見られます。当時のハイカラ趣味がうかがえます -
八角楼を建てた葉一族の末裔の方に、町の北外れにある塩水港製糖跡に連れていっていただきました。戦前は台湾屈指の製糖会社で、戦後もしばらくは操業していましたが、安い外国産砂糖に押されて、10年以上前に止め、以後廃墟となっています(会社自体は、今も東京で存続中)。
空襲を受けて(米軍の空襲の主な標的のひとつが製糖会社)建物はほとんど焼失、この原っぱはかつて日本人の社宅が並んでいた場所です。奥に防空壕が見えます。
日本人社員たちが日ごろ参拝した神社跡は小学校になっていましたが、狛犬だけは残っていました。
注:通常は部外者は敷地内立ち入り禁止です -
台南市街の五妃廟の裏手。周囲より小高くなっているこの丘は、日治時代は「汐見丘」と呼ばれ、安平港まで見えたそうです。
もちろん今はビルが多くなって、眺望がききません。
でも緑が多く落ち着いたたたずまいなので、台南の市街地では、私はこの周辺が一番好きなエリアです。
日治時代にこの付近には、放送局があるほか、警察など官公庁が多く(建物は今も利用されています)、多くの日本人が住んでいたそうです。 -
台南運河。日治時代も今も台南の人々の憩いの場。
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安平港。
日治時代に基隆や高雄の両港が整備されるまでは、台湾の玄関口として栄えたそうですが、やがて土砂で埋まって寂れていきました。
ただ安平の旧市街には、ゼーランディア城など多くの史跡や飲食店があって、いつも観光客でにぎわっています。台南へ行ったら、ぜひ立ち寄りたいエリアです。 -
台南市街のはずれ(cocoaゲストハウスに行く途中)安南区にある飛虎将軍廟(正式には鎮安堂)へ。
詳細はネットで検索を(いっぱい出てきます)。 -
廟の正面。
本当に「日本国の皆様ようこそいらっしゃいました」という横断幕がかかり、中に入ると「君が代」を流してくれます。台湾人の管理人さんが起立してくださる姿に、日本人が「歌わない」だの「起立しない」だのってどういうことだろうと思います。
廟では毎日朝晩にタバコをお供えするそうですが、不思議なことに人間が吸う速さより若干早く燃えていくそうです。 -
大南門。
台湾市街、台南女中のすぐ近くにある台南の旧城門。
この後、台北に移動、いくつかの図書館で調べ物をした後、帰国しました。
食べ歩きやマッサージなどもいいけど、日治時代の様子を思い浮かべながら台湾を歩いてみると、もっとおもしろいと思います。
特に台南は、台湾で一番歴史が豊かなエリアなので、オランダ〜鄭政権〜清〜日本と統治時代ごとのさまざまなものが残っています。
また、塩水や麻豆は観光客(特に外国人)向けの整備はまだ途上ながら、南部に行くことがあれば立ち寄りをオススメしたい町です。
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