2013/12/01 - 2013/12/01
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ドクターキムルさん
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逗子市小坪5にある小坪寺(しょうへいじ)は浄土宗のお寺で傳法輪山二尊院小坪寺という。明治40年(1907年)に報身院から出火した火事で隣接する香蔵寺も焼失した。翌年、円覚寺の塔頭を譲り受け本堂として香蔵寺跡へ移築した。明治42年(1909年)に、行念上人が鎌倉光明寺の末寺であったこの両寺院を合併し、小坪寺として再興・創建した。なお、報身院は文明5年(1473年)に開山した鎌倉光明寺の末寺で、香蔵寺は報身院より古い創立と考えられている。
香蔵寺の本尊阿弥陀如来像は焼失を免れたが、破損が激しかったため、現在の本尊は後に東京芝の清光寺から寄付されたものである。本堂にはこの本尊阿弥陀如来(定朝作)、延命地蔵菩薩立像(運慶作)、右手に鯛をさげた魚籃観音を安置している。
その後、大正12年(1923年)の関東大震災で本堂は全壊し、光明寺の経蔵を貰い受け再建されたのが現在の本堂である。
明治5年(1872年)の明治政府の学制発布に先立ち、神奈川県は、明治4年(1871年)に郷(ごう)学校の設立を呼びかけ、同年9月には小坪村香蔵寺に堀内郷学校(堀内村(現葉山町)相福寺)の小坪支校として開校している。当初は佛乗院本堂を仮校舎としたが、明治7年(1874年)に香蔵寺の本堂を仮校舎として「鷺浦学舎」とした。この名は、昔、小坪湾を鷺の浦と呼んでいたことに由来する。翌年には「小坪小学校」と改称された。明治20年(1887年)には児童数の増加により、香蔵寺に隣接する報身院を分教場としたが、明治31年(1898年)に現在地の大屋敷に校舎を建てて移った。小坪小学校は香蔵寺に鷺浦学舎ができた明治7年(1874年)を創設年としているため、来年は創立140周年に当たる。
境内を掃除していた人に聞くと、鎌倉郡三十三箇所観音霊場の札所第6番報身院と第7番香蔵寺の2寺にあった観音さまはないという。焼失してしまったのだろう。正覚寺といい、小坪には鎌倉郡三十三箇所観音霊場の札所の伝承は伝わっては来ていないようだ。
何といっても、寺の雰囲気には場違いな本堂裏手に建つピンクの外壁の家が気になった。外壁がピンクの住宅など殆ど見かけないからだ。越後湯沢のリゾートマンションや生麦(横浜市鶴見区)のマンション、角館の武家屋敷前のお店などを知っているだけだ。本堂の緑青の色には馴染まないものだ。このピンクの家は2人目の方が住んでいて、子供がいないそうだ。小学生のお子さんがいたら、「モーテルと同じ色の家」と言われ、いじめに合うであろうか。
(表紙写真は小坪寺本堂)
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小坪寺の階段。
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門柱左の生垣。
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朱塗りの鳥居。
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覆殿。
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中には石祠。
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散乱する狛狐。
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転倒している狛狐を起して。
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小坪寺本堂。香蔵寺跡に建っている。
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小坪寺本堂。
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門柱。
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石仏群。
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石仏群。
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石仏群。
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六地蔵。
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石仏群。
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小坪寺掲示板。
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小坪寺寺務所。玄関の彫刻は、亀と蛇が彫られており玄武であろう。
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小坪寺本堂。
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小坪寺本堂の龍の彫刻。
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小坪寺本堂の亀の彫刻。
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小坪寺本堂の亀の彫刻。
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小坪寺本堂に掛かる「傳法輪山」の扁額。
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小坪寺本堂の裏にはピンクの家。
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小坪寺本堂の屋根越しにピンクの家。
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犬のマナーの看板。
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ゴミ籠にも犬のマナーの貼り紙。
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標高表示。
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明治に火事で焼失した報身院跡が小坪寺の墓地になっている。
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「宗祖法然聖人八百年大遠忌記念 倶会一処」。
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防空壕跡か。
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国道134号線(小坪橋袂)角に立つお地蔵さま。地蔵堂(子育地蔵)にあるお地蔵さまか。
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小坪寺遠望。
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小坪寺遠望。山頂の建物はげんじがやと(住吉城址)辺りに建つ。
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