2013/09/23 - 2013/09/23
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たびたびさん
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伊万里から午後は唐津に回るという強行軍のようですが、唐津から福岡空港までは列車で一本。ぎりぎりの時間ででればいいので、実はけっこう気が楽です。
さて、唐津では唐津焼や唐津城に唐津くんちを見て回るのが定番なのですが、これまで行けていなくて、気になっていたちょっとマイナーな場所を回ります。しかし、これが意外に重量級。
石炭産業で財を成した高取伊好の旧宅も見事。同じ金をかけるにしても、どんなところに目が向くのか。その土地柄が反映されます。城下町にあれば、やはりこうなるんだろうなあとかなりの納得感。明らかに筑豊の炭鉱王とは方向性が違います。
近松寺もなかなか。近松門左衛門の墓ももちろんですが、そばには天草の乱に関係する寺沢堅高墓碑もあって、これもとても感慨深いものがありました。
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伊万里から唐津に到着。
唐津駅 の北口を出るとすぐ目に入るのは、高さ3.55メートル、重さ2.1トンの巨大な唐津焼の赤獅子像。赤獅子は、国の重要無形民俗文化財にも指定された唐津くんちでは、一番曳山(いちばんやま)。そもそも、曳山が祭りに登場するのは、この赤獅子が文政2年に奉納されてからのことだそうです。 -
イチオシ
傍らにあるのは、五足の靴碑。
碑文には、以下の通り。五足の靴は、与謝野寛が、まだ学生の身分だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて旅した記録、紀行文で、北原白秋が24歳のときに発表した処女詩集傑作「邪宗門」にもつながっている記念碑的な旅。九州では特別な響きを持っている言葉だと思います。 -
そして、からつ呉服町商店街へ。市内北部に向かって延びるアーケード商店街です。入口には、からつ焼 炎群があって、
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先に進むと、この窯元の杉谷窯異中庵、松露饅頭の宮田松露饅頭本店とか。ここを抜けると唐津神社の曳山展示場にも最短コースになるので、無駄はありません。
ちなみに、さっきのからつ焼 炎群は、唐津市内の販売店では、ダントツに大きな規模。以前、女将さんに話を聞くと苗字は波多。唐津焼のルーツである岸岳に勢力を持っていた波多氏の末裔なんだそうです。唐津焼の歴史とか、話し出すと止まらない女将さんです。 -
ツルヤ菓子舗は、呉服町(アーケード商店街の中ほど。表には大きく、カステラと書いた暖簾があって、たぶんカステラが看板商品なんでしょうが、
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イチオシ
「鳥島」というお饅頭をいただきました。鳥島というのは、唐津湾に浮かぶ無人島。高島と並んで見える島です。お饅頭には、クルミが乗って、表面に小さな海苔の片がいくつか張り付いていて、変わった趣向。白餡の饅頭に、特にやや塩味の海苔が変化になっていて、面白い味わいでした。
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美術陶磁器の店 一番館 唐津本店は、呉服町アーケード街の中ほど。唐津なら唐津焼でしょと言いたくなるところですが、この店には、伊万里焼の商品もかなり充実しています。伊万里まではJRで50分かかりますし、大川内山へはバスになる。そう考えれば、この場所にこんな店があっても悪くはないかもしれません。
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唐津には松露饅頭を扱うお店が二軒あって、この宮田松露饅頭は、アーケード商店街の中にあります。もう一軒は、元祖阿わび屋大原老舗。
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ちょっと食べ比べをしてみたのですが、結論から言えば、カステラ生地に漉し餡という組み合わせのうまさではほとんど差はなし。どちらで買ってもほとんど同じ。どちらもうまいと思います。
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続いて、村岡総本舗は、呉服町アーケード商店街の出口にある小城羊羹のお店。
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何で唐津で小城羊羹なのかなあと思ったら、本店は佐賀市で、工場は小城にあるのだそうです。
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ちなみに、小城羊羹は、表面が砂糖が固まったようなジャリっとした食感。羊羹は古くなるとこうなるんですが、それをうまくコントロールして趣がある味わいになっています。
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曳山吉屋は、唐津市役所の脇の通り沿い。唐津市の観光案内パンフレットにも載っていたので、ちょっと立ち寄りました。唐津くんちのお祭り道具のようなものが置いてあって、女将さんに話を聞くと、「うちは民芸店です」とのこと。まあ、雰囲気があるという点では変わりないかもしれません。
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バスセンターと市役所の間にある肥後堀は、唐津城の外堀です。唐津城は、関ヶ原の戦いで東軍に着いた寺沢広高が築城しますが、その際、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用し、九州各地の諸大名の助力も得ることになります。肥後堀は普請に協力した大名の領地名が堀の名になったものです。この時の肥後は、加藤清正ですね。
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そして、この唐津神社は、唐津市内南城内にあって、唐津くんちの神社として知られます。
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イチオシ
起源は、神功皇后の三韓征伐に因むもの。帰朝の後に報謝のため、松浦の海浜に宝鏡を縣けて住吉三神を祀ったといいます。その後、寺沢氏が唐津城を築いて入部し、当神社を再建。以後唐津藩主の祈願所と定めました。
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埋門ノ館は、西ノ門館と同じ海岸に近い通り沿い。西ノ門館が唐津焼の販売所になっているのに対して、こちらは、茶道・華道・舞踊・能などの文化活動と社会教育活動の場として幅広く活用できる文化施設。ただ、観光客でも勝手に上がって見学可能。能の舞台なんかも備えられて、立派な建物は休憩がてらでも利用できます。
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時の太鼓は、ニの門堀沿いの公園の入口。けっこう大きな鐘楼です。江戸時代に時を伝えていたであろう鐘楼ですが、見ると近代的な時計がはめ込まれて変な感じ。これは、からくり時計のようで、時間になると裃人形が現れて、ドンドンと太鼓を叩くのだそうです。
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ところで、唐津藩初代藩主寺沢広高は豊臣秀吉に仕え、その後、徳川家康に近づき関ヶ原の戦いでは東軍に付いた人物。天草の4万石を加えて、12万3千石を領する大名となります。
この唐津城は、その広高が7年をかけて築いた城。この二ノ門堀は、二ノ丸と三ノ丸の間にあった旧川筋を活用したもので、正面に唐津城の天守閣を仰ぐ位置。西側にあるのが、さっきの「時の太鼓」です。 -
さて、いよいよ今回のメインの一つ、旧高取邸です。唐津市北城内の海岸沿い。唐津市街の端っこです。
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ここは、唐津の炭鉱王として成功した高取伊好の旧宅。明治の後期に建てられたものです。
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内部の見学は、係りの方が付きっ切りで、丁寧に説明してくれましたが、ハイライトの松の絵を背景にした能舞台、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した欄間、絵が描かれた杉戸絵などの純日本的なところとアールヌーボーの明かりの組み合わせといった和洋折衷は明治後期ならではの趣味。
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筑豊の炭鉱主の邸宅とはかなり趣が違っているのは、唐津が城下町であることも影響しているのだろうと思いました。
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続いて、すぐそばの河村美術館。ここは、絶筆となった「夕焼けの海」など16点の青木繁作品を含む河村龍夫のコレクションを展示する私設美術館。
ちなみに、河村龍夫は、唐津出身で明治26年生まれ。河村家は御典医の家柄。東京帝国大学を卒業後、後の住友金属工業に入社し、常務取締役となった財界人です。
「夕焼けの海」は、特別の展示室にありましたが、赤く染まった夕陽の海に浮かんだ船がとても美しい。ざっとした筆のタッチで、細かく見ればあまり丁寧な書き方はしていないのですが、この色合いはさすがに天才青木繁の真骨頂だと思います。
これで、旧高取邸もよかったし、唐津に来た甲斐があったというものです。私としては、ここでかなり盛り上がりました。 -
あとは、クールダウンのような感じでしょうか。
唐津市西ノ門館は、唐津市内の北、北城内の大通り沿いです。 -
館内は、唐津焼の展示販売場になっていて、奥には市内各地の遺跡から出土した陶片などの展示もありました。別の部屋では、たまたまでしょうが、唐津くんちの山車の準備が行われていて、しばらく見学させてもらいました。まじかで見るとでかいですね。
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旧唐津藩藩校中門は、江戸の後期、水野氏の時代、藩校経誼館の中門として建築されたもの。のちに小笠原氏に引き継がれて、藩校志道館の中門となりました。
十尺二戸の四脚門で、門の表側には小笠原候の紋、裏側には水野候の紋が入っているのが面白いところです。旧唐津藩時代の数少ない遺構となっています。 -
唐津神社の横、曳山展示場を過ぎて、市内中心部に戻ります。
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市内中心部に帰ってきました。
こちらの池田屋菓子舗の銘菓で、名物の淡雪まんじゅうをいただきました。 -
小さくて真っ白なまん丸のまんじゅう。卵の白身で作ったというツルツルした表面です。中には漉し餡がぎっしり入って、小さいのにけっこうヘビー。ただ、名前の元になった表面のふわふわした食感を楽しむのは最初だけで、大部分はこの甘い漉し餡を楽しむ饅頭ですね。
そういう意味では、餡子のおいしさをどう味わうかが問題。若い人には甘いだけの印象になってしまうかもしれません。 -
イチオシ
旧唐津銀行本店は、明治45年の竣工。唐津の出身であり、また、今話題の東京駅の設計を手がけた辰野金吾の監修。設計は、辰野の愛弟子の田中実が行いました。
赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインが辰野式の特徴ですが、白い壁がさらに多くを占めているよう。程よいバランスでとても美しい建物だと思いました。 -
元祖阿わび屋大原老舗唐津本店は、旧唐津銀行本店の隣り。唐津の名物、松露饅頭の老舗です。
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ちなみに、松露は、松林の中に生えるキノコ。まあるい形で、この饅頭の形は、その松露をイメージしたものです。歴史的には、秀吉の朝鮮出兵の際に、この焼饅頭も伝わったのだそうで、このお店の先祖が藩主小笠原侯に献上したといういわれです。
カステラ生地に滑らかなこしあんが上品なうまさになっています。 -
開花堂も、はす向かい。
「さよ姫」という和三盆糖と粉糖で作った落雁をいただきました。 -
イチオシ
さよ姫は、唐津に伝わる悲恋伝説。百済を助けるため、新羅に出征する大伴狭手彦と恋に落ちた佐用姫は、別離に耐えられず、七日七晩泣きはらした末に石になってしまったというのです。万葉集にはこの伝説に因む和歌もあるようです。
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こちらは長寿。これもいい味出してます。
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ほー、からつバーガーのお店です。こんなところにもありましたかあ。唐津のB級グルメとしてかなり定着していると思いますが、虹ノ松原の方にあるので、歩いて観光する私にとってはこれまでなかなか行けない店でした。ところが、唐津市街でそのからつバーガーの店を発見。からつバーガー大手口店と言って、虹ノ松原と同じお店。比較的最近出来たようです。あいにく、厨房のガスが故障中でいただくことはできませんでしたが、ここにあることを知っただけでも収穫です。
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では、飯にしたいと思います。
さかな屋さんは、名前の通り、さかな屋さんなのですが、売り場の奥に小さな小あがりがあって、ここで刺身定食をいただきました。 -
イチオシ
出てきた皿には、刺身がまさにてんこ盛り。種類も多いし、魚好きの人なら、これ以上のサービスはないでしょう。煮物などの味付けも抜群なのですが、惜しむらくは、ご飯かなあ。もう少し、いいコメだと素晴らしいと思います。
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川島豆腐店は、唐津市内中心部にある豆腐屋さん。ざるどうふ100円をいただきました。奥に作業場が見える店先で注文すると、こちらへと隣りのお店に案内されて、テーブルを置いた小さなスペースで待ちます。
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小さな器に豆腐の塊が入れてあって、塩や醤油をちょっぴり掛けて食べました。
やわらかくて食べると口の中ですぐに崩れる感じ。その時に、大豆の香りが広がります。地元の水を電磁波で特別に処理したものを使っているのが秘訣だそうです。ただ、おいしいのは間違いないのですが、お取り寄せで全国一位。京都の賀茂とうふ近喜なども抑えての1位ですけど、そこのところまではよくわかりませんでした。 -
唐津は、唐津焼とお城と唐津くんちくらいかと思っていたのですが、今回分かったのは、炭鉱の町であった歴史やグルメも松露饅頭やマルボーロだけではなくていろんな和菓子があること。唐津の観光案内パンフレットは、この辺りをかなり工夫をして解説しているのですが、初めてだとポイントが絞りきれない。唐津駅観光案内所はけっこう充実していますので、事前の情報収集がお勧めです。
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唐津のお菓子で有名なのは、松露饅頭とマルボーロでしょう。
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そのマルボーロのお店が、唐津駅の中にある北島です。
ちなみに、マルボーロは、ポルトガル船員の保存食として日本に伝わったというもの。小麦粉、砂糖、卵で作った固いクッキーみたいなものだったようですが、いまではしっとりと柔らかで、風味豊かなお菓子に進化しています。 -
唐津市ふるさと会館「アルピノ」は、唐津駅を出て右すぐのビル。1階が唐津物産展示販売ですが、2階の唐津焼総合展示場が見どころ。唐津焼の勉強ができます。
ちなみに、唐津焼は素朴な鉄絵の絵唐津がポピュラーですが、そのほか、斑唐津、粉引唐津、三島唐津、朝鮮唐津、黄唐津、青唐津など様々。しかし、共通しているのは、砂地が粘土に入ったまま焼いているざらざらした肌合い。粘土がいいので、砂を取り除く必要がないためで、これが唐津焼の最大の特徴です。 -
さて、ここから近松寺の方へ向かいます。
途中の島田菓子店。おはぎの広告が出ていたのですが、 -
いただいたのは店のイチオシ「六万石」というお饅頭。白餡の饅頭です。
ところで、唐津藩って八万石じゃないかなあと思ったら、最後の小笠原氏の時代は六万石。八万石は、島原天草の乱後の寺沢氏の頃。唐津藩はだんだん小さくなったので、こうなっています。 -
浄泰寺は、明智光秀の3羽烏のひとりと言われる安田作衛貞国の墓があります。ちなみに、安田作衛貞国は、本能寺の変で織田信長に一番槍を刺したといわれる人物で、その槍は現在唐津城に展示されています。
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さて、近松寺に到着です。ところで、近松寺は、「きんしょうじ」と読みます。唐津市内にあって、旧藩主、小笠原家の菩提寺です。
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そして、江戸時代の天才浄瑠璃作家、近松門左衛門が幼少の頃にここで学んだ寺でもあり、境内奥には近松門左衛門の墓もありました。
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これは、寺沢堅高墓碑。島原・天草の乱が起きたことで、唐津藩の飛び領地であった天草を失ったことが記されています。領地を削られたことへの無念の思いを表しているものだと思います。福岡の秋月藩のように、乱の鎮圧の功績を後世に伝えようとした藩とは対照的な遺物でしょう。
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小笠原長和の墓所。
寺沢家は、断絶。大久保家は、下総佐倉藩に転封。大給松平家は、志摩鳥羽藩に転封。土井家は、下総古河藩に転封。水野家は、遠江浜松藩に転封。小笠原家は、明治を迎えるのですが、小笠原長和の二代後が最後の城主となりました。
以上で、三日間の旅は終了。これから福岡空港に向かいます。お疲れ様でした。
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