2009/09/17 - 2009/09/20
1110位(同エリア5153件中)
ペコちゃんさん
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- 旅行記407冊
- クチコミ106件
- Q&A回答1件
- 623,503アクセス
- フォロワー21人
中国の国土面積は、アジアではダントツの一位、世界でもロシア・カナダ・アメリカに次いで4番目の広い国です。
広い国土には、様々な自然の名勝があり、また、何といっても三千年の歴史の中で多くの文化遺産を抱えています。
そのため、中国をよく見て、よく知るためには、何回かに分けて行かなければなりません。
2008年に上海・蘇州など江南地方を巡るツアーに行き、次は北京と思っていたところ、丁度良いツアーがありましたので参加しました。
三泊四日のツアーで、観光は正味2日間ですが、天安門に近い、あの「北京飯店」に3連泊です。
ところが、今年(2009年)は建国60周年・・・10月1日の国慶節には、天安門広場で大パレードが予定されています。
9月に入ると、何回かパレードの演習が行われますが、2日目の18日は16時から深夜まで、天安門や北京飯店周辺の道路は全て封鎖される旨の緊急連絡が、北京市公安局から旅行社にあったため、2日目は別のホテルになり、3日目にまた北京飯店に戻る・・・毎朝、スーツケースの移動です。
3連泊で、楽だと思っていたのに・・・北京に来るまで、こんな事情があるとは思ってもいませんでした・・・まさに、想定外です。
しかし、代替ホテルとして宿泊したクラウン プラザは、オリンピックスタジアム・鳥の巣の近くにある豪華なホテル・・・これもいい思い出になるでしょうと割り切って、旅行を楽しむことにしました。
写真は、京劇の舞台の1コマ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
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<1日目>
18時20分のJALで成田を出発し、北京までは約4時間のフライトです。
今回のツアーは、何と109名の参加者・・・バス3台に分乗しての観光です。
夕食(機内食)は、ビーフカレー。 -
日本と北京との時差は、1時間です。
北京の人口は2018万(2011年)で、中国では上海に次ぐ第二の都市で、東京と姉妹都市を結んでいます。
「北京首都国際空港」に21時(日本時間:22時)15分に着いて、入国審査で新型インフルエンザの検疫チェックを受けます。 -
この空港は1958年に開港しましたが、1999年に日本のODAを受けて大改造が行われ、3倍の広さになり、第2ターミナルも建設されました。
2004年には北京オリンピックに備え、第3滑走路や5階立ての第3ターミナルが完成・・・ロビーも広々としています。
2012年の年間旅客数は82百万人で、世界第2位。
(因みに、1位は米・アトランタ国際空港、羽田は4位) -
空港内の飾り。
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空港の建物を見ながら、バスに乗りました。
外に出ると、空港道路が霞んでいます・・・ ” えーっ! 凄いスモッグ! 空見えなーい ”
すかさず、現地ガイドの白さんから ” 違います、霧で曇ってるんです! ” と言われてしまいました・・・本当かな? -
今夜の宿泊は、あの「北京飯店」・・・今回のツアーは、ここに3連泊するので参加した訳です。
1900年創業のこのホテルは、すぐ近くに北京一の繁華街・王府井大街があり、天安門広場からも約200mの近さ、という抜群のロケーションで、清朝時代から営業されている高級ホテルです。
孫文やフルシチョフ・ニクソン・田中角栄・スカルノなどの各国の国家元首から、バーナード・ショーをはじめとする作家など、開業当初から現在に至るまで、世界各国の国賓や著名人が利用することでも知られるホテルです。
日中戦争勃発後の1937年に日本軍が北京を占領してからは日本軍の管理下に置かれたこともあります。
このA棟は、1974年に建て替えられました。 -
8031号室の室内は、ゆったりとした落ち着いた雰囲気です。
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<2日目>
吹き抜けのロビーをエスカレータで降りて、地下1階のレストランへ… -
朝食は、マアマアです。
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2009年の今年は、建国60周年。
ロビーには、北京飯店を利用した歴代著名人(周恩来・トウ小平・江沢民など)の写真が・・・ -
ホテルのフロント。
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朝食後、スーツケースをバスに乗せて、3台のバスは最初の観光地「頤和園」に向けて出発・・・3連泊出来ないので荷物と共に移動です。
車窓から、2012年に完成した「北京北站」の新駅舎が見えました。
ここから万里の長城・八達嶺站(駅)までは61km、快速に乗ると1時間あまりで着きます。 -
駅に隣接した、かまぼこ型のビル。
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頤和園に着きました。
手前の広場には、植物で作ったゾウの像(?)が・・・ -
頤和園(いわえん)は、1750年に清朝・第6代皇帝の乾隆帝(1711~1799年)が、母の還暦を祝うために造営した庭園です。
1860年に第二次アヘン戦争で英・仏の連合軍によって破壊され、それを再建し、一層豪華にしたのが、清朝末期の西太后(1835~1908年)です。
1998年に世界文化遺産に登録されました。 -
西太后は、18歳で咸豊帝(1850年に即位した清の第9代皇帝)の後宮に入り、咸豊帝の唯一の男子(第10代・同治帝)を生んだ功績で、その後、紫禁城の西の宮殿に住むようになり、西太后と呼ばれました。
皇后は、東の宮殿に住んだため、東太后と呼ばれたそうです。
この門は、頤和園入場口の「東宮門」。 -
再建の際に、西太后は、創建時の乾隆帝の母思いの故事にならい、第11代皇帝の光緒帝(西太后の妹の子供)の名のもとに、自分の隠居後の住居として建築させます。
頤和園は、西太后の欲の深さを示す例えによく使われるとともに、清の滅亡を早めた原因の一つと言われています。
東宮門から「仁寿門」を抜けて・・・ -
「仁寿殿」の中庭に出ると、大きな「太湖石」があります。
これは、無錫の太湖から取り寄せた、老人の形をした石。
仁寿殿(にんじゅでん)は東宮門内にあり、政治区域の中心地で西太后や光緒帝が政務を執り行ったり、外国の使節との会見など外交に使われた場所です。
ちなみに「仁寿」とは論語の「仁者寿(仁政を施すものは長生きできる)」から採った名前だそうな。 -
1号車のガイド・白さん・・・何か月も休みなしの忙しさだとか。
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仁寿殿の前に、麒麟の像があります。
麒麟の像は 鹿の角・龍の頭・獅子の尾・牛の足からなり、全身はうろこ。
中国の伝説では『善悪を見分けられる仁獣』で、吉祥と威厳を表わすとされています。 -
これは、西太后の居室「楽寿堂」・・・四合院形式の建築で、堂の西が寝室、東が食堂。
西太后は中央の部屋で食事をすることも多く、通常、料理は3テーブルに並べられました・・・主菜が60皿、菓子・果物30皿、山海の珍味が120皿だったとか。
西太后は年老いてから、頤和園での生活を好み、毎年4月から10月までここで過ごしたそうです。
楽寿堂正面に置かれた銅製の鹿、鶴、大瓶・・・「鹿、鶴、大瓶」は漢字の発音が「六合太平」(=天下泰平、六合は天下・宇宙・上下・東西南北の六つの空間を指す)につながり、縁起がよいので置かれているということです。 -
この岩みたいな塊は、中国で一番大きな庭石と言われているものです。
明の時代、ある官僚が北京の房山という所で巨石を見つけましたが、自分の庭園まで運べずに放置したものを、乾隆帝が巨大な資金をつぎこんでこの場所に移送し、「青芝岫」と名づけました。
「青くて霊芝に似ている」ので、この名になったそうです。 -
楽寿堂から西に行くと「邀月門(ようげつもん)」に出て、ここから昆明湖に沿って長さ728mの「長廊」が西に延びています。
長廊の途中には4つの東屋があって、それぞれ春夏秋冬を表しています。 -
長廊の梁には、人物・花鳥風月などの山水・歴史・古典文学・神話などを題材に、およそ14千点もの絵が描かれています。
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五角、六角、円型などに開けられた廊下の窓は、空窓と呼ばれ、通風機能も果たしながら、昆明湖の美しい景色を眺める場所でもあります。
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江南でよく見かけた中国的風景・・・昆明湖の湖畔には、蓮の花が咲いています。
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昆明湖の東岸から南湖島に架かる「十七孔橋」・・・十七孔橋は、長さ150mの石造り橋で、17の穴が開いた形になっているので、その名がつけられています。
大変優美な橋で、杭州西湖の白堤に架かる断橋がその原型です。 -
これは、全長36mの石の船「清晏舫」・・・「絶対沈まない船」すなわち「絶対に覆らない王朝」の意で、乾隆帝の時代に造られました。
1860年の英仏連合軍の焼き討ちで上層部分が焼失し、西太后が西洋風に再建しました。 -
この昆明湖は、杭州にある西湖を模して作られとされる人造湖です。
遠くに霞むのは、万寿山に建てられた「仏香閣」・・・もともとは、9層の塔の計画でしたが、8層まで完成したところで、都の西北方に塔を建てるのは不吉とされたことと、昆明湖の広い水面に対し、細長い塔では如何にも貧弱であると騒がれたため、完成直前に全て取り壊されました。
その後、杭州の銭塘江に臨む「六和塔」に従い、8閣3層、高さ41m、基壇の高さ20mに及ぶ仏香閣が造られました。
仏香閣からの昆明湖の眺めは絶景ですが、今回は行けませんでした。 -
頤和園を出て駐車場に行く途中、年配のおじいさん達がこの水筆を使って、路上に文字を書いていました・・・それにしても、見事な腕前!
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ラケットを持って体操している人達・・・中国のおばさんは、パワフル!
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頤和園の次は「万里の長城・八達嶺」です。
入口の狭いこと! -
万里の長城は、1987年に世界遺産に登録されました。
東は渤海湾に臨む河北省山海関から、西は甘粛省の嘉峪関まで、2000年の間の歴代の王朝が整備してきた長大な城壁です。
2009年の発表では、総延長は8,851kmでしたが、2012年に21,196kmと発表されました。
長城建設は、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝の事業であるとされていますが、秦による統一以前の春秋時代にも、趙などの北方の国が異民族の侵入に備えるため、長城の建設に取り組んでいました。
現存する長城の大部分は、明の時代に築かれたもので、その壮大なスケールから、「月から見える唯一の人工の構造物」と言われています。 -
下から歩いて登る男坂・女坂もありますが、私達は駐車場からロープウェーで、女坂の北七楼まで一気に上ります。
6人乗のロープウエイで、約10分で山頂に到着です。 -
ここに来る途中から、小雨が降り出しました。
ロープウエイを降りてからは、かなり急な登り坂です。
周りはガスっていますが、これは、正真正銘の霧です。 -
雨になるとは思っていなかったので、傘を持たなかった夫は、現地のおじさんたちが押し売りしていた、見るからに粗末な50元のレインコートを10元(150円)で買いました。
思った通り、すぐにダメになりましたが、日本の100均がもっと上等です。 -
小雨に霞む、八達嶺長城の最高地点。
八達嶺の城壁の高さは平均7.8mで、幅は約5.8mと5頭の馬が並んで進める広さ。
城壁の内部は、土やレンガが敷き詰められています。 -
急勾配の坂を上った「北八楼」が、一番高い場所です!
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本当は、こういう眺めを期待していたのですが・・・
(写真はHPより) -
城壁はこのような形で造られています。
見学を終えて下に下りると、何とトイレの真ん前で、焼き栗を売っているおじさんがおり、トイレには行列が出来ていました。
次の場所まで、どれくらい時間がかかるのか分らないので、列の後ろに並んでいると、出てくる人達が、みんな顔をしかめています。
マー、想像するに、ひどいトイレだろうなと覚悟しました。
列が短くなり、トイレの中が見えた時、私は「これはダメだ」と思い、このトイレに入るなら我慢した方がましと思い、列を離れました。
今までカンボジアとかベトナムで、結構ハードなトイレにも入りましたが、ここのトイレは、どうしてもダメでした。 -
万里の長城から北京市内に帰る途中の高速で、バスごとに、揃いのジャージのユニフォームを着た軍隊の人や学生が乗り、国慶節の演習に向かうバスが何十台も走っていました。
私達は、このドライブインで昼食・・・先ずは、行くべき所に駆け込みました。 -
広東飲茶料理でしたが、オプションで「アワビ入りフカヒレスープ」を頼みました・・・さすが、美味しい!
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56度の白酒(バイジョウ)がサービス・・・これは、トウモロコシの一種、コーリャンから作ったお酒ですが、さすがにストレートではキツイので、夫は水で割って飲みました。
味・香ともに強いお酒ですが、面白いので、ここの売店でお土産に買いました。 -
昼食の後は「明の十三陵」の観光・・・ここは、中国に現存する最大の皇帝陵墓群です。
明の朱元璋(太祖・洪武帝)は1368年に南京で中国を統一して明朝を興し、3代目の永楽帝が1404~1420年に北京の宮殿・紫禁城を建設し、1421年に南京から北京に遷都・・・北京はこの時から中国の政治・経済・文化・軍事の中心になりました。
北京に遷都する前の1409年に、永楽帝は天寿山麓に自らの陵墓となる「長陵」の工事を始めました。 -
ここは明代の皇帝・后妃の陵墓群で、永楽帝以後の皇帝13代の皇帝の陵墓があります。
永楽帝の陵墓である「長陵」、隆慶帝の陵墓「昭陵」、14代皇帝である万歴帝の陵墓「定陵」の3つが公開されており、このうち定陵だけが発掘され、内部が地下宮殿として公開されています。
永楽帝の徳を称えて建立した神功聖徳碑と、神功聖徳碑を背負う亀の像が、博物館前にあります。
この亀に手を触れると、幸運が舞い込むそうな・・・ -
定陵博物館の入口を入ると、石垣の坂道が続きます。
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博物館の階段を下りて、定陵の見学・・・頑丈な朱塗りの箱に収められているのは、第14代皇帝・万暦帝と二人の皇后の棺です。
棺の上には、お賽銭が降り積もっていました。 -
地下宮殿は、深さ27m。
床から壁面、天井に至るまで大理石が使われ、壁面は寸分の隙間もなく石が積み上げられ、天井部は見事なアーチを描いて作られています。 -
前殿・中殿・左配殿・右配殿・後殿の5つの部屋で仕切られ、竜の飾りの付いた皇帝の玉座(この写真)、鳳凰の飾りが付いた皇后の玉座、柩などが安置されています。
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定陵全体が、堅固な城郭を思わせます。
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見学が終わり、広場に出ると、来た時に作り始めていた草文字が、かなり完成。
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お土産品などは広場で販売できないため、柵越しに商売する人達。
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今日の観光が終わり、2日目の宿「クラウンプラザ」に向かうと、北京オリンピックのメインスタジアム『鳥の巣』が見えて来ました。
北京国家体育場(愛称:鳥の巣)はスイス人が設計し、最大収容人数は91千人でした。 -
後方の建物は、(自称)七つ星ホテル「パングー セブン スター ホテル (盤古七星酒店)」です。
オリンピックに合わせて造られたこのホテルは、たなびく雲のような独創的な外観をしています。 -
チェックインの後、四川料理の店「江湖菜」へ。
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美味しいけど、ピリ辛の夕食を頂きました。
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夕食の後は、楽しみにしていた『雑技』を「朝陽劇場」で鑑賞。
朝陽劇場は1984年に創業し、北京市の『重要観光拠点』にも指定されている由緒ある雑技劇場です。
常にトップレベルの雑技団が登場し、伝統雑技を最新の演出で上演しています。 -
始まる前から、何だか興奮します。
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スタートは、シーソーからのジャンプ・・・見事、左の高い椅子に乗りました。
次は、肩の上に乗ります。 -
飾り物が、よく落ちないね!
3人でも大丈夫? -
足の下も頭の上も、コロコロ動くロール。
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時計の針のようにクルクル回る輪から、落ちないように・・・
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まるで皿が棒にくっついているような皿回し・・・綺麗! お見事!
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お互いに片手で支え合うなんて、まさにチームワーク。
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華やかな自転車の技・・・1台の自転車に、何人乗っているか数えられない!
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20時30分、1時間あまりの技のオンパレードが終わり、いよいよ、フィナーレ・・・本当に同じ人間かと思うくらいの柔軟性、鍛錬した者だけができる妙技、出演者の素晴らしい連帯感に感動!
次から次への連続技に驚かされてばかりで、終わってみると、まさにあっという間で、楽しいショーでした。 -
終演後、ごった返すロビーで、 ” パンフレットは如何ですか? ”
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雑技を楽しんだ後は、足つぼマッサージへ。
私は、家で毎日のようにマッサージ器を使っていますが、夫は肩こりなどとは無関係。
海外旅行でも、アジアのようにマッサージ出来る所はいつも利用しますが、夫は別行動です。 -
ガイドの白さんが、あまり乗り気でない夫を「お父さん、美人さんを頼みますから」と誘ったのですが、どうでしたでしょうか?・・・初めての夫も、やっぱり嬉しそう。
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今日の予定もすべて終わり、ホテルに到着しました。
北京飯店の代わりの「クラウン プラザ パーク ビュー ウーチョウ (北京五洲皇冠假日酒店) 」は、2003年開業の新しい5つ星ホテルです。
周辺は、2008年のオリンピックのために開発された地域で、お店などもありません。 -
<3日目>
吹き抜けの広いロビーとフロント。 -
エントランスからの階段も、ゆったり・・・
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新しい外資系ホテルだけあって、朝食も、GOOD!
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入口には、昨日、頤和園で見たのと同じようなキリンの像が・・・
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今日の観光は「天安門広場」からスタート・・・天安門広場は、最大で50万人が収容できる世界最大の広場で、国家行事だけでなく歴史上の大事件の舞台にもなりました。
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広場のそばでは、飲茶の屋台が出ています。
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広場の西側に建つ「人民大会堂」は、中華人民共和国の建国10周年の記念事業の一つで、1959年に建造されました。
全人代や共産党大会などの重要会議を開催する所です。 -
広場の東側には、「中国国家博物館」があります。
1926年に公開された国立歴史博物館が前身で、人民大会堂と同年に竣工しました。
中国の古代から近代に至る文物資料は、62万件にのぼります。 -
国慶節を間近に控えて、広場には56民族のイラストが描かれたポールが建っています。
人口の94%は漢族ですが、ウイグル族・モンゴル族・チベット族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家が中国です。 -
南側の毛主席記念堂の前には、巨大なテレビ画面がセットされ、中国の紹介などの映像を次々に映し出していました。
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1417年に建設された紫禁城の正門は焼失したため、現在の門が1651年に再建され、この時に天安門という名になりました。
但し、現在の紫禁城の正門は、更に北にある「午門」となっています。
天安門に掲示されている毛沢東の肖像画は、縦が約6m。 -
今年の10月28日に毛沢東の写真の近くで、車が群衆に突っ込み、紫禁城外の柵に激突して炎上し、乗っていた3人と近くにいた観光客2人が死亡する事件が発生しました。
あちこちに警備の人が立っていますが、一瞬の出来事だったのでしょうね。 -
天安門の西側にある「中山公園」・・・明の時代(1421年)に、国家安泰と五穀を祀る場として造られた社稷壇や、孫文の遺体を一時的に安置した中山堂などがあります。
正面には、いかにも「中山公園」という形をした門があり、門をくぐると、孫文の像が建っています。 -
ガイドの白さんに代わって、 ” 1号車は、コチラ―! ”
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ここから「紫禁城」の観光・・・『ラストエンペラー』の映画を観て以来、是非訪れてみたいと思っていた紫禁城に、ついに来ました。
この映画は、1987年度のアカデミー賞で、ノミネートされた9部門(作品賞・監督賞・撮影賞・脚色賞・編集賞・録音賞・衣裳デザイン賞・美術賞・作曲賞)を全て受賞した名作です。 -
天安門の奥にある「後門」から入ります・・・南(午・うま)の方角にあることから命名された、紫禁城で最大の門です。
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後門をくぐって後ろを振り返ると、天安門と広場が見えます。
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紫禁城は堀で囲まれており、東:東華門、南:午門、西:西華門、北:神武門の4つの門で外と繋がっています。
この地図の下が午門で、大和門・大和殿・中和殿・保和殿と、一直線に並んでいます。 -
この石橋は「金水橋」・・・午門と後方の大和門の間を流れる金水河にかかる橋です。
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紫禁城は現在、故宮博物院となっており、中国で現存する最大の木造建築物群です。
明の永楽帝時代に完成した建物は、明朝の末期に焼失し、満州民族の清朝(1636~1911)が再建しました。
約72万平方mという、世界でも例の無い巨大な敷地につくられた宮殿群や庭園は、修復と保護によって2王朝の栄華を再現し、見る者を圧倒します。 -
「大和門」の両脇には狛犬、天井の色彩も鮮やかです。
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ガイドの白さんの説明を聞きます。
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大和門を抜けると、大きな大和殿がありました。
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「太和殿」は紫禁城の主殿で、三大節(元旦・冬至・皇帝誕生日)や、皇帝の即位・結婚、出征、皇帝の葬儀など宮廷の重大な儀式を行った建物。
式典が行われる時には、太和殿前の広場に官吏たちがずらっと並び、全員で三跪九叩頭の礼を行ったそうです。 -
中央には「宝座」と呼ばれる皇帝の玉座があります。
玉座の上に掲げられた扁額は、乾隆帝による「建極綏猷」・・・「天と民の間に立って、中立な統治をしなさいよ」と言う意味だそうです。 -
大和殿から見た大和門・・・大和殿前の敷地は、レンガで敷き詰められています。
ガイドさんの説明では、レンガは縦と横に、交互に13層重ねてあり、皇帝暗殺を企む者が、城の外からトンネルを掘って大和殿に侵入できないよう防御のために造られたそうです。 -
大和殿を進むと、中和殿(左)と保和殿(右)があります。
「中和殿」は、式典が太和殿で行われる直前に皇帝が大臣らから祝辞を受け、一旦、休憩をした、いわば皇帝のための控えの間でした。
この建物は、紫禁城の中で唯一、正方形の形をしています。 -
「保和殿」は、式典が太和殿で行われる直前に皇帝が更衣をした場所。
清朝の時代は、毎年正月に、モンゴル・ウイグルの王侯を招いての宴会も行われたそうで、また第6代皇帝・乾隆帝(在位期間:1735~1796)以来、皇帝臨席の下、官吏採用試験である文科挙の最終試験が行われました。
扁額の「皇建有極」は乾隆帝によるもので、「皇帝にも限界はある。有能な人材の智恵を求めよ」と言うコトらしいです・・・謙虚ですね。 -
保和殿の裏側(北側)にある「雲龍階石」・・・大理石の一枚岩は長さ16m、重さ250トンもあり、2万人の人手で凍った道の上を滑らせて、ここまで運んだと言われています。
9尾の龍が精緻に彫刻された、紫禁城内で最大の石造物。
この上を皇帝様の籠が通ったそうです。 -
故宮博物院の中に、その場で書いた書を掛け軸にしてくれる店がありました。
中国では有名な書道家・莽山(モウザン)先生が揮毫中。 -
旅行の思い出として、この書を買いましたが、掛け軸に加工してから、夜、ホテルに届けてくれました。
『福寿康寧』とは、 ” 幸福で長生きし、健康で心やすらかなこと ” 。
今も、我家の床の間に掛けてあり、良い記念です。 -
「ラストエンペラー」のロケがあった「外東路」・・・紫禁城を去る乳母を追って、溥儀が走ったり、母の訃報を受けた日に、自転車で通り過ぎた長い直線の道。
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「愛が結ばれる木」の前で、皆さん記念撮影。
この老夫婦が写真を撮っても、このポイントからなかなか動かないので、ガイドの白さんに ” △×Ο…?! ” ・・・中国語で怒られていました。 -
これは、ヒノキの老木。
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観光が終わり、紫禁城の北の門「神武門」から退出しました。
城の外回りは「筒子河」(お濠)。 -
この後は「中国茶館」でショッピング。
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久し振り(?)に北京飯店に戻り、ホテルのレストランで小籠包など上海料理の昼食です。
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午後の観光までに時間があったので、北京飯店に隣接した「王府井」を散策しました。
王府井大街は、北京随一の繁華街・・・というより北京には、王府井大街しか繁華街はないそうですが。
ガイドの白さんからも「王府井大街以外は、ないよ」と言われました。
南北に走る王府井大街は歩行者天国になっていて、多くの人々が散歩やショッピングを楽しんでいます。 -
王府井小吃街には、お土産屋や食べ物の屋台が軒を並べています。
入口で可愛い人形がお出迎え。 -
トルコ料理のケバブや日本の縁日で売っているようなお菓子・・・
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浅草・仲見世のような土産屋などが、ズラッと並んでいます。
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ホテルに戻って、午後の観光に出発しました。
車窓から見かけたウィグル族の美少女・・・彼女たちが中国人なんて、不自然ですね。 -
人力三輪車に乗って、胡同(フートン)ツアーへ・・・沢山の輪タクがスタンバイしています。
「胡同」とはモンゴル語で「集落」「井戸」の意で、元・明朝時代には北京を中心に、「○○集落」と呼ばれるほど発展しましたが、最近は都市開発の影響で取り壊され、什刹海周辺は保護区域になっています。 -
2人乗りの三輪車に乗って、胡同クルージングに出発!
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胡同は、平屋の集落で形成された、北京の古き良き街並み・・・北京の伝統的な文化を理解出来るだけでなく、北京の庶民の生活を目の当たりにする事が出来ます。
北京の古くからの住宅「四合院」が建ち並ぶ胡同を、輪タクに乗って散策すれば、違った北京の顔が見えます。 -
什刹海の周辺を、輪タクに乗って巡ります。
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しだれ柳の木が植えられた什刹海の周囲には、かつての皇族の邸宅や、武官・文官が住んでいた胡同が今も大切に保存されており、北京の古き良き時代の面影が見られる、情緒あふれる場所です。
そんな場所を人力車に乗り、優雅なひと時を過ごしました。 -
胡同ツアーの後は、天壇公園に行きました。
国慶節を控えて、入り口には厳しい警戒が・・・夫がカメラを向けましたが、何か注意されるのじゃないかと緊張しました。 -
公園にあった柿の木・・・但し、中国の柿は渋柿だそうです。
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天壇公園の北側にある「祈年殿」は、明・清代の皇帝が毎年豊作を祈った場所です。
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祈年殿は巨大な三段の円形の石の基座の上に建っています。
基座と基座の間には8段の階段があり、石彫りのレリーフを見ながら階段を上がって行きます。 -
石彫のレリーフは、上から「雙龍山海(左の写真)」「雙鳳山海(右の写真)」「瑞雲山海」の図案で、「龍鳳呈祥」(龍は皇帝・男性を、鳳凰は皇后・女性を表し、幸せな結婚生活を願う)を表しています。
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祈年殿は直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇・・・1420年に明の永楽帝が建立し、1889年に落雷で焼失しましたが、1906年に再建されました。
ここで、一緒のツアーの人が「主人がズボンに入れてた財布すられたわ」と、ガイドさんに話していました・・・あれだけ注意されていたのに、やっぱり誰か狙われるのですね。
以前、私の友人もご主人が中国で、ズボンの後ろポケットに入れていた財布をすられたと話していました・・・気を付けなくちゃね! -
祈年殿内部には、四季を象徴する4本の柱と、12ヶ月を象徴する赤い12本の柱があります。
梁・棟木は使用されていません。 -
今日は土曜日なので、広い天壇公園では、北京市民が思い思いにノンビリと過ごしています。
二胡を楽しむ夫婦や、仲間でトランプに興じる人々・・・ -
合唱団に、新体操(?)
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北京といえば北京ダック、北京ダックといえば「全聚徳(ぜんじゅとく)」・・・今日の夕食は、あの「全聚徳」で本場の北京ダックを楽しみます。
1864年に創業され、北京では創業店「前門店」を始めとして「王府井店」「和平門店」などの6店舗があります。
私達は「京信店」に行きました。 -
全聚徳の北京ダックは、生後100日未満で体重2.5kg以上のアヒルを使用しているそうです。
また、年間300万羽以上のアヒルを500万人に提供し、シェフがその場で取り分けてくれます。
パリッとした香ばしい皮と、柔らかくジューシーな内側の肉は、とっても美味しいのですが、油が多いのか、すぐお腹一杯に・・・ -
次々に出てくる北京料理を、楽しみました。
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夕食の後は「京劇鑑賞」へ・・・会場の「梨園劇場」は「前門建国飯店」の1階にあります。
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京劇は清朝の1828年頃、北京を中心に発展したので「京」の名が付いた中国の伝統的な古典演劇で、オペラやミュージカルに近い音楽劇です。
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京劇と歌舞伎は、役者が見得(みえ)をきる、鳴り物など音楽がある、ストーリーは義理人情の世界を描いたドラマが多い等、よく似ています。
しかし、歌舞伎では、役者はセリフは言うけど歌は唄わないのに対し、京劇の役者は、セリフだけでなく歌もよく唄う、等の違いがあります。 -
セリフの意味は分かりませんが、迫力のある舞台です。
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まるで、ジャグリングのように、投げた槍を扱うパフォーマンス。
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1時間余りの熱演が終わりました。
中国の伝統文化が堪能できて、楽しい最後の夜になりました。 -
ホテルに帰る途中、ライトアップされた天安門が見えました。
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<4日目>
北京首都国際空港に到着し、8時25分のJALで帰国します。
ガイドの白さん、お世話になりました。
私達を見送ると、すぐ次のツアーのお迎えだそうで、しばらく彼の休暇はなさそうです。 -
機内食のメニューは、オムライスとお粥です。
帰国後、10月1日のニュースで、国慶節の盛大なパレードを見ました。
今は、日中関係が冷え込んでいますが、早く改善されることを願っています。
まだまだ中国には、行って見たい所が残っているんですから。
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