2013/07/01 - 2013/07/02
79位(同エリア224件中)
クッキーさん
カルカッソンヌのシテ・城塞都市を散策。
フランス国内ではモン・サン=ミシェルに次ぐ年間来訪者数を誇る一大観光名所となっており、 シテを訪れる年間の観光客数は200万人。
「カルカッソンヌを見ずして死ぬな」と称えられているそうですが、城壁大好き人間の私には、期待に違わぬ城塞都市でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
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13:33
ホテルを出てボン・ヌフへ向かう。
橋のたもとにはらっしーさんが泊まったホテルがあり、
そのホテルの前にある広場からはシテがきれいに見えるが、部外者は立ち入れないので、その近くから撮った一枚。 -
オード川に架かるボン・ヌフ。
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観光客がそぞろ歩き。
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橋のたもとにある小さな教会をちょっとのぞいてみる。
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シンプルなステンドグラス。
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橋の上から。
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橋の上から見えるシテが青空に映えている。
期待感でワクワク。
カルカッソンヌの町は、城壁に囲まれた丘の上の「シテ」と呼ばれる部分と、ふもとを流れるオード川を中心に広がる部分とに二分される。シテは、1997年「歴史的城塞都市カルカッソンヌ」として、世界遺産に登録された。 -
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13:47
路の上にひらめく白い旗。
観光客向けなのかな。
途中の小さなお土産物屋さんでミネラルウォーターを購入したら、1本1ユーロと激安だったので、シテからの帰りにも寄って購入。 -
途中、分かれ道があり、観光客も両方へ分かれていく。
とりあえず右の道を選択。
かなりの坂道で、この道ですでに息が上がっている。 -
シテの外観は武骨なイメージ。
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14:00
一番外側の城壁 -
ナルボンヌの門の前は駐車場になっている。
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振り返ってみると城壁の向こうにはカルカソンヌの街。
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二つ目の城壁。
私はどこから入ったのだろうか。 -
ナルボンヌの門を入る?
人が入らないように撮るのは至難の業。 -
ナルボンヌ門
ピレネー山脈を望む川沿いの豊かな土地には紀元前6世紀にガリア人が住み始め、オード側の土手の頂に最初の要塞が作られたのは紀元前3世紀のこと。
東ローマ帝国時代には、ガロ・ロマン期の城壁によって守られていた。
しかし、ゴート族、サラセン人、フランク族の侵攻は防ぎきれず、相次いでその支配下に置かれた。
こうした歴史は、地理的要件に基づく戦略的優位性から説明される。カルカソンヌは、モンターニュ・ノワールとピレネー山脈の間に位置し、かつ地中海と大西洋を結ぶ要衝でもあるのだ。
12世紀には、南フランスでもっとも強い勢力を有していたトランカヴェル王朝に支配された。ベルナール・アトン・トランカヴェルの治世下に、カルカソンヌは大いに栄えたが、カタリ派が根付いたのもこの頃だった。 -
中世、南仏には、カタリ派と呼ばれる異端的なキリスト教が広まった。厳しい戒律に従って心身を律し、清浄な生活を送る信者が多く出たことから、尊敬を集め、大流行したらしい。
これに対して、1181年、ローマ教皇はフランス王に命じて十字軍を差し向ける。史上名高い「血塗られた」アルビジョワ十字軍である。カルカッソンヌは、トゥールーズ伯からフランス王の手に落ちて以来、そのカタリ派攻撃の拠点となった。
シテが造られたのは11世紀から13世紀にかけてであった。
支配者は次々と代わったが、フランスとスペイン間の交通の要塞であったため、1659年にピレネー条約が締結されるまで、要塞として重要な役割を果たしてきた。しかし、条約が締結後は要塞としての役割がなくなり、次第に廃墟と化していく。
壁も塔も、建材を取るために破壊されたり、歳月によって自然崩壊したりして、むしろ城址といったほうがいいような有様となっていった。、シテは兵器や食糧の貯蔵庫として使われるものと成り果てた。 -
14:10
インフォメーションでは地図をもらった。 -
シテが城塞都市だということがよくわかる。
中にはこのような中世の趣を持つ街が存在する。 -
観光客で賑わう通り。
剣士の人形などの子供が喜ぶようなおもちゃが所狭しと並べられ、ごった返し。
ちょっと賑やかすぎて、そそくさと通り過ぎる。 -
14:19
いざコンタル城へ。
その威容に圧倒される。 -
城の城壁。
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とにかく暑いので、皆、木陰を求めている。
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木陰の下で休憩中の人々。
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幸いにもコンタル城の入場券を買う人の列はあまり長くない。
柵の外からカメラを構えている人のほうが目立つ。 -
コンタル城の入場料は8.5ユーロ。
日本語のオーディオガイドはなかったが、日本語のガイド冊子をもらえた。 -
チケットとシテの地図。
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壁の銃眼。
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表面がすり減ってしまっているダム・カルカスの胸像。
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元はこんなだった風。
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14:30
二階に上がってすぐの部屋では、修復という観点から、この歴史遺産の軌跡をたどるフィルムが上映されていた。
建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクが、国からの修復の命を受けて、城壁を修復。その過程が描かれていたもの。
どこの遺跡にも同じことを思うのだが、人間は、造っては破壊し、また造ってと・・・ -
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窓からの景観。
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コンタル城から望むサン・ジメール教会。
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15:00
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跳ね出し櫓は、木製の回廊によって城塞の防御を固めるためのもの。
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塔の屋根。
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城の南側にはサン・ナゼール教会が見えている。
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アップで。
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青空の下、見惚れるほどの風景が広がる。
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サン・ナゼールに至る間には、ごく普通の街並みが見える。
これが城塞都市。 -
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木製の回廊を歩く。
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壁の石の大きさは、修復されたところを境に変わっているらしい。
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これも銃眼かな。
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15:10
頭上を鳩か何かの鳥が飛び交い、頭上注意が必要かも。 -
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北側に見える街。
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現代では、どこかを変えたり何かを加えたりするような修復は破壊と同じだ、と判定される。
彼らの修復作業は批判を招いた。
不適切な修復の典型例は屋根に用いられた建材であるという。
ヴィオレ・ル・デゥクは、塔をスレート製のとがった屋根で覆い、これによってシテの外観が付与された。
こういう屋根は、北フランスの様式であって中世南仏のものではないという。
実際には、13世紀の塔には、テラコッタ製の平瓦が使用され、ガロ・ロマン朝の塔には丸瓦が使用されていたと考えられている。
このため、現在目にしている屋根は、シテ本来の屋根とは異なる特徴を持っている。
ナルボンヌ門に備わっている跳ね橋も、修復工事の誤りの例とされる。 -
しかし破壊されつくされた城址を、このような壮麗な中世の城塞都市に復活させた情熱と手腕は、賞賛に値するものではないか。
田園に残る廃墟も好みだが、このように再建された城塞都市もいいものである。
歴史的な事実はともかく、この屋根のほうがいかにも城塞、という雰囲気を醸し出していると思うのだが・・・ -
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15:23
回廊をぐるっと回って、石造りの美術館へ。
姿かたちはいいのだけど、マリア様の目つきがひねくれている像。 -
それぞれが頭巾をまとっていて愛らしい群像。
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アーチの間にて
シテの下町にあるグラッサリオ家の3つの窓にみられるアーケード装飾、砂岩製、15世紀のもの。 -
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主塔のヴォールト式の間にある、12世紀末の絵画。
キリスト教騎士とサラセン人の戦いが描かれている。 -
墓碑?
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ロマネスクの間には、みそぎのための水溜、白大理石製。
12世紀、ラグラッス修道院由来。
人間とライオンの顔を模した仮面飾りから水が注がれるようになっている。 -
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15:37
外からも銃眼の様子がよくわかる。 -
15:40
サン・ナゼールのバジリカ聖堂を目指して散策中。
これも木組みの家というのかな。 -
かなり歩いた気もするのだが、他の方の旅行記にあるような、シテの古井戸のある広場なんて所は気付かずにスルーしていたみたい。
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蔦と花に縁どられて、雰囲気のいいレストラン。
立ち寄ってみたい気もするが、歩き回りたい衝動のほうが勝る。 -
バジリカの近くの古民家風の建物。
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15:55
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