
2013/06/29 - 2013/06/29
672位(同エリア991件中)
ふろすとさん
古代には政治・外交・軍事の西の拠点として重要視された太宰府。壮麗な政庁や寺院が建ち並び、役人や僧侶、商人や外国人などが行き交う国際都市だったのでしょうか。今に残るその面影を探しに行きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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太宰府駅前からタクシーに乗って、観世音寺に行きました。
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菅原道真を扱った謡曲『道明寺』にも登場するモクゲンジの木。種は数珠として使われ、その数珠で念仏を百万遍唱えれば、極楽往生間違い無しだそうです。
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天平石臼とも言われる「 碾磑 ( てんがい ) 」。非常に大きな石臼で、伽藍造営に際して塗料の朱を生産した可能性もあるようです。
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五重塔の心礎。
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鐘楼の鐘は、京都妙心寺の鐘と兄弟であると言われています(同じ木型を用いて鋳造したようです)。
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日本最古の梵鐘の1つと考えられています。
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境内の池に咲くあじさい。
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この辺りには、僧侶の居室(僧房)が並んでいました。
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あちこちにある礎石が、華やかな頃を偲ばせます。
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南大門跡。
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イチオシ
立派な「観世音寺」と刻まれた石柱。
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イチオシ
観世音寺に設置された戒壇院へ。
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江戸時代に再興され、現在の建物は、その時に新造されたもののようです。
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今は臨済宗の寺院になっていました。
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本堂に参拝です。
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本堂内部。
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鑑真和上の供養塔(右)と、変形宝筺印塔(左)。
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戒壇院の再建に尽くした博多の豪商、天王寺屋満了無の供養塔。
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鐘楼も江戸時代のものです。
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戒壇院の近くにある玄の墓。彼はなかなか個性的な(というか、灰汁の強そうな)僧侶でしたが、藤原冬嗣の霊に殺されたと言われています。以前見た『大仏開眼』のドラマでも、藤原仲麻呂?だったかの命令で殺されていたようでした。
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戒壇院を歩いて行くと、太宰府の役人を養成したという学校院跡。
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さらに歩いて行くと、太宰府展示館に着きました。
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太宰府政庁の模型です。
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当時の溝の遺跡も保存されていました。
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観世音寺の模型です。
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都府楼跡の史跡が見えてきました。この辺りが、政庁跡です。
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整然とした敷石が並んでいます。
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広場の跡も保存されていました。
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イチオシ
太宰府政庁正殿跡。「都府楼跡」の碑もありました。
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太宰府政庁南門跡。
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都府楼跡の正面入り口らしき場所に立つ石碑。
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当時の威光が偲ばれます。
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こんな名前の喫茶店もありました。古代人が見たら、さぞびっくりするでしょう。
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