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上野公園にある東叡山寛永寺・清水観音堂(きよみずかんのんどう、東京都台東区上野公園)は京都の有名な清水寺を模した舞台造りの御堂で、寛永8年(1631)天台宗東叡山寛永寺を開山した天海僧正(1536~1643)により建立されています。<br /><br />いきなり清水観音堂が建立されたわけではなく、三代将軍家光(いえみつ、1604~1651)の頃江戸城の鬼門鎮護のため信任の厚い川越喜多院住職にあった天海僧正に命じて寛永寺を建立させ、その後寛永寺の末寺として当寺が造成されます。<br /><br />そもそも天海僧正は出自は諸説が多く、例えば室町幕府第12代将軍足利義晴(あしかが・よしはる、1511~1550)の庶子であるとの説は朝廷や徳川幕府から信じられていたようです。他には天海が古河公方の足利高基(あしかが・たかもと、1485~1535)の子であるとか、会津若松の芦名盛氏(あしな・もりうじ、1521~1580)の一族などとする説がありますが何らかの形で芦名氏と関係があったようです。<br /><br />天海は幼名は芦名兵太郎(あしな・へいたろう)で天文15年(1546)の11歳の頃会津郡高田の竜光寺で剃髪仏門に入り、14歳で下野国宇都宮粉河寺で修業を重ね、比叡山に移り神蔵時寺にて天台教観を学びます。<br /><br />その後天海は比叡山を降りて下野国に戻り、永禄3年(1560)から4年間、上杉憲実が再興した足利学校で学び,孔子、老子などの書籍の他に史学、詩書、礼楽などを広く学問を修めています。<br /><br />一方家康は関ヶ原の戦いで勝利を収め、東軍に与した秀吉恩顧の大名には大盤振る舞い遠隔地に領地を与え、徳川政治体制を着実に推進するなか、宗教紛争で思わぬ苦戦に立たされます。<br /><br />即ち比叡山での争議が起り、その実情は山門の支配体制とそれに対する衆徒の反発いうもので、家康はその決裁を求められ慎重に考慮して解決を果たします。その後の比叡山の運営については器量抜群の人物を充てる必要に迫られ、武蔵国入間郡仙波の無量寿寺を継いでいた天海に白羽の矢をたて比叡山の再興にあたらせ沈静統制させることに成功します。これを契機に家康の天海に対する絶大なる信頼を寄せ「御坊を知ることの、何とおそかりしことよ」と言わしめるほどでした。<br /><br />宿願の豊臣勢力の一掃に関しては朝廷側が秀頼・淀君に対し好意的な態度を示していることが家康の頭を悩まし、この解決の為天海は名代として朝廷との交流実績を背景に自ら後陽成上皇に拝謁をして、後の大坂冬の陣に際し逆賊の名を受けないように事前の工作をし、歴史が示す通り豊臣滅亡に導きます。<br /><br />2022年10月11日追記<br /><br />当該寺のホームページには次の如く記載されています。<br /><br />『 清水観音堂の歴史<br /><br />清水観音堂は、寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海僧正(1536~1643)によって建立されました。<br /><br />天海僧正は寛永2(1625)年に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開きました。これは、j比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守という思想をそのまま江戸に導入することを意味し、江戸城の鬼門の守りを意図したのです。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺(きよみずでら)を見立てたお堂です。<br /><br />清水観音堂は、京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観音菩薩像が天海僧正に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台作りで、初めは上野公園内の「擂鉢(すりばち)山」に建てられました。しかし元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根元中堂建設が決まると、その工事に伴って元禄7(1694)年9月に現在地に移されました。上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物です。<br /><br />平成2年12月から文化財保存修理が行われ、平成8(1996)年10月に竣工、元禄移築時の面影を再現するに至る、国指定重要文化財です。』<br />

武蔵上野 家康・秀忠・家光を支えた黒衣の宰相とも言われ、秀忠寄進の上野山に寛永寺創建の後に建立の京都清水寺を模した『清水観音堂』散歩

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2013/09/22 - 2013/09/22

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滝山氏照

滝山氏照さん

上野公園にある東叡山寛永寺・清水観音堂(きよみずかんのんどう、東京都台東区上野公園)は京都の有名な清水寺を模した舞台造りの御堂で、寛永8年(1631)天台宗東叡山寛永寺を開山した天海僧正(1536~1643)により建立されています。

いきなり清水観音堂が建立されたわけではなく、三代将軍家光(いえみつ、1604~1651)の頃江戸城の鬼門鎮護のため信任の厚い川越喜多院住職にあった天海僧正に命じて寛永寺を建立させ、その後寛永寺の末寺として当寺が造成されます。

そもそも天海僧正は出自は諸説が多く、例えば室町幕府第12代将軍足利義晴(あしかが・よしはる、1511~1550)の庶子であるとの説は朝廷や徳川幕府から信じられていたようです。他には天海が古河公方の足利高基(あしかが・たかもと、1485~1535)の子であるとか、会津若松の芦名盛氏(あしな・もりうじ、1521~1580)の一族などとする説がありますが何らかの形で芦名氏と関係があったようです。

天海は幼名は芦名兵太郎(あしな・へいたろう)で天文15年(1546)の11歳の頃会津郡高田の竜光寺で剃髪仏門に入り、14歳で下野国宇都宮粉河寺で修業を重ね、比叡山に移り神蔵時寺にて天台教観を学びます。

その後天海は比叡山を降りて下野国に戻り、永禄3年(1560)から4年間、上杉憲実が再興した足利学校で学び,孔子、老子などの書籍の他に史学、詩書、礼楽などを広く学問を修めています。

一方家康は関ヶ原の戦いで勝利を収め、東軍に与した秀吉恩顧の大名には大盤振る舞い遠隔地に領地を与え、徳川政治体制を着実に推進するなか、宗教紛争で思わぬ苦戦に立たされます。

即ち比叡山での争議が起り、その実情は山門の支配体制とそれに対する衆徒の反発いうもので、家康はその決裁を求められ慎重に考慮して解決を果たします。その後の比叡山の運営については器量抜群の人物を充てる必要に迫られ、武蔵国入間郡仙波の無量寿寺を継いでいた天海に白羽の矢をたて比叡山の再興にあたらせ沈静統制させることに成功します。これを契機に家康の天海に対する絶大なる信頼を寄せ「御坊を知ることの、何とおそかりしことよ」と言わしめるほどでした。

宿願の豊臣勢力の一掃に関しては朝廷側が秀頼・淀君に対し好意的な態度を示していることが家康の頭を悩まし、この解決の為天海は名代として朝廷との交流実績を背景に自ら後陽成上皇に拝謁をして、後の大坂冬の陣に際し逆賊の名を受けないように事前の工作をし、歴史が示す通り豊臣滅亡に導きます。

2022年10月11日追記

当該寺のホームページには次の如く記載されています。

『 清水観音堂の歴史

清水観音堂は、寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海僧正(1536~1643)によって建立されました。

天海僧正は寛永2(1625)年に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開きました。これは、j比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守という思想をそのまま江戸に導入することを意味し、江戸城の鬼門の守りを意図したのです。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺(きよみずでら)を見立てたお堂です。

清水観音堂は、京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観音菩薩像が天海僧正に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台作りで、初めは上野公園内の「擂鉢(すりばち)山」に建てられました。しかし元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根元中堂建設が決まると、その工事に伴って元禄7(1694)年9月に現在地に移されました。上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物です。

平成2年12月から文化財保存修理が行われ、平成8(1996)年10月に竣工、元禄移築時の面影を再現するに至る、国指定重要文化財です。』

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 清水観音堂<br /><br />高台に配した観音堂を右側の階段を登ります。

    清水観音堂

    高台に配した観音堂を右側の階段を登ります。

  • 清水観音堂<br /><br />人形供養法要が近々に催されます。

    清水観音堂

    人形供養法要が近々に催されます。

  • 清水観音堂<br /><br />寛永8年(1631)天海僧正が京都の清水寺に模して造ったそうで、朱色の観音堂には本尊の千手観音が安置されています。

    清水観音堂

    寛永8年(1631)天海僧正が京都の清水寺に模して造ったそうで、朱色の観音堂には本尊の千手観音が安置されています。

  • 清水観音堂<br /><br />崖にかかる舞台から琵琶湖になぞらえた不忍池方向を眺めます。

    清水観音堂

    崖にかかる舞台から琵琶湖になぞらえた不忍池方向を眺めます。

  • 清水観音堂<br /><br />観音堂の庭には人形供養碑が建立されています。

    清水観音堂

    観音堂の庭には人形供養碑が建立されています。

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