2022/09/30 - 2022/09/30
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rinnmamaさん
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この旅行記スケジュールを元に
表紙の写真・貯めて置いていた「名古屋城天守閣」
日付は2022年9月にしましたが、前半は2013年の写真です。
☆北海道旅行記の途中ですが・・実は半年に1回ほど名古屋近辺の旅行記をアップしているのですが、途中で此のお蔵入りの旅行記を見つけました。
今は非公開になってしまいました天守閣ですので、記念に投稿します。
編集途中でお蔵入り状態で、2013年に本丸御殿の第1期が出来た折、訪問した帰りに立ち寄ったようですね。本丸御殿1期後の旅行記は投稿済み。
消えゆく名古屋の建物などを収めては、細々投稿していますので、懐かしい内部映像です。投稿後に調べましたら、この写真の5倍ほどの貴重な内部写真が見つかりました。ですので、後日再編集させて頂きます(10月17日)
1959年に鉄骨鉄筋コンクリート構造で再建されましたが、耐震性の確保などの問題もあり、2018年5月6日をもって名古屋城天守閣は閉館しました。
先日,久しぶりに孫の体育祭を代理で見に行った帰りに、お堀を1周して来ましたので、最後に追記しました.
☆名古屋城内部は見れませんが、本丸御殿は豪華絢爛に復元されていますので、天守閣は仰ぎ見て、どうぞ名古屋城にお越しくださいませ。
「名古屋城本丸御殿」近世城郭御殿の最高傑作として、天守とともに1930年に旧国宝第1号に指定されましたが、1945年の戦災によって消失。
しかし309枚の昭和実測図や、約700枚の古写真、戦火を免れた1049枚の障壁図など、豊富な資料が保管されていました。
この文化的価値を世界的市民の財産になるように、工期3期10年で総工費150憶円掛けて本丸御殿を復元すると方針を打ち立てた。
復元工事は2009年に始まり、2013年には玄関、表書院を、2016年には対面所、下御千膳所を公開し、2018年の上洛殿の完成を持って全面公開しています(途中略しましたが、特別史跡名古屋城のサイトより参照)
私は本丸御殿は、2013年1期のみ旅行記にしてあります。
お堀周りの桜も見事ですので、4月にお越しの折には、車でも良いですので、ぜひぐるりと巡ってみてください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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おまけ・桜の時期の天守閣(2014.4月4日)
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おまけ・石垣と天守閣
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おまけ・石垣の反り
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2013.6月22日訪問時・・今はこの天守閣の中は見れません「2018年5月より閉館中です」
2022年10月現在閉館中。(2022年10月22日、編集し直し完了) -
2013年時・・寂しいですね
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こんな感じで上がって行きました。
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後付けのエレベーター
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入り口
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上がってくるとこんな感じでした。
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入り口を過ぎた辺り
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天守閣の図
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此の時は色々と展示がありました。
「黄金水井戸 木枠」
大天守閣の東北角にあった井戸の模型。
黄金水と呼ばれ底に純金が敷き詰められいたという。
井戸底は現在地,すなわち再建天守閣の地階地面から、20メートル下にある。
昭和35年の天守閣再建工事にあたり、井戸底も調査され、直径約3メートルの底面に、小石が約1メートル敷きこまれていたが、金は存在しなかった。 -
地階・・イベント中。
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当時の1階・・
最初に「旧本丸御殿の襖」公開に行きました -
2階。不明。
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当時の保存写真。これより先は展示品の説明文などを添付しています。
「此処から旧本丸御殿襖などの見学です」
昭和16年(1941).太平洋戦争が勃発し、17年には名古屋への空襲が繰り返され,数万の家が燃えた。
本丸御殿の障壁図345面は、昭和17年に国宝に指定されており、その疎開先が急務になり、まず襖絵類が取り外され、御深井丸の隅にある乃木倉庫に運びこまれた。
上洛殿の天井板を飾っていた板絵も外され、本丸御殿そばの東南隅櫓に搬入された。 -
2013,6月22日撮影。
新本丸御殿、1期工事完成時の公開。
豪華に復元された部屋・襖。 -
「暫く2013.6月22日訪問時の写真です」
重要文化財「槙楓椿図」本丸御殿表書院二之間,東側襖。名古屋城蔵。
慶長19年(1614) 平成13年修理。
裏は「麝香猫図」です。
表書院は、玄関の次に位置する広大な建物で、正規の謁見に用いられた。
本作品は表書院の中央の部分で、秋から冬にいたる花木を描いていで、狩野派による障壁図の傑作である。名古屋城 名所・史跡
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重要文化財「松竹禽鳥図」
本丸御殿表書院上段之間南側襖。
慶長19年(1614)平成5年修理。名古屋城蔵。
表書院上段之間の襖。
上段之間は本丸御殿の中でも,最高の格を誇る部屋で、他の部屋より床が一段上がっており、襖や壁には拡張高い松や竹、貴重な鳥など描かれていた。 -
保存写真・部屋と襖
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当時の保存写真
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重要文化財「花卉図」
本丸御殿
寛永11年(1634)平成17年修理。 -
修理銘」寛永5年(1852)
平成23年、上洛殿上段之間天井板絵「岩上松図」の修理のため本紙を剥がした時、裏に記されていた修理銘。
慶介ら表具師の名前は、他の襖の修理銘にもあり、同じ職人集団が数年にわたり、本丸御殿障壁図を修理した事がわかる -
重要文化財「藤花図」
本丸御殿上洛殿二之間,天井板絵。
寛永11年(1634)平成14年度修理。 -
重要文化財「岩上松図」
本丸御殿上洛殿上段之間,天井板絵。
寛永11年(1634)平成20年修理。 -
重要文化財「花卉図」
本丸御殿御?殿書院、天井板絵。
寛永11年(1634)平成17年修理、 -
重要文化財「猿図」
本丸御殿上洛殿一之間、天井板絵。
寛永11年(1634)平成18年修理
ここまでが空襲を免れた襖などの公開展示でした。 -
途中の窓からながめた庭園。
次は名古屋城の大まかな「遍歴」を展示から抜粋し編集しました。 -
名古屋城は尾張藩主の居城。初代藩主,義直の居城は清洲にあったが、家康が慶長14(1609)名古屋に町を移し,天守や御殿を新たに築城した。
「展示説明文抜粋」 -
2013 年6月22日訪問時の写真」徳川家康座像・
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本丸御殿は慶長19年・1614年ころから始まる「展示説明文抜粋」
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寛永11年・1634年に第3代家光が上洛。「展示説明文抜粋」
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明治6年・1873年1月に廃城令が出され、日本中の城の大半が壊された。
名古屋城の黄金時代は終焉「展示説明文抜粋」 -
「地に下りた鯱」と天守閣の写真「展示説明文抜粋」
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明治12年に鯱が天守に戻る。「展示説明文抜粋」
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「金鯱鱗」「展示説明文抜粋」
天守の上で光る鯱は攻撃対象になりかねず、昭和20年、土中に埋めることになった。取り下ろし最中の5月14日,焼夷弾により鯱は天守と共に焼け落ちた。
ただし、幾つかの鱗の破片が現存する。
昭和12年の鱗盗難事件後,警察から返還された物。
昭和20年に天守から降ろされた時外れた物。
天守が燃え落ちた時に遠くに飛んだ物。
国宝天守の数少ない遺品である。 -
鯱は戻ったが,名古屋城は以前として陸軍のものであった。本丸,二の丸は明治5(1872)に陸軍省の所轄になった。
同年6月に本丸御殿内に名古屋鎮台が設置され、天守は歩兵第6番大隊の兵舎として使用された。「展示説明文抜粋」
明治6年11月に二之丸御殿が取り壊されと、跡地にはただちに兵舎が建設された。 -
永久保存が決議された名古屋城に陸軍が駐屯することは、大きな矛盾があった。
よって明治26年(1893)本丸と西之丸が宮内庁に移管され、御料地となり、名古屋離宮が誕生した。「展示説明文抜粋」 -
本丸御殿は離宮になり各時代の行幸啓記録は50回を超えた。
昭和5年に名古屋市に下賜された際に、宮内庁から下げ渡された物。大半は昭和20年の空襲で焼失したが、展示の御料品は焼失わ免れ、市役所庁舎の奉安庫で保管されていた。「展示説明文抜粋」 -
椅子の足部分と布部分
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昭和5年・1930年に名古屋離宮は名古屋市に下賜された。元離宮の24棟が城郭として,初めて国宝に指定された。
7年に名古屋城全域が特別史跡に指定された。「展示説明文抜粋」 -
名古屋城の調査。他に写した写真がありますが、膨大になるので割愛しました。
天守屋根に足場を組み鯱の実寸を測ることから、本丸御殿の襖金具の拓本を採ることまで、極めて綿密に行われた。
本丸御殿をはじめ,名古屋城内の各所が写真撮影された。同じ頃、東京帝室博物館をはじめ、他機関も名古屋城の撮影を行っていて、それらはかけがえのない資料となっている。「展示説明文抜粋」 -
昭和16(1941)太平洋戦争が勃発。
同17年には名古屋への空襲が始まり、同20年1月から大規模な空襲が繰り返され、数万の家が燃えた。
昭和20年5月14日の朝,名古屋城の上空にアメリカのB29が多数飛来し、焼夷弾攻撃は数度に及び、消防団や職員の必死の消火活動も及ばす焼失した。
午前10時頃,まず本丸御殿が燃え上がり、続いて天守が崩れ落ちたそうです。
「展示説明文抜粋」 -
空襲で散らばったものを回収「展示説明文抜粋」
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名古屋城再建は復興の第1歩。。「展示説明文抜粋」
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昭和実測図。。戦後粗末なタンスに納められ、名古屋城で保存されてきた。
昭和34年の天守再建・本丸御殿復元における基本資料となり「昭和実測図」と命名された。
写してきました資料はこの3倍ほどありますが、とりあえずの年譜のみ掲載。
「展示説明文抜粋」
この後は、2013年時の各階の展示を振り返ります。 -
3階の展示・城内・城外の暮らし。
本丸御殿対面所・御用部屋・江戸時代の名古屋の町の展示 -
3階・「高札場」
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3階・対面所「展示説明文抜粋」
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3階・名古屋市の丸八文を配する茶釜。
鐶付は鯱をかたちどっている。「展示説明文抜粋」 -
3階・駕籠と通称されるが,江戸時代には「女乗物」と言った。前後3人ずつ計6人で担ぐ。
身分によって装飾方法が異なり、この様に黒漆で塗り金の蒔絵で飾り家紋を入れたものは、最上級に位置っけされ、大名家の子女の婚礼道具として製作された。
「展示説明文抜粋」
なお、男乗り物は、将軍用でも飾りは無く質素であった -
3階「祝膳復元」「展示説明文抜粋」
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3階・「葵紋付漆塗御用箱」
御用箱とは、江戸時代に幕府,大名などが実務に関する文書、金品などを収め、移動に運ぶもの。勘定書(財務を行う役所)で使われたものと伝わる。
「展示説明文抜粋」 -
3階「台所」
藩主に供される食事は、御膳所や台所で調理配膳されたが、台所と藩主が食事する部屋はかなり離れているため、藩主は暖かい料理を味わうことが出来なかった
「展示説明文抜粋」 -
3階「御用部屋」藩の政務を行う部屋。
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3階「擬宝珠」
現在の西区円頓寺筋の堀川五条橋を飾っていた。「展示説明文抜粋」 -
3階「本屋」
江戸、京都、大阪につぐ出版活動が行われていた。
中でも「風月堂」「永楽・東壁堂」が名古屋の本屋として知られる。江戸後期には、江戸大店と肩を並べる規模となっていた。「展示説明文抜粋」 -
3階「自身番」
各町内の警備の為に設けられ、火の番にあたる。「展示説明文抜粋」 -
3階江戸時代の街並み
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3階「武具屋」
古い武具、甲冑をはじめ、古銅の水盤,床の飾りなども売ってい。
「展示説明文抜粋」 -
3階、展示。
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4階は名古屋城石垣と門。
鯱の試乗体験。火縄銃の展示。名古屋城の収蔵品展示。 -
4階・近世初期には石垣積の技術が飛躍的に発展し、石材の長辺を交互にむけて積み上げる、積木積技法が完成した。
この技術を利用して名古屋城の石垣は積まれている。
助役を家康から命じられた20名の大名達によって工事は進められ、慶長15年(1610)6月に根石が置かれ、9月には大半の工事は終わったらしい。
12月には全ての工事は完了したと伝えられている。
「展示説明文抜粋」 -
4階「石垣大修理」清正によって築かれた石垣は,寛永3年(1750)に天守閣が傾斜した為、宝暦2年(1752)から建物を取り除かずに大修理を実施。
北西、西面の石垣の大部分を解体し積み直した。
北西隅を除いて隅石は当初のものが利用されている。
「展示説明文抜粋」
「加藤清正の石曳」天守の石垣普請は清正に割り当てられ、巨岩を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り、音頭をとったと伝えられている。
城内にある像です。 -
4階「丸十字紋箙・まるじゅうもんえびら」
「えびら」とは、矢を収納して腰に付け,携帯する為の道具。大小様々なものが作られたが、これは比較的小型。最下部は皮革製で、鏃(矢の先端)を保護している。
「展示説明文抜粋」 -
4階「名古屋城と火縄銃」
火縄銃は火で火薬に点火し爆発させ弾丸を発射する。
天文2年(1543)種子島に漂着した中国の海賊船に、火縄銃を持つポルトガル人が乗っており、彼らから種子島領主・時堯(ときたか)が,2挺の銃を譲り受けたと伝わる。
名古屋城の御深井丸には、大筒蔵、旅筒蔵が立ち並び、鉄砲玉薬奉行によって管理されていた。「展示説明文抜粋」
火薬は当初、天守閣内に納められていたが、爆発の恐れから御深井丸の穴蔵に移され、更に城外に移動された。 -
4階「火縄銃・江州国友藤兵衛光とし」江戸時代。
国友藤兵衛家は、国友村の有力な鉄砲鍛冶の家で、年寄脇という重職を代々つとめた。
展示説明文抜粋」 -
4階「黒漆塗烏帽子形兜」
鉄製ね兜の上に、和紙を貼りあわせて黒漆で固め、鳥帽子(青年男子がかぶる帽子)をかたどる。「展示説明文抜粋」 -
4階「銀陀美蝶形兜・ぎんなりちょうなりかぶと」
銀陀美(銀溜とも)とは、漆を薄く塗った上に、銀の粉をまいて仕上げる事。鉄製の兜の上に、真鍮で蝶が羽を開いたようにかたどっている。「展示説明文抜粋」 -
4階「白糸威伊予礼二枚胴具足・しろいとおどし いよざねにまい どうぐそく」
白い組紐で伊予礼(いよざね.横長の薄い鉄板)を上下に繋ぎとめ、鎧を形作ったもの。この技法を「威・おどし」という。
体の動きに合わせて、鎧全体が変形する為動きやすい「展示説明文抜粋」 -
平成5年・木子氏の収集800点の寄贈品の一部「展示説明文抜粋」
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木子氏の寄贈品「展示説明文抜粋」
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5階は名古屋城の歴史をテーマに展示。
天守閣構造模型。金シャチの構造模型。石引の体験。
略してありますが、この様に歴代の武将の説明が、展示されていました。 -
5階、石垣を曳く体験コーナーがあった気がします。
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5階「天守閣の構造」
天守閣は五層五階、小天守閣は二層二階で、二つの建物を橋台でつないだ「連結式天守閣」と称される。
設計段階では、天守閣の西面にも小天守閣を設ける予定があったらしく、石垣上部に出入口の跡が残されている。
小天守閣の出入り口も、西側に設計されていたが、途中で現在の位置に変更されている。石垣内部に当初の出入り口の跡が残されている。「展示説明文抜粋」 -
5階・左・て南側立面図。右・西側立面図。「展示説明文抜粋」
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5階「名古屋城の金シャチ」
鯱の構造は、木で荒削りの真木をつくり、その上に鉛板、唐銅板でおおい、更に小判を伸ばした金板を貼り付けいる。
使用された金は慶長小判に換算して、17.975両に及んだと伝えられている。
金鯱は,雄雌で大小が見られる。「展示説明文抜粋」 -
5階「焼損鯱」明暦3年(1657)渡辺正俊(~1662)造。
もと江戸城内の建物に取り付けられていた。
明治3年(1916)に名古屋城へ移され、瓦鯱と取り替えた「展示説明文抜粋」 -
5階「金鯱エピソード・明治以降に3回の盗難被害にあった」
明治4年(1871)に金鯱を政府に献納する為に、足場を組んでいた際に、駐屯していた軍の番兵がウロコを盗んだ。
その後の明治9年に、東京博物館に保管されていた時も、ウロコが盗まれた。
昭和12年(1937)には、城郭下賜記念事業として実施した実測調査の時、足場を上がって盗まれ、犯人は大阪で捕まった。「展示説明文抜粋」 -
5階「金鯱に使用された金」慶長小判17975両。「展示説明文抜粋」
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5階「千両箱」
正式には金箱と呼ばれる。1両小判を千枚いれた。
「両」は重さの単位で、1両約15グラム。
江戸時代初めに作くられた慶長小判は、1両分15グラムの金を銀に変えたもので、約18グラムあった。
幕府の財政が悪化にしたがい、小判はおもさ10グラムで、その内金は約6グラムしかなかった。「展示説明文抜粋」 -
5階「三千両箱」三千両が入る大きな金箱。
小判1枚.1両で、大人1人が1年食べる米の量1石を買えたという。
よって、こね1箱で3000人の米が買えた事になる。
ただし、現在の金に換算すると,時期によっても異なるが、1両10万円ともいう。
展示説明文抜粋」 -
最後は5階からは最上階の7階まで階段で上がります。
以前はこんな感じで展望台に上がりましたね^^ -
階段も面白いですよ
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色んな家紋を見ながら階段を上がる。。
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展望台からの眺めと屋根
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多分、この建物群は本丸御殿復元の為の、作業場だったり、説明展示館だった気がします(もう、忘れてしまってます^^;
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旧名古屋テレビ塔(次に旅行記にしますが、重文に指定される)
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2013年時の本丸御殿建設建物群。。。
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展望台からの景色
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展望台からの景色
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もう、この屋根・・見れないんですよね~
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名古屋城の説明板
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下り優先階段
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こんな風になっていました
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色々、出てきました。
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良い感じだったのに残念。。
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2022.9月末に久しぶりに「「愛知県体育館・ドルフィンアリーナ)に行ったのですが、いつの間にか各地にあるロゴマークが出来ていました。
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愛知県体育館は相撲も開催されますので、こんなオブジェがありました^^
今は「ドルフィンアリーナ」です愛知県体育館 名所・史跡
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孫の出番が終わりましたので早めに出て、久しぶりにブラブラします。
「歩兵第六連隊の由来」の碑がひっそりありました。
明治村に歩兵の官舎が保存されています。旧陸軍歩兵第18連隊西門 名所・史跡
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草に覆われた石碑・・忘れ去られた空間になっていますね。
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「二の丸大手二之門」
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この門は二の丸西側にある桝形の外問になるもので、内門である大手一之門(現存せず)と共に二之丸正門を形成していた。
俗に桝形御門とも言い、一間一戸、屋根霧妻本瓦葺で、高麗門の形式をとる。
なお、二之丸東二之門があったが、本丸東二之丸門跡に移築されている。
共に国の重要文化財に指定されている。 -
一間一戸・高麗門の形式。
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サクラの時期には綺麗で、お勧めです。
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おまけ・桜の時期の前の写真の通りです(2014.4月4日)
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以前は入場しなくても、あの門の外から天守閣が写せたのですが・・・^^;
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このお堀の水は何処から?「以下aulcs.com参照・抜粋」
此の水源の調査を行った人物がいます。
尾張藩10代藩主「徳川斎朝」による勅命により、森島左兵衛という人物が、お堀に潜む隅から隅まで調査を行ったという記録が「御土居下雑記」に残されている。
此の調査は1か月に渡り行われ、過酷な潜水調査を続けた佐兵衛は、調査中に落命寸前で命を取り留めた程で、調査後に潜水病にかかり6カ月ほど静養したという。 -
お濠の深さは一定せず浅い場所・深い場所とがあって、深い場所の水中は暗く十分な視界はない。濠の底の水は非常に冷たく、水は下より上に昇るように流れが出来ていて。まるで泉のようでもある。濠の水中には一定方向の流れがある。
お堀の形状は箱型となっているが、敵から攻められにくくする為に、重要なポイントは箱彫の底を更に薬研堀としていて、名古屋城には3か所ある。
1.御深井大濠、二之丸の月見櫓の下一帯、ならびに月見櫓の北部の入り組んだ濠周辺。
2.御深井丸の西北隅櫓の真下一帯。
3.御城東北隅、階段より対岸に至る、御深井戸御庭に渡る一帯の濠。
以上の3か所ですが「薬研堀とは」堀の底をv字に掘り下げてある形状のことをいい、敵が侵入しくする工夫です。
当時の調査で箱堀の深さは21(6.4m)明治年間に堆積物などで浅くなって、現在では13尺(4m)と言われている。薬研堀はそこから更に24尺(7.3m)も深い。
「aulcs.com参照・抜粋」 -
おまけ。桜の時期のお堀(2014・4月4日)
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お堀の北西角の堀川からつながる「取水口」。因みに堀川は名古屋市を流れる庄内川水系の1級河川。江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として、伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがルーツとされる。
名古屋城のお堀と堀川の水位を比べてみると、実はお堀の水位の方が高い。
実際に絶えず堀川にお堀の水が注ぎこまれている。 -
こんなに大きな鯉がいるんですね・・
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曇り空ですが久しぶりなので、写してきました。
何時も外からですと、この位置から写します^^ -
こんな立て看板がありました。
名城公園は名古屋城を中心とした約80ヘクタールの総合公園です。
名古屋城の築城当時は沼地で、城の防御に役立っていた一方、自然の景観を生かした庭園となっていた。
明治維新後、名古屋城が陸軍省所管になってからも、庭園として尾張徳川家の私有地になっていましたが、明治22年には練兵場として陸軍省所管になった。
写真は「九二式偵察機」が写っていて、後方に昭和5年にに国宝に指定された天守閣が見えますが、昭和20年の空襲により焼失。名城公園 公園・植物園
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おまけ・桜の時期の名城公園(おふけ池)前の地図の下側の公園部分。
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体育館ではお昼を食べれないので、ご父兄の皆様は三々五々食事に行かれていましたが、私は面倒なので出掛けずに今からランチ^^;(15時)
もう、空いていました^^
此処は「金シャチ横丁」で、以前より1度来てみたかった場所でしたが、コロナ禍になり外食もしなくなり、ようやく訪問出来ました。
店内はオープンテラスもあり、明るく良い感じでした。 -
色々悩みましたが、こちらに入店「CAFE DINER/POP OVER」
「ローストビーフ丼」少しピリ辛で美味しかったですが、ご飯が多めで残してしまいました。。カフェダイナー ポップオーバー グルメ・レストラン
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「2023.1.4」から「名古屋城」に変更になるので記念に写した「市役所駅」
中村区役所移転に伴って、市営地下鉄4駅の名称が変わります。
中村区役所駅「太閤通駅」市役所駅「名古屋城駅」伝馬町駅「熱田神宮伝馬町駅」
神宮西「熱田神宮西駅」に変更になります。名古屋城駅 駅
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久しぶりにきましたら階段横が,こんなふうになってしまいました^ ^
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3年近く地下鉄で来ていなかったら、階段がこんな風になっていた(^^)
人が居なくなるタイミングって難しい‥あ!一人下りてきました~~ -
おまけ・昨日、日よけを外しましたが、最後まで頑張って小さい実を付けていました。
真ん中は、夫が種が勿体ないと言って、スプライトを作った。
下は大豊作(^^)夫が歓喜です。。何時もショボイ落花生でしたが、今年は大きいし沢山取れました。少し小さい物も、もう1杯あります。 -
おまけ・暑さで枯れそうでしたが、次々と咲き出してくれました。秋明菊。
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おまけ・本日の着物です^ ^2022.10.16.
季節が良くなってきましたし、久しぶりに着物を着ました。未だ暑いので単衣です。
この着物は木綿なので着る機会も無く、タンスの肥やしでしたが、時々着物生活を始めたので日常に着る事に。
半世紀前頃,松本に旅した時に「色と縞」が気に入って買い求め,母が仕立てくれた思い出がある着物です。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- aoitomoさん 2022/10/17 22:41:23
- 名古屋城のご紹介タイムリーで楽しめました~
- rinnmamaさん こんばんは~
他のトラベラーさんの旅行記で、
名古屋城の天守閣が鉄筋コンクリートの耐震性の問題で、
閉館していることを知りました。
そんな中、rinnmamaさんのこの旅行記は様々な展示も見れてタイムリーです。
さらには丁寧に撮影記録されていることに驚きます。
地元の和歌山城の天守閣も鉄筋コンクリートで内部は展示室となっていますが、
私はあまり写真を撮っていないのですよね。
たしか緩めの撮影禁止でもあったような。
和歌山城天守閣もいつかは名古屋城天守閣と同様に耐震性の問題で閉館になるとも限りませんから、一度、撮影可能なところはしっかり撮影しておこうかなんて、真剣に思いました。
『尾張名古屋は城で持つ』と言われるくらい名古屋にとっても重要な名古屋城&天守閣。
名古屋城の天守閣も本来の木造を目指しているようですから、
はやく改築されることを祈ります。
『落花生』
店で袋に入ったすぐに食べられる落花生しか知りませんから、
庭で作ってしまうことに驚きます。
ご自分で育てた落花生ですからさぞかし美味しいでしょうね~
aoitomo
- rinnmamaさん からの返信 2022/10/17 23:37:57
- RE: 名古屋城のご紹介タイムリーで楽しめました?
- aoitomoさん、こんばんは
>
> 他のトラベラーさんの旅行記で、 名古屋城の天守閣が鉄筋コンクリートの耐震性の問題で、 閉館していることを知りました。
☆そうなんです。。色々揉めているようで・・コロナ禍で更に遅れてしまっているかんじですね!
>
> そんな中、rinnmamaさんのこの旅行記は様々な展示も見れてタイムリーです。
> さらには丁寧に撮影記録されていることに驚きます。
☆編集が途中と思わずに投稿してしまいまして、調べましたら膨大な写真がのこっていました。それで、少しづつ編集しながら追記している途中です。
2013年に本丸御殿1期の公開時に、特別に保存されている貴重な襖の展示公開があった時に、通常展示も写していたようです。
まさか、閉館になり内部が見れなくなるとは思ってもいなかったですが、今となっては良かったのかもしれません。
>
> 地元の和歌山城の天守閣も鉄筋コンクリートで内部は展示室となっていますが、
> 私はあまり写真を撮っていないのですよね。
> たしか緩めの撮影禁止でもあったような。
☆名古屋城は当時は撮影禁止になっていなかったと思いますが///^^;
その後の事は分かりませんが、それで展示品と書いて編集しています。
> 和歌山城天守閣もいつかは名古屋城天守閣と同様に耐震性の問題で閉館になるとも限りませんから、一度、撮影可能なところはしっかり撮影しておこうかなんて、真剣に思いました。
☆内部の構造などは撮影は大丈夫だと思いますので、ぜひ記録して下さい。
私はあの階段が好きだったので、非常に残念に思っています。
> 『尾張名古屋は城で持つ』と言われるくらい名古屋にとっても重要な名古屋城&天守閣。
> 名古屋城の天守閣も本来の木造を目指しているようですから、はやく改築されることを祈ります。
☆本丸御殿は市民の皆様のご寄付も多かったですが、この時期どうなっていくのでしょうね〜。木造建築天守閣は夢がありますよね!
>
> 『落花生』
> 店で袋に入ったすぐに食べられる落花生しか知りませんから、 庭で作ってしまうことに驚きます。
> ご自分で育てた落花生ですからさぞかし美味しいでしょうね?
☆日本産の落花生は高いです・・で、夫が頑張って「畑」で作っています。
今年は出来が良くて大喜びしています(^^)
JAの地元農家さんのを何時も買うのですが、小さな袋で300円ですから、結構な節約になります(笑い)
美味しいですよ〜〜小粒落花生は茹でて食べています。
今月末位までには、旅行記の編集を終わらせるつもりですので、また見直して頂けましたら幸いです。ありがとうございました。
rinnmama
-
- ポテのお散歩さん 2022/10/17 01:00:15
- 貴重なお写真
- rinnmamaさん こんばんは。
とても貴重な物を見せて頂きました。
今は技術が優れているので真新しい時の襖絵が拝見出来るのですが
年月とともに色あせている本物は 何物にも代えがたく、
迫力や気品がありますね。
名古屋城の内部も こんな風になっているんだ。。。と、
興味深かったです。
お蔵入り何て、とんでもないです♪
時々、着物を着られているのですね。
思い出が詰まったお着物、いつまで経っても色あせず
木地もしっかりしていて それでいて着心地の良い柔らかさに
なっているのでは?
羽織のリメーク、どんな風になるのか いつか拝見させて下さいね。
ポテ
- rinnmamaさん からの返信 2022/10/17 12:02:54
- RE: 貴重なお写真
- ポテさん、おはようございます。
何時も有難うございます。
>
> とても貴重な物を見せて頂きました。
> 今は技術が優れているので真新しい時の襖絵が拝見出来るのですが 年月とともに色あせている本物は 何物にも代えがたく、 迫力や気品がありますね。
☆京都ほど貴重な美術など無い名古屋とは思いますが、戦災を免れた貴重な展示でした。新しい本丸御殿の1期工事で再建された、真新しい金箔の襖絵の原本ですから、この年月を醸し出す歴史観の重みを、目の辺りに出来て幸せでした。
> 名古屋城の内部も こんな風になっているんだ。。。と、 興味深かったです。
> お蔵入り何て、とんでもないです♪
☆お蔵入り・・いくつも保留になっていますが(苦笑)
ポテさんからのお言葉でPCを検索しましたら、有りました〜〜(^^)
PCの不都合でバックアップしておいた写真の取入れ失敗など有りましたので、てっきり消失している物だと思っていましたら、この旅行記は導入部分だけだったようで(汗)この4〜5倍の貴重な写真がありましたので、いずれ再編集予定です。
この様に閉館するとは思っていなかったのですが、今となっては貴重ですね。
>
> 時々、着物を着られているのですね。
> 思い出が詰まったお着物、いつまで経っても色あせず 生地もしっかりしていて それでいて着心地の良い柔らかさに なっているのでは?
☆孫が中学生になったので、季節が良い時期に時々着物生活を始めました。
この着物は木綿なので、今まで袖を通す事も無く眠っていて、まだ糊が効いている状態です・・でも、今やこの様な機織り生地は貴重だと思っていますので、大事に着て行こうと思っています(^^)
> 羽織のリメーク、どんな風になるのか いつか拝見させて下さいね。
☆岐阜のお宅から頂いた羽織ですが、羽織裏にシミが浮いてきて表地にも出てきている為、友人先生の指導を頂いて、単衣にします(最近は季節も変わり暑さが酷いので単衣に・・)
遂にインバウンドが始まりましたね。ニュースで吐月橋の映像を見て、もう行けないな〜と思いました。
ポテさんは地元の方ですので、穴場も御存知とは思いますが、ゆったりできませんよね。そういう私も12月にお茶会で京都のお邪魔させて頂く身ですが・・・
でも、また素敵な京散歩、お願いいたします。有難うございました。
rinnmama
-
- norisaさん 2022/10/16 08:49:53
- そうなんですか!
- rinnmamaさん
おはようございます。
そうなんですか!
名古屋城が今は見学できないとは知りませんでした!
20年以上前に家族で関西に旅行した帰りに名古屋のビジネスホテルに宿泊して名古屋城を見学したのを今でも覚えています。
壮麗な建物、そして内部の品々でしたね。
こうしてご紹介頂けると往時の記憶が蘇ります。
貴重なお写真ありがとうございました。
norisa
- rinnmamaさん からの返信 2022/10/16 10:18:02
- RE: そうなんですか!
- norisaさん、おはようございます。
即効の書き込み有難うございます^^
>
> そうなんですか!
☆そうなんです〜閉館中なんです。
もう、何時からかと思い調べましたら、2018年5月からでコロナ禍前からでした。
記憶では石垣の耐震性から波及した覚え・・それなら建て替えは木造でとなったのですが、エレべーター問題など・・再建は前途多難ですね!
> 名古屋城が今は見学できないとは知りませんでした!
> 20年以上前に家族で関西に旅行した帰りに名古屋のビジネスホテルに宿泊して名古屋城を見学したのを今でも覚えています。
☆norisaさんの知りませんでしたとのご指摘で、タイトル変更しましました(^^;
名古屋は観光都市では無い論争もありますが、来名されますと名古屋城・熱田さんには行かれる方が多いので、閉館は寂しいですよね。
京都の行き帰りにでも「名古屋本丸御殿」ぜひ、お立ちより下さいませ。
市民の皆様も結構、御寄附下さって立派に復元されましたので・・
>
> 壮麗な建物、そして内部の品々でしたね。
> こうしてご紹介頂けると往時の記憶が蘇ります。
> 貴重なお写真ありがとうございました。
>
☆名古屋城の展示自体は変化はないのですが、2013年時には本丸御殿の第1期の工事完成で、貴重な旧御殿襖など公開されたんです。
まさか閉館になると思わずに写しておいて良かったです。
名古屋市内も耐震の為に、貴重な古い建物など壊されていっています。
寂しいです・・
取り留めのなき記録記をご覧下さって、ありがとうございました。
rinnmama
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