2013/07/06 - 2013/07/06
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ドクターキムルさん
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新潟県村上市寺町にある浄念寺は浄土宗のお寺で快楽山称名院浄念寺という。創建は明応年間(1492年〜1500年)とされる。本尊は丈六の阿弥陀如来坐像である。寛文7年(1667年)に榊原政倫が15万石で藩主となり、当時江戸でもっとも高僧といわれた珂碩(かせき)上人を泰叟寺の住職にし榊原家の菩提寺とした。その後、紀州藩主から8代将軍になった徳川吉宗に替わると、6代将軍徳川家宣と7代将軍家継に側用人として仕え、幕閣の中心にあった間部詮房が5万石で左遷され、享保2年(1717年)に村上藩主となったが、享保5年(1720年)に病没し、間部家では浄念寺を菩提寺とし詮房を葬った。浄念寺には間部詮房の御霊屋がある。
一般的な城下町には寺町があるように村上にも寺町がある。しかし、城下のお寺が一箇所に纏められて寺町となったというよりは、浄念寺がある通の片側の台地上に5、6寺が並んでいるという感じだ。浄念寺が15万石と5万石の藩主の菩提寺となったために、寺町と呼ばれているのだろう。この寺町を見て村上藩の石高を推定すれば1万石程度とするのが妥当かも知れない。村上の城下町は本庄繁長の後に、豊臣秀吉によって取り立てられた村上頼勝が9万石で入城し、臥牛山の城郭や山麓に広がる城下町を建設し始めたとされる。その後、頻繁に城主は替わり、江戸時代前期は石高は10万石から15万石で推移した。しかし、本多家が15万石から5万石に減封され、その後、松平氏が7万2千石で入城したが、間部詮房と入れ替わり、それ以降は5万石の石高のままで戊辰戦争を迎えた。したがって、村上の寺院は10万石程度の規模はあるのだろう。ただし、それらの寺が山居山山麓などにも纏まり、その他、町の外れにも点在している。
村上には地名の怪がある。本庄の地にあったため本庄氏を名乗ったが、その本庄繁長の時代には村上になっていた。本庄繁長の後に村上頼勝が入城して地名が本庄から村上に変わったのではないようだ。この一見有り得ないような不自然な地名の変更がその後の村上の城主の度重なる交代につながってしまったののだろうか?そんな村上の城主も間部詮房の後、内藤家が入り明治までの約150年間を統治した。内藤家祖の信成は徳川家康の異母弟である。親藩中の親藩といったところか。こちらの内藤家の菩提寺は羽黒口にある光徳寺である。歴代藩主の墓と内藤家家族の墓がある。
(表紙写真は浄念寺本堂)
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浄念寺門前の寺町通。
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浄念寺山門。
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浄念寺山門横の塀には「寺町」の説明看板が掛けられている。
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「浄念寺」の説明立て札。
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浄念寺山門。
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浄念寺山門に掛かる「快楽山」の扁額。
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浄念寺山門屋根に上がる菊の飾り瓦。
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浄念寺山門屋根に上がる菊の飾り瓦。
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浄念寺山門屋根に上がる菊の飾り瓦。
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浄念寺山門屋根に上がる菊の飾り瓦。
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地蔵堂。
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お地蔵さま。
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お地蔵さま。
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鐘楼。梵鐘はない。
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石祠の中に五輪塔。
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傘の下に兎の置物。
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石碑。
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石仏。
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浄念寺本堂(重要文化財)。文化15年(1818年)に建てられた土蔵造だ。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂の木鼻。
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浄念寺本堂横の大銀杏の木。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂。
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