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芭蕉達は村上出発の朝、浄念寺を訪れた足で、南に進み、石川を岩船神社の近くの岩船橋で渡り、”北国浜街道を塩谷迄行き、そこから道を逸れて乙(きのと)村の乙宝寺を訪れる。<br /><br />乙宝寺は天平に時代(729~745)聖武天皇と御白河天皇の勅願所だったという新潟屈指の古寺。<br /><br />この寺を開山した二人の僧の内、インド僧婆羅門僧正がお釈迦様の左目を納めて乙寺と名付け、さらに御白河天皇が左目を納める金塔を寄進したことから、乙寺から乙宝寺と改名されたと云う。<br />(乙宝寺配布資料より)<br /><br />仁王門を潜ると右手に見えてくる鬱蒼とした木立ちを背景にした三重塔が素晴らしい。国の重要文化財。<br /><br />正面に大日堂と呼ばれる立派な金堂が立ちはだかる。<br /><br />この寺には楽しい伝説が沢山残る。<br /><br />弘法大師が独鈷(とっこ:金剛杖の一種)で地面をつついたところ清水が湧きだした。<br />この清水を地元では”どっこん水”と呼び、名水の誉が高い。<br /><br />又”和尚の写経により,2匹の猿が人間に生まれ変わった”という言い伝えも残り、探し巡った末この寺の境内の奥の木陰に、思いのほか立派な猿塚の石塔が2基建っているのを発見。<br /><br />しかし我々がここを訪れた主たる目的は猿塚の石塔ではなく、芭蕉の句碑。<br /><br />芭蕉の句碑は大日堂の右手、観音堂の前の浮世塚と呼ばれている場所の一角にある。<br /><br />そこには複数の碑が建っていて、一瞬どれが芭蕉の句碑か迷ったが、芭蕉の句碑は岩陰の円盤風の思ったより小振りの碑であった。<br /><br />  うらやまし 浮世の北の山桜<br /><br />この辺りは当初から桜の名所でもあったらしい。<br />

奥の細道を訪ねて第12回⑱芭蕉の句碑が建つ乙宝寺 in 村上

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2011/10/16 - 2011/10/16

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WT信

WT信さん

芭蕉達は村上出発の朝、浄念寺を訪れた足で、南に進み、石川を岩船神社の近くの岩船橋で渡り、”北国浜街道を塩谷迄行き、そこから道を逸れて乙(きのと)村の乙宝寺を訪れる。

乙宝寺は天平に時代(729~745)聖武天皇と御白河天皇の勅願所だったという新潟屈指の古寺。

この寺を開山した二人の僧の内、インド僧婆羅門僧正がお釈迦様の左目を納めて乙寺と名付け、さらに御白河天皇が左目を納める金塔を寄進したことから、乙寺から乙宝寺と改名されたと云う。
(乙宝寺配布資料より)

仁王門を潜ると右手に見えてくる鬱蒼とした木立ちを背景にした三重塔が素晴らしい。国の重要文化財。

正面に大日堂と呼ばれる立派な金堂が立ちはだかる。

この寺には楽しい伝説が沢山残る。

弘法大師が独鈷(とっこ:金剛杖の一種)で地面をつついたところ清水が湧きだした。
この清水を地元では”どっこん水”と呼び、名水の誉が高い。

又”和尚の写経により,2匹の猿が人間に生まれ変わった”という言い伝えも残り、探し巡った末この寺の境内の奥の木陰に、思いのほか立派な猿塚の石塔が2基建っているのを発見。

しかし我々がここを訪れた主たる目的は猿塚の石塔ではなく、芭蕉の句碑。

芭蕉の句碑は大日堂の右手、観音堂の前の浮世塚と呼ばれている場所の一角にある。

そこには複数の碑が建っていて、一瞬どれが芭蕉の句碑か迷ったが、芭蕉の句碑は岩陰の円盤風の思ったより小振りの碑であった。

  うらやまし 浮世の北の山桜

この辺りは当初から桜の名所でもあったらしい。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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