2013/05/25 - 2013/05/25
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地球の迷い方さん
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アバズ・タワー、歴史博物館を見てトラムでバシチャルシァに移動。
バシチャルシァはイスラムの雰囲気が漂いゆったりと時間が進む街でした。
バシュチャルシヤはボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエヴォの、スタリ・グラード地区(旧市街)に位置する、サラエヴォのメイン・ストリートであります。オスマン帝国統治下の16世紀にオスマン=トルコ様式に、アラブのスークをモデルに設計された商業地区であった。金属加工品や陶器、宝飾品などが売り買いされていた。バシュチャルシヤには、1551年にルステン・パシャ(Rustem pasha)によって建てられたドーム状の屋根がついたブルサ・バザール(Brusa bezistan)もある。ここでは、トルコのブルサから持ち込まれた絹製品が売られていた。
また、1891年に建てられ、サラエヴォの代表的なシンボルとなっているセビリ(Sebilj)は独特の形状をした水汲み場で、バシュチャルシヤの中央に位置している。その名前は、アラビア語で「道」を意味する「Sebil」に由来している。
「バシュチャルシヤ」の呼称はトルコ語に由来している。「baš」はトルコ語で「baş」であり、「主要な」「第一の」等を意味しており、「čaršija」はトルコ語の「çarşı」に由来し、「市場」「バザール」を意味している。
また1640年の地震や1644年や1656年の数度の火災、1697年のオイゲン・フォン・ザヴォイエンによる蹂躙などに17世紀は見舞われている。当時のオスマンの旅行家エヴリヤ・チェレビによれば「チャルシヤには1,080の店があり、それらは美しさの見本である。チャルシヤはとても魅力的で、計画によって建てられている。」と記述している。
19世紀、サラエヴォの都市は広がりを見せなかったが、オーストリア=ハンガリー帝国に1878年併合されると外国の建築家たちはサラエヴォを近代的なヨーロッパの街並にしたがった。大火は彼らの望みを助け、旧市街は今日でも現存する場所以外は破壊されている。1945年に第二次世界大戦が終結しサラエヴォが解放されると、新しい都市人民委員会は古い商業の中心に現代の都市の役割はないと信じチャルシヤを徐々に壊すことを決定した。
今日ではバシュチャルシヤはサラエヴォの魅力を高める重要な観光名所となり、多くの人々で賑わいをみせている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
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