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京都といえばやはり清水寺。見所もたくさんありました。

清水寺

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2013/05/23 - 2013/05/23

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キヌちち

キヌちちさん

京都といえばやはり清水寺。見所もたくさんありました。

  • 清水寺参道。修学旅行生がいっぱい。

    清水寺参道。修学旅行生がいっぱい。

  • 参道の履物屋さん

    参道の履物屋さん

  • 清水寺<br />京都市東山区清水にある法相(ほっそう)宗大本山。<br />山号は音羽山。古くは北観音寺とも称した。<br />西国三十三所第16番札所。『清水寺縁起』によると、大和(奈良県)小島寺の延鎮が修行の途次、夢告によって山城国愛宕(おたき)郡八坂郷東山の麓にきて、そこを霊勝の地として練行しているとき、狩猟中の坂上田村麻呂に会い、その妻高子のために加持祈祷を行って効験があった。<br />のち田村麻呂の助力を得て観世音菩薩を安置するため伽藍を造営したのに始まるという。<br />平安初期の年紀をもつ『清水寺建立記』によれば、田村麻呂が、産女のために鹿を求め屠ったところ、一沙門に殺生の罪を諭される。<br />このことを高子に語ったところ、高子が無量の罪を懺悔するため、家を壊して仏殿を建て、観世音菩薩を安置させたという。<br />田村麻呂が東国遠征に際して延鎮に国家平定を祈るよう依頼し、平定なるとこれを仏徳によるものとし、延鎮を内供奉十禅師に推し、寺地を施入したという。<br />一説には創建を780年(宝亀11年)とする。清水寺は坂上氏の氏寺であったと思われる。805年(延暦24年)桓武天皇の御願寺となり、810年(弘仁1年)には鎮護国家の道場とされた。<br />奈良の興福寺に属し、延暦寺に属する祇園感神院(八坂神社)と、南都北嶺の最前線としてたびたび争い、堂塔はしばしば災火にあったが、そのつど再建された。<br />幕末の住職に勤皇僧月照がいた。<br />現在の本堂(国宝)は1633年(寛永10年)徳川家光による再建で、創建時の姿を伝えるとみられる懸造の広い舞台は「清水の舞台」として名高い。<br />また、仁王門、馬駐(うまとどめ)(以上は室町時代)、鐘楼(桃山時代)、西門、三重塔、経堂、開山堂、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院(以上は江戸時代)など国の重要文化財指定の建物が連なり、境内は公園風となっている。<br />本堂の北にある本坊の成就院は月照と弟子信海の住したところで、その庭園は東山を借景とした池泉観賞式の名園である。<br />本尊十一面観音像(国重要文化財)は、奈良の長谷寺、近江(滋賀県)の石山寺と並ぶ観音霊場として信仰を集めた。<br />『今昔物語集』には、貧乏な女が清水の観音に祈ったところ、金、好運、男などを得て幸福になった話がある。また紫式部、伊勢大輔(いせのたゆう)が同時に参籠したときの歌があり、清少納言や『更級日記』の作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)なども参籠しており、観音菩薩の霊験は古典文学にも多く紹介されている。<br />奥の院の下にかかる「音羽の滝」は寺名の由来をなし、病に効くとしていまなお祈誓する者が多い。<br />堂内には多くの絵馬が奉納されており、とくに航海の安全を祈った絵馬「渡海(船額」4面(末吉船図3、角倉船図1)は有名で、国重要文化財である。<br />清水寺は1994年(平成6年)、世界遺産の文化遺産として登録された(小学館、日本大百科全書より)。

    清水寺
    京都市東山区清水にある法相(ほっそう)宗大本山。
    山号は音羽山。古くは北観音寺とも称した。
    西国三十三所第16番札所。『清水寺縁起』によると、大和(奈良県)小島寺の延鎮が修行の途次、夢告によって山城国愛宕(おたき)郡八坂郷東山の麓にきて、そこを霊勝の地として練行しているとき、狩猟中の坂上田村麻呂に会い、その妻高子のために加持祈祷を行って効験があった。
    のち田村麻呂の助力を得て観世音菩薩を安置するため伽藍を造営したのに始まるという。
    平安初期の年紀をもつ『清水寺建立記』によれば、田村麻呂が、産女のために鹿を求め屠ったところ、一沙門に殺生の罪を諭される。
    このことを高子に語ったところ、高子が無量の罪を懺悔するため、家を壊して仏殿を建て、観世音菩薩を安置させたという。
    田村麻呂が東国遠征に際して延鎮に国家平定を祈るよう依頼し、平定なるとこれを仏徳によるものとし、延鎮を内供奉十禅師に推し、寺地を施入したという。
    一説には創建を780年(宝亀11年)とする。清水寺は坂上氏の氏寺であったと思われる。805年(延暦24年)桓武天皇の御願寺となり、810年(弘仁1年)には鎮護国家の道場とされた。
    奈良の興福寺に属し、延暦寺に属する祇園感神院(八坂神社)と、南都北嶺の最前線としてたびたび争い、堂塔はしばしば災火にあったが、そのつど再建された。
    幕末の住職に勤皇僧月照がいた。
    現在の本堂(国宝)は1633年(寛永10年)徳川家光による再建で、創建時の姿を伝えるとみられる懸造の広い舞台は「清水の舞台」として名高い。
    また、仁王門、馬駐(うまとどめ)(以上は室町時代)、鐘楼(桃山時代)、西門、三重塔、経堂、開山堂、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院(以上は江戸時代)など国の重要文化財指定の建物が連なり、境内は公園風となっている。
    本堂の北にある本坊の成就院は月照と弟子信海の住したところで、その庭園は東山を借景とした池泉観賞式の名園である。
    本尊十一面観音像(国重要文化財)は、奈良の長谷寺、近江(滋賀県)の石山寺と並ぶ観音霊場として信仰を集めた。
    『今昔物語集』には、貧乏な女が清水の観音に祈ったところ、金、好運、男などを得て幸福になった話がある。また紫式部、伊勢大輔(いせのたゆう)が同時に参籠したときの歌があり、清少納言や『更級日記』の作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)なども参籠しており、観音菩薩の霊験は古典文学にも多く紹介されている。
    奥の院の下にかかる「音羽の滝」は寺名の由来をなし、病に効くとしていまなお祈誓する者が多い。
    堂内には多くの絵馬が奉納されており、とくに航海の安全を祈った絵馬「渡海(船額」4面(末吉船図3、角倉船図1)は有名で、国重要文化財である。
    清水寺は1994年(平成6年)、世界遺産の文化遺産として登録された(小学館、日本大百科全書より)。

  • 西門(さいもん)<br />現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。<br />もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。<br />ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられています。<br />平成6年(1994)に桧皮屋根の葺き替えと、彩色の全面復元がなされました(清水寺HPより)。<br />

    西門(さいもん)
    現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。
    もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。
    ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられています。
    平成6年(1994)に桧皮屋根の葺き替えと、彩色の全面復元がなされました(清水寺HPより)。

  • 西門。後ろは三重の塔。

    西門。後ろは三重の塔。

  • 西門前で外国人グループが記念撮影中。浴衣姿の女性もいました。ビューティフル!!

    西門前で外国人グループが記念撮影中。浴衣姿の女性もいました。ビューティフル!!

  • 仁王門<br />応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003年)に解体修理されました。<br />清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。<br />入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています(清水寺HPより)。<br />

    仁王門
    応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003年)に解体修理されました。
    清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。
    入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています(清水寺HPより)。

  • 仁王門をくぐりました。

    仁王門をくぐりました。

  • 仁王門の横で紙芝居をしているおばさんがいました。椅子に座ってじっくりと見ていたのは2人でしたが、紙芝居の光景を写真に納めた後すぐに立ち去るなどの瞬間的観客は大勢いました。

    仁王門の横で紙芝居をしているおばさんがいました。椅子に座ってじっくりと見ていたのは2人でしたが、紙芝居の光景を写真に納めた後すぐに立ち去るなどの瞬間的観客は大勢いました。

  • 水子観音堂<br />

    水子観音堂

  • 随求堂(ずいぐどう)<br />塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718年)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。<br />また、堂内には大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。<br />千鳥破風に施された「龍の鏝絵(こてえ)」は傑作として知られています。 <br />平成18年(2006年)、解体修理によって美しくよみがえりました(清水寺HPより)。<br />

    随求堂(ずいぐどう)
    塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718年)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。
    また、堂内には大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。
    千鳥破風に施された「龍の鏝絵(こてえ)」は傑作として知られています。
    平成18年(2006年)、解体修理によって美しくよみがえりました(清水寺HPより)。

  • 随求堂前の絵馬を掛ける場所前に浴衣姿の2人の若い女性がいました。若い女性の浴衣姿は映えますね!30度を超える炎天下、見た目に涼やかでした。

    随求堂前の絵馬を掛ける場所前に浴衣姿の2人の若い女性がいました。若い女性の浴衣姿は映えますね!30度を超える炎天下、見た目に涼やかでした。

  • 三重塔<br />西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。<br />平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632年)に再建。<br />現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987年)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。<br />内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。<br />三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました(清水寺HPより)。<br />

    三重塔
    西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。
    平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632年)に再建。
    現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987年)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。
    内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。
    三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました(清水寺HPより)。

  • 三重塔の説明看板です。

    三重塔の説明看板です。

  • 三重塔

    三重塔

  • 経堂<br />寛永10年(1633年)の再建で、平成12年(2000年)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。<br />平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。<br />堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。<br />毎年2月15日の涅槃会には、法要のため、堂内に「大涅槃図」が特別に掛けられ、拝観することができます。<br />江戸時代前期から中期に活躍した絵師、 山口雪渓の筆による、縦3.91メートル、横3.03メートルの大きな涅槃図です(清水寺HPより)。 <br />

    経堂
    寛永10年(1633年)の再建で、平成12年(2000年)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。
    平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。
    堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。
    毎年2月15日の涅槃会には、法要のため、堂内に「大涅槃図」が特別に掛けられ、拝観することができます。
    江戸時代前期から中期に活躍した絵師、 山口雪渓の筆による、縦3.91メートル、横3.03メートルの大きな涅槃図です(清水寺HPより)。

  • 三重塔と経堂。そして爽やかな浴衣姿のお嬢さん!

    三重塔と経堂。そして爽やかな浴衣姿のお嬢さん!

  • 黄色い帽子は小学生のグループでしょうか?小学生から清水寺を間近に見ることが出来るなんて、北海道に住む者としては羨ましい限り。左側の建物は経堂です。

    黄色い帽子は小学生のグループでしょうか?小学生から清水寺を間近に見ることが出来るなんて、北海道に住む者としては羨ましい限り。左側の建物は経堂です。

  • 左側は経堂、右側は開山堂、正面は北総門

    左側は経堂、右側は開山堂、正面は北総門

  • 轟門<br />寛永8〜10年(1631〜33年)再建の三間一戸の八脚門で、ここを通って本堂へと向かいます。<br />切妻造り、本瓦葺で、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。<br />門の前には、四角にフクロウが彫刻された石造の「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」があり、正面には左右両脇に持国天と広目天を、背面には阿・吽形(あ・うんぎょう)の狛犬を安置しています。 <br />轟門の入口には、水が流れていないのに「轟橋」という橋がかかっています。<br />これは手水鉢の手水を流す溝をまたぐためと、世俗から、ご本尊が祀られている最も神聖な場所・本堂を区切りため。<br />この橋を渡る際に心身を清め、引き締める役割をもっているのです(清水寺HPより)。 <br />

    轟門
    寛永8〜10年(1631〜33年)再建の三間一戸の八脚門で、ここを通って本堂へと向かいます。
    切妻造り、本瓦葺で、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。
    門の前には、四角にフクロウが彫刻された石造の「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」があり、正面には左右両脇に持国天と広目天を、背面には阿・吽形(あ・うんぎょう)の狛犬を安置しています。
    轟門の入口には、水が流れていないのに「轟橋」という橋がかかっています。
    これは手水鉢の手水を流す溝をまたぐためと、世俗から、ご本尊が祀られている最も神聖な場所・本堂を区切りため。
    この橋を渡る際に心身を清め、引き締める役割をもっているのです(清水寺HPより)。

  • 轟門前の梟の手水鉢。青銅製の竜の口から清水が注がれている。

    轟門前の梟の手水鉢。青銅製の竜の口から清水が注がれている。

  • 轟橋、開山堂、経堂、三重塔が並ぶ。フォトジェニック!絵になりますね!!

    轟橋、開山堂、経堂、三重塔が並ぶ。フォトジェニック!絵になりますね!!

  • 本堂の前に掲げられた清水寺境内案内図です。

    本堂の前に掲げられた清水寺境内案内図です。

  • 本堂<br />寛永10年(1633年)に再建された、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。<br />堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。<br />建物は、優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸(しとみど)など、平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を今に伝えています(清水寺HPより)。 <br />

    本堂
    寛永10年(1633年)に再建された、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。
    堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。
    建物は、優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸(しとみど)など、平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を今に伝えています(清水寺HPより)。

  • 舞台<br />昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。<br />錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。<br />本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。<br />この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます(清水寺HPより)。 <br />

    舞台
    昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。
    錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。
    本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。
    この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます(清水寺HPより)。

  • 絶景かな!舞台から京都の街並みが眺望できます。中央に京都タワーが見えます。

    絶景かな!舞台から京都の街並みが眺望できます。中央に京都タワーが見えます。

  • 舞台

    舞台

  • 舞台

    舞台

  • 舞台からの眺望。眼下に音羽の滝が見えます。

    舞台からの眺望。眼下に音羽の滝が見えます。

  • 舞台からの眺望。中央に子安塔が見えます。

    舞台からの眺望。中央に子安塔が見えます。

  • 本堂

    本堂

  • 「出世大黒天像」<br />本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像。<br />大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は、中世以降に固まった大黒さんのスタイルです。<br />平成20年(2008年)に修復され、見事な室町時代の姿が甦りました(清水寺HPより)。

    「出世大黒天像」
    本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像。
    大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は、中世以降に固まった大黒さんのスタイルです。
    平成20年(2008年)に修復され、見事な室町時代の姿が甦りました(清水寺HPより)。

  • 「鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄」<br />入口左側には、重さ90キログラム以上の大錫杖と14キログラムの小錫杖、12キログラムの高下駄があります。<br />明治中期に奈良県・吉野で修行した修験者から奉納されたものですが、あまりの重さに「弁慶の錫杖と高下駄」とも呼ばれます。<br />小錫杖なら女性でも持ち上げられますが、大錫杖は相当な力自慢でないと難しいかもしれません。<br />参詣の記念に挑戦してみては? <br />(清水寺HPより)。

    「鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄」
    入口左側には、重さ90キログラム以上の大錫杖と14キログラムの小錫杖、12キログラムの高下駄があります。
    明治中期に奈良県・吉野で修行した修験者から奉納されたものですが、あまりの重さに「弁慶の錫杖と高下駄」とも呼ばれます。
    小錫杖なら女性でも持ち上げられますが、大錫杖は相当な力自慢でないと難しいかもしれません。
    参詣の記念に挑戦してみては?
    (清水寺HPより)。

  • 音羽の滝に向かいます。

    音羽の滝に向かいます。

  • 険しい階段です。

    険しい階段です。

  • 階段の横は清水の舞台の柱です。「懸造り」という手法で、釘を1本も使わずに組み上げた木造建築だそうです。

    階段の横は清水の舞台の柱です。「懸造り」という手法で、釘を1本も使わずに組み上げた木造建築だそうです。

  • 階段下から清水の舞台を見上げました。小さいころから、訳も分からずに日常会話で「清水の舞台から飛び降りる」って、よく使ってきましたが、4階建てに相当する高さ12mの「舞台」からは飛び降りられませんね。言葉の意味が実感出来ました。

    階段下から清水の舞台を見上げました。小さいころから、訳も分からずに日常会話で「清水の舞台から飛び降りる」って、よく使ってきましたが、4階建てに相当する高さ12mの「舞台」からは飛び降りられませんね。言葉の意味が実感出来ました。

  • 音羽の滝の説明看板です。

    音羽の滝の説明看板です。

  • 音羽の滝の説明看板です。

    音羽の滝の説明看板です。

  • 音羽の滝の案内看板です。

    音羽の滝の案内看板です。

  • 音羽の滝<br />清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。<br />こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。<br />3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています(清水寺HPより)。

    音羽の滝
    清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。
    こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
    3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています(清水寺HPより)。

  • 滝の前には長い行列。杓を手にするまで数十分間並びました。韓国からの観光客も並んでいました。

    滝の前には長い行列。杓を手にするまで数十分間並びました。韓国からの観光客も並んでいました。

  • 上から3条の細い水が落ちてくる音羽の滝。みなさん願い事の成就を祈願しているようです。

    上から3条の細い水が落ちてくる音羽の滝。みなさん願い事の成就を祈願しているようです。

  • 滝の横に金属製で長い柄のついた杓が備えてあります。願を掛けた後、上から落ちる3条の滝の水を杓で受けて、口にすすぎます。

    滝の横に金属製で長い柄のついた杓が備えてあります。願を掛けた後、上から落ちる3条の滝の水を杓で受けて、口にすすぎます。

  • 滝の水を口に入れた後、手で口の周りをぬぐう若いお嬢さんら。

    滝の水を口に入れた後、手で口の周りをぬぐう若いお嬢さんら。

  • こちらは赤いタオル?で口を拭く修学旅行生。

    こちらは赤いタオル?で口を拭く修学旅行生。

  • 使用前後の杓は紫外線滅菌装置に置かれることになっています。日本的なホスピタリティ。訪問者への細かな配慮が行き届いております。

    使用前後の杓は紫外線滅菌装置に置かれることになっています。日本的なホスピタリティ。訪問者への細かな配慮が行き届いております。

  • 音羽の滝から眺めた清水の舞台です。大勢がこちらを見ています。当方もちょっと前にあそこからここの写真を撮りました。

    音羽の滝から眺めた清水の舞台です。大勢がこちらを見ています。当方もちょっと前にあそこからここの写真を撮りました。

  • 音羽の滝近くに立つ乾山記念碑<br />尾形乾山は江戸中期の陶芸家で尾形光琳の弟。野々村仁清に陶技を学び、鳴滝に窯を開き、兄・光琳の絵付けによる合作を作り色絵京焼の発展に貢献した。二条丁字屋町に移って多くの食器類を焼き、乾山焼を広めた。碑の書は臨済宗建仁寺派管長・竹田黙雷禅師による。1920年に洛陶会によって建立された。

    音羽の滝近くに立つ乾山記念碑
    尾形乾山は江戸中期の陶芸家で尾形光琳の弟。野々村仁清に陶技を学び、鳴滝に窯を開き、兄・光琳の絵付けによる合作を作り色絵京焼の発展に貢献した。二条丁字屋町に移って多くの食器類を焼き、乾山焼を広めた。碑の書は臨済宗建仁寺派管長・竹田黙雷禅師による。1920年に洛陶会によって建立された。

  • 音羽の滝近くに立つ仁清記念碑<br />野々村仁清は江戸前期の陶芸家。金森宗和の指導で茶器を焼き、京焼色絵陶器の完成者となった。仁和寺門前で御室窯を開き陶器を焼いていた事から、碑の書は仁和寺門跡法龍大僧正の筆。1920年に洛陶会によって建立された。

    音羽の滝近くに立つ仁清記念碑
    野々村仁清は江戸前期の陶芸家。金森宗和の指導で茶器を焼き、京焼色絵陶器の完成者となった。仁和寺門前で御室窯を開き陶器を焼いていた事から、碑の書は仁和寺門跡法龍大僧正の筆。1920年に洛陶会によって建立された。

  • 子安塔(こやすのとう)<br />子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。<br />現在の建物は明応9年(1500年)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築されました。<br />高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。<br />平成25年(2013年)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔がよみがえりました。<br />西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ、見事な景観が楽しめます(清水寺HPより)。

    子安塔(こやすのとう)
    子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。
    現在の建物は明応9年(1500年)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築されました。
    高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。
    平成25年(2013年)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔がよみがえりました。
    西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ、見事な景観が楽しめます(清水寺HPより)。

  • 子安塔横からの眺め。清水寺の各施設が一望出来ました。

    子安塔横からの眺め。清水寺の各施設が一望出来ました。

  • 舞台をアップしました。

    舞台をアップしました。

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