2013/05/23 - 2013/05/23
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キヌちちさん
高校の修学旅行以来、43年ぶりに二条城を訪れました。当時の記憶はほとんどありませんが、建物内部の写真撮影禁止は同じだったような。修学旅行生が多いのには驚きませんでしたが、外国人の姿の多さにびっくり。国際都市・京都を再認識いたしました!!
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チケット売り場です。中学校の修学旅行生が全国各地から来ていました。
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二条城
江戸期の城。京都市中京区二条通堀川西入ルにある。
初め徳川家康によって築かれた。名目は上洛の際の宿所であったが、洛中に築城した信長(二条城・二条御所)、秀吉(聚楽第)の先例に倣ったものとみられるし、また将軍になることを予想し、将軍宣下(せんげ)を受ける場所を築いたものということができる。
1601年(慶長6年)築城の命令が出され、翌年にはほとんどできあがっている。場所は現在の二条城の二の丸部分で、5層の天守閣も築かれていた。
ついで1624年(寛永1年)3代将軍家光によって拡張工事が始められた。1626年にかけて現在の二条城の二の丸西側、本丸部分が拡張され、現在みられる規模になったのである。
このあと、後水尾(ごみずのお)天皇の行幸が行われている。1750年(寛延3年)に天守閣が落雷により焼失、1788年(天明8年)には本丸御殿も焼失してしまった。現在本丸にある本丸御殿は1896年(明治29年)桂宮殿舎を移したものである。
二の丸御殿は、遠侍、車寄、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院(小広間)、白書院(御座の間)(以上国宝)、台所、唐門などからなる完全な城郭御殿の遺構であり、そのほかに、東大手門、西大手門、北大手門、隅櫓(東南隅櫓、西南隅櫓)などの遺構がある。
家光が1634年(寛永11年)に上洛してからのちは、14代将軍家茂が上洛するまで歴代の将軍は上洛せず、城代が置かれていた。
1867年(慶応3年)この城で15代将軍慶喜が大政奉還の上表を行っている。
1884年(明治17年)二条離宮となり、1939年(昭和14年年)京都市に下賜され一般に公開されることになった。城は本丸とそれを取り巻く二の丸だけの単純な縄張りで、居館風城郭の形状を示している。
二の丸御殿は聚楽第の遺構を移したものとの伝承があったが、修理調査の結果、1624〜44年(寛永1年〜正保1年)の大改築の際に築かれたものであることが明らかになった。
しかし、唐門、遠侍、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院、白書院の諸建物が連なる形式は、大規模な桃山時代書院造の形態を伝えている。
建物の内部には障壁画が多数描かれており、白書院は狩野興以、黒書院は狩野尚信と、探幽を含む狩野派の画家によるものである。
庭園は特別名勝に指定されており、慶長の創建時の作庭とみられ、小堀遠州の作ともいわれている。遠州作との確証はないが、江戸時代を通して手が加えられてはいるものの、江戸初期の代表的な庭園であることは間違いない。
二条城は1994年(平成6年)、世界遺産の文化遺産として登録された(小学館、日本大百科全書より)。 -
入り口
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東大手門。奥に二の丸御殿を囲む築地塀が見える。
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内側から見た東大手門
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東大手門をくぐってすぐの所に飾ってある侍人形。高校時代に来た時も見たような記憶が…。
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案内所
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外国人の一団
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外国人グループに通訳ガイドしていたお姉さん
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日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国語表示の二条城の案内看板です。さすが、国際都市・京都!!
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二条城の説明看板
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京都の文化財の案内看板です。
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二の丸御殿へ
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釣鐘
幕末の政変の時期、二条城と北側の所司代との連絡に使われた。
鐘は二条城と所司代に設置され、二条城では東北隅の艮櫓跡に所司代の千本屋敷から火の見櫓を移築し鐘楼も建てて鐘が設置された。
幕府の政務の場であった二条城と所司代は幕末の混乱の中、薩摩・長州など朝廷側の動向に備え、鳥羽・伏見の開戦など非常時の連絡をつげ、明治になって二条城に京都府が置かれた時も非常時に備え使用されていた(説明看板から)。 -
唐門は修理中でした。残念。
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二の丸御殿
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二の丸御殿
桃山時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄(くるまよせ)に続いて遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん)の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並んでいます。
建物面積3,300平方メートル、部屋数33、畳は800畳あまり敷かれています(京都市文化市民局元離宮二条城事務所HPより)。 -
二の丸御殿車寄です。
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二の丸御殿車寄
唐門を入ると豪華に装飾された車寄が目に入ります。
欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鸞鳥(らんちょう)・松・ボタン、上部には雲、下部には笹を見ることができます。
屋根は桧皮葺(ひわだぶき)になっており、床は牛車で中に入れるように四半敷になっています(京都市文化市民局元離宮二条城事務所HPより)。 -
二の丸庭園
作庭の年代については記録や作風から推測して、慶長7年(1602年)〜8年(1603年)頃(家康時代)二条城が造営された時に、その建築に調和させて作庭されたものですが、寛永3年(1626年)(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたと考えられています。
書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれています。
後水尾天皇行幸当時の姿は、新たに増築された行幸御殿、中宮御殿、長局等に取り囲まれた中庭的な庭園としてつくられ、池の中に御亭を建て、池の中央に3つの島、4つの橋を 併せ持ち、二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二の丸御殿黒書院上段の間(将軍の 座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。
特に大広間からは庭園ごしに天守閣が一部望めたものと思われます。その後行幸の翌寛永4年(1627年)から四半世紀にかけ、二の丸庭園を取り囲んでいた行幸諸施設は移 築・撤去され、小堀遠州の作庭意図も薄れていきました。
3代将軍家光の上洛以降、14代将軍家茂が上洛するまでの229年間将軍不在のまま幕 末を迎えます。その間事由は定かではありませんが、吉宗の時代に庭園の改修が行なわれました。
時代は下り、15代将軍慶喜の上洛時には、樹木はほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園景観を呈し、荒廃していきました。
大政奉還後、二条城は転々と所管が変わり、宮内省に所管されてからは5回以上改修が行なわれ、離宮的・迎賓館的な城として利用されました。
特に離宮時代に行われた植栽工事は、幕末の庭園景が変貌する程の大規模な改修工事で、今日に至る基本的な景観が完成したと考えられます。
京都市に下賜されてからの二の丸庭園は、昭和14年(1939年)名勝に指定、昭和28年(1953年)に 国の特別名勝の指定を受け、文化財的資産と観光要素の一つとして維持され現在に至っています(京都市文化市民局元離宮二条城事務所HPより)。 -
二の丸庭園の説明看板です。
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二の丸庭園
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案内図です。
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本丸櫓門
江戸時代前期の1625年(寛永2年)−1626年(寛永3年)に建設。本丸を囲む内濠に架かる東橋を渡った場所にある二条城本丸の正門で国の重要文化財に指定されている。 -
左側は天守閣跡
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本丸御殿
内堀に囲まれた部分16,800平方メートル(約5,200坪)を本丸と呼びます。
創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。
また、本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788年)には市中の大火のため殿舎をも焼失してしまいました。
その後永らく本丸御殿の再建はならず、幕末に15代将軍慶喜の住居として、本丸御殿が建てられましたが、明治14年に撤去されました。
現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。
この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、1854年(嘉永7年)内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深い建物です(京都市文化市民局元離宮二条城事務所HPより)。 -
本丸御殿
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本丸御殿
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本丸庭園
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本丸庭園
本丸造営当初の庭園は、史料が不足している為、どのようなものであったか分かっており ませんが、二の丸庭園にひけをとらない庭園が存在していたと考えられています。
しかし、天明8年(1788年)の大火の飛び火によって本丸御殿、隅櫓、多聞櫓などが焼失。庭園も延焼して空地となっていたと思われます。
幕末には、本丸内に徳川慶喜の居室が建てられ、庭園は茶庭風に作られました。
居室は老朽化のため明治14年(1881年)に撤去、庭園も取り壊されて空地となりましたが、明治26年(1893年)から明 治27年(1894年)にかけて京都御苑内にあった旧桂宮邸の一部が移築されて、枯山水庭園が作庭されました
現在の本丸庭園は明治28年(1895年)5月23日、明治天皇が本丸に行幸された折、既存の枯山水風庭園の改造を命じ、約7ヵ月半の歳月をかけ大改造の末、明治29年(1896年)に完成した芝庭風築山式庭園です。
明治の中頃になると洋風の庭園が多く作庭されていることなどから、本丸庭園も少なからずその影響を受けていると考えられます。庭園は東南隅に月見台(築山)を配し、芝生を敷き詰め、曲線的な園路を設け、石段(岩岐 <がんき>)沿いにはアラカシ、ベニカナメなどを植樹し、所々に燈籠や庭石などを据えられています(京都市文化市民局元離宮二条城事務所HPより)。 -
本丸庭園
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城内案内図
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西橋と本丸石垣
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内堀北西角から見た本丸石垣と西橋
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土産店
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