2013/05/02 - 2013/05/11
1位(同エリア4215件中)
montsaintmichelさん
- montsaintmichelさんTOP
- 旅行記392冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 3,381,856アクセス
- フォロワー169人
「アドリア海の女王」や「アドリア海の花嫁」と称されるヴェネツィア。ゲーテが「ビーバーの島」と形容し、人を魅惑して止まない「水の都」。今では、水都全体が世界遺産に登録されています。地図を見ると、西に頭、東に尾びれを向けた巨大な魚のように見えます。体の真ん中を背骨のようなカナル・グランデが逆S字型に流れています。現在は本島と本土のメストレが鉄道で結ばれ、リベルタ橋の釣り糸に繋ぎ留められた魚といったひょうきんな形にも見えます。
150を超える運河が177の島々を分け、その運河には400に及ぶ橋が架けられています。クルーザーに乗って運河を遡上していく様は、ディズニーシーの光景を彷彿とさせます。勿論、こちらがご本家です。
前半は、定番のサン・マルコ寺院とリアルト橋周辺を中心にお届けします。
ヴェネツィア観光マップは次のサイトのものが使い易かったです。
http://amarena.yohaku.co.jp/article/alberghi/venezia/map.pdf
その他、「まっぷる」の付録マップ(詳細)も併用させていただきました。ここではGoogle Mapのストリート・ビューはほとんど使えません。
この頃になると食事のテーブルも一巡し、お互いに打ち解けあって会話も弾むようになってきました。京阪神地区の方ばかりと思いきや、富山、香川、滋賀、和歌山からも参加され、新婚さん、母娘、シニア夫婦、シニア仲間など組み合わせもバラエティーに富んだツアーメンバーさんでした。
<日程>
5月2日:出発(関空~ローマ経由ミラノ)アリタリア航空(AZ793便)
アタホテル クァーク宿泊
5月3日:午前 ミラノ観光
午後 ヴェローナ観光
アマデウス(ヴェネツィア本島)宿泊
5月4日:ヴェネツィア観光
サン・マルコ広場→ヴェネツィアンガラス工房見学→サン・
マルコ寺院(内部、博物館)→フリータイム(リアルト橋)→
ゴンドラ遊覧→ランチ→フリータイム(サン・モイゼ教会)→
サン・ジョルジョ教会→フィレンツェへバス移動(245km)
クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (2連泊)
5月5日:午前 フィレンツェ観光
午後 ピサ観光
クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (2連泊)
5月6日:午前 フリータイム
午後 イタリア版新幹線「イタロ」でナポリへ
ホリディイン・ナポリ宿泊
5月7日:アマルフィ海岸ドライブ(3時間半)
水中翼船でカプリ島へ移動(45分)→フリータイム
レジーナ・クリスティーナ宿泊
5月8日:カプリ島観光
午後 ナポリ港着後、ローマへバスで移動
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月9日:ローマ市内観光
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月10日:午前 ローマ市内観光
観光後、ローマ空港へ
アリタリア航空(AZ792便)で一路関空へ
5月11日:関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
トロンケット
バスは、陸路の終点ヌォーヴァ島にあるトロンケットに到着。ここからクルーザーに乗り換え、本島にあるホテルへ向かいます。
白いツイストした背骨のような構造物が見えますが、これはモノレールの軌道です。2010年に開通した無人運転のモノレールはピープルムーバー(People Mover)と呼ばれ、サンタルチア駅の隣のローマ広場とトロンケット間を3分で結んでいます。 -
ホテル アマデウス
サンタ・ルチア駅付近でクルーザーから降りて、徒歩5分程でホテル到着。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトを意識してるのでしょうか、至る所に彼にまつわる装飾が見られます。実際、1771年のカーニバルの間、モーツァルトはヴェネツィアに滞在していたそうです。しかし、その場所は、サン・マルコ地区フェニーチェ劇場のあるサン・ファンティン広場近くだったそうです。 -
ホテル アマデウス
アマデウス・モーツァルトを思わせるイラスト。
ヴェネツィア滞在当時のモーツアルトは15歳。1769年12月にオーストリアを出発し、ローマ、ナポリ、ボローニャなどを回った大旅行の終盤、2月11日にヴェネツィアに着きました。父レオポルドが妻に宛てた手紙では、「ひどい天候と驚異的な風のため、やっと謝肉祭の月曜日の早朝にヴェネツィアに着いた」と報告しています。ベルリンの国立図書館に覚書が残されていますが、それによると「宿泊先は、バルカローリ橋そばのサン・ファンティーノ通り、カヴァレッティ家」と記載されているそうです。 -
サン・ジェレミア・エ・ルチア教会
折角の本島宿泊なのでサン・マルコ広場まで早朝散策に出かけたかったのですが、徒歩30分と聞き自粛しました。その代わり、ホテルからすぐの距離にあるサン・ジェレミア・エ・ルチア教会に向かいました。
ここにはイタリア民謡で有名な「サンタ・ルチア」が眠っています。サンタ・ルチアの遺骸は、十字軍の第4次遠征の折、それに参加したヴェネツィアによってコンスタンティノープルから持ち帰られたものだそうです。現在の鉄道駅にあった教会に安置されましたが、駅の建設のために壊され、1861年にジェレミア教会に移される際、「ジェレミア・エ・ルチア教会」と名前が変更されました。こうした経緯から、駅名も「サンタ・ルチア」となっています。
尚、サンタ・ルチアの遺骸は、1981年7月7日に何者かによって盗まれましたが、同年12月に損傷無く元に戻されたそうです。 -
サン・ジェレミア・エ・ルチア教会
サンタ・ルチアはシチリア島シラクーザの修道女で、304年に殉教しました。キリスト教信者の殲滅を図るディオクレティアヌス帝の迫害政策下、政略結婚を断った男の恨みを買い、彼女は信者として密告されて捕らわれ、拷問を受けて棄教か死かの選択を迫られました。
乳房を切り取られ、歯を抜かれ、火炙りにされ、最後には両目をえぐり出されました。しかし、奇跡が起き、ルチアは目がなくとも、心でものを見ることができたそうです。そして目の守護聖人、またその名前Luciaから光(Luce)の守護聖人とされてガラス職人の守護聖人ともなっています。図像としては、サンタ・ルチアは取り出された目玉と一緒に描かれます。 -
ジュデッカ運河
いよいよサン・マルコ広場へ出発です。サンタ・ルチア駅の先からクルーザーに乗船します。
グラン・カナルを爽快にクルージングと思いきや、昨日バスで到着したヌォーヴァ島を経由し、ヴェネツィア本島とジュデッカ島の間にあるジュデッカ運河を颯爽と滑走していきます。この運河には豪華客船も停泊しており、雄大な運河の開放感に満たされます。
靄る朝霧が、朝日を浴びながら運河を覆っています。 -
ジュデッカ運河 ジェズアーティ教会
クルーザーから眺めたザッテレ海岸通りに並ぶ建物の中で最も美しく、白く目立つ教会がジェズアーティ教会です。18世紀半ばにジョルジョ・マッサーリの手によって建造されました。パッラーディオ設計のファサードにある4本のコリント式円柱が印象的です。1668年にドミニコ修道会に加わったこの教会は、別名サンタ・マリア・デル・ロザリオ教会とも呼ばれます。この名前自体の琴線に触れて訪れる観光客も少なくないそうです。 -
ジュデッカ運河 朝霧にむせぶクーポラ
丁度運河に朝霧が立ち込め、靄ったモノトーンの風景の中に巨大なクーポラが影絵のように己の存在を誇示します。クルーザーが進むに連れ、クーポラも刻々と相貌を変じていきます。 -
ジュデッカ運河 運命の女神像
このジュデッカ運河からは、岬の突端にある税関の屋根に据えられた、金色の球体に乗った「運命の女神像」を間近に仰ぎ見ることができます。 -
溜め息の橋
霧の中に遠目に垣間見る「溜め息の橋」は、どことなくもの哀しさを滲ませています。こうして水上から眺める姿は、とても絵になります。 -
スキアヴォーニ海岸線
サン・マルコ広場への玄関口となるヴァポレットの船着場でクルーザーを降りると、まるで魔法をかけたかのようにサッと霧が晴れました。思わず「チャオ!」と発してしまいそうでした。
イタリア語で一番有名な挨拶は「チャオ」。実はヴェネツィア弁のs’ciavo がオリジナル。その意味はschiavo vostro(あなたの奴隷です)で、相手を敬い、へりくだる謙譲語のようなものだそうです。 -
サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ教会
スキアヴォーニ海岸線をサン・マルコ広場方向へ歩いていくと幾つもの橋を渡ります。比較的大きなグレーチ運河に架かる橋の上に立ち、海とは反対方向を眺めると少し傾いた白い鐘楼が見えます。それがグレーチ教会の鐘楼。名前の通りここはギリシャ人の教会で、西欧で最も古いギリシャ教会。今も東方正教会式の礼拝が行われているそうです。
地盤がゆるいために高い塔は傾いてしまうのだそうです。この教会の他、サント・ステファノ教会、サン・ピエトロ・デイ・カステッロ教会の鐘楼の傾きも有名です。 -
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島
停留されたゴンドラの先に浮かぶ島は、午後に訪れる予定のサン・ジョルジョ島です。
ヴェネツィアの人工島の造り方
(1)ラグーナの底に溜まった軟弱な泥の下にある固い層に、木の杭を無数に打ち込みます。このためヴェネツィアを逆さにすると森ができると言われます。
(2)その上に板を敷く(木材はカラマツかカシ)。
(3)板の上にイストリア石(水に強い石灰質の石)を積み上げて建物の土台にします。
町の建設は12世紀から本格的に始まり、16世紀には今の町の様子ができていたそうです。様式で言えばピザンチン、ゴシック、ルネッサンスの3様式にまたがって建設されたことになります。
木が腐食するようなことはないのでしょうか? -
溜め息の橋
ドゥカーレ宮殿の裏側にあり、16世紀に架けられた橋のひとつ。白い大理石でできた橋は屋根と壁に囲まれ、小さな格子窓があるだけ。この小窓から覗いた美しい景観に思わず溜め息が出るのかと思いきや、そうではありません。ドゥカーレ宮殿で有罪判決を受けた囚人が、牢獄へ移される時に通ったのがこの「溜め息の橋」。つまり独房に収監される囚人が、格子の付いた小窓から最後のヴェネツィアの景色を眺め、この世に別れを惜しみながら溜め息をついたところから、19世紀にバイロンが名付けました。恋人同士がこの橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると永遠の愛が約束されると言われています。
写真を撮るなら、溜め息橋の南、海岸線沿いにある、ここ「ポンテ・パリア(Ponte Paglia)」がお勧めです。 -
溜め息の橋
監獄と聞くとカサノヴァが投獄された悪名高い「鉛の監獄」を連想してしまいますが、「溜め息の橋」は実際には短期刑の囚人用の監獄への通路だったそうです。つまり「溜め息の橋」の名の由来は、バイロンの脚色だったということです。
余談ですが、カサノヴァと言えば女たらしの代名詞。彼は俳優夫婦の子というのが定説ですが、実は父親は貴族グリマーニという説もあります。実際、彼は、グリマーニ家の援助で教育を受け、社交界にデビューし、ビジネスマンや外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師、劇作家として活躍しました。しかし、生計は彼自身のウィットや社交性の対価として支払われた金銭で賄っていたそうです。ヴェネツィアに戻った彼は、魔法や妖術への関心が高じ、宗教裁判にかけられて有罪になります。「鉛の監獄」に収監されますが、投獄から5年後に脱獄してパリへ逃亡します。因みに、「溜め息の橋」にはカサノヴァの血縁と言われるグリマーニ家の家紋が施されています。これは総督であったマリーノ・グリマーニの命令で建設された橋だからです。ですから、「溜め息の橋」と「カサノヴァ」は間接的に繋がっていると言えなくもありません。 -
ドゥカーレ宮殿
このツアーでは外観鑑賞だけでした。
サン・マルコ広場にあるドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア共和国の総督邸兼政庁として8世紀に創建され、その富と権力を象徴した建造物。居城の他、国会、裁判、行政を司る場所であり、牢獄も置かれました。幾度か火災に遭い、現存するのは15世紀に改修された建物です。外観は、ゴシック風のアーチが連続し、イスラム建築の影響も垣間見られる細やかな装飾が特徴。
中庭には16世紀のブロンズ製の井戸があります。2階の大評議の間には、ルネッサンス期ヴェネツィア派を代表するティントレット作「天国」があり、そのサイズ7×22mは世界最大の油絵と言われています。3階地図の間にはティツィアーノ作「増水いた河を渡る聖クリストフォーロ」、また4階の4つの扉の間の「祈りを捧げるグリマーニ総督」など必見の作品が多数飾られています。 -
サン・マルコ小広場
サン・マルコ広場とサン・マルコ船着場の間にある広場です。海寄りに2本の円柱が立ち並び、ヴェネツィアの玄関門として客人を歓迎しています。この巨柱は、12世紀にギリシャから運ばれてきた一枚岩からできているそうですので驚愕です。一方の円柱の上には金獅子が飾られています。金獅子はヴェネツィア守護聖人である聖マルコを象徴するものです。828年にエジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺骸をヴェネツィアに移してサン・マルコ教会を建設し、守護聖人としたためにヴェネツィアが大きく発展しました。
もう一方の円柱には、最初の守護聖人の聖テオドールが飾られています。奥に見えるのはサン・ジョルジョ・マッジョーレ島サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が見えます。ここからの光景はヴェネツィアの中でも屈指の美しい眺めと言われ、沢山の絵や写真に載っています。 -
鐘楼
鐘楼は高さ98.6mあり、イタリアで最も高い鐘楼です。この鐘楼は、遠くを見渡すためと灯台の2つの役割を担っていました。9世紀にローマ帝国時代の建物を土台に建造され、15世紀には落雷、16世紀には地震で破損し、その後修復されました。17世紀にはガリレオ・ガリレイが発明した天体望遠鏡のデモンストレーションを行うのにこの鐘楼を利用し、ハクがつきました。ところが1902年に突然崩壊してしまいます。北側に入ったクラックが原因だそうですが、幸い死者は出ず、サン・マルコ寺院も被害を受けませんでした。「元あった場所にそのままの姿で」を合言葉に10年に及ぶ工事で鐘楼は復元されます。因みに、鐘楼の崩壊はヴェネツィアに限らず他の町でも頻繁に起こり、これらの災害をきっかけに「ピサの斜塔も倒れるのではないか?」と危機感がもたれ、修復に踏み切られたそうです。この塔の崩壊がなかったら、ピサの斜塔は現存しなかったかもしれません。 -
鐘楼
下方はシンプルな煉瓦造りですが、その上部にアーチ型の鐘架があってその中に5つの鐘があります。鐘架の上にはヴェネツィアを象徴する歩くライオンと女性が象ってある煉瓦造りの壁があり、さらにその上にピラミッド型の尖塔が乗っています。
この尖塔の頂上にある金色の像は大天使ガブリエルを模したものです。風見鶏のように風向きによってクルクル回転する仕組みになっているそうです。 -
サン・マルコ寺院
この写真は、正面からではなく、ドゥカーレ宮殿の脇から撮ったものです。見慣れた風景とは違うので、違和感があるかもしれません。
サン・マルコ寺院は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった聖使徒大聖堂を模して建てられたと言われています。1090年代に建設された聖堂は、十字形平面で中央部に円蓋を持つ典型的なクロス・ドーム形式。その意味では由緒正しいビザンティン建築です。1807年からはヴェネツィア大司教座が置かれ、本来は「サン・マルコ大聖堂」と呼ばれるのが適切です。しかし、長らく「司教座聖堂ではなかった」点が特徴のひとつであり、現在も歴史上の呼称に合わせて「寺院」の呼び名が一般的だそうです。 -
ムーア人の時計塔
1496年から3年間かけて建造された時計塔。両翼の建物は時計塔の完成後、建て増しされたもの。塔の屋上はテラスになっており、鐘が置かれています。かつては、2人のムーア人のブロンズ像がハンマーで鐘を打って時を告げたそうです。鐘の下にはヴェネツィアの紋章「有翼の獅子像」、さらにその下にはイエスを抱く聖母マリア像があります。キリスト昇天祭の一週間は、マリア像の両横の扉から天使を筆頭に東方三博士が1時間置きに登場し、マリアに礼を捧げるという凝った仕掛けがなされているそうです。 -
ドゥカーレ宮殿
サン・マルコ寺院との境界線にドゥカーレ宮殿の列柱廊が望める場所がありました。 -
ドゥカーレ宮殿
上の写真の扉から見た列柱廊です。しっとりと落ち着いた雰囲気が漂い、宮殿と呼ぶにふさわしい光景です。 -
サン・マルコ寺院
ふと天井を見上げると、鷲が書籍を携えたモザイク画が見事です。「鷲と福音書」という組み合わせ=聖ヨハネというアトリビュートでしょうか?
聖マルコだけでなく、福音書の他の3人への尊敬の念を表しているのかもしれません。恐らく、探せば見つかるのでしょうが、時間がありません。
サン・マルコ寺院のモザイク画は、約5mm角のガラスに色を付け、一枚ずつ埋め込み、金の部分は18金だそうです。黒いバーに尖った針が付けられているのは、ハトよけだそうです。ハトは平和のシンボルであり、キリスト教では聖霊でもあるので取り扱いが厄介ですね。広場には、ハトの餌を高く売りつける輩もたむろしています。 -
サン・マルコ寺院
こちらがサン・マルコ寺院の正面。大小合わせて5つのドームが高く聳えています。
福音書の4人の著者のひとり聖マルコに捧げられた聖堂で、9世紀にエジプトから運ばれた聖マルコの遺体を納めています。ロマネスク・ビザンチン建築の傑作で、外観はアラビア風の丸い屋根を持ち、正面の入口上部には燦然と輝く4頭のブロンズの馬像が置かれています。色大理石と彫刻で豪華に飾られたファサードの半円蓋には、ガラス片「テッセラ」を埋め込んだモザイク画が5つ並んでいます。夕日に照らされて金色に輝く様には言葉を失うそうです。建物中心に輝く有翼の獅子は、ヴェネツィアの守護聖人聖マルコならびにヴェネツィアのシンボルです。内部は、見事なモザイク画や金箔で装飾され、ビサンチン文化の影響が色濃く遺されています。主央祭壇の後陣には黄金の祭壇画「パラ・ドーロ」があります。聖人像が七宝や黄金、無数に嵌め込まれた宝石によって描かれ、値段のつけようのないものだそうです。 -
サン・マルコ寺院 「4頭の馬」像
ガイドブックにも「略奪された美術品」と記されている「4頭の馬」像の歴史を紐解いてみましょう。入口にあるのはコピーで、本物は寺院の博物館に展示されています。権力者によって翻弄された数奇な運命を歩んできたブロンズの「4頭の馬」像が辿った道は、ローマ→コンスタンティノープル→ヴェネツィア→パリ→ヴェネツィアでした。
①「4頭の馬」像の生い立ちは定かではありません。紀元前4世紀の作とも後2世紀とも言われ、場所もギリシャ圏ともローマ圏とも言われます。また、太陽神アポロの戦車の馬という説もあります。制作者はアレクサンドリアの彫刻家リュシュッポスというのが有力だそうです。330年、コンスタンティヌス大帝の建都の際、ローマのネロ皇帝の凱旋門に飾られていたものを剥ぎ取り、コンスタンティノープル競技場(ヒッポドローム)の門に飾りました。貴族が戦車競争に興奮し、反逆者の処刑場となり、政治的なプロパガンダの場ともなった競技場です。
②1204年、ヴェネツィア軍が第4次十字軍でコンスタンティノープルを占領し、その時の略奪品のひとつです。サンタ・ルチアの遺骸も戦利品のひとつでした。サン・マルコ寺院には他にも100以上もの聖遺物が戦利品として持ち込まれたそうです。
③そのヴェネツィア共和国もナポレオンのイタリア遠征(1796~1797年)により1000年の歴史が閉じられました。その際、サン・マルコ寺院から共和国の富と力の象徴といえる「4頭の馬」像を戦利品として剥奪。ナポレオンは、「4頭の馬」像を率いてパリで凱旋パレードを行っています。1804年、「4頭の馬」像はルーヴル宮の庭に落成したカルーゼル凱旋門の頂上を飾りました。
④ナポレオン失脚後、1815年「会議は踊る、されど進まず」のウイーン会議でヴェネツィアはオーストリアの支配下に編入され、その結果、「4頭の馬」像はサン・マルコ寺院へ返還されました。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(右端)
「アレッサンドリアから運ばれる聖マルコの遺体」というモザイク画です。
商人が聖遺骸を搬出するに当たり、その上にキャベツや豚肉を被せて中身を隠し、一番上には茹でた豚の頭を置いたというエピソードが描かれています。豚肉を不浄なものとして忌み嫌うアラブ人が、鼻を押さえ、ろくに検査もしないで通関させている様子が窺えます。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(右から2番目)
「聖マルコ遺体のヴェネツィア到着」というモザイク画です。
それは828年、ヴェネツィア共和国という海の上に人工的に作られた小さな国が国際社会へ打って出る布石のような出来事でした。ヴェネツィア共和国では当初より東方貿易が盛んでした。そうしてエジプトに出かけていたヴェネツィア商人2人がその年、アレキサンドリアから聖人マルコの遺体を運んできたのです。聖マルコが生前、布教に努めたアレキサンドリアは、ローマやコスタンティノープルなどと並んでキリスト教の中心地のひとつでしたが、616年にペルシア、続けて640年にアラブ人に制覇されてからは、聖マルコの墓地なども荒らされていました。元々東ローマ帝国の管轄下にあったヴェネツィアは、テオドーロという東方由来の守護聖人を崇めていました。9世紀には既に独立国家となっていたヴェネツィアは、グレードアップを目論見ました。大勢いる「聖人」の中でも、イエスから直接「教会を建てるよう」指示を受けたピエトロは別格として、その次に重要なのがイエスの言葉をまとめた4人の福音書家、すなわちマルコやルカ、ヨハネ、マタイ。新興国ヴェネツィアは、 そのうちのひとり、マルコの遺体を所有し、守護聖人とすることで自らにハクをつけたいと考えたのです。運んできたのは商人たちですが、その大それた行動の裏には、ヴェネツィア政府のバックアップもありました。その聖マルコの遺体を安置するため、サン・マルコ大聖堂が建てられました。現在の建物はその当初から数えて3代目で11世紀のもの。元々はレンガ作りのファサードでしたが、1204年、ヴェネツィア主導の第4回十字軍がコスタンティノープルを陥落、そこから運んできた大量の「戦利品」で豪華に飾り付けられました。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(左から2番目)
「ヴェネツィア総督および市民の聖マルコ遺体歓迎」というモザイク画です。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(左端)
左端は「行列で大聖堂内へ運ばれる聖マルコの棺」。真ん中に掲げられている棺には、聖マルコの遺骸が入っています。背景に描かれているのは、サン・マルコ寺院です。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(左端)
モザイク画だけをズームアップしてみました。
この「行列」と聖マルコに関連する他の3つとは、明らかに絵のスタイルが異なります。なぜなら「行列」だけは13世紀のオリジナル、その他は17〜18世紀の作品だからです。「行列」はどことなく稚拙で、デフォルメされた人形のように見えます。一方、その他は、より自然に絵画のように見えます。これは下絵の奏功ですが、「行列」と見比べると絵に力がありません。下絵は、残念ながらモザイク画の良さを引き出せなかったのです。こうして、手間暇とコストが掛かる割に時代の嗜好に沿わなくなったモザイク画は、やがて廃れていきます。サン・マルコ寺院が世界最大かつ最後の本格的モザイク画宝庫であるのは、そのために他なりません。 -
サン・マルコ寺院 モザイク画(中央)
中央のモザイク画は、19世紀に修復された「栄光のキリストと最後の審判」。ここだけは聖マルコのエピソードではありません。 -
サン・マルコ寺院 中央モザイク画の上
「栄光のキリストと最後の審判」の上には、聖マルコのシンボルの有翼の獅子。さらにアーチの頂点には、聖マルコの彫像が君臨しています。 -
溜め息の橋
ヴェネツィアンガラス工房へ向かう手前で渡った橋です。丁度、溜め息の橋を反対側(北側)から眺める格好になりました。狭い運河にはゴンドラがひしめき合っていました。 -
ヴェネツィアンガラス工房
LAGUNA MURANO GLASS(ラグーナ・ムラノ・グラス)
古代ローマの伝統とイスラム世界の技法との融合から生まれた伝統工芸品。千年以上の歴史を誇るヴェネツィアンガラスの技術は、今でもこの町に脈々と受け継がれています。職人さんが手際よくガラス製品の製作過程を見せてくれます。
まるで飴細工のように職人さんがイメージしたものが出現するから驚きです。熱くなったガラスを摘みあげ、こっちを引っ張りあっちを捻りしながら、数十秒でいとも簡単に前足を跳ね上げる勇壮な馬を造り上げ、逆さにすると前足と胴体で立ちます。
作品はデモンストレーション用に製作されたものですので売り物にはならず、再び融かしてリサイクルされます。 -
ヴェネツィアンガラス工房(ショッピングタイム)
工房の先にある階段を上がると目の覚めるような典雅なヴェネツィアンガラスが出迎えてくれます。しかし、当方には高嶺の花、ひたすら目の保養に努めます。
トイレの借用もできますが、そうしたアナウンスもなされず時間を持て余しました。
実は、この後のフリータイムでは、ここでトイレを借用しました。男女兼用で2室しかないので、団体さんには遠慮願っているそうです。
このショップは、サン・マルコ寺院のすぐ左(北側)の小道を直進し、運河に架かる橋を渡った所にあります。日本のツアー客が出入りしているのですぐわかるかと思います。 -
サン・マルコ寺院 テラス
いよいよサン・マルコ寺院へ入場です。ここで気を付けたいのは、リュックの持ち込みが禁止ということです。リュックの大小は無関係で、リュックは全て手荷物として預けることになります。団体行動では無駄時間になりますので、別のカバンを準備しておかれると重宝します。今回の旅行では、ここ以外、ウフィッツィ美術館、バチカン博物館がリュック禁止でした。
まず博物館のあるテラスに上がってサン・マルコ広場を俯瞰します。かってナポレオンは、この壮麗な建物で囲まれたサン・マルコ広場を「屋根のない宮殿」と絶賛したそうです。広場を挟む宮殿が幾何学的な美しさを醸し出しています。かつてナポレオンが立った場所に立ち、感激もひとしおです。一番奥まった所にあるのは、コッレール美術館です。
まだ早い時間ですので人出もそれほどではありません。しかし、午後になると歩くのもままならないほど混雑してきます。 -
サン・マルコ小広場
円柱の頂点から見守る、聖テオドールの雄姿。
よく見るとワニのようなものの上に仁王立ちしています。どう見てもワニにしか見えないのですが、正しくは竜(ドラゴン)だそうです。 -
サン・マルコ小広場
もう一方の円柱の頂点に君臨する金獅子のズームアップです。
この有翼の獅子像は、アッシリアあるいはペルシャで造られた古代の彫像で、翼は後から取り付けられたそうです。
有翼の獅子は、『エゼキエル書』(旧約聖書の書物)に登場するケルビムが有する4つの生き物の顔のひとつである獅子を象徴したものです。エゼキエルは、幻の中に4つの顔を持つケルビムを見ました。ケルビムとは智天使と呼ばれる神への仲介者の象徴。古来より手足を持つ有翼の像として表現され、ヘリコプターのように自由自在に移動手段の役目まで果たしたそうです。古代ギリシャ・ローマの有翼の女神ニケが原型になったものと考えられています。彼らは人間の理性と動物の威力を合せ持ち、人間、獅子、牛、鷲の4つの顔を持つ(エゼキエル書1:5)。同書10:14ではそれがケルビム、人間、獅子、鷲と書き換えられます。エゼキエルは、エジプトやメソポタミアに見られる有翼のスフィンクスや有翼の人頭牛を幻と重ね合わせてケルビムを創造しました。これは、ヨハネ黙示録4:7の玉座の周りの「4つの生き物」に引き継がれ、獅子、雄牛、人間、鷲の組み合わせに変化していきます。 -
サン・マルコ寺院 テラス
鐘楼の尖塔の頂上にある大天使ガブリエルのズームアップです。
大天使も雷には勝てないようで、頭上に避雷針を携えています。
風向きが良く、丁度こちらを向いてくれていました。 -
サン・マルコ寺院 テラス
時計塔の屋上にあるムーア人のブロンズ像と鐘のズームアップです。
ムーア人とは、北西アフリカのイスラム教徒の呼称だそうです。 -
サン・マルコ寺院 テラス
時計塔にある有翼の獅子像のズームアップです。 -
サン・マルコ寺院 テラス
時計塔のイエスを抱く聖母マリア像のズームアップです。 -
サン・マルコ寺院 テラス
時計盤のズームアップ。高価な色材のラピスラズリを潤沢に用いた目が覚めるようなコバルトブルーの時計盤には、金箔が施された12星座が配されています。現在のものは、1757年に修復されたものだそうです。 -
サン・マルコ寺院 テラス「4頭の馬」像
どうでもいいことですが、股間も精巧に制作されています。機会があれば仰ぎ見てください。 -
サン・マルコ寺院 テラス
アーチにも手の込んだ繊細な彫刻が施されています。
この後、階下に降り寺院内部を見学しました。内部は撮影禁止ですので画像はありません。結構、写真を撮られる方が多いので、つられて撮ってしまったなんてことのないように…。
内部はアーチが連続する構造で、上部の壁面とクーポラの天井は金色のモザイク画が全面を覆い、筆舌に尽くし難い眩い燦然たる輝きを放っています。モザイク画は、旧約聖書のエピソードをはじめ、イエス、聖母マリア、12使徒たちの姿が描かれ、クーポラの窓から差し込む陽光がスポットライトのように演出効果を高めています。 -
小運河
サン・マルコ寺院見学を終え、ゴンドラ遊覧まで40分程のフリータイムになりました。まず、先ほどのガラス工房でトイレを借り、定番のリアルト橋へ向かいます。道が狭く、人も多いので前を行く人のペースでしか歩けません。時間に余裕を持たせて行動されることをお勧めします。
ヴェネツィアを代表する風物詩と言えばゴンドラに尽きます。小運河を悠々と進む姿は絵になります。また、黒一色のゴンドラは、周りの景観と見事に調和しています。このように黒一色に統一されたのは、1562年とかなり昔のことです。理由は、金持ちが自家用ゴンドラに贅美を尽くした装飾を競い合い、その弊害が甚だしくなったためだそうです。その時代には、一万艘ものゴンドラがあり、形も大きさもまちまちで、交通渋滞が頻繁に起こっていたそうです。それで、色や形大きさまでも規定したのだそうです。 -
小運河
ゴンドラの座席、背もたれの装飾です。今まで気にもしていませんでしたが、ゴンドラの限られた装飾の中にゴンドラエーリ(漕手)の矜持が込められているのだと知りました。 -
リアルト橋
商業の中心地区にあるリアルト橋は、当初、木製の跳ね橋で「富の橋」と呼ばれていました。しかし、1444年のフェラーラ公爵の行進の際に見物人の重さで崩壊し、16世紀末に「白い巨象」との異名を持つ大理石の美しい橋に架け替えられました。大運河に架かる4つの橋の中で長さ48m、幅22.1mと最大。橋の下を船が往来できるように大きな太鼓橋となっています。19世紀まで大運河を渡す唯一の橋で、今もメインの橋です。
因みに、橋のデザイン・コンペを募った際、ミケランジェロも一般公募しましたが、採用されたのはアントニオ・ダ・ポンテの作品でした。
柱廊の内側には金細工や土産物ショップが軒を連ねています。 -
リアルト橋
ヴェネツィアを代表する橋だけあり、いつも観光客でごった返しているそうです。この日も、午前中ながら橋の欄干に手をついてのんびりと景色を堪能している観光客でいっぱいでした。橋の上で記念撮影するのも憚られるくらいです。
橋脚には受胎告知のレリーフが施されており、こちら側にあるのは大天使ガブリエルです。残念ながら写真では一部しか見えていません。反対側には、聖母マリアが彫られています。 -
リアルト橋
橋の中央からの素晴らしい眺めを写真に収めました。こちらは南西方面を俯瞰した景色です。
この辺りは、カナル・グランデが逆S字に大きく湾曲している中央に位置し、幅も狭くなっているので橋が架けられたのだそうです。 -
リアルト橋
北東方面を見下ろします。 -
メルチェリー通り
土産物ショップが軒を連ねる通りの一角に、デザイン王国イタリアを思わせるオシャレな街灯がありました。明かりが灯るとどんな表情を見せてくれるのでしょうか? -
メルチェリー通り
仮面ショップが立ち並らび、その中でも風変わりな、人目を惹きつけるものがありました。とてもオシャレな仮面です。
カーニバル最後の週末には、仮面コンテストがあるそうです。国際的なコスチューム及びファッション・デザイナーが「La Maschera pi?・ bella (最も美しい仮面)」に審査員として投票するそうです。
主人が7年ほど前にここを訪れた際のお土産は、ご多聞に漏れず不気味な仮面でした。因みに、主人は3回目の訪問です。でも、仕事の合間に訪ねた程度なので、サン・マルコ広場以外は記憶にないようです。もったいないですねェ〜。 -
メルチェリー通り
かわいいデザインのカバンです。日本人好みの絵柄ではないでしょうか???
蚊が「LOVE」を文字っているのもご愛嬌です。
例によって写真の数が多いため、前編と後編に分けて紹介いたします。
この続きは、④ヴェネツィア編(後編)でお楽しみください。
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この旅行記へのコメント (6)
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- YUMEさん 2015/01/11 19:54:45
- 初めまして、夢です。
- 3月に休暇をとりイタリア旅行を計画してます。
入院中なので実現するかわかりませんが、
病床から拝見させて頂きました。
写真のほかに丁寧で詳しい解説が付いているので
非常によくわかりました。
1月中は入院中なので続きをゆっくり拝見させて頂きます。
夢
- montsaintmichelさん からの返信 2015/01/12 16:27:18
- RE: 初めまして、夢です。
- 夢さま
こんにちは。
旅行記にアクセスいただきありがとうございました。
備忘録のための旅行記でもありますが、これから旅行を企画される方々のお役にたてればと願ったものでもあります。
ですから夢さまからのようなメッセージが一番うれしく、励みにもなります。
当方の旅行記は長文なので賛否両論あると思いますが、臨場感をシェアできれば本望です。時間の許す限り、じっくり味わっていただけると嬉しいです。
入院中とのことですが、旅行を計画されることで治癒も早くなるのではないかと思います。
旅行記がアップされることを愉しみにしております。
montsaintmichel
- YUMEさん からの返信 2015/01/12 18:59:21
- お返事ありがとうございます。
- モンサンミッシェル様
ご返事頂きありがとうございます。
小生、医学関係は若干知識がありますが、宗教や美術や歴史は全く知識がありません。解説を拝見してもその辺充実した知識は素晴らしいものがあります。
ただただ感心いたします。
読書は苦手なので読むのに時間がかかりますが、
これ程丁寧なブログは、ツーリストのバイブル的な存在になっていると思います。
写真もしっかり撮影されてますし。
夢より
- YUMEさん からの返信 2015/01/12 18:59:58
- お返事ありがとうございます。
- モンサンミッシェル様
ご返事頂きありがとうございます。
小生、医学関係は若干知識がありますが、宗教や美術や歴史は全く知識がありません。解説を拝見してもその辺充実した知識は素晴らしいものがあります。
ただただ感心いたします。
読書は苦手なので読むのに時間がかかりますが、
これ程丁寧なブログは、ツーリストのバイブル的な存在になっていると思います。
写真もしっかり撮影されてますし。
夢より
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- YUMEさん 2015/01/11 19:54:34
- 初めまして、夢です。
- 3月に休暇をとりイタリア旅行を計画してます。
入院中なので実現するかわかりませんが、
病床から拝見させて頂きました。
写真のほかに丁寧で詳しい解説が付いているので
非常によくわかりました。
1月中は入院中なので続きをゆっくり拝見させて頂きます。
夢
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- ぴーちくママさん 2013/06/04 15:52:31
- ときめきを感じました。
- montsaintmichelさん、はじめましてこんにちは。
montsaintmichelさんのイタリア旅行記、なつかしい気持ちで拝見しました。
私も今から7年前に新婚旅行でイタリアに10日間程滞在しました。
今回旅行記を拝見し、町並みが変わっていたり、無料のものが有料になっていたりで、驚きました。
また、当時分からなかった歴史まで勉強させてもらいました。
ツアーで行くと自由な時間があまりありませんが、ツアーの方々や添乗員さんとのお話がおもしろいですよね。
我が家もイタリアには再訪したいと思っておりますが、子どもが幼少のためしばらくは無理だと思います。
ですが、こちらの旅行記を拝見し、ますますイタリア熱が加速しそうです。
ぜひぜひ今後の旅行記も楽しみにしております。
ぴーちく
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