2013/05/02 - 2013/05/11
1位(同エリア3133件中)
montsaintmichelさん
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- 旅行記389冊
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- 3,370,129アクセス
- フォロワー169人
フランス旅行から1年半が経過し、パリの綺羅星の下での祈願が叶うことになりました。思いがけず、主人にリフレッシュ休暇(5日間)がいただけたのです。現役サラリーマンですので長期休暇を取るのは困難ですが、連休と合わせると10日間のロングランも可能。目的地をイタリアに絞り、日程優先でツアーを比較しました。絵画好きですので、ミラノの「最後の晩餐」とフィレンツェのウフィッツィ美術館、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂は外せません。その他、カプリ島、ローマ観光の充実等を鑑みるとT社「充実のイタリア大周遊10日間」に収斂しました。実は、ヴェネツィア本島・カプリ島宿泊、直行便のため帰国日の午前中にローマ観光可など、他にないプレミアムが満載です。何度も行ける所ではないので、今回は吝嗇せずにチョッピリ贅沢することにしました。
季節の変わり目にもかかわらず比較的良好だった天候、個性豊かで親しみが持てたツアーメンバーさん、知識と機転満載の添乗員さんなどに恵まれ、思い出に残るすばらしい旅行になりました。今回も旅行情報収集では4トラベルさんにはお世話になりました。感謝の気持ちを込め、情報提供を憚りません。ツアーメンバーの方々と旅行の余韻に浸れればと思います。また、これから旅行を企画される方の参考になり、思い出に残る有意義な旅行にしていただければ幸甚です。
<日程>
5月2日:出発(関空~ローマ経由ミラノ)アリタリア航空(AZ793便)
アタホテル・クァーク宿泊
5月3日:午前 ミラノ観光
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会『最後の晩餐』観賞
スカラ座→ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード→
ドゥオーモ(自由見学)→ランチ後ヴェローナへ(160km)
午後 ヴェローナ観光
カステル・ヴェッキオ、ブラ広場(アレーナ)→エルベ広場→
シニョーリア広場→スカラ家の廟→ジュリエットの家→
レオーニ門→地下遺跡→ヴェネツィアへ移動(115km)
アマデウス(ヴェネツィア本島)宿泊
5月4日:ヴェネツィア観光
クローチェ・ディ・マルタ宿泊(フィレンツェ:2連泊)
5月5日:午前 フィレンツェ観光
午後 ピサ観光
クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (2連泊)
5月6日:午前 フィレンツェ・フリータイム
午後 イタリア版新幹線「イタロ」でナポリへ
ホリディイン・ナポリ宿泊
5月7日:アマルフィ海岸ドライブ(3時間半)
ポンペイ遺跡見学
水中翼船でカプリ島へ移動
レジーナ・クリスティーナ宿泊(カプリ島)
5月8日:カプリ島観光
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊
(ローマ:2連泊)
5月9日:ローマ市内観光
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月10日:午前 ローマ市内観光
観光後、ローマ空港へ
アリタリア航空(AZ792便)で一路関空へ
5月11日:関空着
旅行前にチェックした天気予報サイトです。添乗員さん向サイトのようですが、色々な地域をまとめて表示できるので便利でした。
http://www.tourconductor.jp/weather/europe/w2.php
イタリア北部は、ズ~ット雨+雷マークが出ていたので半分諦めの境地でした。後は、ツアーメンバーさんの日頃の行いと神様に祈るだけです。どうなることやら…。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
関西空港
アリタリア航空AZ793便にてローマのフィウミチーノ空港経由でミラノまで向かいます。手荷物は終着のミラノまで預け、そこで受け取ります。クレームタッグの記載がミラノ空港になっているか要チェックです。手荷物紛失の原因で一番多いのは行き先が間違っているケースだそうです。
ミラノ マルペンサ空港で添乗員さん曰く、「今回は奇跡的に全員の荷物が出てきました」。 -
関西空港
関空からローマまで13時間のフライトが始まります。
桜の開花後、阪神地区は春らしくない不安定な天候が続いています。北イタリアも季節の変わり目で同じパターンだそうで、本格的な春の到来が遅れているそうです。長期予報をチェックすると、ミラノはこの一週間程ずっと雨+雷マークです。この分だとフィレンツェを過ぎるまで天気は期待しないほうがよさそうです。でも、添乗員さん曰く、イタリアの天気予報は当たらないことで有名なのだとか…。 -
ロシア ノーヴィウレンゴイ周辺の上空
飛行機に乗ったら早めに時計を現地時間に合わせ、時差調整をしておくと時差ボケが軽くてすみます。電波時計をお使いの方も、設定変更が必要になります。旅行前に取扱説明書を一読されることをお勧めします。少々厄介です。
欧州便の場合、往きの時差ボケはそれ程辛くないと思います。
5月だというのにまだ凍てついたままの大地。あるいは海洋なのか???
アリタリア航空のローマ便の機体は、A−330。窓側の座席は全て2席仕様ですので、カップルで搭乗手続きすれば、よほどの事がない限りペア席が確保できます。新婚さんもご安心ください。 -
ロシア ノーヴィウレンゴイ周辺の上空
自然が造形したアートです。
イタリアは北と南では別の国と言われます。明るく陽気で、恋には熱中するが働かないというイタリア人のイメージは、ミラノやトリノなど北イタリアには符合しません。北イタリアだけをクローズアップすれば、経済成長力や生産性の高さはドイツよりも上で、事実上ヨーロッパの最上位。一方、属国として支配された歴史が長い南イタリアは、「明日は明日の風が吹く」という気質で独立心が希薄。南北に大きな経済格差があり、北が南を支える構図に不満を抱く北の人々の中には、南部を分離し、北だけで独立しようとする勢力も多いそうです。しかし、南はマフィアの影響力が強く、バチカンには神の帝国まであり、国を1つにまとめるのは極めて難しいのだそうです。
お互いに負債国ということで対比され易いイタリアと日本。かってはイタリア同様、それぞれの地方を藩が治めていた日本は、天皇という世俗権力を超える権力でまとまれました。そうは言っても、日本も今のままでは凋落の道をまっしぐらとなりかねません。ベルルスコーニは、イタリア政治の仕組みをアメリカ型「新自由主義」に変えることと、イタリア経済を「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込みました。しかし、その政策遂行に当たっては、古いローマ政界の政治システムに頼らざるを得なかった。結果、バックについていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになったのです。彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、「国際金融システムを健全に保つこと」だったのです。
翻って日本を見れば、バブル経済の興隆と崩壊。その後「失われた20年」と言われる時代に一番大きく変わってしまったのは、日本人のメンタリティーそのものではないでしょうか。 -
ローマ フィウミチーノ空港
時刻は20時半を回り、ようやく薄暗くなってきました。日が長いですね。
ここで国内線に乗り継ぎ、ミラノへ向かいます。国際線を降りてから国内線離陸まで2時間弱ありますが、入国審査(至って簡単)や国内線への移動などがあり、それほど長い待ち時間とは感じませんでした。
ミラノ マルペンサ空港までのフライトは1時間半でしたが、離陸が遅れてミラノ到着は23時過ぎ。空港からホテルまではバスで小一時間かかり、ホテル着は深夜でした。飛行機の長旅でさすがに皆さんぐったりです。さすがに乗り換え便はきついですね! -
ミラノ アタホテル・クァーク
4星ホテルですが、シャワーを浴びて寝るだけでしたので3星でも充分な気がします。近年イタリアでは、宿泊税なるものを徴収するようになってきています。金額はホテルのランクによって変動しますが、3〜4ユーロ/人・日です。今回のツアーでは、カプリ島以外すべて必要でした。二人合わせて合計50ユーロ弱。宿泊税も考慮し、余裕を持たせて国内でユーロに両替をしておくと現地で分の悪い両替をせずに済みます。
お部屋のベランダからの早朝風景です。ミラノ郊外にあり、周りはホテルや住宅が密集していますが、静かな環境です。小鳥のさえずりで目を覚ますなんて何年ぶりのことでしょう。因みに、我が家では、カラスの鳴き声が目覚まし時計代わりです。 -
ミラノ アタホテル・クァーク
モーニングコールは5時45分。ホテル到着が12時過ぎていましたので寝不足気味です。目をこすりながら7時過ぎに出発です。
『最後の晩餐』観賞は完全予約制なので、1分でも遅れると観賞できなくなるのだそうです。平日なので市内の通勤ラッシュによる渋滞も気がかりです。 -
ミラノ アタホテル・クァーク
ホテル出発時間が早いため、前日に手渡された「朝食バスケット」なるものをホテルの部屋で味気なくいただきます。これが一人分です。
バスの中で食するのは禁止されていますのでご注意ください。観光バスは一般的にドライバーの個人所有であることが多いので、車内を汚されたくないため飲食を禁じているケースが多いようです。飲物はOKです。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
朝一番、8時15分からの鑑賞。20分程時間があったので『最後の晩餐』の絵画について現地ガイドさんから説明を受けます。
絵画のすぐ間際まで寄って観賞でき、左右の立ち位置で遠近感が変わるそうです。右側から見ると奥行が更に深まるそうです。また、修復によって、向かって左のイエスのこめかみに一点透視図法という遠近法のための釘を刺した跡が見つかったそうです。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
通りまで出ると優美なアプス(八角ドーム)も一緒に写真に収めることができます。キャリアウーマンでしょうか?颯爽と道を急ぐ姿は、北イタリア ミラノを象徴する絵になる風景です。
15世紀前半にドメニコ会の修道士ジュニフォルテ・ソラーリにより修道院として建造され、15世紀後半にスフォルツァ家イル・モーロが建築家ブラマンテに改築を命じて現在の姿となっています(明白な証拠はないそうです)。ルネッサンス様式の華やかな八角形アプスが印象的。この教会は、長い建屋をソラーリがロンバルディア風ゴシック様式に、ファサードと後陣をブラマンテが後期ルネッサンス様式に建造し、その美しさはミラノでも屈指。教会の左隣には15世紀後半に完成したドメニコ会の修道院があり、その食堂に『最後の晩餐』があります。教会とドメニコ修道院は、『最後の晩餐』と共に世界遺産に登録されています。 -
ドメニコ会修道院(『最後の晩餐』観賞エントランス)
ガラス窓に教会のファサードのステンドグラス窓が写り込んでいます。否応なしにテンションが上がり、アドレナリンの分泌で交感神経が刺激されます。
『最後の晩餐』の見学は予約制で、15分刻みで1回25人。外気を遮断するためにドアは二重構造になっています。なぜ、こんなに厳重なのか?それは、『最後の晩餐』がフレスコ画ではなく、テンペラ画技法を用いているのが理由。外気による劣化を防ぎ、温度を一定に保つために厳重な管理が不可欠なのです。一般的に壁画は、保存に優れたフレスコ画技法を用います。しかし、フレスコ画は漆喰を塗ってから乾き切るまでに完成させる必要があり、重ね塗りや書き直しができません。ところが完璧主義者のレオナルドは、写実的に描くためにフレスコ画の技法を嫌ったのです。彼が用いたテンペラ画は、卵やニカワ、植物性油などを溶剤に顔料を溶く技法。時間の制約が無く、重ね塗りや書き直しも自在。一方、テンペラ画は温度や湿度の変化に弱く、壁画には向きません。おまけにここは修道院の食堂。食べ物の熱や湯気が『最後の晩餐』の損傷と浸食を招き、完成から20年足らずで剥離が進んだそうです。16〜19世紀には幾度も修復されました、ほとんどは失敗だったそうです。ニカワや樹脂の塗布で黒ずんだり、壁画を壁から剥がそうとして亀裂を入れたり、絵の下方に扉を新設したり、洪水で水浸しになったり、第二次世界大戦では空爆に遭って教会が半壊したり・・・。ムッソリーニがミラノにいたため、連合軍の爆撃は半端でなかったそうです。現在まで残っていること自体、まさに奇跡と言えます。 -
『最後の晩餐』観賞チケット
チケットの裏側には『最後の晩餐』を6分割した絵がプリントされています。ただし、たまに白紙のものもあるそうです。
下の絵は、左から裏切者のユダ(光が当たっていません)、聖ペトロと聖ヨハネです。 -
ドメニコ会修道院 レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
1977年から20年かけて近代科学を駆使した修復がなされ、鮮やかな色彩が蘇りました。薄暗い食堂に淡い威光を浴びながら『最後の晩餐』が浮かび上がる様は幻想的です。
イエスが12人の使徒に向かって「汝らの一人、我を売らん」と言った時の衝撃の様子を鮮やかに表現しています。イエスの口がかすかに開いているのが肉眼で判ります。「それは誰ですか?」、「裏切りなどと物騒なことはおっしゃらないでください」とざわめき立つ弟子たち。「ビクッ…」とするユダ。このような心理描写が生き生きと表現されています。遠近法を駆使し、計算された人物配置と科学者としての片鱗。例えば、イエスから遠い人ほど、言葉を聞き取り難かったという音と距離の関係を絵が語りかけます。残念ながら扉の新設の際に削られて現存しませんが、イエスの足は十字に組まれ、翌日の磔刑を暗示していたそうです。さらに、「ダ・ヴィンチ・コード」で話題沸騰したマグダラのマリアの「M」の隠し文字も観ようによってはそう観えます。『最後の晩餐』には、芸術家や科学者、工学者、神学者、精神分析学者としての研究と思想がすべて融合されています。
『最後の晩餐』が対峙する面にもモントルファーノ作『十字架上のキリスト』があります。名作らしいのですが、名画の陰に隠れてしまった悲運な絵としか言いようがありません。
この写真は次のサイトからお借りしました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Leonardo_da_Vinci_%281452-1519%29_-_The_Last_Supper_%281495-1498%29.jpg -
ポルタ・ガリバルディ駅
『最後の晩餐』の余韻に浸る間もなく、慌ただしくバスに乗り込み、ショッピングへ向かいます。これは途中、車窓からちらりと見えたポルタ・ガリバルディ駅。
近年「イタロ」のミラノ発着駅となったことにより、目まぐるしい変貌を遂げた駅だそうです。グリーンと赤を基調とした、イタリア国旗を彷彿とさせるオシャレなデザインです。駅前近辺はコルソ・コモなどオシャレなブティック街としても有名だそうです。 -
トラム
ミラノでは、路面電車がまだ市民の足として健在です。近代的な低床連接車化が進むヨーロッパの潮流に押し流されず、レトロなトラムが縦横無尽に走り回り、昔日の街の風情を今に伝えています。
こちらは、スフォルツェスコ城周辺を運行する1系統のトラム。バス車窓から流し撮りに初挑戦です。本来なら、バスとトラムの走行速度を計算して流すスピードを調整することにまります。これは、計算したと言うより、本能のままに撮った偶然の産物です。 -
スフォルツェスコ城 フィレテの塔
突然天空に突き上げる巨大な塔が視界に飛び込んできました。凛々しく聳え立つその雄姿は、まるで天空と大地を繋ぐ巨大な柱。フィレテの塔は高さ109m。そこを起点に煉瓦積みの城壁や回廊が巡り、広い中庭を囲む造りになっています。前方のカステッロ広場の噴水の中央には、馬に跨ったスフォルツァ公爵の彫刻が佇みます。そして右端にはレトロなトラム。
こうした非日常的な光景を眺めているとお伽噺の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥ります。 -
スフォルツェスコ城 フィレテの塔
センピオーネ公園へのプロムナードとして佇むスフォルツェスコ城は、元々は14世紀にミラノを統治していたヴィスコンティ家の居城。その後、娘婿のスフォルツァが1466年に城砦を完成させ、それが城の名の由来となっています。15世紀後半にはレオナルド・ダ・ヴィンチやブラマンテが城の装飾に携わりましたが、城の佇まいはルネサンス君主の典雅な居城というより中世の堅牢な要塞の趣きを漂わせています。イタリアへの玄関口に当たるこの城が通り抜けてきた戦争と平和の繰り返しが、要塞としての機能性と芸術性を兼ね備えた独特の建造物に変貌させ、ヨーロッパ屈指の堅牢要塞と化したのです。しかし、18世紀にルイ15世率いる仏軍の攻撃で半壊、1800年にはナポレオンに征服されて城壁の一部を破壊されました。修復されたのは20世紀初頭のことですが、その際、レオナルドが装飾を施した「アッセの間」が発見されて注目を集めました。
現在、城の内部は市立美術館として有料公開されています(城の見学は無料)。ミケランジェロ最後の作品である「ロンダニーニのピエタ」の他、彫刻コレクションやマンテーニャやティントレットをはじめとした絵画や衣装・工芸品などを数多く展示。また、エジプト遺物を中心とした考古学博物館や楽器博物館など幅広いジャンルの作品が展示されています。
(2013.11.18追記)
スフォルツァ城にある、レオナルド・ダヴィンチの天井画が描かれた部屋の壁の塗料の下に、天井から続くレオナルドの絵が隠れていたことが分かったそうです。現在、塗料を剥がして絵を復元する作業が進められており、2015年のミラノ万博開幕に合わせた一般公開が計画されています。
レオナルドはミラノ滞在中の1498年、ミラノ公ルドビコ・イル・モロの依頼でスフォルツァ城の「板張りの間」の天井に桑の木などをデザインした装飾画を制作。部屋の壁にも天井画から続く木の幹や根などを描いきましたが、彩色されておらず、下絵段階のまま未完成に終わったとみられています。それは、1499年、ミラノがフランスに征服され、ルドビコがミラノを脱出したためと考えられています。18世紀初頭、板張りの間はオーストリア軍の厩舎となり、この頃、レオナルドの絵は白い塗料で塗りつぶされ、現在までベールに包まれたままだったそうです。 -
スフォルツェスコ城 フィレテの塔
備え付けられた装飾は比較的新しく、時計は約100年前に追加されたもの。中央の白い石像は、上下ともミラノの守護聖人 聖アンブロージョ。下は、馬に跨った雄姿です。元々彼はキリスト教徒ではなく、法学を学び政治の道へと進みましたが、カトリック派とアリウス派の激しい戦いの調停を行って争いを鎮めたのをきっかけに、コンスタンティヌス帝のキリスト教公認後、374年にミラノの司教に選ばれました。ミラノで最古の聖アンブロージョ教会を創建し、「ミサ」という言葉を初めて使った聖職者だそうです。
壁に描かれているヴィスコンティ家の紋章は「敵を呑み込む竜と楯」を表しています。左右対称のエンブレムをアルファロメオ社が現代に受け継いでいます。因みに、壁に空いている小穴は、城壁を作る際に煉瓦を積むための足場を組む時に木材を差し込んだ場所です。 -
スフォルツェスコ城
時計塔の左右の塀の両翼には同じ形をした円筒状の塔が控えています。この塔を造っていた頃、レオナルドがスクリュー式ポンプで堀の水を汲み上げる方法を用いてこの塔を水道塔にするプランを考案したそうです。しかし、往時の技術では完成に至らなかったそうです。 -
イタリアで一番高いビル
このユニークな形のビルは、ポルタ・ヌオーヴァ地区の再開発計画のひとつに数えられます。アルゼンチン出身の建築家シーザー・ペリの設計で、大手銀行UNICREDIT社のオフィスとなっています。ウニクレーディト社はイタリアNo.1の資本を持つ銀行だそうです。
塔の先端、一番高い所は地上高230m、現在イタリアの建物で一番高いそうです。2015年のミラノ・エキスポに向け、現在3つの大きなプロジェクトが急ピッチで進行中ですが、こちらはいち早く完成。この高層ビルの先端部だけで78m、重量500トンもあり、取り付けはヘリコプターで行ったそうです。
歴史あるミラノの街に高層ビルが立ち並ぶのは寂しい気もしますが、2年後にはすっかり風景が変わってしまうのでしょうね。我々はそのうちのひとつのプロセスを記憶に留めただけに過ぎないのです。 -
ショッピング・タイム『セドラ』
ポルタ・ヌオーヴァ地区の先にあるショップでトイレ休憩を兼ねます。団体行動では、トイレ=ショッピングということになります。イタリアのトイレ事情そのものが良くないので、ツアーの苦肉の策だと思います。ショップの方には申し訳ありませんが、高級ブランドが並んでおり、トイレ以外は当方には全く無用です。旅行も始まったばかりですし・・・。
お断りすれば写真撮影も可能です。取り立てて撮るものもないので豪華なシャンデリアを記念に写しました。高価なヴェネツィアン・ガラスなのでしょうね!? -
ショッピング・タイム『セドラ』
トイレ借用後、付近の散策に出ました。暫く南へ歩くとバス車窓から見えたUNICREDIT社のオフィスビルを反対側から見上げることができました。
確かミラノ中央駅が近くにあるはずなのですが、地理に不案内なので思いとどまりました。いきなり、迷惑をおかけする枠にはいきませんので…。実は、『セドラ』というショップは、事前の問い合わせで聞いていましたが、ガッレリアの近くと思い込んでいました。場所も確認しておくべきでした。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
再び戻ってきました。実は、『最後の晩餐』の一度の鑑賞は25名なのに対し、ツアーメンバーは26名。つまり、一人だけ別の時間に観賞することになったのです。添乗員さんと現地ガイドさんが窓口で交渉されたようですが、特例は許されなかったようでした。
その間、我々は教会の内部を見学します。しかし、15分しかないので、教会の中庭の見学はスキップです。
ここでひとつの疑問が芽生え、帰宅後調べてみました。なぜ、あんなに広い食堂で25名制限なのかということです。食堂の内部には空気清浄機が置かれ、鑑賞者が持ち込むホコリやカビなどを浄化しています。1度の見学者が25人に限定されるのは、空気清浄機の性能限界を考慮してのことだそうです。スペースの問題ではないそうです。それで2重扉の大きさも25名用に設えているのだそうです。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
内部の壁や天井には多様な模様の絵が描かれ、決して華やかではないですが、温もりが感じられる教会でした。くねくねした髭のような意匠は何を表現しているのか気になりました。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
天井のクーポラを見上げるとこんな感じ。うっとりしてしまいます。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
後陣に配された木彫りの聖歌隊席。中央上部にはイエスの磔刑像が掲げられ、厳粛な雰囲気に包まれています。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
後陣の天井です。ブラマンテ特有の造形美がこれでもかと迫ってきます。 -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
いくつかステンドグラスがありましたが、その中で一番印象に残ったもの。現代のデザインとしても充分通用しそうな斬新さがあるのでは? -
スカラ広場 レオナルド・ダ・ヴィンチ像
スカラ座の手前でバスを降りると、道路の向こう側にスカラ広場が見えました。その中央に佇むのは、ピエトロ・ マーニ作「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」。
背後はミラノ市庁舎になっているマリーノ宮。マリーノ宮を建造したのは、ジェノバの銀行家トンマーゾ・マリーノ。建物裏側のサン・フェデーレ広場でヴェネツィア貴族アーラ・コルナーロ嬢に一目惚れ。1558年にアーラ嬢のために建築家ガレアッツォ・アレッシに依頼して建設が始まりましたが、国の没収を受けて未完のままとなりました。建物は後の所有者が造り変え、最終的にサン・フェデレ広場側のアレッシ設計のファサードをモデルにルカ・ベルトラミが1888〜1892年にかけて建造しました。建物には、誇張の多いマニエリズムの装飾と古典的な要素への洗練された回帰が融合されています。ルーベンスが絶賛したと言われるマリーノ宮。窓に設えられたカーテンとその柔らかな色調が演出効果を盛り上げます。
右のアーチ型をした建物は、ドゥオーモ広場とアーケードで繋がっているガッレリアの入口。 -
スカラ広場 レオナルド・ダ・ヴィンチ像
レオナルドを囲むように4人の弟子の像が下方に配置されています。
遠足なのでしょうか、先生と思しき方が子供たちに何やら説明をしています。このようにレオナルドを身近に感じられる教育環境が、画期的なデザイナーを育むのでしょうか?
この像の頭を撫でると賢くなれると言われているのですが、この高さでどうやって撫でればよいのか?先生は、子供たちにこの答えを考えさせているのかもしれません。ところで、レオナルドの頭上に停まった鳩は、さぞかし賢いのでしょうね??? -
スカラ座
世界で最も高名なオペラの殿堂で、イタリア3大歌劇場のひとつ。イタリア生まれのオペラは、「神々への賛辞のための音楽」と讃えられ、荘厳な面持ちの建物の前にはレオナルド・ダ・ヴィンチ像が佇み、まるで古を偲びながら公演に聞き入っているかのようです。パリのオペラ・ガルニアに比べると外観は意外なほど質素です。
ミラノには世界中からオペラ歌手が「スカラ座」でのスポットライトを夢見てやってきます。しかし、舞台に立てるのは一握りのアーティストだけ。まさしく光と闇の世界。麗しい歌声にそうした人生の悲喜が錯綜し、舞台装置を通して劇場全体を打ち震わせるのでしょう。
初代オペラ座は、テアトロ・デュカーレ「公爵の劇場」と呼ばれましたが、1776年の謝肉祭で催行されたガラ・コンサート後に焼失。バルコニー席を占有していた貴族は、オーストリア大公フェルディナンドに新歌劇場の建設を迫り、建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニは新歌劇場の設計図を描きますがオーストリア長官はこれを却下。しかし、第二案はオーストリア女帝マリア・テレジアに承認され、1778年にネオ・クラシック様式の瀟洒なオペラ座が建造されました。新劇場は、元々サンタ・マリア・アラ・スカラ教会があった地に建てられ、「ミラノ公国立スカラ新劇場」と教会の名を冠して落成。因みに、こけら落としの演目は、名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニによるアントニオ・サリエリ作「認められたヨーロッパ」。しかし、この新劇場も第二次世界大戦中の1943年に大きく破壊され、現在の建物は1946年に再建された姿となります。座席数は、約3000。数々の名作の初演でも知れられ、プッチーニ「蝶々夫人」もここで初演されました。 -
スカラ座
世界中で「蝶々夫人」が好評を得て公演されているのは、音楽もさることながら、ラストシーンの「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん」と銘の入った父の遺品の刀で、1人静かに死んで行く蝶々夫人の誇り高い生き方が世界の観客の泪を誘うからだと思います。
一方、オペラといえば、ヴェルディも欠かせません。尊大さを持つ一方、教養に溢れ、現実や周囲の状況を見据える眼力を持つカリスマ的人物ゆえに、彼のオペラをスカラ座のオケが台無しにしたとして、一時期ヴェルディの演目をスカラ座が演じるのを禁じた時期もあったそうです。
スカラ家とスカラ座とは何か関係があるのかと気になりますが、スカラ家からヴィスコンティ家に嫁いだ女性が寄進したのがサンタ・マリア・アラ・スカラ教会だそうです。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
通称「ガッレリア」へのプロムナード。ミラノのシンボル的存在の美しいアーケード。建築家ジュセッペ・メンゴニの設計で1865年着工し、1877年に落成。2つの通りが十字に交差し、ドゥオーモ広場とスカラ座を一直線に繋いでいます。アーケードはガラス張りの美しいアーチ型の天井で覆われ、舗道にはモザイク模様が施されています。また、中央の十字路の4隅には四大陸をイメージしたフレスコ画が描かれています。舗道の両側には、お洒落なカフェ、レストラン、ブティックなどが並び、ミラノ市民や観光客で賑わっています。因みに、東京ディズニーランドのワールドバザールは、このガッレリアをモデルにしたそうです。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
19世紀特有の空気感が漂うアーケード街です。1階は、オートクチュール・ショップからブック・ストアに至るまで、上品な店舗が目白押し。グッチ、プラダ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランドの他、レストラン、バール、バーが入居しています。
2階は、賃貸料の高騰により、現在は保険会社のオフィスが占めているそうです。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
ドームの真下にある床面の中央にはイタリアを統一したサヴォイア王朝の紋章が刻まれ、その回りをイタリア主要4都市の紋章が取り囲んでいます。すなわち、ローマの狼、フィレンツエの百合、ミラノの十字を描いた盾、そしてトリノの牡牛の青盾。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
トリノの牡牛は、デリケートな部分がやや窪んでいます。この窪みに踵を乗せ、反時計回りに1回転すると幸せが訪れるそうです。旅行者は再びミラノに戻れるとの言い伝えがあります。
ガッレリアの床面は、第二次世界大戦中の爆撃で全てが破壊され、1967年に全面修復されました。一日に数千回も踵で踏みつけられるため、損傷も激しく頻繁に修復もなされていますが、修復直後でも股間にはあらかじめ浅い窪みが設けられているそうです。このスピンは、観光客よりも地元市民の方が積極的だそうです。またトリノを本拠地とするサッカークラブチーム「ユヴェントス」の試合のある日にも増えるそうですが、その理由は今もって解明されておらず、ミラノ市民にとっても積年の謎だそうです。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
昨年まではプラド(第二店舗)の場所にマクドナルドがお店を構えていたそうです。全ショップは黒地に金色のブランド名というデザインで統一され、マクドもトレードマークの赤を使うことは禁じられたそうです。(そもそもメトロのMと間違え易いですが…。)本当はファストフードの存在すら否定したかったのでしょうが、市民や観光客の利便性を考え百歩譲った結果だったのでしょう。でも意外に短命に終わってしまったのは何故でしょうか?テナント料のソロバン勘定くらいできていたはずですが・・・。もっぱら観光客のトイレとして使われていたとの情報もあるのですが・・・。当方もそのつもりでしたのに。
気になるトイレ事情ですが、この辺りではドゥオーモ左翼廊の先にあるデパートLa Rinascente(リナシェンテ)の4階と7階。無料ですが、利用者も多いのでペーパーが切れていることもあるそうです。それ以外は、バール(喫茶店)や4星以上のホテルのフロントでお断りしてということになります。「トイレを借りてもいいですか?」は「ポッソ ウザーレ イル バーニョ?(Posso usare il bagno ?)」。「トイレはどこですか?」は「ドーベ イル バーニョ?(Dov’e il bagno ?)」。
イタリア語の基礎会話の無料サイトです。発音が聞けるので重宝しました。
http://eccweblesson.com/travel/index.php?ref=ew000401
ご参考までにミラノのマクドマップです。ドゥオーモ広場に面した所にあります。
http://www.mcdonalds.it/ristorante?address=milano -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
中央部の大きな八角形の床石の頭上は、高さ47mのガラス・ドームに覆われています。天気がよくて青空ならブルーに染まるドームが見られたことでしょうに、生憎曇り空です。
四隅にある半円形の巨大なフレスコ画は、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカの4大大陸を寓意的に描いたものです。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード メンゴーニの慰霊碑
ガッレリアの設計コンペには176人の応募があり、優勝したのがメンゴーニ。そして初代イタリア国王の名を冠したガッレリアが12年の歳月をかけて1877年に落成しました。 明日は晴れて国王にお披露目という日。なんとメンゴーニは、最終チェックのために上部を視察中、高所から落下して不運にも亡くなってしまいました。果たして、自殺か、他殺か、それとも事故死なのか…。
次の3点が色々と取り沙汰される理由ですが、136年経った今も謎のベールに包まれたままだそうです。
① 誰も彼が落ちたところを目撃していなかった。
② 反対派の批判がかなりあり、その批判に精神的に病んでいた。
③ 国王が体調不良で、お披露目式に出席できない可能性があり、「自分は認められていない」と悲観的になっていた。
そして、ガッレリア完成の10日後には国王もローマで亡くなり、結局、国王はガッレリアを生涯見ることがなかったそうです。アーケードの華麗な姿の陰に、なんとも切なく、泪を誘う悲劇が隠されていました。ガッレリアのドゥオーモ広場側凱旋門の左の柱には、メンゴーニの慰霊碑が嵌め込まれ、「外国からの支配から解放され、将来に向かい一新するこの偉大なる建築物、この創設者は凱旋式も迫る1877年12月30日、この功績ある場で勇敢な勝利の末ここで亡くなる」と記されています。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード
ドゥオーモ広場側の玄関口。凱旋門のような雄姿です。
設計者メンゴーニは、この慰霊碑のある頭上の足場25mの高さから転落死したそうです。 -
ドゥオーモ
ロンバルディア州都ミラノのシンボル。正式名はサンタ・マリア・ナシェンテ(生まれつつある聖母)。1386年に君主ヴィスコンティの命で着工、500年後の1887年にナポレオンが完成させました。ゴシック様式では世界最大の建造物で、広さは、サン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂、スペインのセビリアの大聖堂に続き世界4番目。体積では、サン・ピエトロ大聖堂の次です。
君主ヴィスコンティは神聖ローマ帝国の皇帝から「ミラノ公」の肩書きを買い取り、一時北・中部イタリアの大部分を領有する勢力を誇りました。しかし、後継ぎに恵まれないのが悩みの種でした。そこで子宝に恵まれるようにと聖母マリアに捧げる壮大な大聖堂の建築を思い立ち、その目標に掲げたのがキリスト教の大本山サン・ピエトロ大聖堂でした。 -
ドゥオーモ広場 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像
ドォオーモ広場にはイタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が佇みます。1896年にエルコレ・ローザによって制作されたもので、1859年のサン・マルティーノの戦いにおいて国王が馬上から兵士を鼓舞する姿を表しているそうです。 -
ドゥオーモ
フラン・ボワイヤン様式(炎のように見える)と呼ばれるファサードが特徴。カンドリア産の薄灰と薄桃色の大理石を積上げたその外観は、尖塔のヴェールがウエディングドレスを彷彿とさせ、華麗に演出されています。古くから「気まぐれな菓子職人の作ったデコレーションケーキ」と例えられ、大聖堂の芸術的価値は精巧な内外装の装飾に詰まっています。尖塔は135本、彫像は2245体あり、それらの融合美はまさに圧巻の一言。 -
ドゥオーモ
頂点となる尖塔の上には、高さ4mの黄金の聖マリア像が置かれ、108.5mの高さからミラノ市民を見守っています。
ミラノでは、最近までこの高さを超える建物は造れなかったそうです。 -
ドゥオーモ 正面扉「聖母マリアの生涯」
正面には5枚のブロンズ製の扉があります。扉には彫刻が施され、一番左の扉から「ミラノ勅令」、「聖アンブロージの生涯」、そして正面最も大きな扉は「聖母マリアの生涯」、「ミラノの中世の歴史」、「ドォーモの歴史」を表しています。
この扉に描かれているのは、『聖母マリアの生涯』。20世紀初頭にイタリアの彫刻家ルドヴィーコ・ポリアーギによって制作されたもの。聖母マリアの苦しみと喜び描いた絢爛豪華なゴシック様式のパネルが年代順に並べられています。 -
ドゥオーモ 正面扉「聖母マリアの生涯」
中央左側が「イエスの磔刑(ピエタ)」。聖母マリアの深い悲しみを表現しています。「ピエタ」はイタリア語で嘆き悲しむことですが、教会においては亡くなったイエスを抱きかかえるマリアとして用いられます。 -
ドゥオーモ 正面扉「聖母マリアの生涯」
中央右側が「イエスの誕生」。聖母マリアの喜びを表現しています。我が子を抱く母親としての歓喜に満ちた表情をしています。 -
ドゥオーモ 正面扉「聖母マリアの生涯」
「十字架に架けられるイエス」です。イエスの頭上には「I.N.R.I」と書かれています。これは「ユダヤの王イエス・キリスト」の頭文字。イエスは両脇で磔刑に処されている強盗のように罪を犯した訳ではありません。「ユダヤの王になろうとした」と断罪されたのです。
左下には、哀切極まって崩れ落ちるマリアが描かれています。十字架の足元に頭蓋骨が置かれています。これはイエスが処刑されたゴルゴダの丘で人の始祖アダムが亡くなったと言われるからだそうです。
宗教画にはいろんな意味が含まれていますが、このシーンだけでも他にも色々なことが表されており、見飽きることがありません。 -
ドゥオーモ
入口左側の壁に刻まれた「バベルの塔」と思しき彫刻です。即ち、旧約聖書『創世記』第11章にある、ノアの大洪水の後、ノアの子孫たちがバビロニアで天まで届く塔を建てようとする人類の慢心を、神の逆鱗によって打ち砕かれるエピソードです。
実は、フリーメイソンが掲げる「ワンワールド」の理想郷は、このバベルの塔に象徴されるものだとの説があります。フリーメイソンは、表向きには自由・平等・博愛・兄弟愛・人類同胞を標榜していますが、その最終目的は世界統一政府・宗教の樹立だそうです。フリーメイソンの教えのひとつが、「人の手によって造られる家ではなく、天に聳える永遠の家を築くために生きた石となれ」。何となくバベルの塔を彷彿とさせる表現です。また、フリーメイソンの象徴である、$1紙幣に描かれた万物を見通す「ルシファーの眼」のあるピラミッドは、決して崩壊しないバベルの塔を象徴する暗号のようにも思えてきます。気がかりなのは、バベルの塔が築かれた時代は、ノアの大洪水という世界浄化がなされた後の世の中だということです。つまり、その前提には人類の破局「最後の審判」が襲来するということです。フリーメイソンであったニュートンは、聖書の暗号を「ローマ帝国の末裔と西ローマ帝国の末裔、そしてローマ教会の三者が手を結ぶ時、人類の破滅の日が訪れる」と解読したそうです。エルサレムのソロモン神殿があった場所には、イスラム教のモスク、すなわち岩のドームが覆い被さる現実は何を意味するのでしょうか?
「ワンワールド」は確かに理想なのかもしれませんが、階級・秘密主義を唱えるフリーメイソンが主導する以上、自由・平等という思想はスローガンに留まり、形骸化するのではと思われます。ましてや、その前に世界浄化が必須となれば話は別です。それよりも、世界の一人ひとりが主役であり、宗教が違ってもお互いを尊重し合い、人類全ての平和を願う「世界市民憲章」の理念の方が今の世の中にフィットするのではないでしょうか?
因みに、日本人初のフリーメイソンは、西洋哲学者の西周と明治政府の法律制定に貢献した津田真道。$1札の暗号が話題にされますが、実は日本の紙幣にも同様の暗号が仕組まれているそうです。有名なのは、千円札。野口英世の肖像画に違和感を持ちませんか?左目が異様に大きく描かれています。裏にある富士山の方から透かして見ると、山頂付近に全能の目「ルシファーの眼」が浮かび上がる仕掛けです。まさしく$1札と同じ構図。というのも、日本の初代造幣局長はトーマス・キンダーでフリーメイソンのメンバーだったそうです。と言う訳で、今でもフリーメイソンの監視下に置かれているのだとか?都市伝説の類のひとつなのでしょうけど…。 -
ドゥオーモ 内陣
2012年12月から、ドゥオーモ内での写真撮影(含、ビデオ撮影)が有料(2ユーロ)になりました。有料で写真撮影が可能な時間帯は、平日8:30〜18:30、祝祭日13:30〜17:00。時間外、またはミサなどの宗教行事中は一切撮影禁止だそうです。入口のすぐ右側に特設カウンターがあり、そこでカメラのストラップに写真のようなリボンを付けてもらいます。もちろん、フラッシュ撮影は禁止です。
全面撮影禁止にならなくてやれやれです。どんな経緯なのか不明ですが、ミサの最中に写真を撮るマナー違反者が多いことには同じカメラ愛好家として忸怩たる思いです。 -
ドゥオーモ 内陣
白亜の外観とは対照的に、薄暗い堂内に入ると静寂の中にモノトーンの荘厳な空間がどこまでも広がっています。目が慣れてまず焦点が合うのが、ステンドグラスから仄かに射し込む揺曳に映し出されたゴシック様式の典型、整然と並んだ52本の巨大な大理石の列柱。まさに「森の象徴」。それもそのはず、ゴシックとは、元々「ゴートイック(ゴート風)」という意味で森を象徴したものです。アルプス北部のゲルマン系ゴート族は、森の民と呼ばれ、立ち上がる木々と大きく張った枝葉に守られながら、あるいは森を神と対話する聖なる場所と捉えて暮らしていました。古来から受け継いだ記憶からのイメージでデザインされた建物だから、ゴシックと呼ぶのだそうです。
ドゥオーモの公式サイトのマップです。あまり役に立たないので「まっぷる」や「るるぶ」などの情報を併用されることをお勧めします。
http://www.duomomilano.it/index.php/visitare-il-duomo/mappa/mappa-del-duomo/ -
ドゥオーモ 内陣 ジャン・ジャコモ・デ・メディチの霊廟
右のトランセプト(翼廊)にはジャン・ジャコモ・デ・メディチの霊廟があります。霊廟の設計はミケランジェロが行い、制作はレオーネ・レオーニが行いました。彼は、ミケランジェロに尊敬の念を抱いていたようです。頂点にはふたりの天使が戴冠するための赤い冠を掲げている様子がなんとも微笑ましい。
因みに、ジャン・ジャコモ・デ・メディチとは、1555年にカール5世が派遣した傭兵隊長であり、教皇ピウス4世の弟でもありました。彼の指揮下の軍がシエナを征服し、シエナはメディチ家の支配となりました。
左のトランセプトには聖ジョヴァンニ・ボノの祭壇と大燭台があるはずですが、時間に追われて見逃してしまったようです。最祭壇の前にあるブロンズ製の大燭台は、12世紀にトリブルツィオによって制作され、15世紀にドゥオーモに献納されたそうです。大燭台と言われるだけあり、高さ5m程もあるそうです。 -
ドゥオーモ 内陣 『聖バーソロミュー像』
右トランセプトの左端にひとり佇むマルコ・ダグラーテ作『聖バーソロミュー像』(1562年)。イタリア語で聖バルトロメオ。かの聖人は、イエスの12使徒の一人で5人目の弟子。インド布教後、アルメニアにて殉教。その殉教の仕方が壮絶で、生きたまま生皮を剥がれ、逆さまに十字架にかけられました。この像は、自分の生皮をまるでマントのように体に巻き付けて凛と仁王立ちしています。解剖学的にも興味深いものだそうですが、表情は厳しく威厳に満ち溢れ、どこか卓越した気高さが感じ取れます。
皮革業、左官業、肉屋、装丁業、塩商人、チーズ商人の守護聖人。神経病の時にも祈願されるそうです。アトリビュートはナイフと皮膚。 殉教録によると、後に信徒がその遺骸をリパリ島に移し、次にベネベントに運んでいます。皇帝オットー3世の時にローマに移され、現在は聖バルトロメオ大聖堂に安置されています。
バチカンのシスティナ礼拝堂の「最後の審判」の中央下に抜け殻をぶらさげた人物が描かれていますが、それが聖バルトロメオです。その抜け殻の顔は、ミケランジェロの自画像と言われています。こうして見てみると、ヨーロッパの美術を堪能するにはキリスト教や聖人のアトリビュートの知識があると重宝します。もちろん直感的あるいは本能的に、純粋なアートとしての価値を語るのも一つの趣ですが…。 -
ドゥオーモ 内陣 パイプオルガン
ここにあるパイプオルガンは世界で2番目に大きく、17、950の音色を奏でるそうです。ジャンニ・ベルサーチ葬祭の際、エルトン・ジョンが颯爽と演奏したオルガンです。因みに、世界最大のものは、ドイツの聖シュテファン大聖堂にあります。 -
ドゥオーモ 内陣 主祭壇
外の雑踏をよそに、ステンドグラスから洩れるやわらかな光の揺曳に包まれる厳かな空気感に息を呑み、暫く身動きできずにその場に佇みます。クリスチャンでなくても十字を切って祈りたくなる敬虔なる異空間へ我が身を委ねます。
主祭壇は10本の巨柱と聖歌隊の木彫りの席に囲まれ、その上にはティブリオと呼ばれる白い4本の巨柱に支えられた円蓋が被さります。
内陣は五廊式で十字の形をしています。三廊式の短いトランセットと周歩廊を持つ奥行きのある内陣があり、床には、白・黒・赤の大理石を嵌め込んだペッレグリーニの端正なデザインが華やかさを演出しています。 -
ドゥオーモ 内陣 主祭壇
祭壇の向こうには、クルミの木でできた繊細な彫刻の施された聖歌隊席が並んでいます(1570〜1590年 ペレグリーノ・ティバルディ作)。祭壇部分にはミラノの守護神アンブロージョの像があり、ブロンズ製の香炉も何か特別のもののように映ります。
祭壇の地下には16世紀の大司教カルロボッロメオの遺骨を祀った礼拝堂とそれに隣接して宝物庫があります。 -
ドゥオーモ 内陣 主祭壇
主祭壇の上には赤いランプが下げられ、キリスト磔刑に使われた聖釘が十字架の形をした金箔の覆いが施された銅製の聖櫃に納められています。よく言われるのは、いったい何本の聖釘が存在するのかということです。初期のキリスト磔刑図では4本ですが、中世には三位一体に関連付けて3本になります。伝説では、皇帝コンスタンティヌスの母親ヘレナ太后が、300年頃にキリスト磔刑の十字架と聖釘を発見し、ローマへ持ち帰えります。彼女は、聖釘の1本を海を鎮めるためアドリア海へ投げ込み、残りの2本はコンスタンティヌス帝の護身に使いました。そのうちの1本はヘルメットに組込まれ、もう1本は馬勒に造り直されました。後者がミラノの聖釘だと伝えられます。しかし、今日世界中で36本を超える聖釘が崇拝の対象となっているそうです。ローマ聖十字架教会、シエナ、アーヘン、パリ、プラハ、ウィーン…に存在します。カルパントラの聖釘は、ミラノ同様に馬勒形をしています。このように聖釘の数が増えていった背景には、往時聖釘を忠実に複製したものは、本物の聖釘と同等の力を持つと信じられていたためだそうです。
十字架を取り巻く円から放射されるくねくねした髭のようなものは、太陽の周りに見えるコロナを象っているのでしょうね。これで、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の天井の模様にも合点がいきました。 -
ドゥオーモ 後陣
後陣には聖書を題材にしたステンドグラスがあり、右は新約聖書、中央は黙示録、左には旧約聖書の物語が描かれています。壮大な空間に漂う神秘的な静謐さは、訪れる人の心を癒してくれます。写真は右側の新約聖書のステンドグラスです。
ミラノに侵攻したナポレオンは、この大聖堂で戴冠式を行いました。祝砲を景気よく打ち上げた時、その衝撃波でこの後陣右側の新約聖書のステンドグラスが破損したそうです。
衝撃波と言えば、2013年2月15日にロシアのウラル地方チェリャビンスク州に隕石が落ち、1000人以上が負傷したのが思い起こされます。素朴な疑問ですが、隕石をいち早く発見し、軌道修正や爆破することはできないものでしょうか?確かSF映画であったような?NASAは、ロボット探査機を惑星に送って大型小惑星を早期に発見するプロジェクを進めているそうです。もし、「惑星キラー」を発見できれば、数十年あるいは数世紀の時間的猶予が得られるそうです。しかし、喫緊の課題は今回の隕石のような「都市キラー」。すなわち、既存技術で発見するには小さすぎ、しかも甚大な被害をもたらす隕石。課題克服には、巨大観測システムとその脅威に対処する方策が必須。つまり隕石の軌道を変える技術です。この範疇なら、近未来にNASA中心に何とかしてくれるのではないでしょうか?
因みに、アポロ11号の乗組員は、1969年に月面から帰還する際、「全人類を代表し、平和のうちに来れり」と記されたプレートを残してきました。米国とNASAは今、その言葉を証明する千載一遇の機会を手にしている様な気がします。
ところで、ロシアに落ちた隕石は地上に達するまでに空中分解しため被害が最小限に留まったのですが、映像を分析した結果、後方から何かが隕石を貫通したために分解したと言われています。隕石の速度はマッハ52と推定されていますので、それを超える速度で飛ぶ物体を創造するのは現在の科学では困難です。ロケットでさえマッハ20程度です。まさしく、未確認飛行物体(UFO)としか言いようがありません。そしてその目的は???信じるか、信じないかは貴方次第です。 -
ドゥオーモ 後陣
中央の黙示録のステンドグラスです。
上部中央には太陽のシンボルが輝き、存在感を顕にしています。
帰国後に知ったのですが、後陣へは入場料を支払えば入れるそうです。それで、ちらほら人影が見えたのですね。プレミアム・ツアーだとばかり思っていました。でも、時間的に立ち寄る余裕はなかったです。 -
ドゥオーモ 後陣
左の旧約聖書のステンドグラスです。 -
ドゥオーモ 内陣
まるで絵画のようなステンドグラス。
聖母被天昇がモチーフです。光を放つ聖母マリアが、一際、目を惹きつけます。 -
ドゥオーモ 内陣
意味深長なステンドグラスがありました。頂点には、フリーメイソンやイルミナティのシンボルであるプロビデンスの眼(ルシファーの眼)を彷彿とさせる『眼』。そこから180度回転した真下には、聖霊の『鳩』が枝をくわえています。その円の中心には、十字架を斜めに走る『A、Ω(Z)=誕生から死』のシンボル文字。中段にはキリスト教のシンボルで『最後の晩餐』にも描かれた魚が4尾。右下は聖ヨハネのアトリビュートか、あるいはローマ帝国の国章を表す鷲でしょうか?
恐らく、中世は識字率が低く、一般信者に視覚的にこれらのステンドグラスを使って聖書の教えを説いていたのでしょう。
ステンドグラスに気を取られている間にすっかり時間が落ちてしまいました。とても30分では回りきれません。後ろ髪を引かれながら、集合場所のスカラ座前へ急ぎます。 -
スカラ広場
こちらのトラムの車体は、アメリカで普及したPeter Wittスタイルの欧州バージョンだそうです。ミラノ市内のクラシックな建物ともしっくり調和してます。
バスでランチ会場まで移動です。 -
ミラノ風リゾット(Risotto alla Milanese)
サフランの香りとパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズ味の黄金色のリゾット。14世紀にドゥオーモのステンドグラスを作っていたガラス職人ヴァレリオの娘プルデンシアの結婚祝の料理の一品に、ヴァレリオの助手がガラス細工に用いる彩色技術を応用してサフランをリゾットに入れたのが起源だそうです。お米の芯が少し残るくらいが本場の味だそうです。昔は金粉をかけて食べていたそうですが、さてそのお味は?
食事の際の飲み代はバカにできません。塵も積もれば何とかです。主人はもっぱら小ビール(ビッラ、ピッコロ Birra、piccolo)、当方はオレンジジュース(アランチャータ Aranciata)やスプライトを注文しましたが、ミネラル・ウォーター(ラックア ミネラーレ ナトラーレ L'acqua minerale naturale)でも3ユーロを下りません。ワイン(ヴィーノ Vino)と変わらない値段の場合もありました。現金払いですので、ユーロの手持ちが少ないと気持ちに余裕がなくなります。 -
ミラノ風カツレツ(Costolette/Cotolette alla Milanese)
叩いて薄くした仔牛肉にパン粉を付け、油で揚げると言うよりフライパンで焼くように料理されたもの。ミラネーゼは、「象の耳」と呼ぶそうで、『とんかつ』のルーツです。因みに、『とんかつ』の名を初めて使ったのは、1871年、上野『ぽんち軒』。『とんかつ』は明治初期に誕生し、今や「和食」になって久しいですが、これは「和魂洋才」のひとつに数えられると思います。ミラノ風カツレツは、中東からスペイン経由でイタリアに伝わったとされています。それなら、スペインから中東にかけてミラノ風カツレツの原型となる料理があるはずです。 しかし、同料理のスペイン名はミラネサと言い、起源はアルゼンチンです。そして、アルゼンチンのミラネサの起源は、なんとミラノ風カツレツと伝えられています。なんだか、話が錯綜してきました。 これらの情報を紡いで、想定される3つの起源をまとめます。
① 中東から直接ミラノに伝わった
② ヨーロッパ住在のアラブ人からミラノに伝わった
③ ミラノがルーツ
ランチを摂った後は、バスでヴェローナへ向います。続きは、②ヴェローナ編で紹介いたします。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Bachさん 2015/11/13 20:58:39
- 素晴らしい写真と文章力に感嘆です。
- 先日行ったイタリア旅行記をまとめる際に拝見しました。
写真も文章も情報収集力もレベルの高さに感心しきりです。
特に、団体ツアーでここまポイントをはずさずに的確に撮影しているのは素晴らしい。また、20%の青の洞窟には残念ながら行けなかったので、羨ましい限りです。
他の旅行記もいろいろ参考にさせてもらいますので、よろしくお願いします。
- montsaintmichelさん からの返信 2015/11/14 10:00:15
- RE: 素晴らしい写真と文章力に感嘆です。
- Bachさん、こんにちは!
旅行記にアクセスいただきありがとうございました。また、過分なお褒めの言葉をいただき恐縮しております。
備忘録を兼ねた旅行ブログとした始めたのもですが、これから旅行へ行かれる方や旅行記を書かれる方の参考になれば幸甚です。
イタリア旅行記のアップを楽しみにしております。
montsaintmichel
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- spumamiさん 2013/06/09 23:17:38
- ガイド
- はじめまして、spumamiといいます。
時間に制限のあるツアー旅行が苦手でいつも一人旅をしていますが、
専門の知識のある人と回った方が、色んなことを知れて感動も一入とは思っています。
詳細に書いて下さっている説明は、とても有難いです。
追々拝読させて頂き、知識をいただきます。(ずうずうしいですね)
またお邪魔します。
取り急ぎ、お礼まで。
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