ベローナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ミラノを発ち、一路、古都ヴェローナへ160kmのドライブです。<br />ヴェローナはヴェネト州ヴェローナ県の県都で人口25万人。現在は、農業の集散地として、また商・工業(靴の生産量はイタリアNo.1)が栄えています。音楽家としてはサリエリなどを排出し、彼の薫陶を受けた生徒にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどがいます。中世の香りと風情に包まれ、ロマンチックな雰囲気が漂う美しい都市です。古代ローマ時代の遺跡と言えばローマのコロッセオが有名ですが、旧ローマ帝国領域にはそれ以外にヴェローナ、ポンペイなどにも遺跡があります。ヴェローナは、こうした古代・中世の史跡を重層的に今に遺す都市のひとつで、市街は2000年に世界文化遺産に登録されています。<br /><br />ヴェローナ観光マップは次のサイトのものが使い易かったです。<br />http://kazu37.web.fc2.com/italy-trip/verona/album.html<br /><br /><日程><br />5月2日:出発(関空~ローマ経由ミラノ)アリタリア航空(AZ793便)<br />     アタホテル クァーク宿泊<br />5月3日:午前 ミラノ観光<br />     サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会『最後の晩餐』観賞<br />     スカラ座→ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード→ <br />     ドゥオーモ(自由見学)→ランチ後ヴェローナへ(160km)<br />     午後 ヴェローナ観光<br />     カステル・ヴェッキオ→ブラ広場(アレーナ)→エルベ広場→<br />     シニョーリア広場→スカラ家の廟→ジュリエットの家→<br />     レオーニ門→地下遺跡→ヴェネツィアへ移動(115km)<br />     アマデウス(ヴェネツィア本島)宿泊<br />5月4日:ヴェネツィア観光<br />     クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (フィレンツェ:2連泊)<br />5月5日:午前 フィレンツェ観光<br />     午後 ピサへ移動(80km)<br />     クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (フィレンツェ:2連泊)<br />5月6日:午前 フリータイム(ドゥオーモまで団体行動)<br />     午後 イタリア版新幹線「イタロ」でナポリへ<br />     ホリディイン・ナポリ宿泊<br />5月7日:アマルフィ海岸ドライブ(3時間半)<br />     水中翼船でカプリ島へ移動<br />     レジーナ・クリスティーナ宿泊(カプロ島)<br />5月8日:カプリ島観光<br />     ナポリ港着後、ローマへバスで移動<br />     シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)<br />5月9日:ローマ市内観光<br />     シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)<br />5月10日:午前 ローマ市内観光<br />     観光後、ローマ空港へ<br />     アリタリア航空(AZ792便)で一路関空へ <br />5月11日:関空着<br /><br />

ときめきのイタリア周遊②ヴェローナ編

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2013/05/02 - 2013/05/11

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54

montsaintmichel

montsaintmichelさん

ミラノを発ち、一路、古都ヴェローナへ160kmのドライブです。
ヴェローナはヴェネト州ヴェローナ県の県都で人口25万人。現在は、農業の集散地として、また商・工業(靴の生産量はイタリアNo.1)が栄えています。音楽家としてはサリエリなどを排出し、彼の薫陶を受けた生徒にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどがいます。中世の香りと風情に包まれ、ロマンチックな雰囲気が漂う美しい都市です。古代ローマ時代の遺跡と言えばローマのコロッセオが有名ですが、旧ローマ帝国領域にはそれ以外にヴェローナ、ポンペイなどにも遺跡があります。ヴェローナは、こうした古代・中世の史跡を重層的に今に遺す都市のひとつで、市街は2000年に世界文化遺産に登録されています。

ヴェローナ観光マップは次のサイトのものが使い易かったです。
http://kazu37.web.fc2.com/italy-trip/verona/album.html

<日程>
5月2日:出発(関空~ローマ経由ミラノ)アリタリア航空(AZ793便)
     アタホテル クァーク宿泊
5月3日:午前 ミラノ観光
     サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会『最後の晩餐』観賞
     スカラ座→ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード→ 
     ドゥオーモ(自由見学)→ランチ後ヴェローナへ(160km)
     午後 ヴェローナ観光
     カステル・ヴェッキオ→ブラ広場(アレーナ)→エルベ広場→
     シニョーリア広場→スカラ家の廟→ジュリエットの家→
     レオーニ門→地下遺跡→ヴェネツィアへ移動(115km)
     アマデウス(ヴェネツィア本島)宿泊
5月4日:ヴェネツィア観光
     クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (フィレンツェ:2連泊)
5月5日:午前 フィレンツェ観光
     午後 ピサへ移動(80km)
     クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (フィレンツェ:2連泊)
5月6日:午前 フリータイム(ドゥオーモまで団体行動)
     午後 イタリア版新幹線「イタロ」でナポリへ
     ホリディイン・ナポリ宿泊
5月7日:アマルフィ海岸ドライブ(3時間半)
     水中翼船でカプリ島へ移動
     レジーナ・クリスティーナ宿泊(カプロ島)
5月8日:カプリ島観光
     ナポリ港着後、ローマへバスで移動
     シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月9日:ローマ市内観光
     シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月10日:午前 ローマ市内観光
     観光後、ローマ空港へ
     アリタリア航空(AZ792便)で一路関空へ 
5月11日:関空着

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • バスはミラノを州都とするロンバルディア州を東へ走ります。北にアルプス連邦が聳え、その手前には雄大なロンバルディア平原がどこまでも広がっています。その平原を押し分けてアルプス連邦を水源とするイタリアで一番長いポー川が西から東へと悠々と流れていきます。<br /><br />バスに2時間程(160km)揺られ、ヴェネト州に入ってまもなくヴェローナに到着。古代ローマ時代から主要な3つの道路、トリノとアクイレィアを結ぶ【ガッリア街道】、アルプスとリグリアを結ぶ【ポストゥミア街道】、ローマとチロル地方を結ぶ【アウグスタ街道】が交差し、交通の要衝として栄えました。ヴェローナは、12世紀初頭にコムーネ(都市国家)になり、今日では「ロミオとジュリエット」の舞台となった町として有名です。イタリアの都市は古代あるいは中世の城壁で囲まれていることが多いのですが、この町も城壁と蛇行するイタリアで2番目に長いアディジェ川に囲まれています。アディジェ川はその源をオーストリアへ抜けるブレンナー峠に発し、アドリア海へと注ぎ込みます。因みに、3番目はテヴェレ川。<br /> <br />

    バスはミラノを州都とするロンバルディア州を東へ走ります。北にアルプス連邦が聳え、その手前には雄大なロンバルディア平原がどこまでも広がっています。その平原を押し分けてアルプス連邦を水源とするイタリアで一番長いポー川が西から東へと悠々と流れていきます。

    バスに2時間程(160km)揺られ、ヴェネト州に入ってまもなくヴェローナに到着。古代ローマ時代から主要な3つの道路、トリノとアクイレィアを結ぶ【ガッリア街道】、アルプスとリグリアを結ぶ【ポストゥミア街道】、ローマとチロル地方を結ぶ【アウグスタ街道】が交差し、交通の要衝として栄えました。ヴェローナは、12世紀初頭にコムーネ(都市国家)になり、今日では「ロミオとジュリエット」の舞台となった町として有名です。イタリアの都市は古代あるいは中世の城壁で囲まれていることが多いのですが、この町も城壁と蛇行するイタリアで2番目に長いアディジェ川に囲まれています。アディジェ川はその源をオーストリアへ抜けるブレンナー峠に発し、アドリア海へと注ぎ込みます。因みに、3番目はテヴェレ川。
     

  • カステル・ヴェッキオ(古い城)とスカリジェッロ橋<br />アディジェ川岸に停まったバスを降りると、おとぎの国のような風景が目に飛び込んできます。<br />城壁と橋と城とが一体となった特異な様相は、13〜14世紀にヴェローナを支配したスカラ家の暴君カングランデ2世の居城。市民を守る要塞ではなく、むしろ市民に対して築かれた要塞で、その威圧的な面構えに中世にタイムスリップしたようなトランス状態に陥ります。一方、芸術文化面ではスカラ家を中心に開花し、多くの教会や広場が新築、復元されました。その後、ミラノのヴィスコンティ家、ヴェネツィア共和国、フランスのナポレオン、オーストリアと時代によって支配者が移り変わり、時代に翻弄されてきました。カステル・ヴェッキオは現在市立博物館として利用されています。<br />

    カステル・ヴェッキオ(古い城)とスカリジェッロ橋
    アディジェ川岸に停まったバスを降りると、おとぎの国のような風景が目に飛び込んできます。
    城壁と橋と城とが一体となった特異な様相は、13〜14世紀にヴェローナを支配したスカラ家の暴君カングランデ2世の居城。市民を守る要塞ではなく、むしろ市民に対して築かれた要塞で、その威圧的な面構えに中世にタイムスリップしたようなトランス状態に陥ります。一方、芸術文化面ではスカラ家を中心に開花し、多くの教会や広場が新築、復元されました。その後、ミラノのヴィスコンティ家、ヴェネツィア共和国、フランスのナポレオン、オーストリアと時代によって支配者が移り変わり、時代に翻弄されてきました。カステル・ヴェッキオは現在市立博物館として利用されています。

  • スカリジェッロ橋<br />上の写真の橋です。アルセナーレ公園側からアプローチします。橋の端っこに置かれていたレリーフが彫られた石柱です。ガイドさんも何の説明もなく素通りしましたが、ネットで検索しても何もヒットしませんでした。時代的には相当古いような気もしますが、博物館が併設されているのでオリジナルではないのかも???<br />でも割れや欠けがあるので本物のような…。<br />心無い人による落書きも見られます。

    スカリジェッロ橋
    上の写真の橋です。アルセナーレ公園側からアプローチします。橋の端っこに置かれていたレリーフが彫られた石柱です。ガイドさんも何の説明もなく素通りしましたが、ネットで検索しても何もヒットしませんでした。時代的には相当古いような気もしますが、博物館が併設されているのでオリジナルではないのかも???
    でも割れや欠けがあるので本物のような…。
    心無い人による落書きも見られます。

  • スカリジェッロ橋<br />白い石と赤い煉瓦の調和が美しい三重橋。当たり前のことですが、影もボーダーになっているのが面白いです。カステル・ヴェッキオと同時期に建造され、市民が暴動を起こした際、ヴェッキオ城からアディジェ川の反対側に逃げるルートを確保する目的で架けられました。第二次世界大戦下の1945年、退却するドイツ軍によって爆破されましたが、その後市民の手で石の断片を川底から拾い集めて昔ながらの姿に架け直されたそうです。<br /><br />遥か先を一人歩くのは現地のガイドさんです。皆さん写真撮影に忙しく、全く歩が追いついていません。こんなに離れていても説明が聞こえるのはイヤホーンガイドのおかげです。でも声が聞こえると思って油断すると迷子になりますので注意が必要です。

    スカリジェッロ橋
    白い石と赤い煉瓦の調和が美しい三重橋。当たり前のことですが、影もボーダーになっているのが面白いです。カステル・ヴェッキオと同時期に建造され、市民が暴動を起こした際、ヴェッキオ城からアディジェ川の反対側に逃げるルートを確保する目的で架けられました。第二次世界大戦下の1945年、退却するドイツ軍によって爆破されましたが、その後市民の手で石の断片を川底から拾い集めて昔ながらの姿に架け直されたそうです。

    遥か先を一人歩くのは現地のガイドさんです。皆さん写真撮影に忙しく、全く歩が追いついていません。こんなに離れていても説明が聞こえるのはイヤホーンガイドのおかげです。でも声が聞こえると思って油断すると迷子になりますので注意が必要です。

  • スカリジェッロ橋からのサン・ゼーノ・マッジョーレ教会(西側)<br />サン・ゼーノ・マッジョーレ教会は、アディジェ川のほとりに佇む教会。現在の建物は12世紀に完成したものです。赤茶けた煉瓦色の外観が古風な面持ちで、ヴェローナの街にとても似合っています。この教会は、イタリアにあるロマネスク様式の教会の三大傑作のうちのひとつに数えられます。因みに、残りの2つは、モデナにあるドゥオーモとピアチェンツァのドゥオーモ。<br />教会の名に冠された聖ゼーノは、北アフリカで生まれて第8代のヴェローナ司教となり、町全体をキリスト教に改宗させたとされる4世紀の人物で、ヴェローナの守護聖人でもあります。<br />

    スカリジェッロ橋からのサン・ゼーノ・マッジョーレ教会(西側)
    サン・ゼーノ・マッジョーレ教会は、アディジェ川のほとりに佇む教会。現在の建物は12世紀に完成したものです。赤茶けた煉瓦色の外観が古風な面持ちで、ヴェローナの街にとても似合っています。この教会は、イタリアにあるロマネスク様式の教会の三大傑作のうちのひとつに数えられます。因みに、残りの2つは、モデナにあるドゥオーモとピアチェンツァのドゥオーモ。
    教会の名に冠された聖ゼーノは、北アフリカで生まれて第8代のヴェローナ司教となり、町全体をキリスト教に改宗させたとされる4世紀の人物で、ヴェローナの守護聖人でもあります。

  • スカリジェッロ橋からビィットリーア橋方面の眺望(東側)<br />右端にあるのがヴェローナのランドマークのランベルディの塔、中央がサンタ・エウフェミア教会の鐘楼です。<br />因みに、ジュリエットの誕生日は「サンタ・エウフェミア ( Sant’Eufemia )」の日、つまり9月16日だそうです。

    スカリジェッロ橋からビィットリーア橋方面の眺望(東側)
    右端にあるのがヴェローナのランドマークのランベルディの塔、中央がサンタ・エウフェミア教会の鐘楼です。
    因みに、ジュリエットの誕生日は「サンタ・エウフェミア ( Sant’Eufemia )」の日、つまり9月16日だそうです。

  • カステル・ヴェッキオ<br />ランゴバルド王朝時代から17世紀にいたるまでの絵画、彫刻、工芸品を収めた博物館と中庭です。左端のテラスには、白いカングランデ1世の騎馬像が窺えます。

    カステル・ヴェッキオ
    ランゴバルド王朝時代から17世紀にいたるまでの絵画、彫刻、工芸品を収めた博物館と中庭です。左端のテラスには、白いカングランデ1世の騎馬像が窺えます。

  • カステル・ヴェッキオ 跳ね橋<br />こうして眺めると、6つの見張り塔とそれらを連結する胸壁と跳ね橋を備えた典型的な実戦用の城だと判ります。<br />元はアディジェ川の水を引き入れた堀が存在していたようですが、道路拡張の憂き目にあって埋め立てられたそうです。復原された跳ね橋を渡ってお城から外部へ出られます。こちら側はヴェローナ市街地ですので、市民に向けられた要塞という表現をこの跳ね橋が如実に物語っています。

    カステル・ヴェッキオ 跳ね橋
    こうして眺めると、6つの見張り塔とそれらを連結する胸壁と跳ね橋を備えた典型的な実戦用の城だと判ります。
    元はアディジェ川の水を引き入れた堀が存在していたようですが、道路拡張の憂き目にあって埋め立てられたそうです。復原された跳ね橋を渡ってお城から外部へ出られます。こちら側はヴェローナ市街地ですので、市民に向けられた要塞という表現をこの跳ね橋が如実に物語っています。

  • カステル・ヴェッキオの時計塔<br />煉瓦造りに昔日の風情を感じさせるものがあります。2面しか見ていませんが、2面とも時計が付けられています。察するに、贅沢にも全面に時計が付けられているのでしょうか?確かめてみたくなりますね?<br />

    カステル・ヴェッキオの時計塔
    煉瓦造りに昔日の風情を感じさせるものがあります。2面しか見ていませんが、2面とも時計が付けられています。察するに、贅沢にも全面に時計が付けられているのでしょうか?確かめてみたくなりますね?

  • ガヴィ門 <br />カステル・ヴェッキオのすぐ隣にある門。ローマ時代、ヴェローナで力を持っていたガヴィ家によって建てられたもので、紀元前1世紀の建物です。往時は公共の場に建てられていましたが、1932年に通行の妨げになるとしてこの場所に移設されました。門には、その出来映えによほど自信があったのか、建築家のサインが2ヶ所に彫られているそうです。門の下の道路も門と一緒にこの場所に移されたので、ローマ時代の荷車の轍跡がはっきりと残されているそうです。<br />ここからモレッテ通り〜ローマ通りを経てアレーナのあるブラ広場へ歩を進めます。<br />

    ガヴィ門
    カステル・ヴェッキオのすぐ隣にある門。ローマ時代、ヴェローナで力を持っていたガヴィ家によって建てられたもので、紀元前1世紀の建物です。往時は公共の場に建てられていましたが、1932年に通行の妨げになるとしてこの場所に移設されました。門には、その出来映えによほど自信があったのか、建築家のサインが2ヶ所に彫られているそうです。門の下の道路も門と一緒にこの場所に移されたので、ローマ時代の荷車の轍跡がはっきりと残されているそうです。
    ここからモレッテ通り〜ローマ通りを経てアレーナのあるブラ広場へ歩を進めます。

  • ブラ広場 ガリエヌスの城壁<br />前方に見えるアーチは、ブラ広場への入口となる門。実はこの門、かつての城壁に豪快に穴を開けものだそうです。265年にローマ皇帝ガリエヌスが築いた城壁で、中世の時代に修復されたものです。ヴェネツィア共和国の支配下になってさらに広範囲に城壁が造られ、このガリエヌスの城壁は無用になり、今では途切れ途切れに残っているそうです。城壁にしては少し厚さが物足りないような気もするのですが、往時はこれで充分だったのでしょうね。<br /><br />

    ブラ広場 ガリエヌスの城壁
    前方に見えるアーチは、ブラ広場への入口となる門。実はこの門、かつての城壁に豪快に穴を開けものだそうです。265年にローマ皇帝ガリエヌスが築いた城壁で、中世の時代に修復されたものです。ヴェネツィア共和国の支配下になってさらに広範囲に城壁が造られ、このガリエヌスの城壁は無用になり、今では途切れ途切れに残っているそうです。城壁にしては少し厚さが物足りないような気もするのですが、往時はこれで充分だったのでしょうね。

  • ブラ広場 ディエートロ・アンフィテアートロ通り<br />広場の西側にはカラフルな色彩のバールが軒を連ね、市民憩いの場所となっています。どことなくフランスのオンフルールを彷彿とさせる色彩的景観です。<br />バールに腰かけ、のんびりと昼下がりのひとときを満喫できれば最高なんですが…。

    ブラ広場 ディエートロ・アンフィテアートロ通り
    広場の西側にはカラフルな色彩のバールが軒を連ね、市民憩いの場所となっています。どことなくフランスのオンフルールを彷彿とさせる色彩的景観です。
    バールに腰かけ、のんびりと昼下がりのひとときを満喫できれば最高なんですが…。

  • ブラ広場<br />ここにもヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が佇みます。1861年にイタリアを統一し、初代国王になった人。ミラノにもこの国王を讃えたガッレリアや騎馬像がありました。<br /><br />ここでガイドさんがジェラートの買い方をレクチャーしてくれました。<br />まず、コーンかカップか、次にサイズを小・中・大から選びます。コーンの小なら、「ウン・コーノ・ピッコロ、ペル・ファヴォーレ」。カップなら、「コッパ」。<br />次にフレーバーを決めます。これは指差しで、「クアンテ・エ・クアンテ(これとこれ)」と2種類指します。好みにもよりますが、ピスタッキオとリモーネ(レモン)はお勧めです。<br />因みに、当方が食べているのは、ピスタッキオです。コクがあり、美味しかったです。

    ブラ広場
    ここにもヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が佇みます。1861年にイタリアを統一し、初代国王になった人。ミラノにもこの国王を讃えたガッレリアや騎馬像がありました。

    ここでガイドさんがジェラートの買い方をレクチャーしてくれました。
    まず、コーンかカップか、次にサイズを小・中・大から選びます。コーンの小なら、「ウン・コーノ・ピッコロ、ペル・ファヴォーレ」。カップなら、「コッパ」。
    次にフレーバーを決めます。これは指差しで、「クアンテ・エ・クアンテ(これとこれ)」と2種類指します。好みにもよりますが、ピスタッキオとリモーネ(レモン)はお勧めです。
    因みに、当方が食べているのは、ピスタッキオです。コクがあり、美味しかったです。

  • ブラ広場 ディエートロ・アンフィテアートロ通り<br />円弧を描いて立ち並ぶ建屋のひとつには、ブロンズの像が掲げられています。大理石には「子供たちへ」というメッセージが書かれています。<br />左下にはサヴォイア王朝の「十字の紋章」、右下にはスカラ家の「階段の紋章」が見られるので、スカラ家所縁のモニュメントなのでしょう。

    ブラ広場 ディエートロ・アンフィテアートロ通り
    円弧を描いて立ち並ぶ建屋のひとつには、ブロンズの像が掲げられています。大理石には「子供たちへ」というメッセージが書かれています。
    左下にはサヴォイア王朝の「十字の紋章」、右下にはスカラ家の「階段の紋章」が見られるので、スカラ家所縁のモニュメントなのでしょう。

  • アレーナ(円形闘技場)<br />紀元前1世紀、アウグストゥス帝時代から遺るもので、かつては3万人の観客が唯一の娯楽と称して悪趣味な「殺戮ゲーム」を楽しんだ場所。現在は地震で外周部分が壊れたために2万人しか収容できませんが、今でも夏には野外オペラが上演されています。<br />大きさではローマのコロッセオに及ばないものの、創建年代はコロッセオより古いそうです。旧ローマ帝国領域内にアレーナは60箇所程残っていますが、ここは最も保存状態がいいそうです。<br />元は人や獣が闘った闘技場で、「アレーナ」とは流血を吸わせるための「砂」を意味する言葉だそうです。今では普通に横浜アリーナとかアリーナ席と言いますが、語源を知るとなんだかなぁ〜と思ってしまいます。<br />

    アレーナ(円形闘技場)
    紀元前1世紀、アウグストゥス帝時代から遺るもので、かつては3万人の観客が唯一の娯楽と称して悪趣味な「殺戮ゲーム」を楽しんだ場所。現在は地震で外周部分が壊れたために2万人しか収容できませんが、今でも夏には野外オペラが上演されています。
    大きさではローマのコロッセオに及ばないものの、創建年代はコロッセオより古いそうです。旧ローマ帝国領域内にアレーナは60箇所程残っていますが、ここは最も保存状態がいいそうです。
    元は人や獣が闘った闘技場で、「アレーナ」とは流血を吸わせるための「砂」を意味する言葉だそうです。今では普通に横浜アリーナとかアリーナ席と言いますが、語源を知るとなんだかなぁ〜と思ってしまいます。

  • アレーナ(円形闘技場)<br />古代戦士の仮装をした人があちこちにたむろしています。善意で写真を取らせてくれる訳ではありませんので注意が必要です。とんでもない料金を吹っかけられることもあるのだとか…。

    アレーナ(円形闘技場)
    古代戦士の仮装をした人があちこちにたむろしています。善意で写真を取らせてくれる訳ではありませんので注意が必要です。とんでもない料金を吹っかけられることもあるのだとか…。

  • ジュゼッペ・マッジーニ通り<br />このような細い通りですが、ヴェローナで屈指の繁華街。古風な建物が立ち並んでいますが、1階はモダンな店舗が軒を連ね、ブランドショップが控えるという異次元の世界です。この通りを抜けた所がカッペッロ通り。そこを左へ曲がるとエルベ広場にでます。<br />正面にはヴェローナのランドマークであるランベルディーの塔が見えます。

    ジュゼッペ・マッジーニ通り
    このような細い通りですが、ヴェローナで屈指の繁華街。古風な建物が立ち並んでいますが、1階はモダンな店舗が軒を連ね、ブランドショップが控えるという異次元の世界です。この通りを抜けた所がカッペッロ通り。そこを左へ曲がるとエルベ広場にでます。
    正面にはヴェローナのランドマークであるランベルディーの塔が見えます。

  • ジュゼッペ・マッジーニ通り<br />ヴェローナとは、「浅瀬と丘」と云う2つの言葉に由来し、遥かな昔、この一帯は海面下にあったそうです。当地で産出される大理石の中にアンモナイトなどの貝化石が発見されることも珍しくないそうです。足元に大きなアンモナイトの化石を発見できるかもしれません。<br />

    ジュゼッペ・マッジーニ通り
    ヴェローナとは、「浅瀬と丘」と云う2つの言葉に由来し、遥かな昔、この一帯は海面下にあったそうです。当地で産出される大理石の中にアンモナイトなどの貝化石が発見されることも珍しくないそうです。足元に大きなアンモナイトの化石を発見できるかもしれません。

  • 狼の乳を飲むロムルスとレムスの像<br />ローマ帝国建国の伝説を彫像にしたもの。王位継承の絡みで、レアと軍神マルスの双子、兄ロムルスと弟レムスが叔父アムリウスによって籠に入れられてテヴェレ川に流されます。岸辺に流れ着いた2人は雌狼の乳をもらって育ち、その後牧人の老夫婦が不思議な2人を見つけて成人させます。そして、神意によって出生の秘密を知り、アムリウスを倒してローマを建国したと伝えられています。そのため、イタリア国内ではこの像が至る所で見られます。<br />互いにローマ建国に協力し合った双子兄弟ですが、何処に本拠地を置くかで喧嘩になり、ロムルスはレムスを殺してしまったそうです。

    狼の乳を飲むロムルスとレムスの像
    ローマ帝国建国の伝説を彫像にしたもの。王位継承の絡みで、レアと軍神マルスの双子、兄ロムルスと弟レムスが叔父アムリウスによって籠に入れられてテヴェレ川に流されます。岸辺に流れ着いた2人は雌狼の乳をもらって育ち、その後牧人の老夫婦が不思議な2人を見つけて成人させます。そして、神意によって出生の秘密を知り、アムリウスを倒してローマを建国したと伝えられています。そのため、イタリア国内ではこの像が至る所で見られます。
    互いにローマ建国に協力し合った双子兄弟ですが、何処に本拠地を置くかで喧嘩になり、ロムルスはレムスを殺してしまったそうです。

  • カッペッロ通り<br />カッペッロ通りにでると大道芸人がパフォーマンスを披露していました。どんな仕掛けなのか、一本の棒の上に女性がこのような姿勢で身動きもせずに長時間座っています。<br />どんな仕掛けなのか判りますか?片手で人を支えているように見えますが、実は袖の中と服の中に鉄棒が入っていてそれが人を支えているのです。<br />これで一日にどれくらいの儲けになるのでしょうか?まじめに働いた方が分がいいのでは?と思うのは当方だけではないように思うのですが…。<br /><br />カッペッロ通りを左に折れ、エルベ広場へと向かいます。ここを右に進むと、間もなく、古い23番パラッツォ(宮殿)である「ジュリエットの家」が左手アーチの奥に見えます。<br />

    カッペッロ通り
    カッペッロ通りにでると大道芸人がパフォーマンスを披露していました。どんな仕掛けなのか、一本の棒の上に女性がこのような姿勢で身動きもせずに長時間座っています。
    どんな仕掛けなのか判りますか?片手で人を支えているように見えますが、実は袖の中と服の中に鉄棒が入っていてそれが人を支えているのです。
    これで一日にどれくらいの儲けになるのでしょうか?まじめに働いた方が分がいいのでは?と思うのは当方だけではないように思うのですが…。

    カッペッロ通りを左に折れ、エルベ広場へと向かいます。ここを右に進むと、間もなく、古い23番パラッツォ(宮殿)である「ジュリエットの家」が左手アーチの奥に見えます。

  • エルベ広場<br />一番手前にはアンティーカの石柱。正面奥には6体のギリシャの神々の像が屋上に建つマッフェイ宮殿が構えます。白いテントの屋台が所狭しと立ち並び、活気に溢れた広場です。中には新鮮な野菜を売る店もあります。実は、エルベとは野菜を意味します。<br />広場の周囲には14〜17世紀に建てられた屋敷が並び、今でも人が暮らしています。因みに、広場の地下3.5mには、古代ローマ時代からこの場所にあった公共市場の遺跡が永遠の眠りに就いているそうです。<br />

    エルベ広場
    一番手前にはアンティーカの石柱。正面奥には6体のギリシャの神々の像が屋上に建つマッフェイ宮殿が構えます。白いテントの屋台が所狭しと立ち並び、活気に溢れた広場です。中には新鮮な野菜を売る店もあります。実は、エルベとは野菜を意味します。
    広場の周囲には14〜17世紀に建てられた屋敷が並び、今でも人が暮らしています。因みに、広場の地下3.5mには、古代ローマ時代からこの場所にあった公共市場の遺跡が永遠の眠りに就いているそうです。

  • マッフェイ宮殿(エルベ広場の正面)<br />広場の奥には17世紀に建てられた典型的なバロック様式の豪華な宮殿があります。ローマ時代、現在宮殿がある場所には大きな神殿がありました。この神殿の跡にヴェローナの貴族マッフェィ家によりこの宮殿が建てられました。宮殿の上部には、ローマ神話の神々の石像が施されています。現在、この建物はレストランや店舗、アパートとして使用されています。<br /><br />

    マッフェイ宮殿(エルベ広場の正面)
    広場の奥には17世紀に建てられた典型的なバロック様式の豪華な宮殿があります。ローマ時代、現在宮殿がある場所には大きな神殿がありました。この神殿の跡にヴェローナの貴族マッフェィ家によりこの宮殿が建てられました。宮殿の上部には、ローマ神話の神々の石像が施されています。現在、この建物はレストランや店舗、アパートとして使用されています。

  • エルベ広場 ガルデッロ塔<br />前方左手に聳えるのは、ガルデッロ塔と呼ばれる鐘楼です。別名、オーレの塔。1370年にヴェローナ僭主カンシニョーリオ・デッラ・スカラが建造しました。 塔の上部にはスカラ家のシンボルマークが見えます。<br />

    エルベ広場 ガルデッロ塔
    前方左手に聳えるのは、ガルデッロ塔と呼ばれる鐘楼です。別名、オーレの塔。1370年にヴェローナ僭主カンシニョーリオ・デッラ・スカラが建造しました。 塔の上部にはスカラ家のシンボルマークが見えます。

  • エルベ広場 「ヴェローナのマドンナ」の噴水<br />14世紀にスカラ家カンシニオーリオにより建造され、噴水の上には美しい街に因んで美しい王女の像が置かれました。胴の部分は1世紀のオリジナルの古代ローマ時代の像を用い、頭部と腕はボニーノ・カンピオーネが新しく制作しました。手には「ヴェローナは正義を誇りとして、その美しさを賞賛されることを望む町」と書かれた巻物を持っています。

    エルベ広場 「ヴェローナのマドンナ」の噴水
    14世紀にスカラ家カンシニオーリオにより建造され、噴水の上には美しい街に因んで美しい王女の像が置かれました。胴の部分は1世紀のオリジナルの古代ローマ時代の像を用い、頭部と腕はボニーノ・カンピオーネが新しく制作しました。手には「ヴェローナは正義を誇りとして、その美しさを賞賛されることを望む町」と書かれた巻物を持っています。

  • エルベ広場 トリプナーラ<br />白とピンクの大理石の小堂。これは、罪人を繋いで見せしめにした 晒し台(トリプナーラ)です。柱には首枷のついた鎖が不気味にぶら下がってます。因みに、トリプナーラとは観客席を意味します。なんとも皮肉なネーミングです。市場にマドンナに晒し台とは、意表を突いた組合わせです。ところで、こんな所で休憩するなんて、どんな神経をしているのでしょうか?案外、これがどんなものなのか知らないのかも!?首枷に気づいたら驚くでしょうね!<br /><br />帰国後、さらに調べたところ、政令や判決を読み上げた演壇という説もありました。恐らく、どちらにも使われたのでしょう。 <br /><br />

    エルベ広場 トリプナーラ
    白とピンクの大理石の小堂。これは、罪人を繋いで見せしめにした 晒し台(トリプナーラ)です。柱には首枷のついた鎖が不気味にぶら下がってます。因みに、トリプナーラとは観客席を意味します。なんとも皮肉なネーミングです。市場にマドンナに晒し台とは、意表を突いた組合わせです。ところで、こんな所で休憩するなんて、どんな神経をしているのでしょうか?案外、これがどんなものなのか知らないのかも!?首枷に気づいたら驚くでしょうね!

    帰国後、さらに調べたところ、政令や判決を読み上げた演壇という説もありました。恐らく、どちらにも使われたのでしょう。

  • エルベ広場<br />15世紀初頭、ヴェローナがヴェネツィアの支配下に入った時代に広場が整備されました。広場でヴェネツィアの守護聖人 聖マルコの象徴「有翼の獅子」が見られるのはそのためです。

    エルベ広場
    15世紀初頭、ヴェローナがヴェネツィアの支配下に入った時代に広場が整備されました。広場でヴェネツィアの守護聖人 聖マルコの象徴「有翼の獅子」が見られるのはそのためです。

  • エルベ広場から見上げるランベルディーの塔<br />この塔は、12世紀に着工され、凝灰岩とレンガ、レンガと大理石など多様な建材が組み合わされた痕跡が遺されています。15世紀まで修復が繰り返され、1779年には大時計が付け加えられました。84mの高さを誇り、ヴェローナで最も高い建物となっています。<br />この塔は、ヴェローナ都市国家(コムーネ)の政庁「理性の館(ラジオーネ館)」に聳え、古代ローマ時代にフォロであったエルベ広場を見下ろしています。塔には大小2つの鐘が取り付けられています。小さい方はヴェローナの方言で「大工」を意味する「マランゴーナ」の名で親しまれ、中世では、時を刻むだけでなく、労働時間と火事を知らせるため使われました。大きい方は『レンゴ』と呼ばれ、 市議会の招集や戦争時に市民を軍事召集するために使われました。<br /><br />中央にあるアーチは、コスタ門。ここを潜るとエルベ広場からシニョーリア広場に出られます。<br />

    エルベ広場から見上げるランベルディーの塔
    この塔は、12世紀に着工され、凝灰岩とレンガ、レンガと大理石など多様な建材が組み合わされた痕跡が遺されています。15世紀まで修復が繰り返され、1779年には大時計が付け加えられました。84mの高さを誇り、ヴェローナで最も高い建物となっています。
    この塔は、ヴェローナ都市国家(コムーネ)の政庁「理性の館(ラジオーネ館)」に聳え、古代ローマ時代にフォロであったエルベ広場を見下ろしています。塔には大小2つの鐘が取り付けられています。小さい方はヴェローナの方言で「大工」を意味する「マランゴーナ」の名で親しまれ、中世では、時を刻むだけでなく、労働時間と火事を知らせるため使われました。大きい方は『レンゴ』と呼ばれ、 市議会の招集や戦争時に市民を軍事召集するために使われました。

    中央にあるアーチは、コスタ門。ここを潜るとエルベ広場からシニョーリア広場に出られます。

  • エルベ広場 マザンティーの家<br />鮮やかなフレスコ画が遺される16世紀の商人の館。エルベ広場の北東側にあり、 壁面にはアルベルト・カヴァッリ作フレスコ画(16世紀の神話伝説)が描かれています。当時、どの貴族の建物にもこうしたフレスコ画が見られたそうです。かつては、富の豊かさをアピールする方法だったと共に街の装飾に貢献することで免税が得られたそうです。旧市街にはフレスコ画が遺されている中世や16世紀の建物が多いのですが、ここが最も保存状態がいいそうです。 <br />

    エルベ広場 マザンティーの家
    鮮やかなフレスコ画が遺される16世紀の商人の館。エルベ広場の北東側にあり、 壁面にはアルベルト・カヴァッリ作フレスコ画(16世紀の神話伝説)が描かれています。当時、どの貴族の建物にもこうしたフレスコ画が見られたそうです。かつては、富の豊かさをアピールする方法だったと共に街の装飾に貢献することで免税が得られたそうです。旧市街にはフレスコ画が遺されている中世や16世紀の建物が多いのですが、ここが最も保存状態がいいそうです。

  • エルベ広場 カーサ・ディ・メルカンティー <br />色使いと二連窓の意匠がとても美しい建物です。<br />現在は商人集会所として使われている建物だそうです。屋根にMの意匠があるので、かつてはスカラ家のパラッツォのひとつだったのでしょう。

    エルベ広場 カーサ・ディ・メルカンティー 
    色使いと二連窓の意匠がとても美しい建物です。
    現在は商人集会所として使われている建物だそうです。屋根にMの意匠があるので、かつてはスカラ家のパラッツォのひとつだったのでしょう。

  • エルベ広場 コスタ門<br />門から吊り下げられているのはクジラの肋骨(コスタ)だそうです。それでコスタ門と呼ばれています。「正直者が下を通ると落ちてくる」らしいのですが、一向に落ちる気配はありませんね。<br />ところで、なぜクジラの骨が吊り下げられているのかは、ガイドさんも知りませんでした。<br />ここを潜り抜けるとお隣のシニョーリア広場にでられます。

    エルベ広場 コスタ門
    門から吊り下げられているのはクジラの肋骨(コスタ)だそうです。それでコスタ門と呼ばれています。「正直者が下を通ると落ちてくる」らしいのですが、一向に落ちる気配はありませんね。
    ところで、なぜクジラの骨が吊り下げられているのかは、ガイドさんも知りませんでした。
    ここを潜り抜けるとお隣のシニョーリア広場にでられます。

  • シニョーリア広場 <br />お隣のエルベ広場の喧騒とは対照的に落ち着いた雰囲気の広場です。ここはローマ植民都市時代から広場だった場所で、中世に政治の中心のシニョーリア広場と隣の商業の中心のエルベ広場とに分割されました。広場のすぐ横にローマ時代の舗装道路が発掘され、円筒状のプールのような所から下が覗けます。<br />この広場に面して建ち、現在県庁舎として使われているのが、かつてのスカラ家の宮殿。コムーネが共和制だった当初、貴族間の内部抗争が激しく、その次には独裁者が現れたりし、これに懲りたヴェローナ市民が信頼できるスカラ家に政治を託したのだそうです。当時は神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇が各都市やその貴族、商人を巻き込んで争う大混乱期。シニョーリア広場には詩人ダンテの像が建っていますが、彼は故郷フィレンツェでこの政争に巻き込まれて追放され、スカラ家の庇護の下でこの宮殿で暮らし、『神曲』の中にヴェローナのことも記しています。<br />

    シニョーリア広場
    お隣のエルベ広場の喧騒とは対照的に落ち着いた雰囲気の広場です。ここはローマ植民都市時代から広場だった場所で、中世に政治の中心のシニョーリア広場と隣の商業の中心のエルベ広場とに分割されました。広場のすぐ横にローマ時代の舗装道路が発掘され、円筒状のプールのような所から下が覗けます。
    この広場に面して建ち、現在県庁舎として使われているのが、かつてのスカラ家の宮殿。コムーネが共和制だった当初、貴族間の内部抗争が激しく、その次には独裁者が現れたりし、これに懲りたヴェローナ市民が信頼できるスカラ家に政治を託したのだそうです。当時は神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇が各都市やその貴族、商人を巻き込んで争う大混乱期。シニョーリア広場には詩人ダンテの像が建っていますが、彼は故郷フィレンツェでこの政争に巻き込まれて追放され、スカラ家の庇護の下でこの宮殿で暮らし、『神曲』の中にヴェローナのことも記しています。

  • シニョーリア広場 ダンテ像 <br />ダンテ・アリギエーリ(1265〜1321年)は、都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』と詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人とされ、ルネッサンスの先蹤とも称されます。 金融業を営む小貴族の息子として出生。フィレンツェの聖ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受け、「永続する者」の意味を持つドゥランテ・アリギエーリと名付けられました。「ダンテ」は、「ドゥランテ」の短縮形だそうです。 少年時代のダンテについての確たる記録は乏しく、どのような成長過程を過ごしてきたかは定かではないそうです。修道院で見習い修道士として修行してきたとも、没落貴族の子弟として世俗の中で育ってきたとも言われ、諸説は一致を見ていません。ダンテが最も敬愛する師として『神曲』に登場させているのは、『宝典』を著したブルネット・ラティーニ。青年時代に彼から修辞学などを学んだとされ、『神曲』地獄篇第15歌で、男色の咎ゆえに炎熱地獄に配しながらも、「人間が生きる道」を教えてくれた旧師に対する敬慕を忘れていません。皇帝派のダンテはフィレンツェから追放の身となり、ここヴェローナで亡命生活を送り、『神曲』天国編の2/3を書き上げました。 <br /><br />背後は、かつてのデッラ・スカラ家の館(13世紀建造)で、現在はヴェローナ県庁舎となっているカングランデ館。 狭間の形がM字になっていて、4分の一円の連続のヴェッキオ城とは微妙に異なります。皇帝派としてダンテはここで亡命生活を送ったということなので、矢狭間はどちらも「皇帝派」のシンボルマークのバリエーションということなのでしょう(凸の頂点に窪み)。因みに、「教皇派」は凸字形です。<br />

    シニョーリア広場 ダンテ像
    ダンテ・アリギエーリ(1265〜1321年)は、都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』と詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人とされ、ルネッサンスの先蹤とも称されます。 金融業を営む小貴族の息子として出生。フィレンツェの聖ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受け、「永続する者」の意味を持つドゥランテ・アリギエーリと名付けられました。「ダンテ」は、「ドゥランテ」の短縮形だそうです。 少年時代のダンテについての確たる記録は乏しく、どのような成長過程を過ごしてきたかは定かではないそうです。修道院で見習い修道士として修行してきたとも、没落貴族の子弟として世俗の中で育ってきたとも言われ、諸説は一致を見ていません。ダンテが最も敬愛する師として『神曲』に登場させているのは、『宝典』を著したブルネット・ラティーニ。青年時代に彼から修辞学などを学んだとされ、『神曲』地獄篇第15歌で、男色の咎ゆえに炎熱地獄に配しながらも、「人間が生きる道」を教えてくれた旧師に対する敬慕を忘れていません。皇帝派のダンテはフィレンツェから追放の身となり、ここヴェローナで亡命生活を送り、『神曲』天国編の2/3を書き上げました。

    背後は、かつてのデッラ・スカラ家の館(13世紀建造)で、現在はヴェローナ県庁舎となっているカングランデ館。 狭間の形がM字になっていて、4分の一円の連続のヴェッキオ城とは微妙に異なります。皇帝派としてダンテはここで亡命生活を送ったということなので、矢狭間はどちらも「皇帝派」のシンボルマークのバリエーションということなのでしょう(凸の頂点に窪み)。因みに、「教皇派」は凸字形です。

  • シニョーリア広場 ロッジア・デル・コンシリオ<br />ヴェローナで最も美しいルネッサンス建築と賞賛されるロッジア・デル・コンシリオは、15世紀末に建てられた市参事会の集会所。行政の中心シニョーリ広場の一角にあり、唯一建築時の様式美が損なわれることなく遺された列柱廊に支えられた建物です。設計はフラ・ジョコンド(建築家としては無名ですが、ヨーロッパ最古の建築理論書ウィトルウィウス著「建築十書」を初めて大量の図版を付して編集出版し、以降の建築書の形式を決定づけた博学)。古代建築とコテコテのゴシック建築好みのゲーテにとっては対象外だったのか、奇しくも「イタリア紀行」には記されていません。

    シニョーリア広場 ロッジア・デル・コンシリオ
    ヴェローナで最も美しいルネッサンス建築と賞賛されるロッジア・デル・コンシリオは、15世紀末に建てられた市参事会の集会所。行政の中心シニョーリ広場の一角にあり、唯一建築時の様式美が損なわれることなく遺された列柱廊に支えられた建物です。設計はフラ・ジョコンド(建築家としては無名ですが、ヨーロッパ最古の建築理論書ウィトルウィウス著「建築十書」を初めて大量の図版を付して編集出版し、以降の建築書の形式を決定づけた博学)。古代建築とコテコテのゴシック建築好みのゲーテにとっては対象外だったのか、奇しくも「イタリア紀行」には記されていません。

  • ジローラモ・フラカストロ像<br />この広場にはもう一つ有名な像があります。恐らく、コスタ門の言い伝えの原型だと思われます。さてどこにあるかと言うと、上の写真の左隅です。<br />アーチ型の門の上に、小さなボールを抱えたジローラモ・フラカストロというヴェローナ出生のルネッサンス期の科学者の像が佇みます。彗星が太陽と反対の方向に尾を引くことを観測した学者だそうです。また、月面にあるクレーターのひとつ「フラカストリウス」に彼の名が使われています。そして「このアーチの下を潜る、最初の正直者の頭上にジローラモのボールが落ちる」という伝説があるそうです。でも、未だボールが落とされていないということは、ヴェローナの住民や旅人は正直者でないということなんですが…。<br />ひょっとしたら、「ボール」とは彗星や小惑星のメタファーなのかもしれません。それなら、『ハルマゲドン』の預言ということになるではありませんか!?落ちたらそれこそ大事です。<br />

    ジローラモ・フラカストロ像
    この広場にはもう一つ有名な像があります。恐らく、コスタ門の言い伝えの原型だと思われます。さてどこにあるかと言うと、上の写真の左隅です。
    アーチ型の門の上に、小さなボールを抱えたジローラモ・フラカストロというヴェローナ出生のルネッサンス期の科学者の像が佇みます。彗星が太陽と反対の方向に尾を引くことを観測した学者だそうです。また、月面にあるクレーターのひとつ「フラカストリウス」に彼の名が使われています。そして「このアーチの下を潜る、最初の正直者の頭上にジローラモのボールが落ちる」という伝説があるそうです。でも、未だボールが落とされていないということは、ヴェローナの住民や旅人は正直者でないということなんですが…。
    ひょっとしたら、「ボール」とは彗星や小惑星のメタファーなのかもしれません。それなら、『ハルマゲドン』の預言ということになるではありませんか!?落ちたらそれこそ大事です。

  • シニョーリア広場 カピターニオ館<br />左側の白っぽい建物は、裁判所として使われていたそうです。<br /><br />

    シニョーリア広場 カピターニオ館
    左側の白っぽい建物は、裁判所として使われていたそうです。

  • スカラ家の廟  <br />12世紀に建造されたロマネスク様式の小さな教会、サンタ・マリア・アンティーカ教会とヴェローナの黄金時代を築いたデッラ・スカラ家の墓廟があります。墓廟は14世紀のもので、鉄格子で囲まれていて内部には立ち入れません。<br /><br />賑々しい彫刻で飾られた往時の権力者のお墓は、豪華なモニュメントと見紛うばかりです。

    スカラ家の廟 
    12世紀に建造されたロマネスク様式の小さな教会、サンタ・マリア・アンティーカ教会とヴェローナの黄金時代を築いたデッラ・スカラ家の墓廟があります。墓廟は14世紀のもので、鉄格子で囲まれていて内部には立ち入れません。

    賑々しい彫刻で飾られた往時の権力者のお墓は、豪華なモニュメントと見紛うばかりです。

  • サンタ・マリア・アンティーカ教会<br />教会の扉口の上にはカングランデ1世の騎馬像が佇み、その下の教会2階の扉をくり抜いたスペースにはカングランデの石棺が置かれ、死後の姿と生前の勇ましい姿が対比して表されています。カングランデ1世は100年を超えるスカラ家の統治の中で最も勇猛な領主として知られているのですが、それにしても奇想天外な所に石棺を安置したものです。

    サンタ・マリア・アンティーカ教会
    教会の扉口の上にはカングランデ1世の騎馬像が佇み、その下の教会2階の扉をくり抜いたスペースにはカングランデの石棺が置かれ、死後の姿と生前の勇ましい姿が対比して表されています。カングランデ1世は100年を超えるスカラ家の統治の中で最も勇猛な領主として知られているのですが、それにしても奇想天外な所に石棺を安置したものです。

  • サンタ・マリア・アンティーカ教会<br />檀の下には、スカラ家の紋章(階段=スカラ)を持つ犬が左右に2匹佇みます。10代で既に頭角を現したと伝えられるカングランデ1世ですが、カングランデ(Cangrande)のカン(Can)は、Cane = 犬 に由来します。 石棺、墓を囲んだ鉄格子には階段を象ったスカラ家の紋章が見られます(梯子のような模様)。<br />

    サンタ・マリア・アンティーカ教会
    檀の下には、スカラ家の紋章(階段=スカラ)を持つ犬が左右に2匹佇みます。10代で既に頭角を現したと伝えられるカングランデ1世ですが、カングランデ(Cangrande)のカン(Can)は、Cane = 犬 に由来します。 石棺、墓を囲んだ鉄格子には階段を象ったスカラ家の紋章が見られます(梯子のような模様)。

  • スカラ家の廟<br />教会入口の左脇にはマスティーノ2世の墓碑。マスティーノ2世と言えば、カングランデ1世の倫理的な偉大さに遠く及ばず、策謀に嵌って1387年にジャン・ジャコモ・ヴィスコンティに乗っ取られた人物だそうです。それにも拘わらず、こうした立派な墓廟が存在するのは、祖先を敬う姿勢の現れということでしょうか?

    スカラ家の廟
    教会入口の左脇にはマスティーノ2世の墓碑。マスティーノ2世と言えば、カングランデ1世の倫理的な偉大さに遠く及ばず、策謀に嵌って1387年にジャン・ジャコモ・ヴィスコンティに乗っ取られた人物だそうです。それにも拘わらず、こうした立派な墓廟が存在するのは、祖先を敬う姿勢の現れということでしょうか?

  • スカラ家の廟 マスティーノ2世の墓碑<br />マスティーノ2世の墓碑の中に潜む天使をズームアップ。

    スカラ家の廟 マスティーノ2世の墓碑
    マスティーノ2世の墓碑の中に潜む天使をズームアップ。

  • スカラ家の廟 カンシニョリオ・ デッラ・スカラの墓碑<br />少し奥まった所にあるのが、一番目を惹きつける、レース編みのような繊細で精巧なゴシック調の尖塔で飾られたカンシニョリオ・ デッラ・スカラの墓碑。こちらは、ボニータ・ダ・カンピオーネが制作しました。

    スカラ家の廟 カンシニョリオ・ デッラ・スカラの墓碑
    少し奥まった所にあるのが、一番目を惹きつける、レース編みのような繊細で精巧なゴシック調の尖塔で飾られたカンシニョリオ・ デッラ・スカラの墓碑。こちらは、ボニータ・ダ・カンピオーネが制作しました。

  • ラジオーネ館<br />白と茶色の縞模様の建物はラジオーネ館。12世紀に市庁舎として建てられたロマネスク様式の建物です。中庭に面して見えるのはランベルディの塔へ登るためのエレベーターに続く階段。品格があり美しいフォルムです。この角にランベルディーの塔が聳えています。 <br /><br />このランベルディの塔のある市庁舎の中庭を突っ切った奥に公衆トイレがあります(有料)。丁度写真を撮っている主人の真後ろになります。<br />その他、ブラ広場の地下にも公衆トイレがあるようです(有料)。<br />

    ラジオーネ館
    白と茶色の縞模様の建物はラジオーネ館。12世紀に市庁舎として建てられたロマネスク様式の建物です。中庭に面して見えるのはランベルディの塔へ登るためのエレベーターに続く階段。品格があり美しいフォルムです。この角にランベルディーの塔が聳えています。

    このランベルディの塔のある市庁舎の中庭を突っ切った奥に公衆トイレがあります(有料)。丁度写真を撮っている主人の真後ろになります。
    その他、ブラ広場の地下にも公衆トイレがあるようです(有料)。

  • ジュリエットの家<br />小さな中庭に観光客がひしめき合っています。見上げると小さなバルコニーがあります。ここがジュリエットの家で、カプレーティ家の13世紀の屋敷。カッペッロ(帽子)通りにあり、シェイクスピアの話でもジュリエットの名字がキャピュレットになっています。もともとはアルバニアかダルマチアから来た傭兵の家系で、革か鋼で出来た兜のことを「カッペッレッティ」と呼んでいたそうです。この時代は皇帝と教皇が争い、カプレーティ家は皇帝派、ロミオの家とされるモンテッキ家は教皇派で、仇敵の間柄だったそうです。実際にこの場所で創造を膨らますような悲恋があったかどうかは不明ですが、元ネタはダンテの「神曲」の煉獄編にあり、カプレーティ家とモンテッキ家の確執が描かれています。それを元に、16世紀のイタリア人マッテオ・バンデッロが「ロメオとジュリエッタ」を書き、アーサー・ブルックの仏語版「ロミアスとジュリエット」を経てシェイクスピアが戯曲化したのが「ロミオとジュリエット」。<br /><br />両家は些細なことで大人げなく喧嘩しているのかと思ったら、政治が絡んだもっとスケールの大きな闘争だったと知りました。夢を壊すようで申し訳ありませんが、このバルコニーは市が観光用に取付けたもので、有料ですが内部見学もできます。

    ジュリエットの家
    小さな中庭に観光客がひしめき合っています。見上げると小さなバルコニーがあります。ここがジュリエットの家で、カプレーティ家の13世紀の屋敷。カッペッロ(帽子)通りにあり、シェイクスピアの話でもジュリエットの名字がキャピュレットになっています。もともとはアルバニアかダルマチアから来た傭兵の家系で、革か鋼で出来た兜のことを「カッペッレッティ」と呼んでいたそうです。この時代は皇帝と教皇が争い、カプレーティ家は皇帝派、ロミオの家とされるモンテッキ家は教皇派で、仇敵の間柄だったそうです。実際にこの場所で創造を膨らますような悲恋があったかどうかは不明ですが、元ネタはダンテの「神曲」の煉獄編にあり、カプレーティ家とモンテッキ家の確執が描かれています。それを元に、16世紀のイタリア人マッテオ・バンデッロが「ロメオとジュリエッタ」を書き、アーサー・ブルックの仏語版「ロミアスとジュリエット」を経てシェイクスピアが戯曲化したのが「ロミオとジュリエット」。

    両家は些細なことで大人げなく喧嘩しているのかと思ったら、政治が絡んだもっとスケールの大きな闘争だったと知りました。夢を壊すようで申し訳ありませんが、このバルコニーは市が観光用に取付けたもので、有料ですが内部見学もできます。

  • ジュリエットの家<br />庭の片隅にはブロンズのジュリエット像が置かれ、右胸に触ると幸せな結婚ができ、右腕に触るとお金持ちになるという伝説があるそうです。右胸と右腕だけがピカピカに光っている謎が解けたでしょうか?<br />

    ジュリエットの家
    庭の片隅にはブロンズのジュリエット像が置かれ、右胸に触ると幸せな結婚ができ、右腕に触るとお金持ちになるという伝説があるそうです。右胸と右腕だけがピカピカに光っている謎が解けたでしょうか?

  • ジュリエットの家<br />恋人たちが願いを込めて貼り付けた名前を書いた紙。数が半端ではないので、定期的に整理されるそうです。<br /><br />主人は25年ぶりの再訪ですが、前回訪問した際にはこのような手紙や錠前はなかった、あるいは目立たなかったそうです。<br />ネット情報によれば、一時はバルコニーがある方の壁にも張られたことがあったそうです。恐らく時代の潮流によるものなのでしょう。<br />

    ジュリエットの家
    恋人たちが願いを込めて貼り付けた名前を書いた紙。数が半端ではないので、定期的に整理されるそうです。

    主人は25年ぶりの再訪ですが、前回訪問した際にはこのような手紙や錠前はなかった、あるいは目立たなかったそうです。
    ネット情報によれば、一時はバルコニーがある方の壁にも張られたことがあったそうです。恐らく時代の潮流によるものなのでしょう。

  • ジュリエットの家<br />上の写真同様、夥しい数の錠前の願掛け。こちらはどうやって処分されるのか興味があります。一本ずつ金ノコで切断するのでしょうか?あるいは、柵ごと取り外して処理するのでしょうか?いずれにしても厄介なことですね!

    ジュリエットの家
    上の写真同様、夥しい数の錠前の願掛け。こちらはどうやって処分されるのか興味があります。一本ずつ金ノコで切断するのでしょうか?あるいは、柵ごと取り外して処理するのでしょうか?いずれにしても厄介なことですね!

  • ジュリエットの家<br />中庭の入り口のアーチに、大理石製の貴族としての紋章カッペッロ(帽子)が残されていたことがジュリエットの家と認められた根拠となっています。<br /><br />日本的に表現すると、帽子と言うよりも正月飾りの「鏡餅」と言った方がピンときます。<br />

    ジュリエットの家
    中庭の入り口のアーチに、大理石製の貴族としての紋章カッペッロ(帽子)が残されていたことがジュリエットの家と認められた根拠となっています。

    日本的に表現すると、帽子と言うよりも正月飾りの「鏡餅」と言った方がピンときます。

  • レオーニ門<br />ナヴィ橋からレオーニ通りを経てカッペッロ通りに入る手前にレオーニ門が佇みます。ご覧の通り、建物に張り付いているので意識していないと気付かないかもしれません。エルベ広場(古代のフォロ)を中心に町を十字に走る通りの先に位置する市門の一つで、かつてはもう一つの市門のボルサーリ門と並んで重要な門のひとつでした。現在は2つ繋がっていた門の片方だけが遺され、少し存在感が薄れているかもしれませんが、間近で見ると歴史の重さを感じ取ることができます。碑文にはかろうじて「…TI FLAVIVS PF NORICVS IIII VIRI…」と読み取れるので、ヴェスパシアヌス帝かティトゥス帝の時代の遺構と分かります。<br />

    レオーニ門
    ナヴィ橋からレオーニ通りを経てカッペッロ通りに入る手前にレオーニ門が佇みます。ご覧の通り、建物に張り付いているので意識していないと気付かないかもしれません。エルベ広場(古代のフォロ)を中心に町を十字に走る通りの先に位置する市門の一つで、かつてはもう一つの市門のボルサーリ門と並んで重要な門のひとつでした。現在は2つ繋がっていた門の片方だけが遺され、少し存在感が薄れているかもしれませんが、間近で見ると歴史の重さを感じ取ることができます。碑文にはかろうじて「…TI FLAVIVS PF NORICVS IIII VIRI…」と読み取れるので、ヴェスパシアヌス帝かティトゥス帝の時代の遺構と分かります。

  • 地下遺跡<br />レオーニ門のすぐ横には地下遺跡が保存されており、手すりが設けられた道路脇から覗けるようになっています。地下遺跡の円形部は、円形防御塔の基部跡だそうです。遺跡の周りには洋服屋があったりバールがあったりで、日常生活に遺跡が溶け込んでいます。例えは悪いですが、緑色の苔は、草津温泉の湯畑とその周りの温泉街を彷彿とさせる光景です。ヴェローナは街全体が古代の遺跡の上にあり、どこを掘り起こしても遺跡が出て来るらしく、日夜街中の地下で気づかれずに発掘調査が行われているそうです。

    地下遺跡
    レオーニ門のすぐ横には地下遺跡が保存されており、手すりが設けられた道路脇から覗けるようになっています。地下遺跡の円形部は、円形防御塔の基部跡だそうです。遺跡の周りには洋服屋があったりバールがあったりで、日常生活に遺跡が溶け込んでいます。例えは悪いですが、緑色の苔は、草津温泉の湯畑とその周りの温泉街を彷彿とさせる光景です。ヴェローナは街全体が古代の遺跡の上にあり、どこを掘り起こしても遺跡が出て来るらしく、日夜街中の地下で気づかれずに発掘調査が行われているそうです。

  • サン・フェルモ・マッジョーレ教会<br />美しいフォルムを見せる後陣です。 <br />ジュリエットの家の前の道を真っ直ぐ南東に進むと右手角に後陣が見えてきます。時間が許せば、ふらりと入ってみたい教会です。<br />

    サン・フェルモ・マッジョーレ教会
    美しいフォルムを見せる後陣です。
    ジュリエットの家の前の道を真っ直ぐ南東に進むと右手角に後陣が見えてきます。時間が許せば、ふらりと入ってみたい教会です。

  • サン・フェルモ・マッジョーレ教会<br />ファサードは、赤茶色の煉瓦に白い横縞が入り、それがアクセントになって独特の雰囲気があります。この教会の始まりは5〜6世紀頃ですが、建築様式はロマネスクとゴシックの合わせ技になっています。この教会は、地下に11〜12世紀のクリプタがあり、外部から見えるのは14世紀のゴシック様式。つまり、二つの教会が地上と地下に2層に重なった教会です。上層の教会を改築したのは1313年、ベネディクト派から教会を購入したフランチェスコ派。ファサードの完成は1350年頃。<br />

    サン・フェルモ・マッジョーレ教会
    ファサードは、赤茶色の煉瓦に白い横縞が入り、それがアクセントになって独特の雰囲気があります。この教会の始まりは5〜6世紀頃ですが、建築様式はロマネスクとゴシックの合わせ技になっています。この教会は、地下に11〜12世紀のクリプタがあり、外部から見えるのは14世紀のゴシック様式。つまり、二つの教会が地上と地下に2層に重なった教会です。上層の教会を改築したのは1313年、ベネディクト派から教会を購入したフランチェスコ派。ファサードの完成は1350年頃。

  • サン・フェルモ通り<br />古風な佇まいの中庭を拝見。額縁効果も奏功し、緑の新鮮さやその色合いにドキッとします。<br /><br />ナヴィ橋近くの駐車場に辿り着きました。これでヴェローナ市街散策は終了です。空模様が怪しくなってきましたが、傘を使うことなくバスに乗車できました。<br />ツアーの予定表では約1時間の市街散策となっていましたが、ゆっくり1時間45分程の散策を堪能できました。これもツアーメンバーさんが時間を厳守していただいたおかげです。感謝!

    サン・フェルモ通り
    古風な佇まいの中庭を拝見。額縁効果も奏功し、緑の新鮮さやその色合いにドキッとします。

    ナヴィ橋近くの駐車場に辿り着きました。これでヴェローナ市街散策は終了です。空模様が怪しくなってきましたが、傘を使うことなくバスに乗車できました。
    ツアーの予定表では約1時間の市街散策となっていましたが、ゆっくり1時間45分程の散策を堪能できました。これもツアーメンバーさんが時間を厳守していただいたおかげです。感謝!

  • ナヴィ橋から眺めるヴェローナ<br />正面奥に見える緑に囲まれたサン・ピエトロの丘が、ヴェローナ発祥の地と言われています。今はここにテアトロ・ロマーノ、考古博物館、そして一番上にお城があります。手前に見える橋はポンテ・ヌオーヴォで、アディジェ川が少し湾曲した向こう側には、元はローマ期の橋だったポンテ・デッラ・ピエトラがあります。 <br /><br />

    ナヴィ橋から眺めるヴェローナ
    正面奥に見える緑に囲まれたサン・ピエトロの丘が、ヴェローナ発祥の地と言われています。今はここにテアトロ・ロマーノ、考古博物館、そして一番上にお城があります。手前に見える橋はポンテ・ヌオーヴォで、アディジェ川が少し湾曲した向こう側には、元はローマ期の橋だったポンテ・デッラ・ピエトラがあります。

  • バスに乗車し、ナヴィ橋からヴェローナの街に別れの挨拶を済ませると、突然暗雲が立ち込めてきました。遠くで雷鳴が轟いたかと思ったら、大粒の雹が降り出しました。バスに乗った後で幸いでした。因みに、本日の天気予報は、晴れ・曇り・雨の全てのマークがついていました。(前半はほぼ毎日同じ天気予報でした)<br /><br />バスはヴェネト州を抜け、宿泊地であるヴェネツィアへ向かいます。ヴェネツィア編は次回の旅行記で紹介いたします。<br />

    バスに乗車し、ナヴィ橋からヴェローナの街に別れの挨拶を済ませると、突然暗雲が立ち込めてきました。遠くで雷鳴が轟いたかと思ったら、大粒の雹が降り出しました。バスに乗った後で幸いでした。因みに、本日の天気予報は、晴れ・曇り・雨の全てのマークがついていました。(前半はほぼ毎日同じ天気予報でした)

    バスはヴェネト州を抜け、宿泊地であるヴェネツィアへ向かいます。ヴェネツィア編は次回の旅行記で紹介いたします。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 讃岐おばさんさん 2014/01/23 13:28:55
    はじめまして。
    とっても充実した旅行記で写真も素敵ですね!
    そして、よく調べられているなぁと感心しました。

    1月13日から20日までイタリアへ行ってきたのですが、写真は写したけど何も分からないのが沢山あり、調べていたらこちらに辿り着きました。

    事後承諾で申し訳ないのですが、参考にさせていただきました。
    またお邪魔致します。

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん からの返信 2014/01/24 19:38:20
    RE: はじめまして。
    はじめまして、讃岐おばさんさん。
    コメントいただきありがとうございました。
    イタリア旅行記を拝見させていただき、思い出が甦った気がしました。
    お役に立てて幸甚です。
                                                   montsaintmichel

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