2012/10/27 - 2012/10/27
278位(同エリア395件中)
滝山氏照さん
天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したことで、聖武天皇は仏教に深く帰依し天平13年(741)には全国の国衙に国分寺建立の詔を出しています。
「相模国分寺は天平13年(741)の国分寺建立の詔によって建立
された寺院です。
諸国国分寺でも珍しい法隆寺式伽藍配置で、南北300m、東西240mという広大な寺域があったことが発掘調査によってわかります。
塔・金銅・講堂跡には礎石と基壇が残り、北・南面廊跡、僧坊跡、鐘楼跡・経蔵跡や大型建物跡などが発掘調査により確認されています。
この中でも、塔跡(推定高さ65m)や金堂・講堂跡(東西40m、南北31m)の基壇規模は、諸国の国分寺の中でも最大級です。
創建時代は、出土した瓦の分析や発掘で得られた資料から8世紀中頃に完成されたと考えられています。
相模国分寺跡は、江戸時代の地誌である「新編相模風土記稿」にも記載されるほど古くから知られていた遺跡でした。
国分寺としては珍しい法隆寺式伽藍配置を採用していることや塔・金堂・講堂などの礎石や基壇の一部が残っていたことから大正10年(1921)に国指定史跡となりました。
現在、塔基壇などが復元整備されて公開されています。」(海老名市教育委員会ガイドブックより)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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国分寺跡地
跡地は歴史公園として整備公開され、多数の来訪者にとって憩いの場所となっています。 -
国分寺跡地標識
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「国分寺環境整備事業」説明版
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整備予想図
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「国分寺併旧跡図」
天保年間(1830〜1841)における「新編相模国風土記稿」では当時の国分寺跡地状況が理解できます。 -
国分寺説明版
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七重の塔想定復元図
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礎石
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跡地風景
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跡地風景
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跡地風景
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イチオシ
相模国分寺石碑
国分寺建立当時の相模国府は現在の平塚市にあったと考えられています。通常国分寺は国府の近隣に建てられますが、相模国では寺院建築の専門家である壬生氏が高座郡周辺を拠点にしていたためという見方があります。(国府所在地については諸説があります) -
跡地風景
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跡地風景
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跡地風景
掘立柱建物跡で柱穴の一部が確認され、南側に庇が付く東西棟の建物ですが用途については不明だそうです。 -
僧坊跡地風景
当国分寺に勤める僧の宿舎で、詔では定員は20名だそうです。 -
説明文
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相模国分寺跡説明版
寺院の敷地には塔と金堂が東西に並び、その北側には講堂が配置される法隆寺方式で、講堂の北側には僧房・北方建物が配置され、諸国国分寺の中でも武蔵、陸奥と並んで全国最大規模でありました。 -
国分寺復元完成図
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跡地風景
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