2013/03/24 - 2013/04/01
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funasanさん
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今日はトルコ旅行最終日である。まず、朝一番にホテルから近い「ドルマバフチェ宮殿」(写真)に入場し、豪華絢爛な宮殿内部を見学する。次に、旧市街に移動し「トプカプ宮殿」に入る。ここでは禁じられた場所の「ハレム」も入場観光する。昼食後は世界有数の軍事コレクションを誇る「軍事博物館」に行き、軍楽隊の勇壮な演奏も聴く。その後、別れを惜しみつつ、イスタンブール空港に行き、日本への帰国便に乗る。
私のホームページ『第二の人生を豊かに―ライター舟橋栄二のホームページ―』に旅行記多数あり。
http://www.e-funahashi.jp/
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ホテル「ザ・リッツ・カールトン」の2度目の朝。早めにレストラン(写真)に行き、イスタンブール最後の朝食をゆっくり味わって食べる。
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ビュッフェカウンターに「日本食コーナー」(写真)があり、焼魚、煮物、味噌汁、等、日本と同じ味でうまい。この日は和食中心のメニューにする。
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食後、コーヒーカップを持ってレストランの隣にあるカフェ・ラウンジ(写真)に移動して、高級ホテル「リッツ・カールトン」の余韻を楽しむ。
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午前9時15分、VIPバス(写真)に乗ってイスタンブール観光に出かける。
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いつものように「大型VIPバス」(写真)を6名で自由に使う。このゆとりと優雅さは他に代え難い。幸運に感謝!
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はじめに、ホテルから近い「ドルマバフチェ宮殿」に行く。宮殿前の「時計台」(写真)が朝日に白く輝く。今日も天気がいい。
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宮殿に入場する門(写真)の前に立つ。見上げると細部まで精巧な装飾が施されており、この白亜の大理石の門はヨーロッパの宮殿のようである。
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宮殿に入ると手入れの行き届いた広い庭(写真)が広がる。グリーンの芝生が目に鮮やかで気分が高まってくる。チューリップが咲き春爛漫…。
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広い庭の中央に大きな池(写真)があり、まわりの木々が水面に映っている。季節は春、庭園内は花が咲き誇り、実に美しい。
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ライオンの親子(写真)が芝生の上で休んでいる。暖かい日差しを受けて幸せそう…。
現在の「ドルマバフチェ宮殿」(写真)はオスマントルコ朝の31代スルタン「アブデュルメジド」の命により、10数年の歳月をかけ1856年に完成したという。日本で言えばペリー来航の3年後、幕末の動乱にさしかかる頃である。 -
宮殿内部は誠に贅を尽くした豪華絢爛なもので、見る者を圧倒させる。ロシアのエルミタージュ美術館(以下私の旅行記参照)ほどではないが、ここはトルコの宮殿ではなく、明らかにヨーロッパの宮殿である。
http://4travel.jp/traveler/funasan/album/10608730/ -
とりわけ見学の最後に訪れる吹き抜けの「儀式の間」は圧巻である。高さ36mの天井から巨大なシャンデリアがつり下げ750ものキャンドルが灯される。(残念ながら館内は写真撮影禁止)
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ところで、何故、31代スルタンはこんな豪華な宮殿(写真)を造ろうとしたのか?
19世紀半ばにもなるとオスマントルコの国力は急速に衰え、様々な場面で西欧諸国との「立場の逆転」が明らかになってきた。 -
危機感を抱いた31代スルタンは「ヨーロッパ的なるもの」を模範としてこの宮殿を造ったと言われる。しかし、国力が衰え国家財政が破綻に瀕している時期に(何を血迷ったか?)「贅を尽くした宮殿」を造った代償は大きい。この後、オスマントルコ帝国は急速に滅亡へと進む。
もし、徳川家茂・慶喜が江戸に「ベルサイユ宮殿」を造ったら?
写真:ドルマバフチェ宮殿の庭からボスボラス海峡を眺める -
トルコの歴史を見てみると、民族、国家の興亡が古代から現代まで連綿となく続いているのが分かる。次に、旧市街に移動し、再びビザンツ帝国の華「アヤソフィア」(写真)前に行く。今日はアヤソフィアの隣にある「トプカプ宮殿」観光である。
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「トプカプ宮殿」入口となる「皇帝の門」(写真)は堂々として人を威圧する。しかし、1478年に建てられた当時の皇帝の門は2階建てでかなりの大きさを誇っていたという。今でも結構大きい。
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皇帝の門を入ると「第1庭園」(写真)となり、左手に、ビザンツ時代の最初の建物「アヤ・イリニ教会」(写真)がある。
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「第1庭園」(写真)はチューリップをはじめカラフルな花が咲き乱れ、まさに春爛漫の雰囲気である。
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第1庭園の最後はトンガリ屋根の「送迎門」(写真)となる。ここをくぐると「第2庭園」となり、トプカプ宮殿の中心部となる。
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最初に「正義の塔(通称ハレムの塔)」(写真)が建っている「ハレム」に入場する。ハレムはトプカプ宮殿とは別の博物館になっている。
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1453年、イスタンブールを陥落させたメフメット2世は、トプカプ宮殿の建設に着工した。
写真:ハレム内部 -
トプカプ宮殿は15世紀半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力を持っていたオスマントルコ帝国の支配者の居城となる。
写真:ハレムの中庭 -
そして、1856年に「ドルマバフチェ宮殿」ができるまで、トプカプ宮殿はオスマン帝国の中心地として栄えた。
写真:ハレム内部 -
この意味は大きい。オスマントルコ帝国の版図はウィーン付近から黒海、アラビア半島、そして北アフリカまで及び、各地から様々な富がもたらされた。
写真:ハレム内部 -
さらに、トプカプ宮殿は歴史上一度も外敵の侵入を受けたことがない。それ故、400年にわたり栄華を極めたオスマン朝の財宝、秘宝の数々がこの宮殿に残っている。そこで、宝物館前の長い行列(写真)に並んで世紀の秘宝の数々を鑑賞する。(館内は全て写真撮影禁止)
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ドーム屋根を頂く「図書館」(写真)は17世紀初頭にスルタンになったアメフット3世の創建で、彼はオスマントルコに文化・芸術の薫り高き「チューリップ時代」を出現させた。
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長くせり出した庇(ひさし)とアーチ型の列柱廊が印象的な建物は「謁見の間」(写真)で、時のスルタンが大臣からの報告や、外国の使節団等に接見する場所であったという。
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そろそろ我々にはトイレ休憩が必要である。第4庭園の南にある「レストラン」(写真)に入ってトイレ(無料)を借りる。ここてティータイムでもとりたい気分であるが全く時間がない。
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トイレを済ませてからレストランのすぐ上にあるテラスに行くと……。
そこからの眺め(写真)は衝撃的なほど美しかった。右にマルマラ海、正面にボスボラス海峡、左に金角湾、青い海に多数の船が行き交う。 -
時間がない。ゆっくり感動している間もなく、急いで宮殿最奥にある「バーダット・キョシュキュ」(写真)に行く。ここのテラスからの眺めも絶景である。金角湾から新市街が手に取るように見える。
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「バーダット・キョシュキュ」のテラスにある金色屋根の東屋「イフタリエ」(写真)の人気が高い。ここはラマザン月に1日の断食を終えて夕刻の食事をする場所という。
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最後に、武器庫(写真)を見学してトプカプ宮殿を後にする。
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本日のランチはトプカプ宮殿に近い海辺のレストラン(写真)にて、トルコ最後の食事を楽しむ。
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本日の「スープ」(写真)酸味がきいていてうまい。
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トルコの「バケット・パン」(写真)は、どこで食べてもうまい。私はトルコの「パンとスープ」があれば取りあえず空腹は満たせる。
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本日のメイン料理は「ドネル・ケバブ」(写真)。肉は悪くはないが、冷めているので美味しく感じない。もう一度電子レンジでチンすればgood.
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レストラン1階の屋外テーブルの周囲にはチューリップ(写真)が飾られていて綺麗である。
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昼食後、バスで新市街に移動する途中、何やら古い城壁のような物がアタチュルク大通りをまたいでいる。「ヴァレンス水道橋」(写真)だという。コンスタンチィヌス帝の時代に建設がはじまり、ヴァレンス帝時代の378年に完成した水道橋で、市街地北のベオグラードの森からあの地下宮殿に水を運んだという。何と言う壮大な土木事業か?
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イスタンブール観光の最後に世界有数の規模を誇る「軍事博物館」(写真)を訪れる。庭に戦車や大砲が出迎えてくれる。
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館内は広く、様々な物が展示されているが、巨大な壁画(写真)が素晴らしい。トルコの歴史がリアルに描かれており臨場感がある。ヒッタイト時代?(写真)の平和な古代生活が偲ばれる。
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戦闘場面の巨大壁画が多い。セルジュークトルコの戦いか?
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大ホールで軍楽隊の生演奏(写真)を聞く。行進しながら軍楽隊が入場してくる。そして、大音響で演奏がはじまる。
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軍楽隊の音楽(写真)は「兵士の勇気を鼓舞させる」演奏なので、全く単調で騒々しい。今の軍楽はオスマン朝の時代に発展したもので、軍楽隊の効果に驚いた各国がこの制度を取り入れたと言われている。
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士官達の教室(写真)。面白いことに最前列左側に1席だけ空席がある。見学者(妻が嬉々として)ここに座り同じく左手を挙げて「ハイ、チーズ」…。
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再び戦闘場面(写真)にもどる。オスマントルコの大進撃場面か?
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恐らく、オスマントルコによるコンスタンチィノープル陥落戦(写真)であろう。遠くにガラタ塔が見える。ビザンツ帝国が滅びオスマン帝国が栄える。
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最後の巨大壁画は「ダーダネルス戦役」(写真)。第一次世界大戦中、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡侵攻を目指した戦闘である。結果はトルコの大勝利となった。
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第一次世界大戦中、トルコは同盟国側に属し敗北する。長らく西欧諸国から「瀕死の病人」と揶揄(やゆ)されるまで国力が衰えていたオスマントルコ帝国の命運は遂に尽きた。そこに若き救国の士「ケマル・パシャ(アタチュルク)」が登場する。トルコの歴史はおもしろい。
さて、今回の旅行で無意識に日本人(私)にある「西洋中心的歴史観」が多少は修正されたような気がする。 -
空港への帰路、海岸通りの公園(写真)ではおびただしい人達が公園バーベキューをしている。炭火焼きの煙はスモッグのように周囲をおおい、バスの中まで臭ってくる。しかも、海岸に沿ってバスが走っても延々と公園バーベキューは続く。日曜日の夕暮れ時、家族・友人達とバーベキューを楽しんでいる様子である。人、人、人、しかも皆さん若い。ガイドさんが言っていたが、「トルコ人の50%が30才以下」だと。若き“親日の国・トルコ”に幸あれ!と願いつつ帰国の飛行機に乗る。
トルコ世界遺産紀行(完)
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