2013/03/24 - 2013/04/01
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funasanさん
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今日は午前中に世界遺産「パムッカレ・ヒエラポリス」観光をし、午後は、世界最大級の古代都市遺跡「エフェス遺跡」を訪れる。エフェス遺跡を歩けば古代ローマ帝国の偉容が遺憾なく体験できる。しかし、エフェスには、ローマ帝国侵入以前、あのアテネの「パルテノン神殿」の3倍以上の総大理石の「アルテミス神殿」(今は完全に廃墟)があったこと、また、キリスト処刑後、聖母マリヤと聖ヨハネがこの地に逃れ、エフェスはその後キリスト教布教活動の一大拠点となっていったこと等、歴史の興味は尽きない。
写真:エフェス遺跡の「ケルスス図書館」
私のホームページ『第二の人生を豊かに―ライター舟橋栄二のホームページ―』に旅行記多数あり。
http://www.e-funahashi.jp/
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ホテルから出発してすぐにパムッカレの石灰棚と周囲のヒエラポリスを観光する。ヒエラポリスの南ビザンツ門(写真)から入る。
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「ヒエラポリス」(世界文化遺産)はローマ帝国がこの地に侵入してくる前の紀元前2世紀頃、ペルガモン王国の手で街造りが進められた古代遺跡である。
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ヒエラポリスはローマ帝国支配下にも順調に発展し、その繁栄は12世紀まで続いたという。その遺跡群は、劇場(写真)、神殿、市場、浴場、住居、墓地等、誠に広大である。
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パムッカレは古代の昔より温泉保養地として知られ、ローマ帝国治下にはネロ帝やカラカラ帝をはじめ、多くのローマ皇帝達が遠路はるばるここまで温泉保養に訪れたという。あのクレオパトラもアントニウスと共にここにやって来たという。
写真:南大浴場(現:ヒエラポリス博物館) -
我々の観光目的は石灰棚(写真)である。南大浴場のすぐ前の斜面が石灰棚になっており大勢の観光客が(足湯して)遊んでいる。
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パムッカレという地名は「綿の城」を意味するらしいが、一目瞭然である。パムッカレの石灰棚は世界自然遺産に登録されている。
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石灰棚(写真)は台地上部から流れ出る石灰成分を含む湯が、長い年月を経て結晶し、台地全体を白く覆ったものである。
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湯は温かく寒い冬場は足湯にちょうどいい。暖かい時期、ここを露天風呂にして湯に浸かれば最高に気持ちいいのでは?
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ここからの眺め(写真)は素晴らしい。大平原の彼方に雪を被った山々が見える。ローマ帝国の皇帝達はどんな気分で温泉に浸かったのであろうか?
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パムッカレの石灰棚には、若い日本人女性(写真)が多く来ており、元気な日本語が聞こえてくる。3月下旬の春休みの時期のせいか、トルコ激安ツアーのせいか?
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若者はどんどん遠くの石灰棚に行く。我々夫婦も若者から元気をもらって出来るだけ遠くの石灰棚(写真:現地のポスターより拝借)まで行く。
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石灰棚(写真:現地のポスターより拝借)の底は滑りやすいので、転ばないよう注意して下る。しかし、集合時間まで残り時間が少ない。観光客が少なくなった石灰棚あたりで引き返す。
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南大浴場の北側に「パムッカレ温泉」(写真)がある。温泉プールの底に本物のローマ時代の遺跡がゴロゴロしている珍しい温泉なので、是非入ってみたい。が、全く時間がない。トイレのみ借りて急いでバスにもどる。
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昼食のために「AZIZIYE」という名前の非常に大きなレストランに入る。大型バスが何台も停車する巨大レストランであるが、内装(写真)は上品でムードがある。
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本日のスープは「ドマテス・チョルバス」(写真)。トマトペーストを使用し酸味の効いた濃厚なスープで、私がトルコに来て一番好きになった料理である。トルコのパンとの相性がいい。
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メインは「シシ・ケバブ(肉の串焼き)」(写真)。日本の焼き鳥と同じ感じ。もう少し肉が大きいと本物のシシ・ケバブらしくなる。普通の味。
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デザートは「プリン」(写真)。
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ランチの後、近くの革製品の店に立ち寄り、「ファッション・ショー」(写真)を見る。そしてお決まりのように日本語による革製品の説明・販売とくる。その後、バスに乗車し、パムッカレから185Km離れたエフェス遺跡まで3時間かけてロングドライブする。
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エフェスはトルコ第3位の都市「イズミール」の南方約100Km、エーゲ海まであと10Kmの位置にある。イズミールは古代ギリシャの大詩人「ホメロス」が生まれた町である。いよいよ古代史の世界に入っていく。我々はエフェス遺跡を南側の入口より入場する。すぐに「ヴァリウスのローマ様式の浴場跡」(写真)が出迎えてくれる。
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その横に「オデオン(音楽堂)」(写真)がある。半円形の舞台を囲むように観客席が広がっており、上方の席まで詰めれば1500席はありそうである。
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エフェスの歴史は古い。早くも紀元前2000年頃からこの地には地母神を祭った神殿を中心に集落があった。その後、ギリシャから渡来したイオニア人が「アルテミス神殿」を建て、神殿を中心に町が栄える。
写真:「市公会堂」 -
特に、紀元前6世紀リディア王国支配下アルカイック期に建てられた総大理石造りの「アルテミス神殿」は、アテネの「パルテノン神殿」の3倍以上の規模を誇る壮大なものだったという。
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エフェス遺跡で発掘された「アルテミスの巨像」(写真)。2mは越す巨像で胸部には数多くの乳房とも卵とも思える丸いもので覆われている。本物はエフェスの考古学博物館にある。
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その後、アルテミス神殿は紀元前356年、ある狂人により放火され瓦解してしまう。マケドニア王アレクサンダー大王が生まれた年である。アレクサンダー大王はエフェスを愛し、アルテミス神殿を再建する。
写真:「ニケのレリーフ」 -
1000年以上にわたりアルテミス信仰に支えられ、壮大な「アルテミス神殿」を擁していたエフェスに大きな変化が訪れたのは紀元1世紀半ばである。
写真:ヘラクレスの門からケルスス図書館に向かう「クレテス通り」 -
キリスト処刑後、聖パウロがこの地に逃れてきてキリスト教を広めようとする。しかし、彼の布教活動対する地元アルテミス信者達の拒絶反応は強く、聖パウロはエフェスから追放されてしまう。
写真:「ヘラクレスの門」 -
しかし、基本的に信仰の自由があったこの地には、その後も熱心なキリスト教伝道者が次々と訪れ、遂に、聖ヨハネも聖母マリアを伴ってエフェスに移住してくる。
写真:「トラヤヌスの泉」 -
そして、聖ヨハネはここで「新約聖書」を編纂し、聖母マリアはこの地で永眠する。キリスト教は次第に人々に浸透し、約200年後の紀元3世紀〜4世紀の頃には、エフェスはキリスト教布教活動の一大拠点となる。
写真:「丘の上の住宅前のモザイク」 -
一方、アルテミス神殿は、紀元263年のキリスト教徒(ゴート人)の侵入により破壊されてしまう。キリスト教徒側の勝利によりアルテミス信仰の象徴だったアルテミス神殿はその後再建されることはなかった。
写真:「ハドリアヌスの神殿」 -
さらに、神殿の破壊後、放置されていた大理石の柱のほとんどがイスタンブールへ運ばれ「アヤソフィア寺院」建設に再利用されたという。
写真:美しいレリーフを施した「ハドリアヌスの神殿」の半円形のアーチ -
イスタンブールに偉容を誇るビザンツ建築の最高傑作「アヤソフィア」はコンスタンティヌス2世の時(360年)完成する。
写真:「古代の公衆トイレ」 -
現在我々が見学している「エフェス遺跡」(写真)は主に、紀元前3世紀頃から紀元後4世紀頃まで、時代としてはヘレニズム期からローマ帝国治下キリスト教が本格普及する前までのエフェスである。
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「ケルスス図書館」(写真)はエフェス遺跡のハイライトである。威風堂々として見る者を圧倒する。これは、紀元2世紀、ローマ帝国治下にこの地を治めていたアジア州総督がその父ケルススに捧げるべく建造した図書館である。
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ケルスス図書館の巨大な壁を支える柱の上部(柱頭)が素晴らしい。コリント式とイオニア式の混合形式。この図書館には1万2000巻の書物が所蔵されていたという。
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正面には「知恵、運命、学問、美徳」の4つの意味を象徴する女性像(写真)がある。2mはある見事な彫像で、我々を見下ろしている。「皆さん、勉強しなさい。知恵と美徳を持ちなさい。そして運命に従いなさい。…」
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ケルスス図書館の横に「下のアゴラ」(集会所)に入る「マテウスとミスリアダテスの門」(写真)がある。これも立派。
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「古代の売春宿の広告」(写真)
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「下のアゴラ」(広場)。ここでは主に商売が行われた。
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「大劇場」(写真)では演劇が上演され、また、全市民参加の民会の会場ともなった。大観客席は直径154m、高さ38mの半円形で、収容人数は2万4000人という。
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大劇場から真っ直ぐに延びる道「アルカディアン通り」(写真)は、この先エーゲ海まで続く。この道をクレオパトラとアントニウスは馬車に乗ってやって来たという。
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今夜の泊まりはエーゲ海に面するリゾート都市「アイワルク」であり、エフェスから約4時間(240Km)のロングドライブをする。車窓から見ると、オリーブをはじめ様々な果樹(写真)が植えられている。
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しかも、数時間ドライブしても道路沿いには広大な果樹園(写真)が延々と続く。どうりでドライフルーツがふんだんにある訳である。トルコは大農業国であることを実感する。参考までに、トルコの食料自給率は200%という。
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夕方、エーゲ海のリゾート地「アイワルク」(写真)に到着する。アイワルクの町から長い橋が小さな島に通じており、我々のホテルはその島にある。
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今夜のホテルは「ハリッチ・パーク」(写真)である。旅行パンフレットには「海の見える客室をご用意」とある。
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大いに期待して客室(写真)に入ったが、全体的に古い感じがする。確かにバルコニーから海が見えるが、サンセット方向ではなく、これも期待外れである。
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急いでビーチに行き、桟橋上から夕陽(写真)を撮す。
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アイワルクの町の方面(写真)がピンクに染まる。目の前はエーゲ海というより巨大な湖の雰囲気である。
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夕食はレストラン(写真)でのビュッフェである。このホテルも団体客用の大型リゾートホテルのようである。料理の味は悪くはないのでそれ程不満もない。
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部屋のバルコニーから暮れゆくエーゲ海(写真)を眺める。明日はいよいよ「イスタンブール」だ。トルコ旅行も終盤になってきた。
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