2013/02/23 - 2013/02/24
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一人で旅をしても楽しめるだろうか・・・?
という疑問を胸に、広島に行ってきました。
羽田から岩国へ飛び、錦帯橋を見て、宮島の厳島神社へ。
広電を爆睡しながら広島市内へ入り、一夜明けて2日目です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
宿泊はホテルユニゾ広島でした。
朝食が付いているプランだったのでいただきます。
バイキング形式でしたが、かなり豪華でした。朝からボイルエビとか出てた。 -
ホテルは12時まで滞在できるプランだったのですが、早々にチェックアウト。
平和記念公園をめざしますが、そうだ!!と思い、ちょっと寄り道。
広島市民球場の跡地です。(カープファンではありません)
更地なったままで、簡易的なプレハブの建物がいくつか建っていました。
「ひろしま菓子博」の会場を設営中だそうです。 -
その向かいにあった記念碑。
広島市民球場は原爆ドームの真向かいにあったんですね。知りませんでした。 -
さらにそうだ!と思い寄り道。
『本川小学校平和資料館』です。土曜、日曜、祝日が定休日という、旅行者には残念な設定の資料館。
この写真も敷地外から撮ったもの。
この建物は原爆投下当時の本川小学校の校舎で、被爆建築ですが、資料館として生まれ変わり大切に保存されています。 -
原爆の標的となった相生橋を渡り(実際には風向き等でずれた)平和の時計塔。
この時計は毎日、原子爆弾が投下された午前8時15分にチャイムが鳴るそうです。
しかし・・・文字盤におもいきり「SEIKO」と書かれていました。 -
うまく説明できませんが、平和記念公園は、二股に分かれた川の「洲」にあたる場所に位置しています。対岸と、この「洲」を橋渡しするように架けられた相生橋は、上空からTの字に見えるため、格好の標的とされ、原爆を落とす目印となったそうです。
実際には、風向き等により、若干ずれた場所に投下されました。 -
平和の鐘です。
すべての核兵器と戦争のない、まことの平和共存の世界を達成するための精神文化運動のシンボルとしてつくられました。
この鐘の音を広島から世界のすみずみまで、ひびきわたらせ、全人類のひとりひとりの心にしみわたらせることを願っております。・・・とのことです。
鐘は自由に突いていいとのことで、私が見学した際は、女性グループが突いていたのですが、一人旅の私には、突くにはちょっと恥ずかしく、見学のみで終了。
友達と来てたら、突いていたかな・・・。 -
千羽鶴や、平和を願った工作の数々。
長崎の平和記念公園でも目にした、地元の学生さんや修学旅行に訪れた学校の皆さんが作成した作品が飾られています。 -
しかし・・・
長崎とは違い、物騒にも、南京錠のかかったクリアケースのようなものに保護されています。
これらの千羽鶴にイタズラをしたり、火をつけたりする事件があり、やむを得ずこういった処置をしているそうで・・・・
このような犯罪は平和以前の問題です!!けしからん!! -
原爆の子の像です。
原爆による白血病に侵された佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかけるための像です。
平和記念資料館には、この佐々木禎子さんの現物のカルテも展示してあり、医療人である私には、とてもむなしい印象を得ました。 -
平和の灯です。
全国12宗派から寄せられた“宗教の火”と、、溶鉱炉などの工場地帯から届けられた“産業の火”が1945(昭和20)年8月6日生まれの7人の広島の乙女によって点火されたものです。
合わせた手のひらを、空に向かって広げた形をしています。
核廃絶のその日まで絶やされることのなく燃え続けます。
・・・・ということは、この火は灯っていてはいけないもの。
早く消されることを願います。 -
原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)です。
言わずと知れた記念碑で、私もテレビなどで何度か目にしたことはあったのですが初めてここに来ました。
ここは、神社仏閣ではないにも関わらず、訪れた人のほとんどが手を合わせていきます。子供や若い人も、自分の意志でそうしていきます。 -
なんだか、写真を撮るのも無礼な気がしたのですが、この記念碑は、ちょうど真ん中から原爆ドームが見えるように設計されていると聞き、撮影。
記念碑の中央の石室には、原子爆弾に被爆し、亡くなられた方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。 -
そして、広島平和記念資料館へ。
入場料が大人50円でとても驚いた。
詳しくはこちら。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ -
館内は写真撮影OKでした。
でも、写真を撮って、「こんなところに行ったよ」と見せるようなものでもないし、第一に見学に夢中で写真を撮ることができませんでした。
4トラベルにアップして説明したところで、内容を十分に伝えることは不可能ですしね。
館内から外を見た写真。
「あー。ここ、テレビで見たことあるね」って話している人がいて、私もあ、ほんとだって思った。
テレビで見るのと実際来るのとでは全く違った。
五感全部を使って得るものがありました。 -
2時間近くかけて見学して、一度外に出たのですが、あ!!あれを忘れた!!と思い、再び館内へ。
このエリアは入館料なしで入れる場所なのですが、この時計を見たかったのです。
原爆が投下されてからの日にちを刻む時計と、世界で最後の核実験が行われてからの時間を刻む時計。
この旅行の11日(一晩あけて12日)前に北朝鮮が核実験を行いました。
なので時計がリセットされてしまったのです。 -
時計の概要。
ところで、長崎の平和資料館でも展示されていましたが、広島市長と長崎市長は、世界で核実験が行われた際に抗議文を送っています。
今回の北朝鮮の核実験に対して送られた抗議文も展示してありました。
しかし、私が驚いたのは、2012年の1年間にアメリカに送った抗議文が5通もあること!!
北朝鮮の核実験ばかりがニュースで大きく報道されていますが、他の国でも核実験は多々行われているのです。 -
館内をじっくり回り、かなり疲労が・・・
休憩所があったのでコーヒーをいただきながら今後の予定を練ります。
朝の時点では、呉まで行ってみるか!と思っていたのですが、平和資料館で力を使い果たし、遠出する気にならなくなってしまった・・・
原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさを知ることができました。また、戦争や核実験に抗議する市長や市民の姿勢をみることができました。
長崎に行ったときに、平和公園の千羽鶴に「この平和が続くよう努力します」と書かれていて、すごく心に残りました。
でも、平和のための努力って具体的に何をしたらいいのだろう・・・と考え、とりあえず、自分にできることは戦争を知ることだなと思い、広島へ来たんだよな・・・・。
なーんてことを考えていると、休憩所の向かいに何やら案内板が。
被爆したアオギリという樹木だそうです。
爆心地から1.3キロのところに生えていたのをここに移植したそうです。
長崎でも、原爆投下後、「今後70年は草木は芽吹かないだろう」と言われていたのに、たった数か月後には荒れ地に緑が生い茂ったと聞きました。 -
で・・・
結局、まだまだ戦争の跡は残っているだろうと、遠出はせずに市内を見て回ることに。
ただ、原爆に遭った人に手記や、遺物、遺族の思いがつづられた手記等が拝観できる「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」へ拝観するほどの心の残力がなく、そこへはまた次回の課題にし、ほかを巡ります。
こちらは平和記念公園内のレストハウス。
元は昭和4年建立の呉服店。
ここで広電のイラストの絵葉書があって、気に入って購入。あと、広島風お好み焼きの作り方と分解図(?)が書かれた絵葉書も。 -
原爆ドームの近くに位置しますが、今でも現役で使えるほど状態のいい建物でした。
-
元広島産業奨励館。
現原爆ドーム。こんな忌まわしい名前になってしまうなんて。 -
この建物だけでなく、周りにガレキが散乱しているのも当時のまま保存されています。
この、鉄骨が不自然にひねって曲がっているところが、単なる古い建物や廃墟とは違うことを物語っています。 -
平成8年に世界遺産に登録されました。
宮島の、文化的な意味を持つ世界遺産とは全く違う意味での登録。
『これを永久に保存する』という言葉の重さが伝わります。 -
ところで・・・
私のちょっとした知り合いに、90代の男性の方がいます。
その人は、生まれも育ちも私と同じ地元で、若いころは学徒出陣で兵隊にとられ、終戦後は地元に戻って仕事しながら消防団に入って・・・
ということまでは以前から知っていたのですが、この旅行の1か月後にお会いした時に、「戦時中に広島に赴任していた」という話になりました。 -
「え!?広島?先月旅行に行ったんですよ。・・・でも、戦時中っていつですか?」
と尋ねると、
「赴任した次の日に原爆が投下された」
とのこと。
・・・・・・絶句です。
今まで何度か戦争のお話をしてくれたことはあったのに、原爆に遭ったことはその時初めて聞きました。 -
そして・・・・・・・、
自分は爆心地から5キロ離れた(この距離は後で知ったそうです。)建物の中にいたので大事には至らなかった。
建物の窓ガラスが爆風ですべて割れ、その破片が建物内にいた人に刺さったが、運よく自分のいた場所にはガラス片は飛んでこなかった。
部下が30人ほどいたが、ほとんどがその時に亡くなった。
翌日、偶然、爆心地付近を通った。(現場が混乱していて、落とされた爆弾が原子爆弾であることや、詳しい爆心地はその時まだ知らされてなかったとのこと)
今の原爆ドームの前を通った時に、「ずいぶん変わった感じの建物だな。壊される前はきっと洒落た建物だったんだろうな」と思った。
この原爆ドームも、今のものは修繕されてキレイになってしまっている。当時はもっとボロボロで、レンガの壁があたり一面に飛び散っていた。(これを聞いたときがものすごく衝撃でした。私には、現在のキレイな原爆ドームでさえ、ただ存在するということだけで十分に残虐さを訴えるものだったので・・・・。)
何人もの人が、皮膚がただれた状態で、何かに呼ばれたかのように同じ方角へ歩いて行った。「どこへ行くんだろう。どこに行っても何もできないのに・・・」と思った。
ある人は、腕が「かすりの着物」の模様に焼き付いていた。(濃い色彩に原爆の光線が集まり、焼けるそうです。白い紙よりも黒い紙のほうが、ムシメガネで紙を焼くときにより早く燃えるように・・・原爆資料館にも同じような展示がありました。)
また、ある人は、子供を胸に抱えたままうずくまって、そのまま動き出すことはなかった。 -
・・・ということを、じっくりと慎重にお話ししてくれ、さらに、今の日本のありかた、戦争を知らない世代が政権を取っていること、自衛隊について・・・・なども語ってくれましたが、この部分は割愛します。
ただ、私は何も言うことができませんでした。
私の勉強が足りないから返す言葉がないのか、もっと歳をとって経験を積めば、この人にかける言葉が見つかるのか、はたまた、戦争を知らないことにはどうしようもないのか・・・・
答えは見つかりませんが、大変貴重なお話を聞かせていただきました。 -
さてさて、
原爆ドームを離れ、繁華街へ向かう途中に爆心地があります。
長崎の爆心地は、周りが公園になっていて、石碑が建てられたりしていますが、広島の爆心地は現在も診療を行っている医院でした。 -
そうそう。
こちらに「テニアン島から・・」とありますが、私はテニアンにも2回行っているのでした。
もしご興味があったらどうぞ。
05’サイパン&テニアンの旅(4〜5日目)
http://4travel.jp/traveler/arice190/album/10045964/
2008 マリアナ〜テニアン編〜
http://4travel.jp/traveler/arice190/album/10279340/
おまけ 長崎の旅〜平和編〜
http://4travel.jp/traveler/arice190/album/10472861/ -
さて、気分が沈んでしまったので、元気を出して繁華街へ。
本通りでお土産を買ったり、商店街を見て回ったり。休日のため、観光客も地元の人も多く、とても活気があります。
こちらはアンデルセン本店。この建物も、大幅に改修されていますが、被爆建築で元は銀行だったそうです。
私、アンデルセンのパンをあまり頂いたことがなく、ここが本店と聞いても、「あっそう」程度の感想。ファンの方、すいません。 -
八丁堀の交差点に出て、こちらは福屋本店。デパートです。
このりっぱなビルも被爆建築だそうです。
こちらも、現役として使われているところがすごい!!
この交差点で、昼食なにしようかな〜と地図を広げると、食べたかった「広島風つけ麺」のお店がすぐ近所にあることを発見。
平和だと腹が減っても容易に満たされるんですよね。 -
で、こちら「一瑞」です。
なんか恥ずかしくて、つけ麺の写真を撮ることができませんでした(~_~;)
東京で食べる一般的なつけ麺は、ラーメンを麺とつけだれに分けた感じですが、広島風は全く違います。
まず、冷たい。「冷麺」と表記する店もあるほど。しかも、冷やし中華のように夏場だけではなく、1年中あります。
そして、つけだれが和風・・。うまく表現で来ませんが、冷やし中華のように酸っぱくないし、ごま油って感じでもない。しかも辛い!
さらに大量の茹でキャベツと白髪ねぎが乗っており、ラーメン屋なのに女性一人客が多いの納得です。
東京にもないのかな〜〜。 -
お腹も満たされ、さてどうするかなっと。
時間が余ってしまったので、一瑞から徒歩で行ける広島城へ。 -
石垣。
週刊日本の城の創刊号に書いてあった、石垣をチェック。
うーむ。あまりよくわからず。 -
広島城はこじんまりしていて、かなり近くに寄らないと見えません。
あ。黒いのね。 -
城跡公園の敷地にあった何かの遺構。城とは時代が違うことが一目でわかりますが、これは広島大本営跡。
-
広島城は「小さい!!」という印象でした。
こちらの城も再建で、元は原爆で破壊されてしまいました。以前は国宝だったそうです。
毛利輝元が築城し、何回か城主が変わり、日清戦争からは軍事施設として使用され、原爆により破壊される・・・という、歴史に翻弄されたお城です。
なお、この付近には今でも地下室があるそうで・・・
時間のある時にでも調べてみようかな。 -
天守閣からの景色。
写真ではわかりづらいですが、原爆ドームも見渡せます。これで見納めかな。 -
まあ、中の展示物はこんな感じ。
基本的に撮影不可で、このエリアだけOKでした。 -
広島護国神社を参拝。
カープの選手が必勝祈願に来るそうです。 -
で、帰りの飛行機に乗るべく広島駅へ。
広電は、古い車両がとても趣があって好きです。
大阪やら神戸やら、はたまた外国からのお下がりの車両が走っているそうです。戦前から走っている車両や、原爆に遭った「被爆電車」も走っているのだとか。
アンデルセンや福屋など、被爆建築が現役で使用されていることといい、広島の人たちは古いものをとても大事にしてくれています!! -
広島駅から出ているバスで広島空港へ。
駅から広島空港まで約1時間かかり(もちろん爆睡)、岩国空港のほうが便利だなという印象。 -
そして広島を後にします。
う〜〜む。
一人での旅行楽しかったな。でも、楽しみを分かち合えないのはどうかな。
しかも、平和記念公園については、どちらかといえば多くの人に訪れてもらい、平和の意味を考えてほしいところであるため、一人で来るにはふさわしくなかったのかも・・・?
当初の「自分しか知らない思い出ってどうなのよ?」って疑問はなぞのままです。自分は一人旅にはあまり向かないのかもしれませんが、行く場所にもよるのかもしれません(+_+) -
お土産紹介です。
かなわの「牡蠣の塩辛」とかき醤油味ポテトチップ。
塩辛はものすごくクセがあり、かなりクサイです。私はイカの塩辛をはじめ、つまみになる珍味は大好きなのですが、牡蠣の塩辛はもういいやと思いました。
・・・・・ネコは土産ではないです。 -
かきカレー、かきの燻製、カープかつ、牡蠣せんべい。
かつは、駄菓子のビッグかつと同じもの。せんべいは友達にあげちゃったので食べていません。 -
もみじまんじゅう各種と、カキ醤油。
もみじまんじゅうは定番のお味。カキ醤油は、卵かけご飯にかけるとウマーでした。 -
川通り餅。
きなこのお餅です。
値段の割にたくさん入っているので職場のお土産に持っていきました。だから箱を撮影。 -
現地では食べられなかったので、お土産用になっているものを買った、広島風お好み焼き。
キャベツがたっぷりなので、見かけと違ってかなりさっぱり。とてもおいしかったです。 -
そしてそして!!
今回の一番の感動お土産がこちら。
JR広島駅の駅弁、「しゃもじかきめし」
駅弁好きな妹の影響で、存在だけは前から知っていましたが、ついに初対面!!!!!
帰りの空港行きのバスに乗る前に、駅で購入。妹ちゃんにもお土産であげた。 -
帰ったその日に夕食として食べたのですが、とってもおいしかったです。
特にこのかきめしが、ご飯の上に大ぶりなカキが4つも乗っているのに、ご飯の中にもかきがゴロゴロ入っています。
かなわで食べたかきめしよりも良かったです。
今まで、自分の中でのキングオブ駅弁は横川の峠の釜めしでしたが、キング交代しましたよ!!
ただ、10月から3月までの限定販売です。残念・・・
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