2013/02/11 - 2013/02/14
1379位(同エリア1729件中)
明石DSさん
パナソニックの液晶大画面テレビ
北朝鮮の三回目の核実験報道があった
日本も一日も早い核武装実現を願う
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九份と台北市内観光
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2013/平成25年2月14日(木)
■台北長富時尚旅店の朝
台北での丸一日を過ごす日の朝、午前6時前に起きた。このホテルは朝食付きなので7時から一階喫茶コーナーを兼ねているホテルフロントで食べた。ウィンナー・ハム・玉子焼き、パンにサラダとボリュームたっぷりの朝食は美味しかった。
ツアーの待ち合わせ場所が「ザ・リージェント・タイペイ(晶華酒店)前のバス停」午前7時40分なので、朝食を急いで済ませ準備をしてバス停前に歩いた。私が九份行こうと思ったのは、「金門島流離譚」船戸与一(著)が二話の短編小説で、もう一話が「瑞芳霧雨情話」という九份を舞台としたもので、他にも行くところを考えたが時間もなく、ちょうど九份ツアーがあったので申し込んだ。
九份は昔、辺境の地で九家族しか住んでいなかったのが九份(台湾語で九人前の意味)の名前の由来で、日本の統治が始まってから金鉱・銀鉱・銅鉱が発見され鉱山都市として脚光を浴び発展した。日本の敗戦後、鉱脈も尽き急激に九份は衰退したが、侯孝賢監督の「非情城市」によって観光地として甦った。
日本統治時代この山里の辺鄙な場所に、鉱山開発されると同時に日本人向けの尋常小学校、神社仏閣も出来た。一体そこはどんなところなのか?残念ながら未だ映画は見ていないが、そんな九份に行く事になった。宮 駿(みやざき はやお)のアニメ映画「千と千尋の神隠し」の『お湯屋周辺の食堂街は、台湾の台北近郊の町九份がモデルになっており』宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしている。
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ホテルフロントは喫茶カウンター、夜はお酒も
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喫茶店のような一階ホテルロビー
ここでモーニングを食べる -
ザ・リージェント・タイペイ(晶華酒店)
台北長富時尚旅店より豪華なホテル -
ホテル前のこのバス停がツアーの待ち合わせ場所
一体どんなバスが来るのだろう?と、待っていた -
///?小柄で茶目っ気のあるガイドさん
話芸も巧みで慣れたもの
ガイドさんが左手に持つシールを胸に貼って歩いた
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■九份と台北市内観光へ
http://www.tabitabi-travel.jp/twtour/ts053.php
晶華酒店バス停前に待つのは私一人、そこに大きなバスが停まった。小柄な可愛い女性ガイドが降りて来て、待っている私に気がつき私の名前を確認した。バスに乗り込んだら、すでにパラパラと日本人客が座っていた。「おはようございます」と小さな声で挨拶しながら乗り込んだら斜め前方の夫婦参加の方が挨拶を返してくれた。その後も何ヶ所かでツアー客を乗せ総勢30名ほどで一路九份へとバスは向う。
私の座席は乗り口の右側一番前、写真を写したいから。今日も幸いにも雨が無く、結局最後の明日が雨に降られただけだった。大型バスで九份に向かったが、九份観光だけこの一団が揃って行動し、後は帰国するために空港へ行く人や、それぞれのツアーに別れての行動となる。だから九份での自由行動のあとセブンイレブン前に10時35分集合厳守と言われた。正味九份での観光は1時間20足らずだった。
ガイドが紹介してくれたのは、「花文字」・「草餅」・「臭豆腐」・商店街の中央を南北に貫く細い階段通路「豎崎路の階段は365段」・宮崎駿が来た「阿妹茶樓:あめちゃろう」「九份茶坊:昔漢方薬店、今お茶屋さん。オーナー(画家)の奥さん日本人。旅行で九份に来てオーナーと知り合い結婚。チーズケーキはここしかない。」「九份の看板犬の名前:シャオファン・日本人に付いて来る」等々、他もいろいろ説明してくれたが忘れた。
信義区に建つ「台北101:高さ509.2mで、地上101階、地下5階:熊谷組施工:2004年オープン」の高層ビルをバスの右手遠方に見ながら九份手前の公共バス乗り換え場所に午前8時40分頃に到着。そこから公共バスに乗り換え、すぐに九份に到着。 -
台北101
高さ509.2mで、地上101階、地下5階
のっぽビルが遠くに見えた -
昔この奥に九家族が暮らしていたのか
辺境で暮らす理由がそれぞれにあり・・・か
九份(台湾語で九人前の意味) -
ここで公共バスに乗り換えて九份へ
金爪石行きの乗り場もあった -
リアス式海岸が一望出来る
この景色が九份か -
このセブンイレブンが午前10時35分の集合場所
九份観光はここから始まる
まるでトンネルに入って行くが如し -
オカリナ奏者の“おっちゃん”
ガイドの掛け声で一曲吹いてくれた
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■九份
北側に東シナ海が開け小さな湾と半島が重なりあうリアス式海岸の眺望は素晴らしい。九份商店街入り口のセブンイレブンが私たちツアー一行の帰りの集合場所だ。しばらくは団体でガイドの後に付いてぞろぞろ歩く。一杯の観光客だった。こういったところは閑散としているより賑やかなほうがそれなりに観光気分も出る。指で描く「花文字」の実演も見たが興味なし。
土産物店がひしめき合うように並ぶ狭い商店街をキョロキョロしながら歩いた。それでも、さすが春節なのかシャッターを降ろしたままの店も結構あった。日本人妻「九份茶坊」へ行き、次に365段ある豎崎路の途中の「阿妹茶樓」の前で、それぞれガイドさんに写真を撮ってもらって集合時間まで自由行動になる。
ここに日本人に付いて来るという看板犬:シャオファンも来ていた。この犬とのツーショット写真をみんな撮っていた。 -
指で描く即興花文字
この手の絵はどこにもあり、興味も沸かず -
九份茶房
九份で一番古い建物
オーナー(画家)の奥さん日本人
チーズケーキはここしかない?
何で九份でチーズケーキを? -
これがかの有名な?
365段ある豎崎路(スーチールー)
狭いが良い -
日本人にしか付いて行かない?
看板犬シャオファン
みんなツーショット写真を撮っていた -
豎崎路を最上階まで登る
どこに行ってもとりあえず高い台へ行きたいのが私
阿柑姨芋圓の看板あり
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■九份一人探索
私も写真を撮ってもらったあと、高いところから見下ろしたいと階段を登ったら九份国民小学校に行き当たった。小学校の手前で階段に沿って30人以上がお世辞にも綺麗とは言えない小さな店に列を作っていた。これはなんや?と思ったら、九份名物タロイモで作ったモチモチの芋だんご「芋圓」の元祖と言われている「阿柑姨芋圓:Ā gān yí yù yuán:アーガンイューユエン」だった。
私が住む明石にも「明石焼き(たこ焼き)」でメディアで紹介され(NHK・鶴瓶の家族で乾杯など)、いつも列が出来ている店があるけど地元の者は誰も行かない。そこはそんな店です。この店はそんな店でないことを祈る。
その後、ガイドにもらった地図に炭鉱というのがあったので、その跡を見たいと思ってその方向に歩いた。商店街を抜け普通の民家が並ぶ道を歩いたら、頌徳(しょうとく)公園というところに辿りついた。準備不足もあって鉱山跡は何も分らなかったが、帰国後九份の東隣の金爪石(きんかせき)には鉱山の遺構や黄金神社、金瓜石黄金博物園区、十三層遺址等々があり観光地化されているようだ。
時間があればもっともっと歩き回りたがったが、ツアーの一員なので集合時間が気になりこれ以上中心から離れられずに戻った。途中見晴らしの良いお茶屋さんに入って休憩した。オーナーは退職後に夫婦と息子の三人でこの店を開いたとのこと。メニューのお茶の名前を見ても何も分らないけど「翠玉:すいぎょく Cuìyù ツゥイユ」という名前のお茶を頼み飲んだ。味も香りも記憶にないけどまずくはなかった。150元。吉野屋の牛丼セット134元と比べれば、それなりに高いけど。
景色を見ながらお茶を飲んで小休止し、集合場所に向かった。時は10時10分、35分まであと25分。ここから集合場所まで歩いてどれくらい掛かるのか?分らないけど十分間に合うと思いながら歩く。来た時に増して人は多くなって、狭い商店街の中は行き違うのも大変なくらい混んでいた。途中“草餅”を一個買い食べる。旨かった。臭いは旨いだろうから、臭豆腐も挑戦したかったけど“う〜ん”と考えてやっぱりやめた。 -
阿柑姨芋圓:Ā gān yí yù yuán:アーガンイューユエン
へぇ〜、ここがタロイモ、芋団子の有名店
味見はしたいけど並ぶのは嫌だ -
豎崎路最上階には小学校あり
九份國民小学・・・か
國民小学校という名前に郷愁を感じる
でも「校」はなく、「九份國民小学」とある -
昔は九家族
今はひしめき合って家が並んでいる
眺望良く民宿も多い -
ここから東北東方向「190km」に尖閣諸島がある
南東方向「111km」に与那国島がある -
頌徳(しょうとく)公園:頌徳とは徳をたたえること
顔雲年〔がん・うんねん〕一八七四〜一九二三
台湾の実業家を称えるために作られた
この名前の公園は日本各地にも存在する -
頌徳公園から九份の街並みを写す
山肌にびっしりと家並みが -
九份の道は狭く車の行き違いも難しい
行き違いの「技」と「駆け引き」を見ているだけで面白い -
茶房で翠玉を飲む
我九份に来たれり -
この店で草餅一個買って食う
美味かった -
蒟蒻(こんにゃく)専売店
「なこんにやく専売店」とはこれいかに?
「な」は「わざとなのか?」
そんなわけないと思うけど -
段々と来る人が多くなり
戻る私は人を掻き分け掻き分け歩く
集合時間が気になり早足で突き進む
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■サラバ九份
段々と人は更に多くなり、時間が気になって人を掻き分けるようにセブンイレブンを目指す。「これから帰国のために空港に戻る人もいるから遅れないよう」にと釘をさされているので、やっぱり焦る。
集合場所到着は制限時間5分前の10時30分。まだ案の定みんな揃ってはいない。この傍に立っていた案内地図を見たら頌徳公園のすぐ近くに「磅抗口」という軽便トンネル旧跡と記されてあった。この案内板が頌徳公園の地図にも記されていたら鉱山に関係する旧跡の一つでも見れたのに残念だった。
このセブンイレブンの集合場所にガイド曰く「日本人にしか付いていかない」看板犬シャオファンがまるで私たち一行を見送り来たかのように来ていた。さっきシャオファンに出会ったのは豎崎路の「阿妹茶樓」の前だったのに。
そのシャオファンが気が付けばここに来ていて皆も驚き喜んだ。そんな看板犬シャオファンの見送りを受け九份を後にした。公共バスの“運ちゃん”はカーブ連続の下り坂を慣れているのか、女性が悲鳴を上げるくらいジェットコースターの如く飛ばしていた。 -
入り口セブンイレブンに5分前に無事到着
案の定まだまだ全員揃わず -
九份の看板犬シャオファン
ガイド曰く「日本人にしか付いて行かない」
ホンマかいな?さっき阿妹茶樓の前で出会った
今、ここに見送りに??さすがのシャオファン -
きっともう二度とこの地に来ることはないだろう
人生見納めの九份からの海岸風景、しかと目に焼き付けておこう -
ジェットコースター並みの公共バス
運転手のサービスなのか?
それとも得意がっているのか?
それとも昨日何かあったのか? -
見送ってくれた看板犬シャオファン
ワンとも言わず、涙も見せず
ただじっと見送ってくれた
達者で暮らせよシャオファン
ちょっと太り過ぎが気になる -
駐車場から駐車場
午前8時41分〜午前10時58分
九?囲滞在1時間17分なり・・・か
九份観光
台北・金門島を訪ねる(十二)
http://youtu.be/y3J4GFJcrTg -
大型観光バスから小型おんぼろバスに乗り換えて
ガイドさんも交代:お母さんは日本人とのこと
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■昼食は梅子餐廰
バスを乗り換え台北市内に戻ってからは、次の予定に別れてガイドさんも変わり一行はバラバラになった。午後も同じツアーを申し込んでいた私たち数名は、昼食場所のレストラン「梅子」の前で降りた。その時は「梅子」がどこなのか?さっぱり分らなかったけど、今住所を調べたら私が泊まった台北長富時尚旅店の傍だった。梅子餐廰(林森店)は台湾家庭料理の店。一つのテーブルを囲み、他のグループの到着を待つ。
この梅子から同行するのは、私を含めて9名。朝から一緒は私入れて三人。あとの6人は羽田を今朝早く発ち、ここから台北観光スタートのグループだった。一期一会の連続である。一組の夫婦はまだ二歳にもならない男の子を同伴しての旅だった。同じ年の孫を持つ私が祖父の立場なら「お前ら何考えているんや!そんなことやめとけ!」と言うだろう。
食事は出てくる物すべてが美味しかった。追加で別料金のデザートを聞かれて、私は「杏仁豆腐」を頼んだ。50元。入店時は私たちだけだったが次々と日本人旅行者一行が入って来てテーブルも埋まっていった。24年前の台北での嫌な臭いは、未だ遭遇せず。こうなればその臭いを今一度確かめたいのに・・・。 -
台湾家庭料理の店「梅子」
梅子・・・か、何で? -
このテーブルが午後からの
我々ツアー一行となる
料理は全部美味しかった -
さぞかし多くの日本人観光客がここで足を揉まれただろう
有名?芸人、その他日本人の写真が並んでいた
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■台湾足裏マッサージ「滋和堂」へ
次に案内されたのは、台湾足裏マッサージ元祖店。「滋和堂」ここもホテルのすぐ近く。店内には日本の有名人?の来店写真がずらりと並んでいた。商売上手な丸儲けマッサージ店。ご一行9名のうち7名が並んで足裏マッサージを受けた。
私も何でも興味深々で参加するけど期待はしていない。でもラッキーだったのは私の担当した年期の入った女性マッサージ師は、まだ一生懸命してくれたし上手だった。最悪は隣の“おっちゃん”を担当した“おっさん”マッサージ師。拙い日本語は良いけど、相撲取り見たいな身体で健康について延々と話し続け、足を撫ぜるだけでマッサージにはなっていなかった。それで30分700元(2,100円)は高過ぎる。まあ支那朝鮮とは今後も敵対するし、日台友好のために仕方がない。 -
私の担当「5號 陳誌忠 女史」
この方を指名すればよし
上手で丁寧 -
隣の人の担当:この頭
この“おっさん”マッサージ師は最悪
当たり外れは、運ではなく日頃の自分の行いによる
この“おっさん”に当たれば、自らを反省すべし -
さすがに故宮、今日も大勢の来場者があった
私はどうも展示品に興味が沸かない
それは何故なのか?考え中
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■國立故宮博物院へ行く
24年前の初海外旅行が台北で、ここにも来たことを覚えている。それ以来の故宮だったが外観の装いは当時の記憶と同じだと思うけど、展示品を含めて内部の様子は以前とは違っているようだった。私は展示品にはほとんど興味が無く、雰囲気を味わいに来た。それも春節休暇中の故宮の様子はどうなのかと。
ガイドさんも言っていたが、今日は幾分人出も少なくなったようで、10日から昨日13日までの四日間は、凄い人だったようだ。今日も入場制限が少しあったし、展示品によっては行列をしているところも数ヶ所あった。私は室内をウロウロし、そして外に出て人の動きや様子を見ていた。
大陸支那人一行も沢山来ているのかも知れないが、昨年秋に北京の天安門広場や故宮に行った時のような、一見して違いが分るそれらしきツアー一行は見かけなかった。やはり同じ中国人でも、天安門に来ている一団と台湾という海外旅行に来ている一団では様子も違うのだろう。 -
外観は24年前の記憶と同じ
あの時は39歳にして初の海外旅行だった
匂いに悩まされた四泊五日だった
その匂いは「いずこ?」
遭遇ならず、いささか残念に思う -
故宮博物院を背にして前庭写す
北京にも故宮あり、されどお宝はなし
その心は
お宝は台湾にあるから、何か文句でも -
衛兵交代の儀式
選ばれた若き戦士の堂々の行進
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■「忠烈祠」へ
この忠烈祠は1969年日本統治時代の「台湾護国神社」跡地に建てられた。戦没者慰霊の祠だから護国神社と同じ意味合いのものだろう。衛兵交代のセレモニーが観光目玉になっている。陸海空軍が交代でこの任についている。1時間微動だにしない姿勢を取り続けるのは、それだけで体力気力の限界を試され修練となる。
台湾の徴兵制も2014年、来年には撤廃されるようだが勿体無い。徴兵の義務を果たしていない私だが、国民の義務は国防と納税の二つがある。徴兵と言う形で、たとえ半年でも良いから集団生活を経験し、24時間共にしての厳しい訓練を通じて、我慢・辛抱を覚え愛国心を養い。同じ世代の人間のそれぞれの違いを実感することは生涯の宝になる。
我が家の二男は中学卒業後、少年工科学校(自衛隊)に入校し、その後結婚し子供も出来た今も自衛官として任務に服している。三男も高卒後転職を経てから「徴兵のつもりで行って来る」と陸上自衛隊に入隊し二年の任期を務めた。その時の経験は今も宝になっているようだ。災害被災地での避難所暮らしで、避難者の不平不満が出ている様子を見て「俺はあんなん大丈夫や」と二年の自衛隊経験を経た三男はそう言っていた。
そして入隊後の三ヶ月の教育期間では、同じ世代の者同士だが、誰が見ていない場所でも立派な行動をする者がいれば、いくら注意され連帯責任に問われても、どうしようもない人間もいたそうだ。小中高とサッカー部でクラブ活動をした三男だが、自衛隊入隊後の教育隊では、「この班長のために頑張ろう」という気持ちになるほど尊敬できる若い上官に出会ったそうだ。
そんな人に出会えたのも、そんな気持ちになったのも初めてだったようで、それが手本であり見本だと思う。そして自分もそうありたいとの目標が具体的になり目指すべき人間像が出来る。24時間寝食をともにして気付くことが多い。軍人は男として“かっこ良く”なければならない。「男のかっこ良さ」を競い磨くのが軍人だ。
そうでなければ部下は、命令に従って命を投げ出そうと思わない。「かっこ良く」は付け焼刃で出来るものではない。それに真に中味がなければ24時間寝食を共にしていれば、誰もが互いを見極める。ごまかしは効かない。絶対にバレる。仕事の間だけ一緒で仕事が終われば互いにプライベートの時間を持てるのとは歴然と違う。
その究極が戦場だ。戦友と親友とは次元が違う。実弾飛び交う戦場で、自分の命を賭して友を助けるか?置いて逃げるか?そんな選択をいつも迫られる。修羅場を経験した者同士が戦友だ。人間の究極の本質をさらけ出した上での関係だ。平時だけの親友など全然あてにはならぬ(笑)私は決して戦争を肯定しているのではない。集団生活で鍛えることの素晴らしさを言っている。
徴兵がなくなることは台湾人が人間として総体的に劣化することだ。日本は戦後軍人を否定し、今も自衛官はいるが軍人はいない。軍人こそ国民の見本手本になる人材であり、国家の宝となるべき組織だ。新たな憲法を創憲し日本軍を作ることは無論だが、日本での徴兵制の復活を切望してやまない。
この日の衛兵交代は海軍の担当だった。五人の制服の胸には右に「姓名」、左に「海軍儀隊」と書かれたプレートが付いていた。多くの観光客に注視され、選ばれた若き兵士は誇らしげに堂々と行進をし交代の儀式を行った。私は行進について歩きながら写真を撮った。
きっとこの経験は彼らにとって生涯の宝になるだろう。その辛さ苦しさ喜び誇りは、体験した者しか分りようが無い。そして生涯衛兵になったことを誇りとし、自身の大きな糧となり続ける。この儀式がいつまでも続くことを祈る。そしてこれからもこの衛兵交代が観光目玉であり、彼らが台湾の子供たちのヒーローであり続けて欲しい。 -
みんなに注視されながら
目一杯かっこよくを意識して
日本にもこんなパフォーマンスがあればと願う
暴走族の戦闘服姿はうっとうしいに尽きる -
若き兵士のきびきびした一挙手一投足が
今も目を閉じれば瞼に浮かぶ
日本でも靖國神社境内でこんな儀式があれば
きっと見る者を感動させるだろう
忠烈祠衛兵交代
台北・金門島を訪ねる(十三)
http://youtu.be/XXSczdN-6BU -
澎湃精品有限公司
Péngpài jīngpǐn yǒuxiàn gōngsī
ポンパイ ジンピン ヨウシエンゴンス
ここが、ポンパイ・・・か
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■澎湃精品有限公司へ
このツアーの最後は、免税品店で、ここで解散となる。幸いこの店もホテルから徒歩圏内だったので、一応店内を見て回ったが、すぐに出てホテルに戻った。 -
土産物には何の興味もなく
それって金がないから?
もし金があったらどうなのだろう
金持ちは物欲も旺盛なのか?
一度大金持ちになって見たい -
MRT中山站付近
お持ち帰り専門寿司屋
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■臺北車站
部屋で小休止をし、この後どうしようと考えた。明日は台北桃園空港(発)12:45なので、二時間前の午前10時45分には空港に行っておきたい。空港にはタクシーで行くのか?リムジンバスに乗って行くのか?等々考えて、この時は、明日の午前中、台北駅周辺の日本時代の関連史跡を散策し、台北駅前からリムジンバスで空港へ行こうと思った。
それで今からそのリムジンバス乗り場確認のためと、24年前に見た台北駅周辺の風景を見ようとMRTに乗り台北站に行った。MRT中山站の次が台北車站。南側の広場に出ようとMRTを降りて「駅前広場:M5」を目指して地下通路を歩き、そこから地上に出たら目の前に見たことあるような「臺北車站」の威容が目に入った。
外観は一見して古そうだから24年前に見た臺北車站だろう。とりあえず明日空港へ行くリムジンバス乗り場を確認しようと駅内の案内所で聞いたら、「西隣にある」と言われて歩いて行った。駅前から西に道を一つ隔てたところに「國光客運」「臺北西站A棟」があり中に入ったら、桃園空港行きの搭乗口が目に入った。結局乗っていないのでそれ以上詳しいことは分らない。「國光客運」の場所はグーグルアースでも確認できる。
その後、駅内や周辺をブラブラ散歩した。駅構内の売店でひときわ目に付いたのが「てつおじさんのチーズケーキ」の店。この店にズラーと長い行列が出来ていた。でも、ただ並んでいただけなので「一体これなんや?」と思ったがケーキが売り切れ、作っているのを待っている行列だった。
店内はみんな若い女の子ばかり、作っているのも無論。レシピがありマニアル通りに作っているのだろうけど、女子高生が実習で作っているような風景は何とも頼りなげに見える。「1個 約16cm 199元(397円)」とは面白い。「ありがとうざいます。ぼろ儲けしています」に見えた。
「てつおじさんの店」は福岡県が本拠のようだけど、福岡でもこんな行列が出来ているのだろうか?関西では「りくろーおじさん」ちゃうんかいっ!!と言っている人もいるようだが、私は今までどっちも知らず。この台北駅内の行列は果たしていつまで続くのだろう?
どこでもそうだが大きな駅周辺は人間ウォッチングには最適だ。そこらに座って前を行き来する人たちを眺めているだけで飽きない。坊さんの集団が10頭以上の犬を引き連れ、犬にも国旗を付けて、二台のネオン輝く花人力車を引っ張って歩いているのには驚いた。
犬の救済を訴えお布施を募っているのか?良く分らないけどパレードだった。後から警察官が来て、その警察官たちは憮然とした顔で僧侶たちに「通行の邪魔だ!」というような感じで注意をしていた。 -
内容は日本とまったく同じ
お見事!
味も確かめておけばよかった -
24年前にここに来た。何となく見覚えがあった
周辺はまったく変わっているようだが -
臺北西站A棟が桃園空港行きバス乗り場
結局乗らずだったが -
てつおじさんのチーズケーキ
長い行列が出来ていたのでビックリ
今品切れで作っているところ -
犬曰く
「救一救其實我不想死」「死にたくないから救って下さい」
僧侶と犬の動物愛護を求める?花人力車パレード -
今も堂々とその存在感を示す「旧台北州庁舎」
残してくれてありがとう。使ってくれてありがとう
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■旧台北州庁舎(現 監察院)
駅近くには旧日本統治時代の建物として「旧台北州庁舎(現 監察院)竣工:大正4年(1915年)設計:森山松之助」がある。華麗で重厚な雰囲気を今に残し中山南路の交差点東角に建っている。
まだまだ現役の建物として使われているのが嬉しくもあり頼もしい限りだ。L字形で上から見れば結構大きい。「中華郵政監察院図書館」である。
台北州庁舎を左側に見ながら「忠孝西路一段」という粋な名前の道路に南北に掛かる歩道橋を渡った。「大東亜戦争遺跡」によれば日本家屋も有ったようだが、今はすでに取り壊されているのか?見つけることは出来なかった。
結局、旧台北州庁舎を確認しただけで散策は終わりとして、この近くの「神川日本拉麺」で“醤味泡菜拉麺”(Jiàng wèi pàocài lāmiàn ジャンウェイパオツァイラァミエン)を食べた(99元)。ホント美味しかった。 -
上から見ればL字型
敷地も広い。内部もきっと重厚だろう -
目指せ!神川日本拉麺
入って拉麺を食す -
醤味泡菜拉麺
ジャンウェイパオツァイラァミエン
美味かった -
やっと焼きあがったのか順番に購入していた
どうも並んでまでケーキを買う気持ちになれない
人それぞれだから世の中の面白い
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■臺北駅からホテルへ戻る
拉麺を食べて台北駅内に戻ったらさっき長い列をなしていただけのチーズケーキ店も、ケーキが焼きあがったのか客が順番に購入していた。それでも並んでいる人もまだ多く、売り切れたらまた焼き上がるまで待つのだろうか?並んで買うから美味いのか?ホンマに美味いのか?あ〜年取れば誰でも嫌味な性格になるのか?それとも?
MRTに乗って中山駅に戻り、ホテルに戻る途中、また映画館前で長蛇の列に遭遇。「欣欣秀泰影城」という映画館で『映画「レ・ミゼラブル」』を見る人たちの行列だった。この映画は私も最近見たがどうもミュージカル映画というのは、今一ピンと来ない。でもその時、すでに時刻は午後6時40分。この映画の上映時間は158分、2時間38分もある。これも春節休暇ゆえの光景なのだろうか?
ホテルに戻って明日帰国の準備をする。明日はタクシーで龍山寺に行き、またそこからタクシーで桃園空港に行く事に決めた。台湾到着時に日本円6万円を両替(18,750台湾元)したが、それがまだ半分以上の1万元ほど残っていた。まだお金にも余裕があったし・・・。明日は龍山寺で24年前を思い出しながら人間ウォッチングをしよう。 -
そりゃあレシピ通りに作っているのだろうけど
若いバイト?の女の子ばかりの店内を見れば
ふ〜ん、これでこんな行列がとあきれるしかない -
MRTのコイン切符
これを改札口に当てれば通れる
降りる時はこのコインを挿入する -
日本大創百貨
100円ショップではなく
39元ショップ
39×3なら117円、ちょっと高い -
ここでも行列が
映画館「欣欣秀泰影城」
映画「レ・ミゼラブル」を見るための行列
正月休みゆえなのか? -
ホテルのTOTO・ウォシュレット
今やウォシュレットは文明国には必需品
ウォシュレットの普及度で国の評価は決まる
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■ホテルの部屋に嬉しい知らせ
台北最後の夜となった。この日の夜、二男からのメールで皇居の宮殿(連翠)でPKO派遣の自衛隊員を招いての天皇・皇后両陛下による「ご接見に参加してきた」とのメールが届いた。予想も出来ぬ吉報にびっくり仰天しメチャ嬉しかった。
もし私が誰かに「あなたにとって日本人としての誇りは何ですか?」と問われたら迷わず「一も二も、三も四も・・・日本には皇室があり、万世一系男系継承による天皇陛下の存在があることです」と私は答える。
この特別な存在である天皇陛下の下に日本国民は万民平等の立場を得る。以前私が義母に「最近日本では皇室なんか要らないという人もいる」と言うと、義母は即座に「そりゃ、あかん。それじゃあ、みんな平等になってしまう」と言った。これこそが皇室の価値であり、日本が世界でも類まれのない安定した国柄が続いている根本だ。
私は天皇陛下と皇室の方々に心からの敬意と感謝の念を持っている。
日本がアジアの黄色人種として、有史以来、高い道徳観を保って世界に冠たる日本文明を築いたのはこの天皇を戴く国体にあると確信している。誠に絶妙の仕組みだと思っている。主に祭祀を司る天皇を日本国の象徴とし、天皇という特別なる存在の下に国民は平等の立場を得ることが出来た。
天皇教とは言わないが、どの時代においても目に見える存在として、日本の良き伝統文化を継承し、高貴なる道徳観を身を持って示して下さるのが皇室の方々である。国民はその特別なる存在を認め、感謝し、その代わりに皇室に常に気品と高い道徳性を暗に要求してきた。そして、皇室の方々も国民のその思いに応え身を律して模範を示してこられた。
そのお蔭で日本人は宗教の厳しい戒律にも縛られず、自由で伸び伸びと豊かな暮らしを謳歌しながらも、世界でも類まれなる高貴な民族として存在してきた。世界の歴史では権力闘争の度に凄惨なる虐殺などが頻繁にあったようだが、日本では多くの国民を巻き込む長期に渡っての悲惨な歴史は皆無だろう。時々の権力者も天皇を差し置いて国の独裁者にはなりえず、共産主義を受け入れず、欧米人が言う「神のもとの平等」という仕組みが、目の前の天皇という特別な存在の前に見事に機能し続けた。
天皇陛下を国家元首として戴き、権力を有さず象徴として国家国民の安寧をはかる。それも万世一系だから継承による混乱もありようがない。最早誰にも、とって代わることが出来ず、こんな仕組みを守り続けた日本国民の英知を本当に誇りに思う。子々孫々未来永劫この日本の国体を堅持することこそが日本の未来を輝けるものとする唯一のものだと私は確信する。
天皇陛下万歳!日本万歳!
天皇陛下万歳と言って死んでいった兵士は実際に幾らでも居た。証言する者も多い。私は十分に理解できる。天皇陛下の個人崇拝ではなく天皇陛下を戴くこの日本の国体に感謝し、万歳をしたのだろう・・・。私はそんな感じがする。無論これは私の私見であり、本人に聞いてみないと分らない。今の私は天皇陛下万歳!日本万歳!と叫んで死ぬことにはなんのためらいも無い。心から感謝し、そう叫ぶことが出来る
私は皇室の方々のご尊顔を遠くからでも未だ拝したことはない。でも二男が我が家、我が一族を代表してご接見の光栄に与ったことでメチャ嬉しかった。きっとご先祖も喜んでくれているはずだ。二男も幸運だった。二男を育ててくれ、任務とは言えいろんな機会を与えてくれた自衛隊にも感謝しかない。メディアの代表撮影の写真では、二男の頭とおでこが半分が写っていた。「これが俺や」と写真に赤丸で囲み教えてくれた。その写真の中、すぐ傍に皇后陛下もおられた。
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両陛下、PKOから帰国の自衛隊員らと懇談(著)
2013年2月14日17時41分
帰国した国際平和協力隊員と懇談する天皇、皇后両陛下
天皇、皇后両陛下は14日、皇居・宮殿で、国際平和協力隊として派遣されて国連平和維持活動(PKO)などに携わり、帰国した自衛隊員らと懇談した。
中東・ゴラン高原やハイチ、南スーダン、東ティモールに派遣された計約1900人の代表者ら計168人。天皇陛下は「危険を伴う厳しい環境の中、みなさんの尽力で地域の平和と安寧が保たれ、誠に意義深いと思います」とねぎらった。
国際平和協力隊を務めた自衛隊員らと面会した天皇陛下が読み上げたあいさつは以下の通り。
国際平和協力隊としてハイチ、南スーダン、ゴラン高原、東ティモールにおいて、任務を滞りなく果たされ、元気に帰国されたことをうれしく思います。危険を伴う厳しい環境の中で、さまざまな計り知れない苦労があったことと察しています。
みなさんの尽力により、これらの地域の平和と安寧が保たれたことは、誠に意義深いことであったと思います。どうかくれぐれも健康に留意され、今後ともそれぞれの職務を元気に務められるよう願っています。
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二男からの嬉しいメールで一気に私のテンションも上がり、明日の帰国も重なってルンルンの台北の夜になった。さあ明日は龍山寺でゆっくりして我が家に帰ろう。
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