2013/02/11 - 2013/02/15
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明石DSさん
金門島:馬山観測所より大陸方向を望む
目の前に中国領「小燈島、角嶼島」が見える
2013/平成25年2月12日(火)撮影
備え付けの双眼鏡で覗いたら若い二人の人民解放軍兵士の姿が見えた
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はじめに
これは旅行記にあらず。わが能書き也。今までのも同じだ。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百篇でも千篇でも。
公開する以上見てもらいたい読んでもらいたいのは山々だが。
目 次
(0) 旅たち前
(1) 2月11日(月)関空〜台北経由、金門島へ出発
(2) 2月12日(火)金門島の戦跡へ
(3) 2月13日(水)金門島〜台北へ
(4) 2月14日(木)台北での一日
(5) 2月15日(金)台北〜関空
台湾:金門島を訪ねる
昨秋、張家口から北27キロの丸一陣地跡へ行った。そして今回の旅は、「丸一陣地の旅」の続きとして「根本博中将」の足跡を追って金門島を訪れた。張家口も金門島も「この命、義に捧ぐ」門田隆将(著)を読んだことによる。
この本との出会いで、私は「蒙古聨合自治政府」を知り、終戦後に満洲と支那大陸からの在留邦人及び関東軍兵士・支那派遣日本軍兵士の運命の違いを知った。それらの違いは当時の「関東軍司令官:山田乙三陸軍大将」と「駐蒙軍司令官:根本博中将」の判断・決断の違い、そして勝者となったソ連軍と国民党軍という敵軍の対応の違いによって敗者側の「死と生」が決まった。
日本の敗戦後、満洲ではソ連軍の暴虐により満洲在留邦人は凄惨なる避難行を余儀なくされ多くの邦人が命を落とした。そして関東軍兵士は60万人以上ががシベリアに抑留され6万人以上が亡くなった。片や満洲以外の支那大陸では、国民党軍を率いる蒋介石が声明を発した「以徳報怨」の内容とそれに伴う行動は、日本・日本軍・日本人に対して寛大であった。
終戦時100万を越える支那派遣日本軍兵士や在支那邦人の早期送還のために30万トンの船舶を用意し、帰国時には日本軍民各自30キロの携行品を許し、乗船時に米も支給された。こういった国府軍の配慮に根本博中将(北支那方面軍司令官兼駐蒙軍司令官)や支那派遣日本軍幹部たちは蒋介石に多大な恩義を感じた。
その後大陸支那は国共内戦によって毛沢東率いる共産軍が勝利し1949年10月1日、中華人民共和国が建国された。それから今日に至っての大陸支那人の言動に、最近は富に嫌悪感が募るばかりである。しかし日本敗戦後、国民党を率いる蒋介石が声明を発した「以徳報怨」の内容とそれに伴う行動は、日本・日本軍・日本人に対して寛大であり、今の大陸支那人とのあまりの違いに戸惑うばかりである。
当時の蒋介石の「以徳報怨」に伴う言動は、とても今の同じ漢民族とは思えない。一体どっちが真の漢民族の姿なのか?そんなことに興味を抱いて台北・金門島へ行くことになった。根本博中将もそうだが、白団に参加し国民党軍の礎を作った多くの元日本軍将校たちも、折角大東亜戦争を生き延びたのに再度危険を冒してまで台湾に行く気持ちになった恩義とは如何なるものか?
親日と言われる「台湾」。私は39歳の24年前に行った台北四泊五日の旅が初の海外旅行だった。その時は初めてなので何の比較も出来ず、ただ嫌な臭いに悩まされたことが一番の記憶として残った。それから満洲を主に中国に18回の旅をし、今回の旅は、同じ漢民族が暮らす「台湾」と「大陸支那」との違い。「親日」「反日」の違いの実態を体験する旅でもあった。
そして台湾とは一体なんぞや?大陸にへばりついた小島の金門島が、何故今も台湾が実効支配を続けているのか?いろんなことを学ぶ機会となった。この地球上にはまだまだ不思議なことが山ほどある。
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大陸の一部のような金門島
今も台湾が実効支配を続けている
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2013.平成25年1月7日(月)
■台北⇔金門島
去年は旅行のあとの旅行記作りにホトホトうんざりしてしまったが、それが完成したら他にすることがなくなった。しかしその後家内の入院があり、それどころではなくなって次の旅行計画は白紙のままだった。でも家内が順調に回復し明日にも退院出来そうだと分った今日、早速台北行きの航空券の手配をした。
ホンマに俺って男は・・・と、調子が良すぎる自分に呆れるしかない。病名が分らず不安だった時は、当の本人は「なるようにしかならん」と平常と変わらぬ様子だったが、私は心配で夜も寝れなかったのに・・・。まあこんなものだ。
金門島行きは去年の張家口からの続きで、根本博中将が台湾を救った戦いの跡を見に行く。そして関空⇔台北往復航空券¥10,000円の格安には驚いた。片道では?と聞いたが往復だった。航空券はHISで購入した。
ジェットスターアジア航空(シンガポール)ご利用 往復航空券【受託手荷物/食事なし】
チケット代金 \10,000
航空保険料・燃油サーチャージ等その他 \11,000
関西国際空港施設使用料その他 \2,650
台湾出入国税等その他 \910
手配旅行に係る取扱料金チャージ代金 \3,150
合 計( TOTAL)\27,710円
「その他」が多いが、それでもどう考えても安い。ジェットスターは手荷物料金も別、機内食も別だけど、乗ってみないとどんな物だか分らない。食事はその場でもメニューがあって選択できるらしい。何かを頼もう。やはり機内食を食べないと時間潰しがしんどいから。出発は来月中旬。さあ今日から次の旅は始まった。
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2013.平成25年1月10日(木)
■春節とは知らずに
ネットで探したが金門島のホテルの予約が何で空室が無いのか?分らなかったが、今日、台北松山空港から金門島への国内便の航空券手配も空席がなく、旅行社の手配で何とか別便の席が確保できた。その担当者から携帯に電話があり、そこで事情を聞いて初めて春節期間だということを知った。
日本の正月同様、いやそれ以上、台湾人にとって春節は故郷に戻ったり、とにかく一年通して最大のイベント期間中だ。そんな時にノコノコ台湾旅行に出向く羽目になった。そりゃあホテルの宿泊費も一番高値だろうし、その他何でも高いだろう。後の祭りとはこのことだけど、春節が一体どんな盛り上がりなのか?この目で確かめることが出来る。災い転じて福としよう。
分って行く事はまずしないから・・・。
航空券も高い安いより確保出来たことで一安心。まだ復路の分が確保できていないが一人の空席なら便は変わっても大丈夫だろう。本来なら向こうで購入した方が安いようだが、こんな時期なのでそんなこと言っていられない。不安を抱えてより安心して行くほうが余程良い。
旅々トラベル
http://www.tabitabi-travel.jp/
立栄航空(台北松山→金門)
B7-8297 台北松山19:30発 金門20:25着 料金:9,120円
金門島と台北のホテルも、ネットで予約した。まあ選択基準は場所と料金。場所は中心部、賑やかなところ。料金は安いところといっても格安ではなく、ほどほどのところだ。ホテル料金も年齢と共に徐々に上がっている。
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金門島のホテル(二泊)というより民宿。他は空室が無かった。\6,256×2泊=¥12,512 朝食ナシ
小背包精緻民宿(Xiao beibao jingzhi minsu シャオベイバオジンジィミンス Backpackers Inn)
小背包精緻民宿のHP:http://www.easytravel.com.tw/ehotel/room.aspx?n=8227
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台北でのホテル(二泊)。\10,237×2泊=\20,474 朝食含む
長富飯店 (Zhangfu fandian ジャンフーファンディエン Homeyhouse)
台北長富時尚旅店(Taibei zhangfu shishang ludian)のHP:http://homeyhouse.hotel.com.tw/
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四泊五日の台北・金門島への旅程は、13日の金門島→台北松山空港への航空券以外は決まった。決めるのは相変わらず早いけど、中味は吟味もせず適当だ。それから考える。でも台湾は、まだしも反日国家ではないので気分的にはまだ楽だ。初めての海外旅行が台湾だった。
「日時:1989:平成元年12月4泊5日」・・・その時も四泊五日。家内と二人の旅だった。2013年:平成25年の今から24年前、私は39歳、三人の息子たちも小学生。家内の実家に預けての年末の旅行だった。空港に降りたら香辛料の匂いで臭かった。食べ物にもその他すべてにその匂いが付きまとい、五日間その匂いに悩まされた。今回はどうなんだろう?また当時を思い出すかも・・・。そうでないことを祈るけど、多分・・・やっぱりかと。
この臭い匂いの元はネットで検索して犯人が分った。「五香粉(ウーシャンフェン)」のようだ。
以下の説明があった。↓
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五香粉(ウーシャンフェン)ですね。台湾料理にはほとんど入ってます。自分は台湾にはよく行くんですが、煮物系、炒め系の料理に使われる香辛料の五香粉、沙茶醤、八角、コリアンダーはかなり苦手ですね。日本では食べられない味ですから。
味は薬の味のような?ハーブ系の漢方薬のような独特の味。台湾人も日本人にはこれらの香辛料は苦手という認識があるみたいですよ。でも周りの日本人女性は美味しいという人もけっこういます。しかし知り合いの日本人男性の9割は苦手と言っています。
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上記の説明に間違いない。メチャ苦手だった。ホテルの部屋にもこの臭いが染み付いていた。この臭いのない食べ物を探すのに苦労した記憶がある。24年後の今年の台湾の旅はどうなるのだろう?私の臭覚味覚に変化はあるのか?乞うご期待だハハハ。 -
中国共産党の喉元に刺さった棘:金門島
今も台湾が実効支配をしている。奇跡のようにハハハ
このちっちゃな島のために台湾海峡は自由な内海とならない
世の中不思議なことは幾らでもある
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2013.平成25年1月15日(火)
■金門島
「金門島流離譚(りゅうりたん)」船戸与一(著)を読んで・・・。
日本統治時代の台湾の領土は、台湾本島と澎湖島(ほうことう)だけであり、金門島も馬祖島(ばそとう)も含まれてない。しかし蒋介石が台湾に行った後も、人民解放軍はこの島を攻略できず、今も中華民国が実効支配している。
ただ台湾の実効支配が続いているだけで国際法的には台湾領であるという根拠はないらしい。元からの住人も台湾への帰属意識は希薄のようだが、中華人民共和国の国民でもない。戒厳令解除後に始まった「三通政策」の実施後、多くの観光客が訪れる島となり、金門島の戸籍を持つ住人は自由に対岸の中国本土に入れるようになった。
そんな金門島だから、島の帰属が問題になるようなことには目を伏せる。金門島の微妙な立場を利用し、この島を拠点として密貿易を堂々としてるらしい。目の前2キロちょっとのところが大陸「厦門アモイ」でありながら今も台湾が実効支配をしている島とは、一体どんな雰囲気の島なのだろう。
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2013.平成25年1月23日(水)
■「白団」中村祐悦(著)
白団(パイダン)というのは、大東亜戦争終結4年後の昭和24年(1949)〜昭和44年(1969)の長きにわたり、台湾総統:蒋介石の依頼によって台湾軍を指導育成した旧日本軍将校たちの軍事顧問団のことだ。その団長となった富田直亮(とみた なおすけ:陸軍少将)の中国名:白鴻亮 Baihongliang バイホンリャン)のバイをとって白団(パイダン)と呼ばれた。
この白団は、根本博中将たちの渡台とは直接の関係はないが、根本中将は同時期に台湾に渡り金門島での古寧頭戦役(こねいとうせんえき)で、台湾軍の湯恩伯(Tang enbo タンエンボー)の参謀として作戦指導をし、上陸してきた人民解放軍を殲滅させ勝利した。
白団は昭和44年すべての日本人将校が撤収するまで20年間の間に国府軍(台湾軍)の礎となる幹部・高級軍人の教育養成を担当した。そのために白団に加わった日本軍元将校の総勢は83名にものぼる。みんな極秘裏に渡台している。
こんなこともチラッと耳にしたことはあったが、ほとんど何も知らなかった。根本博中将から白団を知り、また戦争終結以降の支那大陸での蒋介石の日本軍や在留邦人に対しての数々の温情というのを知った。
『蒋介石は、1907年20歳の時に、士官学校の予備校である東京振武学校(とうきょうしんぶがっこう)に入学したが、陸軍士官学校には入学せず、1910年より日本陸軍に勤務し、第13師団高田連隊の野戦砲兵隊の隊付将校として実習を受けた』
蒋介石は20歳前半を日本留学と日本軍兵士としての経験から、国府軍の教育は日本式軍事教育を根幹としようとの信念があったようだ。戦後米国軍事顧問団が台湾に入ってから白団を排除しようとしたが、蒋介石はその継続を望み米軍顧問団を誤魔化しながら続けようとした。
蒋介石もそうだが、その他、何 応欽(か おうきん)・湯恩伯をはじめ日本留学組みは、その思考も言動も日本人に近いと感じる。根本博中将も、本の題名のように「この命、義に捧ぐ」というくらい蒋介石はじめ彼ら国民党軍幹部の敗戦後の対応には感謝している。
白団の生みの親とも言える、支那派遣軍総司令官:岡村寧次大将もそうだし、多くの支那派遣日本軍将校は、敗戦後の蒋介石の温情にただならぬ恩義を抱いている。一体蒋介石とは何ぞや?「この命、義に捧ぐ」門田隆将(著)を読んだ時もそうだったが、今「白団」中村祐悦(著)を読みながら、蒋介石という人物が私の今までの認識とあまりに違うことに正直戸惑っている。
それは共産軍との戦いに備えた蒋介石の打算だけとは一概に言えない。全てに渡っての細やかな気配りがあり、それを感じたからこそ日本軍将校たちが蒋介石を初めとする彼らに命を捧げても構わないという気持ちを持つに至ったのだろう。誰だって相手の打算を感じれば命を捧げようとまでは思わないはずだ。
日本留学を経験した後の国府軍エリートたちは、これではまるで武士道の矜持を持った日本人のようだ。中国人が日本人になり得るのか?思えば李登輝さんは日本人以上に日本人の精神を持っているし・・・。蒋介石の真の人物像とはこれいかに?ホンマに今はまだ分らない。
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海岸から厦門を見ると陽炎のように高層ビル林立の風景が
軌條砦が今も敵の上陸を防いでいる
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2013.平成25年1月27日(日)
■台北・金門島の旅程
関空から台北往復、台北⇔金門島往復の航空券。金門島での二泊の宿。台北での二泊の宿。帰国前日の2月14日(木)の一日旅遊の手配が1月22日に一応完了した。春節真っ只中の旅なので、現地の様子はどうなのか?旅行に不都合があるのか?初体験なので行ってみないと分らない。
1月11日(月)
ジェットスターアジア航空 3K724 関空(発)11:30 - 13:50 台北桃園空港(着)¥27,710
立榮航空 B7-8297 台北松山(発) 18:15−19:25 金門島(着) \9,120
金門島:小背包精緻民宿(Xiao beibao jingzhi minsu)宿泊:11日 12日 二泊 ¥12,512
HP:http://www.easytravel.com.tw/ehotel/room.aspx?n=8227
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1月12日(火)
金門島観光
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1月13日(水)
午前:金門島観光
午後
復興航空 GE2342 金門(発)13:00−14:10 台北松山(着)¥8,580
台北長富時尚旅店(Taibei zhangfu shishang ludian)宿泊:13日 14日 二泊 ¥20,474
HP:http://www.homeyhouse.com.tw/about_jp.php
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1月14日(木)
九分観光と台北市内観光 ¥5,480
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1月15日(金)
ジェットスターアジア航空 3K721 台北桃園空港(発)12:45 - 16:15 関空(着)
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27,710+9,120+12,512+8,580+20,474+5,480=¥83,876円也
交通費、宿泊費、オプショナルツアーの一人旅代金合計は、今の所、8万4千円ほどなり。食事その他の移動費、観光諸経費が必要だ。こうやって個人旅行をすれば、ツアー料金が如何に安いか良くわかる。
ツアーの方がホテルも断然良いし。食事も付いていることが多い。その上安心でもある。一人旅の良さ?は、毎回不安と緊張感を味わえるハハハ。行きたい場所に行ける。誰にも行動を制約されない。いくら無口な人間でも、何かをしようと思えば現地の人と関わるしかない。
私の旅は自称だが、いつも修行に近い。旅行先ではぐっすり気持ちよく寝れることはまずない。旅の前日も不安と緊張で寝れない。帰国が近づくと嬉しくなる。それでもお金を貯めて行きたくなる。いつまで続けることが出来るのか?神のみぞ知るだが、私にとって海外旅行は怠惰な自分への挑戦だ。
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2013.平成25年2月4(月)
■金門島への旅
まだ資料も出来ず、簡単な概要だけは分ったが、準備不足のまま出発になるのは目に見えている。国府軍(中華民国軍)と共産軍(人民解放軍)の金門島での戦いは昭和24年10月25日、26日、27日の三日間で収束する。10月1日、天安門の上で中華人民共和国建国を毛沢東が世界に宣言した後の戦いだ。
共産軍は、大陸から国府軍を海岸まで追い詰め、厦門を奪取し、金門島にも上陸してきた。すでに勝利を宣言し、そこまで破竹の勢いの共産軍最後の詰めともいえる金門島奪還作戦である。
「大金門島:面積131.7k?」・・・小豆島(153.30 k?)より小さな島に立てこもる負け犬軍隊など上陸さえ出来れば簡単に一蹴できると共産軍は確信していただろう。しかし、根本博中将の作戦が功を奏し、国府軍の圧勝で終わった。
共産軍の戦死者はいろんな数字がある。
古寧頭戦史館「上陸2万人、戦死1万4千、捕虜6千」
ウィキペディア「戦死3873名、捕虜5175名」
第一波9千人で、第二波を1万名上陸させる共産軍の作戦が本当で、一波で使用した上陸用舟艇(ジャンク船)が焼き払われたり座礁によって戻ることが出来ず、二波の援軍を送れなかったのが事実なら。戦死者、捕虜数の合計約9千名が正しいのだろう。
この大金門島は、小豆島より小さいとはいえ、やはりデカイ。隣の小金門島にも行きたいし、どうやって効率よく回れるのか?どこを見れば良いのか?出発が一週間後に迫っているのに準備不足も甚だしい。あ〜ァ、それでも集中できない。根本中将の活躍があったとはいえ、日本軍の戦いでないからどうも気合も入らず。 -
「左:小嶝島」「右:角嶼」
まことに、のどかなものだ
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2013.平成25年2月7日(木)
■六士先生
四泊五日の短い日程だが、台北での空き時間にどこに行こうかと思っていたら「芝山巌事件」というのを知った。日本が台湾統治を始めた時に日本人教師が殺害されたことはおぼろげながら知っていたが。それがどんな事件だったのかネット検索で少し分った。
台北の土林区に碑があると分かってそこに行く事にした。その事件は明治28年、日本が日清戦争勝利後に台湾の割譲を受け、日本統治が始まるとすぐに教育の必要性から教師七名を日本から派遣した。
まだ台湾の治安は安定せず日本統治に反対する暴動が各地で起こっていたが、派遣された教師たちは「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」として、危険を顧みずその地を離れなかった。翌明治29年元旦、六人の先生と用務員計七名が拝賀式出席のために出かける途中、抗日匪賊100名ほどに遭遇し、説諭したが聞き入れらず全員惨殺された。
しかしこんな惨劇が起こったにも関わらず、芝山巌学堂(しざんがんがくどう)は三ヶ月後に再開されている。それが当時の日本人の凄いところだと思う。欧米覇権国家の植民地政策とはあまりに異なる日本の統治行政があった。台湾しかり朝鮮半島しかり、その他南洋諸島もみんなそうだ。
六士先生の写真も年齢も明らかだが、用務員だった「小林清吉」は、いったいどんな人物で年齢は何歳だったのだろう。今の所小林氏のことは何も分らない。芝山巌学堂跡に行くことにした。
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2013.平成25年2月10日(日)
■台北・金門島
金門島に到着が午後7時25分だから、もう夜だし初めての地で何も分らず。まして今日2月10日が正月で春節期間真っ只中。宿泊予定の小背包民宿(民宿)に空港までの有料送迎サービスがあるというので、さっき民宿に電話をした。
台湾本土から飛行機で1時間足らず、支那大陸、厦門の目の前にある島。それが金門島だ。我が家の電話で「010−886(台湾国番号)−82−3232333」と、緊張しながら番号を押せば普通に掛かった。それだけでも未だにいつも驚く。
拙い中国語で「明日そっちに行く。飛行場まで迎えに来て欲しい」というと、相手は若そうな男性で「今どこから掛けていますか?」と聞かれ「日本から」というと。向こうは、日本から明日私が来ることを知っているようだった。迎えはOKで、料金は200台湾元、日本円623円くらい。
「金門島の飛行場に着いたら電話してくれ」と言われたが、「私の携帯で掛けれるかどうか分らない」と言ったら、「台北の松山空港で電話をして服装を教えて欲しい」と言われた。服装を説明するにも色の単語もあんまり知らないし、説明も難しい。でも何とかなるだろう。
それよりなにより電話の相手が、私の拙い中国語に我慢強く付き合ってくれたことにホッとした。支那大陸ならあっさり切られたかも・・・。それだけでも不安が少しは解消する。四泊五日の台北・金門島の旅は、欲張らずゆっくり見れるところだけを見よう。
大・小金門島の戦跡と、台北では、「中正紀念堂」「九イ分」「故宮博物院」「忠烈祠」そして「芝山巌学堂跡」。帰国の日の午前中に龍山寺の賑わいを見て帰ろうと思う。1989:平成元年12月初めて台北旅行で行った場所にもう一度行ってみたい。台北には日本統治時代の建物等がまだまだ沢山あるようだが、下調べもしていないので諦める。
当地の天気予報を見れば、私が滞在中一日も晴れマークはない。こればっかりは仕方がない。日頃の行いが悪い故なのか?何とか雨が降らないことを祈る。台北の気温は15〜20度前後。金門は10〜16度前後。
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