2013/02/11 - 2013/02/15
19802位(同エリア30135件中)
明石DSさん
今JR西明石駅プラットホームに立つ
今夜・金門島に立っているはず
西明石→台北→金門島
まるで“ワープ”のように瞬間移動するが如くである
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2013/平成25年2月11日(月)
■台北経由、金門島へ出発
出発前日の夜は、いつも不安と興奮で寝れないのに今回は何故か?朝6時半まで普通に寝れた。台北も金門島も週間天気予報は、旅行期間中曇りか雨模様で降水確率も高く、行く前から天気のことは半分諦めての出発となる。
四泊五日の旅はリュックの中味も少なく重量は6.6キロ。パンやお菓子を入れてもまだ余裕があった。そして何よりも期間が短いので気分も比較的リラックス?恒例の儀式であるリュックを担いだ姿で家内に部屋で写真を撮ってもらって玄関を出た。2月11日(月)の今日は建国記念日・皇紀2673年である。
そして我が家の玄関に掲げた日の丸の旗を背に再度写真を撮ってもらいJR西明石駅に向かう。こっちの天気は快晴、空一杯の青空を仰ぎ少し冷やりした空気を感じながら歩く。我が人生28回目の海外旅行の始まりだ。駅近くの格安チケット売り場で西明石⇔三ノ宮往復切符(800円 100円得)を買う。三連休の最後、祝日の午前7時半プラットホームに人はまばらだった。
三ノ宮着は8時前、関空リムジンバス往復券(¥3000円 片道¥1,900円)を買い、出発時間まで三ノ宮高架下をウロウロする。海外へ行く時、時にはポートアイランドから船で関空に渡ることもあるが、そうでない時は、これが家から関空までのいつもの行動パターンだ。
今は満62歳だが、今年の夏には63歳になる。一体私の目標、年二回の海外旅行がいつまで続くのだろうか?その為にはまず「健康と金」。この二つ無くしては継続不能なり。生涯現役を目標に細々と仕事を続けるつもりだ。そして65歳からは年金をもらいながらも働き、75歳までの10年間を我が人生至福の10年としたい。
「65〜75才を至福の10年」というのは、75歳までなら身体もまだ動きそうだし、「仕事の収入」+「年金」で金銭にも余裕があるだろうからフフフ。このことを周囲のみんなに公言しているが「他人の不幸は蜜の味」「取らぬ狸の皮算用」と、きっと馬鹿にされているだろうハハハ。私自身は気合を入れて目標達成に内心意気揚々だ。結果は13年後の2025年のお楽しみとしよう。
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三ノ宮駅前からリムジンバスで関空へ
各自世界に旅たつ前に、まずは関空へと向かう
40年前まだ海外旅行は夢の世界だったのに
ならば40年後は宇宙旅行が実現しているのかも -
格安航空は人件費削減なので並ぶ時間は長い
窓口は沢山あるのに二ヶ所しか使わず
ここに並ぶのは貧乏人とケチと節約家
ちなみに俺は?低所得者フフフ
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■関空から台北へ
関空に到着してすぐに三連休最後の出発をちょっと悔やんだ。人がやたらと多過ぎる。今回の旅行は家内の退院と同時に慌てて計画し、春節真っ只とも知らず出だしから不徳の致すところだった。その一環としてこの日の出発もある。失敗から学ぶこと多し、でもそれが棺おけに入るまで多すぎても困る。
関空⇔台北、往復¥1万円。その他合計\27,710円 。安過ぎて文句はない。その格安航空券は「ジェットスターアジア」シンガポールの航空会社。関空の案内所で場所を「A]と教えてもらい9時半前に行ったらすでに多くの人が並んでいた。しばらくして受付は始まったが窓口は二人、なかなか前に進まない。格安の意味を知る。受付は日本語を話す中国人だった。
出発口も大勢の行列、そして無事に出国手続きが終了し、まずはホッとする。どうにも飛行機の旅、そして入出国手続きは緊張する。搭乗口にたどり着いてやっと「これで行けるぞ!」となる。年二回も行っているのに慣れないのは何故なのか?何も落ち度はないはずなのに自身を検査されるのは、どうにも良い気持ちではない。
台北経由シンガポール行き、3K724便は、定刻11:30(発)より20分ほど遅れ11:50分頃離陸した。私はいつもように窓側の席を頼んだ。最後列から二番目の窓側。中央通路左右に三座席の飛行機は、ほぼ満席だった。無料機内サービスはなし。こんな飛行機に乗ったのは初めてで最初要領は分らず。前もっての予約者には、すぐに食べ物、飲み物が配られていた。
私の横は、台北の女学生で天理市の友人を訪ねての帰国だった。その隣通路側は日本人男性、この男性は旅なれているようで食事も予約済み、すぐに配られた食事と飲み物を食べていた。その旨そうな食い物の臭いが周囲に漂う。私も機内で何か注文しようと昼食を食べずに乗った。そして座席にあるメニューを見て、コーヒーと照り焼きチキン弁当?なる物を頼む。
支払いは日本円でも良いが、お釣りは「シンガポールドル」と言われ、ためらうとすぐに察して「カードでもOKです」と日本人客室乗務員(女性)に言われてニコスカードで支払った。弁当は10ドルだったが、これはシンガポールドルなのか?米ドル価格なのか?請求が来るまで分らない。弁当は熱々だった。まあまあ旨かった。
でも「食べる人」「食べない人」それぞれなのでどうも気を使う。臭いと音に席の垣根なく、因みに隣席の女学生は何も頼まず。通路側の男性は、その後も弁当を追加で頼み、酒も頼んで飲んでいた。しかし気を使おうが安全であれば、何といっても安さには勝る物はなし。格安と普通と事故頻度にこれから違いは出るのだろうか? -
手荷物検査の出発口も長〜い行列
搭乗口到着まで先は長い -
ほぼ満席の台北経由シンガポール行き
この日この時何故私と同じ飛行機で台北へ行くのか?
それぞれの事情を知りたいが・・・偶然とは恐ろしい -
デジカメ時刻を合わせ間違い2時間の誤差となる
写真時間:12:53
日本時間:11:53
台湾時間:10:53
今回の旅を通じてややこしくなった
落ちれば運命を共にする機中の我ら
一体この何人が祈っているのだろう? -
初めての経験
機中にてメニューを見て注文する
「照り焼きチキン弁当」
電子レンジが優秀なのか?熱チ、熱チ
熱さで味を誤魔化すことなかれ?まあ旨い -
?雲の上に雲はなく雲の下に雲はないはず
雲の絨毯の上を飛ぶ、あ〜我今飛行機に乗っている
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■台北:桃園空港へ到着
24年ぶりの台北の上空は残念ながら天気予報通り雲に覆われていた。厚い雲の中に飛行機は桃園空港へ向かって下降を始め、やっと視界が開けた時はもう地上は近かった。到着は午後4時前。初の海外旅行が39歳の12月末の台北、今回と同じ四泊五日。その間中、嫌な臭いに悩まされ続けた記憶が強烈に残っている。今回もその臭いが一番心配だった。
ネットで検索したらどうもその臭いは、五香粉(ウーシャンフェン)の臭いであるようだ。はっきりは分らないし他の香辛料の臭いかもだけど、とにかく至る所その臭いあり。食べ物はほとんど、部屋にも。機外から出て、まずその臭いを確かめたが、臭いはなくまず一安心。
機外に出て出国手続きに向かう途中の銀行で日本円6万円也を換金(18,750台湾元:1元=3円)した。そして2時半にはタクシーに乗って予定通り「中正祈念堂」へと向かう。空港から料金はメータ表示に1割5分増しプラス高速料金が加算とのことで¥1,280元。そんなん知らなかったので戸惑ったけど。
今回の旅は、根本博中将他敗戦後の支那派遣日本軍将校たちが、敗戦後に蒋介石や国府軍高級将校に人間として「義」を感じたのは何故?を問う旅でもある。今の大陸支那人の言動を見れば、彼らに「義」を感じることなど考えられない。それが自らの命を賭してもその「義」に「義」で応えるために根本中将たちや白団の日本人元将校たちは危険を顧みず台湾に赴いた。
その証ともいえる花瓶がこの祈念堂に展示されている。それを見るために行った。 -
雲の中から出たと思ったら地上が迫っていた
台北に来たり -
台北:桃園飛行場
ホントは松山空港に着きたかったが
こっちは市街地まで遠く不便なり -
無事に到着す
50年後多分この半数は黄泉の世界へと旅立っているだろう
みんな楽しい人生を過ごされんことを祈る
そんなことを考えるのは他にもいてるのか? -
桃園空港から中正祈念堂へ向かう
大陸支那との雰囲気の違いをすでに感じながら -
“蒋公”1975年4月5日没:88才
2013/没後38年の中正祈念堂に来る
共産支那ますます横暴にして膨張し
世界の大迷惑になっている
“蒋公”よ!支那を解体してくれ
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■中正祈念堂へ行く
2月10日が旧正月、その翌日の11日春節の中正祈念堂は観光客で溢れていた。入場は無料。ここには24年前にも来たけど記憶にはほとんどない。館内を見る前に、ここから松山空港までタクシーで何分くらいかかるのか?警備の“おっちゃん”に聞いたら親切な受け答えで「15分程」と教えてくれた。
大陸支那との雰囲気の差を桃園空港到着後から私はすぐに感じ始めていた。「どうも違うなあ!」と。
台湾人にとって蒋介石とは如何なる人物なのか?
台湾の「国父」とも言うべき人間なのか?それとも台湾を長く戒厳令下におき本省人と言われる台湾人の多くを粛清し自由を奪った独裁者なのか?それは日本人として50年を生きた本省人と、蒋介石と共に共産軍に追われ大陸から逃れ来た外省人とでは、当然の如く違うだろう。蒋介石の評価は私には難しい。
目指す花瓶は執務室を再現し、蒋公(Jiang gong ジャンゴン:蒋介石)の蝋人形が座っている部屋に展示してあった。この花瓶は三対が作られ「日本の皇室」「エリザベス女王のご成婚の御祝い品」に二対が贈られ、もう一対の一つが根本博中将、そしてもう一つがここに展示されている花瓶だそうだ。そのことだけで蒋公の根本中将に対しての感謝の気持ちが分る。
根本中将に贈られた花瓶「Web頁参照」
『花瓶は根本氏の長女、富田のりさん(東京都在住)が家宝として大切に保管していた。昨年、刊行された門田隆将著「この命、義に捧ぐ」で花瓶の存在が明らかにされたことで、富田さんは「日台間にこんな友情があったことを知ってほしい。頂いたものを返すのは失礼なので、永遠にお貸しします」と、帰郷させることを決断した。』
ということで近い将来この祈念堂に二つ並べた一対として展示される日が来るのだろう。
この日、春節の休日で大勢の観光客がこの蒋公の祈念堂を訪れていた。そして今も台湾人の心を捉えて離さないのが“テレサ・テン”のようだ。“テレサ・テン”のイベント案内の旗竿が並び立ち人気の高さを知った。
蒋公の祈念堂なので当然だろうが若き日の日本時代の写真や、その他、興味深い写真が数多く展示され撮影も自由なので見学の価値は大いにあった。三人の女性と結婚し妾も一人、そして最初の妻(毛福梅)との間に長男:蒋経国をもうけた。その後、側近の軍人「戴季陶」と日本人女性との間に生まれた男子「蒋緯国」を養子として育てた。
その私生活も波乱万丈だが複雑な家庭環境の中、息子を立派に?養育しているのは興味深い。一体どんな息子であり、主人であり、父親だったのか?一人の人間としての蒋公とは?まあ幾ら私が考えても分らないが・・・。権力者・独裁者としての冷徹さと、根本中将たちに義を感じさせた温情。共産主義をある時期から終始一貫して毛嫌いした人間“蒋公”への興味は尽きない。
心配していた天気も雨はなく、いつの間にか青空も垣間見れる天気になっていた。空港から降りて祈念堂を見て周っただけの台北滞在数時間で、大陸支那との雰囲気の違いや人の違いを感じていた。初の海外が台湾、そして24年後の台湾再訪。その間、18回もの満洲を中心とした大陸支那旅行を経験してこそ違いをすぐに感じたのだ。
支那と比較すれば、遥かにこっちは日本の雰囲気に近い。道を尋ねても、写真を頼んでも、対応が穏やかで動きもゆったりしている。同じ漢族なのに?同じ漢語を話すのに・・・。まるで異種の民族のように感じる。心配だった旅の道中もこの時点で少し安心感を持てた。それくらい私の印象が違ったのだ。
午後3時から40分くらいゆっくりと見学し、祈念堂前からタクシーに乗り松山空港に向かった -
1972年製キャデラック
使用は4年間
防弾ガラス他安全製は完璧なのだろう -
“蒋公”の執務室の再現、蝋人形が座っている
写真、左奥の花瓶が根本博中将との対の一つ
一番奥に大切に展示されていた
ここにもうすぐ根本家より託される花瓶が並ぶのだろうか? -
これが根本博中将に贈られた対の花瓶
-
1911年 24歳
新潟県 高田連隊の野戦砲兵隊の蒋介石(前列右側・和服姿)
日本で過ごした四年間で得たものが
その後の“蒋公”の
精神的支柱となっている気がする -
天気予報では降水確率が高くて心配だったが
青空もチラホラの空模様は有難い
春節休暇で観光客も多かった -
私もファンだった“テレサ・テン”
台湾の人たちに今も人気絶大のようだ
軍隊への慰問も熱心にしていたようで
あちこちの軍事施設に彼女の来訪時の写真が飾られていた
時の流れに身をまかせ
http://www.youtube.com/watch?v=kYFqI9h7MTw
台北・金門島を訪ねる(一)
中正祈念堂
http://youtu.be/v0_0Cs_3EcM -
昭和20年8月18日
?インドの英雄「スバス・チャンドラ・ボース”」
この松山空港離陸に失敗して亡くなった
その時の九七式重爆撃機搭乗員の安否は?
皆さんのご冥福を祈る
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■台北:松山空港
警備の“おっちゃん”に聞いたように15分くらいで到着。さあ、ここから金門島に行こう。
台北松山から金門島の航空券(¥9,120)は、日本で「旅々トラベル」を通じて購入していた。プリントした「Eチケット」を立榮航空の受付カウンターで見せ「窓側の席を」と頼んだら、すぐに「班次:B7 8297」「搭機門G12」「座位12K」のチケットを手渡してくれた。
どこでもそうだが初めての空港はいつも不安。この台北松山空港の国内線は各航空会社の受付カウンターが並んでおり、日本で購入せずとも空席があれば、ここで簡単に買えそうだった。当日空港窓口で購入する料金を聞かなかったのでどっちが得なのか分らないけど、次回台北から台湾各地へ国内線を利用する時の心配はない。
チケットもすぐにもらえ搭乗時間まで余裕があったので松山空港展望台に上がった。24年前(1989)の初訪台時にガイドに紹介された「圓山飯店」が展望台から遠望できる。このホテルは日本統治時代の台湾神宮跡地に建てられている。春節休みなのでどこも多くの人で賑わっており、この展望台にも沢山の人がいた。
これも帰国後に知ったが、この松山空港で昭和20年8月18日“スバス・チャンドラ・ボース”が、搭乗した九七式重爆撃機が離陸に失敗死去した。
そして搭乗口に戻り金門島の小背包民宿に電話をして空港への迎えの確認をした。昨晩我が家から電話した時と同じ若い男性の声で、「今、自分の携帯で電話してますか?」「ハイ、そうです」と言うと「金門島に到着してからまたこちらに電話を下さい。」とのこと。その場では一応「明白了:分りました」と言ったが・・・。
こっちの服装を聞き、迎えの車のナンバーを教えてくれたのに到着後に電話するように再度言われた。何でその到着時間に来てくれないの?と邪魔臭くなり、それならタクシーで自分で行こうと、再度電話して「自分で行くから迎えはいらない」と断った。それが後で悲惨な結果?になってしまった・・・。
そして、まだ時間があるので搭乗口前の喫茶店に入って小休止。ケーキセット(紅茶とショートケーキ:計180元 540円)を頼み食べて飲む。まあ日本のケーキのように美味しくないけど・・・大きさはこっちが勝る。
「さあ、もうすぐ金門島なる島に行くのか・・・」と、すでに空も暗くなりかけ不安がよぎる。とにかく初めての所はホテルに無事到着までホッとは出来ない。
午後6時前に搭乗口ゲートをくぐり、迷彩服姿の若い軍人もチラホラと一緒にバスに乗って飛行機まで行く。そこには島から島への空の旅には似合いのプロペラ機が止まっていた。後部タラップを上り「座位12K」に座る。真ん中通路に左右二座席、ほぼ満席だった。松山離陸は6時半。途中コーヒー一杯のサービスがあった。それでも嬉しい。 -
国内航空各社のブースが並び分りやすい
これなら簡単に当日券でも買えそうだ -
松山空港展望台にて
遠くに「圓山飯店」が見える
そうかそこに台湾神宮があったのか
今年は伊勢神宮の第六十二回式年遷宮がある
是非、行きたいと思っている
日本の原点がそこにある -
搭乗口前にある喫茶店で小休止
-
ケーキを食べて紅茶を飲む
180元なり -
金門島への搭乗開始
何とっても金門島は大陸にへばりついている
台湾ではなく大陸支那に行くような不安もある
不安はすべて取り越し苦労に終わったが・・・ -
これから金門島滞在中を含めて
迷彩服姿の若い軍人を数多く見ることになった
金門島が軍島であることが分る
今は緊張感はなかったけど -
そうかこれが金門島への飛行機か
久々のプロペラ機 -
真ん中通路、左右に二列の座席
ほぼ満員の乗客を乗せて金門島へ
今日二回目のフライトなり
飛行機は故障すれば落ちるから嫌だ -
一杯のコーヒーのサービスに感激する
注文せずとも免費だ -
夜に到着したので空港の感じは今一分らず
出口に向かって歩く
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■金門島:尚義空港から“小背包民宿”へ
我金門島に来る。
午後7時45分、予定より20分遅れて金門懸:尚義空港到着。うら寂しい田舎の飛行場を想像していたが、そうでもなく綺麗だった。やはり離島とはいえ台湾統治の島であり、要衝の地でもある。三通政策(「通商」、「通航」、「通郵」)実施後は厦門との往来も自由になり以前に増してそれなりに豊かな島になっているのかも?そんな空港での第一印象だった。
空港前にはタクシー乗り場があり、順番通りタクシーに乗り込んだ。夜間料金があるようで初乗り¥220元だった。運ちゃんに小背包民宿の住所や地図のプリント見せ「知っているか?」と聞けば、当然のように「知っている。早く乗れ」と催促され後部座席に座るとタクシーはすぐに動き出した。しかし運ちゃんはそのプリントを見ても場所が分らないようで私に「ホテルに電話してくれ」と言う。
私は携帯を出してホテルに電話し運ちゃんと代わった。運ちゃんはしきりに道を聞いていたが周囲は暗く町外れで目印らしきもなく、しかとは分らないようだった。それでも長々と電話をしていたのを切り、私に電話を返し走り出した。でもやはり分らないらしく近くの家の前に停まって家人に聞いたが分らず、また私に電話を掛けろという。
私は途中で何度も「空港へ戻ってくれ!」と言ったが戻ろうとせず、グルグル走りメーターは上がり続ける。またホテルに私が電話をし、運ちゃんと代わったが、今度も分らないようで運ちゃんに「ここまでホテルから迎えに来るから降りてくれ」と言われた。真っ暗で人気もなく、こんなところで降りて待つのは不安だから「車の中で待つ」と言って降りなかった。
グーグル地図やグーグルアースでもあらかじめ見ていたので空港から近いところに有るのは分っていたし、町の中心部にも近いことは分っていたが、少し外れただけで夜はこんな真っ暗で何も分らない場所であるなんて思いもよらず。幸いすぐにホテルから迎えの車が来てくれた。やっと一安心。
タクシー料金は¥350元だった。目的地にも行けず道迷うだけでグルグル走り、おまけに私の携帯で長電話をされ散々だった。元はといえば迎えを断ったことが失敗で自業自得とも言える。早々に¥350元払って乗り代わった。タクシーが道に迷っている時に、何でフロントの彼が何度も「空港降りてから電話をして」といった理由が分った。
ようするに「松山→金門島」などの国内線は定刻通りの離発着はなく、遅延はは当たり前であり、それにホテルから空港まで車で10分ほどと近いので到着後の電話で迎えに来るのがここでは当たり前なのだろう。この旅行を通じてこの一件が一番の失敗であり、一番嫌な思いをしたこととなった。ということは、四泊五日の旅の期間中、これ以上の嫌な思いや失敗もなく楽しい旅をすることが出来た。
迎えに来てくれた青年は、丁寧で腰も低く「好青年」を絵に描いたようなZY君(仮名)だった。私の二泊三日の民宿滞在中は、フロントに彼が一日の後半担当、午前は女性。そして手伝いのインドネシアから来た23歳の女性。それに帰りに空港まで送ってくれた男性(家族と一緒に)がスタッフのようだった。他にもいるのかもだけど私が出会ったスタッフらしきは計4名。
私の部屋はフロント(事務所)のすぐ横、まだこの民宿自体が新しいようで綺麗な部屋だったが、この日の夜は温水も出ず、周囲は真っ暗でどうしようもなく、9時前に部屋に入り持って行ったパンを食べ、ZY君がくれたミネラルウォーター2本の水で夕食となり明日に備えた。万事休す。 -
歓迎
返郷過年
歓迎!故郷に戻って正月を
やっぱりここは正月か・・・と
松山空港〜金門島へ
http://youtu.be/bMUU3TG1SgQ -
“小背包民宿”は新しい民宿だった
到着時は周囲が真っ暗で外にも出れず
未知の世界だったが無事に着いて安堵する -
温水が出なかったが諦める
すべては明日の朝を待つ
12時間以上を掛けて
西明石から台北経由金門島へ到着
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