2012/11/26 - 2012/11/26
1825位(同エリア16409件中)
川上さん
サクレ・クール寺院に行ってきました。
小高い「モンマルトンの丘」にあり、パリ市内を見渡せます。
少し治安が悪いようにも思えました。
晴れていることもあり、最高の景色でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「アミアン」 から戻ってきました。
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「パリ北駅」 です。
「1846年」 に開業した歴史ある駅です。 -
駅構内。
「遠距離路線」 の主要ターミナルです。 -
駅外観。
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駅は歴史ある部分も残されてます。
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「サクレ・クール寺院」 へ向かいます。
「20分」 以上歩いたかも。 -
「モンマルトルの丘」 に立地しています。
感じませんでしたが、「緩い坂」 を登っているはずです。 -
周辺には 「お土産」 を売っています。
年間 「1000万人」 が訪れる人気の観光地です。 -
見えてきました。
「真正面」 だと 「木」 が邪魔です。 -
この辺りで 「お土産」 を売ってる 「アフリカ系」 に腕を掴まれて離してくれません。
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「メリーゴーランド」 があります。
映画 「アメリ」 で使われたそうです。 -
「モンマルトン」 は 「セーヌ川右岸18区」 にあり 「観光名所」 です。
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モンマルトルの名は、「Mont des Martyrs(殉教者の丘)」 が由来である(ウィキペディア)。
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紀元272年ごろ、この丘の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖 「デニス(サン・ドニ)」 と二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられている(ウィキペディア)。
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首をはねられたサン・ドニは、自らの首をかかえながら北のほうに数キロ歩き、息絶えたという。その場所がサン=ドニのサン=ドニ大聖堂になったとされる(ウィキペディア)。
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「晴れ」 てると綺麗に見えます。
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「サクレ・クール寺院」 をバックに写真を撮ってます。
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この姿をしばらく維持してました。
今度 挑戦してみようと思う。 -
「ロマネスク様式」 及び 「ビザンティン様式」 の寺院です。
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「普仏戦争(1871年)」 をきっかけに 「ギベール・パリ大司教」 が計画を提唱して 「1914年」 に完成しました。
地盤の悪さが原因で、提唱してから 「約40年」 かかりました。 -
登ると 「パリ市内」 が見えます。
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「ゴシック様式」 ばかりの 「フランス」 だったので、
「ドーム」 になってる 「ビザンティン様式」 は新鮮です。 -
「ビザンティン様式」 とは 「東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)」 の勢力下で興った建築様式である(ウィキペディア)。
代表的な建物として 「アヤ・ソフィア大聖堂(トルコ)」 があります。 -
迂回して 「最上段」 へ。
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どこの何があるか分かるように写真板があります。
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「パリ副都心方面」 です。
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「モンパルナス方面」 です。
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真下です。
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「サクレ・クール」 を訳すと 「聖なる心臓」 です。
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「カトリック教徒」 の 「献金」 で建てられた寺院でもあります。
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市民に開放されたのが 「1919年」 だったそうで、
「第一次世界大戦」 後とあり 「ドイツへの復讐」 の象徴となっていたそうです。 -
「聖王ルイ(ルイ9世)」 の銅像です。
「敬虔なキリスト教徒」 で 「十字軍」 に2回(7回目、8回目)に参加してます。
アメリカの都市 「セントルイス」 の語源です。 -
「ジャンヌダルク」 の銅像です。
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正面は 「キリスト」 でしょうか?
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中への入口です。
「無料」 ですが 「撮影不可」 です。 -
内部は 「普通」 で驚きはなかったです。
「私語厳禁」 で 「監視(警備)」 が多く居心地が悪かったです。 -
お金を出せば 「円天井(ドーム)」 まで登れます。
「螺旋階段」 が 「234段(83m)」 あるそうです。
今回はパス。 -
斜めから一枚。
建物は綺麗で素晴らしかった。 -
「エッフェル塔方面」 です。
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「19世紀末〜20世紀」 のこの辺りは、パリ一番の 「歓楽街」 だったそうです。
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南側には 「ケーブルカー」 の駅です。
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「フニクレール」 と呼ばれる 「ケーブルカー」 です。
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「モンマルトル」 といえば 「芸術家の街」 でもあります。
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その中心 「テルトル広場」 です。
「画家」 の集まる広場です。 -
「似顔絵」 を描いてくれます。
何人かに声をかけられましたが遠慮します。 -
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パブロ・ピカソ、アメデオ・モディリアーニ、ほか貧乏な画家達やがモンマルトルの「洗濯船」と呼ばれる安アパートに住み、アトリエを構え制作活動を行った。ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらも出入りし議論する活発な芸術活動の拠点となった(ウィキペディア)。
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モンマルトルを制作の場にした代表的な人物には、
「フィンセント・ファン・ゴッホ」
「ピエール・ブリソー」
「アルフレッド・ジャリ」
「ジャック・ヴィヨン」
「レイモン・デュシャン=ヴィヨン」
「アンリ・マティス」
「アンドレ・ドラン」
「シュザンヌ・ヴァラドン」
「ピエール=オーギュスト・ルノワール」
「エドガー・ドガ」
「モーリス・ユトリロ」
「アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」
「テオフィル・アレクサンドル・スタンラン」 -
らがいる。
彼らは、モンマルトルの風景を描いた作品も制作しました。
(ウィキペディア) -
近隣には 「ピカソらのアトリエ」 や 「洗濯船」 が残っています。
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しかし、モンマルトルは第一次世界大戦の直前あたりから急速に観光地化・高級住宅地化が進み、地価高騰と混雑を嫌った芸術家たちはモンパルナスに移っていった(ウィキペディア)。
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邪魔しないよう、怒られないように撮ります。
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多くの観光客が写真を撮るので慣れている模様。
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周辺を歩きます。
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階段に描かれた絵① 。
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階段に描かれた絵② 。
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階段に描かれた絵③ 。
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どこを歩いているか判りません。
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「壁抜け男」 です。
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「ミュージカル」 の 「壁抜け男」 だと思われます。
※ 1943年のマルセル・エイメ(仏)の短編小説。 -
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「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ギャレットの風車)」 です。
有名な 「ダンスホール(屋外居酒屋?)」 です。
画家 「ルノワール」 の有名な 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 の題材となった建物です。 -
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ギャレットの風車)」 の絵を描いてます。
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下っていきます。
この辺りは 「撮影」 でよく使われるそうです。 -
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「モンマルトルの丘」 を下りたところです。
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「クリシー通り」 です。
「ムーランルージュ」 の外観を見るつもりでしたが逆歩したみたいで諦めました。 -
夕食に幾度とお世話になった店。
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「ハンバーガー系」 の店です。
行く度 「待ち時間(5分程)」 に話しかけられました。
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