2012/08/18 - 2012/08/18
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滝山氏照さん
臨済宗妙心寺派瑞巌山・円光院(えんこういん、山梨県甲府市岩窪町)は戦国時代織田信長も怖れた武将武田信玄(晴信)正室三条夫人の墓所となっています。
甲府駅北口の武田通りを北進、武田神社に至る手前の交差点、護国神社入口を右折しそのまま道に沿って進みますとやがて上り坂にに差し掛かる所に円光院が視野に入ります。
そもそも当院は武田氏祖先の本拠である八代郡小石和(いさわ)郷に遠祖源清光(みなもとの・きよみつ、1110~1168)が創建、清光院と号し後に武田信守(たけだ・のぶもり、生年不詳~1455)が父、信重(のぶしげ、1386~1450)の牌寺として成就院と改め永禄3年(1560)、武田信玄がこの地に移し信玄が定めた甲府五山の一つとして円光禅院に改め三条夫人を開基とします。
三条夫人は京都の公家、三条公頼の次女で駿河・遠江・三河を支配する今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)の媒酌により天文5年(1536)16歳で信玄(晴信)に嫁し、信玄との間には嫡男信義・信親(竜宝)・信之・黄梅院(北条氏政夫人)・見性院(穴山梅雪夫人)の5人の子をなします。
元亀元年(1570)に三条夫人は50歳で死去そして当院に埋葬され、夫人の法名に因んで現在の円光院と呼ばれます。
2022年7月28日追記
当寺のホームページには下記の通り由緒が記されています。
『 円光院の由緒
瑞巌山圓光寺(臨済宗妙心寺派)は甲府市の北東に位置し、春歌秋月の美しさと展望に恵まれた躑躅ヶ崎(つつじがさき)の東にあります。当山を創建した武田信玄は、山囲むこの自然環境そのものをもって自らの境涯を示しました。
信玄公は元より仏法信仰を重んじ臨済宗に帰依し、京都妙心寺派の開山である開山国師の威風を崇敬しておりました。その因縁により京五山、鎌倉五山にならい、甲州の古刹の寺を城下に移しました。そして何も妙心寺派に改め、それぞれに土地を寄付し、これらの寺を御成附御祈願所五山と号しました。現在は別名甲府五山と称し、円光院、東光寺、法泉寺、町禅師、能成寺であり、何も武田親族の菩提寺となっています。
円光院は元々、信玄公の先祖・逸見太郎清光の創建(保元年間)で、清光院と号し、小石和(現在の笛吹市石和町)にありました。後に武田信守が父・信重の牌寺として成就院と改めました。さらに永禄三年(1560)信玄公が、京都より説三和和尚を迎えて開山とし、当地に写しました。
現在の寺号の起こりは、信玄構成室三条夫人が元亀元年(1570)7月28日に逝去し、当院に葬送された時の法名から、瑞巌山円光護持禅院と改称されました。
天正元年(1573)4月12日、信玄公は信州の駒場にて53歳の生涯を終えました。そして武田家滅亡後の当院は、武田の家臣を祖先とする平岡氏累代の菩提寺となっています。
当院は、延享3年(1746)惜しくも伽藍を焼失してしまいました。最近まで実存した伽藍及び庫裏は、直後の宝暦年間(1751~1760)に平岡代官(当院の書院にある木座像)によって再建されたものと推定されます。そして、現在の本堂は昭和52年に再建され、庫裏は平成11年に大改修いたしました。』
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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