2012/11/21 - 2012/11/21
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KawakamiKenさん
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ルーヴル美術館に行ってきました。
世界的な有名な絵画、彫刻わ数多く収蔵する美術館。
フランス滞在中に2度行きました。
写真は「モナリザ」です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 2.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フランス観光の中心地にあると言ってもいい
「ルーブル美術館」 です。 -
「ガラス張り」 の 「ピラミッド」 がメインの 「入場ゲート」 です。
入口はここ以外にも 「側面」 に 「2か所」 あります。 -
「手荷物検査」 をおこなっています。
出口もここなので人が多く見えますが、それほど並ばずに入場できました。 -
側面の建物です。
元々は 「ルーヴル宮殿」 だった建物で、かなり 「広い敷地」 です。
「1200年」 頃に城館ができたのが始まりです。 -
「手荷物検査」 を終えて、「入口付近」 です。
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観光のスタートは 「地下1階」 からです。
「35万点」 の所蔵と言われてます。 -
「パリ・ミュージアム・パス(PMP)」 で入場できます。
写真は 「インフォメーション」 です。
ここで 「日本語のパンフレット」 をゲットします。 -
「オーディオガイド」 が 「任天堂DS」 でした。
「5ユーロ(約540円)」 。
慣れてないので使いずらかったです。
「解説」 は役に立ちました。 -
「ルーヴル美術館」 には 「3つ」 のゲートがあります。
「モナリザ」 をまず見たいので、「ドゥノン翼」 の入場ゲートから入ります。
「初代館長」 のナポレオン・ボナパルトの外交官であった「ヴィヴァン・ドゥノン」から命名されました。 -
「モナリザ」 に向か途中に、「ダリュの階段」 を登ると 「サモトラケのニケ」 に出会いました。
ルーヴル美術館で 「2番目」 に見たかった 「サモトラケのニケ」 なので感動です。 -
「ギリシャ」 の 「サモトラケ島(現在のサモトラキ島)」 で発掘されました。
古代ギリシャ時代の 「サモトラケ島」 は 「偉大なる神々の秘儀」 が伝わる 「特別な島」 でした。
「フランス人」 の 「外交官シャルル・シャンポワゾ」 が 「サモトラケのニケ」 を発見。 -
「サモトラケのニケ」 は 「紀元前220〜185年頃」 の作品と言われています。
作者は 「不明」 です。
「勝利の女神」 として 南西の丘の 「ニケの神殿」 で祀られていました。
「大理石」 が 「パロス島」 のものなので 「ロードス島(スコパスの彫刻学校)」 で作成され 「サモトラケ島」 に運ばれたんではないか言われています。
「キリスト教徒」 による 「破壊」 により、「頭と腕と足先」 がありません。
サモトラケのニケの 「断片」 は全部で 「118片」 にもなります。 -
「サモトラケのニケ」 の特徴は 「動きの一瞬」 をとらえているところ。
「勝利」 を伝えるために ニケが 「空」 から 「舞い降りた瞬間」 を表現しています。
「古代ギリシャ」 の人々が羽織っていた 「キトン」 をまとっていますが、その 「キトン」 が透けて 「肌が露出」 しています。
また、「キトン」 が 「風」 になびいています。
「優美でダイナミックな姿」 と表現されます。 -
「頭と腕と足先」 が、かつてはどのような姿だったのか 「議論」 されています。
過去においては、 「手」 には 「ラッパか冠」 を持っていたんではないかと言われてましたが、実際は 「何も持っていなかった」 ことが 「指」 の発掘でわかりました。
「足先」 は 足の角度から 右足を地に着け、左足は 「宙に浮いていた」 そうで、「翼」 は着地の瞬間の形なので 「舞い降りた」 瞬間だと言われています。
「頭部」 に関しては判りません。当時の彫刻から 「想像」 するしかありません。 -
「台座」 は 「船の形」 をかたどっています。
古代ギリシャでは、「ガレー船」 の 「舳先」 に 「彫刻」 を立たせていました。 -
有名な話ですが、
「勝利の女神」と言うことで、アメリカのスポーツメーカー 「NIKE(ナイキ)」 の語源となっています。
また、
映画 「タイタニック」 の有名なシーンの船先で 「手を広げる」 シーンは、 「サモトラケのニケ」 を真似たものです。 -
「モナリザ」 の展示されている部屋です。
奥では 「人だかりが」 できています。
「モナ・リザ」 が 「防弾ガラス付き防犯ケース」 と係員とにガードされ展示されてます。 -
「モナ・リザ」 です。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)」 が晩年(50代前半)の 「1503年」 に書き始めた作品です。
「3〜4年」 かけて書かれており、今も完成されてないとも言われてます。
よって、依頼品にも関わらず、生涯ダ・ヴィンチの手元に置かれてました。 -
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 が生きた時代は、「ルネサンス後期」 です。
レオナルドは若い頃は「この世で最高の美男子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だったとされるが、生涯独身であった(ウィキペディア)。 -
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 は1452年4月15日に 「ヴィンチ村」 の公証人の家に生まれました。
「10代半」 に 「フィレンチェ」 の芸術家に弟子入りする。
「20歳前後」 に 「独立」 する。
「30歳」 の頃 「ミラノ」 へ転居する。
「38歳」 の頃 「人体比例研究」 を描く。
「43歳」 の頃 「最後の晩餐」 の作成開始し3年後完成。
「48歳」 の頃 「フィレンチェ」 に戻る。
「51歳」 の頃 「モナ・リザ」 の作成に着手。
「61歳」 の頃 「ローマ」 に赴く。
「64歳」 の頃 「アンボワーズ(仏)」 に赴く。
「67歳」 の頃 「アンボワーズのクルー館」 で死去する。
各地を 「転々」 とした人生ですね。 -
モデルの謎
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背景
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「スフマート法」
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評価
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どの位置からも目が合う神秘の瞳
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盗難
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側面から一枚。
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「ナポレオンの戴冠(ジャック=ルイ・ダヴィッド)」
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「グランド・オダリスク(ドミニク・アングル)」
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「民衆を導く自由の女神(ウジェーヌ・ドラクロワ)」 がない。
「ルーブル・ランス」 へ貸し出してるとのこと・・・
※ 「ランス」 に 「ルーヴル美術館」 の別館が 「2012年12月11日」 にオープンすると後で知りました。 -
「メデューズ号の筏(テオドール・ジェリコー)」
「報道絵画」
「生存者15名」 -
「キオス島の虐殺(ウジェーヌ・ドラクロワ)」
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「ダンテの小舟(ウジェーヌ・ドラクロワ)」
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「サルダナパールの死(ウジェーヌ・ドラクロワ)」
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「カナの婚礼(パオロ・ヴェロネーゼ)」
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「田園の奏楽(ジョルジョーネとティツィアーノ)」
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「洗礼者聖ヨハネの首を受け取るサロメ(作ベルナルディーノ・ルイーニ)」。
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「ミロのヴィーナス」
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「瀕死の奴隷(ミケランジェロ作)」
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「キューピッドの口づけに目覚めたプシュケ」
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「マグダラのマリア(グレゴール・エアハルト作)」
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ここからは 「リシュリュー翼」 です。
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「リシュリュー翼」 で有名なのが、
「ハムラビ法典」 です。
「バビロニア」 の 「ハンムラビ王」 が発布した法典 。 -
ハンムラビ法典は完全なかたちで残る世界で 「2番目」 に古い法典です。
最古のものは 「ウル・ナンム法典(紀元前2100年頃)」 で 「メソポタミア文明」 の 「ウル第三王朝」 の 「初代王ウル・ナンム」 によって発布された法典です。
「ウル・ナンム法典」 は 「損害賠償」 に重点が置かれ、「殺人・窃盗・傷害・姦淫・離婚・農地の荒廃」 などについての刑罰が規定されてます。 -
「目には目で、歯には歯で」・・・「を」でなく「で」が正しい。
この条文の目的は 「同害報復」 を要請するものではなく、「無限な報復」 を禁じて同害報復までに限度を設定することであるそうです。
もし強盗が捕えられなかったなら、強盗にあった人は、無くなった物すべて神前で明らかにしなければならない。そして強盗が行なわれたその地あるいは領域が属する市とその市長は、彼の無くなったものは彼に償わなければならない。
「財産の保障」、「女性の権利」 なども含まれており、現代の司法制度に通じる条文も含まれています。
「罪刑法定主義」 であるこの法典は、近代刑法への歴史的に重要な規定とされています。
「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の 「弱者救済 」 の文言は注目されてます。
(ウィキペディア) -
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「有翼人面牡牛像」
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「スーサの玉座の間の柱頭(紀元前6世紀)」
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左は 「レースを編む女 (ヨハネス・フェルメール) 」
「1670年頃」 の作品です。
「23.9×20.5cm」 と小さい画です。 -
「白い点」によりピントが合わない(絵の各所に見える焦点のぼけたような描写)ことによる、当時ではほとんど見られない、
① 「被写界深度」を描写。
② 「カメラ・オブスクラ」を使用。
されていると言われています。
また、背景は白一色の壁で、これは主題である中央部分だけに鑑賞者の視線を集めるためだと考えられている。
(ウィキペディア) -
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「アンゲラン・カルトン アヴィニョンのピエタ 」
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「貴婦人たちの入浴」
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「同じ容姿の双子」 が描かれています。
「ヴィーナス(アフロディテ)」 -
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「いかさま師(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作、1635年)」 です。
「宗教画」ではなく、当時は稀な「風俗画」です。
「賭ける事(卓上に金貨)」で「3人」が「1人」を嵌めています。
カモにされてるのは 「誰か」 わかりますか? -
正面の「娼婦」らしき女性の目線は隣の「召使い」の顔を見ています。
「酒」を持った召使いの目線は「手前の男」に向けられています。
右の青年は放蕩(道楽)息子の証し「羽飾り」をしています。
視線を追えば、「右の青年」 がカモとなるそうです。
(召使いが青年のカードを2人に教えている。) -
この画は 「教訓画」 と言われ、この画を見て 「騙されない」 ように注意を促しているんだそうです。
当時の 「三大誘惑」 とされた 「遊興・酒・淫蕩」 を描いてます。
作者の「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」は最も謎のある画家と言われています。
「ルイ13世」には気に入られ「国王付画家」の称号を得ましたが、「ルイ14世」に代わると、豪華さを好んだルイ14世との嗜好が異なるため仕事がなくなり、歴史上からも忘れていきました。
「20世紀初頭」に「再発見」された画家です。
作風は「明暗の対比」を強調する点、「単純化・平面化された構図」や画面にただよう「静寂で神秘的な雰囲気」が特徴です。
「1652年」に「ペスト」で亡くなったと言われています。
(ウィキペディア、他より) -
同じ作者で 「大工の聖ヨセフ(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作)」です。
「幼いイエス」 と 「その父ヨせフ」 が描かれています。
「光」 を 「ローソク」 のみで表現しているところに特徴があります。
(通常であれば、太陽の光、窓からの光など) -
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「墓地の孤児(ウジェーヌ・ドラクロア)」。
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「トルコ風呂(ドミニク・アングル)」
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「エプソムの競馬(テオドール・ジェリコー作)」 です。
「テオドール・ジェリコー」は 「メデューズ号の筏」 を描いた画家です。
「イギリス」 滞在時に描いたもので 「一瞬の動き」 を描写したところに 「価値」 を見出せます。
我々は 「写真で撮影した馬」 を見慣れているので、この画は 「違和感」 を感じます。
馬の 「スピードや躍動感」 を画で表す事が如何に難しいことを感じました。 -
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「書記座像」
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美術館の一部に 「城壁」 があります。
「ルーヴル美術館」 は元々 「ルーヴル城」 でした。 -
当時は 「31m」 の高さががあった 「城壁」 の一部です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まほうのべるさん 2012/12/26 08:14:50
- 4回フランスに行っているのに!
- おはようございます、川上犬さん。
訪問・投票有難うございます。
べるはフランスに4回行っているのですがルーヴル
美術館には1度も行っていないんですよ。
美術館前まで行って長い行列だったので入場しなか
ったり、次に来たときにと思って現在に至っていま
す。
byまほうのべる
- KawakamiKenさん からの返信 2012/12/27 07:21:42
- おはようございます。
- え! ルーヴル行ってなんですか。
次のフランス旅行が楽しみですね。
有名な作品だらけで大満足なルーヴルでした。
川上犬。
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