2012/09/18 - 2012/09/27
22位(同エリア36件中)
明石DSさん
朝からテレビ(CCTV)は、尖閣一色
戦争準備を誇示するかのように訓練の模様を写していた
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3日目:9月20日(木):晴
北京から張家口へ
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2012/平成24年9月20日(木)
■北京の朝
今回私が滞在した期間、中国中央電視台(CCTV:中国国営放送)のニュース番組は、いつも「釣魚島(Diàoyúdǎo)は我が領土」と尖閣問題をトップニュースで流していた。出演する評論家等々も話す内容は分らないが興奮気味で話していた。それに明石康夫・野中広務などが中国の意に沿った売国発言をしていた。
それも私がテレビを付けている間そればかりであり、人民解放軍の上陸訓練や砲撃訓練の様子も同時に流しながらの報道は異常だった。そんな報道を見れば余程日本は覚悟を決めて今後対応していかないと将来に大きな禍根を残すことになる。こと領土問題に関して譲歩や妥協は、相手にますます付け入る隙を与えエスカレートするだけだ。
このホテルは朝食なしだから、昨日買った果物「りんご・桃・バナナ」を食べたあと、退房(Tuì fáng チェックアウト)の準備をする。そして午前8時ちょうどにリュックを担ぎ一階ロビーに向かう。そしてリュックをフロントに預け午後の張家口行きまでの時間を過ごすために外に出た。
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これだけ国民に煽るという事は
今後の展開が予想できる
チャイナリスクは半端ではない
日本人にその覚悟は今すぐ必要だ -
退房し荷物を預ける
張家口行きは午後1時20分(発)
それまで故宮周辺を散策する -
最高人民法院の前で並ぶ老百姓(一般人)
裁判結果や検察に意見があれば・・・。
毎週月・火・木・金の午前7時半から
順番の整理券を配布し、
午前8時から登録を開始する
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■“東交民巷”を西に歩いて天安門広場へ向かう
この“東交民巷”は、義和団事件の時は各国公使館が点在し、北京籠城の中心となった場所であり、紫禁城(故宮)からも近く何となく今も雰囲気のある場所だった。私が朝から向かったのは天安門。昨日も朝早くから人民大会堂や故宮を目指して途切れることのない人の行列が続いていたが、今日はどうなのだろう・・・と、興味津々で向かった。
年期の入った街路樹が生い茂る“東交民巷”は、散歩には気分がいいはずの道だけど、最高人民法院(最高裁判所)など公的な建物も並び、この“東交民巷”沿いの建物は、敷地としては広大なのに軍関係の建物なのか?地図にも明記されていないのも多い。この時期日本人がここを歩くだけでも何か緊張感がある。
昨日も写真撮影に二回ダメだしを出されたり、何せあちこちに制服姿がやたらに目に付くので情けないが写真も勝手に自己規制してしまう。最悪はSDカードを没収されたり、消去を命じられ慌てて全部消してしまうのが私にとっての一番の心配である。
そして今朝はたまたまその時間に通りがかったからなのか?ある扉の前を先頭にしてずら〜と人が並んでいた。その光景を見て「大地の子」で見た「陳情の列」を思い出した。これがそうなのかも?と、その列の先頭にある扉の前に行き、そこに貼っている張り紙を見た。薄緑色の制服の武装警官らしき者がそこに立っていたが背中越しにその張り紙を写した。
張り紙の内容は、「判決や裁定、或いは公安、検察への意見がある人は、毎週月・火・木・金の午前7時半から順番に整理券を配布し、午前8時から登録を開始する。原本の身分証を持ち、建物に入る際は、爆発物・刀・危険物などの持ち込みは厳禁する。危険物等発見しだい没収、違反者は法に則り処理する。」・・・とのようなことが記されていた。(帰国後翻訳)
そしてそんなふうに写真を撮っていたら別の方角から「写真を撮るな!」と、結構大きな声で怒鳴られドキッとした。頷いて「分った分った」というようにすぐカメラを下げてそれ以上問われないように、そいつから目をそむけ急ぎ足でその場を通り過ぎた。もし日本人だと分ったらSDカードを没収されたかも・・・。
そこには郵便ポストのような封書の投げ込み口もあり、この列に並んでいる人たちがこのあとどうするのか?見てみたい気持ちもあったが、そんな時間もないので広場に向かう。因みに大地の子で見た「陳情村」は北京南駅周辺で、その近くに「信訪局(陳情局)」なるものがあるそうだ。2008年の北京五輪向けて「陳情村」は「接済中心(接待救済センター)」として改築されているが、今もその制度は続いているらしい。 -
最高人民法院の前で並ぶ老百姓(一般人)
裁判結果や検察に意見があれば・・・。
毎週月・火・木・金の午前7時半から
順番の整理券を配布し、
午前8時から登録を開始する -
武装警官の背中越しに貼紙を写す
朝から並んで整理券をもらって・・・。
その後、一体どうなるのだろう
並ぶ人たちには、それぞれきっと必死の思いが秘められている
親や子の冤罪を訴える人も並んでいるのだろう -
貼紙には7時半から整理券の配布と書いているが
すでに時刻は8時15分、列は動かず
配布の様子はなかった
老百姓は耐える・辛抱・我慢
金コネ地位特権権力
それらを握った者は死んでも放さない
この写真を撮った後
後ろから「写真を撮るな」と叫ばれた
ドキッとして振り向き「分った」と手で合図をし
目を合わせないように足早に去る
北京"東交民巷"最高人民法院付近にて
http://youtu.be/nHUYgwmtVmg -
2012.平成24年9月20日午前8時22分の天安門前広場
365日この光景なのかも?
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■天安門広場
天安門広場が見渡せる場所にでたら、昨日にも増して人・人・人の行列だった。さすが14億人とも言われる人口、全国各地からここに集まって来るのだろう。
大概は揃いの帽子を被り、旗を持ったガイドに引率された団体旅行者だ。そんな光景を見ながら今日は一人で、昨日同様何ヶ所かの検問ゲートを潜りながら天安門に向かう。朝から天安門の入り口通路は渋滞するぐらいの人の多さである。
通路の両側にジーンズ姿の若い私服の警備員と武装警官が等間隔に立っている。その他、いろんな制服の警備員がいた。その多さは異常であり今の中国の不安定な状況を示すものだ。 -
一党独裁、中国共産党党大会が開かれる人民大会堂
独裁政権が真に愛国政権であるならば・・・。
これほど効率的なことはない
独裁は家族や会社の中で立派な人格を持った
父親・社長が握るならそれぞれに益はあるだろうが
その規模が大きくなればなるほど危険と弊害も大きくなる
悪しき独裁が長く続けばそれだけ苦しむ者を増やすだけだ
悪しき独裁を倒すのは、至難であり多くの善良な者が命を落とす
よって民主主義の方が、命を落とさず政権を変えれるだけましといえる -
午前8時45分に我天安門に潜る
早くもこの人だかり
右手には日傘にジーンズの私服警備員
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■故宮(紫禁城)に入る
天安門を潜って中に入るのは無料だが、そこから中に入っていくのは「60元」もする。售票?(Sh?・upi?・o 切符売り場)で切符を買うとしたら「60歳以上は半額」と書いてあったので、「我六十多? :60歳以上」と言ったら身分証明書を見せろというのでパスポートを出したら「日本人はダメ」と言われた。まあ窓口の若い女性は笑顔でそういうので日本人への嫌がらせではないだろうけど、今はなんでもついそう思ってしまう。
帰国後ウィキペディアを見たら外国人は子供も含め一般料金:60元とのことだった。10年ぶりで紫禁城(Z?・j?・nch?・ng) 内に入る。10年前はメール交換で知り合った日本語を学んでいた大学生の明明とその友人と三人で入った。当時もその広さに驚いたが、今回も同様で歩けど歩けど奥に続き突き当りが来ない。そして宝物はみんな台湾に持ち去られたのか?台湾の故宮博物館と違って、室内での展示物鑑賞はない。
いつものように私は次から次へと続く人の波を見ているのが面白かった。服装や態度、それにぶら下げているカメラ。一眼レフの高級カメラ?はキャノンがほとんど、ニコンもあったが。それ以外は中国人には偽物のようだハハハ。日本車は目の仇のようだけど、カメラはどうなんだ。
白人ご一行もあちこちで輪になってガイドの説明を聞いていた。やはり日本人観光客は少ないのか?私が故宮にいるあいだ日本人団体ツアーは一度も見かけなかった。少人数のそれらしき一行は出会ったが。
「北京故宮南北の長さ961m」牛門から入り、大和ではなく太和門(T?・i h?・ m?・n)、太和殿から最北の神武門(Sh?・nw?・ m?・n)まで歩いた。そしてそこでUターンしてボチボチと引き返した。往復2キロである。そして、やっと再び天安門まで辿り着き、今度は天安門に登ろうと門票15元を買った。門への入場ゲートには手荷物検査待ちの人が列をなし、やっと私の番が来た。二人の若い警備員のどっちに行こうかと迷ったが、右側を選びそこで検査を受けた。
その私が選択した警備員が執拗に私の持ち物(メモ用紙・資料等々)を調べるので、「我是日本人」と言った。昨日ガイドのZFさんと一緒の時に、私の日本語で書いているメモ用紙を見て「これは何か?」と警備員が質問してくるので、ガイドのZFさんが「この人は日本人だ」というとすぐに通してくれた。
ZFさんが言うには「文字の書いた紙は、法輪功やその他の政治的メッセージが書いてあるチラシなどと疑われる。それを壁に貼り付けたりするので持ち込まないように調べている」とのことだった。そのことを思い出し、このときは聞かれてもいないのに「日本人」と言ったので、今回はそれは逆効果になった。
私が胸ポケットに入れていたICレコーダーを見つけ「これは何だ?」と聞かれたので「録音機だ」と返事をすると、警備員は「録音機を持って入ることは出来ない」と言い出した。後ろに長い行列が出来ているし、「何でや?通してくれ!」と二度ほど文句を言ったが、相手もダメと言った以上通せないようで、反論する語学力もなく門票は無駄になった。
気分は悪かったが、すぐに諦めた。聞かれもしないのに日本人といったことで「日本人だから調べず通せ」と私の態度が威圧的に感じたのかも・・・。「録音機持ち込みダメ」なんて掲示はあるとは思えず、若い警備員の日本人への嫌がらせだと思う。録音機といわず音楽を聴くのだと言えばOKだったかも、とにかく失敗だった
2012/9/20「天安門を潜る」
http://youtu.be/9KYEfUG7yL4 -
外国人は一律60元
いまだに外国人料金か、三等国から脱し得ず -
人の多さはご覧の通り
人間ウォッチングには不自由なし
白黒黄色、チビでか豚ガリ一重に二重
選り取り見取りとはこのことか -
壮観なり
蒼穹の昴」は面白かった
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/subaru/「
嘘か真か知らねども清末期の様子が良く分かる
帰国後DVDを借りて8枚「25話」一気に見た
光緒帝を演じた俳優は上手かった -
広いなあ・・・。
この広場を西太后もお供を連れて散歩したのだろう
清の皇帝の末裔は直系はいないようだが
傍系末裔は山ほどいるらしい
2012/9/20/故宮
http://youtu.be/NtERjkTU-YM -
白人の団体はアチコチ見かけたが
日本の団体はついぞ見かけず
中国に金を落とすことなかれ
こっちが無視すればあっちから擦り寄る
その心は、「こっちのほうが何もかも良い」から
理屈など不要、水は低きに流れる如く理の当然なり -
天安門入場ゲート
天安門は共産党の聖地である
厳重なる身体検査の上入場を許可する
その検査に阻まれ門票を無駄にした
26日に再度挑戦、10年ぶりの入場を果たす -
天安門を出て天安門前の人を写す
「ほんまにようけいるなあ」
自分たちの代表を自分たちで選べない国民とは
一体どんな感じなのだろう?わからんけど、絶対いやだ -
天安門広場にある四角い黒い蓋は
簡易トイレの排水溝
広場に行けば確認を・・・これかと
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■「京奉鉄路正陽門東車站」(旧北京駅)へ行く
次に、今は鉄道博物館になっているが、復元された「京奉鉄路正陽門東車站」(旧北京駅)に行った。館内には鉄道関連の昔の写真が数多く展示され、張家口站の完成記念写真もあった。
そしてここを出て“東交民巷飯店”に歩いて戻り、張家口に行く前にもう一度両替をした。昨日はホテルでの両替だったが、“東交民巷飯店”に付属して中国工商銀行が建物内左側にある。通りからはATMしか見えないが横に回れば、入り口があり入れば普通に銀行だった。「我要??:両替したい」というと案内の女性が笑顔でテキパキ対応してくれ書類に書き込み整理券をもらった。
すぐに番号を呼ばれ若い男性銀行員が応対してくれた。それなりに時間は掛かるが、これが銀行業務というものだろう。客への対応も良く、気持ちよく両替も出来た。レートは「1万円=777元」で、昨日のZFさんが言ったように1万円で3元差だけだった。これならホテルの方が手間が掛からないから便利だけど・・・。 -
京奉鉄路正陽門東車站
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上の写真は鉄道博物館に展示されていた
昔も未来もその現実を実感すること叶わず
昔に郷愁あり?未来に希望あり?
今現在は不安や悩み多く楽しきことわずかなり
生き抜くことはむずかしい?ハハハ -
北京駅までの距離感も分らず焦っていたら
北京駅表示のバスが来たので乗った
1元(13円)なり、安い
車掌が乗っているバスだった
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■北京駅へ
ホテルに戻り預けた荷物を受け取って北京駅に向かった。フロントの服務員に尋ねたら「歩いては遠い。地下鉄に乗って行けばいい」と言われたが、地下鉄の駅が分らず、タクシーで行こうとリュックを担いで幹線道路、前門東大街に出たが、なかなか空車もなく、やっと停まってくれたと思ったら乗車拒否をされた。
傍にバス停があった。行き先表示に北京站と書いている路線バスが来たので乗り込んだ。先の人に続いて整理券を取ろうしたが、運転手が後ろを指差すので見たら車掌が乗っていた。車掌から切符を買えと言うことかと分り、車掌から切符を買う。1元だった。バスに乗ったのは久しぶりで、すでに時間も12時半頃になっており、もし北京站に行くのが遅れたらとの不安だった。
そして二つ目の駅が北京駅前だったが、やはり随分距離があり歩くのは無理でバスに乗ってホント良かった。無事に駅が見える場所に到着しホッとしたら、目の前に吉野家があった。列車の発車時間まで1時間を切っているのに、そんなことも忘れて吉野家に入り牛丼を食べる。
牛丼・茶碗蒸し(器が大きい。玉子というより豆腐が主の感じ)・スープ・漬物のセットで33元(430円)、牛丼の味は日本と変わらず美味しかった。食い物でホッと一息ついた。 -
北京駅バス停前に吉野家あり
時間も忘れ思わず席に座っていた
牛丼の吉野家ここにあり!
反日暴動はどうした・・・吉野家は小日本経営だ -
牛丼は同じ味だったフフフ
味噌汁はまあまあ
茶碗蒸しは支那風
文句はない -
反日渦中の北京駅前
日本レストランで食っていたら半殺しの目にあう
ことはなく、みんな普通に食べていた -
この景色は日本の吉野家と違う
マクドやケンタッキーに似たり
因みに支那大陸ではセルフサービスは成立しない
食物は自分で持って来るが、食ったあとは知らん
ここは食うか食われるかの世界じゃ何か文句でも? -
正面遠く北京駅
ここに来れば吉野屋で食べるべし
松屋・すき屋・なか卯 でもなく吉野家で
吉野家以外はみたことがない -
デカイ駅なので張家口行きがどのホームから出発するのか?
不安を抱きながら駅に入ったが、やはり不安が的中
案内板にはすでに「K1177次」の検札開始を記していた
しかし搭乗口がどこか分らず時間も迫り焦った
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■北京駅から永定河沿いに
吉野家を出た時には12時40分を過ぎており、1時20分(発)まで、40分。日本なら駅は目の前で慌てることはないが、ここは北京駅。要領も分らないし乗り場も不明、12時56分頃に駅内に入ったが、列車案内は沢山ありどこか分らない。二階に上がったが、やはりまだ搭乗口が分らずにウロウロ、すでに電光掲示板では、私が乗る「K1177次」の検札はとっくに開始されているようだった。
そこらの売店の“オバチャン”に聞いたら、一階だと言う。いやそんなことはあるまいと目を凝らして見たら四候車(待合室)からホームに向かうことがやっと分った。急いでそこに行き検札を受け、冷や汗をかきながら「K1177次」の停まるホームに向かった。そこに列車は停まっていた。しかし私の乗るのは1号車で一番前。汗をかいたが無事にセーフ。列車は通路を挟んで左二座席、右三座席が対面している。すでに列車内ほぼ満員、網棚も荷物で一杯。
私の座席場所は、三座席に二人二人が向かい合って座っていた。後で気がついたけど、私の座席番号91号は真ん中の席だったのに、その手前側の通路側の席に座った。その時は、途中で気付くまでそこが自分の席だと思っていたが、後から来る人もなく、検札時も何も言われず張家口までそこに座っていた。通路側に座ったので途中からしょっちゅう連結部の所に行き、立って外の景色を写したり見たりしていた。
私が乗った列車は張家口から在留邦人が北京に向かった八達嶺・懐来{経由}張家口ではなく、永定河に沿って走る路線だった。この路線は戦後に出来た路線とのこと。沙城で合流し、新保安(しんほあん)→下花園(しもかえん)→宣化(せんか)→張家口南であった。1945年8月20日から始まった張家口からの避難行は、途中八路軍の妨害や攻撃に悩まされ普段は5時間ほどで到着した北京まで4日ほどかかり、そしてその後天津へとたどり着いている。
車窓の景色は永定河に沿って渓谷を走っている時は、高い木がない山並みだが変化もあり見応えのある車窓の景色だった。私は八達嶺経由の路線で張家口に向かっているつもりだったし、座席も通路側で途中の駅名も確認できず、さっぱりどの辺なのか分らずに車窓の景色を眺めていた。初めて駅名が確認できたのは、邢家堡(Xíng jiā bǎo シンジャーバオ)駅。
結局旅行中は八達嶺経由だと思っていた。次の沙城(さじょう)のホームにある案内板に「新保安←沙城→土木・邢家堡」と沙城から北京に向かう方向に二つの駅名が書かれているのを帰国後写真で見て初めて自分が走った路線が分った。土木が八達嶺経由の路線。この沙城で張家口からの昔の路線に合流したことになる。
一番料金の安い「硬座」での列車の旅は何時以来か忘れたが、車中も綺麗し座席も字のように硬くない。トイレは使用しなかったので分らないが、たぶんそれなりだろう。その他日本の電車と遜色ない。服務員(車掌?)が、検札もし、時折掃除もし、車内販売もし、玩具や学習教材の実演販売もあったりで、硬座の旅は面白かった。
途中DVD付き学習教材の実演販売を40代の女性服務員がしていた。マイクなしで車両の端まで行きわたるような声を上げ何やら計算の仕方を紹介していた。最初は無視していた客も、ついついその話術に引き込まれて笑いが時折起こり、最後には数人が購入していた。
玩具もぜんまい仕掛けのオモチャを通路に転がして行く。それをウトウトしていた私の横に置いたので一瞬目が覚め「何?」と思ったが、玩具の販売だった。曲を奏でながらぐるぐる回転し、ゼンマイが切れたら停まる。思わず孫の土産にか買おうかと思うほど気に入ったが、今これを三つも買えば道中嵩張るので諦めた。帰り道ならきっと買ったと思う。 -
四候車(待合室)が張家口行きの検札場所と分り
一目散にそこに行き無事にホームに入る
やっと一息、乗るべき列車を見つける
右側が「K1177次」 -
1号車は進行方向一番前
硬座は久しぶりだったが汚さも感じず
北京→張家口南、3時間21分 196公里(キロ)
料金30元(¥390円)の超格安
ありがたさに涙こぼれる -
ウトウトしていた私の横に置いていった
いきなり音楽がなりだして目が覚めた
ゼンマイ仕掛けのオモチャ、曲が良かったのか?
孫の土産に三個買いたくなったが、嵩張るので諦める -
八達嶺経由だと思っていたのに・・・川沿いを走る
帰国後永定河沿いの路線だったことが分った
峡谷を走る車窓の景色は見応えあり -
邢家堡(Xíng jiā bǎo シンジャーバオ)駅
この写真があったから帰国後路線が分った
この次の駅が沙城で、そこで八達嶺路線と一緒になる -
邢家堡の路線は戦後できた
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「沙城:さじょう」
昭和20年8月19日〜21日
張家口から北京→天津に向かって
在留邦人は有蓋無蓋車に乗って避難した
道中、八路軍に攻撃され、線路妨害をされながらも
概ねほとんどが無事に天津に辿りつき日本への帰国を果たす
満洲の避難行とは違った
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■沙城で合流し張家口南駅へ
沙城を出てしばらく行くと、進行方向右手に特徴のある、そんなに高くはないが“禿げ山”がそびえていた。面白い山だなあと写真を撮っていたが、次の駅でそこが「下花園」と分り、「あっ、さっきの山は鶏鳴山だった!」と気づく。今回の旅で張家口からの帰路行く予定の明・清代の城壁で囲まれた宿場町「鶏鳴山驛」。その前にそびえる鶏鳴山の山頂に登る予定で来た。
それが下花園と新保安の間にあることを思い出し、写真で何度も見ていた山の形も思い出した。山裾の宿場町“鶏鳴山驛”の城壁は、列車内では気付かなかったが私が車窓から写した写真にはかすかに城壁が写っていた。
下花園駅到着が午後4時14分。そして宣化に向かった。下花園から25分ぐらいで宣化に到着。北京から宣化まで乗降客はあまりなかったが、ここでは多くの人が降り、そして乗って来る人もいた。見るからに農夫と思われる“おっさん”たちが大きなドンゴロスの袋を肩に担ぎ列車に乗り込んでくる。これぞ中国鉄道「硬座」の醍醐味だ。
「えっ、そんな大きな荷物どこに置くの?」と心配するのは日本人で、慣れたもので手際よくあっという間に座席の下などにしまいこむ。そしてこの宣化の駅では、昭和20年8月21日以下のようなことがあった。
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同胞4万救出作戦
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h16/jog357.html
「兵隊さん、これ食べて頑張って下さい」
八路軍の鉄道襲撃は執拗だった。周囲の山から居留民を満載した無蓋汽車に銃を撃ちかけてくる。北京から急遽、救援にかけつけた第118師団の将兵も、防戦に駆けずり回った。
8月21日、張家口から約40キロ東南の宣化の駅では、広い駅構内の何本もある引き込み線に引き揚げ者を満載した列車20本ほどが一時停車していた。物資輸送のために山本義一軍曹と部下20人がそこを通りかかった時、八路軍が襲撃してきた。
山本軍曹は「こりゃ、エライこっちゃ。どうせ死ぬなら、日本人のために死のう」と部下たちに呼びかけ、応戦。やがて3百メートルほど離れた川岸まで撃退した。しかし、八路軍は何度も襲撃してくる。撃ち合って二日目、疲れ果てて、もう持ちこたえられん、とあきらめかけた時、5、6歳のイガグリ頭の男の子が、大きなカバンをひきずるようにして小走りに走ってきた。
その子を目標にして、八路軍の追撃砲弾が周囲に炸裂する。山本軍曹は思わず、その子を横抱きにして窪地に飛び込んだ。「兵隊さん、これ食べて頑張って下さい」と、男の子はカバンの中からいくつもの焼きお握りを取り出した。山本軍曹の顔は泥と涙で、目の下が真っ黒になっていた。男の子の励ましに疲れも吹き飛んで、まもなく八路軍を撃退させた。
文責:伊勢雅臣
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宣化駅を出てしばらく行くと車窓右手に火力発電所が煙を吐き出しながら稼動していた。風力発電の風車も車窓から時折みられたけど、中国のこれからの電力供給量も人口13億以上を考えれば“爆食”同様、想像を絶する。
とにかく日本に比較すれば全てに効率が悪く無駄が多い。途上国故ではなく、それが固有の文化なので始末に悪い。 -
下花園⇔新保安駅の間に張家口に向かって右手に見える
写真左端の山が鶏鳴山 -
山麓右手前に今尚四方を城壁で囲まれた「鶏鳴驛村」がある
1900年義和団事件で西太后たちは西安に逃れる時
この鶏鳴驛(宿場)で一泊している -
下花園站
この付近でも八路軍の列車への襲撃があった -
北京から宣化までほとんど乗り降りは無かった
この宣化で多くが降り、少し乗って来た
列車の旅は硬座が面白いけど、10時間はしんどいかも -
宣化の駅から少し張家口に向かって走った時
右手に火力発電所が見えて来た
この発電所は日本が作ったもので昭和20年終戦間際に完成した
奈良のMさんのお父さんが冷却塔を建設された。今も健在なり! -
午後5時6分、張家口南駅に到着
午後1時20分発だから3時間46分の列車の旅
張家口で四泊する
一人旅最長の一ヶ所滞在だ
ここは蒙古聨合自治政府の首都だった -
張家口南站は新しく開けた張家口市街の南端
『北京の北門』ここを制すれば
北京を攻めるも守るも有利になる要衝の地だ
今から67年前の1945/昭和20年
日本人がこの街に2万以上居住していた -
張家口南駅からタクシーでホテルへ
このどっちかのタクシーに乗った
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■東升大酒店(ドンシェンダァジュウディエン:Dōngshēng dà jiǔdiàn)へ
そして午後5時過ぎに張家口南駅に到着。さあこれから東升大酒店に向かわなければ・・・と。駅前はどこでも同じでタクシーが客待ちをしている。改札を出ると宿の客引きなのか?タクシーの運ちゃんなのか?が声を掛けてくる。いつもように取りあえずは無視して駅前をぶらっと歩き、駅の写真を写す。そして、おもむろにどれかのタクシーに近づき行き先を告げ料金を聞く。
東升大酒店まで25元。まあ聞いても値段が分らないのだが、大体の見当で25元(325円)ならぼったくりではないという判断でその車に乗った。やはり張家口も広い、地図で見ていたが、想像していた以上に広そうだ。とても張家口の町は歩いて散策出来るような小さな街ではなかった。
この張家口南から街の中心部にあるホテルまでのタクシー料金が25元も掛かる距離なのだから・・・。道中反日スローガンを掲げた横断幕を見かけたので一瞬驚いた。予想外だったから・・・。こんな張家口という地方都市まで今回の反日騒動は広がっているのかと。
張家口南駅から南北に走る幹線道路を20分くらい走って東升大酒店に到着した。途中運ちゃんに「ここから宣化まで幾ら?」と聞いたら「80元」との返事。一度でも誰かに聞いておけばそれが目安となる。 -
張家口も南駅まで市街地が延びている
地図やグーグルアースで見ての想像より
張家口は大きく感じた
まあ、いつものことだけど・・・。 -
張家口のような地方都市に反日垂れ幕は意外だった
すぐに2005年の小泉靖國参拝の反日騒動より
今回のほうが遥かに反日度数が高いことを実感した
全ては戦後日本の自虐・弱腰外交の“つけ”である -
市内中心部に入る
正面(左)交通大酒店:(右)東升大酒店
我張家口に来たれり -
「東升大酒店」到着:午後5時36分
ホテル前から五一大街、西方向を写す
北京→張家口 硬座の旅
http://youtu.be/mYED_xBOQyg -
お粥専門店
お客さんで満員、人気があるようだ
お粥専門店だけあって種類が多くて
何が美味いのか?分らない
「甘い?塩味?どっちが好き」と聞かれ
「甘いほう」と答えた
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■ホテルで一悶着、そして夕食
ホテルは日本で電話予約したが、つたない私の中国語での電話予約で、このホテルの電話予約時もなかなか通じず、相手も途中から英語の出来る者を電話口に呼んで来た。私が英語を出来ないので、また中国語での会話となり、何とか予約OKになった。だからちゃんと予約できているか不安だったけど、フロントで「我已??好了:すでに予約済み」というとすぐ「○○さん?」と問われ「対 そうだ」と返事した。
ちゃんと予約名簿に私の名前があり料金もその時の価格を提示された。一泊398元、ホテル玄関の電光掲示板にはもっと安い料金が出ていたようなので、女性服務員に「もっと安くして」と一応言ったがダメだった。そして高い階の眺めの良い部屋を頼んだ。しかし部屋の鍵カードを受け取り入って愕然とする。
「眺望の良い部屋」と何度も頼んだにもかかわらず、確かに9階は上のほうだが一番端の部屋で窓が三分の一しかない最悪の部屋だった。こんな部屋で四泊五日もするのは嫌だと思い、すぐに一階フロントに部屋を換えてくれるよう頼みに行った。「この時期の日本人だからの嫌がらせか?」とつい考えてしまう。
フロントの服務員は、値段が?とか何とか言っていてが、「もし変えないなら宿泊は今日一晩で、明日は泊まらない」と強い口調で言うと「旅行か?ビジネスか?」と質問された。それと部屋の割り当てと関係あるのか?と、腹が立ったが、何せこっちは中国語は超カタコトで、やり取りなど出来ない。「どっちもだ」と返事したら「変えるから部屋を見てから決めてくれ」ということになった。
若い男性が案内してくれた部屋は6階だったが、こっちは窓も一応全面だった。部屋は北西に面し眺望的には今一だが、これは値段のせいかも?と諦め、「この部屋で良い」とOKして6階609号室で四泊することになった。反日騒動真っ只中の当該国への旅行は、どうしても自ら被害者意識が先行する。それだけでも面白くないけど、仕方がない。自分の都合で来たのだから・・・。
午後5時半過ぎにホテル到着後、部屋換えなどもあって落ち着いたのは6時半頃、部屋の窓から清河(せいが)が見えた。あ〜張家口に来た。やっぱりそこそこの大都会だった。歩いて町を散策するのはごくこのあたりだけだろう。でも地図で行きたい場所は、この周辺にある。
そして初めて同一場所での四泊五日。大体今までの経験では二泊三日で、そこそこ道や方角を含めて町の感じが掴める。明日はいよいよこの旅のメーンでもある場所に行く。丸一陣地跡と張北へ。8時半ホテルロビーにZJ君が来てくれるはずだ。
そんなことを考えながら、ホッとして無事張家口に着いたことを家内にメールしようと携帯を取り出したら携帯の電源が切れていた。使用していないのに充電が全く無くなっていた。こんなことは初めてで、一体何故?と・・・コンセントに充電器を繋ぎ、携帯を立ち上げたら、不在着信38件との表示があってそれにまた驚いた。一瞬頭の中がパニック状態になって、「もしかしたら転送したまま来てしまったのか?」「ネットに繋がり放しになっていたのか?」等々一気に不安になった。
中国に来る前に携帯ショップで海外でネットに繋がらないようにしてもらったはずなのに・・・。とりあえずコンセントに充電器を差し込んで携帯に繋いだまま家内に「無事に張家口のホテルに着いた。でも携帯がおかしい。充電がうまくできなかった。連絡が一事的に出来なくなるかもやけど心配するな。そっちは変わりないか?」とのメールを送った。
すぐに「今マンション(長男宅)。S(孫)も元気やわ。気をつけて〜」との返事があり、それに対して「了解、充電が出来ない。ホテルで電源に直接つないでる時だけ使える。返信は不要。」と送り返したあと携帯が使用不能になった。帰国後AUショップで直してもらうまで。
携帯が使用不能になったのは、「ネットに繋がったままになっていたら大変だ」と、設定を分らぬまま変更しているうちに8桁の暗証番号を入れないと携帯が開かないようになってしまった。8桁の暗証番号がどこかに書かれているのかもと、バッテリーを外したり、挿入されているカードを抜いて数字を見たり、適当な暗証番号を入れたりしたが無論ダメで最早諦めるしかなく。といっても諦めきれずの状態で部屋を出る。
ホテル周辺を散策して、このホテルにあるお粥がメーン?のレストランで、小豆入りの甘みがある「お粥」とここのメニューにはなかったようだけど「麻婆豆腐」と言ったら作ってくれた。お粥のメニューが豊富で、きっと美味しいお粥があると思うけど、自分の口に合うのは分らない。コーラと全部で¥33元。まあまあ美味しかった。 -
麻婆豆腐はこの店のメニューには無かったが作ってくれた
お粥は、小豆のお粥で少し甘みがある -
398元(5,170円)の部屋
いつもの一人旅より今回は豪華ホテル
最近「張家口」にも五星ホテルが出来たようだ
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■明日に備えて
その後、近くの便利店で「ジュースと地図、計9元」を買い、果物屋で「バナナとりんご:計25元」を買ってホテルに戻る。このコンビニの兄貴が、私の中国語の発音がおかしいから「你是哪里人?どこの人?」と聞くので「日本人」というと驚いたようで「この張家口に日本人は少ない。私は初めて日本人と会った。顔を見ても一緒で分らない」と言われた。
東升大酒店には日本人は良く泊まることもあるだろうし、そのすぐ傍の店なのに、初めて日本人と出会ったとは・・・。彼は初めて日本人と話をしたのだろう。彼の顔は別に笑顔なく嫌味なく、ただ普通を装おうと・・・やはり反日騒動を意識しているように感じた。フフフ。
その後部屋に戻り明日に備えて休憩とは行かず、また携帯を取り出して最後のあがきをしたが、やはり万事休す。便利になればなるほど人間弱くなるのは真理だ。不便であればあるほど人間強くなる。携帯なんて10年前は海外で使えなかった。その時はそれで何でもなかったのに、今は使用不能になった途端不安が一杯となる。
万が一の時もどこにも連絡できない。家内の携帯番号すら知らない。頭に記憶しているのは自宅の電話番号くらいである。緊急時の海外保険の連絡先も、日本大使館の電話番号も、全部携帯の連絡先に記載しているだけだ。開くことが出来ないのでそれも見れない。
不安で一杯だが何を一番心配しないといけないのか?その優先順位や本当に何が困るのか?心配する必要が本当にあるのか?それすら頭の中で整理が付かず、ただただ不安になっている自分がいた。
そしてこの東升大酒店は、張家口では最近まで一番良いホテルだったということだが、国際電話は掛けれない。数年前からそんなホテルが多くなった。もっと良いホテルは今でも掛けられると思うが、中国人が携帯を持つようになって国際電話を繋がらなくなっているホテルが多い。ここもそうでフロントに聞けば「打不了:掛けれない」の一言だった。
「携帯使用不能」「不在着信38件?転送のまま?」「ネットに繋がり放しだったら幾ら請求されるの?」等々携帯のことで眠れない夜だった。最後は開き直って携帯をリュックの底に仕舞い込み帰国まで出すことはなかった。
帰国後分ったが、32ギガのSDカードが変形して保存した写真の全てが再生不能になった。バッテリーを何度か外した時、カバーが閉まらず力を入れたらSDカードがはみ出ていて変形して壊れた。そしてSDカードも新に購入するはめになった。32ギガは高いので16ギガにした。
因みに結局「携帯への転送もなく」「ネット使用もなく」携帯使用不能になっただけで、他は何の問題も無かった。不在着信38件は不明。原因不明狐につままれたままだ。
この夜は携帯のことで睡眠不足のまま明日を迎えることになった。 -
これで満足です
何も別段不満はありません
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