2012/09/18 - 2012/09/27
34位(同エリア36件中)
明石DSさん
JR西明石駅
みんなは日常の一コマ
私は非日常の始まり
いつもの景色が違って見えるのは何故なのだろう?
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2012/平成24年9月18日(火)
■反日暴動の渦中「柳条湖事件」当日の出発とは・・・。
今年2月に行ったマニラの旅行記が完成してすぐの4月に張家口を行きを決めた。その時は、まさかここに到って日中関係が尖閣問題で緊迫するとは露知らず。おまけに9月18日は「柳条湖事件が満州事変への発端」となり、中国では反日の象徴とも言える日であり、先日来からの支那での暴動騒ぎが一段と高まるのでは?と、言う日に出発となった。
中国東方航空:「MU278:関空/16:10 →煙台→19:30/北京」合計請求金額¥33,500
いつもように直前になっての準備で、丸一陣地の戦車壕確認の為の写真を持参資料に入れ忘れた。そして今回は、張家口で中学2年までを過ごしたMさん(80歳)を通じ、縁あって張家口で地元の有力者の息子さん(ZJ君)に二日間ガイドをしてもらうことになり、その手土産持参でリュック一つの旅立ちとは行かなくなった。
なにはともあれ反日暴動吹き荒れる?国への旅立ちは心地よいものではない。久々に遺言書を認め仏壇の引き出しに糊を貼ってしまった。家内に仕事の後始末のこともメモ書きし、「万が一帰国適わない時は封を開けてくれ」と伝えた。遺言書は別段危険がなくても時折書くのは良いことだ。誰だって一瞬先は分らないし、自分の気持ちの整理も出来る。一年一回はお勧めだ。
内容は簡潔に言うと「私に何があっても、残った家族は今まで通りどこ吹く風と、昨日までのままで今日も明日も将来も生きてくれ」との内容だ。それが何よりの供養だと私自身は思っている。例え私の死がどのようなものであれ残された家族は、その後の人生を極力左右されず、まして仇討ち・犯人探し・訴訟に生涯を掛けるなんてことは無用である。
支那大陸で霞と消えても己の不徳のいたすところだと甘んじて受け入れる。しかし私自身はそんなことになるのは絶対嫌だから万全を期して注意をする。私は根が執念深いし、齢62、軟弱そうでいて切羽詰れば実は何をするか分らない狂気が自分にはある。怖がりだからこその危険察知能力は十二分にある。
昼前に家内に写真を撮ってもらいリュック担いで(9.3キロ)出発。ルンルンの旅立ちなど今まであっただろうか?いつも行き先は初めての所ばかりで、不安一杯である。往復割引を買い(800円 100円得)復路の切符を“こそっと”財布にしまう。そして西明石駅から新快速で三ノ宮駅へ(約20分)。12時40分発のリムジンバス往復切符(3000円)を買い、やはりこそっと復路の分を財布にしまう。使えるのか?
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三ノ宮(発)リムジンバスで関空へ
概ねこのパターンで関空へ
来年も再来年も・・・永遠とはいかないが
125歳まで、このパターンが続くことを願う -
関空連絡橋が日本と外国を繋ぐ架け橋
さあ!丸一陣地跡へ、いざ行かん
気合を入れ直して関空に向かう -
?平成24年9月18日(火)
13時42分の関空
何ということはないが、こんなものだ
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■27回目の海外渡航
関空到着は、午後1時40分頃だった。まだ出発まで3時間ある。そして搭乗手続きは2時間前から始まったが、出発は遅延とのこと。その時何故か?勢い余ってすでに出国ゲートを抜けて搭乗口に向かってしまっていた。予定では、このところ出発前の恒例「信州そば処 そじ坊」で蕎麦を食べるつもりだったのに・・・ガックリ。最初からづっこけて、あ〜先行き不安。
仕方なく搭乗口近くのインスタント食事で「きつねうどん:¥500」を食う。それにソフトクリーム「抹茶バニラ:¥300」そして「単身旅遊会話集:¥900」、そして免税店でZJ君への土産(チョコレート・クッキー等)を買う。それと、すでに買っている「高級フフフ、ボールペン」が手土産となった。
搭乗時間の定刻から1時間以上遅れてやっと機内に、反日騒動渦中の北京行きの機内は7割方の乗客である。その8割以上は帰国する中国人だと思う。中には、まるで中国の田舎のバスに乗るような服装のままの中国人老夫婦もいた。私の服装も似たようなものだが・・・ハハハ。一体何しに日本へ来たのか?言っておくが、他国、他国民・他民族に対しての私の言い回しがどうであれ「それは差別」だと言うな。
いつも言っているようにそれは好き嫌いであり「梨が嫌い、りんごは好き」と同じ次元で、「○○国、○○人は嫌い、好き」の感情であり、差別なんかではない。偏見というなら分るが、偏見も感情に端を発する。好き嫌いを差別と言われてもどうしようもない。それこそ生理的・感情的なものであり人間としての根源的なもので誰しも自由だ。無論相手側も同様である。
特に最近の尖閣・竹島・慰安婦に関しての支那朝鮮の言動は常軌を逸し、それらの国と国民を好きだと言う日本人がいれば、それこそが私は信じられない。そんな日本人は何か祖国日本に対して後ろめたい何かがあるのか、思考回路が歪んでいる欠陥者だ。自分の先祖・家族を誹謗中傷、敷地内に土足で踏み込もうとする他人に好意を持ったり、媚びへつらう人間は愚か者という以外のなにものでもない。 -
客の八割り方は祖国に帰還の方だと思う
居並ぶ乗客、顔では判別し難くとも
それぞれが手にする長方形小冊子
チラッと見て、やっぱりそうやろと・・・と頷く。 -
中央通路に左右三座席
前の白人女性、離陸後すぐにシートを倒す
後ろに了解なく、白人のマナーもこの程度なり
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■離陸!煙台へ向かう
飛行機は真ん中の通路を挟み左右に三座席で、私は窓際、真ん中の席は空席だった。前の席には白人夫婦、大阪から北京に何の用事で行くのだろう。こうやって海外に出る時、いつも思うのは、この日この時、知らない者同士が同じ飛行機に乗り合わせる偶然が何とも不思議だ。何で“あんた”はこの日この時この便を選んだのか?・・・と。それぞれに理由あり、そしてみんな北京に向かう。この便は、煙台経由だが北京までの乗客は前から座席を詰めるということだから、少なくとも私より前に座っている者は北京だろう。墜落時、一同運命を共にする。
関空は雨。雨の中の1時間遅れ、何故か?気分的に寂しい出発だった。何となくの心細さが雨によって増幅され北京に向かう気持ちはルンルンとは程遠く、午後5時30分、予定より1時間20分遅れ、いざ出発!離陸後すぐに私の座席の前に座っている白人婦人(5〜60代)がリクライニングを倒した。後部座席の私に何の合図もなく、白人のマナーもこの程度なのか・・・と。
私が窓際の席を頼むのは、単純に「外の景色を見たい」ということに尽きる。まるで初めて飛行機に乗るが如く、小さな窓に顔を近づけて始終覗いている姿は、子供なら微笑ましいが、初老の私の姿はきっと周囲から見れば品のない姿であろう。自分でも分っているが、それでも見たい。雲海ばかりでも見ていたい。その点、許しを乞う。
関空⇔煙台⇔北京の往復運賃、¥33,500円、片道¥16,750円也。この安さでも機内食が出た。それなりだが、それが出て来るのをいつも心待ちにし、時間潰しにありがたい。しかしこの飛行機、JALとの提携便なのに日本語の機内放送はまったくナシ。そんなことにも腹が立つ、ふざけやがって・・・。 -
関空には雨が降っていた・・・。
夕方の離陸は、到着は夜になる -
雲の上は青空広がる
気分も晴れる
さあどんな旅が待つのだろう -
格安料金ゆえ内容は問わぬ
出てくるだけでもありがたい
これだけで空の旅を実感する -
煙台の夕景
縁あってここに来る
これが煙台の灯だ -
煙台〜北京へ、乗り継ぎ待ち
邪魔くさいけど、直行便より料金は安い
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■煙台経由北京へ
時差は1時間、関空を午後5時半離陸、煙台到着午後6時40分、関空から実質2時間弱で煙台に到着。荷物を持って降りた搭乗口前で、そのまま待機。待ち時間に何人かと話をした。一組の日本人老夫婦は、長春に子供が留学し、今、その子供が北京在住で会いに行くそうだ。三人連れのはずが、一人はこの反日騒動でキャンセルしたとのこと。こんな時だから日本人と会えばホッとすると言われていた。
その他に、お世辞にも美人とは程遠い40代の日本人“オバチャン”が、「彼氏に会いに北京に行く・・・」と笑顔で言う。「えっ?ほんまかいな」と内心思ったが、旅費もその中国人彼氏が出してくれるとのこと。職業も介護関係ということで貢がされているのではないようだが、どんな魂胆があるのか?そうとしか思えずホンマに驚いた。
もう一人は、日本人女性と見間違う上品な中国人女性。大学卒業後、日本の大学院に留学し、その後日本人男性と結婚、今は高校生になる長男を含めて男ばかり三人の母親。子供は三人とも中国語はまったくダメという。家族を日本に残して三日間の北京里帰りと言っていた。
彼女の話す日本語はほとんど日本人と変わらない。日本人と同じような日本語を話すことが日本女性と変わらぬ雰囲気を醸し出しているのだろう。話す言語の種類によって「態度・様子・目付き」まで変わるとの言語学者の説があるが、私はその説に納得できる。日本語は中国語のように四声もなく、抑揚も少なく静かに話が出来る。日本語で会話すれば、おのずと静かで上品になる。その彼女は、北京空港から出るまでいつも日本人グループの傍にいた。
午後7時に搭乗開始、煙台から北京行きの客でほぼ満員と成った。7時45分離陸し北京に向かう。
離陸後すぐに夜食が出た。ナスのあえ物弁当、ヘルシーメニューでご飯半分のボリュームがある夕食だった。ありがたく頂く。到着直前、機内で中国人の若者同士の喧嘩が始まる。座席に座ったままで殴り合いとまではいかなかったようだが、一時騒然とする。“ガタイ”のデカイ男性客室乗務員二名駆けつけ、当事者一人の席を替えて一件落着。
北京空港着は、午後8時48分。フムフム出発時の遅れそのまま遅れて到着となる。飛行機を降りてバスでターミナルへ、リュックを預けていたので、一目散に出口とは行かず、リュックを待ち、それを引き取り出口へと向かった。 -
煙台から乗り込む乗客多し
飛行機はほぼ満席になった -
「ナスのあえ物弁当」
みてくれは“これなんや”だったが
味はそこそこ -
北京に近づいた
10年ぶりに再訪となる
反日騒動渦中の旅はどうなるのだろう? -
煙台からほぼ満席となった
いざ行かん -
タラップを降りてバスでターミナルへ
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?北京首都空港の駐車場
「中国旅行達人」に迎えを頼んだ
日本車も多かった・・・が
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■北京首都空港から“東交民巷飯店”へ
空港からホテルは、ちょっと不安で「中国旅行達人」の送迎を頼んでいた。
http://www.chinaguide21.com/course/tour_bjairporthire.htm
180元也。その待ち合わせ場所「第2ターミナルビル(T2)の出迎えホール(1階)の9番出口の内側付近」がすぐに分らず、少しウロウロしたが無事に出会うことが出来、一路“東交民巷飯店”へ。
空港を出る時は午後9時半頃になっていた。ホテルに着くまでに「便利店:コンビニ」で、飲み物と果物ナイフを買いたいと運転手のKさんに頼んだ。セブンイレブンの前で車を停めてくれた。内部で何人かが品物を並べていたけど店は閉めていた。そうか・・・今日は9月18日。到着早々反日デモ騒動の一端を感じることとなる。
次に停まってくれた店は、営業しており果物ナイフもちゃんとレジ傍に置いていた。水とジュースと果物ナイフで計14元(180円)を支払う。“東交民巷飯店”到着は、午後10時過ぎ、一泊「¥5,147円」は、ネットで予約しカードで支払い済み。でも押金(Yājīn)は、幾らか忘れたが払う。
予約時に「この料金の部屋は4階までの部屋で窓がないです」と言われていたが、ラッキーなことに案内されたのは6階で“東交民巷”(どんじゃおみんしゃん)に面して広い窓があった。このホテルを選んだのは、北京での目的の一つ、「義和団事件の戦跡めぐり」のためであり、ホテルの東二軒隣に1900年当時の日本公使館があり、今もその建物が残っているらしい。明日朝、まずはその日本公使館跡を見に行く。北京籠城の舞台の中心地が、この“東交民巷”である。
ベッドはキングサイズ一つだったが文句はない。今日、18日は我が家からここまでの移動に費やした。その距離を考えれば当然ともいえる。そして、ホッとした直後に私の身に恐怖が襲った。バスタブもあり湯も順調に出た。満足げに風呂から出ようとしたらドアのロックがガッチリ掛かったまま、ドアノブが今にももぎ取れそうにぐらぐらで、ロック解除がままならない。
最初は「冗談だろう」「そんなはずは・・・」と、思いながら何度も抜け落ちそうな“ドアノブ”を回そうとしたが、ぐらぐらで引っ掛かりがまったくなく、ロック解除などおぼつかない。そしてこの木製ドアは、分厚く、見るからに頑丈で隙間も揺らぎもなく、ガッチリとドアが閉まっていた。その現実に直面して、いっぺんに目が冴え、この難局?をどう切り抜けようかと焦った。
四角の鉄の心棒が抜け落ちそうになっていたが、このドアノブが抜けてしまえば「万事休す」のような気がして、しばしバスタブに座って考える。外部との連絡は取れず、ドアや壁を叩いて気づいてもらうのか?明日、この部屋に掃除に来るまでこのままここで待つのか?まあ今に思えば浴室の壁を叩き続けは隣の部屋の者が気づいてくれただろう。
旅の初日、それも夜遅く到着してのこの“ざま”に、あ〜あ、と一挙にテンションは下がった。そして、しばし間を置いて、とりあえずどうなってもええからと、いつもの開き直りでドアノブを引き千切ろうと決め、思いっきりねじったり引き抜こうとしたりしていた時、ロックが外れた。この時の感激は、今も鮮明に蘇る。何よりホッとした。これもお天道様とご先祖様のお陰だと思う。
恐怖が安堵に変わり、幸運に感謝。今回の旅を通じて、これこそが最大の危機だった(笑)。そしてこのドアの不具合は、二泊三日の間ホテル側に黙っていた。言えば、折角窓のある部屋に入ったのに部屋を換えられるかも知れないし、面倒だからという理由だ。次の誰かが一晩閉じ込められても水も湯も出るし、風呂と便器もあり、死ぬことはないだろうと。でも退房の時言うべきだった。
明日は8時半にロビーで待ち合わせ、義和団事件跡と盧溝橋事件跡、そして故宮を見下ろせる景山公園に行く。乞うご期待! -
夜の北京を走る
9・18の今日
反日暴動はあったのだろうか?
そんなことを気にしながら周囲をみていたが
それらしきことはなにもなく -
セブンイレブンは店を閉めていた
この便利店で果物ナイフを買う -
“東交民巷飯店”6階
10年ぶりに再訪となる
反日騒動渦中の旅はどうなるのだろう? -
この浴室内でドアが開かなくなった
人生一瞬先は何が起きるか分らない
阪神淡路大震災の時もそう思う
一日一生、やりたい時にやるべし
明日は、また来るとは限らない・・・。
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