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旧浦賀道に面した西叶神社(にしかのうじんじゃ、神奈川県横須賀市西浦賀)は養和元年(1181)、神護寺文覚上人が京都の石清水八幡宮より勧請創建されています。<br /><br />「叶神社」由緒としては文覚上人が源氏の再興を発願、治承年間(1177~1180)上総国・鹿野山に籠もり「源氏再興の本願が叶えられれば勝地を求め八幡の一社を建立、末永く祀る」との誓いをたてます。<br /><br />社伝によりますと文覚上人は法皇に神護寺再興の寄進を強要した罪で伊豆に配流、当地在住間同地に流刑となった源頼朝に源氏再興を鼓舞していた経緯があります。<br /><br />大願成就により社殿建立の地を求めたところ鹿野山の対岸の現在地に石清水八幡宮の神を祀ることになります。<br />文治2年(1186)源氏再興の大願が叶ったところから叶神社と称するようになっています。<br /><br />その後元禄5年(1692)江戸幕府の行政政策により、それまで一つであった浦賀村が東西に分割され、東岸にも同じ御祭神をと願う村民の信仰心強く、東浦和に叶明神を勧請しています。<br /><br />また江戸時代には下田から奉行所が当地に移転され、奉行に任ぜられた武士は代々叶神社を崇敬し、春秋2期の大祭には奉行自ら参詣し幣物を捧げることとなっていました。<br /><br /><br /><br />2022年7月19日追記<br /><br />横須賀市作成の当該神社のホームページには下記のように紹介されています。<br /><br />『 西叶神社<br /><br />叶神社は養和元年(1181)文覚上人が京都の石清水八幡宮を勧請して造られました。<br /><br />平家の横暴ぶりを憤った文覚上人は源頼朝と源氏再興を願い、上人自ら治承年間、上総の国の霊山である野鹿山に参籠し修行を重ね、その本願が叶ったならば神社を建立し末永く祭祀することを誓いました。そして養和元年に大願成就の前兆を観じて、勝地を求め各地を遍歴した末に、野鹿山に相対する浦賀西岸の現在地に、社宇を建立し、文治2年(1186)源氏再興の大願叶ったところから、叶大明神と称するようになりました。<br /><br />現在の社殿は天保13年に再興されたもので、本殿、幣殿は総檜造りで、その内部は悉く彩色され、本殿柱は金箔朱塗り、内部の科長草木の彫刻はすべて極彩色となって居り、扉は黒仕立蝋色塗、内面は金箔押しと云う華麗な装飾がなされている。<br /><br />拝殿は花鳥草木の透かし彫りのある格天井となっており七十四面ほどある、社殿四方の周囲の外部多くにも彫刻が施されている。これらの優れた彫刻は、当時名工と謳われた彫刻師、後藤利兵衛橘義光の作品である。このように、当時の最高に近い建築の技術の枠と彫刻の美を備えた社殿造営の工事費は、三千両と云う莫大な金額であったと言われ現在、叶神社の彫刻は横須賀市市民文化遺産に指定されています。』<br /><br /><br />また境内の掲示板には次の説明があります<br /><br />『 東西叶神社について<br /><br />元禄5年(1692)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。行政区分の分離は、それなりに各の村意識を生じさせるのであって、総鎮守は西岸に所在していたから、長い間、その氏子として、叶神社の神徳を仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が、分霊祭祀となった。』

相模横須賀 文覚上人は平家の横暴を嫌い源氏の再興を願い大願成就によって石清水八幡宮より勧請した『西叶神社』散歩

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2012/05/04 - 2012/05/04

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滝山氏照

滝山氏照さん

旧浦賀道に面した西叶神社(にしかのうじんじゃ、神奈川県横須賀市西浦賀)は養和元年(1181)、神護寺文覚上人が京都の石清水八幡宮より勧請創建されています。

「叶神社」由緒としては文覚上人が源氏の再興を発願、治承年間(1177~1180)上総国・鹿野山に籠もり「源氏再興の本願が叶えられれば勝地を求め八幡の一社を建立、末永く祀る」との誓いをたてます。

社伝によりますと文覚上人は法皇に神護寺再興の寄進を強要した罪で伊豆に配流、当地在住間同地に流刑となった源頼朝に源氏再興を鼓舞していた経緯があります。

大願成就により社殿建立の地を求めたところ鹿野山の対岸の現在地に石清水八幡宮の神を祀ることになります。
文治2年(1186)源氏再興の大願が叶ったところから叶神社と称するようになっています。

その後元禄5年(1692)江戸幕府の行政政策により、それまで一つであった浦賀村が東西に分割され、東岸にも同じ御祭神をと願う村民の信仰心強く、東浦和に叶明神を勧請しています。

また江戸時代には下田から奉行所が当地に移転され、奉行に任ぜられた武士は代々叶神社を崇敬し、春秋2期の大祭には奉行自ら参詣し幣物を捧げることとなっていました。



2022年7月19日追記

横須賀市作成の当該神社のホームページには下記のように紹介されています。

『 西叶神社

叶神社は養和元年(1181)文覚上人が京都の石清水八幡宮を勧請して造られました。

平家の横暴ぶりを憤った文覚上人は源頼朝と源氏再興を願い、上人自ら治承年間、上総の国の霊山である野鹿山に参籠し修行を重ね、その本願が叶ったならば神社を建立し末永く祭祀することを誓いました。そして養和元年に大願成就の前兆を観じて、勝地を求め各地を遍歴した末に、野鹿山に相対する浦賀西岸の現在地に、社宇を建立し、文治2年(1186)源氏再興の大願叶ったところから、叶大明神と称するようになりました。

現在の社殿は天保13年に再興されたもので、本殿、幣殿は総檜造りで、その内部は悉く彩色され、本殿柱は金箔朱塗り、内部の科長草木の彫刻はすべて極彩色となって居り、扉は黒仕立蝋色塗、内面は金箔押しと云う華麗な装飾がなされている。

拝殿は花鳥草木の透かし彫りのある格天井となっており七十四面ほどある、社殿四方の周囲の外部多くにも彫刻が施されている。これらの優れた彫刻は、当時名工と謳われた彫刻師、後藤利兵衛橘義光の作品である。このように、当時の最高に近い建築の技術の枠と彫刻の美を備えた社殿造営の工事費は、三千両と云う莫大な金額であったと言われ現在、叶神社の彫刻は横須賀市市民文化遺産に指定されています。』


また境内の掲示板には次の説明があります

『 東西叶神社について

元禄5年(1692)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。行政区分の分離は、それなりに各の村意識を生じさせるのであって、総鎮守は西岸に所在していたから、長い間、その氏子として、叶神社の神徳を仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が、分霊祭祀となった。』

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 浦賀道説明<br /><br />浦賀街道は江戸時代末期には奉行所が下田から当地に移転した後以降幕府と浦賀奉行所とを結ぶ重要な街道となりました。<br /><br />ぺリーの浦賀来航を機に窓口である奉行所の役割が高まり、ペリーらとの度重なる折衝・交渉結果を幕閣に報告・指示を受けるため頻繁な往復があったかと想像ができます。

    浦賀道説明

    浦賀街道は江戸時代末期には奉行所が下田から当地に移転した後以降幕府と浦賀奉行所とを結ぶ重要な街道となりました。

    ぺリーの浦賀来航を機に窓口である奉行所の役割が高まり、ペリーらとの度重なる折衝・交渉結果を幕閣に報告・指示を受けるため頻繁な往復があったかと想像ができます。

  • 叶神社石標<br /><br />深く入り込んだ浦賀湾の西側に位置する西叶神社は旧浦賀道に面しています。<br />然しながら当石標には「叶神社」と刻されていますが江戸時代における幕府の浦賀村の東西分割政策により東浦賀村にも叶神社が分祀されますが当石標は分離前の石標と思われます。

    叶神社石標

    深く入り込んだ浦賀湾の西側に位置する西叶神社は旧浦賀道に面しています。
    然しながら当石標には「叶神社」と刻されていますが江戸時代における幕府の浦賀村の東西分割政策により東浦賀村にも叶神社が分祀されますが当石標は分離前の石標と思われます。

  • 西叶神社鳥居<br /><br />参道の向こうに第二の鳥居が見えます。

    西叶神社鳥居

    参道の向こうに第二の鳥居が見えます。

  • 叶神社<br /><br />一段高い場所に建立されている神社は奥行きが制限されて、横の広がりもやや狭い印象があります。

    イチオシ

    叶神社

    一段高い場所に建立されている神社は奥行きが制限されて、横の広がりもやや狭い印象があります。

  • 拝殿

    拝殿

  • 拝殿<br /><br />拝殿を飾る精巧な彫刻がなんとも印象的です。<br /><br />

    拝殿

    拝殿を飾る精巧な彫刻がなんとも印象的です。

  • 昭洞香山君碑<br /><br />浦賀奉行所与力、香山栄左衛門(かやま・えいざえもん、1821~1877)の活躍を讃える石碑でアメリカ海軍ペリーの浦賀湾来航時の浦賀奉行所の与力で奉行の代理として応対したとして、子息氏が父を讃えて建立したものです。

    昭洞香山君碑

    浦賀奉行所与力、香山栄左衛門(かやま・えいざえもん、1821~1877)の活躍を讃える石碑でアメリカ海軍ペリーの浦賀湾来航時の浦賀奉行所の与力で奉行の代理として応対したとして、子息氏が父を讃えて建立したものです。

  • 叶神社建立碑

    叶神社建立碑

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