2008/03/26 - 2008/04/02
3位(同エリア6件中)
みなみやまさん
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画像はマレーシア国境ランタウパンジャンのイミグレーション
タイ・スンガイコロクのイミグレを無事通過したみなみやま。
バイタクに乗ればいいものを意地を張って徒歩でとぼとぼとスンガイコロク駅へ向かう。
店らしい店もなく、広い道路とマレー鉄道終着駅の広い操車場を見ながらしばらく歩いた。
暑い熱帯の真昼の日差しが肌を刺す。
遠くに、スンガイコローク駅が見えてくる。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩 バイク 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
バスターミナルの規模は大きい。
まず、国境のランタウパンジャン行きのシティバスの乗り場を探した。 -
フルーツの露天も多く出ていた。
熱帯らしく、フルーツの種類が豊富だ。
ドリアンもよく見たが、結局食べることはなかった。
ドラゴンフルーツの赤い身の色は印象的だ。
一、二度聞いただけで、29番ランタウパンジャン行きの場所が見つかった。 -
バスは赤い車体の冷房つきバスだった。
それで、まずは遅い朝食をとることにした。
麺というとこんな麺が出てきた。 -
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-
食事がすんだあと、29番バス停でずいぶん待った。
ここで、NZからの男性と知り合いになった。
ここからタイのイミグレーションまで短い時間であったが、一緒に行動した。 -
29番バス停
-
国境の町ランタウ・パンジャンへ向け、バスは発車した。
バスは、バスターミナルをでて、コタバル市庁舎前のメインストリート「ホスピタル通り」をに出て、空港方面の道路に出た。 -
白と黒の歩道と車道を分ける分離ブロックが印象的だ。
-
そして、バスは赤い熱帯特有の濁った川を渡り、コタバル郊外へ出た。
ただし、ランタウ・パンジャンのイミグレーション前が終点ではないことをあとで知るのだが。
-
そのあとはマレーシアの田舎(カンポン)を走り続けた。
途中で、田舎町のバスターミナルに一度寄る。
ここで、方向を変え、1時間弱でランタウ・パンジャンの街へ到着した。
というよりは、イミグレーションらしい建物が見えてきたのだ。
マレーシア側のイミグレーションは、割と建物が立派だ。
というよりは、『ほどほど紀行』にも書いてあるが、タイ側のイミグレーションは「質素」なのだ。「貧弱」となかなか書けないのだ。
バスが止まる。
運転手が何か言っている。
「う!」「ここで降りるのか?」と聞くとそうだという。
ニュジーランドからのバックパッカーの青年と一緒に降りる。
途中でタイ側から来た白人女性が彼に何かを聞いていた。
そのあと、彼に「タイバーツ」を持っているのか聞いてみた。 -
この画像ではわからないが、建物には「イミグレーション・ ランタウ・パンジャン」と書かれている。
「歩き方」にはタイ側のでは、マレーシアリンギットも通用するとは書いてあったが、タイ側ではすぐに両替はできないと書かれていた。
マレーシア側の商店でで両替をすることができると。
結局、タイのスンガイコロークの『金行』でタイバーツに両替したのだが。 -
-
このアーチを越えて橋を渡るとタイ領となる。
このアーチには、マレーシア語で「サラマット・ジャラン(さようなら)」と書かれていた。
さらに、その下には大きな文字でフランス語?で「VON・VOYAGE」と書いてあった。
彼と二人で橋をゆっくり渡る。
そして、その先にあった人だかりの小さな建物が「貧弱」なタイのイミグレーションだった。 -
国境の川を渡る。
-
橋の真ん中でマレーシア側を振り返る。
ここは、マレーシアでもタイでもないわけだ。
しかし、ここはのんびりしているといっても、これだけ安心して国境を撮影したの初めてかもしれない。
撮影は、外国人バックパッカーにお願いした。 -
今度は、マレーシア側からタイ側を見る。
正面左にタイのイミグレーションと「タイツーリストポリス」がある。
橋の両側には、橋から落ちないように?高い頑丈な柵がある。
現在は使われていない鉄道線路も健在。 -
この川の左側がマレーシア。
この川の右側がタイとなる。 -
タイ側のイミグレーションには遮断機も何もない。
地元民はパスポートなし、入国カードなしで、写真つきの証明書でただスタンプを押してもらうだけ。
その地元民で行列ができている。
まず、地元民とは別にタイ入国カードをもらい、書き込む。
それで、割と丁寧に書き込む。
「歩き方」をみて、泊まるつもりはないがハチャイのサクラ○○ホテルと書いた。
あとで効果あり。 -
さすがに、このイミグレには西洋人がちらほらといる。
おかげで、外国人同士仲間意識が持てるのはいいことだ。
オたがに声を掛けられる。
途中で、係官が地元民専用の窓口を開いてくれたので、人の列は少なくなった。
みなみやまの番になる。
係官が、どこへ行くのかと聞く。
意外だったので、とっさにうっかり行くつもりのパッターニという。
係官が、ハジャイのSAKURA○○HOTELに泊まるのか?あそこはいホテルだとか何とか好意的にしゃべりかけてきた。
おっとと・・・。冷や汗が出る。
本来は、適当に書く宿泊先だが、イミグレでこんな風にフレンドリーに話しかけられると少々あせってしまうシャイなみなみやまだった。
スタンプは無事押された。
さて、タイ鉄道の始発駅スンガイコロ−クまでの道は、歩くことに決めていた。
しかし、それは間違いだとあとで気づくのだった。
思ったとおり、イミグレの近くには、両替ができそうなところがまったくないのだ。
目にツーリストポリスの文字が入る。
初めての経験だが、躊躇なくツーリストポリスの事務所にドアを押して入っていった。
ツーリストポリスは、フレンドリーで、パッターニ行きのバスステーションは鉄道駅より国境側で、鉄道駅の向かい側の銀行?で両替ができると地図まで描いて説明してくれた。
これは、的確な指摘だった。
おまけに、英語表示のパッターニ県の地図までくれた。
最後に、バイタクには乗らないのかと聞いてくれたが、意地っ張りのみなみやま、何を感じたか「ウォーク!!」と言ってしまったのだ。
あとで考えるとタイ・バーツがなくてもマレーシアリンギットでも通用するはずだ。
親切で言ってくれたツーリストポリスのアドバイスを聞くべきだったのだ。
ただでさえ、足が筋肉痛なのだ。
重たい足を引きずりながら、鉄道の引込み線横の広い道路を駅はこの先に必ずある!!と自分に言い聞かせながら歩いたのだった。
暑い、熱帯の日差しは容赦なく光線を浴びせかけてきた。「暑い!!」
バイタクに乗ればよかった。 -
タイ側のイミグレーション前。
バイクに乗ったり、自動車が自由に行き来しているのがわかるだろうか?
国境の警備兵の姿もないのだ。
それに比べると、次に行ったパッターニの街には、タイ国内であるにもかかわらず
自動小銃をかかえた兵士が巡回し、拳銃を持った警官も多くみられた。
マレーシアと同じムスリムを信奉する一部が爆弾騒ぎを今年になっても起こしているのだ。
タイでは多数派の仏教徒が、パッターニではでは少数派なのだ。
それ以外にも、パッターニでは仏教徒でもないムスリムでもない華人を多く見た。
行ってよかったパッターニ。
しかし、話は意外な展開を見せるのである。 -
タイ・スンガイコロクのイミグレを無事したみなみやま。
バイタクに乗ればいいものを意地を張って徒歩でとぼとぼとスンガイコロク駅へ向かう。
店らしい店もなく、広い道路とマレー鉄道終着駅の広い操車場を見ながらしばらく歩いた。
暑い熱帯の真昼の日差しが肌を刺す。
遠くに、スンガイコローク駅が見えてくる。
同時に、道路を挟んで反対側に数軒の商店が見えてきた。
ツーリストポリスの話どおり、まず、駅の手前でミニバス乗り場を発見。
これがパッターニ行きのバスステーションだろう。
ミニバスは、何とトヨタのワゴン車。
切符売り場の横はオープンテラスの食堂だ。 -
これをそのまま通り越していくと、スンガイコロク駅の前には、金色のショーウインドの 『金行』があった。
「タイ、銀行より金行・現在も残る華僑の知恵」だ。
ツーリストポリスの話は『銀行』ではなくて『金行』だということにすぐに気づいた。
間違った反省もなく、すぐに貴金属店に入る。
見たところ、やはり華人の店のようだ。
適当に、中国をまず使う。
これも愛嬌だ。
次は本題だ。
店員に、USドル、OK??と聞くとNO!!
そこで切り替えて、最初にシンガポールで両替した2万円の残り少ないシンガポールドルをタイバーツに両替した。
その結果、財布には、小額のシンガポールドルと帰路で使うマレーシアリンギット、そしてタイバーツとドル預金から引き出して持参したUSドルと大変なことになっていた。
細かい話だが、この旅行で両替した日本円は、最初の2万円と最終日、シンガのレートのいいといわれるアラブストリートで両替した1万円のみだ。
そして、空港で当分来ないシンガのシンガポールドルの残金を日本円ではなくUSドルに換金した。
それが87ドルだったから、航空券以外の費用は2万円超で納まった勘定になるのだ。
シンガからタイまで移動の連続ながら相変わらず8日間がこの値段のケチケチ旅行である。 -
金行』を出ると、目の前はマレー鉄道スンガイコロ-ク駅。
すでに、駅には列車が入っているようだ。
この列車に乗れば、まっすぐ格安の運賃で当初目的のハジャイ駅までいける。
しかし、気持ちはすでに決まっていた。
足は、自然に先ほど確認した、パッターニ行きのミニバスステーションに向いていた。
スンガイコロークやパッターニについては、先に紹介したように、事件が最近まで続いているのだ。
あえて、火中の栗を拾いに行くことはない。
ましてや、海外での誘拐や事件に巻き込まれたときの非難を考えたときに「自己責任」が問われる日本社会だ。
みなみやま的にも、これでも慎重に「自己責任」を意識しながら旅行をしているのだ。
決して、無謀なことはしない。
返って、安全を優先しているのだ。
といっても、信じてくれる人は少ないだろうが。(汗)
それでも、とにかくパッターニに入ってみたいという願望は強まっていた。
この目でパッターニの街を見たいと。
ところで、昨年末爆弾テロで30人が負傷したという(細かいが死者は出ていない)スンガイコロクの街は、とても静かな街だった。
事件がうそのようだった。
でも安心は、禁物だ。 -
早速、パッターニ行きの切符を買う。
まずタイ語であいさつをし、値段は、「タオライカップ?(いくら?)」と聞くのだ。
運賃は100バーツだった。
すばやく、ではなくてボーっとした頭で円に換算する。
約300円超だ。
発車時間は、午後1時半だという。
時計を見ると、もう2時過ぎ。
ではなくて、マレーシア時間よりタイ時間はさらに1時間遅いのだ。
時計の時間を1時間遅らせる。
画像の右手がマレー鉄道の敷地。駅は前方右にある。 -
マレーシアからタイへの国境越え
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