2012/06/06 - 2012/06/09
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写真は、白川郷荻町集落
このアングルは、雪に埋もれた冬景色を含め、ポスターなどで最も多く使われています。いかにもの景色なので、素人には難しい場所から撮っていると思われるでしょう。しかし、行ってみると、誰でも簡単に行ける場所からの撮影でした。
今回の旅行先を選んだ理由は追々書いていきますが、行程は、以下に示した3泊4日です。
1日目 6月6日(水)
東京(17時発)→(278km 4h)→松本(20時着)
泊:ホテル1-2-3よろづや
2日目 6月7日(木)
松本(8時発)→安房峠→平湯→道の宇宙ドーム(神岡 カミオカンデラ)
→飛騨牛焼き肉ランチ(飛騨古川駅前 スペランツァホテル)
→瀬戸川と白壁土蔵の散策(古川)
→白川郷(60棟)→五箇山(相倉集落:20棟)
泊:相倉集落 なかや
3日目 6月8日(金)
相倉(9時発)→菅沼集落(7棟)
→五箇山豆腐調達→富山市役所展望台→ライトレール
→昼飯:寿司栄 総曲輪本店→宇奈月(15時着)
泊:フィール宇奈月
4日目 6月9日(土)
トロッコ電車(往復共にリラックス車)
宇奈月 9:00→欅平10:18 進行右側確保のこと
欅平 12:28→宇奈月13:46 左側確保のこと
(雨のため、予定より2本早い列車で帰る)
昼食:トロッコ電車宇奈月駅で富山ブラック
宇奈月(15時発)→黒部市→北陸道→上信越道→
関越道→434km→自宅(22時着)
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目 6月7日(木)
写真は、ホテル1-2-3よろづや(ツイン:7千円/室)。
松本に前泊した理由は、
・千葉の自宅からは、白川も、宇奈月もほぼ400km、時間にして7時間以上
・定年後に再就職した私が抵抗感無く取れる休暇の限度は2日まで
・日曜は休養日に当てたいので、土曜日中に帰着
を満たした上で、現地での時間を確保するためには、日本橋の私の職場へ、かみさんに自動車で来てもらい、そのまま走って前泊するのがベターと考えたことによります。
この選択は、結果的にも大正解。首都高も中央道もガラ空きで、箱崎ICで乗ったのが17時30分、ホテル到着が20時15分という驚くほどの早さで走れました。ホテルマツモト よろづや 宿・ホテル
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ホテルの前を流れる女鳥羽川です。千葉では見られない透明な水が流れていました。
前日の晩飯は、食べログで評判の高い、駅前にある居酒屋の「卯屋」で、地物の盛り合わせ、山菜天ぷら等を食べました。何れも極めて美味しく頂きました。しかも、2人で腹一杯食べて飲んで6千円くらい。実に良い店で、幸先の良いスタートになりました。
なお、地物の産品の盛り合わせの内容は記録していなかったのですが、Merfolk Kingさんが食べログに、くらかけ豆お浸し,桜肉あぶり焼,ラディッシュ,のびる,辛みそ,桜肉キンピラ,土筆キンピラ,こごみと椎茸うま煮,山うどの和え物,ふき煮物,梅わさびの盛り合わせの信州の恵<春の巻>(\780)と書いているものと同じだったと思います。卯屋 グルメ・レストラン
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朝食前に散歩した時の松本城です。
地元の人がパラパラと散歩しているだけでした。静かで良い雰囲気だったので、松本市内に宿泊した時は必ず散歩すると決めました。国宝松本城 名所・史跡
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松本経由の白川郷・五箇山という行程なら、高山で昼食が普通でしょう。
でも、朝市の実直そうな婆さんにスカスカのリンゴを売りつけられた、いかにも取って付けた町並みが嫌い等の悪印象があり二度と行きたくありません。
別の場所はないかと地図を見ていると、飛騨牛とカミオカンデラが目に入りました。
カミオカンデラに行くのは無理なので、その紹介施設という「道の宇宙ドーム」へ寄ってから飛騨牛を食べることにしました。
写真は、飛騨牛焼き肉ランチ(1,980円)を食べた、飛騨古川駅前のスペランツァホテル。
この飛騨牛は絶品でした。良い肉なら、塩だけで十分に美味しいことを改めて認識されられました。本当にごちそうさまです。
なお、道の宇宙ドームは、笑ってしまうほど何もありませんでした。飛騨古川スペランツァホテル 宿・ホテル
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飛騨地方は水が豊富らしく、水路が縦横に張り巡らされていました。
水路のコイも立派でしたよ。ただ、水路は、全て直線だし、流れも早いので、コイは休憩できません。少しかわいそうになりました。 -
水路の水源になっている荒城川。
この川は、宮川、神通川に合流して富山湾に流れ込みます。
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町並みは、白壁の土蔵造りの家が多く、昔はさぞ栄えていたのだろうと思われました。
でも現在は、観光客が少し居るだけで、眠ったような街です。
@飛騨市の宣伝
飛騨牛を食べるためなら、少々の大廻りは苦にならない。 -
午後の観光は、白川郷です。
写真は、村営せせらぎ公園駐車場から集落内へ渡る橋です。
橋の先には、土産物屋が関所のように陣取っていますが、どう見ても仕入れものなので私達は無視しました。
白川郷の駐車場は、、国道が突き当たる村の入り口に民間駐車場の駐車場があります。しかし、白川郷の細長い集落の端っこに当たるため、合掌造りが見える場所まではかなり歩かねばなりません。
一方、この村営の駐車場は、村の入り口を右に曲がって橋を渡り、更に少し走ったところです。しかし、橋を渡れば集落の真ん中へ出られるので、こちらの方が便利でした。
なお、合掌造り民家園は、駐車場に隣接しているので、ナビの目標に使えます。野外博物館合掌造り民家園(白川郷) 美術館・博物館
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集落の一番奥から集落の中心を見る。
合掌造りは以下の3集落にあり、概要は下に示したとおりです。なお、どこかで読んだものに集落の特長を平入り、妻入りとあったので書いておきました。しかし、実際は傾向であって混在していました。
白川郷 60棟(特徴/平入り)重文:和田家
五箇山 菅沼集落: 7棟(特徴/妻入り)重文:村上家、羽鳥家、岩瀬家
五箇山 相倉集落:20棟(特徴/妻入り)世界遺産白川郷合掌造り集落 名所・史跡
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村落内
白川郷荻町集落が岐阜県、五箇山が富山県だということは、この旅行を計画するまで知りませんでした。
なお、これらの集落が別の県に属していることからも判るように、江戸時代の支配地域としても、白川郷が金森藩(後に天領)と浄土真宗照蓮寺、五箇山が加賀藩と異なっていました。
また、江戸時代の五箇山が、加賀藩の流刑地であり、黒色火薬の主原料の硝石(硝酸カリウム)を作っていたことは有名ですが、白川郷の情報は何もありません。ただ、幕末頃からは、合掌造りの大きさを利用した養蚕業で栄えたことはあちこちに書かれています。 -
屋根の萱の葺き替えをしている家がありました。
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こぎれいな家ばかりではありません。
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これは大きな家でした。
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集落の中心部にある、合掌造りの集まりです。絵になりますね。
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この旅行の下調べをしていた際、白川村役場のホームページと4トラで、この構図の写真は、荻町城跡展望台と天守閣展望台の2カ所から撮れると思える情報に出会いました。
しかし、行ってみると、実際は、隣接地でした。その上、展望台と呼んではいても、特別な施設があるわけではありません。知らない間に行き来してしまうくらいだったので、区別すること自体が無意味でした。
多分、私が拾った情報に加え、
・集落内から徒歩で行くと荻町城跡展望台へ先に到着
・国道350号線経由のシャトルバスや自家用車だと、食事処天守閣が解放している無料
駐車場へ到着して歩き始める
のため、全体像を知らない観光客がそれぞれの経験で書いていることで増幅された現象だと考えられます。どうでもよいことではありますが、放っておくと、おかしな状態が続いてしまいますので、コメントだけはしておきます。
しかし、白川郷に行ったらば、此処は是非にも行くべき場所であることは断言できます。荻町城跡展望台 名所・史跡
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宿泊は、五箇山、相倉集落の「なかや」さんです(1泊2食8400円)。
お風呂は、内湯もありましたが、紹介してくれた車で15分ほどの温泉施設に行きました。良いお湯なのにガラすきで、のんびりできました。
なお、白川郷の展望台を出たのが4時過ぎなのに、どうせ泊なのだからと、道の駅や展示施設をフラフラと寄っていました。そのため、菅沼集落や村上家等は、解放終了時間の5時に間に合わわなくて入れませんでした。合掌民宿なかや 宿・ホテル
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お約束の囲炉裏です。昔は、煙がボウボウ出る粗朶を燃やしていたのでしょうが、さすがに、炭火に変わっていました。
粗朶や薪の煙は、屋根に使っている萱の防腐に役立っていたはずなので、葺き替えの頻度は多くなってしまうでしょうね。
この囲炉裏部屋に隣接した14畳ほどの部屋が私たちの部屋でした。
同宿は、この地域を取材しているという男性の2人連れでした。 -
夕ご飯です。これに、五箇山名物の固い豆腐の冷や奴が付きます。
なかやさんを選んだ理由は、ホームページを見た際、食事の器に漆器が沢山使われていたためです。つまり、陶磁器は外来の品だが、漆器は地元産の材料だけで作れる。出してくれる食事も当然、地のモノが多いだろうと、勝手に期待したことによります。
この勝手な期待は大当たりで、どれもこれも大変美味しく頂けました。その中でも、野菜・山菜・豆腐の煮物・ゴマ和え(?)は、これを食べるだけでも泊る価値があると思ったほど美味しかったですよ。
夕食後は、宿の主人が「こきりこ」の実演をしてくれました -
3日目 6月8日(金)
朝の散歩です。写真は宿の前の消火栓です。
それにしても、朝の相倉集落は静かです。ブラブラ歩いていると、時の進み方も遅くなるような感じがします。
江戸時代の五箇山は、金沢藩の流刑地でした。これは、出入りの手段が庄川を遡る以外に方法がなく、冬になると豪雪で途絶するような陸の孤島のためです。
ただ、送られてきたのは、強盗や泥棒等の物騒な輩ではありません。藩のお家騒動で負けた武家や教養人だったそうです。 -
世界遺産に登録されて以来、こちら方面のバスツアーは多いのに、この地で宿泊するコースは知りません。そのためか、本当に人がいないです。もっとも、私らはこの状態を狙って来ているので好都合なのですがね。
庄川流域の合掌造り集落に興味を持ったのは、私のバイブルの一つになっている「火縄銃から黒船まで」(奥村正二、岩波新書、1970年1版)という本に、江戸時代の五箇山が、火縄銃などの火砲の発射薬だった黒色火薬の主要な材料の「硝石」の製造地だったと書いてあることです。
なお、江戸時代の硝石製造に関する纏まった資料は、この地のものだけしかないそうです。
また、金沢藩が交通不便な此処を製造拠点にした理由は、流刑地にするくらいに移動が困難なため、秘伝の技術の流出が無いだろうと考えたためだと書いてありました。相倉合掌造り集落 名所・史跡
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硝石は、硝酸カリウム(KNO3)という化学物質で、加熱すると酸素を発生します。黒色火薬は、加熱した硝石(80%)が大量に発生する酸素を使って、混ぜ合わせた炭(10%)+硫黄(10%)が爆発的に燃え、大量のガスを発生する性質を利用しています。明治の初めに無煙火薬(硝酸セルロース)が出現するまでは、鉄砲や大砲に使える唯一の火薬でした。
これらの3種の材料のうち、炭と硫黄は、日本全国何処でも簡単に手に入りますが、硝石は天然に産しない物質です。
硝石を生産するには、科学的知識が必要です。このことが、この地を訪れたかった最大の理由なので、興味の中心は、合掌造りという特徴的な建物ではなく、江戸時代の科学産業の中心地の雰囲気の方です。 -
硝石の製造方法は、
1、夏に合掌造りの床下を1?ほど堀り、此処に乾かしたヨモギ・雑草・ナス等の野菜の茎
を15cmほど積んで人糞を熟成させた肥やしを少しかけ、この上に土を15Cmという具合
に幾層にも重ね、床に使えるまで繰り返して床を作る
2、1年以上寝かすと、硝酸カルシュウムを大量に含んだ土が取れる
3、この土を炭酸カリウムを大量に含む灰汁に溶かすと、硝酸カルシウム→硝酸カリの
反応が起きる
4、上澄みを煮詰めると、粗製の硝石(硝酸カリ)が取り出せる
というものです。原理的には、人糞などに含まれた窒素を、土中の硝化細菌が酸化して硝酸カルシュウムを作り出すという、酒・味噌・醤油などと同様、微生物を使った製造方法です。原始的なようですが、意外に大量の硝石が含まれているそうです。
しかし、明治になると、チリ硝石が輸入されるようになり、硝石づくりはあっという間に衰退しました。
その後、この地域は、養蚕に転換しました。明治期の生糸は、日本の主要な輸出品だったので、米の取れなかったこの地域でも、それなりに暮らしが立ったようですね。養蚕は、合掌造りの2階以上で行われていました。 -
なかやさんでの朝ご飯です
真ん中は五箇山豆腐と野菜の煮付け。その右はコゴミのごまあえとネマガリダケの煮付けです。
ホント、この朝ご飯も美味しかった。地の材料を使った料理を食べさせてくれると、心底幸せになります。 -
五箇山の観光案内所です。場所は、次の写真の村上家の隣です。
宿で出た五箇山豆腐がおいしかったので、知り合いへの土産を兼ねて、家に送りたいと思って聞くと、喜平商店(0763-66-2234)の品物とのこと。
場所も聞いたのですが見過ごしてしまい、合掌造りのこの案内所で教えてもらいました。
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重文 村上家
喜平商店は、観光案内所の隣の此処を通過して数軒先です。
豆腐は1丁400円でした。でも、スーパーの豆腐の4倍くらいの大きさがあるので、むしろ安いくらいでした。この豆腐は、冷や奴もよいですが、煮ても美味しいです。それと、やらなかったのですが、麻婆豆腐に最適ではと思っています。
なお、此処の厚揚げを煮たら、実に美味しかったことが印象に残っています。絶対に買い忘れないようにアドバイスします。 -
五箇山 菅沼集落: 7棟
菅沼集落には、硝石を作る道具を展示した博物館があります。気になる場所なので、前日の夕方立ち寄ろうとしたのですが、駐車場の管理人に閉鎖の時間だと言われて入れませんでした。
この集落は、富山へ行く高速道路のインターへの途中なので寄ってみましたが、合掌造りは満腹です。また、硝石博物館は気にはなりますが、昔の道具類をおいているだけらしいので、わざわざ行くほどのことはないとも思い、上を走る道路から写真を撮るだけにしておきました。 -
富山県の観光では結構有名な、富山市役所の展望台です。
市役所なのに、駐車場は有料です。しかし、登るのはタダなので、行くことを是非薦めます。富山市役所展望塔 名所・史跡
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鉄チャンに人気の富山ライトレールです。
写真の場所は、JR富山駅に隣接した富山北駅のホームです。
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結構小気味よく走ります。鉄道のブルーリボン賞には、こんなものに与えるのかと疑問に感ずる例が多いのですが、このケースは納得です。
また、富山市では、市電がまだ頑張っています。主な路線はJR富山駅の反対側ですが、車両がポンコツでかわいそうになりました。 -
終点の岩瀬浜駅に停車中です。
これが生き残った理由は、主点の一つ手前に競輪場があり、そこへ行く人達が利用しているということが、乗ってみて判りました。 -
ライトレールのデットエンドです。
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今回の旅行中に海のものを違和感なく食べられる場所は、富山市だけです。ということで、この日の昼飯は、寿司栄 総曲輪本店にしました。
「総曲輪」は、「そうがわ」と読むそうです。少し歩いてみると、この場所は富山市の元々の繁華街であることが判りました。フェリオなどというデパートがあり、地元産品も置いてあったので、土産を買うなら此処は便利ではないかと思いました。
なお、寿司栄は、地の魚を安く食べさせてくれましたが、酒は出さないそうです。そのため、晩飯なら、昔行って美味しかった富山駅の一筋裏の美喜鮨本店にしたと思います。寿司栄 総曲輪店 グルメ・レストラン
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宿泊したフィール宇奈月です。
宇奈月温泉で何処に泊まるかは、今回の旅行で一番悩んだところです。
というのも、温泉有り・トロッコ電車の駅構内が見えるという、このホテルが目に入ったためです。
結局、ロケーションに惹かれて、駅側・1泊朝食6、490円に決めました。
なお、駅の構内は、浴室からもよく見えました。黒部峡谷トロッコ電車駅前 フィール宇奈月 宿・ホテル
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これは、部屋から川を中心に写したものです。
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最初に見えたトロッコ列車です。
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上の写真の倍率の高いものです。
少しハイになってきました。 -
次は重連が現れました。
なお、観光客用は重連、工事関係者用は単機という使い分けがあるように見えました。 -
まだ明るいので、黒部渓谷鉄道の宇奈月駅へ偵察に行きました。
駅前には、大きな駐車場とトロッコ電車の記念館がありました。 -
駐車場の先に行ってみると、人が歩いている橋が見えました。
この橋は、昔のトロッコ電車が昔通っていた山彦橋といい、鉄道用の新しい橋の新山彦橋が架かったため、歩行者用になったモノでした。 -
山彦橋の上は、鉄道用の橋に列車がかかれば絶好のアングルです。カメラを構えた人も大勢いたので、バズーカ砲のような望遠を付けた一眼レフを持っている撮り鉄らしい人に聞くと、もうすぐ来るとのこと。
5分ほど待つと来ました。手を振ると、列車の乗客も振り替えしてくれました。トロッコ電車は、皆をハイテンションにしてくれる乗り物なのでしょうね。 -
上の列車を引いて撮しました。
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人専用の山彦橋を渡ると、トンネルが現れます。
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この覗き穴で、トンネルが雪崩対策用のものだと判ります。
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トンネルを出たところ。
向かって右側の壁の中は、人間用のトンネルです。
これは、冬にダムの保守に人が行くために作ったものです。翌日判ったのですが、この人用のトンネルを使うと、橋を除くほぼ全線を外部に出ずに移動できるようです。 -
トンネルを出ると、こんな広場と立派な道路がありました。
トンネルのこちら側には、人が全くいませんでした。寂しかった、というより、心細くなるほどでした。
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橋を渡って戻ってくると、宇奈月駅の直ぐ脇のトンネルから列車が出てくるところでした。
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この獅子っ鼻の電関(電気機関車)は、ちっこいくせに結構な重量感がありました。
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富山地方鉄道、宇奈月温泉駅です。
トロッコ列車と違い、こちら側では電車が使われています。 -
フィールは、夕食の提供がないので、近所の食堂を紹介しています。
我々も繰り出しましたが、街は本当にさびれています。
入ったお蕎麦やさんは、ソバ以外のつまみは普通以上に美味しく食べられました。 -
列車が続々戻ってきて、操車場に収容されていきます。
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4日目 6月9日(土)
早朝の操車場です。 -
操車場から最初の列車が引き出されます。
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保線車 このタイプは2両しか在籍していないそうです。
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トロッコの客車を人が入れ替えています。
思った以上に小さいことが判りますね。 -
有蓋貨車です。
最初は何か判りませんでしたが、駅で荷物を積んでいて判りました。 -
DD25とあるので、ディーゼル機関車だと判ります。
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DD25は、無蓋車を引っ張っています。
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いよいよ、乗車です。
これは、駅に停車中の機関車です。 -
列車から見たフィール宇奈月です。
建物上部の張り出した部分が風呂、我々の部屋はその下の鉄柱に隠れた辺りでした。これなら、部屋から駅構内がバッチリ見えるはずです。
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新山彦橋です。
もう、写真を撮っている人が居ます。良い構図で摂るためでしょうが、前日の私たちと同様、列車の人間に手を振れと自分でも手を振って合図しています。 -
温泉街を撮してみました。
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温泉街の直ぐ上流に建設された宇奈月ダムの湖面です。
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新柳原発電所の建物です。線路が引き込んであるので撮ってみました。
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自動車で行ける最上流の温泉の「とちの湯」です。
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トロッコ列車は車窓からの景色が良いというイメージを持っていましたが、こんな感じの外が殆ど見えないトンネルを通過する時間がものすごく多くて意外でした。
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黒薙駅の発車直後、この沿線で水面から最も高い場所に架けられた「後曳き橋」に機関車がさしかかったところです。
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上の数秒後です。
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出し平ダムです。
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ダムを過ぎると直ぐに、出し平駅に到着します。
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駅には、対向列車が交換待ちをしていました。
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冬期歩道です。
これは、ダム管理に従事する人が冬期に使うための人専用のトンネルです。所々に覗き穴があります。 -
黒部第二発電所です。
此処にも引き込み線がありました。 -
猫又駅です。
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上の列車の先頭機関車です。
次は鐘釣駅です。
鐘釣駅の見所は、駅前の万年雪くらいしかありませんが、ツアーは此処で殆ど降ります。ここから欅平までは更に20分かかるし、景色もそんなに変わらないので、此処で下ろされるのでしょう。
ただ、この時に限っては、後で述べますが、此処で降りてもあまり変わりませんでした。鐘釣駅 駅
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小屋平駅でも交換です。
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欅平に到着しました。駅の下は、黒部第三発電所です。
なお、この駅からは、管理用として黒部第四ダムまでの電車が運行されています。しかも、欅平を出ると直ぐ、エレベーターで列車ごと持ち上げて高度さを稼ぐという、鉄屋が狂喜乱舞するような仕掛けがあるそうです。
関西電力は、一般人用のツアーを行っているそうなので、興味を持たれたら調べてみてください。欅平駅 駅
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欅平の駅から出たところ。
この冬は雪が極めて多かったとのことで、遊歩道の整備が遅れ、動ける場所は、河原展望台と名剣温泉の間だけでした。
もっとも、始め曇り、一時間後は大雨だったので、猿飛峡遊歩道も、祖母谷も行けませんでしたがね。 -
とりあえず、河原展望台に向かいました。
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到着したものの、何もありません。
足湯も、増水していて何が何だか判りませんでした。 -
仕方ないので、名剣温泉の方に向かいます。
赤い橋は奥鐘橋を下から見たところ。 -
これは、奥鐘橋。
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奥鐘橋を渡ったところからは黒部第三発電所が見えます。
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人食い岩付近からみた欅平駅方面。
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欅平駅から名剣温泉方面を見る。
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雨が更に強くなってきたので、欅平駅のレストハウスでコーヒーを飲みました。暇なので、この種の写真は、ちょこっと出撃して何枚も撮りました。
それにしても、やることがないので、12時頃の電車で帰ることにしました。
なお、行き違ったツアーの人は、雨が吹き降り状態なのに、吹きっさらしのトロッコの車両に乗っていました。旅行代理店が少しは考えたあげればよいのにと思いました。 -
13時30分頃に宇奈月駅に到着。
昼飯は、駅構内のレストランで富山ブラックを食べました。此処のブラックは、京都の新福菜館みたいな味で意外にいけました。 -
最後の最後に、旧型の凸型機関車を見ることができました。
後は、黒部ICから北陸自動車道に乗り、上信越自動車道、関越道を経由して自宅まで直行です。この日もガラガラで、15時に宇奈月を出発して22時には家に着いていました。おしまい。
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