2012/06/12 - 2012/06/12
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SUR SHANGHAIさん
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前編では、中央大街から松花江沿いに出た後、松浦大橋まで歩いて行ったこの日。
どこからか楊柳の綿毛がフワフワ飛んで来て、天気もいいし気持ちのいい散策ルートだったっけ。
それだけでも6km位の距離はあった気がするけど、この日はさらに徒歩で前進。
靖宇街を目指してみます。
靖宇街には何があるのかと申しますと、1900年代初めに建てられた中華バロック建築群。
●注: 中華バロック建築は、簡単に言うと西洋のバロック建築に中国の建築様式を融合させたスタイル。
外観でもその独特の装飾が目を引きます。
観光名所の中央大街にはきれいに修復された西洋建築群が並んでますが、靖宇街に並ぶ建築群は古びたままなのが特徴。
これからは取り壊しや修復が進むらしいと聞いたので行ってみます。
表紙の画像は、靖宇街の中でも中華バロック建築の風情が色濃い純化医院。
1920年創建で、元々は同義慶という名の百貨店だった建物です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
前編で松花江沿いを歩くついでに濱洲鉄路橋や松浦大橋もちょっと渡ってみたSUR SHANGHAI。
この日はなんだか体力も気力も充実して、まだまだ歩けそう。
で、松浦大橋を見終わった後は、そのまま道外区の靖宇街へ行ってみます。
テクテクテクテク…。
道外区は、観光名所の中央大街がある道里区のすぐ東隣の地区で、1900年代初めの西洋建築が古びたまま残っている場所。
道外区の西洋建築は、バロック建築に中国の建築様式を加味した中華巴洛克(中華バロック)と呼ばれる独特のスタイルが特色になっているんだそう。
さて、その道外区に入るとすぐにその中華バロック建築が!!
…というわけではなく、(;^ω^)
やはり現代の高層ビルも立ち始めている場所もありました。 -
イチオシ
SUR SHANGHAIは松浦大橋のたもとから靖宇街を目指したので、途中にある哈爾濱関道遺址文化公園を通過。
場所は北十八道街と大新街の角近く。
哈爾濱関道は、1907年に清朝が哈爾濱(ハルピン)を対外交易拠点と決定した際に設置された行政機構だったようです。
一見、小さい廟のような建物が公開されていました。
SUR SHANGHAIはここは素通りして靖宇街へ。 -
道外区は、かつては傅家店とか傅家甸と呼ばれた地区。
傅兄弟がこのあたりに店を構えたことから名付けられた地名だそうです。
その道外区に1900年代になって住み着いた中国人商人たちが、西洋バロック建築に中国の建築様式や装飾を取り入れて建てたのが中華バロック建築と呼ばれるスタイル。
靖宇街にはその中華バロック建築群が1km以上に渡って連なっています。 -
靖宇街の東端近くは、結構きれいに修復された中華バロック建築が並んでます。
十字路の角をうまく使った2〜3階建ての建物多し。
この街並みだけ見たら、とても中国の街とは思えない風情。
道外区一帯の道は、歩行者専用の中央大街と違って車も行き交う道。
建築見学の際にはご注意を。 -
靖宇街と南十四道街の角まで来ると、
あれ? (・・? あれってモスクだよね。
靖宇街に大きなモスクがあるとは聞いていなかったし、地図にも出ていないのでびっくり。
モスク前の広場もずいぶん大きく取ってあるし、周りのビルやホテルにもモスクっぽいドームが乗っかってるのに…。
哈爾濱(ハルピン)一帯に住むイスラム教徒たちが、大きな祭礼の時にここに集まって来るのかな、といった雰囲気。
実は黒龍江省も少数民族が多い省で、比較的人口が多いのは満州族、回族、蒙古族、朝鮮族、ダフール族だそう。
このうち、イスラム教を信仰しているのは回族だけど、聞いた事の無い民族の名も混じっている…。
中国には55の少数民族がいて、それぞれ異なった文化を持っています。
≪中国 少数民族≫で検索すると紹介サイトが色々出てくるので、そちらでどうぞ。 -
なんと言うモスクなのか見に行ってみたSUR SHANGHAI。
フェンスに出ていた説明書きによると、このモスクの創建は1897年で当時の名は清真東寺。
●注: モスク裏門にあった説明には、創建は1908年、当時の名は阿拉伯清真寺と出ていました。不思議…。
その後再建や補修を重ね、今見る大きな広場付きの姿になったのは2004年のこと。
名を道外清真寺と変えたのは2003年のことだったそうです。
●注: 中国語で清真寺というのは、仏教のお寺さんではなくてイスラム教のモスクを指します。 -
道外清真寺の正面ゲート前にいた地元の人たち。
「モスクのゲートは運動用具ではありません。上ったりしないように。」という注意書きがしてあるゲート。
モスク関係者らしき門番のおじさんもいるのに、そのすぐ横でゲートの骨組みを使った膝の屈伸運動を始めたおばさん。(。・w・。) ププッ
おじさん、起きて〜!! -
「道外清真寺に御用のある方は裏手の門からどうぞ。」という表示もあったので行ってみた。
そこにはイスラム教徒用の食事を出す食堂が並んでいたり、ナンを焼きながら売っている屋台もあった。
SUR SHANGHAIの前を行くのは、イスラム教の女性信徒らしき二人連れ。
門の所で追いついて、「私も中に入れる?」と聞いてみると、「モスクの建物はダメだけど。」の答えが。
で、敷地にだけお邪魔してみます。 -
道外清真寺の敷地に入って行ったSUR SHANGHAI。
出ていた説明によると、大殿の使用面積は446?で、600人が礼拝できる広さ。
黒龍江省の中でも最大規模のモスクのようです。 -
道外清真寺の敷地内。
高さ22mあるという宣礼塔が見える中庭では、信者らしき男性が洗濯物を干していた。
ひょっとして、このモスクには神学校もあって、寄宿生が入っているんだろうか?
…と思っても、話しかけるのをためらう雰囲気。 -
さ、本題の靖宇街に戻ろう。
道外清真寺の裏手の角には、不思議な形の建造物が。
ひょっとして昔のモスクの塔の名残? と思ったら、外壁に出ていたプレートの説明には消防用の塔だったと出ていました。
建てられた年代は不詳だそうです。 -
道外清真寺から西の靖宇街には、古びたままの中華バロック建築がびっしり。
やっぱり2〜3階建てが多いみたい。
1階部分はかろうじて店舗が入っていても、上階は廃墟同然に荒れ果てているのが一目瞭然。
同じ靖宇街でも道外清真寺より東側だと結構きれいに修復された建物が多かったと思うけど。
これから順に補修されていくんだろうか。
ここは、靖宇街と九道街との角。
この画像だと右手が靖宇街、左手が九道街。
このあたりのお店は、医療関係機器店多し。 -
上に出した靖宇街と九道街との角の中華バロック建築。
角部分の2階と3階をアップで。
全体的に古びているし、以前は青く塗られていた浮き彫り部分もすっかり色褪せた壁面。その浮き彫り自体も細部が剥落。
この大きさの画像だとその薄く残った青い色も見えないかも。
SUR SHANGHAIは建築には詳しくないんですが、壁面に彫られた花模様がやけに中国っぽい感じでした。
廃墟のように見える2〜3階部分の建物内部はどうなっているのか見てみたくなる。
今は誰も住んでいそうが無いけどどうだろう。
暗くなった後で、朽ちた窓の奥に揺れる灯りが見えたらゾクッ! -
上に出した靖宇街と九道街との角の中華バロック建築の説明プレート。
靖宇街でも、目を引く建築物には同じようなプレートが出ています。気になる建物があったら、探してみては?
簡体字の中国語と英語で簡単に説明が出ています。
このプレートの説明によると、現在医療機器店が入っているこの建物は、元は1934年に建てられた銀京という名の写真館で、レンガと木材で建てられた中華バロック建築、と出ています。
ちなみに≪中華バロック≫は、中国語の漢字表記では≪中華巴洛克≫と当てるようです。 -
東西に延びる靖宇街と交わる脇道には≪数字+道街≫の名が付いていて分かりやすい。
そして、靖宇街を境に、≪北≫か≪南≫の文字も付け加えられます。
たとえば、上記の元・銀京写真館があるのは靖宇街と九道街の角なんですが、その九道街も、靖宇街をはさんで北九道街と南九道街と名前が変わります。
この画像の場所は南九道街。
靖宇街から脇道に入ると、今度は中華バロックとも異なるスタイルの民家も軒を連ねています。 -
靖宇街のわき道の一つの南九道街に寄り道してみたSUR SHANGHAI。
すぐに中華バロック建築は姿を消して、庶民のレンガ造りの家が軒を並べていました。
う〜ん、フォトジェニック!!
町並みもそこに住む人々の風情も、上海で言えば、外灘(バンド)の北にある虹口地区の下町風景とそっくりでびっくり。
中華バロック建築見学のほか、こういう古びた街並みを見たりそこに住む人たちの様子を写真に撮るのがお好きな方なら、道外地区を半日歩き回っても時間が足りないと思います。
SUR SHANGHAIも、次に哈爾濱(ハルピン)に来ることがあれば、またこの地区に来てみたい。 -
イチオシ
今度は靖宇街を渡って、北九道街へ寄り道。
こちら側にも中華バロック建築に混じって、民家も続いていました。
これは廃墟なのか、それとも夕方からは灯りも点る部屋があるのかどうか分からない。
夕暮れを狙って来たら、迫力ある写真が撮れるんじゃないでしょうか。 -
北九道街のアパートっぽい建物。
木枠の色も褪せてささくれ立った窓。
パッと見ると住民はいない感じの窓にも、目隠しのレースが貼り付けてあったり、窓辺にはサルビアの鉢植えも置いてあった。
どんな人がここに住んでいるんだろう。
中には、「部屋、貸します。」の貼紙がしてある窓もあって、歩道に面した扉と石の階段が小粋だった。
きっと今では水周りも部屋の造りも古くて実際に住むには不便だらけなんだろうけど、中はどんな感じなのか見てみたかったな。 -
同じく北九道街にあったアパートらしき建物。
これも中華バロック建築になるのかな。
この建物には説明プレートが無かったので不確実。
この大きさの画像だと見えないかもしれませんが、一見洋風の造りでも、外壁には≪寿≫の字を図案化した浮き彫りがいくつもありました。
木の窓枠が二重になっているのは、冬の寒さ対策だろうな。
ここも、人が住んでいるのかどうか分からないほど荒涼とした雰囲気。 -
これも北九道街にあったアパート風の建物。
説明プレートが出ていないけど、これも中華バロック建築風。
漢字の看板や自転車人力車のおじさんがいなかったら、中欧や東欧の古びた街のよう。 -
これも北九道街にあった建物。
あれ? この部分の扉がずいぶん高い所に付いてるけど、これは車を横付けして荷物の上げ下ろし用に使っていたのかも?
そう言えば、全体がちょっと倉庫っぽい感じだし。 -
イチオシ
これは、ちょっと西寄りの北八道街。
自分がどこにいるのか分からなくなりそうなキッチュな空間。
ん? あの建物の窓に集まるおじさんたちがいる。
何だろう? と近寄って行くと…、 -
…中華饅頭屋さんだった。 (ノω`*)
いや、どこで饅頭屋さんを開いても別にいいんですけどね。
ただ、中華バロック建築に入っていると、ちょっとミスマッチな気がしただけです、はい。 -
これは、南七道街に残っていた中華バロック建築。
元は何の建物だったのか、いつ頃建てられたのかは、説明プレートが無かったので不明。
外壁の装飾の中には、やっぱり≪寿≫の字を紋様化した浮き彫りが残っていた。
小粒ながら、竣工したばかりの頃は凝った装飾が人の目を惹き付けただろうに、今は1階を残して廃墟状態。
出来たら丸ごと買い取って、リノベしたい〜!
水周りとかは修繕が大変そうだけど、クラシック・ホテルにしたらいいだろうなあ、と妄想。 -
ちょっとした宮殿のように見えるこの建物は道外区の公安派出所。
南七道街と豊潤街の交わる広場にあってずいぶん立派。
これは、ちょっとこれまで見てきた中華バロック建築と違うスタイル。
でも、説明が出ていないのですぐに退散。
カメラを持ってあんまり周りをウロウロしたら、不審者だと思われそうでイヤだし。(~_~;) -
上に出した公安派出所の隣にあったお店。
子供用遊具の顔が、どこかで見たキャラクターそっくりなんだけど。(。・w・。) ププッ -
これは靖宇街と六道街の角。
遠くに見える現代の大型マンションらしき建物と、手前の中華バロック建築との取り合わせが奇妙な街角。
車に混じって、自転車リヤカーに大荷物を積んだおにいちゃんが通って行くのも、ちょっとしたタイム・スリップ感あり。 -
靖宇街から北六道街に入ってすぐの場所にあった中華バロック建築。
パッと見ただけでは分かりませんが、細部の装飾に目をやると、やはり中国的紋様が浮き彫りになって施されています。 -
北六道街は、華やかな中華バロック建築とは違った下町風民家も並ぶ道。
これもまたずいぶん古びた町並みで、遠くに見える新しいビルが幻のよう。
画像右手に見える黒レンガ造りの家が気になって、黒々と見える通路をくぐって行ってみると…、
…壊れかけの家屋の周辺にゴチャゴチャと物が積まれたゴミ収集所のような一画。
そして、少なからぬ住民がいる気配があった。
不謹慎にも、「え、ここに住んでいる人たちがいる!」と思ってしまったSUR SHANGHAI。
つい数十m離れた場所には賑やかに人も車も通る靖宇街があるのに、ここだけポッカリと抜け落ちてしまったように深い雰囲気…。
路地の奥からイヌのうなり声も聞こえて来たので、Uターンして出てきたSUR SHANGHAI。
なんだか、靖宇街界隈のディープな一面を垣間見てしまった気がする…。 -
北六道街に面した民家。
古びた壁の色と質感が、油絵っぽい。
同じ道沿いでも、初夏の日を浴びる通りに面した民家だと、さっき入り込んでしまった路地と違って、安心して見ていられる雰囲気。 -
北六道街にあったコンビニ的商店。
年季を経た扉が何重にもなっているのがすごい。
冬の寒さ除け+盗難避けも兼ねているんだろうけど、お客さんで来た人も入りにくいんじゃない? -
北六道街には教会もあった。
これにはプレートが出ていて、その説明によるとこれは1936年5月に建てられた共済会教堂。
折衷主義建築って出ていたけど、無知なSUR SHANGHAIには、何と何の折衷主義なのかが今ひとつ分からず…。
(-"-)
2階の窓の向こうには青々とした植木も見えたけど、今も教会として使っているんだろうか。 -
これは五道街だったかな。
これまたずいぶん古びて半ば廃墟になったようなビルがあった。
夜にはホラー映画の雰囲気になるんじゃないかな。ゾクッ…。
それでもパラポラ・アンテナが取り付けてある窓辺があるから、ここにも人が住んでいるのかも。 -
1900年代初めに道外区一帯に建てられた中華バロック建築群。
その後補修されないまま、外観も廃墟ののように古びてしまった建物の裏手はさらに雑然とした雰囲気。
このままだと、哈爾濱(ハルピン)の歴史を示す建築群も、ただただ朽ち果てていくのかも?
そう危惧するのは部外者のSUR SHANGHAIだけではないようで、このあと、≪老道外≫と銘打った復古調の街並み(中華バロック歴史文化保護街区)を見かけました。
この旅行記の最後でご紹介します。 -
これは、靖宇街と四道街の角にあった中華バロック建築。
壁の装飾に中華紋様らしき浮き彫りがありました。
看板に≪典当行≫と出ていたり、丸の中に≪當≫と書いてあるのは、質屋さんの意味。
こんな人目に付きやすい場所だと来るお客さんもいなかったのか、「店舗貸します」の貼紙がしてあった。 -
イチオシ
靖宇街の西端もすぐ近くになった南頭道街との角にあるのが、これこそ中華バロック建築!といった風情の純化医院。
外壁に出ていたプレートの説明によると、1920年創建で、元々は同義慶という名の百貨店だったようです。
百貨店を病院に造り替えるという発想が結構すごい…。
外壁の装飾に目にやると、中国チックな紋様の浮き彫り多数。
出入り口の上に見えている欄間のような部分にも、瑞雲や貨幣、中国では吉祥とされるコウモリの絵柄が透かし彫りになっています。
●注: 日本だとコウモリは不吉なイメージですが、中国では蝙蝠(コウモリ)の≪蝠≫の字が≪福≫に繋がるとされておめでたい動物になっています。
羽を広げた形が紋様化されて、よく寺院や民家などの装飾にもなっています。 -
純化医院を靖宇街から見てみると、全体的な壁面装飾の雰囲気はシンガポールのプラナカン建築にも似ていると思ったSUR SHANGHAI。
プラナカン建築に付いては、下記の旅行記にアップ済みですので、比べてみたい方はご覧ください。
★プラナカンの住居が並ぶ街並み(1) −カトン地区クン・セン・ロード
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10069583/ -
イチオシ
靖宇街ももうすぐ西のはずれ。
もう一度純化医院を振り向いてみると、
お! 屋上にやけに中国チックな建造物が。(◎◇◎)
なんとも不思議な建築スタイル…。
その建造物の正体は分からねど、これが西洋のバロック建築と中国の建築様式を取り入れた中華バロックの典型的な姿?なのかも。 -
さて、靖宇街の西端は景陽街にぶつかって終わり。
その三叉路にあるのは、これまた古色蒼然とした新聞電影院。
電影院というのは映画館のことなんですが、今も営業してるの?といった雰囲気で活気無し。
外壁に出ていたプレートによると、1929年に建てられた折衷主義の建物で、元は水都電影院という名だったそうです。
哈爾濱(ハルピン)中心街から靖宇街を訪れたい方は、この三叉路までタクシーなどで来てから歩き始めるといいような気がします。
この旅行記に載せた靖宇街界隈の建物はほんの一握り。
じっくり見て歩きたい方なら1日の時間を割いても悔いは無いかも。
これでこの旅行記本題の靖宇街のご紹介はおしまいなんですが、電影院の左後方に見えるドーム型の建築物が気になったSUR SHANGHAIはさらに前進。
もうちょっとだけお付き合い願います。<(_ _)> -
上に出した画像に見えるドーム風の建築物の正体を確かめに行ってみたSUR SHANGHAI。
靖宇街の続きのような北馬路だったと思う。
廃線になった線路の脇にあったその正体は糧貿大厦というビル。
これは中華バロック建築と比べたらずっと新しいはずなのに、何とも言えずホラーな雰囲気。
あのドーム風の部分がやけに怖いんですが…。((;゚Д゚))
どこからそういう印象が生まれるんだろ。 -
北馬路沿いには、自転車屋さんが並ぶ町並みもあった。
同じ北馬路でも、上の画像のビルとは違って、安心して眺められる雰囲気の街角。 -
さ、景陽街に戻って来た。
もうこうなったら、ホテルがある中央大街の南端まで歩いて行こう!
前編の松花江沿い散策も入れたら、いったい今日は何km歩いたかな。 -
宿へと向かい始めた景陽街で見かけたのは、≪老道外≫と銘打った復古調の街並み(中華バロック歴史文化保護街区)の工事現場。
残念なのは、古くなった中華バロックを補修して保護する訳ではなく、取り壊した跡地に新しく建て直して観光地化しようとしているらしい点。
その敷地の一端が純化医院近くの靖宇街にも通じていて、既に飲食などの店舗が入っている場所もありました。
そのうちに、上海で言えば≪新天地≫風の場所になるんじゃないかな。
今後、道外区あたりに行く方は要チェック。
SUR SHANGHAIとしては、同じお金を使うなら、半ば廃墟化した歴史ある中華バロック建築群を救う方が価値があると思うんだけど…。
いつかまた哈爾濱(ハルピン)の街に行くことがあれば、その後の様子を確かめに戻って行ってみたい靖宇街界隈。
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