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1).    旅の始めに                                                                                     <br />                                                                                                                  <br /><br />               気儘さを 枯葉競り這う 石畳                                                                                       <br />                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           <br />   ハルピンの空港には、午後5時半頃到着、そこから、タクシーで、都心のホテルへ向かった。その時の気温は、マイナス20度を超えていた。<br /><br />2).「中央大街」(旧キタイスカヤ通り)へ <br />  <br />  1900年に入り、「哈爾浜」(ハルピン)では、街づくりが本格的に始まった。ロシアは、南下政策を推し進め、満州に入り、鉄道を敷設し、周辺を付属地として開発しながら、渤海湾に面する「旅順」へと拡大して行った。現在、「歩行者天国」であり、歴史的建造物が多く残る「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)一帯も「鉄道付属地」であった。ロシアに代わり、「日清」、「日露」の戦争で勢い着く日本は、国策会社「満州鉄道」に鉄道網を拡大させながら、大陸の支配を強めて行った。<br /><br />3). 外交官 「杉原千畝」と、ユダヤ人<br /><br />  「哈爾濱」を舞台とした、もう一組の主人公は、ユダヤ人であろう。ユダヤ人は、1900年代初頭から、ヒットラー時代のドイツや、スターリン時代のロシアから、「哈爾濱」に逃れて来ている。このユダヤ人問題に関係した日本人外交官、「杉原千畝」は、1939年(昭和14年)リトアニアの在カウナス領事館・領事代理であった。1940年7月、ヒットラーの迫害から逃れて来たユダヤ人2000人余に、杉原は、訓命に背き、日本通過ビザを発給している。後に、「日本のシンドラー」と呼ばれた「杉原千畝」の助けで、ユダヤ人が向かった先は、「哈爾濱」であり、その最終地は、アメリカ及び、建国間もないイスラエルであった。岐阜県出身の「杉原千畝」は、若き日、ハルピンの「日露協会学校特修科」で、ロシア語を習得している 。<br /><br />4). 「氷雪大世界」へ  <br />   <br />   「聖・索菲亜(ソフィア)大教堂」の広場で、「氷雪大世界」会場へのバスの予約を受け付けていた。僕は、バス代と入場料セットで、290元支払い、夜のバスの予約をした。夕方、バスで、「氷雪大世界」の会場へ向かい、会場前の駐車場で降ろされた。ガイドは、会場に入るまで、「帰る時間」、「集合場所」、そして「バスのナンバー」を、繰り返し、大声で叫んでいた。気温は、既にマイナス20度を越えており、見学先をじっくり考えさせてくれる程、悠長な状況ではなかった。会場に入るや、目に入った氷雪像に向かい、僕は一目散に駈け出して行った。案内図は配られていたが、規模の大きさと、この寒さの中では、思い付くまま見て回わらざるを得ず、どの程度見たかは、判らなかった。とは言え、会場のスケールと、大型氷雪像に、やがて寒さも忘れ、息を切らしながらも、僕は、楽しんでいた。<br /><br />5).松花江へ<br /><br />               氷踏む 歩くリズムに 靴が鳴る<br /><br />   旧「キタイスカヤ通りを北に向かうと、「松花江」に出る。「松花江」のこの辺りは、夏は水泳、冬はウインタースポーツが楽しめる、ハルピン市民の憩いの場であった。堤防から「松花江」を眺めると、手前には,ウインタースポーツの施設が広がり、その先は、凍り付いた空間が,対岸まで続いていた。凍り付いた「松花江」に下りると、天然の「スケート場」が広がり、観光用の「馬車ぞり」や「犬ぞり」が賑やかに行き来していた。 対岸の川中島である「太陽島」までは、約1.5キロ前後だと聞き、僕は早速氷の上を歩き始めた。当初は、おっかなびっくりの足付きであったが、街の喧騒が遠のく頃には、氷を踏む音に、聊か遅れ、僕の靴のきしむ音が、リズムとなり、次第に快適な足取りとなって行った。途中、来た方向へ振り返ると、市街地の高層ビル群は、セピア色の幻想的な情景となっており、東を眺めると、「濱洲線」の鉄橋を、ロシアとの国境に向かう汽車が、丁度渡っていた。再び、氷を踏む音をリズムに歩くこと半時間、対岸の「太陽島国家級風景名勝区」へ、到着した。<br /><br />6).「伊藤博文」を暗殺した、「安重根」記念館へ   <br />  <br />  1909年10月26日、「哈爾濱」(ハルビン)駅頭で、日本の枢密院議長「伊藤博文」が、朝鮮人「安重根」に暗殺された。 2013年、韓国大統領「朴槿恵」は、中国国家主席「習近平」に対し、「伊藤博文」暗殺現場の哈爾濱駅に「安重根」の石碑の建立を陳情した。2014年9月に、「習近平」主席は、それに応え、「記念館」の建設を指示している。翌日、僕は、「安重根記念館」に、出掛けた。「記念館」は、哈爾濱駅の、以前は「貴賓室」であった一角に造られていた。「安重根」の胸像のほか、経歴の紹介、彼の書や絵画等も展示されていた。暗殺現場のプラットホームには、事件があった「1909年10月26日」を記載したプレートが掲げられていた。一世紀余前の事が、未だ政治問題となる日中韓の奇妙な三角関係を、思い知らされる見学となった。 <br /><br />7).哈爾濱のロシア料理<br />  <br />  「嘗て、ロシア人が多く住んでいた地区はどこか」と、タクシーの運転手に訊ねたら、哈爾濱駅の南にある「南崗区」だと教えてくれた。早速、駅の南地区に向かったが、かなり廃墟と化していた。<br />  お昼近くになり、運転手に、「ロシア料理」の店を尋ねたら、「黒龍江省博物館」近くのロシア料理店「波特曼西餐庁」(西大直店)に、向かってくれた。 通りから奥に入った古い建物であるが、落ち着いた雰囲気の店であった。 料理は、ウエイトレスの薦める、「ボルシチ」、「壺焼シチュウ(羊肉入り)」、「生野菜サラダ」、それに「パン」と、「格瓦斯(パンが発酵するときの香りが漂う甘い飲み物)」と、「ハルピンビール1900年」を注文した。この地は、嘗ては、日中露の間では、極めて微妙な、三角関係の地であったようだが、ロシア料理を、僕は、大いに楽しんだ。(完)<br /><br /><br />  * Coordinator:  H.  Gu                                         <br /><br /><br />

【黒龍江省】 哈爾濱(ハルピン) *  氷雪の街を  旅する

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2015/01/28 - 2015/02/01

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1). 旅の始めに        
   

               気儘さを 枯葉競り這う 石畳    

   ハルピンの空港には、午後5時半頃到着、そこから、タクシーで、都心のホテルへ向かった。その時の気温は、マイナス20度を超えていた。

2).「中央大街」(旧キタイスカヤ通り)へ 
  
  1900年に入り、「哈爾浜」(ハルピン)では、街づくりが本格的に始まった。ロシアは、南下政策を推し進め、満州に入り、鉄道を敷設し、周辺を付属地として開発しながら、渤海湾に面する「旅順」へと拡大して行った。現在、「歩行者天国」であり、歴史的建造物が多く残る「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)一帯も「鉄道付属地」であった。ロシアに代わり、「日清」、「日露」の戦争で勢い着く日本は、国策会社「満州鉄道」に鉄道網を拡大させながら、大陸の支配を強めて行った。

3). 外交官 「杉原千畝」と、ユダヤ人

  「哈爾濱」を舞台とした、もう一組の主人公は、ユダヤ人であろう。ユダヤ人は、1900年代初頭から、ヒットラー時代のドイツや、スターリン時代のロシアから、「哈爾濱」に逃れて来ている。このユダヤ人問題に関係した日本人外交官、「杉原千畝」は、1939年(昭和14年)リトアニアの在カウナス領事館・領事代理であった。1940年7月、ヒットラーの迫害から逃れて来たユダヤ人2000人余に、杉原は、訓命に背き、日本通過ビザを発給している。後に、「日本のシンドラー」と呼ばれた「杉原千畝」の助けで、ユダヤ人が向かった先は、「哈爾濱」であり、その最終地は、アメリカ及び、建国間もないイスラエルであった。岐阜県出身の「杉原千畝」は、若き日、ハルピンの「日露協会学校特修科」で、ロシア語を習得している 。

4). 「氷雪大世界」へ  
   
   「聖・索菲亜(ソフィア)大教堂」の広場で、「氷雪大世界」会場へのバスの予約を受け付けていた。僕は、バス代と入場料セットで、290元支払い、夜のバスの予約をした。夕方、バスで、「氷雪大世界」の会場へ向かい、会場前の駐車場で降ろされた。ガイドは、会場に入るまで、「帰る時間」、「集合場所」、そして「バスのナンバー」を、繰り返し、大声で叫んでいた。気温は、既にマイナス20度を越えており、見学先をじっくり考えさせてくれる程、悠長な状況ではなかった。会場に入るや、目に入った氷雪像に向かい、僕は一目散に駈け出して行った。案内図は配られていたが、規模の大きさと、この寒さの中では、思い付くまま見て回わらざるを得ず、どの程度見たかは、判らなかった。とは言え、会場のスケールと、大型氷雪像に、やがて寒さも忘れ、息を切らしながらも、僕は、楽しんでいた。

5).松花江へ

               氷踏む 歩くリズムに 靴が鳴る

  旧「キタイスカヤ通りを北に向かうと、「松花江」に出る。「松花江」のこの辺りは、夏は水泳、冬はウインタースポーツが楽しめる、ハルピン市民の憩いの場であった。堤防から「松花江」を眺めると、手前には,ウインタースポーツの施設が広がり、その先は、凍り付いた空間が,対岸まで続いていた。凍り付いた「松花江」に下りると、天然の「スケート場」が広がり、観光用の「馬車ぞり」や「犬ぞり」が賑やかに行き来していた。 対岸の川中島である「太陽島」までは、約1.5キロ前後だと聞き、僕は早速氷の上を歩き始めた。当初は、おっかなびっくりの足付きであったが、街の喧騒が遠のく頃には、氷を踏む音に、聊か遅れ、僕の靴のきしむ音が、リズムとなり、次第に快適な足取りとなって行った。途中、来た方向へ振り返ると、市街地の高層ビル群は、セピア色の幻想的な情景となっており、東を眺めると、「濱洲線」の鉄橋を、ロシアとの国境に向かう汽車が、丁度渡っていた。再び、氷を踏む音をリズムに歩くこと半時間、対岸の「太陽島国家級風景名勝区」へ、到着した。

6).「伊藤博文」を暗殺した、「安重根」記念館へ   
  
  1909年10月26日、「哈爾濱」(ハルビン)駅頭で、日本の枢密院議長「伊藤博文」が、朝鮮人「安重根」に暗殺された。 2013年、韓国大統領「朴槿恵」は、中国国家主席「習近平」に対し、「伊藤博文」暗殺現場の哈爾濱駅に「安重根」の石碑の建立を陳情した。2014年9月に、「習近平」主席は、それに応え、「記念館」の建設を指示している。翌日、僕は、「安重根記念館」に、出掛けた。「記念館」は、哈爾濱駅の、以前は「貴賓室」であった一角に造られていた。「安重根」の胸像のほか、経歴の紹介、彼の書や絵画等も展示されていた。暗殺現場のプラットホームには、事件があった「1909年10月26日」を記載したプレートが掲げられていた。一世紀余前の事が、未だ政治問題となる日中韓の奇妙な三角関係を、思い知らされる見学となった。

7).哈爾濱のロシア料理
  
  「嘗て、ロシア人が多く住んでいた地区はどこか」と、タクシーの運転手に訊ねたら、哈爾濱駅の南にある「南崗区」だと教えてくれた。早速、駅の南地区に向かったが、かなり廃墟と化していた。
  お昼近くになり、運転手に、「ロシア料理」の店を尋ねたら、「黒龍江省博物館」近くのロシア料理店「波特曼西餐庁」(西大直店)に、向かってくれた。 通りから奥に入った古い建物であるが、落ち着いた雰囲気の店であった。 料理は、ウエイトレスの薦める、「ボルシチ」、「壺焼シチュウ(羊肉入り)」、「生野菜サラダ」、それに「パン」と、「格瓦斯(パンが発酵するときの香りが漂う甘い飲み物)」と、「ハルピンビール1900年」を注文した。この地は、嘗ては、日中露の間では、極めて微妙な、三角関係の地であったようだが、ロシア料理を、僕は、大いに楽しんだ。(完)


* Coordinator:  H. Gu


同行者
一人旅
交通手段
タクシー 飛行機

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    哈爾濱(ハルピン)の石畳みの「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)

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    哈爾濱(ハルピン)の石畳の「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)

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    哈爾濱(ハルピン)の石畳の「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)

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    哈爾濱(ハルピン)「中央大街」(嘗ての「キタイスカヤ通り」)

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  • 「聖ソフィア大聖堂」(中文表記:聖・索菲亜大教堂)<br /><br />ハルビンにあるロシア正教会の聖堂。ハルビンを象徴するロシア建築。現在は教会・聖堂としては使用されず、「ハルビン建築芸術館」

    「聖ソフィア大聖堂」(中文表記:聖・索菲亜大教堂)

    ハルビンにあるロシア正教会の聖堂。ハルビンを象徴するロシア建築。現在は教会・聖堂としては使用されず、「ハルビン建築芸術館」

  • 「聖ソフィア大聖堂」(中文表記:聖・索菲亜大教堂)<br /><br />ハルビンにあるロシア正教会の聖堂。ハルビンを象徴するロシア建築。現在は教会・聖堂としては使用されず、「ハルビン建築芸術館」

    「聖ソフィア大聖堂」(中文表記:聖・索菲亜大教堂)

    ハルビンにあるロシア正教会の聖堂。ハルビンを象徴するロシア建築。現在は教会・聖堂としては使用されず、「ハルビン建築芸術館」

  • 哈爾濱市を流れる「松花江」。<br /> <br /> 満州語では「松阿里鳥喇(スンガリ・ウラー、sunggari ula)」すなわち「天の川」と呼ばれており、戦前の日本、殊に満州国時代の日本人の間でもスンガリ川の名で呼んでいたようである。<br /><br />凍結した「「松花江」の上で、ソリーなどで楽しむ人々。<br /> <br />

    哈爾濱市を流れる「松花江」。
     
     満州語では「松阿里鳥喇(スンガリ・ウラー、sunggari ula)」すなわち「天の川」と呼ばれており、戦前の日本、殊に満州国時代の日本人の間でもスンガリ川の名で呼んでいたようである。

    凍結した「「松花江」の上で、ソリーなどで楽しむ人々。
     

  • 哈爾濱市を流れる「松花江」。<br /> <br />凍った松花江の上を引っ張る観光犬ソリーの主人公たち

    イチオシ

    哈爾濱市を流れる「松花江」。
     
    凍った松花江の上を引っ張る観光犬ソリーの主人公たち

  • 哈爾濱(ハルピン)松花江<br /><br />凍った川の上でのウィンタースポーツ

    哈爾濱(ハルピン)松花江

    凍った川の上でのウィンタースポーツ

  • 哈爾濱(ハルピン)松花江<br /><br />凍った川の上を、対岸まで歩いて渡った。対岸から哈爾濱市街地を眺める。

    哈爾濱(ハルピン)松花江

    凍った川の上を、対岸まで歩いて渡った。対岸から哈爾濱市街地を眺める。

  • 哈爾濱(ハルピン)松花江<br /><br />凍った川の上を、歩いて渡る途中、遠くに市街地の高層ビルと、国境に向かう【濱洲線】の鉄橋が見える。<br />

    哈爾濱(ハルピン)松花江

    凍った川の上を、歩いて渡る途中、遠くに市街地の高層ビルと、国境に向かう【濱洲線】の鉄橋が見える。

  • 哈爾濱(ハルピン)松花江<br /><br />凍った川の上を、歩いて渡る途中、遠くに市街地の高層ビルと、国境に向かう【濱洲線】の鉄橋が見える。<br />

    哈爾濱(ハルピン)松花江

    凍った川の上を、歩いて渡る途中、遠くに市街地の高層ビルと、国境に向かう【濱洲線】の鉄橋が見える。

  • 哈爾濱(ハルピン)駅の手前の鉄橋から線路を眺める。

    哈爾濱(ハルピン)駅の手前の鉄橋から線路を眺める。

  • 哈爾濱(ハルピン)駅舎<br /><br />

    哈爾濱(ハルピン)駅舎

  • 哈爾濱(ハルピン)駅舎内にある、伊藤博文を暗殺した「安重根記念館」

    哈爾濱(ハルピン)駅舎内にある、伊藤博文を暗殺した「安重根記念館」

  • 哈爾濱(ハルピン)駅構内の、伊藤博文が安重根に暗殺された現場。

    哈爾濱(ハルピン)駅構内の、伊藤博文が安重根に暗殺された現場。

  • 哈爾濱(ハルピン)駅舎内にある、伊藤博文を暗殺した「安重根記念館」の内部。

    哈爾濱(ハルピン)駅舎内にある、伊藤博文を暗殺した「安重根記念館」の内部。

  • 哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王<br /><br />大蒜たっぷりの蒸した茄子料理

    哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王

    大蒜たっぷりの蒸した茄子料理

  • 哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王<br /><br />哈爾濱ビール1900年

    哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王

    哈爾濱ビール1900年

  • 哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王<br /><br />この日のスープ

    哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王

    この日のスープ

  • 哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王<br /><br />4種類の蒸し餃子

    哈爾濱(ハルピン)での餃子料理  東方餃子王

    4種類の蒸し餃子

  • 哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店<br /><br />「春餅」または「煎餅」とは、小麦粉で作った薄い皮に具を載せ、自分で包んで食べる、手巻き風の料理。<br /><br />最初の具(野菜と豚肉を炒めたもの)

    哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店

    「春餅」または「煎餅」とは、小麦粉で作った薄い皮に具を載せ、自分で包んで食べる、手巻き風の料理。

    最初の具(野菜と豚肉を炒めたもの)

  • 哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店<br /><br />「春餅」または「煎餅」とは、小麦粉で作った薄い皮に具を載せ、自分で包んで食べる、手巻き風の料理。<br />二つ目の具(醤油味の炒り卵)

    哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店

    「春餅」または「煎餅」とは、小麦粉で作った薄い皮に具を載せ、自分で包んで食べる、手巻き風の料理。
    二つ目の具(醤油味の炒り卵)

  • 哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店<br /><br />具を巻いて食べるための、小麦粉で作った薄い皮。少し焼き目がついている。

    哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店

    具を巻いて食べるための、小麦粉で作った薄い皮。少し焼き目がついている。

  • 哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店<br /><br />最初の具と、野菜などを薄皮の上に載せた状態

    哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店

    最初の具と、野菜などを薄皮の上に載せた状態

  • 哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店<br /><br /><br />薄皮で手巻きした状態。

    哈爾濱(ハルピン)での「春(煎)餅料理」  老昌春餅店


    薄皮で手巻きした状態。

  • 哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理  <br /><br />波特曼西餐庁(西大直店)<br />

    哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理  

    波特曼西餐庁(西大直店)

  • 哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店) <br /><br />ボルシチ

    哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店) 

    ボルシチ

  • 哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店) <br /><br />壺焼シチュウ(羊肉入り)<br /><br />

    哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店) 

    壺焼シチュウ(羊肉入り)

  • 哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店)<br /><br />パンと格瓦斯(パンが発酵するときの香りが漂う甘い飲み物) <br /><br />

    哈爾濱(ハルピン)でのロシア料理 波特曼西餐庁(西大直店)

    パンと格瓦斯(パンが発酵するときの香りが漂う甘い飲み物) 

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