2012/04/27 - 2012/04/27
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frau.himmelさん
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まだ私がドイツ語を習い始めて数ヶ月しか経っていない頃、シュヴェービッシュ・ハルの2週間のドイツ語シニアコースを受講しました。
あれから9年の歳月が流れて…、再びこの地を訪れることになりました。
当時の思い出と重ね合わせながら、懐かしの地を散策します。
その①の続きです。
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コッハー川沿いの散策を続けます。
前方に屋根付き木橋「ロータ−シュティーク」と橋門の「ロートシュティーク・トーア」が見えてきました。 -
屋根付き木橋・ローターシュティーク
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早速ローターシュティークを通って中洲の方に行って見ましょう。
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年月を感じさせる木製の橋の間からコッハー川を眺めます。
中州に見える円形の建物は?。 -
ハラーグローベ劇場です。
ロンドンのシェークスピア劇場を手本に建造されたものだとか。
屋根付きの木造劇場で550席あります。 -
この中洲は「ウンターヴェールト」と呼ばれています。
少し前までは塩泉浴場があったそうです。
ここから見える旧市街の景色も素晴らしいんですが、惜しむらくはあのテントがなかったらねー。 -
テントを避けて…。
旧市街の素晴らしい景観。
手前の橋は1516年造の石橋「シュタイン・シュティーク」 -
しつこく中洲から撮った旧市街を…。
大きな石造りのノイバウの下の木組みの家、ムゼウム(博物館)という垂れ幕が下がっています。
「へリッシュ・フレンキッシェス・ムゼウム」(前はハル・フランケン・ムゼウムと言ったんじゃなかったかしら?)。
街と地域の歴史博物館です。 -
シュタインシュティークを渡って大勢の観光客がこちらに向かってやってきます。
ほとんどシニアの方ばかり…。
9年前の私達のようです。
私達も学校の先生の案内で、あちこち連れて行っていただきました。 -
ウンターヴュールトから街並みを眺める。
中洲には水鳥も見えます。
本当にきれいな街並みです。
当時は景色を眺めるより、チンプンカンプンのドイツ語の説明を必死に聞き取ろうと、そればかりに集中していたように思います。 -
中洲
◆◇
シニアクラスは年に2回ほどの特別クラス(その頃は)だったため、
授業のあともいろいろスケジュールが組まれていました。
博物館や美術館に行ったり、小旅行があったり、コンサートや食事会、老人ホーム訪問などなど、結構忙しくて個人的にのんびり街歩きする時間がなかったような気がします。 -
旧防御門塔「ズルファー・トーア」、右の木組み建物は裁判所「ハール・ゲリヒト」
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ズルファートーアの横には製塩所小橋とも呼ばれる屋根付きの木橋の「ズルファーシュティーク」が…。
似ていますが先ほどの「ローターシュティーク」とは別物です。
そして、この前の広場を「ハールプラッツ」と言います。 -
ズルファーシュティークを渡って旧市街に戻りましょう。
橋の上から水鳥を…。
シュヴェービッシュ・ハルの「ハル」はケルト語で「塩」のこと。
シュヴェービッシュ・ハルは塩で繁栄した街なのです。
起源前より地下水を汲み上げて製塩していたそうです。
だからこの付近は「塩」に関する名前が多いのですね。 -
ハル通りのレストラン。
昼食時で賑わっています。
あの頃、ここでアイスを食べたことを思い出しました。 -
ハル通り
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ハーフェンマルクト。市庁舎の下の通りになります。
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ハーフェンマルクトより階段の上を眺めるとザンクト・ミヒャエル教会の塔が見えます。
写真の左の建物は市庁舎。 -
同じくハーフェンマルクトから、市庁舎を右側にした階段を眺めます。ここからはザンクト・ミヒャエル教会の建物の一部が見えます。
確か左側の建物にトイレがあったような気がします。 -
マルクト広場に戻ってきました。時間は1時をとっくに過ぎています。
おなかペコペコ、早くお昼にしましょう。 -
私の目的のレストラン「ゴールデナー・アドラー」ではなくお隣のレストランの席に座ったみたいです。
でも、壁にかかれたメニューの文字を見て「こちらでもいいわ!」。
大好きなマウルタッシェンが今日の特別メニューですって…。 -
「アム・マルクト」というお店です。
まず、こちらのオススメの白ワインをいただきます。なみなみですね。 -
この地方名物料理マウルタッシェンとたっぷりのシャンピニオンが、たぶんオイスターソースで味付けしてありました。
お醤油でも入っているのではないかと思うくらい私の口に合いました。
おいしかったー! -
お腹ごなしにザンクト・ミヒャエル教会に登ります。
階段途中から、今食事をしたレストランを。
私は赤い椅子に座ったのです。ゴールデナーアドラーは奥の白い席でしたね。 -
教会階段の上から見たマルクト広場。
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右から市庁舎、3件のカラフルなルネッサンス様式の建物。
左の大きな木骨組建物はクラウシュニッツァー・ハウスというそうです。 -
ザンクトミヒャエル教会の正面入口には、もちろん大天使ミヒャエルの像。
悪魔の化身、竜を退治して足下に組み敷いています。 -
扉が開かなくて中には入ることが出来ませんでした。
9年前は、この教会でコンサートを聴いたことを思い出しました。
とても音響が良かった。 -
それでは反対側に回ってみましょう。
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Der Adelshof、12世紀に建てられたこの街で一番古い建物です。
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今はホテルとして使われています。
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ここ、ゴールデナー・アドラーと繋がっています。
その奥がさっき私が食事をした「アム・マルクト」 -
さて、私はまだ一番重要な用事が残っておりました。
あの語学学校はどうなっているだろう?
広場からマルクト通りの坂道を降りて行きます。
途中にも歴史的な建物が…。 -
そして次の通りを左折すると…。
あったー! -
正面入口は変わっていませんが、何か昔と違うみたい…。
昔はもっと建物が大きかったような気がしましたけど、とっても小さく見えます…。 -
理由がわかりました。
前の道路を工事していて、以前と雰囲気が変わって見えたのです。 -
9年前の写真。
前はこの中庭も全部が見えました。
ここに朝食会場や教室がありました。
あの時のシニアクラス・初級には11人中なんと日本人が7人もいました。
しかも女性が4人、いろんなことがありました。決して楽しかったことばかりではありませんでした。 -
9年前の写真
ついでに学生寮も紹介します。
宿泊は学校まで10分くらいの高台にある学生寮でした。
寮はチビ(?)さんと呼ばれる人が管理していました。
ドイツには徴兵制度があり、いろんな理由で兵役免除をしてもらうかわりに社会奉仕活動をする人なんですって。 -
9年前の写真
お部屋は一人部屋。
ベッドと机、それに手前には整理だなと冷蔵庫、流しなどがありとても使いやすいお部屋でした。
出発日に撮ったので、スーツケースがみっともなく広げてあります。(笑) -
9年前の写真
面白かったのは洗面所。
隣の部屋と共同で使います。
両方に鍵が付いていて、片方が使う時は相手部屋側の鍵を閉めます。
幸いなことにこのときは隣は空き部屋でしたので一人で使うことが出来ました。 -
学校の近くの素晴らしい色合いの木組みの家。
このお店にはいろんなものが売っていてよく行きました。
だけどこんなステキな木組みの家だったなんて気がつきませんでした。 -
当時良く通った道です。
あの頃は学校の過密スケジュールと、さっぱりわからないドイツ語の予習・復習に明け暮れる日々で、周りのステキな街並みを愛でる余裕がなかったのですね。
もったいないことをしました。 -
さて、マルクト広場まで戻ってきました。
このレーヴェン薬局の上がオーバー・ヘルンガッセ、下がウンター・ヘルンガッセです。
15-16世紀の市の貴族の屋敷が並ぶ一画です。 -
私は聖ミヒャエル教会横の坂道をバス停へと向かいます。
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バス通りに出てきました。
左上の教会の傍に私達のWohnheime(ボーンハイム・学生寮)がありました。
懐かしいー!!
今回、この地を訪れるのは少しばかり躊躇しました。
でも、今の懐かしいと思う気持ち、この気持ちに免じて過去の嫌なことは水に流しましょう。 -
ホルツマルクトのバス停。
ヘッセンタール行きのバスはここで停車することは分かっています。
何となく人恋しくなった私は高校生くらいの男の子に話しかけました。
「ヘッセンタール行きはここでいいですか?」
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