バンコク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 11時に迎えを頼んでいたメータータクシーで空港へ。ホテルまでは450バーツだが、空港へは迎えの料金が加算され”500バーツ”とコールセンターのお姉さんに言われたので指示通り支払う。<br /><br /> タクシーは、プーケット空港2階出発口に到着。そしてチェックインへ。友人はエアーアジア、私はタイ航空。友人が20分先着の予定だ。<br /> 友人と別れタイ航空のチェックインカウンターへ。ここでも並ぶ事なく短時間で終了。受付カウンター数が多いのが助かる。バックを預けると、友人の荷物も収容している事もあいまって25キロ。5キロオーバーだ。だが、いつもの様に超過重量でも、受付嬢が重量数字をチラッと横目で見るだけで何も言わない。これが、タイ航空のメリット。<br /> 一方、エアーアジアに行くと友人は長蛇の列の中にポツンと佇んでいる。便毎に受付が設けられるので客が集中するのだ。こんなところも経費節減命のLCCらしい。<br /><br /> ほぼ同時に搭乗案内があり、再度左右に分かれ別の搭乗口へ。機内に入るとガラ空き。なお、バンコクに着いてから訊いてみると、エアーアジアは満席だったらしい。<br /> 後方キャビンには人がおらず非常口席に勝手に移動。機内から友人を見送ろう。ところが遅いはずの私の便がエアーアジア便よりも早く飛び立った。離陸する飛行機の中から次に離陸する友人の飛行機が見える。<br /><br /> 快適なフライトでバンコクに到着し、荷物のピックアップを早々に終え、エアーアジアのピックアップレーンに移動。私の便の6分後に友人便は到着と表示されてあるが、コンベア周辺には友人の姿はまだ無い。排出口の前で先に友人の荷物をピックアップしてやろうとカートに私のバッグを乗せ待っていると友人から電話が。「どこにいるの?」、に周りを見回すと排出口から一番遠い所にいる。「姿が見えるので、そこを動いちゃダメだよ」、とカートをそのままにして友人を呼びに行く。<br /> 友人はタイ人のおばさん2人に挨拶をして私のもとに。隣の席に座っていた人達らしい。何回か友人を飛行場で迎えたが、こんなシーンはよく目にする。機内で隣のおばさんとはすぐ打ち解け話が弾む様だ。<br /> 「どうして、そんなとこにいたの?人が一杯でマイサバーイ(快適じゃない)ナ」、と怪訝な表情。「あそこでピックアップするのが一番早いんだよ。それに出口も近いしね」、と説明しても首を傾げている。<br /><br /> 友人の荷物をピックアップして地下のエアポートリンク乗り場に向かう。友人は初乗車とあり物珍しそうにキョロキョロしている。ホテルはナナのソイ2なのでマッカサン駅で降りてタクシーで行こう。エスカレーターが無いので不便だなあ。駅によっては一番端っこにあり、プラットホームを随分歩かされる。<br /> 2階に降りるとタクシーが4、5台列を作って客待ちをしている。係員に訊くと「普通にメーターで行く」と説明があったのでタクシーに乗り込む。だが、ナナに行くのはマッカサン下車は大間違いだった。大渋滞の道をシティーライナーのパヤタイ方面に走り、次のラチャプラロップ駅の下を通過してナナへ。何の事はない。この経路しかないのなら、5バーツ高いが次のラチャプラロップ駅下車だった。マッカサン駅からアソーク通りは左折しか出来ないのでこの経路となったのだ。ラチャダー方面に向かいUターンすれば良いのに、距離稼ぎ?。しかし、この経路しかないのならスクンビット方面はラチャプラロップ駅が最寄り駅となるのかな。<br /><br /> 5時過ぎホテルに到着。ポーターに案内される途中に、建物の陰に隠れるように小さなプールが見える。写真では立派に見えたが、幅3m縦10m位の可愛いらしいプールだ。こんな小さなプールは初めて見た。ちなみに滞在中、泳いでいる人は一回も目にしなかった。その隣にはジムが。ここも利用している人の姿は一回も見なかった。その分、ロビー奥にあるPCは無料だからだろう稼働率が高く、通る毎にファランが画面に向き合っていた。<br /><br /> 案内された部屋はバカ広い。乏しいホテル経験だが、今までタイで泊まった中でもベスト3に入る広さだ。しかも5階には我々の部屋しか無い様だ。2ドア冷蔵庫、電子レンジ、二口IHコンロ、調理器具、食器、32型薄型テレビ、DVDコンポと、サービスアパート仕様だ。<br /> 立地的にはスクンビット通りからはかなりの距離が有るので、ホテルのツクツクで通りまで送迎してくれる。しかも4つ並んだアマリ、ソロ、マルコポーロのツクツクもお互いに利用可能で、パクソイ(ソイの入口)で待っていると、それらのホテルのツクツクでも帰還可能だ。<br /><br /> さて、旅装を解き休憩していると直ぐに夕食の時間だ。夕食後、一人で古式に出かける。途中Tさんに電話をしてみると「少しなら時間が取れる」、と有難いお言葉。Tさんとプロンポンで落ち合い日本食屋で2度目の夕食。<br /><br /> Tさんと別れソンクランの水を避けながらソイ23の100バーツ/hの古式屋で2時間たっぷり揉んでもらう。そしてソイカを散歩して徒歩でホテルに帰還。ソイカの店に入ろうかとも考えたが、下戸の私が一人で入っても興ざめなので横目でやり過ごす。ついでに通り道のナナ周辺も散歩するが、同様に見るだけ。<br /><br /> それでもホテルに戻ると23時。明日はメークロンに行く予定だ。寝よう。 <br /><br /> <br /><br /> ホテルの朝食は段々悪くなっていく様だ。アスペンスイートの朝食は種類も少なく今一だ。それでも腹が減っては戦にならないので、しっかりと摂る。<br /><br /> 食事後、ホテルのツクツクで通りまで送って貰い、そこからBTSのプルンチット駅は歩いてすぐだ。今日からソンクランらしいが、幸い駅までは水掛けの狂乱は開幕しておらず無事に到着。<br /> BTSでウォンウィオンヤイ駅まで行き、タイ国鉄に乗り換えだ。サイアムで乗り換えた車両は新しいタイプの6両連結だ。その電車で初めてチャオプラヤー側を軌道で渡りウォンウィエンヤイ駅に着く。<br /> 駅の構内で係員に訊くと鉄道駅は少し離れている。歩けない距離でもないようなので歩くこう。だが外に出ると、雨が強くなってきたので仕方なくタクシーで移動。ワンメーターでは行かず、タクシーに乗ったのは正解だった。<br /><br /> タクシーを降り運転手が示す方向に歩くが駅がなく、ソイを付き切ってしまう。街の人に3回ほど訊き何とかたどり着いた国鉄駅は駅舎も無く分かり難い。これが始発駅?昔は私鉄だったんだ。道すがら古式店を見るとやはりこの辺りは安い。100バーツから120バーツ/hだ。<br /><br /> 10時40分発の発車まで1時間近くある。駅構内は基より駅を取り囲む様に屋台が軒を連ねているのでブラブラする。友人はDVDが欲しいらしく開店準備中の屋台に並べ始めた物をあさる。私もMP3方式で大量に収録されたタイロックを50バーツで購入。<br /><br /> 発車の少し前、友人が窓口に行き切符を貰ってきた。”貰った”と言うのはタイ人は無料なのだ。そのうちの1枚を、「貴方は10バーツだよ、列車の中で払うんだよ」、と手渡してくれる。外国人は列車の中で10バーツの運賃を払えばよいらしい。<br /><br /> 列車が入線してきた。日本で使い古した気動車だ。到着した列車から多くの人が吐き出される。大半の人が降りた後、マハチャイから手荷物として運んできた魚介類が入ったケースをおじさん、おばさんが車内から持ち出す。乗り込んだ車内はまだ生臭い匂いが漂っている。<br /><br /> 乗客は7分程度だろうか。友人は、「エアコン付きの列車に移る?」、と言ってくるが、「ローカル線だもの、ここが良いよ」、と腰を落ち着ける。<br /> 列車が出発すると早速車掌が検札に回ってきた。ローカル線にそぐわない格好の良い制服姿で、一見鉄道公安員みたい。車掌に一言も口をきかず友人が貰ってきた切符の内の一枚を差し出すと黙ってハサミを入れ、行ってしまった。10バーツの請求は無い。「やったー、私もタイ人でタダだ!」。タイ人と認定された様だ。<br /> 列車はホントゆっくり、ゆっくりと走る。時折り窓の上部から水が落ちてくる。列車の屋根に先ほどの雨が溜まり、それが流れ込んできたのだろう、とタカをくくっていた。これは、とんでもない間違いだったと気付いたのは服がビショビショになってから。実は沿線から列車をめがけて水の砲撃だったのだ。これがどんどんエスカレートし、列車が遅い事も相まって沿線から水砲撃の雨アラレ。ゲリラ的に左右から砲撃されるので全く予測がつかないので避け様が無い。窓が完全に閉まらないので上部から水が侵入するのだ。服は水びたし。それでもカメラ、携帯を濡らさないようにかばう。<br /> だが水掛けは半端じゃない。親の仇の様に駅に止まったらバケツ、大型水バズーカで集中攻撃。中には車内に闖入し、乗客に水を大盤振る舞い。慣れている筈のミヤも逃げまどう。お陰で上半身は水びたし。勿論車内の床も水だらけ。”勘弁してくれえ”。<br /><br /> 水の歓迎の中、1時間かけてマハチャイ駅に到着。駅前市場は正月とあり凄い人手だ。シャコなどの海産物を横目で見ながら船付き場に歩を進める。「待ってえ、あれを買いたいの」、と友人に呼び止められる。振り向くと友人はフルーツ屋の前だ。友人の指さす白いフルーツは見た事もない物で、ピーナッツの様に枝に繭状の実が付いている。「これは地元には無いの。食べてみたいので買うね」、と味見もせずに一袋注文する。50バーツ。<br /> そして早速殻を剥いて私の口に放り込む。「マズイ〜!」。水気がほとんど無くパサパサし、味も淡白で食えた物ではない。「こんなの美味しいの?」、とミヤに尋ねると、「不味ういい」、とイタズラっぽく笑う。”ニャロメ、こんな物を買わしやがって”、と毒付くが後の祭り。<br /> それでも友人は3、4粒食べていたが、「もういらない!」、とサジを投げる。結局、ゴミ箱に捨てるのも芸が無いので、重たい袋を提げてバンコクに戻りホテルのスタッフに進呈。ワイをして感謝の意を示してくれたが、食べたのかな?<br /><br /> 市場を抜け左に曲がると渡し船の乗り場。その乗り場の手前に水色の建物の大きなレストランがあった。そこに入り昼食にしよう。シーフードレストランだ。プーパッポンカレー・ヌアとトム・ヤム・クン、それにご飯だ。トム・ヤム・クンは、外国人観光客向けの店ではないだけに流石辛い、だが美味い。<br /><br /> 腹も一杯になったところで3バーツ渡し船に乗って対岸のバーンレームだ。バイクも載せるミニフェリーだ。<br /> ものの5分で対岸に着きメークロン行きの駅を探す。付近をウロウロするが、駅は見つからない。ここは人が人通りが少なく、それらの人に駅の所在地を訊いても明確な答えが返ってこない。往ったり来たりしながら、ようやく4人目のおじさんが教えてくれた。「船着き場から右へ真っ直ぐ行き教会の裏」、と言う。あった、住宅街を突ききり教会の裏に小さな駅があった。友人は看板などを見ていたが、タイ人でも一発では見つからない難解ぶりだ。<br /><br /> プラットフォームに小鳥の籠がぶら下がっているのがアジアらしい駅だ。既に列車は入っていたが、発車は13時半らしく、まだ30分もある。列車の中で待とう。この線はマハチャイ西線らしく、バンコクから乗ってきたマハチャイ東線とは渡し船で乗り継ぐ必要がある。<br /><br /> 発車時間になると座席のほとんどが埋まってしまった。そして車掌が回ってくる。ここでは外国人料金の10バーツを拠出する。タイ人剥奪だ。勿論ミヤはタダだ。列車は人家が見当たらない熱帯植物に被われた平原、塩田を走る。人影も見当たらないが、何故か水の砲撃が容赦なく浴びせられる。バンコクのバスの様に扉を閉めて走らないものだから被害甚大だ。列車は突然現れる小さな駅に停まりながら、進む。駅周辺には人家の欠片も見当たらない。だが不思議な事に乗降客がいる。何処から来て何処へ行くのだろう。<br /><br /> 塩田景色を見ている内に、警笛を何回も鳴らし始めた。メークロンに着いた様だ。「そこのけ、そこのけお馬が通る!」、とばかり線路上で商売している商店に、「傘、品物をどけろ」、との合図の警笛だ。<br /> 駅の手前から200m程度が線路上の市場だ。想像に反しメークロンは駅も街も大きい。線路市場に平行して立派な道路が走り、その道路沿いには商店が林立している。テレビなどで紹介される傘の折りたたみは、話題作りのパフォーマンスなのだろうか。特に線路上で商売する必然性は感じられない。イメージとは相当違うが、列車が通り、線路市場が傘を畳むシーン、列車通過後、傘を広げるシーンを見物したかったが、次の列車までかなりの時間があるので、ソンテウに乗ってアンパワー水上市場に行く事にする。<br /><br /> 走る事10分、終点のアンパワーに着く。ここは最近?オプショナルツアーなどで紹介され始めた水上市場だ。規模はダヌアンサドアクより大きいらしい。「あれっ、何も無いぞ」。それでもソンテウを降りたタイ人の後を付いて行くと人ゴミが。川の両岸が市場になっているのだ。凄い人波で歩くのも一苦労だ。<br /> ここは市場と言っても野菜、果物、魚の類ではない。軒を連ねている店を見て友人は目を輝かせる。更にアンパワーの物価は地元タイ人向けらしく安く友人も感嘆する。ただ私には比べようが無いので本当のところはは不明だ。<br /> 友人は立ち止まり菓子類、スイーツ類を次から次に買い、絨毯飲食総攻撃を始めた。それらを「チムシー(味見して)、チムシー!」、と私の口に放り込む。<br /> 仕上げは、「ソムタムが食べたいなあ」、だ。「食べておいで」、と返すと一目散に岸壁席の確保に走り、空いた席に座る。船の上で調理し、土手を利用した段々に小さな椅子、テーブルを並べ、そこで食べるスタイルの食堂だ。<br /> 私は橋の上からカメラマン。その私に向かって、「おいで、おいで」、と手招きをする。何の事はない。ソムタム以外にパッタイ、イカの姿焼きを注文してほおばっている。何枚も写真を撮った後、人で埋め尽くされた通路を掻き分け掻き分けようやく私も腰を下ろす。目の前でエビを焼いており食欲をそそる匂いが。「食べるかい?」、と尋ねると、「貴方が殻を剥いてくれるなら食べてもいいよ」、と勝手な事をほざく。手伝いをしている小さな女の子に、5尾100バーツを投げ打って注文。「美味い、美味い」、しばしの夕食タイム。<br /><br /> 食後再度市場を散策していると日が傾いてきた。時計を見ると既に6時前だ。名残惜しそうに、「もっといたいなあ」、と呟く友人を引き立てバンコクに戻る事にしよう。それから帰国するまで毎日、「マハチャイに行きたいな、今から行こうよ」、と余程気に入った様だ。もっとも”マハチャイ”と言うが、これがマハチャイを示しているのか、メークロンかアンパワーかは聞かなかった。<br /><br /> 既にメークロン発バーンレーム行きの最終列車は出てしまった。マハチャイまで戻ればバンコク行きの列車が有る筈なのでマハチャイ行きソンテウを探す。道端に突っ立っているとダムアンサドアクから来た1BOXロッツーがやって来て、ここまでの客を降ろす。車体?に書かれた行き先を目ざとく見付けた友人は、「あっ、これバンコクに行くみたい」、と私の袖を引っ張る。窓越しに運転手に尋ねると「アヌサーワリまで行く」、と言い、丁度今降りた客の座席二人分が空いているらしい。メークロン、マハチャイからも同様のロッツーが有る筈だが、ここから乗れるのは時間も手間も省けラッキー。1人85バーツを払いタイ人ばかりの車内へ。空いていると言っても窮屈な最後部座席。長い足を折りたたみエコノミー症候群になりそう。アヌサーワリ・チャイ駅には1時間で到着。往きの半分以下の所要時間だ。着いた時は、すっかり日が暮れていた。<br /><br /> 友人がBIG-Cに行きたいと言うのでタクシーで移動。 BIG−Cからスクンビット・ソイ2のホテルまで歩いて帰る。友人が寝入った後、古式でもとナナ周辺を歩いてみたがプーケット並みの高値で断念。おとなしく私も寝よう・・・。<br /><br /><br /><br /> 今日はファランポーン駅から週末、祝日に運航されるカンチャナブリ観光列車に乗り、ナコンパトム、カンチャナブリ、ナムトクへ行こうと企む。が、発車時刻が6時半と早いため友人が二の脚を踏み断念。<br /><br /> それでは握り寿司食べ放題へ行こうとプロンポンの”さざえ”へ。在タイの方からも「ネタが良い」、とお墨付きの握りで友人も喜ぶだろう。表の看板に書かれた【一人299バーツ】に招かれ入店。友人は、握り寿司が目の前に出てくると俄然ファイトが沸いてきた様相でエンジン全開、絶好調。いつものようにワサビをたっぷり醤油に投げ込み、ネタをほおばる。私はハマチ、サーモンが苦手なのでネタだけ友人にタンブンしシャリだけ食べる。寿司+刺身の競演に友人は「美味しい、美味しい!」、と連発し満足もひとしお。「もうお腹いっぱいだよ」、と言いながらもオカワリを注文し、更に私のネタをパクつく。結局私は5回、友人は4回オカワリをお願いし遂にギブアップ。<br /><br /> 食後の散歩は隣りのナラヤ。その後、アソークの時間100バーツ古式店だ。<br /><br /> 道すがらソンクランの水掛けが盛んに行なわれている。見ていると、どうやらトラックバンの荷台に乗り込んだ若者と、それを道路上の迎撃隊が一騎討ちをする構図が水かけのメインに見える。迎撃隊は道を通る私達には、軽く水を掛けてくるが、「勘弁な、外国人だよ」、と声をかけると、「アンニョイハセオ!」、と言って水掛けを止めてくれたケースが大半だった。韓国人じゃないって。<br /><br /> 私は古式2時間。友人は「フットマッサージ1時間、古式1時間する」、と言う。別々の部屋でマッサージを受けていた1時間後、友人が私が古式を受けている部屋にやって来た。フットマッサージが終わったのだろう。そして開口一番、「あなたは古式が終わったら下でフットマッサージを受けたら」、と。”ん、嫌な予感”。すると矢張、「私これから古式2時間受けるもんね」、と。出た〜。恐怖の延長攻撃。以前、MBKのスパで延長に継ぐ延長で結局3時間待たされた苦い経験があるのだ。今日は1時間で勘弁してくれよな。厳守だぞ。<br /> 店の前でソンクランの水掛けを派手にやっていたのでタバコを吸いながら見物していると予測外に早く友人が出てきて、ほっと一安心。「3時間して貰ってチップは幾等渡したの?」、と尋ねると「40バーツだよ、タイ人はチップ少ないの」、としっかりしている。もっとも私も60バーツしか渡していないので似たような物か。<br /><br /> そうだ日本へ買ってかえる麺類、FITNE、ナンプラーを買っておかねば。ソイ2のパクソイにビラマートがあった筈だ。ブラブラ歩いてビラマートに向かう。マリオットの前のビルの地下にあった。店内は閑散としており店員もお喋りに余念がない。あまりはやっていないようだ。カートに麺類などを山盛りにしてレジに向かう。友人は何やら冷凍食品のところに立ち止まり、「スパゲッティが食べたいなあ」、と呟く。「それなら明日行こう。去年友達に連れていって貰ったイタリアンレストランがソイ8にあるよ」、と提案する。「うん、分かった。それじゃ今日は△◇□(聞き取れず)を食べよっと、おそこに売っていたんだもん、買ってくるから待っててね」、と通りの方に駆け出す。「いつの間に見付けたんだ?」、と思いタバコを吸いながら待つ。<br /> 程なくして戻った友人はビニール袋を二つ持っている。その後ろには隣りのホテルツクツクが。「ホテルに電話して待つより早いよ」、とちゃっかり客を送ってきた隣りのホテルツクツクと話を付けた様だ。<br /><br /> ホテルの部屋に戻ってビラで買った冷凍マートークン(タイ風エビ入りさつま揚げ)をチーンしながら買ってきたビニール袋の中身をホテル備え付けの器に移す。バーミヤイ(太麺)だった。調味料で味を整えてくれ、「ハイ」、と私に差し出す。これならば腹に入る。麺はペロリと平らげたが、マートークンは二人とも食べ切れない。空腹ではないと言っていたが本当だった様だ。<br /><br /> 明日はカンチャナブリは無理だが、ナコンパトムに行き世界最大の仏塔を見よう。<br /><br /><br /> さて、ここで、タイの話題を。一昨年日本では、タバコ税の増税とかで一斉にタバコが値上げされた。例えば”セブンS”が320円から420円にだ。ところが値上げ当日に”X”なる新銘柄のタバコが320円で市場に投入されたらどうだろう?味などがほぼ同等ならば何%かの愛煙家は安いタバコに乗り換えるのは容易に予想がつく。これならば何の為の値上げかは分からない。だが、タイではこの図式で新銘柄が投入されていたのだ。それも考えてみれば以前からだ。<br /> 実は、最近タイへ行く度に現地で吸うタバコ銘柄が変わる。それは私の意志と言うよりもタイタバコ公社の戦略?に嵌っているのだろう。「フォーリングレイン」、「LM」、「ワンダー」、「ショット」ときて、今回は「SMS」なる銘柄が私を待っていた。これらは、普通のタバコも販売されているが、私はメンソール味だ。それと言うのも、タイの面白いところ?で、何故か行く度にタバコが値上げされている。それも中途半端な額ではなく平気の平左で堂々と倍近くの価格になっている。そこでコンビニの隠し棚に並ぶタバコのチェックが欠かせない。今回最初に入ったコンビニのタバコ棚を開かせると、この店はタバコの下側に値段が掲示されていた。前回吸っていたショットを見ると予想通り値上げされている。その右側を見ると、「おっ新顔が入っている。値段は30バーツだ」。微妙に味が違うのだろうが、私には全て同じに思える。すると安ければ安い方が良い。<br /> 今回は、到着時に免税タバコを買えるタイのメリットを活かし、「セーラムメンソール」、を吸っていたが、街で発見した「SMS」に即切り替え。昔は20バーツ程度で前記のタバコを買えた記憶があるが、30バーツならば良しとしよう。日本ならばこの4倍以上するのだから。このように既存のタバコを値上げして、値上げしたタバコの価格帯に新銘柄を発売するのがタイの市場戦略なのだろうか?銘柄別の売り上げを知りたいところだ。<br /><br /> さらに、今年の訪タイ時には、新銘柄3種類も登場していた。<br /><br /><br /><br /><br /> 今日はナコンパトム行きだ。その前に、プロンポン駅の構内で欲しいものがあると言う友人に付き合う。私はプロンポン駅の構内に入る必要がないので友人をBTSに乗せ、一人で赤バスでプロンポンに向かう。駅に着くと友人が構内で売り子と話をしているのが見える。日本のJRなどだと「買い物、トイレ」、と言うと簡単にパス無しで入れてくれるが、BTSでは入れてくれないのは昨日交渉決裂済みで分かっている。<br /> 私はその間に少し両替をしておこうとスーパーリッチに行く。他に3、4軒の銀行両替所があるが、やはり本店よりも落ちるもののスーパーリッチが有利だ。と言っても、その差は僅か1万円で10バーツ程度。しかし、11時になっいたのにまだ開店していない。仕方なく他で両替。直後に友人と合流しスーパーリッチの前を通ると開いている。「しまった、10バーツ損した」。僅か10バーツなのに損した気分になる自分が情けない。<br /> <br /> そのままタクシーでファランポーン駅に。友人を窓口に行かせ切符を買わせる。だが、13時発車である次の列車には空席が無い様だ。バスの南ターミナルからバスか、アヌサワーリからロッツーにしようかと相談するが、「面倒だもん」、と言い放ち再度窓口へ行き係員と話をしている。そして、「10バーツ頂戴」、と手を差し出し再度窓口に行き、2枚の切符をヒラヒラさせながら戻ってくる。10バーツは私の外国人運賃だ。「席があったの?」、と尋ねると、「座るのダメだよ」、と切符を一枚くれる。見ると座席指定の箇所には”スタンディ”と印字されている。立席の切符のようだ。まあ、いいか。しかし発車まで1時間以上ある。駅舎は人で溢れ座る椅子も無い。「ウロウロしてくるから、ここにいるんだよ」、と言い置いて構内探索に行ったが、戻ると友人はいない。消えてしまったのだ。トイレにでも行ったのだろうと待つが戻ってこない。「狭い構内だ、探してみよう」、と再度動き回る。だが、見当たらない。その時着信音が。「貴方の姿が見えるよ、何処にいると思う?」、とノンビリした声が聞こえる。「へへへ、貴方の後ろの本屋にいるんだもんね」、と。振り返ると友人がイタズラっぽく笑っている。私が探しているのもツユ知らず、本屋で熱心に本を読んでいたのだ。<br /> <br /> 発車時間が迫ってきた。10分前だ。この期に及び友人はトイレに行ってしまい5分前になった。電話を入れると、「人が一杯なの〜。すぐ戻るよ」、と3分前に私の元へ。「急ごう」、と腕を引っ張るが、「待って!」、と先ほど切符を貰った窓口に行く。二言三言、話をしていたが、戻ってきた友人の手には新たな2枚の切符が。「交換して貰ったよ」、と舌を出す。座席指定の切符を入手した様だ。<br /><br /> プラットフォームでは出発合図の鐘が鳴り出す。係員に該当列車のプラットフォームを訊きダッシュだ。途方もなく長い列車だ。いったい何輌連結しているのだろう?とりあえず適当な車両に飛び乗る。後日日本のテレビ番組でタイ国鉄が放映されたので、列車の数を勘定してみると20輌だった。<br /> 我々が乗ると同時に列車は動き出した。指定車両、席を探し回り、やっと到着する。友人と私は少し離れた席だ。だが、二人の席は既に人が座っている。友人は切符を示し、詰めて貰う。2.5人座れる席に2人を指定されているので詰めれば座れるのだ。私の席は既に3人が座っており、友人が交渉しても譲る気配はない。要は指定されていても早い者勝ちなのかな。幸い通路を挟んだ友人の横の4人席が空いていたので、とりあえずそこに座る。<br /> しばらくすると黒いモスリム頭巾をかぶった女の子2人と男の子のグループが来た。彼らの指定席らしく切符を確認しながら私の周りに座る。対面は女の子2人だ。女の子2人とはナコンパトムに着くまで視線が合いまくり、その都度”ニコッ”と微笑んでくれる。<br /> 一方、友人の横、前に陣取ったおばさん2人は優しい人達で、友人の前の席に座れと誘ってくれる。詰めてくれたのだ。更には自分達が持っていたフルーツ、お菓子を振る舞ってくれ束の間のタイ人との触れ合いを楽しんだ。<br /><br /> 発車すると車掌が来て14バーツ徴収される。「あれ窓口で10バーツ払ったのに二重取り?、金額が違うのは何故?」、と友人に訊いても「マイルー(分からない)」。一昨日のマハチャイ線の分を徴収されたのかな。ちなみに友人は当然無料。<br /> 僅か1時間半の列車の旅だったが、この間、ひっきりなしに売り子が弁当、お菓子、フルーツ、飲み物、冷たいオシボリを売り歩き、狭い通路と相まってウザイ事この上ない。ひっきりなしに膝、肩に彼らが体当たりしてくる感覚だ。「文句があるなら3等なんかに乗らず、上位の席に行け」、と言う事だろう。「でもね、席がなかったの」。我慢、我慢。<br /><br /> ナコンパトム到着。以外に大きな駅だ。駅に降り立つと正面の巨大な仏塔が我々を迎えてくれる。空腹を訴える友人と屋台食堂に入りバーミーを。いつも友人が適当に注文してくれ、今回はマカロニの様な麺だ。だが一人前では足りないので麺だけをもう一人前頼んでくれるピセート(特別な)が定番だ。味の調整もお任せで、その見返りは具の贈呈だ。いつも麺しか食べないので、肉類は全て友人の鉢に引越しさせるのだ。<br /><br /> 食事を終え参道を進み仏塔へ向かう。近くでみると更にでっかい。バーリ語で、”最初の都”と言う町の名前が物語るように、当地は仏教伝来の聖地らしい。タイ最大の仏塔はプラ・パトム・チェディというらしい。 <br /> 境内は もの凄い人出だ。家族連れ、カップルが多い。ここでも日本人は見かけない。バンコクからミニツアーがあり比較的名が通っている観光地のはずだが・・・。多分カンチャナブリへ行く途中に寄るので、ツアー客は午前中に集中するのだろう。境内のあちらこちらにオレンジ色の布を垂らし、その布にタイ人がペンで何やら書いている。友人に訊くと「家族の名前を書いて家内安全を祈願する」、と言う。そしてその布は寺内の仏様に巻かれるらしい。友人は、「私も書くよ」、とペンを取り書き出した。こういう事にはタイ人は実に熱心だ。友人は布のお布施を支払いに行った。戻ってきて、「ハイッ」、と粘土で作ったのだろう日本でいうお守りの様な物をくれる。ありがたく頂戴し、仕事用のバッグに忍ばせておこう。それから、金箔を仏に貼ったりして一時的に敬虔な仏教徒を演じ、境内を一周し帰る事にする。時計回りが基本らしい。それにしてもお寺は信心につけこみ何じゃらかんじゃらで儲ける仕組みが構築されている。<br /><br /> 食事をしている時、目の前の大通りをバスがひっきりなしに通っていたので帰りはバスにしよう。満員列車はこりごりだ。ところが訊いたバスはことごとく南ターミナル行き。ピンクラオの先で遠い、遠い。するとアンパワーからの帰路利用したロッツーが停っている。訊くと先日と同じアヌサワーリ行きとか。そのまま切符売り場を訊きチケットを購入。一人60バーツ。料金からするとアンパワーより近かそうだ。席は早く乗ったので足元の広い前の方。これならばエコノミー症候群にはならないだろう。<br /><br /> ウトウトしていると約1時間でアヌサワーリに到着。ロッツーを降りると友人は「古式に行きた〜い」、と言い出した。ナナ付近は高いので、この近辺を探してみる。2、3軒あったがナナと変わらない。それならばアソークに移動しようとBTS駅に向かおう。<br /><br /> 駅の階段の上がり口に寿司屋台が。めざとく見付けた友人は、「あれ食べたい」、と又もや立ち止まる。一つ5バーツの可愛いおもちゃの様なミニ寿司で”さざえ”にはなかった鰻がある。とりあえず10個買い食べてみる。やはりさざえとは雲泥の差だ。特にシャリが堅くなっている。友人は、「昨日の寿司は美味しかったね、また行こうね」、とミニ寿司を食べながら言う。でも連日寿司が食べられ嬉しそう。<br /> BTSでアソークに移動しタイパンホテル前の100バーツ古式店に行く。今日も友人はフットマッサージ1時間、古式1時間をご所望。今日は延長無しだよ。<br /> リラックスしてマッサージを受けていると奇異なBGMが聞こえてくる。どこなものうげで懐かしい曲調で心地良い。同じ詞を何回も何回も繰り返し、最後に「さとこ〜、さとこ〜」、と。女性のボーカル、男女のボーカル、子供のボーカルと次々に流れ、特に子供の声には癒される。マッサージをしてくれている女性に訊くと「チベット仏教音楽だよ、下のレジで100バーツで販売しているよ」、と。魂に直接ジーンと訴えてくる響き。それもそのはず。お経に旋律をつけた音楽だったのだ。<br /> マッサージを終え、下のレジにいた女性に尋ねる。”あれっ、この女性は先ほどまでマッサージをしてくれていた人だ”。どうやらこの店のママさんらしい。以前いたもう少し年輩のママさんはどうしたのだろう。メンバーズカードを発行してくれた記憶がある。「子供のCDが欲しい」、と告げると、早速彼女は棚を探してくれた。が、「子供が歌っている物は無いな」、と言う。<br /> そこに友人が下りてきて、会話に加わった。「それならば、私の家の近くでも売っているよ、今度お土産に買ってきて上げるね」、と得意そうに言う。期待しないで待とう。<br /><br /> ソイ8のイタリアンレストランまで行くのは面倒なので、ママさんに「近くにイタリアンレストランがないか?」、と尋ねる。「ビッグママが美味しい」、と紹介され、教えられた方角に歩く。何処かで聞いた名前だ。すると何の事はない、昨日行った100バーツフットマッサージ店の1階のレストランだ。いつも突っ切っていた店がイタリアンレストランだったのだ。野外にも席があったが室内に席を求める。結構客が入り繁盛している。「スパゲッティを食べたい」、と言っていた友人は、タイ風シーフードスパゲッティ、私はボロネーゼだ。<br /><br /> 食事を終え、ここから在タイの知人に会うので別行動だ。店の前からタクシーで帰る様に友人に言うが、タクシーに乗ろうとしない。私はプロンポンに行くのでバスに乗るつもりでバスを待っていると38番バスが来た。すると友人も乗り込む。「あらら、何処へ行くの?」。「アソークの交差点で降り、タクシーでホテルに向かうのかな」、と思っていたが、何とプロンポンまで付いてきた。そのバスで一騒動があった。ソイ29あたりを走行中、大量の水が車内に砲撃され友人も私も、と言うより乗客の多くが水の被害に。するとバミューダーパンツ姿の中年日本野郎が、「バカヤロー!」、と窓から顔を出し、砲撃した人間がいる後方に向かって怒鳴り始めた。バスは既に100mは進んでいるので男の声は届くはずもない。それも日本語なので、届いても意味不明だろう。それでも何回も何回も怒鳴り、車体を叩きまくる。挙句、「誰だ窓を開けたのは!!」、と乗客に向かって悪態をつく。乗客は意味が分からなくても、「何だこの外人は」、と不愉快そうの顔をしかめる。同じ日本人として恥ずかしく諌めようかと思ったが敢えて行動に移さず。日本人にとって過激な水掛けはやり過ぎかとは思うが、これがタイの文化、タイ人の楽しみだろう。「文句があるならタイに来るな、さっさと国外に退去せよ」、と言いたい。バカ親父め。<br /><br /> プロンポンで降り、友人に「道路を渡りタクシーで帰りな」、とソイ33前の横断歩道まで行く。ところが、そんなに交通量が多くはないが、「危ないな、陸橋を渡るもんね」、とスタスタと駅方向に歩き出す。「大丈夫だよ、一緒に渡ってやるから」、と言っても耳をかす友人ではない。<br /><br /> 知人と会い、ホテルに帰還したのは24時前。明日は8時半にはホテルをチェックアウトして空港に向かわねばならない。<br /><br /> 今回の訪タイは、もの見事にもろにソンクランと日程が合致。<br /> この時期、タイに来るのは3度目だが、前回はホテルのロビーまで水びたしとなっていたのを見て、恐れおののき殆ど部屋に籠っていた。それでも一度ラムカーヘンのモールまで友人と出掛けたが、陸橋の上で、「ハッピー・ニューイヤー!」、と若い男から1滴の水を胸に水鉄砲で浴びただけで済んだ。<br /><br /> そして、プーケットからバンコクに戻ったのが、本番前日の12日。在タイの方からは「前日からフライング気味に水掛けが行われている」、と驚かされたが、折角のタイ。やっぱり出歩かねば。ホテルのソイでは12日は強行の気配は無かった。実際、ソンクラン中、普段の訪タイとなんら変わらず出歩いたが、水が怖くて水掛け部隊から遠く離れて避けるように行動した事は言うまでもない。<br /><br /> ソンクランは、日本人にとって聞きしに勝る狂気の祭りだ。通りの舗道では、大きなポリバケツの横で音楽をガンガン鳴らし、楽しそうにリズムを取り踊っている若い人も多い。いや、お歳を召した人達も参加していたかな。一方、バンに大きなバケツを積んで機動的に徘徊する若者達も多い。道端で車部隊を迎撃するグループは、レストラン、コンビニなでの店単位で徒党を組んでいるのか、店の名前の入ったTシャツなどの制服を着ている。この日ばかりは店主公認のサボリかな? <br /> そう、タイの若者は、年に一度の水も滴る良い男、女を願い、水掛け祭りをとことん楽しんでいる。<br /> また、道行く人の顔にミャンマー女がつけるタナカの様な白い粉を指で塗りつけるのを見かける事がある。これはどういう意味なのだろう? <br /><br /> 友人は水掛けがあまり好きではない様で、私の手を引いて水掛け部隊を避ける様に歩く。それでも被害は皆無ではなく、最大の被災は”日本野郎が怒鳴った”バスに向かって放水された時だ。私は服を濡らしただけで最小限の被災で済んだが、友人は可哀想に頭から水をかぶり髪から滴が垂れている。<br /> これを見ると、水鉄砲は可愛いものだ。一番強烈なのはバスに放ったバケツの水の直撃だろうか。ホースの放水も怖い、怖い。一度に浴びる量はバケツ程ではないが、絨毯攻撃的に広い範囲を殲滅するのだ。<br /><br /> この水掛けは、19時に終了するとの噂も聞いたが、正確ではないようだ。だが、警察が来て「やめろ〜!!」、と指導していたので、一応の指針は19時終了なのだろう。<br /> 走っている自動車、バイク、バス、列車に水掛けをする凶行。日本だったら、それこそ即逮捕かな。ただ、タイ人の全てが水掛けを歓迎しているわけでは無いのを何回も目撃した。「祭りだから仕方がない」、と諦めているのだろう、迷惑そうな顔で水を避けていた。「そんなバカはやってられない」、との事だろう。きっと、一部の人間のストレス発散のための祭りと思えたが、どうだろう?<br /><br />いよいよ泣いても笑っても最終日。<br /><br /> 少し早い目に起床し、荷造りをする。街中で買ったタバコ20箱、それにマンゴー2個をバッグを開けられても言い逃れが出来るように自然な形で分散させパッキングする。<br /> 空港へホテル前からタクシーに乗る。ホテル前にたむろしている雲助達は「メーターで行け!」、と言っても首を横に振るだけ。そこでホテルスタッフがモトサイを飛ばし通りまでタクシーを拾いに行ってくれる。ご苦労さん、チップ20バーツね。<br /> 乗ると、「社長、道はソンクランで混んでおま、高速で行ってもよろしおまっか?」、とタクシー運転手の常套句が出る。「混んでないよ、地道、地道!」、と高速を使わせない。距離を稼がれ、時間の短縮で運転手の能率向上には貢献するが、私にはメリットがないので却下だ。<br /> タクシーはスクンビット通りを左折し後、更にウッタユ通りを左折、そしてUターンしラマ9に出て空港に向かう。道は私の予測通りガラガラで短時間で空港到着。207バーツ。2人だとシティライン+タクシーとほぼ同じ値段だ。<br /><br /> チェックインを終え、椅子に座って出国まで待つ。その時、右の脇腹に衝撃が。隣の中国人のババアが右隣の連れと話をする時に身体を反転させ、背中にしょったリックが私を直撃。満員電車なんかでもリックを背負った人間がいると敬遠するのが常だ。「バカヤロー!」、と怒鳴りたかったが、それをすれば昨夜のバスの日本オヤジと同じ。持っていたバッグを右に置きブロック。ババアは自分が動く度に私のバッグに身体が当たり不快感を表すが、知った事じゃない。バッグは私の椅子のエリアからはみ出していないのだから。<br /><br /> 時間が来たので友人が出国口まで送ってくれる。友人は私の出発時間より30分遅い便だ。<br /> <br /> 機内持ち込み検査でまたしても御用。今度は1リットルのオレンジジュース入りの紙パックだ。ペットボトルはダメとの認識はあったが、紙パックもダメとの事で任意放棄。考えてみると液体がダメということの様だ。揮発性など爆発の危険が有る物は、テロ防止で没収。いちいち中身などチェックしていられないので、それならば一層の事、可能性が考えられる「液体全て召し上げてやれ」、との善良な乗客にとって迷惑千万な考えなのだろう。<br /> <br /> 友人にお別れ電話をし、最終搭乗者として機内へ。 あらら、私が事前指定した後方キャビンには乗客の姿は全く無し。しかも中央の席は立ち入り禁止のテープが張りめぐらされている。こんなの初めてだ。非常口席もフリーだったが、空いていれば敢えて非常口席に座る事もないと移動せず。扉が閉まると何人かの乗客が前方キャビンから移ってきたが、私の周りには誰もこずサバイ、サバイ。<br /><br /> そう言えば、これよりは乗客が多かったが、往きの最初のドリンクサービスで、私は忘れられた存在となり、飲み物をサーブされなかった。CAが飲み物カートをギャレーに戻す途中、声をかけ、事なきを得たが、CAの恐縮すること、すること。以降、私へのサービスは最優先に近いものになった。<br /><br /> 飛行機は定刻通り飛び立ち、バンコクの街並みがどんどん遠くになっていく。そして、ベトナム・ダナン。ご存じバンコクから空路1時間地点だ。往く時は、「あと1時間で到着だ」、と胸がざわめく。帰りは、「さらばインドシナ!」、とタイを離れる淋しさが襲う。私にとってタイへの外玄関だ。今日は天気が良いので海岸線がくっきり眼下に展がる。そのダナンも遠ざかった。<br /><br /> 帰りの飛行時間は5時間。CAは食事をサーブすると手持ちぶさた。早めの休憩を交代で取り出し、私の周りの席で惰眠を貪り始めた。私も寝よう。目を覚ましたのは着陸1時間前。だが、近くの席で寝ていたCAは依然寝たままで、起きだしたのは着陸30分前。乗客が少ないせいか、CA達もどこかダラケタ感じ。タイ人気質丸出しで気楽なものだ。<br /><br /> ところで、タイ航空と言えば、タイの民族衣装でCAが迎えるのがウリだが、日本人CAは民族衣装を着せて貰えない事は周知の事実だ。大和撫子のタイ民族衣装も乙なものなのにな。その日本人CAと今回知り合い、親しくなった。と言うのも往きも帰りも彼女が搭乗していたのだ。タイ航空に採用され、「ラマ9にアパートを借りてバンコクベースで勤務している」、とか。彼女も、民族衣装を着たい様で、「お客さまから本社に要望を出して!」、とリクエスト。この日本線専属の彼女によると、「最近こんな感じでお客様は少ないんですう。GWも全く予約が入っていなくガラガラみたいですう」、と。<br /> タイ人CA専用の民族衣装は以前は離陸して1、2時間でさっさと作業服に着替えていた様だが、最近着替えるのが遅くなり、私にとっては嬉しい傾向。本当は「作業服なんかに着替えないでずーっと民族衣装でサーブしてくれ」、と言いたい。<br /><br /> もう一点。帰りはお約束のアイスクリームがサーブされず残念。積み忘れたのかな。よってCAがノンビリと寝ていたのかもしれない。だが、今年もなかったので日本行き便は割愛かな。<br /><br /> あっそうだ、イヤフォンを入れてある小袋を失敬しなければ。仕事中、ポケットの小銭をこの袋に入れてバッグにしまうのを見た同僚の一人が欲しがっていたのだ。何に使うのかは知らないが、「お土産に!」、とのリクエストだ。袋の紫色とタイ航空のマークが気に入った様だ。<br /> この小袋には、”TAKE ME HOME”と書かれている。小袋を持って帰るのは良いのだろうが、イヤフォンも持って帰って良いのだろうか?次回訊いてみようと。もっともジャックが特殊なので使いものにならないかも知れない。<br /> <br /> 関空に到着。税関では乗客が少ないせいもあり、軒並みバッグを開けさせられており、紳士の私も例外とはいかなかった。「どちらに行かれましたか?」、「プーケットです」、「何か申告する物は?」、「有りません」、「それではバッグの中を改めますので」、とわざわざ中身をぶちまけるトレイまで持ち出してきた。ガビーン!! <br /> だが平然としたもの。この平然とした態度が重要だ。「バッグには現地で吸いかけのタバコが少し入ってますよ」、と言うと数個のタバコを現認したもののお咎め無し。増してや手荷物のバッグの中身は見ようともしない。「はい、結構です乱雑にして申し訳け有りません」、と無罪放免。過去最大のバッグ内の捜索だ。人相が悪くなったのかな? それでもマンゴー、タバコの持ち込みは今回も成功だ。<br /> <br /> 建物を出てバス乗り場に急ぐ。暑いタイから帰り、空港の夜風が身に凍みる。次はいつ行けるかな?<br /><br />  <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

ソンクラン最中のタイ旅行(再びバンコク)

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2011/04/07 - 2011/04/18

20164位(同エリア23063件中)

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ルート3

ルート3さん

 11時に迎えを頼んでいたメータータクシーで空港へ。ホテルまでは450バーツだが、空港へは迎えの料金が加算され”500バーツ”とコールセンターのお姉さんに言われたので指示通り支払う。

 タクシーは、プーケット空港2階出発口に到着。そしてチェックインへ。友人はエアーアジア、私はタイ航空。友人が20分先着の予定だ。
 友人と別れタイ航空のチェックインカウンターへ。ここでも並ぶ事なく短時間で終了。受付カウンター数が多いのが助かる。バックを預けると、友人の荷物も収容している事もあいまって25キロ。5キロオーバーだ。だが、いつもの様に超過重量でも、受付嬢が重量数字をチラッと横目で見るだけで何も言わない。これが、タイ航空のメリット。
 一方、エアーアジアに行くと友人は長蛇の列の中にポツンと佇んでいる。便毎に受付が設けられるので客が集中するのだ。こんなところも経費節減命のLCCらしい。

 ほぼ同時に搭乗案内があり、再度左右に分かれ別の搭乗口へ。機内に入るとガラ空き。なお、バンコクに着いてから訊いてみると、エアーアジアは満席だったらしい。
 後方キャビンには人がおらず非常口席に勝手に移動。機内から友人を見送ろう。ところが遅いはずの私の便がエアーアジア便よりも早く飛び立った。離陸する飛行機の中から次に離陸する友人の飛行機が見える。

 快適なフライトでバンコクに到着し、荷物のピックアップを早々に終え、エアーアジアのピックアップレーンに移動。私の便の6分後に友人便は到着と表示されてあるが、コンベア周辺には友人の姿はまだ無い。排出口の前で先に友人の荷物をピックアップしてやろうとカートに私のバッグを乗せ待っていると友人から電話が。「どこにいるの?」、に周りを見回すと排出口から一番遠い所にいる。「姿が見えるので、そこを動いちゃダメだよ」、とカートをそのままにして友人を呼びに行く。
 友人はタイ人のおばさん2人に挨拶をして私のもとに。隣の席に座っていた人達らしい。何回か友人を飛行場で迎えたが、こんなシーンはよく目にする。機内で隣のおばさんとはすぐ打ち解け話が弾む様だ。
 「どうして、そんなとこにいたの?人が一杯でマイサバーイ(快適じゃない)ナ」、と怪訝な表情。「あそこでピックアップするのが一番早いんだよ。それに出口も近いしね」、と説明しても首を傾げている。

 友人の荷物をピックアップして地下のエアポートリンク乗り場に向かう。友人は初乗車とあり物珍しそうにキョロキョロしている。ホテルはナナのソイ2なのでマッカサン駅で降りてタクシーで行こう。エスカレーターが無いので不便だなあ。駅によっては一番端っこにあり、プラットホームを随分歩かされる。
 2階に降りるとタクシーが4、5台列を作って客待ちをしている。係員に訊くと「普通にメーターで行く」と説明があったのでタクシーに乗り込む。だが、ナナに行くのはマッカサン下車は大間違いだった。大渋滞の道をシティーライナーのパヤタイ方面に走り、次のラチャプラロップ駅の下を通過してナナへ。何の事はない。この経路しかないのなら、5バーツ高いが次のラチャプラロップ駅下車だった。マッカサン駅からアソーク通りは左折しか出来ないのでこの経路となったのだ。ラチャダー方面に向かいUターンすれば良いのに、距離稼ぎ?。しかし、この経路しかないのならスクンビット方面はラチャプラロップ駅が最寄り駅となるのかな。

 5時過ぎホテルに到着。ポーターに案内される途中に、建物の陰に隠れるように小さなプールが見える。写真では立派に見えたが、幅3m縦10m位の可愛いらしいプールだ。こんな小さなプールは初めて見た。ちなみに滞在中、泳いでいる人は一回も目にしなかった。その隣にはジムが。ここも利用している人の姿は一回も見なかった。その分、ロビー奥にあるPCは無料だからだろう稼働率が高く、通る毎にファランが画面に向き合っていた。

 案内された部屋はバカ広い。乏しいホテル経験だが、今までタイで泊まった中でもベスト3に入る広さだ。しかも5階には我々の部屋しか無い様だ。2ドア冷蔵庫、電子レンジ、二口IHコンロ、調理器具、食器、32型薄型テレビ、DVDコンポと、サービスアパート仕様だ。
 立地的にはスクンビット通りからはかなりの距離が有るので、ホテルのツクツクで通りまで送迎してくれる。しかも4つ並んだアマリ、ソロ、マルコポーロのツクツクもお互いに利用可能で、パクソイ(ソイの入口)で待っていると、それらのホテルのツクツクでも帰還可能だ。

 さて、旅装を解き休憩していると直ぐに夕食の時間だ。夕食後、一人で古式に出かける。途中Tさんに電話をしてみると「少しなら時間が取れる」、と有難いお言葉。Tさんとプロンポンで落ち合い日本食屋で2度目の夕食。

 Tさんと別れソンクランの水を避けながらソイ23の100バーツ/hの古式屋で2時間たっぷり揉んでもらう。そしてソイカを散歩して徒歩でホテルに帰還。ソイカの店に入ろうかとも考えたが、下戸の私が一人で入っても興ざめなので横目でやり過ごす。ついでに通り道のナナ周辺も散歩するが、同様に見るだけ。

 それでもホテルに戻ると23時。明日はメークロンに行く予定だ。寝よう。

 

 ホテルの朝食は段々悪くなっていく様だ。アスペンスイートの朝食は種類も少なく今一だ。それでも腹が減っては戦にならないので、しっかりと摂る。

 食事後、ホテルのツクツクで通りまで送って貰い、そこからBTSのプルンチット駅は歩いてすぐだ。今日からソンクランらしいが、幸い駅までは水掛けの狂乱は開幕しておらず無事に到着。
 BTSでウォンウィオンヤイ駅まで行き、タイ国鉄に乗り換えだ。サイアムで乗り換えた車両は新しいタイプの6両連結だ。その電車で初めてチャオプラヤー側を軌道で渡りウォンウィエンヤイ駅に着く。
 駅の構内で係員に訊くと鉄道駅は少し離れている。歩けない距離でもないようなので歩くこう。だが外に出ると、雨が強くなってきたので仕方なくタクシーで移動。ワンメーターでは行かず、タクシーに乗ったのは正解だった。

 タクシーを降り運転手が示す方向に歩くが駅がなく、ソイを付き切ってしまう。街の人に3回ほど訊き何とかたどり着いた国鉄駅は駅舎も無く分かり難い。これが始発駅?昔は私鉄だったんだ。道すがら古式店を見るとやはりこの辺りは安い。100バーツから120バーツ/hだ。

 10時40分発の発車まで1時間近くある。駅構内は基より駅を取り囲む様に屋台が軒を連ねているのでブラブラする。友人はDVDが欲しいらしく開店準備中の屋台に並べ始めた物をあさる。私もMP3方式で大量に収録されたタイロックを50バーツで購入。

 発車の少し前、友人が窓口に行き切符を貰ってきた。”貰った”と言うのはタイ人は無料なのだ。そのうちの1枚を、「貴方は10バーツだよ、列車の中で払うんだよ」、と手渡してくれる。外国人は列車の中で10バーツの運賃を払えばよいらしい。

 列車が入線してきた。日本で使い古した気動車だ。到着した列車から多くの人が吐き出される。大半の人が降りた後、マハチャイから手荷物として運んできた魚介類が入ったケースをおじさん、おばさんが車内から持ち出す。乗り込んだ車内はまだ生臭い匂いが漂っている。

 乗客は7分程度だろうか。友人は、「エアコン付きの列車に移る?」、と言ってくるが、「ローカル線だもの、ここが良いよ」、と腰を落ち着ける。
 列車が出発すると早速車掌が検札に回ってきた。ローカル線にそぐわない格好の良い制服姿で、一見鉄道公安員みたい。車掌に一言も口をきかず友人が貰ってきた切符の内の一枚を差し出すと黙ってハサミを入れ、行ってしまった。10バーツの請求は無い。「やったー、私もタイ人でタダだ!」。タイ人と認定された様だ。
 列車はホントゆっくり、ゆっくりと走る。時折り窓の上部から水が落ちてくる。列車の屋根に先ほどの雨が溜まり、それが流れ込んできたのだろう、とタカをくくっていた。これは、とんでもない間違いだったと気付いたのは服がビショビショになってから。実は沿線から列車をめがけて水の砲撃だったのだ。これがどんどんエスカレートし、列車が遅い事も相まって沿線から水砲撃の雨アラレ。ゲリラ的に左右から砲撃されるので全く予測がつかないので避け様が無い。窓が完全に閉まらないので上部から水が侵入するのだ。服は水びたし。それでもカメラ、携帯を濡らさないようにかばう。
 だが水掛けは半端じゃない。親の仇の様に駅に止まったらバケツ、大型水バズーカで集中攻撃。中には車内に闖入し、乗客に水を大盤振る舞い。慣れている筈のミヤも逃げまどう。お陰で上半身は水びたし。勿論車内の床も水だらけ。”勘弁してくれえ”。

 水の歓迎の中、1時間かけてマハチャイ駅に到着。駅前市場は正月とあり凄い人手だ。シャコなどの海産物を横目で見ながら船付き場に歩を進める。「待ってえ、あれを買いたいの」、と友人に呼び止められる。振り向くと友人はフルーツ屋の前だ。友人の指さす白いフルーツは見た事もない物で、ピーナッツの様に枝に繭状の実が付いている。「これは地元には無いの。食べてみたいので買うね」、と味見もせずに一袋注文する。50バーツ。
 そして早速殻を剥いて私の口に放り込む。「マズイ〜!」。水気がほとんど無くパサパサし、味も淡白で食えた物ではない。「こんなの美味しいの?」、とミヤに尋ねると、「不味ういい」、とイタズラっぽく笑う。”ニャロメ、こんな物を買わしやがって”、と毒付くが後の祭り。
 それでも友人は3、4粒食べていたが、「もういらない!」、とサジを投げる。結局、ゴミ箱に捨てるのも芸が無いので、重たい袋を提げてバンコクに戻りホテルのスタッフに進呈。ワイをして感謝の意を示してくれたが、食べたのかな?

 市場を抜け左に曲がると渡し船の乗り場。その乗り場の手前に水色の建物の大きなレストランがあった。そこに入り昼食にしよう。シーフードレストランだ。プーパッポンカレー・ヌアとトム・ヤム・クン、それにご飯だ。トム・ヤム・クンは、外国人観光客向けの店ではないだけに流石辛い、だが美味い。

 腹も一杯になったところで3バーツ渡し船に乗って対岸のバーンレームだ。バイクも載せるミニフェリーだ。
 ものの5分で対岸に着きメークロン行きの駅を探す。付近をウロウロするが、駅は見つからない。ここは人が人通りが少なく、それらの人に駅の所在地を訊いても明確な答えが返ってこない。往ったり来たりしながら、ようやく4人目のおじさんが教えてくれた。「船着き場から右へ真っ直ぐ行き教会の裏」、と言う。あった、住宅街を突ききり教会の裏に小さな駅があった。友人は看板などを見ていたが、タイ人でも一発では見つからない難解ぶりだ。

 プラットフォームに小鳥の籠がぶら下がっているのがアジアらしい駅だ。既に列車は入っていたが、発車は13時半らしく、まだ30分もある。列車の中で待とう。この線はマハチャイ西線らしく、バンコクから乗ってきたマハチャイ東線とは渡し船で乗り継ぐ必要がある。

 発車時間になると座席のほとんどが埋まってしまった。そして車掌が回ってくる。ここでは外国人料金の10バーツを拠出する。タイ人剥奪だ。勿論ミヤはタダだ。列車は人家が見当たらない熱帯植物に被われた平原、塩田を走る。人影も見当たらないが、何故か水の砲撃が容赦なく浴びせられる。バンコクのバスの様に扉を閉めて走らないものだから被害甚大だ。列車は突然現れる小さな駅に停まりながら、進む。駅周辺には人家の欠片も見当たらない。だが不思議な事に乗降客がいる。何処から来て何処へ行くのだろう。

 塩田景色を見ている内に、警笛を何回も鳴らし始めた。メークロンに着いた様だ。「そこのけ、そこのけお馬が通る!」、とばかり線路上で商売している商店に、「傘、品物をどけろ」、との合図の警笛だ。
 駅の手前から200m程度が線路上の市場だ。想像に反しメークロンは駅も街も大きい。線路市場に平行して立派な道路が走り、その道路沿いには商店が林立している。テレビなどで紹介される傘の折りたたみは、話題作りのパフォーマンスなのだろうか。特に線路上で商売する必然性は感じられない。イメージとは相当違うが、列車が通り、線路市場が傘を畳むシーン、列車通過後、傘を広げるシーンを見物したかったが、次の列車までかなりの時間があるので、ソンテウに乗ってアンパワー水上市場に行く事にする。

 走る事10分、終点のアンパワーに着く。ここは最近?オプショナルツアーなどで紹介され始めた水上市場だ。規模はダヌアンサドアクより大きいらしい。「あれっ、何も無いぞ」。それでもソンテウを降りたタイ人の後を付いて行くと人ゴミが。川の両岸が市場になっているのだ。凄い人波で歩くのも一苦労だ。
 ここは市場と言っても野菜、果物、魚の類ではない。軒を連ねている店を見て友人は目を輝かせる。更にアンパワーの物価は地元タイ人向けらしく安く友人も感嘆する。ただ私には比べようが無いので本当のところはは不明だ。
 友人は立ち止まり菓子類、スイーツ類を次から次に買い、絨毯飲食総攻撃を始めた。それらを「チムシー(味見して)、チムシー!」、と私の口に放り込む。
 仕上げは、「ソムタムが食べたいなあ」、だ。「食べておいで」、と返すと一目散に岸壁席の確保に走り、空いた席に座る。船の上で調理し、土手を利用した段々に小さな椅子、テーブルを並べ、そこで食べるスタイルの食堂だ。
 私は橋の上からカメラマン。その私に向かって、「おいで、おいで」、と手招きをする。何の事はない。ソムタム以外にパッタイ、イカの姿焼きを注文してほおばっている。何枚も写真を撮った後、人で埋め尽くされた通路を掻き分け掻き分けようやく私も腰を下ろす。目の前でエビを焼いており食欲をそそる匂いが。「食べるかい?」、と尋ねると、「貴方が殻を剥いてくれるなら食べてもいいよ」、と勝手な事をほざく。手伝いをしている小さな女の子に、5尾100バーツを投げ打って注文。「美味い、美味い」、しばしの夕食タイム。

 食後再度市場を散策していると日が傾いてきた。時計を見ると既に6時前だ。名残惜しそうに、「もっといたいなあ」、と呟く友人を引き立てバンコクに戻る事にしよう。それから帰国するまで毎日、「マハチャイに行きたいな、今から行こうよ」、と余程気に入った様だ。もっとも”マハチャイ”と言うが、これがマハチャイを示しているのか、メークロンかアンパワーかは聞かなかった。

 既にメークロン発バーンレーム行きの最終列車は出てしまった。マハチャイまで戻ればバンコク行きの列車が有る筈なのでマハチャイ行きソンテウを探す。道端に突っ立っているとダムアンサドアクから来た1BOXロッツーがやって来て、ここまでの客を降ろす。車体?に書かれた行き先を目ざとく見付けた友人は、「あっ、これバンコクに行くみたい」、と私の袖を引っ張る。窓越しに運転手に尋ねると「アヌサーワリまで行く」、と言い、丁度今降りた客の座席二人分が空いているらしい。メークロン、マハチャイからも同様のロッツーが有る筈だが、ここから乗れるのは時間も手間も省けラッキー。1人85バーツを払いタイ人ばかりの車内へ。空いていると言っても窮屈な最後部座席。長い足を折りたたみエコノミー症候群になりそう。アヌサーワリ・チャイ駅には1時間で到着。往きの半分以下の所要時間だ。着いた時は、すっかり日が暮れていた。

 友人がBIG-Cに行きたいと言うのでタクシーで移動。 BIG−Cからスクンビット・ソイ2のホテルまで歩いて帰る。友人が寝入った後、古式でもとナナ周辺を歩いてみたがプーケット並みの高値で断念。おとなしく私も寝よう・・・。



 今日はファランポーン駅から週末、祝日に運航されるカンチャナブリ観光列車に乗り、ナコンパトム、カンチャナブリ、ナムトクへ行こうと企む。が、発車時刻が6時半と早いため友人が二の脚を踏み断念。

 それでは握り寿司食べ放題へ行こうとプロンポンの”さざえ”へ。在タイの方からも「ネタが良い」、とお墨付きの握りで友人も喜ぶだろう。表の看板に書かれた【一人299バーツ】に招かれ入店。友人は、握り寿司が目の前に出てくると俄然ファイトが沸いてきた様相でエンジン全開、絶好調。いつものようにワサビをたっぷり醤油に投げ込み、ネタをほおばる。私はハマチ、サーモンが苦手なのでネタだけ友人にタンブンしシャリだけ食べる。寿司+刺身の競演に友人は「美味しい、美味しい!」、と連発し満足もひとしお。「もうお腹いっぱいだよ」、と言いながらもオカワリを注文し、更に私のネタをパクつく。結局私は5回、友人は4回オカワリをお願いし遂にギブアップ。

 食後の散歩は隣りのナラヤ。その後、アソークの時間100バーツ古式店だ。

 道すがらソンクランの水掛けが盛んに行なわれている。見ていると、どうやらトラックバンの荷台に乗り込んだ若者と、それを道路上の迎撃隊が一騎討ちをする構図が水かけのメインに見える。迎撃隊は道を通る私達には、軽く水を掛けてくるが、「勘弁な、外国人だよ」、と声をかけると、「アンニョイハセオ!」、と言って水掛けを止めてくれたケースが大半だった。韓国人じゃないって。

 私は古式2時間。友人は「フットマッサージ1時間、古式1時間する」、と言う。別々の部屋でマッサージを受けていた1時間後、友人が私が古式を受けている部屋にやって来た。フットマッサージが終わったのだろう。そして開口一番、「あなたは古式が終わったら下でフットマッサージを受けたら」、と。”ん、嫌な予感”。すると矢張、「私これから古式2時間受けるもんね」、と。出た〜。恐怖の延長攻撃。以前、MBKのスパで延長に継ぐ延長で結局3時間待たされた苦い経験があるのだ。今日は1時間で勘弁してくれよな。厳守だぞ。
 店の前でソンクランの水掛けを派手にやっていたのでタバコを吸いながら見物していると予測外に早く友人が出てきて、ほっと一安心。「3時間して貰ってチップは幾等渡したの?」、と尋ねると「40バーツだよ、タイ人はチップ少ないの」、としっかりしている。もっとも私も60バーツしか渡していないので似たような物か。

 そうだ日本へ買ってかえる麺類、FITNE、ナンプラーを買っておかねば。ソイ2のパクソイにビラマートがあった筈だ。ブラブラ歩いてビラマートに向かう。マリオットの前のビルの地下にあった。店内は閑散としており店員もお喋りに余念がない。あまりはやっていないようだ。カートに麺類などを山盛りにしてレジに向かう。友人は何やら冷凍食品のところに立ち止まり、「スパゲッティが食べたいなあ」、と呟く。「それなら明日行こう。去年友達に連れていって貰ったイタリアンレストランがソイ8にあるよ」、と提案する。「うん、分かった。それじゃ今日は△◇□(聞き取れず)を食べよっと、おそこに売っていたんだもん、買ってくるから待っててね」、と通りの方に駆け出す。「いつの間に見付けたんだ?」、と思いタバコを吸いながら待つ。
 程なくして戻った友人はビニール袋を二つ持っている。その後ろには隣りのホテルツクツクが。「ホテルに電話して待つより早いよ」、とちゃっかり客を送ってきた隣りのホテルツクツクと話を付けた様だ。

 ホテルの部屋に戻ってビラで買った冷凍マートークン(タイ風エビ入りさつま揚げ)をチーンしながら買ってきたビニール袋の中身をホテル備え付けの器に移す。バーミヤイ(太麺)だった。調味料で味を整えてくれ、「ハイ」、と私に差し出す。これならば腹に入る。麺はペロリと平らげたが、マートークンは二人とも食べ切れない。空腹ではないと言っていたが本当だった様だ。

 明日はカンチャナブリは無理だが、ナコンパトムに行き世界最大の仏塔を見よう。


 さて、ここで、タイの話題を。一昨年日本では、タバコ税の増税とかで一斉にタバコが値上げされた。例えば”セブンS”が320円から420円にだ。ところが値上げ当日に”X”なる新銘柄のタバコが320円で市場に投入されたらどうだろう?味などがほぼ同等ならば何%かの愛煙家は安いタバコに乗り換えるのは容易に予想がつく。これならば何の為の値上げかは分からない。だが、タイではこの図式で新銘柄が投入されていたのだ。それも考えてみれば以前からだ。
 実は、最近タイへ行く度に現地で吸うタバコ銘柄が変わる。それは私の意志と言うよりもタイタバコ公社の戦略?に嵌っているのだろう。「フォーリングレイン」、「LM」、「ワンダー」、「ショット」ときて、今回は「SMS」なる銘柄が私を待っていた。これらは、普通のタバコも販売されているが、私はメンソール味だ。それと言うのも、タイの面白いところ?で、何故か行く度にタバコが値上げされている。それも中途半端な額ではなく平気の平左で堂々と倍近くの価格になっている。そこでコンビニの隠し棚に並ぶタバコのチェックが欠かせない。今回最初に入ったコンビニのタバコ棚を開かせると、この店はタバコの下側に値段が掲示されていた。前回吸っていたショットを見ると予想通り値上げされている。その右側を見ると、「おっ新顔が入っている。値段は30バーツだ」。微妙に味が違うのだろうが、私には全て同じに思える。すると安ければ安い方が良い。
 今回は、到着時に免税タバコを買えるタイのメリットを活かし、「セーラムメンソール」、を吸っていたが、街で発見した「SMS」に即切り替え。昔は20バーツ程度で前記のタバコを買えた記憶があるが、30バーツならば良しとしよう。日本ならばこの4倍以上するのだから。このように既存のタバコを値上げして、値上げしたタバコの価格帯に新銘柄を発売するのがタイの市場戦略なのだろうか?銘柄別の売り上げを知りたいところだ。

 さらに、今年の訪タイ時には、新銘柄3種類も登場していた。




 今日はナコンパトム行きだ。その前に、プロンポン駅の構内で欲しいものがあると言う友人に付き合う。私はプロンポン駅の構内に入る必要がないので友人をBTSに乗せ、一人で赤バスでプロンポンに向かう。駅に着くと友人が構内で売り子と話をしているのが見える。日本のJRなどだと「買い物、トイレ」、と言うと簡単にパス無しで入れてくれるが、BTSでは入れてくれないのは昨日交渉決裂済みで分かっている。
 私はその間に少し両替をしておこうとスーパーリッチに行く。他に3、4軒の銀行両替所があるが、やはり本店よりも落ちるもののスーパーリッチが有利だ。と言っても、その差は僅か1万円で10バーツ程度。しかし、11時になっいたのにまだ開店していない。仕方なく他で両替。直後に友人と合流しスーパーリッチの前を通ると開いている。「しまった、10バーツ損した」。僅か10バーツなのに損した気分になる自分が情けない。
 
 そのままタクシーでファランポーン駅に。友人を窓口に行かせ切符を買わせる。だが、13時発車である次の列車には空席が無い様だ。バスの南ターミナルからバスか、アヌサワーリからロッツーにしようかと相談するが、「面倒だもん」、と言い放ち再度窓口へ行き係員と話をしている。そして、「10バーツ頂戴」、と手を差し出し再度窓口に行き、2枚の切符をヒラヒラさせながら戻ってくる。10バーツは私の外国人運賃だ。「席があったの?」、と尋ねると、「座るのダメだよ」、と切符を一枚くれる。見ると座席指定の箇所には”スタンディ”と印字されている。立席の切符のようだ。まあ、いいか。しかし発車まで1時間以上ある。駅舎は人で溢れ座る椅子も無い。「ウロウロしてくるから、ここにいるんだよ」、と言い置いて構内探索に行ったが、戻ると友人はいない。消えてしまったのだ。トイレにでも行ったのだろうと待つが戻ってこない。「狭い構内だ、探してみよう」、と再度動き回る。だが、見当たらない。その時着信音が。「貴方の姿が見えるよ、何処にいると思う?」、とノンビリした声が聞こえる。「へへへ、貴方の後ろの本屋にいるんだもんね」、と。振り返ると友人がイタズラっぽく笑っている。私が探しているのもツユ知らず、本屋で熱心に本を読んでいたのだ。
 
 発車時間が迫ってきた。10分前だ。この期に及び友人はトイレに行ってしまい5分前になった。電話を入れると、「人が一杯なの〜。すぐ戻るよ」、と3分前に私の元へ。「急ごう」、と腕を引っ張るが、「待って!」、と先ほど切符を貰った窓口に行く。二言三言、話をしていたが、戻ってきた友人の手には新たな2枚の切符が。「交換して貰ったよ」、と舌を出す。座席指定の切符を入手した様だ。

 プラットフォームでは出発合図の鐘が鳴り出す。係員に該当列車のプラットフォームを訊きダッシュだ。途方もなく長い列車だ。いったい何輌連結しているのだろう?とりあえず適当な車両に飛び乗る。後日日本のテレビ番組でタイ国鉄が放映されたので、列車の数を勘定してみると20輌だった。
 我々が乗ると同時に列車は動き出した。指定車両、席を探し回り、やっと到着する。友人と私は少し離れた席だ。だが、二人の席は既に人が座っている。友人は切符を示し、詰めて貰う。2.5人座れる席に2人を指定されているので詰めれば座れるのだ。私の席は既に3人が座っており、友人が交渉しても譲る気配はない。要は指定されていても早い者勝ちなのかな。幸い通路を挟んだ友人の横の4人席が空いていたので、とりあえずそこに座る。
 しばらくすると黒いモスリム頭巾をかぶった女の子2人と男の子のグループが来た。彼らの指定席らしく切符を確認しながら私の周りに座る。対面は女の子2人だ。女の子2人とはナコンパトムに着くまで視線が合いまくり、その都度”ニコッ”と微笑んでくれる。
 一方、友人の横、前に陣取ったおばさん2人は優しい人達で、友人の前の席に座れと誘ってくれる。詰めてくれたのだ。更には自分達が持っていたフルーツ、お菓子を振る舞ってくれ束の間のタイ人との触れ合いを楽しんだ。

 発車すると車掌が来て14バーツ徴収される。「あれ窓口で10バーツ払ったのに二重取り?、金額が違うのは何故?」、と友人に訊いても「マイルー(分からない)」。一昨日のマハチャイ線の分を徴収されたのかな。ちなみに友人は当然無料。
 僅か1時間半の列車の旅だったが、この間、ひっきりなしに売り子が弁当、お菓子、フルーツ、飲み物、冷たいオシボリを売り歩き、狭い通路と相まってウザイ事この上ない。ひっきりなしに膝、肩に彼らが体当たりしてくる感覚だ。「文句があるなら3等なんかに乗らず、上位の席に行け」、と言う事だろう。「でもね、席がなかったの」。我慢、我慢。

 ナコンパトム到着。以外に大きな駅だ。駅に降り立つと正面の巨大な仏塔が我々を迎えてくれる。空腹を訴える友人と屋台食堂に入りバーミーを。いつも友人が適当に注文してくれ、今回はマカロニの様な麺だ。だが一人前では足りないので麺だけをもう一人前頼んでくれるピセート(特別な)が定番だ。味の調整もお任せで、その見返りは具の贈呈だ。いつも麺しか食べないので、肉類は全て友人の鉢に引越しさせるのだ。

 食事を終え参道を進み仏塔へ向かう。近くでみると更にでっかい。バーリ語で、”最初の都”と言う町の名前が物語るように、当地は仏教伝来の聖地らしい。タイ最大の仏塔はプラ・パトム・チェディというらしい。
 境内は もの凄い人出だ。家族連れ、カップルが多い。ここでも日本人は見かけない。バンコクからミニツアーがあり比較的名が通っている観光地のはずだが・・・。多分カンチャナブリへ行く途中に寄るので、ツアー客は午前中に集中するのだろう。境内のあちらこちらにオレンジ色の布を垂らし、その布にタイ人がペンで何やら書いている。友人に訊くと「家族の名前を書いて家内安全を祈願する」、と言う。そしてその布は寺内の仏様に巻かれるらしい。友人は、「私も書くよ」、とペンを取り書き出した。こういう事にはタイ人は実に熱心だ。友人は布のお布施を支払いに行った。戻ってきて、「ハイッ」、と粘土で作ったのだろう日本でいうお守りの様な物をくれる。ありがたく頂戴し、仕事用のバッグに忍ばせておこう。それから、金箔を仏に貼ったりして一時的に敬虔な仏教徒を演じ、境内を一周し帰る事にする。時計回りが基本らしい。それにしてもお寺は信心につけこみ何じゃらかんじゃらで儲ける仕組みが構築されている。

 食事をしている時、目の前の大通りをバスがひっきりなしに通っていたので帰りはバスにしよう。満員列車はこりごりだ。ところが訊いたバスはことごとく南ターミナル行き。ピンクラオの先で遠い、遠い。するとアンパワーからの帰路利用したロッツーが停っている。訊くと先日と同じアヌサワーリ行きとか。そのまま切符売り場を訊きチケットを購入。一人60バーツ。料金からするとアンパワーより近かそうだ。席は早く乗ったので足元の広い前の方。これならばエコノミー症候群にはならないだろう。

 ウトウトしていると約1時間でアヌサワーリに到着。ロッツーを降りると友人は「古式に行きた〜い」、と言い出した。ナナ付近は高いので、この近辺を探してみる。2、3軒あったがナナと変わらない。それならばアソークに移動しようとBTS駅に向かおう。

 駅の階段の上がり口に寿司屋台が。めざとく見付けた友人は、「あれ食べたい」、と又もや立ち止まる。一つ5バーツの可愛いおもちゃの様なミニ寿司で”さざえ”にはなかった鰻がある。とりあえず10個買い食べてみる。やはりさざえとは雲泥の差だ。特にシャリが堅くなっている。友人は、「昨日の寿司は美味しかったね、また行こうね」、とミニ寿司を食べながら言う。でも連日寿司が食べられ嬉しそう。
 BTSでアソークに移動しタイパンホテル前の100バーツ古式店に行く。今日も友人はフットマッサージ1時間、古式1時間をご所望。今日は延長無しだよ。
 リラックスしてマッサージを受けていると奇異なBGMが聞こえてくる。どこなものうげで懐かしい曲調で心地良い。同じ詞を何回も何回も繰り返し、最後に「さとこ〜、さとこ〜」、と。女性のボーカル、男女のボーカル、子供のボーカルと次々に流れ、特に子供の声には癒される。マッサージをしてくれている女性に訊くと「チベット仏教音楽だよ、下のレジで100バーツで販売しているよ」、と。魂に直接ジーンと訴えてくる響き。それもそのはず。お経に旋律をつけた音楽だったのだ。
 マッサージを終え、下のレジにいた女性に尋ねる。”あれっ、この女性は先ほどまでマッサージをしてくれていた人だ”。どうやらこの店のママさんらしい。以前いたもう少し年輩のママさんはどうしたのだろう。メンバーズカードを発行してくれた記憶がある。「子供のCDが欲しい」、と告げると、早速彼女は棚を探してくれた。が、「子供が歌っている物は無いな」、と言う。
 そこに友人が下りてきて、会話に加わった。「それならば、私の家の近くでも売っているよ、今度お土産に買ってきて上げるね」、と得意そうに言う。期待しないで待とう。

 ソイ8のイタリアンレストランまで行くのは面倒なので、ママさんに「近くにイタリアンレストランがないか?」、と尋ねる。「ビッグママが美味しい」、と紹介され、教えられた方角に歩く。何処かで聞いた名前だ。すると何の事はない、昨日行った100バーツフットマッサージ店の1階のレストランだ。いつも突っ切っていた店がイタリアンレストランだったのだ。野外にも席があったが室内に席を求める。結構客が入り繁盛している。「スパゲッティを食べたい」、と言っていた友人は、タイ風シーフードスパゲッティ、私はボロネーゼだ。

 食事を終え、ここから在タイの知人に会うので別行動だ。店の前からタクシーで帰る様に友人に言うが、タクシーに乗ろうとしない。私はプロンポンに行くのでバスに乗るつもりでバスを待っていると38番バスが来た。すると友人も乗り込む。「あらら、何処へ行くの?」。「アソークの交差点で降り、タクシーでホテルに向かうのかな」、と思っていたが、何とプロンポンまで付いてきた。そのバスで一騒動があった。ソイ29あたりを走行中、大量の水が車内に砲撃され友人も私も、と言うより乗客の多くが水の被害に。するとバミューダーパンツ姿の中年日本野郎が、「バカヤロー!」、と窓から顔を出し、砲撃した人間がいる後方に向かって怒鳴り始めた。バスは既に100mは進んでいるので男の声は届くはずもない。それも日本語なので、届いても意味不明だろう。それでも何回も何回も怒鳴り、車体を叩きまくる。挙句、「誰だ窓を開けたのは!!」、と乗客に向かって悪態をつく。乗客は意味が分からなくても、「何だこの外人は」、と不愉快そうの顔をしかめる。同じ日本人として恥ずかしく諌めようかと思ったが敢えて行動に移さず。日本人にとって過激な水掛けはやり過ぎかとは思うが、これがタイの文化、タイ人の楽しみだろう。「文句があるならタイに来るな、さっさと国外に退去せよ」、と言いたい。バカ親父め。

 プロンポンで降り、友人に「道路を渡りタクシーで帰りな」、とソイ33前の横断歩道まで行く。ところが、そんなに交通量が多くはないが、「危ないな、陸橋を渡るもんね」、とスタスタと駅方向に歩き出す。「大丈夫だよ、一緒に渡ってやるから」、と言っても耳をかす友人ではない。

 知人と会い、ホテルに帰還したのは24時前。明日は8時半にはホテルをチェックアウトして空港に向かわねばならない。

 今回の訪タイは、もの見事にもろにソンクランと日程が合致。
 この時期、タイに来るのは3度目だが、前回はホテルのロビーまで水びたしとなっていたのを見て、恐れおののき殆ど部屋に籠っていた。それでも一度ラムカーヘンのモールまで友人と出掛けたが、陸橋の上で、「ハッピー・ニューイヤー!」、と若い男から1滴の水を胸に水鉄砲で浴びただけで済んだ。

 そして、プーケットからバンコクに戻ったのが、本番前日の12日。在タイの方からは「前日からフライング気味に水掛けが行われている」、と驚かされたが、折角のタイ。やっぱり出歩かねば。ホテルのソイでは12日は強行の気配は無かった。実際、ソンクラン中、普段の訪タイとなんら変わらず出歩いたが、水が怖くて水掛け部隊から遠く離れて避けるように行動した事は言うまでもない。

 ソンクランは、日本人にとって聞きしに勝る狂気の祭りだ。通りの舗道では、大きなポリバケツの横で音楽をガンガン鳴らし、楽しそうにリズムを取り踊っている若い人も多い。いや、お歳を召した人達も参加していたかな。一方、バンに大きなバケツを積んで機動的に徘徊する若者達も多い。道端で車部隊を迎撃するグループは、レストラン、コンビニなでの店単位で徒党を組んでいるのか、店の名前の入ったTシャツなどの制服を着ている。この日ばかりは店主公認のサボリかな?
 そう、タイの若者は、年に一度の水も滴る良い男、女を願い、水掛け祭りをとことん楽しんでいる。
 また、道行く人の顔にミャンマー女がつけるタナカの様な白い粉を指で塗りつけるのを見かける事がある。これはどういう意味なのだろう?

 友人は水掛けがあまり好きではない様で、私の手を引いて水掛け部隊を避ける様に歩く。それでも被害は皆無ではなく、最大の被災は”日本野郎が怒鳴った”バスに向かって放水された時だ。私は服を濡らしただけで最小限の被災で済んだが、友人は可哀想に頭から水をかぶり髪から滴が垂れている。
 これを見ると、水鉄砲は可愛いものだ。一番強烈なのはバスに放ったバケツの水の直撃だろうか。ホースの放水も怖い、怖い。一度に浴びる量はバケツ程ではないが、絨毯攻撃的に広い範囲を殲滅するのだ。

 この水掛けは、19時に終了するとの噂も聞いたが、正確ではないようだ。だが、警察が来て「やめろ〜!!」、と指導していたので、一応の指針は19時終了なのだろう。
 走っている自動車、バイク、バス、列車に水掛けをする凶行。日本だったら、それこそ即逮捕かな。ただ、タイ人の全てが水掛けを歓迎しているわけでは無いのを何回も目撃した。「祭りだから仕方がない」、と諦めているのだろう、迷惑そうな顔で水を避けていた。「そんなバカはやってられない」、との事だろう。きっと、一部の人間のストレス発散のための祭りと思えたが、どうだろう?

いよいよ泣いても笑っても最終日。

 少し早い目に起床し、荷造りをする。街中で買ったタバコ20箱、それにマンゴー2個をバッグを開けられても言い逃れが出来るように自然な形で分散させパッキングする。
 空港へホテル前からタクシーに乗る。ホテル前にたむろしている雲助達は「メーターで行け!」、と言っても首を横に振るだけ。そこでホテルスタッフがモトサイを飛ばし通りまでタクシーを拾いに行ってくれる。ご苦労さん、チップ20バーツね。
 乗ると、「社長、道はソンクランで混んでおま、高速で行ってもよろしおまっか?」、とタクシー運転手の常套句が出る。「混んでないよ、地道、地道!」、と高速を使わせない。距離を稼がれ、時間の短縮で運転手の能率向上には貢献するが、私にはメリットがないので却下だ。
 タクシーはスクンビット通りを左折し後、更にウッタユ通りを左折、そしてUターンしラマ9に出て空港に向かう。道は私の予測通りガラガラで短時間で空港到着。207バーツ。2人だとシティライン+タクシーとほぼ同じ値段だ。

 チェックインを終え、椅子に座って出国まで待つ。その時、右の脇腹に衝撃が。隣の中国人のババアが右隣の連れと話をする時に身体を反転させ、背中にしょったリックが私を直撃。満員電車なんかでもリックを背負った人間がいると敬遠するのが常だ。「バカヤロー!」、と怒鳴りたかったが、それをすれば昨夜のバスの日本オヤジと同じ。持っていたバッグを右に置きブロック。ババアは自分が動く度に私のバッグに身体が当たり不快感を表すが、知った事じゃない。バッグは私の椅子のエリアからはみ出していないのだから。

 時間が来たので友人が出国口まで送ってくれる。友人は私の出発時間より30分遅い便だ。
 
 機内持ち込み検査でまたしても御用。今度は1リットルのオレンジジュース入りの紙パックだ。ペットボトルはダメとの認識はあったが、紙パックもダメとの事で任意放棄。考えてみると液体がダメということの様だ。揮発性など爆発の危険が有る物は、テロ防止で没収。いちいち中身などチェックしていられないので、それならば一層の事、可能性が考えられる「液体全て召し上げてやれ」、との善良な乗客にとって迷惑千万な考えなのだろう。
 
 友人にお別れ電話をし、最終搭乗者として機内へ。 あらら、私が事前指定した後方キャビンには乗客の姿は全く無し。しかも中央の席は立ち入り禁止のテープが張りめぐらされている。こんなの初めてだ。非常口席もフリーだったが、空いていれば敢えて非常口席に座る事もないと移動せず。扉が閉まると何人かの乗客が前方キャビンから移ってきたが、私の周りには誰もこずサバイ、サバイ。

 そう言えば、これよりは乗客が多かったが、往きの最初のドリンクサービスで、私は忘れられた存在となり、飲み物をサーブされなかった。CAが飲み物カートをギャレーに戻す途中、声をかけ、事なきを得たが、CAの恐縮すること、すること。以降、私へのサービスは最優先に近いものになった。

 飛行機は定刻通り飛び立ち、バンコクの街並みがどんどん遠くになっていく。そして、ベトナム・ダナン。ご存じバンコクから空路1時間地点だ。往く時は、「あと1時間で到着だ」、と胸がざわめく。帰りは、「さらばインドシナ!」、とタイを離れる淋しさが襲う。私にとってタイへの外玄関だ。今日は天気が良いので海岸線がくっきり眼下に展がる。そのダナンも遠ざかった。

 帰りの飛行時間は5時間。CAは食事をサーブすると手持ちぶさた。早めの休憩を交代で取り出し、私の周りの席で惰眠を貪り始めた。私も寝よう。目を覚ましたのは着陸1時間前。だが、近くの席で寝ていたCAは依然寝たままで、起きだしたのは着陸30分前。乗客が少ないせいか、CA達もどこかダラケタ感じ。タイ人気質丸出しで気楽なものだ。

 ところで、タイ航空と言えば、タイの民族衣装でCAが迎えるのがウリだが、日本人CAは民族衣装を着せて貰えない事は周知の事実だ。大和撫子のタイ民族衣装も乙なものなのにな。その日本人CAと今回知り合い、親しくなった。と言うのも往きも帰りも彼女が搭乗していたのだ。タイ航空に採用され、「ラマ9にアパートを借りてバンコクベースで勤務している」、とか。彼女も、民族衣装を着たい様で、「お客さまから本社に要望を出して!」、とリクエスト。この日本線専属の彼女によると、「最近こんな感じでお客様は少ないんですう。GWも全く予約が入っていなくガラガラみたいですう」、と。
 タイ人CA専用の民族衣装は以前は離陸して1、2時間でさっさと作業服に着替えていた様だが、最近着替えるのが遅くなり、私にとっては嬉しい傾向。本当は「作業服なんかに着替えないでずーっと民族衣装でサーブしてくれ」、と言いたい。

 もう一点。帰りはお約束のアイスクリームがサーブされず残念。積み忘れたのかな。よってCAがノンビリと寝ていたのかもしれない。だが、今年もなかったので日本行き便は割愛かな。

 あっそうだ、イヤフォンを入れてある小袋を失敬しなければ。仕事中、ポケットの小銭をこの袋に入れてバッグにしまうのを見た同僚の一人が欲しがっていたのだ。何に使うのかは知らないが、「お土産に!」、とのリクエストだ。袋の紫色とタイ航空のマークが気に入った様だ。
 この小袋には、”TAKE ME HOME”と書かれている。小袋を持って帰るのは良いのだろうが、イヤフォンも持って帰って良いのだろうか?次回訊いてみようと。もっともジャックが特殊なので使いものにならないかも知れない。
 
 関空に到着。税関では乗客が少ないせいもあり、軒並みバッグを開けさせられており、紳士の私も例外とはいかなかった。「どちらに行かれましたか?」、「プーケットです」、「何か申告する物は?」、「有りません」、「それではバッグの中を改めますので」、とわざわざ中身をぶちまけるトレイまで持ち出してきた。ガビーン!! 
 だが平然としたもの。この平然とした態度が重要だ。「バッグには現地で吸いかけのタバコが少し入ってますよ」、と言うと数個のタバコを現認したもののお咎め無し。増してや手荷物のバッグの中身は見ようともしない。「はい、結構です乱雑にして申し訳け有りません」、と無罪放免。過去最大のバッグ内の捜索だ。人相が悪くなったのかな? それでもマンゴー、タバコの持ち込みは今回も成功だ。
 
 建物を出てバス乗り場に急ぐ。暑いタイから帰り、空港の夜風が身に凍みる。次はいつ行けるかな?








旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • タイ国鉄のキップ

    タイ国鉄のキップ

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  • ロッツーのキップ

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  • タイのタバコ

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  • 友人がナコンパトムでくれたプラクルアン

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  • 通路が広くなる私の指定席

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  • 中央席はロープでシャットアウト。こんな事初めて。これこそ空気を積んで飛んでいるようなもの。

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  • この橋を渡り帰宅

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  • 私を家に持って帰ってね、のイアフォン袋

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