2012/03/02 - 2012/03/02
180位(同エリア357件中)
滝山氏照さん
サハリン(樺太)が島であることを確認し間宮海峡と名づけたことで知られている間宮林蔵(まみやりんぞう、1780~1844)の墓所を散歩しました。
現地説明板に記載されている内容については下記の通りです。
『 間宮林蔵は、安永9年(1780、一説に安永4年)、常陸国(茨城県)筑波郡上平柳村に生まれ、天保15年(1844)に深川蛤町の家で没しました。
名は倫宗(ともむね)といい、伊能忠敬に測量を学び、寛政12年(1800)に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
文化5年(1808)幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した林蔵は、翌年7月2日単身樺太からシベリアに渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。
この15ヶ月間に及ぶ探検で樺太が島であることが明らかになりました。
林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を欧州人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名になりました。
平成2年2月1日
江東区教育委員会 』
江戸時代に於ける移動は通常は脚しかありませんが、そのような環境下で北海道は勿論の事未知の樺太、沿海州内部まで自力で測量をしながら探検したことに敬意を表したい気持ちになります。
南下するロシアの対応に苦慮する幕府に対し自ら収集した北方地域の情報はややもすれば弱腰外交となる幕閣には貴重なもので、その後の日露和親条約では有利な交渉ができたのではないでしょうか。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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