2012/05/31 - 2012/05/31
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belleduneさん
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今日は朝から弘前市内を歩きまわり、午後は車で郊外へ行きました。朝から天気が良く、気温が高かったので、とても暑かったのですが、夕暮れになると、随分涼しくなってきました。そこで、弘前城のお堀辺りを散歩して、夕焼けの岩木山を眺めてきました。
明日は岩木山へ登ります。といっても、麓からではなく、車とリフトを乗り継いで、そこから少しだけ登るだけですが、今から楽しみです。
表紙の写真は、かくみ小路にある居酒屋「半兵ヱ」の表に張ってある映画のポスターです。また、このかくみ小路と鍛冶町との角には、昭和4年創業の喫茶店「万茶ん」があります。太宰治もここの珈琲を飲みに足繁く通ったということです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
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亀屋革屋店 一番町24
明治期の建物で、一番坂の中程にある馬具専門の革具屋でしたが、最近カバン作りを始めて、「東北のエルメス」と呼ばれています。 -
1階は新しく改装されているので、2階の窓枠に明治期の建築の特徴が見られます。
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商店街に現在、一戸時計屋のシンボルマークだけが残っています。土手町87
明治32年に建てられました。 -
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昭和3年に建てられた開雲堂 土手町83
銅版の外壁が特徴である看板建築の老舗和菓子屋店。津軽藩の旗印で市章にもなっている卍を模った最中が名物らしいですが、買いませんでした。 -
下土手町の商店街歩道にずっと貼ってある弘前市民の幼児の足型が可愛らしかったです。
面白いアイディアですね。 -
かくみ小路は、飲み屋さん、スナックなど庶民の盛り場らしい。
ここを車で進入してしまい、下土手通りへ抜けられるのですが、ちょっと狭くなっていて、角の鍵屋さんに怒られ、バックしました。
奥に大きな駐車場があるので、そこまでは大丈夫ですが、皆様ご注意ください。 -
昭和初期のような居酒屋「半兵ヱ」
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余り馴染みの無い昔の映画のポスターですが、面白いので撮りました。
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弘前市内で現存していないものは、このミニチュアで見ることにします。
角み呉服店は、明治26年(1893)に蓬莱橋から下土手町に移転して建てられた3階建ての洋館です。
正面中央にバルコニーと八角塔を上げた白亜の大壁造りで、当時は周辺の商店を圧倒しており、外観は市内店舗の洋風化を推進する役割を果たしたと思われます。 -
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角弘金物店は、明治26年(1884)に建てられました。津軽家最後の国家老で、第五十九銀行の創設者・大道寺繁禎を筆頭に、15人の民間資本による「弘前農具会社」として発足しました。屋号の「角弘」は、弘前の「弘」と多角経営の「角」を採り、地域社会への貢献・奉仕を盛り込んだそうです。
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朝のミニチュア・菊池薬局(建設当初の外観)
明治22年(1889)に建てられました。菊池薬局は、明治39年に創業されました。そのシンボルの金看板は大正12年に一枚板を刳り貫いて、金箔を施したもので、全部で21枚ありました。この金看板は関東大震災時に、数ヶ月掛けて、店は届けられ、昭和43年の新築時に取り外されたということです。 -
夕方のミニチュア・菊池薬局
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現在の夜の菊池薬局
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朝のミニチュア・旧弘前郵便局
明治35年(1902)に建てられました。
明治42年に行なわれた拡張改築で、軒飾りなどは取り外され、アーチ、付け柱、三方の大きなぺディメントなどを外周りの装飾として利用し始めた建物となっています。木造のロシア風建築として知られましたが、昭和37年に解体されてしまいました。残念ですね。実物を見たかったものです! -
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夕暮れのミニチュア・旧弘前郵便局
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朝のミニチュア・かくは宮川デパート
大正12年(1923)に市内商店街の中心部の下土手町四つ角に東北最初の本格的なデパートとして開店しました。
4階建ての洋館で、エレベーター、食堂があり、市民に人気があり、昭和53年の閉店まで、中心街のシンボルとして人気がありました。 -
夕方のミニチュア・かくは宮川デパート
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朝のミニチュア・慈善館
大正3年(1914)に建てられた青森県最初の活動写真館です。
八角形の展望台には、ドーマーウィンドーを設け、2階には上げ下げ窓と、窓の上にぺディメントが付いている和洋折衷様式の建物となっています。 -
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夕暮れのミニチュア・慈善館
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朝のミニチュア・旧弘前市役所
明治25年(1825)に建てられました。正面に隅切りにされたポーチを儲け、屋根は入母屋、外壁は下見板にオイルペンキ塗りとなっています。窓は上げ下げ窓で、軒に持ち送りを付けて、飾り天井とし、蛇腹を配した擬洋風が特徴となっています。 -
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夕暮れのミニチュア・旧弘前市役所
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朝のミニチュア・旧弘前高等学校講堂
大正12年(1923)に建てられました。
大正9年に設立された官立弘前高校は、当初仮校舎でしたが、大正12年末に講堂を含めて、全ての校舎・建物が完成し、翌年1月に本講堂において落成式が行なわれました。 -
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朝のミニチュア・旧弘前公会堂
大正12年(1923)に建てられました。
1897年にウィーンで始まった「Sezession ゼツェシオン」の影響を色濃く受けた建物で、左右、高低の対置、直線、曲線の配置など大阪公会堂と相似しており、弘前への移入の早さに先人の国際感覚と流行に敏感な気質を見ることができます。
ミニチュア・シリーズはここで終了です。 -
吉田松陰来遊の地 松蔭堂 見学は予約制です。
嘉永5年(1852)3月1日、幕末の動乱の中で、近代日本の夜明けを模索した歴史的背景の下で、吉田松陰が東北遊歴中に、宮部鼎蔵と共に、勤皇と海防の志をもった津軽藩士・伊東広之進(梅軒)の居宅を訪れて、日本及び津軽藩の軍事、教育について論じた記念すべき地とした。
松蔭の訪れた部屋は、「松蔭室」として保存されています。宝暦6年(1756)「御家中屋舗建家図」に見られる近代武家住居の貴重な遺構です。 -
高砂蕎麦屋さんの駐車場横のお倉です。蕎麦屋はこの反対側にあります。
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その先にもお倉が店舗として使われていました。
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百石町展示館(旧青森銀行津軽支店)は、明治16年(1883)に豪商と言われた呉服商宮本甚兵衛が自ら設計した建物だそうです。
大正6年に津軽銀行が譲り受け、昭和18年に青森銀行と合併し、平成10年10月まで青森銀行津軽支店として使用されていました。
平成13年に弘前市へ寄贈され、平成16年4月から一般公開されています。 -
直線を主体とした土蔵造りの2階建てで、重厚感があります。
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入ると直ぐに銀行当時のカウンターがあります。
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建物の外には煉瓦の塀が残っています。
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市内には、こういうお倉が沢山見受けられました。
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