2012/05/31 - 2012/05/31
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belleduneさん
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稔町にある弘前学院大学内にある「外国人宣教師館」へ向かいました。
大学の門を入るとすぐ右手にありました。
大学本部へ電話すると、暫くして鍵を開けに来てくれました。内部も、外観も綺麗に保存してありました。
この後、弘前大学の傍を通りかかった時に、写真で見たのと同じ景色を見掛け、直ぐに駐車場を探して、旧弘前高校外国人教師館に辿り付くことが出来ました。車を駐車したところが赤煉瓦倉庫でした。
ホテルへ戻って、夕方の町を歩いていたら、偶然、弘前昇天教会を見つけました。
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明治24年以来、校長、宣教師がアメリカから派遣され、当初、日本家屋に住んでいましたが、不自由に違いないということで、建てられたのが、この館です。
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建設資金は米国婦人伝道協会からと推測されています。この建物の設計・施工はクリスチャン棟梁の桜庭駒五郎です。全体の統一感、細部の意匠に優れています。
木造建築面積は、158655?、2階建て、屋根寄棟造り、東面下屋とも鉄板葺きですが、建設当初は柾葺きでした。消耗率が大きい葺き材なので、葺き替え時に鉄板を重ねたものと推定されます。
また、建設当初は、外壁は淡黄白色、付け柱、窓枠、胴蛇腹などの建物の輪郭部は茶系色だったが、その後緑色に塗られました。この頃、グリーンハウスと呼ばれていた由縁です。しかし、昭和30年頃には、修理前までに見られた外壁全面を茶系色に統一されました。 -
イギリス積みの煉瓦積み煙突で、各室集合煙突となっています。
塔屋の屋根は鋳鉄製突針飾り付き。 -
玄関
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玄関ドアにある郵便受け
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玄関を入って直ぐのところにスイングドアがありました。
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この窓の桟も素敵ですね。
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八角形の応接間
各室の大壁、蛇腹、天井とも建設当初は、白漆喰塗りでしたが、その後、模様替えを行なっています。1〜2回の白ペイント刷毛塗りとなっています。
窓上蛇腹は、アンカンサス紋様の彫塑付。窓は上げ下げ窓。 -
この階段は狭いので、もう一方の広い階段を使うように言われました。
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2階へ
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2階の応接間
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窓の桟も1,2階とも統一されています。
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階段の木製手摺りの彫が巧みです。
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弘前銘醸煉瓦倉庫 富田3丁目7−1
大正7年建設
酒造として建築された赤煉瓦倉庫で、当初あった8棟のうち4棟は今なお倉庫として使用されています。 -
駐車場を少し探して、運よくこの倉庫の裏側にスーパーがありましたので、その駐車場に停めて、帰りに買い物をちゃんとしました。
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弘前大学傍にある旧弘前高等学校外国人教師館 文京町1
大正14年に堀江佐吉の下で、副棟梁をしていた川元重次郎によって建てられました。
煉瓦積み基礎、窓、外壁に洋風建築の意匠が多く取り入れられています。
閉館5分前に辿りつきましたので、内部はざっと見学してきました。 -
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狭い階段を上がって、
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2階はねぶた祭りの展示が沢山ありました。
窓の桟が面白いですね。 -
こちらの窓も良いですね。
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1階に展示したあった当時の暖炉
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現在の地へ移築される直前の玄関正面
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弘前聖公会昇天教会は、イギリス国教会の伝統を引くプロテスタント系の教会です。
明治29年に弘前に宣教が始まり、大正10年、宣教師シャーリー・M・ガーナーで、施工は林緑です。
煉瓦造りの平屋で、ゴシック様式に纏められています。 -
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三つ葉飾りのアーチにある聖鐘が朝夕、時を告げています。
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朝のミニチュアの弘前昇天教会
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夕暮れのミニチュア
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実際では、見ることができない後面をミニチュアでじっくりと。
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