2012/05/31 - 2012/05/31
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belleduneさん
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弘前には多くの建物が保存されています。午前中はホテルから近いところが多かったので、歩いて周ったのですが、午後は少し離れたところを車で周りました。
ナビがあるので、便利になりましたね。
一人で歩き回っていても、地元の方と色んなところでお話をする機会が多く、皆さん話好きな方が多かったです。
興味ある話を聞くことができて、楽しかったです。
表紙の写真の旧弘前偕行社は現在弘前厚生学院内にありますが、6月24日に催される弘前ねぶた祭りの練習で、生徒さんが校庭で練習なさっていた時に、写真を撮り終わって歩いていましたら、学長さんが気軽に話し掛けてくださって、色々とお話を聞かせて頂きました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
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旧弘前市消防団西地区団第四団消防屯所 紺屋町2−2
昭和8年頃に建てられた、高さ14,3mの火の見櫓のある洋風建築です。 -
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弘前文化センター前庭にある銅像・津軽藩祖 津軽為信公は、高さ4mで、本丸に建立されましたが、昭和19年(1944)、第二次世界大戦で金属供出により撤去されてしまいました。
そして、2004年、ここに復元されました。 -
カトリック弘前教会 百人町小路20
明治43年にオージェ神父の設計で建てられたロマネスク様式の木造建築。
堀江佐吉の弟、棟梁の横山常吉(横山家に養子となったため姓が変わっています)が施工しました。 -
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正面後陣に配置されたゴシック式の木製祭壇は、見事な細工で、聖像を含めた全てが楢の木で作られています。
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柱のカ−ブ、彫刻が見事です。
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礼拝する時は、靴を脱いで僅かな段差の畳へ上がります。
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扉の内側にも凝った手仕事が見られます。
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石場旅館 元寺町55
明治12年頃に建てられた黒塗りの付け梁と白い漆喰が、城下町らしい風情を感じさせてくれます。 -
隣に建つ日本キリスト教団弘前教会
明治8年(1875)に創設された東北最古のプロテスタント教会です。
東奥義塾の塾長、本多庸一氏が初代牧師となって、津軽地方にキリスト教を布教したとされています。
設計は、桜庭駒五郎、施工は堀江佐吉の子、斉藤伊三郎が行ないました。
外壁の胴蛇腹によって、水平線が強調され、高く聳える塔屋が全体を柔らかい雰囲気にしています。
建物は、火災で幾度が焼失していて、現在の建物は3回目の建物となっています。 -
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夕暮れのミニチュアの日本キリスト教団弘前教会
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旧弘前無尽社屋、現在の三上ビル 元寺町9
昭和2年に建てられた鉄筋コンクリート造りの建物で、アールデコ調のデザインが今見てもも洒落ています。 -
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日が暮れた三上ビルの光景
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田中屋 元寺町7
大正時代に建てられたもので、明治30年創業の津軽塗り製造・販売店です。
黒い骨太の柱は、昭和51年に改築した時に旧市役所の柱を再利用したものです。 -
夜の田中屋
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旧弘前偕行社、現在弘前厚生学院記念館 御幸町8−10
藩政時代、「九十九森」と呼ばれた鷹狩り場でした。
九代藩主寧親公が、文化12年(1815)に別邸と庭園(前庭・後庭)を造りました。その後、明治29年、弘前市南郊の富田に駐屯した陸軍第八師団の親睦・厚生の「偕行社」の計画があり、設計は当時の陸軍関係施設を全て引き受けていた堀江佐吉が行ないました。 -
九代藩主津軽寧親別邸跡地に(約2万2千?)、明治40年イタリア・ルネッサンス様式の第八師団偕行社が完成しました。
木造平屋建て・瓦葺き寄棟屋根にキングポスト・トラスト構造に、平瓦下地のモルタル仕上げの壁となっています。
煉瓦による布基礎は明治時代の洋風建築の特徴。 -
簡素な玄関ポーチに翼棟を広げたデザインは、当時の軍関係施設の特徴をよく表しています。
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終戦後、偕行社は解散し、昭和20年9月20日弘前女子厚生学院がここに移転し、昭和24年12月9日に、弘前女子厚生専門学校地及び行社が大蔵省より払い下げられました。
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外壁の塗り替え、屋根瓦の葺き替え、縁側屋根のトップライトの修復、室内の漆喰壁、腰板なぢの修復を行なっています。
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玄関ポーチ上のルネッサンス風ドーマーウィンド−(屋根窓)があります。
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玄関ポーチにはルネッサンス風車寄せとポーチがあり、ポーチの角にモルタル擬石によるコーナーストーンがあります。
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玄関
内部は見れませんでしたが、 -
玄関ポーチのぺディメントには、「八」を捩った「蜂」の鉄製飾りを付けるユーモアが見られます。
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東西に長い主体部は、裄行き48,8mの規模。
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玄関両脇、翼棟の窓は、円形ぺディメントのローマ風デザインの上下する窓があります。
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主棟の窓は、三角形ぺディメントのギリシャ風デザインの上下する窓になっています。
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軒の破風は、バージボード(切抜き板飾り)仕上げで、鉄製の星型換気口は第五十九銀行(現在の青森銀行記念館)と同じ。
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庇部分もかなり傷んでいるのが分かります。
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この左手にかなり大きな保育園がありましたが、現在解体撤去が終り、広々としていました。校庭は緑豊かな林があり、芝生も広くて良いところでした。
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夕暮れ迫ったミニチュアの旧弘前偕行社です。
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こちら側は現在敷地にあった保育園が撤去されて、広くなってのですが、修復工事中で、実際の偕行社へは立ち入ることができませんでした。
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弘前厚生学院の前にあるのが、太宰治が下宿していた「旧藤田家住宅」です。
大正10年(1921)に旧碇ヶ関村の村長の家を移築したと伝えられています。
「中廊下型平面」という大正時代の新しい様式で施工されています。 -
この部屋で、太宰治が官立弘前高校在学期間中の昭和2年4月から5年3月まで下宿していました。
彼の居室は、2階奥の押入れ、縁側、出窓の付いた6畳の部屋でした。
襖を隔てた隣には、藤田家の長男本太郎がおり、小説を聞かせてもらったり、チェスを楽しんだりしたそうです。 -
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