2012/04/30 - 2012/04/30
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ドクターキムルさん
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横浜市泉区和泉町には蚕御霊神塔がある。長後街道からほんの少し入った神明社の横に庚申塚があり、そこに大山道と二本指で方向を示した手の線画が刻まれた道標を兼ねた蚕御霊神塔(明治11年(1878年)銘)や隣には右大山道、左藤沢と刻まされた道標を兼ねたの庚申塔(万延元年(1860年)銘)、庚申供養塔(文化5年(1808年)銘)や2体のお地蔵さん、石祠が立っている。
長後街道は明治中期に整備された。神明社があるこの細い通りは旧大山街道のようだ。鎌倉郡に位置した泉区内には、かまくらみちや大山街道が通っている。
慶応2年(1866年)3月に霜害のために桑が枯れてしまい蚕を育てられず、蚕を地中に埋めてしまったことがあった。明治11年(1878年)になって蚕御霊神塔を建立し蚕の慰霊を行った。養蚕は明治、大正になると盛んになり、横浜港から生糸として輸出された。こうした生糸輸出で財を蓄えた一人が原三渓で、横浜に残る三渓園がそれを示していようか。
(表紙写真は蚕御霊神塔)
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「横浜市地域有形民族文化財 蚕御霊神塔(かいこごりょうしんとう)
平成五年十一月一日 登録
所有者 神明社
現在、泉区和泉町三六九六番地に所在する本塔は、明治十一年(一八七八年)に造立された角柱塔で、その規格は、高さ七○・五センチメートル、幅三三センチメートル、厚さ三一センチメートルを測ります。
塔の背面には、慶応二年(一八六六年)三月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているちともに、台石には、六十余名の連名が見られることから、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行ったことを知る貴重な資料です。
平成六年三月
横浜市教育委員会」。 -
神明社下の庚申塚。
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「蚕御霊神」(明治11年(1878年)銘)。
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蚕御霊神塔の左側面には、二本指で方向を示した手の線画の下に「大山道」と刻まれている。
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「横浜市地域 有形民族文化財 蚕御霊神塔」。
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庚申塔(万延元年(1860年)銘)。
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庚申塔の左側面には、「右 大山道」、「左 藤沢道」と彫られている。
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庚申供養塔(文化5年(1808年)銘)。
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お地蔵さま。
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石祠。
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お地蔵さま。
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