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西夏王国を興した李元昊、それを破壊したチンギスカン、フビライといった歴史上の英雄、そして、名も残さないまま砂漠に命を散らした無数の兵士たち・・・歴史に名を残した者も、そうではない者も包み込んで、今は王陵の周囲には荒涼たる景観が広がっています。

中国・トルファン2012・・・(2)銀川(その1)荒涼たる墳墓遺跡に「謎の西夏王国」を偲ぶ 「歴史に名を残すのは・・・」

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2012/04/14 - 2012/04/22

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azianokaze

azianokazeさん

西夏王国を興した李元昊、それを破壊したチンギスカン、フビライといった歴史上の英雄、そして、名も残さないまま砂漠に命を散らした無数の兵士たち・・・歴史に名を残した者も、そうではない者も包み込んで、今は王陵の周囲には荒涼たる景観が広がっています。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2012年4月15日 上海・虹橋空港から寧夏回族自治区の銀川へ移動。<br /><br />国内線の虹橋空港はこれまでも使ったことがあったので確認もしていなかったのですが、地下鉄2号線の第2ターミナル駅と今回利用する第1ターミナルは、非常に離れています。(第2ターミナルは2010年から営業 私の記憶にあったのは第1ターミナルの方だけでした)<br />シャトルバスには20分程度かかるような説明書きあり、慌てました。実際は10分程度で着きましたが。(地下鉄10号線で移動すれば5分程度で済むようです。)<br /><br />利用便は格安航空会社の春秋航空。<br />頻繁に遅れる、機内販売がうるさいなどのご意見もあるようですが、今回は離陸するまで1時間機内で待機。恐らくこれは春秋航空の問題ではなく、上海空港の問題でしょう。他の2回の利用でも、大きな遅れはありませんでした。<br /><br />確かに座席間隔が若干狭いのは事実ですが、通路側に座れば何とか。機内販売は言われるほどうるさくはありません。無料機内食がないのですから、もっといろんな食べ物などを販売して欲しいぐらいです。水が1本5元と、値段は地上(1〜2元)とは異なります。着陸前に乗客全員で「イー、アル、サン、スー・・・・・」と機内体操が始まるのがユニークです。<br /><br />とにかく安いのが魅力。上海−銀川片道7540円、銀川−ウルムチ5040円、ウルムチ―上海11760円でした。<br />私の他に外国人は見当たらず、完全にローカルな雰囲気です。<br />

    2012年4月15日 上海・虹橋空港から寧夏回族自治区の銀川へ移動。

    国内線の虹橋空港はこれまでも使ったことがあったので確認もしていなかったのですが、地下鉄2号線の第2ターミナル駅と今回利用する第1ターミナルは、非常に離れています。(第2ターミナルは2010年から営業 私の記憶にあったのは第1ターミナルの方だけでした)
    シャトルバスには20分程度かかるような説明書きあり、慌てました。実際は10分程度で着きましたが。(地下鉄10号線で移動すれば5分程度で済むようです。)

    利用便は格安航空会社の春秋航空。
    頻繁に遅れる、機内販売がうるさいなどのご意見もあるようですが、今回は離陸するまで1時間機内で待機。恐らくこれは春秋航空の問題ではなく、上海空港の問題でしょう。他の2回の利用でも、大きな遅れはありませんでした。

    確かに座席間隔が若干狭いのは事実ですが、通路側に座れば何とか。機内販売は言われるほどうるさくはありません。無料機内食がないのですから、もっといろんな食べ物などを販売して欲しいぐらいです。水が1本5元と、値段は地上(1〜2元)とは異なります。着陸前に乗客全員で「イー、アル、サン、スー・・・・・」と機内体操が始まるのがユニークです。

    とにかく安いのが魅力。上海−銀川片道7540円、銀川−ウルムチ5040円、ウルムチ―上海11760円でした。
    私の他に外国人は見当たらず、完全にローカルな雰囲気です。

  • 昼過ぎ、1時間遅れで銀川(ぎんせん、インチュアン)到着。<br />寧夏招商国際旅遊有限公司(http://www.seikatravel.com/jp/Index.asp)に、空港でピックアップ、午後半日で西夏王陵・賀蘭山岩画を案内してもらうことで予約してありましたので、空港には同旅行社の(とう)さんが来られていました。<br /><br />半日の日本語ガイドで車代を含めて600元、入場料などは別。もっともホテル帰着が8時過ぎと遅くなり、殆んど1日観光でしたが。<br />

    昼過ぎ、1時間遅れで銀川(ぎんせん、インチュアン)到着。
    寧夏招商国際旅遊有限公司(http://www.seikatravel.com/jp/Index.asp)に、空港でピックアップ、午後半日で西夏王陵・賀蘭山岩画を案内してもらうことで予約してありましたので、空港には同旅行社の(とう)さんが来られていました。

    半日の日本語ガイドで車代を含めて600元、入場料などは別。もっともホテル帰着が8時過ぎと遅くなり、殆んど1日観光でしたが。

  • 先ずは銀川市内で食事。1時間の遅れを取り戻すべく、なるべく早くできるメニューを急いで食べます。刀削&#40629;のトマトソースあえといったところで、なかなかいけます。<br /><br />さんからのメールの日本語が随分しっかりしていると感心していたのですが、拓殖大学で数年間源氏物語(!)の勉強をしていたとのことで納得。<br />源氏物語なんて主語が殆んどなく、古典のなかでも一番分かりづらいものでしたが・・・。「もう全部忘れました」とのことです。その後も数回、会議の通訳として来日されたそうです。<br />また、もとは解放軍の軍人さんだったそうです。<br /><br />なお、現在は、四川省芭石鉄道など、SL関係の観光案内を得意とされているようです。<br />

    先ずは銀川市内で食事。1時間の遅れを取り戻すべく、なるべく早くできるメニューを急いで食べます。刀削麵のトマトソースあえといったところで、なかなかいけます。

    さんからのメールの日本語が随分しっかりしていると感心していたのですが、拓殖大学で数年間源氏物語(!)の勉強をしていたとのことで納得。
    源氏物語なんて主語が殆んどなく、古典のなかでも一番分かりづらいものでしたが・・・。「もう全部忘れました」とのことです。その後も数回、会議の通訳として来日されたそうです。
    また、もとは解放軍の軍人さんだったそうです。

    なお、現在は、四川省芭石鉄道など、SL関係の観光案内を得意とされているようです。

  • 市内から30分〜40分ほどで西夏王陵へ到着。<br /><br />入口には西夏文字で“大国高白”と記されているそうです。さんは“高白”というのは西夏の古来の名称だと説明していましたが、帰国後ネットで確認すると“大国高白”意味は“専門家の間でもよくわかっていないらしい”とも。<br />入場料は60元(約800円)<br />王陵敷地は広く、電気自動車で敷地内の博物館へ向かいます。<br />

    市内から30分〜40分ほどで西夏王陵へ到着。

    入口には西夏文字で“大国高白”と記されているそうです。さんは“高白”というのは西夏の古来の名称だと説明していましたが、帰国後ネットで確認すると“大国高白”意味は“専門家の間でもよくわかっていないらしい”とも。
    入場料は60元(約800円)
    王陵敷地は広く、電気自動車で敷地内の博物館へ向かいます。

  • 奇妙な色調になってしまいましたが、写真中央の山脈が賀蘭山脈、その手前が西夏の首都「興慶府」(現在の銀川)、賀蘭山脈の西には河西回廊と祁連(きれん)山脈

    奇妙な色調になってしまいましたが、写真中央の山脈が賀蘭山脈、その手前が西夏の首都「興慶府」(現在の銀川)、賀蘭山脈の西には河西回廊と祁連(きれん)山脈

  • 西夏は、チベット系タングート族の国家で、1038年李元昊が建国。中国は宋の時代、日本は平安時代末期になります。河西回廊、更には敦煌までを支配しますが、1227年にチンギスカンによって滅ぼされました。<br />チンギスカンはこの西夏との戦いのさなかに死亡していますが、彼の孫のフビライが興慶府・王陵を徹底的に破壊したそうです。<br /><br />李元昊による建国当時の状況は、井上靖の小説「敦煌」の舞台でもあります。<br />amazonで頼んだ本が旅行に間に合わず、帰国した今、読んでいます。<br /><br />「敦煌」については映画の方が記憶にあります。主人公の趙行徳は佐藤浩市が演じていましたが、砂漠で白馬にまたがった李元昊を演じる渡瀬恒彦が「歴史に名を残すのはお前ではない(この俺だ)」と言い放つシーンが印象的でした。<br />

    西夏は、チベット系タングート族の国家で、1038年李元昊が建国。中国は宋の時代、日本は平安時代末期になります。河西回廊、更には敦煌までを支配しますが、1227年にチンギスカンによって滅ぼされました。
    チンギスカンはこの西夏との戦いのさなかに死亡していますが、彼の孫のフビライが興慶府・王陵を徹底的に破壊したそうです。

    李元昊による建国当時の状況は、井上靖の小説「敦煌」の舞台でもあります。
    amazonで頼んだ本が旅行に間に合わず、帰国した今、読んでいます。

    「敦煌」については映画の方が記憶にあります。主人公の趙行徳は佐藤浩市が演じていましたが、砂漠で白馬にまたがった李元昊を演じる渡瀬恒彦が「歴史に名を残すのはお前ではない(この俺だ)」と言い放つシーンが印象的でした。

  • 博物館内は、さんの“弟子”だという男性係員が日本語で説明してくれますが、いまひとつもどかしいところがあって、さんが流暢な日本語で割って入ります。<br />写真は西夏文字<br />

    博物館内は、さんの“弟子”だという男性係員が日本語で説明してくれますが、いまひとつもどかしいところがあって、さんが流暢な日本語で割って入ります。
    写真は西夏文字

  • 複雑極まりない西夏文字の造字ルールの解説<br />例えば、“水”と“土”という字を組み合わせて“泥”という字になるとか、“指”という字の左右を逆にすれば“趾(あしゆび)”になるとか・・・。漢字を強く意識して作られているそうです。<br />それにしても、覚えるのが大変そう。<br />

    複雑極まりない西夏文字の造字ルールの解説
    例えば、“水”と“土”という字を組み合わせて“泥”という字になるとか、“指”という字の左右を逆にすれば“趾(あしゆび)”になるとか・・・。漢字を強く意識して作られているそうです。
    それにしても、覚えるのが大変そう。

  • 当時のパスポート

    当時のパスポート

  • 磁器製の擲弾(現在の手榴弾もしくはロケット弾でしょうか)

    磁器製の擲弾(現在の手榴弾もしくはロケット弾でしょうか)

  • 西夏は仏教を重視しました。博物館には仏教関係の文物も多数あります。このたおやかな像も仏像だと思いますが・・・。

    西夏は仏教を重視しました。博物館には仏教関係の文物も多数あります。このたおやかな像も仏像だと思いますが・・・。

  • 2000年に3号墓で見つかった琉璃獣頭鴟尾。この「鳥人」像は仏教の経典の中に記載されている“迦陵頻伽”とされています。<br /><br />“迦陵頻伽”はサンスクリットの音訳で、漢語は妙音鳥と訳され、ヒマラヤ山中の鳥であり、奇妙な声を出すことができるとか。仏教の「極楽世界」の鳥で、仏教建築の装飾だと見られています。

    2000年に3号墓で見つかった琉璃獣頭鴟尾。この「鳥人」像は仏教の経典の中に記載されている“迦陵頻伽”とされています。

    “迦陵頻伽”はサンスクリットの音訳で、漢語は妙音鳥と訳され、ヒマラヤ山中の鳥であり、奇妙な声を出すことができるとか。仏教の「極楽世界」の鳥で、仏教建築の装飾だと見られています。

  • 人像石座・・・・さんがいろいろ説明してくれましたが、よく理解できないまま聞き流しました。

    人像石座・・・・さんがいろいろ説明してくれましたが、よく理解できないまま聞き流しました。

  • 賀蘭山岩画のレプリカ 耳を伸ばして手にするあたりが、上の石座と似ているような気もします。

    賀蘭山岩画のレプリカ 耳を伸ばして手にするあたりが、上の石座と似ているような気もします。

  • 博物館でお勉強してから、李元昊の墓とされている最大規模の3号墓へ向かいます。<br /><br />チンギスカン、フビライによって文物の殆んどが破壊されたこともあって、西夏王国の実態は長く謎とされてきましたが、1970年代初め、西夏王陵遺跡が発見され、西夏王国に関する研究も進みました。<br /><br />“西夏王陵全体が約50平方キロの荒漠に建てられ、合わせて皇帝陵を中心とした園林9ヶ所、高官と貴人の墓250ヶ所余りがあり、中国既存では最大規模で、地面遺跡が最も完璧に保存された帝王陵園林の一つであり、北京の明朝の十三陵と規模が相当している。9ヶ所の皇帝陵はいずれも、独立した完璧な建築群であり、北に座り南に向け、長方形を呈し、荘厳で慎み深く穏やかであり、とても雄大である”【「中国百科」(http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter20/chapter200305.htm)】<br />

    博物館でお勉強してから、李元昊の墓とされている最大規模の3号墓へ向かいます。

    チンギスカン、フビライによって文物の殆んどが破壊されたこともあって、西夏王国の実態は長く謎とされてきましたが、1970年代初め、西夏王陵遺跡が発見され、西夏王国に関する研究も進みました。

    “西夏王陵全体が約50平方キロの荒漠に建てられ、合わせて皇帝陵を中心とした園林9ヶ所、高官と貴人の墓250ヶ所余りがあり、中国既存では最大規模で、地面遺跡が最も完璧に保存された帝王陵園林の一つであり、北京の明朝の十三陵と規模が相当している。9ヶ所の皇帝陵はいずれも、独立した完璧な建築群であり、北に座り南に向け、長方形を呈し、荘厳で慎み深く穏やかであり、とても雄大である”【「中国百科」(http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter20/chapter200305.htm)】

  • 博物館にあった、3号墓の再現模型<br /><br />“西夏王陵の中の陵塔は「東方金字塔」と称されている。陵塔はこの陵園の西北コーナー、墓室の真後ろに位置し、構造は八角形の台になっており、上部は層々に内側に収め、階段形を呈し、最大直径は約34メートルで、塔の土台の上が果たして7階か5階かなのかはいまのところ確認できない。塔は西夏陵園で重要且つ特別な建築であり、中国の他の陵墓にはないもので、西夏貴族の特別な埋葬習俗を反映している”【同上】<br />

    博物館にあった、3号墓の再現模型

    “西夏王陵の中の陵塔は「東方金字塔」と称されている。陵塔はこの陵園の西北コーナー、墓室の真後ろに位置し、構造は八角形の台になっており、上部は層々に内側に収め、階段形を呈し、最大直径は約34メートルで、塔の土台の上が果たして7階か5階かなのかはいまのところ確認できない。塔は西夏陵園で重要且つ特別な建築であり、中国の他の陵墓にはないもので、西夏貴族の特別な埋葬習俗を反映している”【同上】

  • 現在は“土饅頭”のようになっている陵塔は、中心線から少しずれています。さんは「そのことは、後で説明します」とのことでしたが、結局訊ねるのを忘れてしまいました。

    現在は“土饅頭”のようになっている陵塔は、中心線から少しずれています。さんは「そのことは、後で説明します」とのことでしたが、結局訊ねるのを忘れてしまいました。

  • “西夏陵園は中国古代漢民族の皇室陵園の長所を取り入れたと同時に、仏教建築の影響を大いに受けており、漢民族の文化と仏教文化及びタングート族文化の三者を融合している”【同上】

    “西夏陵園は中国古代漢民族の皇室陵園の長所を取り入れたと同時に、仏教建築の影響を大いに受けており、漢民族の文化と仏教文化及びタングート族文化の三者を融合している”【同上】

  • 写真は、陵塔の説明 これによれば、陵塔土台の直径は36メートル、高さは24mとのことです。

    写真は、陵塔の説明 これによれば、陵塔土台の直径は36メートル、高さは24mとのことです。

  • “土饅頭”を作るのに使用した粘土は、遠く黄河から持ってきたもので、接着防腐剤として米だか何だか(忘れました)を加工したものも使用されているとか。<br /><br />後世、地元住民が“王様の墓に使われているものなら、きっと田んぼの肥料にもいいだろう”とのことで、壊して田畑の肥料に使ったそうですが、防腐効果で却って作物には悪く、そのため墳墓のそれ以上の破壊が免れた・・・とのことです。(さん談)<br /><br />ポコポコあいている穴は、外装建築物を支える木材が差し込まれていた穴のようです。<br />

    “土饅頭”を作るのに使用した粘土は、遠く黄河から持ってきたもので、接着防腐剤として米だか何だか(忘れました)を加工したものも使用されているとか。

    後世、地元住民が“王様の墓に使われているものなら、きっと田んぼの肥料にもいいだろう”とのことで、壊して田畑の肥料に使ったそうですが、防腐効果で却って作物には悪く、そのため墳墓のそれ以上の破壊が免れた・・・とのことです。(さん談)

    ポコポコあいている穴は、外装建築物を支える木材が差し込まれていた穴のようです。

  • チンギスカンは西夏との戦いで傷つき、やがて甘粛省の清水河で死んだため、西夏にたいしてはことに深い恨みを抱いていたとか。そのため、フビライは王陵を徹底的に破壊したといわれています。(モンゴルが徹底破壊したのは西夏王国だけではありませんが)<br />3号墓の手前に直径10メートルくらいの土を掘り起こしたような跡があり、モンゴル軍が墓を暴いた跡とも言われているそうですが、写真手前の穴がそれでしょうか。<br /><br />“言い伝えによると、西夏を興した李元昊の遺体は地下26メートルの所に安置され、頭は黄河に、足は賀蘭山に向けられていたという。墓が暴かれたとき、300年もたっているのに埋葬時のまま、生きていたようだったといわれている。それをモンゴル兵が恐れて何日もかけて遺体を焼いたといわれている”【野口 信彦氏 http://silkroad-j.lomo.jp/kouza/silkroadkoza10_12.htm】<br />

    チンギスカンは西夏との戦いで傷つき、やがて甘粛省の清水河で死んだため、西夏にたいしてはことに深い恨みを抱いていたとか。そのため、フビライは王陵を徹底的に破壊したといわれています。(モンゴルが徹底破壊したのは西夏王国だけではありませんが)
    3号墓の手前に直径10メートルくらいの土を掘り起こしたような跡があり、モンゴル軍が墓を暴いた跡とも言われているそうですが、写真手前の穴がそれでしょうか。

    “言い伝えによると、西夏を興した李元昊の遺体は地下26メートルの所に安置され、頭は黄河に、足は賀蘭山に向けられていたという。墓が暴かれたとき、300年もたっているのに埋葬時のまま、生きていたようだったといわれている。それをモンゴル兵が恐れて何日もかけて遺体を焼いたといわれている”【野口 信彦氏 http://silkroad-j.lomo.jp/kouza/silkroadkoza10_12.htm

  • 博物館にあった、地下の墓の再現模型<br /><br />地上部建築に比べ、地下の墓自体は簡素なつくりとなっています。<br />さんによれば、もともとタングート族は鳥葬その他の習慣で、土葬の習慣がなかったためとか。<br />

    博物館にあった、地下の墓の再現模型

    地上部建築に比べ、地下の墓自体は簡素なつくりとなっています。
    さんによれば、もともとタングート族は鳥葬その他の習慣で、土葬の習慣がなかったためとか。

  • 地下の墓に降りる墓道の説明<br /><br />もちろん、今は中には入れません。

    地下の墓に降りる墓道の説明

    もちろん、今は中には入れません。

  • 上海とは異なり観光客も少なく、ゆっくり見学ができました。<br /><br />李元昊やチンギスカンといった歴史上の英雄、そして、名も残さないまま砂漠に命を散らした無数の兵士たち・・・歴史に名を残した者も、そうではない者も包み込んで、今は王陵の周囲は荒涼たる景観が広がっています。<br />

    上海とは異なり観光客も少なく、ゆっくり見学ができました。

    李元昊やチンギスカンといった歴史上の英雄、そして、名も残さないまま砂漠に命を散らした無数の兵士たち・・・歴史に名を残した者も、そうではない者も包み込んで、今は王陵の周囲は荒涼たる景観が広がっています。

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