2012/04/14 - 2012/04/22
69位(同エリア163件中)
azianokazeさん
- azianokazeさんTOP
- 旅行記488冊
- クチコミ0件
- Q&A回答12件
- 892,994アクセス
- フォロワー29人
交河故城と並ぶ、トルファンのもうひとつの都市遺跡・高昌故城
城塞都市ひとつがそっくりそのまま遺跡となっている広大なもので、日本的な感覚を超えています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2012年4月17日(火曜) 砂漠、吐峪溝ウイグル族古村に続き、昼食後、高昌故城に向かいます。案内はアブラハム。
入場料は40元のところを、シーズンオフ割引で36元。
遺跡内に入るとロバ車が待っています。
高昌故城は1.5キロ平方に及ぶ広大な遺跡ですので、通常はロバ車で観光します。 -
ロバ車は、一人で使うなら50元、他の客と一緒なら30元ということで、特に考えもなく、すでにスタンバイしていた車に相乗りにしました。同乗客は、香港か台湾からの観光客という雰囲気でした。
後で思えば、一人でチャーターして遺跡の奥の方まで行ってもらうという方法もあったようにも思います。 -
高昌故城の全景(「新シルクロードの旅(講談社)」より
背後の山並みは火焔山。
引用ついでに、高昌故城の概略を「早稲田シルクロード調査隊・トルファンホームページ」より(http://database.littera.waseda.ac.jp/silk/trfan/4.html)
“トルファン市街から東に約45km、火焔山南麓にある高昌故城は、紀元前1世紀から14世紀の間、新彊における政治・経済・文化の中心地の一つであった。
高昌故城はほぼ正方形をなし、東西1600m、南北1500mにも及ぶ。王城・内城・外城と3部分に分かれ、居住区は北に、手工業区は南にあった。西南から東南にかけての一帯がとりわけ良く残っており、北部は破損が激しい。
建物は日乾レンガによって築かれ、アーチ型の出入口が多い。日乾レンガは畑の容土や肥料として使われたため大部分は残りが悪い。
漢代には高昌壁が築かれたという記録がある。5世紀、蘭州出身の漢人、麹氏一族によって麹氏高昌国が成立し、以後640年に唐の太宗によって滅ぼされるまで、約140年間存続した。
9世紀末、唐が全面的に撤退した後、10世紀にはウイグル人の「高昌大王府」がおかれた。高昌故城はその後300年間ウイグル人の拠点として栄えたが、13世紀にチンギス・ハンの遠征軍に襲撃され、廃墟となってしまった”
銀川の西夏遺跡もそうですが、チンギスカンの蒙古軍はすべてを破壊しました。 -
-
要は、紀元前1世紀の前漢時代から、13世紀頃までの遺跡ですが、岩を彫り込んだ彫刻都市・交河故城と異なり、日干しレンガを積み上げてつくった高昌故城は破損が著しく、原形をとどめる箇所は多くはありません。
-
土台部のレンガは最近の保護作業によるものではないでしょうか。
ところで、ロバ車で乗り合わせた香港だか台湾だか若い男女のグループですが、どういう事情かは知りませんが、この中の男性が歌を歌い、終わると他の者が拍手、そしてまた次の曲へ・・・というミニコンサート状態です。
せっかくの遺跡観光なのにうるさい・・・と言えばそれまでですが、最近は私も歳のせいか人間が出来てきましたので、異国情緒を演出してくれていると思い、気にしないことに。
後から割り込んだのは私の方でもありますし。 -
そうこうするうちに、ロバ車は遺跡中央部の宮城部へ到着。比較的破損が少ない箇所です。
言葉が不案内でよくわかりませんが、ロバ車の御者が「降りて適当に見てこい・・・」とのことのようです。売り物のパンフレットを見せて、「こういうものがある所だ」と教えてくれます。
「パンフレット買わないか?」「いらない」
相乗り女性客は降りる気配なし。なんのためにここへ来たのでしょうか? -
歩くコースは、写真のように木道で整備されています。
21年前は、むきだしの遺跡のままだったような気がします。 -
宮殿部遺跡の中心
-
近づくとこんな感じ。
やはりこういう遺跡は説明してくれるガイドがいないと、何を見ていいのかわかりませんし、何を見ても「ふーん・・・」という感じです。
もっとも、ガイドに説明してもらっても、そのとき分かったような気がするだけで、すぐに忘れてしまいますが。 -
雰囲気が感じられれば、いいのではないか・・・ということで、適当に歩きます。
-
そんな訳で、ただ意味もなく、似たような写真が続きます。ご勘弁を。
-
-
-
-
629年、国禁を犯してインドへの求法の旅に出た玄奘三蔵は、旅の途中高昌国にたち寄り、この地で仏法を説いています。
仏教を篤く信仰する高昌国王は玄奘を強く引きとめましたが、玄奘は帰路に3年間滞在することを約束して、2カ月ほどの滞在の後、インドへ旅立ちます。
しかし、玄奘がインド滞在中に高昌国は唐に滅ぼされ、玄奘の約束ははたせませんでした。 -
高さ10mほどの城壁
ロバ車は、入口まで戻ります。帰路もミニコンサートは続きました。
往復で30分程度でした。おそらく頼めばもっと奥までまわってくれるのではないでしょうか。もちろん料金次第でしょうが。 -
時間が自由になるチャーター車で来ているので、ロバ車を降りた後、入口近くを歩いてまわります。
季節的にも、まだ歩くのに支障のない気温です。夏になるととても歩く気にはならないかと思います。
遺跡が残存しているのは、広い遺跡敷地内でも、この付近だけのようです。 -
-
-
最盛期には、高昌城には僧侶3000人、住民3万人が暮らしていたそうです。
-
歩道は遺跡のあちこちに伸びており、全部を歩くことはできません。
-
トルファン(高昌国)はシルクロード交易の要衝でしたから、仏教寺院だけでなく、マニ教や、ネストリウス派キリスト教の寺院もあったと言われています。
-
粘土の塊りと化していく累々たる遺跡に、無常の一端を感じることはできますが、私の貧困なる想像力では、往時の姿はなかなかイメージできません。
-
嘘でもいいから再現図みたいなものがあると助かるのに・・・とも思いました。
-
-
日本なら、この10分の1の規模でも、国宝級の管理がなされるところですが、ここは広くて数千年の歴史を誇る中国です。
21年前、広い遺跡内を羊の群れが横切っていく様子がとても印象的でした。 -
-
-
30〜40分ほど歩き、高昌故城散策を終わりにします。
次はアスターナ古墳に向かいます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
azianokazeさんの関連旅行記
吐魯番(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
30