2012/04/14 - 2012/04/22
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azianokazeさん
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トルファンへの途中に立ち寄る形で銀川を観光。西夏王陵に引き続き、賀蘭山岩画に向かいます。
貴重な文化財と言われればそのようにも思えますが、言われなければただの落書きにも見えます。
翌日、フライトまでの時間を利用して、駆け足で市内の観光スポットをまわります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4月15日(日曜)、西夏王陵に引き続き、賀蘭山岩画に向かいます。
車で30〜40分ほどでしょうか。時刻は5時頃。
南北200〜250kmにわたって連なる賀蘭山脈は最高峰3556m、ゴビ砂漠の南方に広がる内モンゴルのトングリ砂漠、バダイジャラン砂漠、更には新疆のタクラマカン砂漠からの風をせき止めます。そしてこれより東には黄土高原が広がります。 -
賀蘭山脈の山中には松などの原生林が広がっているそうですが、その山麓は“荒野”という言葉そのものの、石だらけの不毛の原野が広がっています。
果てしない“荒野”というのは、言葉としてはよく使いますが、日本の日常では目にすることが少ない景観です。 -
日が傾き始めた荒野の中を走って、賀蘭山岩画に到着。
銀川(ぎんせん インチュアン)市内からは約50km。
入場料は60元 -
このような岩山に彫られた岩画は、その多くが春秋戦国時代(紀元前770〜221年)に北方遊牧民族によって造られたと見られていますが、その後も西夏時代・元時代に至るまで彫られ続けています。
岩画には、人々の暮らし、狩猟、祭祀、戦、娯楽などの場面が描かれており、また、羊、牛、馬、蛇、虎、豹などの動物の絵や抽象的な記号もあり、これらは自然崇拝、生殖崇拝、トーテム崇拝、祖先崇拝などを表わしていると言われています。 -
歩いても行けますが、電気自動車で岩画のあるところまで移動します。
途中、博物館もありますが、時間と展示内容から判断して今回はパスしました。 -
ここから整備されたコースを歩いてまわります。
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岩画自体は正直に言ってかなり地味です。
例えば、これは“人面”、昆虫のようにも見えます。 -
主な“作品”には、こうした解説プレートが設置されています。
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ただ、教えてもらわないとどこが画なのかわからないものも多くあります。
これなど、写真を拡大すれば何か描かれているのはわかりますが、何を描いたものかは写真を撮った私も忘れてわかりません。 -
また、拓本をとる際などの破損が進行しています。
ガイドのさんの話では、毎回来るたびに破損がひどくなっており、世界遺産申請はしているが難しいのではないか・・・とのことでした。
これなどは、多くの岩画の中でも比較的有名なカエル(多分)の絵でしたが、破損でわからなくなっています。前回来たときはまともだったそうで、つい最近の破損です。 -
白い線は、後世に見やすいようになぞったものだそうです。
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角を持ったヤギか何かでしょうか。
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岩山の上に、生きている野生のヤギも見ました。
(この写真には写っていません。探しても無駄です。) -
これなどは、比較的わかりやすい人面群です。
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解説されても分からないものも。
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動物の群れ、そして弓を射る人間(大きな画面いっぱいに拡大すれば、写真中央部に小さく見えます)
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実際は、こんな離れた岩肌にありますので、教えてもらわないと絶対にみつかりません。
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写真を拡大するなんて面倒という方のために、中央部を拡大しました。デジタルは便利です。
左上方隅っこに人間がいます。 -
これは比較的有名な“女性の手”
その華奢な感じから、女性のものとされています。 -
これが岩画群のなかでは一番有名な“太陽神”
決してトイレの落書きではありません。第1級の国家的文化財です。
まあ、トイレの卑猥な落書きも1000年もすれば“生殖崇拝”を表すものとして文化財になるのかも。そう言えば、最近そんな落書きもあまり見かけません。社会変化のひとつでしょうか。どうでもいいことですが。
“太陽神”に話を戻すと、大きく見開いた目と、やはり大きく開いた鼻が特徴的です。
これも岩肌の高いところにありますので、教えてもらわないとわかりません。画の近くまで登れるようになっています。 -
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画の横には西夏文字が彫られています。
西夏時代に、もともとの古い人面の画の中央部を人形に、耳を伸ばして手に加工したものだそうです。 -
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ぐちゃぐちゃと(失礼)いっぱい彫られています。
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横になった女性の上に男性が描かれており、生殖行為を描いたものです。拡大してもらうとわかるかと思います。
また話がそれますが、中国では家の跡取り・労働力として男児が望まれ、女児は中絶されたり人身売買されたりすることもあると言われていますが(中国に限らず、インドなど他の途上国でも見られる現象です)、さんの話では最近は逆で、女児の方が喜ばれ、出産祝いも女児の方が盛大に行われるとか。
その理由は、大きくなって結婚してしまうと奥さんの実家に里帰りすることが多いので、男児を産んで育てても、老後が寂しいだけだ・・・とのことです。
話がそれたついでに、“一人っ子政策”について。これも最近は、教育など子育てにおカネがかかるので、別に政府から強制されなくても、誰も二人目は欲しがらない・・・とか。
そうした一人っ子は“小皇帝”として家族に大切にされ、多額のお年玉とかもらうので、道に1元や2元落ちていても拾わないとも。あくまでも、さんの話です。 -
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7時頃、帰路につきます。
賀蘭山岩画からほど近いところにある拝寺口の双塔
西夏晩期の仏塔です。13層の塔は東西に並んでいて、間隔は100mくらい。高さは西塔が41m、東塔が39m。
今は塀に囲まれた2基の塔以外なにも残っていませんが、西夏の時代には百を超える寺があり、参拝者は引きもきらなかったそうです。
時間も押しているので、道路わきから撮影するだけにしました。 -
途中立ち寄ってみた観光クコ(枸杞)園。
枸杞は血圧・血糖など健康によいとされ、果実は酒に漬けこんでクコ酒にする他、生食やドライフルーツでも利用されます。薬膳として粥の具にもされます。
ただ、朱色が鮮やかなものは薬品加工してあり、有害とも。
時間が遅く、丁度閉まったところでした。そもそも季節的に、写真のように実はおろか、葉もありません。 -
さんにホテルまで送ってもらい、チェックインに立ちあってもらいます。
ホテルはネット予約していた「錦江之星銀川新月広場店」。1泊2448円と格安で設備も新しく快適です。
ただ、中心部からはずれており、近くには食事できる店もありません。 -
さんと別れて、食事に出ましたが、歩いて十数分かかりました。牛肉麵です。
ホテルに帰り、さてシャワーでも・・・と思ったのですが、キャリーバッグがありません。
「????」と思いだしてみると、空港でさんの車の後ろに入れてもらったまま、ホテルで取り出すのをすっかり忘れていました。
慌ててさんに電話して持ってきてもらうことに。9時を過ぎたような時間で申し訳ありませんでした。
さんは「私の不注意の方が大きい」とは言ってくれましたが。
こういうドジを鹿児島弁で“ほがない”と言います。明日から大丈夫でしょうか?(実際、大丈夫ではなく、トルファンでは1日目の観光で使った車の後部シートに放り投げた上着をそのまま忘れてしまいました。2日目にもどってきましたが・・・) -
4月16日(月曜日) 12時50分の飛行機で銀川からウルムチに移動します。バッグはホテルに預け、午前の数時間を使って銀川市内を歩いてみました。
朝食を済ませてタクシーで銀川旧地区中心部の“鼓楼”(ころう)へ。町のシンボル的存在です。
清の時代の建築です。
“鼓楼”や“玉皇閣” “南門”は、夜はライトアップされるようです。 -
“4つの面には東に「迎恩」西に「挹爽」南に「来薫」北に「栱扱」の字の石刻がある。このため、四鼓楼、十字鼓楼と呼ばれることもある。創建は1821年(清の道光元年)。 1908年に3階建て楼閣部分が建てられ、その後1917年に四隅の角坊が増築されて現存の姿になった。なお、外から見るだけで、上がることはできない”【歩き方】
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“鼓楼”から歩いて1〜2分、すぐ隣にあるのが“玉皇閣”(ぎょくこうかく) 明時代の建築です。
旧城区東部にある明代の楼閣。高さ19m、幅が東西37.6m、南北25mの長方形の基壇の上に主楼と角亭が建ち、並んだ姿は重厚感がある。 また銀川において、伝統建築様式を残した数少ない楼閣のひとつであり、精巧で熟達した高度な技術は、明代建築の貴重な資料となっている” 【歩き方】 -
横断歩道には“緑のおばさん”的な旗を持った人達が目に付きます。
あまりやる気のなさそうな態度から、交通違反などの罰としてやらされているのかとも思いましたが、“体験教学”と書かれたユニフォームに学校の名称なども入っていましたので、体験学習か何かの一環でしょうか。
信号が赤でも隙を見て渡る歩行者が多く、車の方も“歩行者優先”の意識がありませんので、交通ルールの徹底は結構なことかと思います。 -
“玉皇閣”から、中山南街を歩いて“南門”に向かいます。1kmもない距離です。
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城壁(今はありませんが)外側から撮った“南門”
昨日、車で通り過ぎるとき、さんが「北京の天安門に似ているので“小天安門”と呼ばれています。でも、歴史はこちらの方が古く宋代のものです」と話していたような気がします。でも宋代となると西夏時代のものとなりますが・・・どうでしょうか。入場券の説明には“始建年代不詳”とありました。清の乾隆帝の時代に地震で倒壊、再建後、辛亥革命時に消失、1917年再々建されたそうです。 -
北京の天安門に似ているのは確かです。
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金額ははっきり覚えていませんが、10元ほどの入場料で上ることができます。
“南門”上から眺める中山南街 -
反対側の眺め
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“南門”から1kmもない“南関清真大寺”
“寧夏回族自治区で最大級のモスクで、同自治区内の回教徒の中心的活動拠点となっている。創建は明代末。文化大革命で破壊されたが、1981年に再建され、現存のアラビア風建築の建物となった。門は白い壁に金色のアラビア文字と緑の屋根が映えて美しい。敷地内には庭と噴水やイスラム文化を紹介する資料室があり観覧できる。”【歩き方より】
“寧夏回族自治区”の回族とは、“中国の少数民族の一つで、中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団である。回族とされる人々は、言語・形質等は漢民族(漢族)と同じだが、イスラム教(イスラーム)を信仰する。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は2000年の時点で約980万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める”【ウィキペディア】とのことで、その起源は、“対外交易が盛んであった唐から元の時代に、中央アジアやインド洋を経由して渡ってきたアラブ系・ペルシア系の外来ムスリムと、彼らと通婚し改宗した在来の中国人(主に漢族)にあると言われている”【同上】とのことです。 -
寧夏回族自治区は、回族が自治区人口の三分の一を占め、残りは殆どが漢族です。ただ、回族とはいっても長年の混血で外見上は漢族と見分けがつきません。
銀川の街を歩いていても、イスラムを感じるのは“南関清真大寺”のようなモスクの存在ぐらいで、たまにムスリム特有の帽子を被った老人を見かける程度です。
完全に漢族・漢文化と同化している点で、同じムスリムでも、これから向かう新疆のウイグル族などとは大きく異なります。
中に入れるとのことですが、一般にモスクは仏教寺院のように仏像などがある訳でもなく、今回は時間の都合もあり外から眺めるだけにしました。 -
“南関清真大寺”からタクシーで“承天寺塔”に向かいます。(タクシーは基本料金5元、近場はこの金額で行けます)
“西塔”とも呼ばれる“承天寺塔”は創建は11世紀の西夏時代ですが、清代に地震で倒壊し、現在の塔は1820年に再建されたものです。
塔は八角11層で、高さは64.5m。塔に上がると市内が一望できるとのことですが、月曜日はお休みということで入れませんでした。
このほか、銀川北郊外に海宝塔という仏塔もありますが、時間的にパス。
以上、ザザッと市内を回り、タクシーでホテルにもどり、バッグを受け取り再びタクシーでリムジンバスの出ている民航大厦へ。丁度リムジン(らしきバス 切符を売る若い女性に訊いても“エアポート”という言葉も通じません。両手を広げて飛行機の真似をしたら、うなずいてくれましたし、車体にエアポートと書いてあるのできっと空港へ行くのでしょう)が出るところで、空港へ移動(10元)。このあたり、私にしては珍しくトラブルもなくスムーズに運びました。
昼過ぎのフライトでウルムチに飛び、更にバスでトルファンまで一気に移動します。
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