武漢旅行記(ブログ) 一覧に戻る
武漢大学には桜の見物に行ったのですが、残念ながら開花前でした。<br />そのせいもあって?学生たちの生活の場の端っこの部分を、それもちょっとだけ覗いてしまいました(~o~) 中国的な生活感覚が若干感じられるかな?という印象でしたね。<br /><br />しかし、私が身近にみる中国からの留学生の勉学姿勢はとても意欲的で、日本の学生に見習って欲しいものがあるように思います。そんな留学生の姿を見ていますと、武漢大学をホンのちょっと管見しただけで、中国の教育を決めつけてはいけないですね。<br /><br />さて、武漢大学の桜を見た後、武漢で一番といわれる観光ポイントの「黄鶴楼」へやってきました。<br />バスで移動中に中国人ガイドさんから、「仙人が人の良い飲み屋の壁に黄色の鶴を描いて商売を繁盛させ、飲み屋のおじさんが感謝の気持ちを込めて黄鶴楼を作った」との謂われを聞いてきました。飲み屋のおじさんが作った程度の建物なら、そんなに大きな建物でもなかろうと思っていました。<br />庶民なら誰でも夢見そうな話に引かれて行った黄鶴楼は、想像を超える大きなもので、本当に大きい!!ビックリしましたね。<br /><br />黄鶴楼は蛇山と言う名のちょっとした高台にありましたので、見晴らしも良く、武漢の街を眺めるにも良いところでした。<br /><br />それでは、武漢訪問の後半を順次ご紹介したいと思います。<br /><br />※本文内にGoogle mapのアドレスがある場合、それをクリックされてから右上の「航空写真」をクリックされて覧下さい(「地図」ですと、位置がズレます)。

桂林・漓江下りと長江クルーズ(その16・黄鶴楼)

40いいね!

2011/03/06 - 2011/03/19

12位(同エリア213件中)

6

128

カメちゃん

カメちゃんさん

武漢大学には桜の見物に行ったのですが、残念ながら開花前でした。
そのせいもあって?学生たちの生活の場の端っこの部分を、それもちょっとだけ覗いてしまいました(~o~) 中国的な生活感覚が若干感じられるかな?という印象でしたね。

しかし、私が身近にみる中国からの留学生の勉学姿勢はとても意欲的で、日本の学生に見習って欲しいものがあるように思います。そんな留学生の姿を見ていますと、武漢大学をホンのちょっと管見しただけで、中国の教育を決めつけてはいけないですね。

さて、武漢大学の桜を見た後、武漢で一番といわれる観光ポイントの「黄鶴楼」へやってきました。
バスで移動中に中国人ガイドさんから、「仙人が人の良い飲み屋の壁に黄色の鶴を描いて商売を繁盛させ、飲み屋のおじさんが感謝の気持ちを込めて黄鶴楼を作った」との謂われを聞いてきました。飲み屋のおじさんが作った程度の建物なら、そんなに大きな建物でもなかろうと思っていました。
庶民なら誰でも夢見そうな話に引かれて行った黄鶴楼は、想像を超える大きなもので、本当に大きい!!ビックリしましたね。

黄鶴楼は蛇山と言う名のちょっとした高台にありましたので、見晴らしも良く、武漢の街を眺めるにも良いところでした。

それでは、武漢訪問の後半を順次ご紹介したいと思います。

※本文内にGoogle mapのアドレスがある場合、それをクリックされてから右上の「航空写真」をクリックされて覧下さい(「地図」ですと、位置がズレます)。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • 正面に高い大きな塔が見えてきました。<br />ひょっとして、あれが黄鶴楼なのかも知れない?と思いました。<br /><br />思っていたより大きいようですね。

    正面に高い大きな塔が見えてきました。
    ひょっとして、あれが黄鶴楼なのかも知れない?と思いました。

    思っていたより大きいようですね。

  • 黄鶴古肆(こうかくこし)を通り過ぎたところに、「&#40517;池」という池があって、見事な庭園になっていました。<br />このあたりは「&#40517;池&#22253;林」と言われるところのようで、風景が水面に映る庭造りはとても良い感じですね。

    黄鶴古肆(こうかくこし)を通り過ぎたところに、「鹅池」という池があって、見事な庭園になっていました。
    このあたりは「鹅池园林」と言われるところのようで、風景が水面に映る庭造りはとても良い感じですね。

  • 池の中の奇妙な形をした石も、荊州博物館で見ました。<br /><br />それが、珍しい石だとは思いましたが、日本の庭園ではあまり見たことがないような気がします(もっとも、それほどたくさんの庭園を見たわけでもないですが)。<br /><br />これを、ガイドさんに聞いてみると、「太湖石」というのです。調べてみますと、上海市中心部からおよそ100Km西の方にある「太湖」で採れる石とのことです。<br /><br />★↓はGoogle mapでみた「太湖」です・<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=31.174035,120.585251&amp;spn=0.64154,1.254501<br />★↓は太湖石の説明です。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%B9%96%E7%9F%B3 <br />★↓は「太湖石」を配置した豫園の庭園です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12966181/src.html

    池の中の奇妙な形をした石も、荊州博物館で見ました。

    それが、珍しい石だとは思いましたが、日本の庭園ではあまり見たことがないような気がします(もっとも、それほどたくさんの庭園を見たわけでもないですが)。

    これを、ガイドさんに聞いてみると、「太湖石」というのです。調べてみますと、上海市中心部からおよそ100Km西の方にある「太湖」で採れる石とのことです。

    ★↓はGoogle mapでみた「太湖」です・
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=31.174035,120.585251&spn=0.64154,1.254501
    ★↓は太湖石の説明です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%B9%96%E7%9F%B3 
    ★↓は「太湖石」を配置した豫園の庭園です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12966181/src.html

  • 風景を水に映す美的感覚は、中国ならではの伝統ですね。<br />そういう点では日本の庭園も、四国・高松の栗林公園など素晴らしいものがありますよね。<br />上に見えるのは白雲閣です。<br /><br />★↓は栗林公園です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23789207/src.html

    風景を水に映す美的感覚は、中国ならではの伝統ですね。
    そういう点では日本の庭園も、四国・高松の栗林公園など素晴らしいものがありますよね。
    上に見えるのは白雲閣です。

    ★↓は栗林公園です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23789207/src.html

  • 「&#40517;池&#22253;林」の黄鶴楼側の出入り口に向かっていますけど、例の提灯が気になって撮影してみました。<br />というのも、あの提灯に積もっている「ほこり」に注目してしまったのです。<br />「やっぱり、ほこりが積もっている・・」<br /><br />よその国に来てこんなところに目を向けるなんて、私は本当にイヤな人間ですね〜(=_=)<br />でも、これもその国・その国の生活文化の表れですから、やっぱり大事なことなんだと(?_?) 自分に言い訳しているんですよ(-_-;)

    「鹅池园林」の黄鶴楼側の出入り口に向かっていますけど、例の提灯が気になって撮影してみました。
    というのも、あの提灯に積もっている「ほこり」に注目してしまったのです。
    「やっぱり、ほこりが積もっている・・」

    よその国に来てこんなところに目を向けるなんて、私は本当にイヤな人間ですね〜(=_=)
    でも、これもその国・その国の生活文化の表れですから、やっぱり大事なことなんだと(?_?) 自分に言い訳しているんですよ(-_-;)

  • 黄鶴楼に向かう道の脇にあった太湖石です。<br /><br />石がこんな風になってしまうなんて、可哀想にも思えてきます(T_T)<br />長いことイジメられて、耐えてきたんですね〜(-_-;)<br />カカア天下でイジメられてきた私も、心はこんな形をしてるかも??だよ〜〜(/_;)

    黄鶴楼に向かう道の脇にあった太湖石です。

    石がこんな風になってしまうなんて、可哀想にも思えてきます(T_T)
    長いことイジメられて、耐えてきたんですね〜(-_-;)
    カカア天下でイジメられてきた私も、心はこんな形をしてるかも??だよ〜〜(/_;)

  • ちょっと間、木のないところから見えた武漢の街の様子です。<br />武漢の街と言っても、ここは「武昌」側(長江の南側の街)です。<br /><br />もうちょっとだけ、綺麗にならないかと感じてしまう光景です。<br />私たちがかつて住んでいた社宅(4階建てのアパート)も、壁の色の艶がなくなってくると、業者がきてペンキで化粧直しをしていたモンですけどね。

    ちょっと間、木のないところから見えた武漢の街の様子です。
    武漢の街と言っても、ここは「武昌」側(長江の南側の街)です。

    もうちょっとだけ、綺麗にならないかと感じてしまう光景です。
    私たちがかつて住んでいた社宅(4階建てのアパート)も、壁の色の艶がなくなってくると、業者がきてペンキで化粧直しをしていたモンですけどね。

  • 黄鶴楼がすぐそこに見えてきました。とっても大きいですね。<br /><br />「おかあさん、これが黄鶴楼だよ」<br />また、要らぬことを言ってしまいました(-_-;)<br />亭主の皆さん、気をつけましょう(^_^;)<br /><br />あの高い所には「楚天極目」「南維高拱」と書いた額があります。その意味は分からないのですけど、「楚天極目」の「極目(きょくもく)」は“見渡す限り”という意味があるとのことです。<br />「南維高拱」の「高拱」は人物名のような気がするのですが、確かなことは分かりません。<br />「楚天極目」「南維高拱」などの意味をご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。

    黄鶴楼がすぐそこに見えてきました。とっても大きいですね。

    「おかあさん、これが黄鶴楼だよ」
    また、要らぬことを言ってしまいました(-_-;)
    亭主の皆さん、気をつけましょう(^_^;)

    あの高い所には「楚天極目」「南維高拱」と書いた額があります。その意味は分からないのですけど、「楚天極目」の「極目(きょくもく)」は“見渡す限り”という意味があるとのことです。
    「南維高拱」の「高拱」は人物名のような気がするのですが、確かなことは分かりません。
    「楚天極目」「南維高拱」などの意味をご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。

  • これも道沿いにあった太湖石です。<br /><br />スゴイ形ですね〜。

    これも道沿いにあった太湖石です。

    スゴイ形ですね〜。

  • 漸く黄鶴楼の全容が見えました。          <br />5階建ての堂々たる容姿は貫禄充分です!!<br />高さが51mもあるというのですから、10〜12階建てのビルに相当するでしょうか?<br /><br />あの高い所には、黄鶴楼の大きな額が誇らしげにも見えますね。<br />一階の正面には、「気呑雲夢」の額が見えます。「雲夢(うんぼう)」とは、長江中流域(三峡ダムから武漢に至る範囲)を指すようで、この地域を飲み込んでやろうという意気込みが表されているというらしいです。とにかく威勢の良い言葉のようですね。<br /><br />そして、黄鶴楼下の広場の正面(写真の下の方です)には、黄鶴楼の名前の由来となる鶴の像ががあります。<br /><br />★↓は黄鶴楼の場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.546933,114.297016&amp;spn=0.005045,0.005155&amp;iwloc=0004ac69c9a36cd413705

    漸く黄鶴楼の全容が見えました。
    5階建ての堂々たる容姿は貫禄充分です!!
    高さが51mもあるというのですから、10〜12階建てのビルに相当するでしょうか?

    あの高い所には、黄鶴楼の大きな額が誇らしげにも見えますね。
    一階の正面には、「気呑雲夢」の額が見えます。「雲夢(うんぼう)」とは、長江中流域(三峡ダムから武漢に至る範囲)を指すようで、この地域を飲み込んでやろうという意気込みが表されているというらしいです。とにかく威勢の良い言葉のようですね。

    そして、黄鶴楼下の広場の正面(写真の下の方です)には、黄鶴楼の名前の由来となる鶴の像ががあります。

    ★↓は黄鶴楼の場所です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.546933,114.297016&spn=0.005045,0.005155&iwloc=0004ac69c9a36cd413705

  • ↑の写真の鶴ですが、なんと!!夫婦?で亀の上に乗っているんですね〜(-_-;)<br />それも、私の大嫌いなヘビまで乗っている(&gt;_&lt;)<br /><br />この亀は私の祖先なんですけどね、とっても辛そうな顔をしていますね。<br />ご先祖様がこんなに辛い思いをしていたなんて、ホントに泣けてきますよ〜(T_T)<br />私もカミさんの尻に敷かれて、耐え抜いている(&gt;_&lt;) やっぱり血筋なんでしょうかね?(*_*)<br /><br />この大きい方の鶴は右足を怪我しているのでしょうか?<br />ちょっと浮かして、ヘビの頭の上に乗せていますよ(^o^)

    ↑の写真の鶴ですが、なんと!!夫婦?で亀の上に乗っているんですね〜(-_-;)
    それも、私の大嫌いなヘビまで乗っている(>_<)

    この亀は私の祖先なんですけどね、とっても辛そうな顔をしていますね。
    ご先祖様がこんなに辛い思いをしていたなんて、ホントに泣けてきますよ〜(T_T)
    私もカミさんの尻に敷かれて、耐え抜いている(>_<) やっぱり血筋なんでしょうかね?(*_*)

    この大きい方の鶴は右足を怪我しているのでしょうか?
    ちょっと浮かして、ヘビの頭の上に乗せていますよ(^o^)

  • 黄鶴楼の前(西の方向)の広場です。そして、この写真の奥の方が「正門」側になるようです。<br /><br />真ん中の広場(参道? 道?)を挟んで両側に建物を配置する造り方は、石宝寨の端を渡る前の広場の造り方と似ています。中国流なんでしょうかね。

    黄鶴楼の前(西の方向)の広場です。そして、この写真の奥の方が「正門」側になるようです。

    真ん中の広場(参道? 道?)を挟んで両側に建物を配置する造り方は、石宝寨の端を渡る前の広場の造り方と似ています。中国流なんでしょうかね。

  • ↑の写真で真ん中に見えた牌楼(牌楼=中国風の門)に前にやってきました。<br /><br />中国の高速道路のゲートには、これを横に長〜く引き延ばしたような形をしたものがチョクチョク見られますね。<br /><br />それはさておき、牌楼の正面には「江山入画」と書いてあります。<br />その意味はハッキリとは分かりかねますが、「江山」とは“山河”とか“国土”のことのようで、「入画」とは“絵になる”という意味のようですので、そこから察しますと「美しい眺め」というような意味にでもなるのでしょうか。<br /><br />牌楼の向こう(写真中央)にある丸くて白い塔は、「勝象宝塔」といわれるものです。<br />これはチベット仏教などの地域で見られるパゴダのようです。これは、基本的には中国の仏塔や日本の五重塔と同様の意味を持っているとのことです。<br />ということは、この黄鶴楼は仏教との関わりがあるということでしょうか?そのあたりの詳しいことは分かりません(-_-)<br /><br />★↓は東京のパゴダです。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/18538267/src.html

    ↑の写真で真ん中に見えた牌楼(牌楼=中国風の門)に前にやってきました。

    中国の高速道路のゲートには、これを横に長〜く引き延ばしたような形をしたものがチョクチョク見られますね。

    それはさておき、牌楼の正面には「江山入画」と書いてあります。
    その意味はハッキリとは分かりかねますが、「江山」とは“山河”とか“国土”のことのようで、「入画」とは“絵になる”という意味のようですので、そこから察しますと「美しい眺め」というような意味にでもなるのでしょうか。

    牌楼の向こう(写真中央)にある丸くて白い塔は、「勝象宝塔」といわれるものです。
    これはチベット仏教などの地域で見られるパゴダのようです。これは、基本的には中国の仏塔や日本の五重塔と同様の意味を持っているとのことです。
    ということは、この黄鶴楼は仏教との関わりがあるということでしょうか?そのあたりの詳しいことは分かりません(-_-)

    ★↓は東京のパゴダです。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/18538267/src.html

  • ↑の写真の大牌楼の右手前にある建物は「雲衢(うんく)軒」です。<br /><br />雲衢(うんく)というのは、「雲が往来する空の通路とか、雲の通い路」という意味らしいです。<br />土産物でも売っているのでしょうか? 覗いてみなかったので分かりませんでした(&gt;_&lt;)

    ↑の写真の大牌楼の右手前にある建物は「雲衢(うんく)軒」です。

    雲衢(うんく)というのは、「雲が往来する空の通路とか、雲の通い路」という意味らしいです。
    土産物でも売っているのでしょうか? 覗いてみなかったので分かりませんでした(>_<)

  • 「雲衢軒」と対称側にある「凝翠軒」です。<br /><br />4隅の下がり棟の先端がギュイーンと反り返っている様子に、またもや中国らしさを感じましたね。

    「雲衢軒」と対称側にある「凝翠軒」です。

    4隅の下がり棟の先端がギュイーンと反り返っている様子に、またもや中国らしさを感じましたね。

  • 雲衢亭の手前(黄鶴楼寄り)にある「攬虹亭」です。<br /><br />「攬虹亭」なんて、名前が良いですね。<br />漢字世界の良いところでしょうか?

    雲衢亭の手前(黄鶴楼寄り)にある「攬虹亭」です。

    「攬虹亭」なんて、名前が良いですね。
    漢字世界の良いところでしょうか?

  • 凝翠亭の手前(黄鶴楼寄り)にある「瞰川亭」です。<br /><br />「瞰川亭」もいい名前だと思います!(^^)!<br />こういう場所を借り切って、皆さんとランチ又はディナーがやれたら最高ですけどね。

    凝翠亭の手前(黄鶴楼寄り)にある「瞰川亭」です。

    「瞰川亭」もいい名前だと思います!(^^)!
    こういう場所を借り切って、皆さんとランチ又はディナーがやれたら最高ですけどね。

  • 上記の建物の位置は、この地図で確認して下さいね。

    上記の建物の位置は、この地図で確認して下さいね。

  • それじゃあ、ここで記念写真といきましょうか(^O^)<br /><br />「おかあさん 撮るよ〜(^_-)」<br />旅先では、こんなことばっかりやっておるのであります。<br /><br />前にも申し上げたかと思いますが、「おかあさん」をあんまり言いすぎますと“男の価値”が下がりますから、気をつけて下さいね。<br />まぁ、「おかあさん」と呼ぶのは、せいぜい一日10回くらいには抑えたいモンですね。<br />そう、男のコケンに関わりますからね!! 皆さんの日頃の感覚では、如何でしょうか?<br />ところで、「男のコケン」というのはどこにあるのでしょうか??<br /><br /><br />それはさておき、ガイドさんのお話をもう少し丁寧にご紹介しますと、黄鶴楼という名前の由来は、<br />「辛氏という人がやっていた酒屋へきた仙人に酒を振る舞ったけど、半年も飲み続けられた上に「カネがない」と言われて、その代わりにと“黄色の鶴”の絵を壁に描いて去ったのです。ところが、その鶴が客の手拍子に合わせて踊るいうので評判になり、辛氏の酒屋は大繁盛してたちまち百万長者になったとか。<br />ある日、その仙人が現れて笛を吹くと、鶴が壁から抜け出して仙人を乗せて飛び去ったというのです。辛氏は感謝の気持ちを込めて楼閣を建て、黄鶴楼と名付けた」<br />ということでした。<br /><br />まぁ、それにしてもかなり儲かったモンだね(^o^)<br /><br />そういうことなら、我が家にも黄色の鶴を描いてもらえんモンかと思いますが、そんな人が来てくれる様子は全然ないですね(=_=)

    それじゃあ、ここで記念写真といきましょうか(^O^)

    「おかあさん 撮るよ〜(^_-)」
    旅先では、こんなことばっかりやっておるのであります。

    前にも申し上げたかと思いますが、「おかあさん」をあんまり言いすぎますと“男の価値”が下がりますから、気をつけて下さいね。
    まぁ、「おかあさん」と呼ぶのは、せいぜい一日10回くらいには抑えたいモンですね。
    そう、男のコケンに関わりますからね!! 皆さんの日頃の感覚では、如何でしょうか?
    ところで、「男のコケン」というのはどこにあるのでしょうか??


    それはさておき、ガイドさんのお話をもう少し丁寧にご紹介しますと、黄鶴楼という名前の由来は、
    「辛氏という人がやっていた酒屋へきた仙人に酒を振る舞ったけど、半年も飲み続けられた上に「カネがない」と言われて、その代わりにと“黄色の鶴”の絵を壁に描いて去ったのです。ところが、その鶴が客の手拍子に合わせて踊るいうので評判になり、辛氏の酒屋は大繁盛してたちまち百万長者になったとか。
    ある日、その仙人が現れて笛を吹くと、鶴が壁から抜け出して仙人を乗せて飛び去ったというのです。辛氏は感謝の気持ちを込めて楼閣を建て、黄鶴楼と名付けた」
    ということでした。

    まぁ、それにしてもかなり儲かったモンだね(^o^)

    そういうことなら、我が家にも黄色の鶴を描いてもらえんモンかと思いますが、そんな人が来てくれる様子は全然ないですね(=_=)

  • 黄鶴楼の中に入りました。<br />まず、目に飛び込んだのがこれ!!<br /><br />「おかあさん!鶴が飛んでるよ(^^)」<br /><br />これはもう、黄鶴楼の名をそのまま表したような絵ですね。<br />絵と言っても、「白雲黄鶴」という立派なタイル画ですよ!!<br />このタイル画は、上の故事の最後の部分の「鶴が飛んでいく場面」を描いたものでしょうね。<br /><br />見ていると、幻想的な感じに引き込まれてしまいますが、下の動画もそんな感じにさせてくれます。<br />http://www.youtube.com/watch?v=t_E6nG-SnNw&amp;feature=related

    黄鶴楼の中に入りました。
    まず、目に飛び込んだのがこれ!!

    「おかあさん!鶴が飛んでるよ(^^)」

    これはもう、黄鶴楼の名をそのまま表したような絵ですね。
    絵と言っても、「白雲黄鶴」という立派なタイル画ですよ!!
    このタイル画は、上の故事の最後の部分の「鶴が飛んでいく場面」を描いたものでしょうね。

    見ていると、幻想的な感じに引き込まれてしまいますが、下の動画もそんな感じにさせてくれます。
    http://www.youtube.com/watch?v=t_E6nG-SnNw&feature=related

  • 天井の青いところにも、たくさんの鶴が描かれています。

    天井の青いところにも、たくさんの鶴が描かれています。

  • ここでは、黄鶴楼の成り立ちについての説明を聞いているところです。<br />私はゆっくり聞く間もなく、次へと行ってしまいましたね。<br /><br />写真の上の方に「水光山色」と大書してある額がありました。昔から自然を愛でる風習のあるところは、私たち東洋人のいいところですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    ここでは、黄鶴楼の成り立ちについての説明を聞いているところです。
    私はゆっくり聞く間もなく、次へと行ってしまいましたね。

    写真の上の方に「水光山色」と大書してある額がありました。昔から自然を愛でる風習のあるところは、私たち東洋人のいいところですね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • ↑の写真の文字部分を拡大したんですけど、一部が光ってしまって見にくくなってしまいました(-_-;)<br /><br />ここに書いてある黄鶴楼の名前の由来ですが、漢文が読めないので武漢市経済技術開発区のホームページほかの説明を借りれば、呉の孫権によって黄鶴楼が建てられたのは呉国の黄武2年(西暦223年)で、1700余年の歴史があると言うことです。<br />この蛇山には夏口城が建設され、その川岸の黄鵠(こうこく)磯に見張り用の楼閣を建てたとのことです。これが現在の黄鶴楼の始まりで、当初は“敵の行動を見張る”という軍事目的のために建設されたのですね。<br /><br />ですから、当初は「黄“鵠”楼」と言われていたはずで、ずっと後になって“&#40516;”と“鶴”が通じ合うことから「黄“鶴”楼」と名付けられたというのです。これが本来の歴史的・地理的な地名に基づく説明のようです。<br /><br />従って、上にご紹介した仙人が描いた鶴の話は、その後に作られた話のようです。黄鶴楼は時代の移り変わりと共に軍事目的から憩いの場に変わってようで、むしろ仙人の鶴の話の方が適してきたのかも知れません。世界のどこでも、どの時代でも、人々はそうして夢を作り楽しんできたのですね。<br /><br />現在の黄鶴楼は、1985年に19世紀の姿に合わせて鉄筋コンクリートで再建されたそうです。場所も川沿いから現在の位置(蛇山の眺望の良いところ)に変わっているようです。

    ↑の写真の文字部分を拡大したんですけど、一部が光ってしまって見にくくなってしまいました(-_-;)

    ここに書いてある黄鶴楼の名前の由来ですが、漢文が読めないので武漢市経済技術開発区のホームページほかの説明を借りれば、呉の孫権によって黄鶴楼が建てられたのは呉国の黄武2年(西暦223年)で、1700余年の歴史があると言うことです。
    この蛇山には夏口城が建設され、その川岸の黄鵠(こうこく)磯に見張り用の楼閣を建てたとのことです。これが現在の黄鶴楼の始まりで、当初は“敵の行動を見張る”という軍事目的のために建設されたのですね。

    ですから、当初は「黄“鵠”楼」と言われていたはずで、ずっと後になって“鹄”と“鶴”が通じ合うことから「黄“鶴”楼」と名付けられたというのです。これが本来の歴史的・地理的な地名に基づく説明のようです。

    従って、上にご紹介した仙人が描いた鶴の話は、その後に作られた話のようです。黄鶴楼は時代の移り変わりと共に軍事目的から憩いの場に変わってようで、むしろ仙人の鶴の話の方が適してきたのかも知れません。世界のどこでも、どの時代でも、人々はそうして夢を作り楽しんできたのですね。

    現在の黄鶴楼は、1985年に19世紀の姿に合わせて鉄筋コンクリートで再建されたそうです。場所も川沿いから現在の位置(蛇山の眺望の良いところ)に変わっているようです。

  • この絵はハチャメチャの感じがしますけど、長江の流れを表現しているとのことです。<br />説明もあんまり聞いてなかったので、詳しいことは分かりません。

    この絵はハチャメチャの感じがしますけど、長江の流れを表現しているとのことです。
    説明もあんまり聞いてなかったので、詳しいことは分かりません。

  • これは↑の図の下に置いてあったものです。<br /><br />大勢の人の乗っている船が波に洗われている様子なのでしょうか?<br />よく見ると、人だけでなくて象も馬も一緒ですね(^o^) それも、波に洗われながら笛を吹いたり、テーブルを囲んで楽しんだり、男女で会話していたりと、皆が楽しんでいるようですね。<br /><br />これらの人々を数えると、8人います。ひょっとして8仙人なんて根拠もなく勘ぐってしまいますが、彼らが荒波をものともせず動物たちも楽しんでいるところ見ると、そうかも知れませんね。<br /><br />これが、昔のものを複製したにせよ、現代の作家が作ったものにせよ、ヨーロッパのものとは大変な違いがあることに気がつきます。<br /><br />★↓は中国の八仙(8仙人)です。船の形もよく似ていますね。<br />http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:WnyPnjakkGcJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%99+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%EF%BC%98%E4%BB%99%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%88%B9&amp;cd=4&amp;hl=ja&amp;ct=clnk&amp;gl=jp<br />★コブレンツの「歴史の塔」で船を漕ぐ人たち<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19609233/src.html <br />★トリーアで見たローマ時代のワイン運搬船です<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19730392/src.html

    これは↑の図の下に置いてあったものです。

    大勢の人の乗っている船が波に洗われている様子なのでしょうか?
    よく見ると、人だけでなくて象も馬も一緒ですね(^o^) それも、波に洗われながら笛を吹いたり、テーブルを囲んで楽しんだり、男女で会話していたりと、皆が楽しんでいるようですね。

    これらの人々を数えると、8人います。ひょっとして8仙人なんて根拠もなく勘ぐってしまいますが、彼らが荒波をものともせず動物たちも楽しんでいるところ見ると、そうかも知れませんね。

    これが、昔のものを複製したにせよ、現代の作家が作ったものにせよ、ヨーロッパのものとは大変な違いがあることに気がつきます。

    ★↓は中国の八仙(8仙人)です。船の形もよく似ていますね。
    http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:WnyPnjakkGcJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%99+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%EF%BC%98%E4%BB%99%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%88%B9&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
    ★コブレンツの「歴史の塔」で船を漕ぐ人たち
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19609233/src.html 
    ★トリーアで見たローマ時代のワイン運搬船です
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19730392/src.html

  • やはり↑の図の下に置いてあった一対の「黄鶴帰来」像ですが、これは桂林の独秀峰にあった「玄武」のようですね。<br /><br />そこでは、玄武は亀と蛇が一体となった神獣で、天球の北の方角の守り神だとお話ししました。しかし、どうして亀と私の大嫌いな蛇なのか?? それは、未だによく分かりません。<br /><br />亀と蛇との関わりの始めは、インドの神話にあるという説もあります。「亀の中国思想史」によれば、古代の神々が不老の薬と言われる甘露を作るために大海を攪拌しようとし、亀の背に乗った半球の大きな山に蛇神を巻き付け、その両端を引っ張って攪拌に成功したというのです。この時、亀と蛇との出会いがあったという説です。<br /><br />また、「亀の中国思想史」の記事で、古代インドの宇宙観では台地を支えるのは大きなウミガメであると考えられ、そのウミガメに乗った台地と宇宙を丸ごと取り巻いているのが蛇なんですね。 <br />別の話では、亀と蛇とを雌雄の関係とみる思想が古代中国には成立していたという話もあります(これは、たまたま亀と蛇が絡み合っていた場面を見たことが元になっていたとも言われています⇒これは亀が蛇を補食するという考え方とも絡み合っているようです)。 玄武にみられる亀と蛇との因縁は他にも多々ありますが、現在でも解明し尽くされていないようですね。<br /><br />★↓は桂林の独秀峰での写真です。座像の足元に玄武像があります。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22092756/src.html

    やはり↑の図の下に置いてあった一対の「黄鶴帰来」像ですが、これは桂林の独秀峰にあった「玄武」のようですね。

    そこでは、玄武は亀と蛇が一体となった神獣で、天球の北の方角の守り神だとお話ししました。しかし、どうして亀と私の大嫌いな蛇なのか?? それは、未だによく分かりません。

    亀と蛇との関わりの始めは、インドの神話にあるという説もあります。「亀の中国思想史」によれば、古代の神々が不老の薬と言われる甘露を作るために大海を攪拌しようとし、亀の背に乗った半球の大きな山に蛇神を巻き付け、その両端を引っ張って攪拌に成功したというのです。この時、亀と蛇との出会いがあったという説です。

    また、「亀の中国思想史」の記事で、古代インドの宇宙観では台地を支えるのは大きなウミガメであると考えられ、そのウミガメに乗った台地と宇宙を丸ごと取り巻いているのが蛇なんですね。 
    別の話では、亀と蛇とを雌雄の関係とみる思想が古代中国には成立していたという話もあります(これは、たまたま亀と蛇が絡み合っていた場面を見たことが元になっていたとも言われています⇒これは亀が蛇を補食するという考え方とも絡み合っているようです)。 玄武にみられる亀と蛇との因縁は他にも多々ありますが、現在でも解明し尽くされていないようですね。

    ★↓は桂林の独秀峰での写真です。座像の足元に玄武像があります。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22092756/src.html

  • こういう話になるとついのめり込んでしまいますが、この鶴は「丹頂鶴」なんですね。<br />↑のタイル画ですと、ここの鶴の胴と羽根は黄色なんです。要するに「黄鶴」なんです。<br /><br />頭の上に黄色い冠状の毛のある鶴は見られますが、「黄色の鶴」ってのはあんまり聞かないですね。なのに、どうして黄色なのか?<br />それがね、中国では「黄色」は「“尊い色”だから」ということのようです。<br />神(天)から与えられた権力を象徴し且つ、神聖で尊ぶべき色が黄色だというのですよ。ですから、一般の人が建物に黄色を塗ることは禁じられていたというのです。皇帝や皇室の大事なものは、黄色の布で包むとかしたそうです。<br />黄鶴は「神」とされていますから、皇帝の色の黄色を自らの色としたのですね。<br /><br />黄色は仏教とも関係のある色でしたので、お寺さんは黄色が使われていましたね。お坊さんの着るものも黄色のものがあります。杭州の「霊隠寺」のお坊さんは、黄色の着物の上に赤い袈裟をかけていましたね。<br /><br />黄色の丹頂鶴は、武漢の黄鶴楼の鶴だけでしょうか?<br />他の場所でご覧になった方がおられたら、教えて下さいね。<br /><br />そうそう、当家のカミさんにも「黄色のドレス」なんかを着せてみたいものですね(^^)<br /><br />★↓は桂林の「靖江王府」門です。黄色ですね。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22090794/src.html<br />★↓は「霊隠寺」のお坊さんです。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12996260/src.html

    こういう話になるとついのめり込んでしまいますが、この鶴は「丹頂鶴」なんですね。
    ↑のタイル画ですと、ここの鶴の胴と羽根は黄色なんです。要するに「黄鶴」なんです。

    頭の上に黄色い冠状の毛のある鶴は見られますが、「黄色の鶴」ってのはあんまり聞かないですね。なのに、どうして黄色なのか?
    それがね、中国では「黄色」は「“尊い色”だから」ということのようです。
    神(天)から与えられた権力を象徴し且つ、神聖で尊ぶべき色が黄色だというのですよ。ですから、一般の人が建物に黄色を塗ることは禁じられていたというのです。皇帝や皇室の大事なものは、黄色の布で包むとかしたそうです。
    黄鶴は「神」とされていますから、皇帝の色の黄色を自らの色としたのですね。

    黄色は仏教とも関係のある色でしたので、お寺さんは黄色が使われていましたね。お坊さんの着るものも黄色のものがあります。杭州の「霊隠寺」のお坊さんは、黄色の着物の上に赤い袈裟をかけていましたね。

    黄色の丹頂鶴は、武漢の黄鶴楼の鶴だけでしょうか?
    他の場所でご覧になった方がおられたら、教えて下さいね。

    そうそう、当家のカミさんにも「黄色のドレス」なんかを着せてみたいものですね(^^)

    ★↓は桂林の「靖江王府」門です。黄色ですね。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22090794/src.html
    ★↓は「霊隠寺」のお坊さんです。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12996260/src.html

  • そいじゃあ、記念写真といきますか(^o^)<br /><br />どういう絵なのか分かりませんが、こういう大事なモンを見たら記念の写真を撮りましょう!!(^^)

    そいじゃあ、記念写真といきますか(^o^)

    どういう絵なのか分かりませんが、こういう大事なモンを見たら記念の写真を撮りましょう!!(^^)

  • この絵はなんの絵か??<br /><br />説明盤もなかったような気がしますが、たくさんの楼閣と鶴も描いてあります。<br />黄鶴楼の変遷を描いたもの??とも勘ぐってしまいますが、あくまでも私の勝手な想像です。<br />

    この絵はなんの絵か??

    説明盤もなかったような気がしますが、たくさんの楼閣と鶴も描いてあります。
    黄鶴楼の変遷を描いたもの??とも勘ぐってしまいますが、あくまでも私の勝手な想像です。

  • これもなんの絵なのか分かりませんし、いつ描かれたものなのかも分かりませんが、このような大きな絵(壁画?)が飾ってありました。<br /><br />このような画法が中世の中国にあったのでしょうか?

    これもなんの絵なのか分かりませんし、いつ描かれたものなのかも分かりませんが、このような大きな絵(壁画?)が飾ってありました。

    このような画法が中世の中国にあったのでしょうか?

  • こんな立派な椅子とテーブルがありました。<br /><br />説明がないので、誰が使ったのか分かりません(=_=)<br />我が家の椅子より、ちょっと豪華なのが羨ましいですね。

    こんな立派な椅子とテーブルがありました。

    説明がないので、誰が使ったのか分かりません(=_=)
    我が家の椅子より、ちょっと豪華なのが羨ましいですね。

  • こんな鶴の彫り物もありました。<br /><br />よーく見ると、鶴も平板も横に分割されています。特に鶴などの縦長のものは幾つかに分割されています。<br />歴史的なものかどうかは、ちょっと不明ですね。<br /><br />果たして、いつ頃の作品なのでしょうか?

    こんな鶴の彫り物もありました。

    よーく見ると、鶴も平板も横に分割されています。特に鶴などの縦長のものは幾つかに分割されています。
    歴史的なものかどうかは、ちょっと不明ですね。

    果たして、いつ頃の作品なのでしょうか?

  • これは豪華な置物のようです。<br /><br />上の丸いところには、鳳凰のような尾の長い鳥が2羽彫り込まれています。<br />中段には亀が、その下には何人かの菩薩様のような人がいます。<br /><br />この接待庁という表示が、このような場所にしては面白いです(~o~)

    これは豪華な置物のようです。

    上の丸いところには、鳳凰のような尾の長い鳥が2羽彫り込まれています。
    中段には亀が、その下には何人かの菩薩様のような人がいます。

    この接待庁という表示が、このような場所にしては面白いです(~o~)

  • ここにも立派な椅子が置いてありましたが、説明板はなかったと思います。<br /><br />中央の大きな絵は、昔の黄鶴楼を描いたもののようです。<br />絵であるために、細かいところはかなり端折って描いてあると思いますけど、黄鶴楼の大まかな形からして清代のもののような気がしますが如何でしょうか?<br /><br />この絵のように、昔の黄鶴楼は長江に近かったのですね。<br />この絵も、昔からのものなのか、複製品なのか、最近に描かれたものなのか、説明がないのでサッパリ分かりません(=_=)<br />

    ここにも立派な椅子が置いてありましたが、説明板はなかったと思います。

    中央の大きな絵は、昔の黄鶴楼を描いたもののようです。
    絵であるために、細かいところはかなり端折って描いてあると思いますけど、黄鶴楼の大まかな形からして清代のもののような気がしますが如何でしょうか?

    この絵のように、昔の黄鶴楼は長江に近かったのですね。
    この絵も、昔からのものなのか、複製品なのか、最近に描かれたものなのか、説明がないのでサッパリ分かりません(=_=)

  • さて、模型をもって紹介されている唐代から現代までの六代の黄鶴楼の姿を見てみましょう。<br /><br />先ずは、唐代(618〜907)の黄鶴楼です。<br /><br />黄鶴楼が最初に建設されたのは223年と言われていますから、618年から唐代初期までには、大雑把に言って300年が過ぎています。その間に何かあったかは分かりませんが、少なくとも「唐時代」の黄鶴楼の姿であると言うことですね。<br /><br />この形は荊州城の「東城門」に似ているようにも見えますけど、如何でしょうか。<br /><br />★↓は荊州城の東の見張り台である「東城門」です(表紙の写真)。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10631278/<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    さて、模型をもって紹介されている唐代から現代までの六代の黄鶴楼の姿を見てみましょう。

    先ずは、唐代(618〜907)の黄鶴楼です。

    黄鶴楼が最初に建設されたのは223年と言われていますから、618年から唐代初期までには、大雑把に言って300年が過ぎています。その間に何かあったかは分かりませんが、少なくとも「唐時代」の黄鶴楼の姿であると言うことですね。

    この形は荊州城の「東城門」に似ているようにも見えますけど、如何でしょうか。

    ★↓は荊州城の東の見張り台である「東城門」です(表紙の写真)。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10631278/

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 唐代黄鶴楼の説明です。<br />ご覧下さいね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    唐代黄鶴楼の説明です。
    ご覧下さいね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • これは宋代の黄鶴楼です。<br />最初の建設から宋代初期までが大雑把に言って740年ほどになる頃です。<br /><br />建物群全体がだいぶ賑やかになり、真ん中の黄鶴楼も周りの建物もオシャレな感じになりましたね。<br />半世紀あまり後には呉も滅亡して黄鶴楼の軍事的性格も弱まり、唐代の頃には軍事的性格は殆ど無くなって、「文人墨客」というヒマ人が立ち寄るようになったようです(^o^) <br />彼らは、そこで好きな詩をよんだり壁に書いたりしていたようですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    これは宋代の黄鶴楼です。
    最初の建設から宋代初期までが大雑把に言って740年ほどになる頃です。

    建物群全体がだいぶ賑やかになり、真ん中の黄鶴楼も周りの建物もオシャレな感じになりましたね。
    半世紀あまり後には呉も滅亡して黄鶴楼の軍事的性格も弱まり、唐代の頃には軍事的性格は殆ど無くなって、「文人墨客」というヒマ人が立ち寄るようになったようです(^o^) 
    彼らは、そこで好きな詩をよんだり壁に書いたりしていたようですね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 宋代黄鶴楼の説明です。<br />ご覧下さいね。<br /><br />&#40643;鶴樓がこのように姿を変えていた頃までには、中国ではビックリするような様々な発見や発明が紀元前から続いたのですね。4大発明と言われる「羅針盤、火薬、紙、印刷」は、その典型的なものでした。これらは、その後の世界史を左右するものでしたが、中国では発展しなかったですね。<br /><br />しかし、それが西洋で発展させられた結果としての現在を見ますと、グローバル競争で人々はあえいでいます。 そんな現実を考えますと、世界初の2段ロケットの先端が龍の顔をしていたという、何とも目出度い東洋的な感覚で今に至った方のが良かったのかも?と要らぬ想いを巡らせてしまいますよ(^^;)<br /><br />★↓は「中国の科学技術史」です。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    宋代黄鶴楼の説明です。
    ご覧下さいね。

    黃鶴樓がこのように姿を変えていた頃までには、中国ではビックリするような様々な発見や発明が紀元前から続いたのですね。4大発明と言われる「羅針盤、火薬、紙、印刷」は、その典型的なものでした。これらは、その後の世界史を左右するものでしたが、中国では発展しなかったですね。

    しかし、それが西洋で発展させられた結果としての現在を見ますと、グローバル競争で人々はあえいでいます。 そんな現実を考えますと、世界初の2段ロケットの先端が龍の顔をしていたという、何とも目出度い東洋的な感覚で今に至った方のが良かったのかも?と要らぬ想いを巡らせてしまいますよ(^^;)

    ★↓は「中国の科学技術史」です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 次は元代(1271〜1368)の黄鶴楼です。<br /><br />楼閣の屋根が三重になって、また豪華になっていますね。<br />周囲の建物は宋代より小さくなったかと思いますが、楼閣の右にある四角の高いものは何でしょうかね?<br /><br />この元代というのは、モンゴル族によって支配された時代だったのですが、それでも黄鶴楼の必要性があったのですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    次は元代(1271〜1368)の黄鶴楼です。

    楼閣の屋根が三重になって、また豪華になっていますね。
    周囲の建物は宋代より小さくなったかと思いますが、楼閣の右にある四角の高いものは何でしょうかね?

    この元代というのは、モンゴル族によって支配された時代だったのですが、それでも黄鶴楼の必要性があったのですね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 元代黄鶴楼の説明です。<br /><br />この説明文の中に、あの「四角の高いもの」の説明があるようですが、残念ながら読めません(-_-;)<br /><br />是非、読んでみて下さいね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    元代黄鶴楼の説明です。

    この説明文の中に、あの「四角の高いもの」の説明があるようですが、残念ながら読めません(-_-;)

    是非、読んでみて下さいね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • それから、明代(1368〜1944)の黄鶴楼です。 <br />一代目建設から1150年ほど後に始まった明の時代ですね。<br /><br />中央の楼閣の一階部分が塞がれています。<br />土盛りなのか、建物の外周を塞いだだけなのは分かりません。<br /><br />そして、屋根の真ん中に「宝銅頂」と言われるようなモノが立っています。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    それから、明代(1368〜1944)の黄鶴楼です。
    一代目建設から1150年ほど後に始まった明の時代ですね。

    中央の楼閣の一階部分が塞がれています。
    土盛りなのか、建物の外周を塞いだだけなのは分かりません。

    そして、屋根の真ん中に「宝銅頂」と言われるようなモノが立っています。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 明代黄鶴楼の説明です。<br /><br />ご覧下さいね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    明代黄鶴楼の説明です。

    ご覧下さいね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 清代の黄鶴楼<br />清代(1636〜1912)は北方の女真族(満州族)が支配した時代です。<br /><br />一代目建設から1413年ほど後に始まった清の時代です。<br />この時も、黄鶴楼は必要だったのですね。<br />そして、より豪華になりました(^o^)<br />立派な三階建てで、屋根の飾りも立派そのものです!!<br />「宝銅頂」もちゃんとありますね。<br />軍事的な性格は、全くなくなったと言ってよいのではないでしょうか?<br /><br />★↑で見た図は楼閣の形からして、清代の黄鶴楼ですね。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25170720/src.html<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    清代の黄鶴楼
    清代(1636〜1912)は北方の女真族(満州族)が支配した時代です。

    一代目建設から1413年ほど後に始まった清の時代です。
    この時も、黄鶴楼は必要だったのですね。
    そして、より豪華になりました(^o^)
    立派な三階建てで、屋根の飾りも立派そのものです!!
    「宝銅頂」もちゃんとありますね。
    軍事的な性格は、全くなくなったと言ってよいのではないでしょうか?

    ★↑で見た図は楼閣の形からして、清代の黄鶴楼ですね。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25170720/src.html

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 清代黄鶴楼の説明です。<br /><br />ご覧下さいね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    清代黄鶴楼の説明です。

    ご覧下さいね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • そして、私たちが見てきた現代の黄鶴楼です。<br />1985年に再建されたとか。<br />これまでの黄鶴楼に較べて、最も大きく高いですね。<br />場所は変わっても「史跡」として建設するのであれば、清代のものと同じ形・規模にして欲しかったですね。そうすれば、清代の人々の想いも伝わってこようというものですね。<br /><br />この頃になると、心理的・観光的価値が唯一最大のものになっていますね。だから大きく作ったのでしょうか?? なんといっても、武漢一の観光地といえば、この黄鶴楼と言われていますからね〜(~o~)<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    そして、私たちが見てきた現代の黄鶴楼です。
    1985年に再建されたとか。
    これまでの黄鶴楼に較べて、最も大きく高いですね。
    場所は変わっても「史跡」として建設するのであれば、清代のものと同じ形・規模にして欲しかったですね。そうすれば、清代の人々の想いも伝わってこようというものですね。

    この頃になると、心理的・観光的価値が唯一最大のものになっていますね。だから大きく作ったのでしょうか?? なんといっても、武漢一の観光地といえば、この黄鶴楼と言われていますからね〜(~o~)

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 現代黄鶴楼の説明です。<br />ご覧下さいね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    現代黄鶴楼の説明です。
    ご覧下さいね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 現代黄鶴楼の正門を含めた全景です。<br />手前側が正門側のようです。<br /><br />1884年に破壊されてから100年が過ぎた1985年に、再建・完成したとのことです。<br />私たちは、黄鶴楼の右奥から来たのでした。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    現代黄鶴楼の正門を含めた全景です。
    手前側が正門側のようです。

    1884年に破壊されてから100年が過ぎた1985年に、再建・完成したとのことです。
    私たちは、黄鶴楼の右奥から来たのでした。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • ↑の写真の中の現代黄鶴楼の後ろに掲示してあった「黄鶴楼記」です。<br />読んでみて下さいね。<br /><br />それにしても、最初の建設以来少なくとも6度も修復・再建されるなんて、あんまり聞いたことがないですね。<br />地の利に加え、軍事的にも政治的にも黄鶴楼を必要とする条件が揃ったということですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    ↑の写真の中の現代黄鶴楼の後ろに掲示してあった「黄鶴楼記」です。
    読んでみて下さいね。

    それにしても、最初の建設以来少なくとも6度も修復・再建されるなんて、あんまり聞いたことがないですね。
    地の利に加え、軍事的にも政治的にも黄鶴楼を必要とする条件が揃ったということですね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 黄鶴楼の最上階へやってきました。<br /><br />下に見えるのは黄鶴楼公園の西半分になるところで、先ほどご案内した建物が並んでいます。<br /><br />黄鶴楼から見る眺めは「江山入画」と言われるほどのもののようですが、その景色の一つがこれです。<br />この日はちょっとガスっていたこともあってこんな風景になってしまいました(-_-;) 都市化が進んでしまったために、自然豊かな眺望というわけにはいかないです(=_=)<br /><br />向こうに見える橋は「武漢長江大橋」です。<br />この橋は1957年に完成したとのことで、長さは1180m・高さは80mとのことです。<br />瀬戸大橋のように2階構造になっていて、上には自動車用道路と歩道があり、下は鉄道用(写真右にある鉄道が、橋を渡っています)になっているとのことです。<br />写真右の鉄道は、武漢と広州を結んでいる重要路線のようです。

    黄鶴楼の最上階へやってきました。

    下に見えるのは黄鶴楼公園の西半分になるところで、先ほどご案内した建物が並んでいます。

    黄鶴楼から見る眺めは「江山入画」と言われるほどのもののようですが、その景色の一つがこれです。
    この日はちょっとガスっていたこともあってこんな風景になってしまいました(-_-;) 都市化が進んでしまったために、自然豊かな眺望というわけにはいかないです(=_=)

    向こうに見える橋は「武漢長江大橋」です。
    この橋は1957年に完成したとのことで、長さは1180m・高さは80mとのことです。
    瀬戸大橋のように2階構造になっていて、上には自動車用道路と歩道があり、下は鉄道用(写真右にある鉄道が、橋を渡っています)になっているとのことです。
    写真右の鉄道は、武漢と広州を結んでいる重要路線のようです。

  • 左側列車がやってきました。何両編成か数えませんでしたが、とにかく長大編成です。<br />この列車が向かう先には、武昌駅があります。<br />この路線は、北京と広州を結ぶ「京広線(けいこうせん)」だと思います。<br /><br />2009年12月に武漢と広州を結ぶ高速鉄道(新幹線)専用線である「武広旅客専用線(ぶこうりょかくせんようせん)」が開通してから、武漢と広州間の旅客輸送の役割はだいぶ変わったことと思います。

    左側列車がやってきました。何両編成か数えませんでしたが、とにかく長大編成です。
    この列車が向かう先には、武昌駅があります。
    この路線は、北京と広州を結ぶ「京広線(けいこうせん)」だと思います。

    2009年12月に武漢と広州を結ぶ高速鉄道(新幹線)専用線である「武広旅客専用線(ぶこうりょかくせんようせん)」が開通してから、武漢と広州間の旅客輸送の役割はだいぶ変わったことと思います。

  • 長江上流方面の光景です。<br />遠くに見える橋は武漢白沙州大橋です。<br /><br />この黄鶴楼は、ちょっとした小山の上に建っていますので、結構眺めがいいですよ。<br />こういう高い所は、私もカミさんも大好きなんです(^-^)<br /><br />★↓はこれまで行った高い所です(^o^)<br />★横浜ランドマークタワー<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20349424/ <br />★名古屋ミッドランドスクエア<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23965204/ <br />★名古屋・JRセントラルタワーズ<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19829916/<br /><br />東京都庁も行きましたよ(^-^)

    長江上流方面の光景です。
    遠くに見える橋は武漢白沙州大橋です。

    この黄鶴楼は、ちょっとした小山の上に建っていますので、結構眺めがいいですよ。
    こういう高い所は、私もカミさんも大好きなんです(^-^)

    ★↓はこれまで行った高い所です(^o^)
    ★横浜ランドマークタワー
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20349424/ 
    ★名古屋ミッドランドスクエア
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23965204/ 
    ★名古屋・JRセントラルタワーズ
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19829916/

    東京都庁も行きましたよ(^-^)

  • 長江の対岸側の光景です。<br />船が泊まっているところは、武漢の漢陽地区のように思います。<br /><br />ここにもクルーズ船が2隻停泊しています。<br />長江のクルーズ船で最大のものは1万トンほどもありますよ。<br /><br />左側のクルーズ船の左側端の岸辺のすぐ上に、ちょっとしたお城のようなものが見えますが(拡大してみて下さい)、あれは多分「晴川閣(せいせんかく)」だと思います。

    長江の対岸側の光景です。
    船が泊まっているところは、武漢の漢陽地区のように思います。

    ここにもクルーズ船が2隻停泊しています。
    長江のクルーズ船で最大のものは1万トンほどもありますよ。

    左側のクルーズ船の左側端の岸辺のすぐ上に、ちょっとしたお城のようなものが見えますが(拡大してみて下さい)、あれは多分「晴川閣(せいせんかく)」だと思います。

  • 川向こうの高いビルがあるところは漢口地区だと思います(行政区としての“漢口区”というのはありません)。<br /><br />中国の大きな街には、高層ビルが本当に多いですね。<br />このような高層ビルの数という点で、ヨーロッパの大都市と較べてみますと、「超高層ビル建設の本家アメリカ」の故郷と言えるヨーロッパの方が少ないですね。それに較べますとアジアの大都市の方が断然多いような気がしますね。<br /><br />ビルや超高層ビルの増加を、都市のアメリカ化という風に言う人もいるようですが、そういう観点で見ると、中国がどこよりもアメリカ化しているという面白いことになってきます。<br />アメリカの基準をたくさん取り入れてきた日本は、つとに「小アメリカ」と言われていますが、中国以上にアメリカ化しているのは日本かも知れませんね。<br /><br />「アジアにおける近代化とは、アメリカ化である」なんて、どこかで読んだことがありますが、都市景観を見る限り笑ってばかりもおれませんね。<br /><br />★↓は超高層ビルの多い重慶の街です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22897556/src.html<br />★超高層ビルの少ないケルンの街です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19528172/src.html<br />★Google mapで見るケルンの街です(航空写真で拡大してご覧下さい)。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.000484dca93c80706bbba&amp;msa=0&amp;ll=50.930576,6.962585&amp;spn=0.031646,0.043645

    川向こうの高いビルがあるところは漢口地区だと思います(行政区としての“漢口区”というのはありません)。

    中国の大きな街には、高層ビルが本当に多いですね。
    このような高層ビルの数という点で、ヨーロッパの大都市と較べてみますと、「超高層ビル建設の本家アメリカ」の故郷と言えるヨーロッパの方が少ないですね。それに較べますとアジアの大都市の方が断然多いような気がしますね。

    ビルや超高層ビルの増加を、都市のアメリカ化という風に言う人もいるようですが、そういう観点で見ると、中国がどこよりもアメリカ化しているという面白いことになってきます。
    アメリカの基準をたくさん取り入れてきた日本は、つとに「小アメリカ」と言われていますが、中国以上にアメリカ化しているのは日本かも知れませんね。

    「アジアにおける近代化とは、アメリカ化である」なんて、どこかで読んだことがありますが、都市景観を見る限り笑ってばかりもおれませんね。

    ★↓は超高層ビルの多い重慶の街です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22897556/src.html
    ★超高層ビルの少ないケルンの街です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19528172/src.html
    ★Google mapで見るケルンの街です(航空写真で拡大してご覧下さい)。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.000484dca93c80706bbba&msa=0&ll=50.930576,6.962585&spn=0.031646,0.043645

  • 長江下流の武昌地区(右岸側)の光景です。<br /><br />この武昌地区と漢口地区をの頭文字を一つずつとって「武漢」となったのですよ〜。<br />ですから、武漢の町は長江という大河を挟んで一つの「武漢市」を形成しているのです。<br /><br />武漢市の面積は、広島県とほぼ同じです。市区部の面積は、東京23区をのぞいた東京都全体の面積とほぼ同じです。<br />人口は910万人で神奈川県よりやや多く、市区部の人口は660万人とのことで、千葉県よりやや多いです。<br /><br />ここでも、高層ビルや高層アパートががどんどん建てられています。

    長江下流の武昌地区(右岸側)の光景です。

    この武昌地区と漢口地区をの頭文字を一つずつとって「武漢」となったのですよ〜。
    ですから、武漢の町は長江という大河を挟んで一つの「武漢市」を形成しているのです。

    武漢市の面積は、広島県とほぼ同じです。市区部の面積は、東京23区をのぞいた東京都全体の面積とほぼ同じです。
    人口は910万人で神奈川県よりやや多く、市区部の人口は660万人とのことで、千葉県よりやや多いです。

    ここでも、高層ビルや高層アパートががどんどん建てられています。

  • そして、ほぼ一回りして見えて来たのが、黄鶴楼公園の東側半分です。<br />山の上に見える楼閣は「白雲閣」とのことで、四層の建物です。白雲閣という名は、仙人が黄鶴にまたがって「白雲」とともにやってきたという昔話から付けられたそうです。<br /><br />写真中央の赤いもののあるところには、大きな鐘が見えます。<br /><br />白雲閣の右下に見える茶色の低い建物群は、「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」のようです。<br />Google map上の写真のタイトルには、「辛亥革命博物館」と書いてあることもあります。<br /><br />ところで、最近「辛亥革命博物館」が武昌の街のど真ん中に新たに建設されたんですね。すぐ隣に広大な敷地をもつ「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」があるというのに、都市の中心部を更地にして「辛亥革命博物館」建設するというのですから、記念館の方の存在感が薄れてしまいそうです。<br /><br />★↓は「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」の場所です(この建物を「辛亥革命博物館」とする記述も多いです)。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.543736,114.300975&amp;spn=0.005359,0.006051&amp;iwloc=0004bd65e8ddf1f51b40b<br />★↓はまだ真新しい「辛亥革命博物館」の場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.539185,114.299912&amp;spn=0.00536,0.006051&amp;iwloc=0004b5fe951312f20fe63

    そして、ほぼ一回りして見えて来たのが、黄鶴楼公園の東側半分です。
    山の上に見える楼閣は「白雲閣」とのことで、四層の建物です。白雲閣という名は、仙人が黄鶴にまたがって「白雲」とともにやってきたという昔話から付けられたそうです。

    写真中央の赤いもののあるところには、大きな鐘が見えます。

    白雲閣の右下に見える茶色の低い建物群は、「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」のようです。
    Google map上の写真のタイトルには、「辛亥革命博物館」と書いてあることもあります。

    ところで、最近「辛亥革命博物館」が武昌の街のど真ん中に新たに建設されたんですね。すぐ隣に広大な敷地をもつ「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」があるというのに、都市の中心部を更地にして「辛亥革命博物館」建設するというのですから、記念館の方の存在感が薄れてしまいそうです。

    ★↓は「辛亥革命武昌蜂起(起義)記念館」の場所です(この建物を「辛亥革命博物館」とする記述も多いです)。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.543736,114.300975&spn=0.005359,0.006051&iwloc=0004bd65e8ddf1f51b40b
    ★↓はまだ真新しい「辛亥革命博物館」の場所です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.539185,114.299912&spn=0.00536,0.006051&iwloc=0004b5fe951312f20fe63

  • その白雲閣を引き寄せてみました。<br /><br />黄鶴楼も白雲閣も、今は鶴の話で仲良く頑張っているワケですね。<br />白雲閣から300mあまり向こうには、中国の歴史的英雄と言われる岳飛の像があります。<br /><br />★↓は白雲閣の場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.546767,114.300092&amp;spn=0.00268,0.003026&amp;iwloc=0004bd65e546592173d4f<br />★↓は岳飛の像がある場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.545868,114.303753&amp;spn=0.00268,0.003026&amp;iwloc=0004bd65d6ecb874a30e2

    その白雲閣を引き寄せてみました。

    黄鶴楼も白雲閣も、今は鶴の話で仲良く頑張っているワケですね。
    白雲閣から300mあまり向こうには、中国の歴史的英雄と言われる岳飛の像があります。

    ★↓は白雲閣の場所です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.546767,114.300092&spn=0.00268,0.003026&iwloc=0004bd65e546592173d4f
    ★↓は岳飛の像がある場所です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.545868,114.303753&spn=0.00268,0.003026&iwloc=0004bd65d6ecb874a30e2

  • 黄鶴楼の大きく反り返った下がり棟の先端に喰い付くシャチ?です。<br />大きな獲物に喰い付いたように、鋭い表情をしていますね。<br />こういうところにシャチなどを飾ることは、中国文化の影響のある日本にもたくさん見られますから、見ていても面白いです。<br />下がり棟に龍とか獅子とか犬とか、いろいろなものを飾る中国の歴史建物は愛嬌さえ感じて、見るのも楽しみです。<br /><br />★↓の写真では、下がり棟の上に鳳凰?と鶴、鹿?までいます。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23134564/src.html <br />★↓は名古屋城の「金シャチ」です(ページ中段をご覧下さい)。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9F%8E#.E5.90.8D.E5.8F.A4.E5.B1.8B.E5.9F.8E.E3.81.AE.E9.87.91.E9.AF.B1

    黄鶴楼の大きく反り返った下がり棟の先端に喰い付くシャチ?です。
    大きな獲物に喰い付いたように、鋭い表情をしていますね。
    こういうところにシャチなどを飾ることは、中国文化の影響のある日本にもたくさん見られますから、見ていても面白いです。
    下がり棟に龍とか獅子とか犬とか、いろいろなものを飾る中国の歴史建物は愛嬌さえ感じて、見るのも楽しみです。

    ★↓の写真では、下がり棟の上に鳳凰?と鶴、鹿?までいます。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23134564/src.html 
    ★↓は名古屋城の「金シャチ」です(ページ中段をご覧下さい)。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9F%8E#.E5.90.8D.E5.8F.A4.E5.B1.8B.E5.9F.8E.E3.81.AE.E9.87.91.E9.AF.B1

  • こんなところにも、シャチが頑張っていました。<br />ここでは陽も当たらず、このシャチにとっては面白くないですよね。

    こんなところにも、シャチが頑張っていました。
    ここでは陽も当たらず、このシャチにとっては面白くないですよね。

  • 屋根の根元と先端の二匹のシャチです。

    屋根の根元と先端の二匹のシャチです。

  • 武昌地区の町の中に見える「旧市街」です。<br />このように密集して一見古くさく見えてしまう住宅地は、大都市の真ん中にあることが多く、郊外に出れば古い住宅地もこんなには密集していないようです。<br /><br /><br />12年前に北京や天津を通過した際、ビルの谷間の隙間の奥で、たくさんの古い家々が壊され更地にされていく様子を、それこそ「垣間見た」ことがあります。<br /><br />日本でも東京のど真ん中に、木造の和風の住宅がずいぶん残っていますが、むしろ親しみやゆとり感じたりさせてくれる風情がを見せてくれるところが多いですね。<br /><br />★↓はこの写真の場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.550186,114.295911&amp;spn=0.002388,0.005099&amp;iwloc=0004bdeb4a11e731d3b79<br />★↓は木造・和風の家の多い東京の街です。<br />http://maps.google.co.jp/maps?ll=35.712077,139.755876&amp;spn=0.002252,0.005099&amp;t=h&amp;z=19&amp;lci=com.panoramio.all&amp;brcurrent=3,0x60188c31352e2f77:0x1f918131bd27dea3,0

    武昌地区の町の中に見える「旧市街」です。
    このように密集して一見古くさく見えてしまう住宅地は、大都市の真ん中にあることが多く、郊外に出れば古い住宅地もこんなには密集していないようです。


    12年前に北京や天津を通過した際、ビルの谷間の隙間の奥で、たくさんの古い家々が壊され更地にされていく様子を、それこそ「垣間見た」ことがあります。

    日本でも東京のど真ん中に、木造の和風の住宅がずいぶん残っていますが、むしろ親しみやゆとり感じたりさせてくれる風情がを見せてくれるところが多いですね。

    ★↓はこの写真の場所です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.550186,114.295911&spn=0.002388,0.005099&iwloc=0004bdeb4a11e731d3b79
    ★↓は木造・和風の家の多い東京の街です。
    http://maps.google.co.jp/maps?ll=35.712077,139.755876&spn=0.002252,0.005099&t=h&z=19&lci=com.panoramio.all&brcurrent=3,0x60188c31352e2f77:0x1f918131bd27dea3,0

  • 黄鶴楼の北側直下の住宅地です。<br />中央左の家の前には、足場が組まれていますから修理の工事がありそうですね。<br />その手前側の家の屋根には、パラボラアンテナが3ヶ、そのすぐ右の家にもパラボラアンテナが1ヶ見えます。<br /><br />また、Google Earthなどで中国の大都市を見ますと、都心の高層マンションもそうですが、郊外を探ってみますと、アメリカ各地で見られる一戸建て住宅団地を彷彿とさせるような、庭付き一戸建て住宅がたくさん作られていますね。<br /><br />しかし、都心の「旧市街」が維持または再建されているヨーロッパのように、都心にも中国の伝統的な住宅を再建・維持して欲しいものと思います(北京市の「胡同」のように、中国各地にもそうした伝統的な住宅街が残っていて、見学できるところもあるようです。しかし、旅行のコースにはなかなか入らないという難点があります)。<br /><br />★↓は、「四合院」などの住宅が残っているといわれる、北京の「胡同」地区です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=39.935918,116.38548&amp;spn=0.008506,0.011544&amp;iwloc=0004bdee9b85e9968e3d3<br />★↓は、庭付き一戸建て住宅の並ぶ、武漢郊外の住宅地です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.441732,114.367547&amp;spn=0.004782,0.005772&amp;iwloc=0004bdeec2e692c6a2ffb

    黄鶴楼の北側直下の住宅地です。
    中央左の家の前には、足場が組まれていますから修理の工事がありそうですね。
    その手前側の家の屋根には、パラボラアンテナが3ヶ、そのすぐ右の家にもパラボラアンテナが1ヶ見えます。

    また、Google Earthなどで中国の大都市を見ますと、都心の高層マンションもそうですが、郊外を探ってみますと、アメリカ各地で見られる一戸建て住宅団地を彷彿とさせるような、庭付き一戸建て住宅がたくさん作られていますね。

    しかし、都心の「旧市街」が維持または再建されているヨーロッパのように、都心にも中国の伝統的な住宅を再建・維持して欲しいものと思います(北京市の「胡同」のように、中国各地にもそうした伝統的な住宅街が残っていて、見学できるところもあるようです。しかし、旅行のコースにはなかなか入らないという難点があります)。

    ★↓は、「四合院」などの住宅が残っているといわれる、北京の「胡同」地区です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=39.935918,116.38548&spn=0.008506,0.011544&iwloc=0004bdee9b85e9968e3d3
    ★↓は、庭付き一戸建て住宅の並ぶ、武漢郊外の住宅地です。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.441732,114.367547&spn=0.004782,0.005772&iwloc=0004bdeec2e692c6a2ffb

  • 3階に降りてきました。<br /><br />ここはホテルで言えば「ロビー」と言った感覚がしますね。<br />土産物も売っていますよ。

    3階に降りてきました。

    ここはホテルで言えば「ロビー」と言った感覚がしますね。
    土産物も売っていますよ。

  • クルリと振り向きますと、何人かのおじさんがちが談合をしている絵がありました(^o^)<br /><br />左から<br />★杜牧(と ぼく、803年- 853年)<br />★白居易(はく きょい、772年 - 846年)<br />★劉禹錫(りゅう うしゃく、772年 - 842年)<br />と言う人たちです。<br />3人とも科挙の進士に及第した秀才で、当時の有名な詩人だったようです。<br />三人の詩が書いてあるんですけど、漢文など全く読めない私には何のことかサッパリ分かりません(&gt;_&lt;)<br />一応、↓に描いておきますので、読める方読んで教えて下さいねm(_ _)m<br /><br />▲杜牧の詩・・・&#40643;鶴樓前春水闊 一杯還憶故人無。<br />▲白居易の詩・・江邊黄鶴古時樓,勞置華筵待我游。 楚思淼茫雲水冷,商聲清脆管弦秋。<br />▲劉禹錫の詩・・夢覺疑連榻,舟行忽千裡。 不見&#40643;鶴樓,寒沙雪相似。<br /><br />★三人の詳しいことは↓にて<br />★杜牧のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%89%A7 <br />★白居易のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%85%E6%98%93 <br />★劉禹錫のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%A6%B9%E9%8C%AB

    クルリと振り向きますと、何人かのおじさんがちが談合をしている絵がありました(^o^)

    左から
    ★杜牧(と ぼく、803年- 853年)
    ★白居易(はく きょい、772年 - 846年)
    ★劉禹錫(りゅう うしゃく、772年 - 842年)
    と言う人たちです。
    3人とも科挙の進士に及第した秀才で、当時の有名な詩人だったようです。
    三人の詩が書いてあるんですけど、漢文など全く読めない私には何のことかサッパリ分かりません(>_<)
    一応、↓に描いておきますので、読める方読んで教えて下さいねm(_ _)m

    ▲杜牧の詩・・・黃鶴樓前春水闊 一杯還憶故人無。
    ▲白居易の詩・・江邊黄鶴古時樓,勞置華筵待我游。 楚思淼茫雲水冷,商聲清脆管弦秋。
    ▲劉禹錫の詩・・夢覺疑連榻,舟行忽千裡。 不見黃鶴樓,寒沙雪相似。

    ★三人の詳しいことは↓にて
    ★杜牧のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%89%A7 
    ★白居易のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%85%E6%98%93 
    ★劉禹錫のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%A6%B9%E9%8C%AB

  • こんども三人ですが、こちらの三人はそれぞれ勝手な方向を向いていますね。<br />この三人は、<br />★岳飛(がくひ、1103年 - 1141年、南宋の武将)、 <br />★陸游(りくゆう、1125年−1210年、南宋の政治家・詩人)、 <br />★範成大【范成大(はん せいだい、1126年 - 1193年)南宋の政治家・詩人】です。<br /><br />岳飛は中国の歴史上最大の英雄でしたよね。それなのに、秦檜に無実の罪を着せられ謀殺されてしまった人でした(-_-;)。<br />陸遊は解試に主席で合格しながら省試で妨害され、進士への道を迂回せざるを得なかった経緯があったのですね。<br />範成大も進士になっており、みんな頭がいいのですね〜(^_^)v<br /><br />そこで、3人の詩をご紹介しますね。<br />▲岳飛の詩・・・何日請纓提鋭旅, 一鞭直渡清河洛。 却歸來、再續漢陽遊, 騎黄鶴<br />▲陸遊の詩・・・蒼龍闕角歸何&#26202;,&#40643;鶴樓中醉不知。 江漢交流波渺渺,晉唐遺跡草離離。<br />▲范成大の詩・・誰家玉笛弄中秋,&#40643;鶴飛來識舊游。漢樹有情横北斗,蜀江無語抱南樓。<br />読めた方、私にも教えて下さいね(^_^)v<br /><br />★三人の詳しいことは↓にて<br />★岳飛のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B <br />★陸遊のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E6%B8%B8 <br />★範成大(范成大)のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E6%88%90%E5%A4%A7

    こんども三人ですが、こちらの三人はそれぞれ勝手な方向を向いていますね。
    この三人は、
    ★岳飛(がくひ、1103年 - 1141年、南宋の武将)、 
    ★陸游(りくゆう、1125年−1210年、南宋の政治家・詩人)、 
    ★範成大【范成大(はん せいだい、1126年 - 1193年)南宋の政治家・詩人】です。

    岳飛は中国の歴史上最大の英雄でしたよね。それなのに、秦檜に無実の罪を着せられ謀殺されてしまった人でした(-_-;)。
    陸遊は解試に主席で合格しながら省試で妨害され、進士への道を迂回せざるを得なかった経緯があったのですね。
    範成大も進士になっており、みんな頭がいいのですね〜(^_^)v

    そこで、3人の詩をご紹介しますね。
    ▲岳飛の詩・・・何日請纓提鋭旅, 一鞭直渡清河洛。 却歸來、再續漢陽遊, 騎黄鶴
    ▲陸遊の詩・・・蒼龍闕角歸何晚,黃鶴樓中醉不知。 江漢交流波渺渺,晉唐遺跡草離離。
    ▲范成大の詩・・誰家玉笛弄中秋,黃鶴飛來識舊游。漢樹有情横北斗,蜀江無語抱南樓。
    読めた方、私にも教えて下さいね(^_^)v

    ★三人の詳しいことは↓にて
    ★岳飛のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B 
    ★陸遊のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E6%B8%B8 
    ★範成大(范成大)のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E6%88%90%E5%A4%A7

  • ここでは大勢の人が集まっていますが、名前が載っているのは5人のみです。<br />その五人を以下にご紹介しますね(左から)。<br /><br />★王維(おうい、699年-759年)唐朝の最盛期の高級官僚で、時代を代表する詩人。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%B6%AD <br />★催顥(さいこう、?- 754年)中国盛唐の詩人。&#27764;州(河南省開封市)の人。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E9%A1%A5 <br />★李白(りはく)中国盛唐の詩人。杜甫と共に中国詩歌史上最高の詩人と言われる。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BD <br />★孟浩然(もうこうねん、689-740)中国盛唐の代表的な詩人(湖北省襄陽市)出身。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6 <br />★宋之問(そう しもん、656年?−712年)中国初唐の詩人。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6 <br /><br />それでは、5人の詩をご紹介しますね。<br />▲王維の詩・・・城下滄江水、 江邊&#40643;鶴樓。 朱闌將粉&#22558;、 江水映悠悠<br />▲崔顥の詩・・・昔人已乗黄鶴去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠<br />▲李白の詩・・・故人西辞黄鶴楼 煙火三月下揚州。孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。<br />▲孟浩然の詩・・昔登江上黄鶴樓,遙愛江邊鸚鵡洲。 洲勢逶&#36836;繞碧流,鴛鴦&#40450;&#40338;滿沙頭。<br />▲宋之問の詩・・清江度暖日 &#40643;鶴弄晴煙(左記の内、“度暖”の文字が写真と違います。「度」のところは「浮」に見え、「暖」のところは「土へんに爰」のように見えます)<br />この詩も、お読みになれた方がおられましたら教えて下さいね。<br /><br />ところで、これらの絵はいつ誰が書いたのか?<br />岳飛の描いてある絵には「甲子☆江左華其敏(☆はワープロに文字無し)制」とありますが、今のところ誰なのか分かりません。またいつの作品かも分かりません。<br />これらの詩人の姿と詩は、黄鶴楼再建時にここに書かれたようにも感じますね(他の展示物もそう言うモノが多いようにも感じます。<br /><br />漢詩の詳しい子は分かりませんが、詩人というものはのんきなことを書いても「カネ」になるんですね〜(^_^;)

    ここでは大勢の人が集まっていますが、名前が載っているのは5人のみです。
    その五人を以下にご紹介しますね(左から)。

    ★王維(おうい、699年-759年)唐朝の最盛期の高級官僚で、時代を代表する詩人。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%B6%AD 
    ★催顥(さいこう、?- 754年)中国盛唐の詩人。汴州(河南省開封市)の人。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E9%A1%A5 
    ★李白(りはく)中国盛唐の詩人。杜甫と共に中国詩歌史上最高の詩人と言われる。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BD 
    ★孟浩然(もうこうねん、689-740)中国盛唐の代表的な詩人(湖北省襄陽市)出身。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6 
    ★宋之問(そう しもん、656年?−712年)中国初唐の詩人。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6 

    それでは、5人の詩をご紹介しますね。
    ▲王維の詩・・・城下滄江水、 江邊黃鶴樓。 朱闌將粉堞、 江水映悠悠
    ▲崔顥の詩・・・昔人已乗黄鶴去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠
    ▲李白の詩・・・故人西辞黄鶴楼 煙火三月下揚州。孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
    ▲孟浩然の詩・・昔登江上黄鶴樓,遙愛江邊鸚鵡洲。 洲勢逶迤繞碧流,鴛鴦鸂鶒滿沙頭。
    ▲宋之問の詩・・清江度暖日 黃鶴弄晴煙(左記の内、“度暖”の文字が写真と違います。「度」のところは「浮」に見え、「暖」のところは「土へんに爰」のように見えます)
    この詩も、お読みになれた方がおられましたら教えて下さいね。

    ところで、これらの絵はいつ誰が書いたのか?
    岳飛の描いてある絵には「甲子☆江左華其敏(☆はワープロに文字無し)制」とありますが、今のところ誰なのか分かりません。またいつの作品かも分かりません。
    これらの詩人の姿と詩は、黄鶴楼再建時にここに書かれたようにも感じますね(他の展示物もそう言うモノが多いようにも感じます。

    漢詩の詳しい子は分かりませんが、詩人というものはのんきなことを書いても「カネ」になるんですね〜(^_^;)

  • そいじゃあ、記念写真といきますか(^O^)<br /><br />漢文なんてサッパリ分からない私です。ましてや、詩の世界なんて日本語でも分かりませんから、困ったモンです。<br /><br />中国をはじめ日本の詩って(日本の俳句も含んで)、人への思いやりとか熱情を歌ったものもないわけではないですが、どちらかと言えば自然の様子を詩ったり、その中に人へのほのかな想いを織り込んで、飄々とした感じで歌ったものが多いような気がしますね。<br /><br />そこへいくと、ヨーロッパでは中国や日本のように自然を主題としながら人の思いを詩うものもあるかもしれませんが、愛とか悲しみとか神に捧げるものとか地獄とか、信仰と人の熱意を表現したものが多いですね。<br /><br />自然との関わりや、形式的には人との調和を重視する東洋の宗教や文化と、神と人との関わりを重視する西洋の宗教や文化との違いが、詩の世界にも現れているのでしょうかね??<br /><br />日本の古代天皇家の恋歌なんかは、ちょっと違った趣があるという人もおられるようですが、如何でしょうか??

    そいじゃあ、記念写真といきますか(^O^)

    漢文なんてサッパリ分からない私です。ましてや、詩の世界なんて日本語でも分かりませんから、困ったモンです。

    中国をはじめ日本の詩って(日本の俳句も含んで)、人への思いやりとか熱情を歌ったものもないわけではないですが、どちらかと言えば自然の様子を詩ったり、その中に人へのほのかな想いを織り込んで、飄々とした感じで歌ったものが多いような気がしますね。

    そこへいくと、ヨーロッパでは中国や日本のように自然を主題としながら人の思いを詩うものもあるかもしれませんが、愛とか悲しみとか神に捧げるものとか地獄とか、信仰と人の熱意を表現したものが多いですね。

    自然との関わりや、形式的には人との調和を重視する東洋の宗教や文化と、神と人との関わりを重視する西洋の宗教や文化との違いが、詩の世界にも現れているのでしょうかね??

    日本の古代天皇家の恋歌なんかは、ちょっと違った趣があるという人もおられるようですが、如何でしょうか??

  • 詩人たちの絵の下に置いてあった獅子像です。<br /><br />爪を露わにした左手でなにかを抑えて、周囲を威嚇しているような形相です。<br />ちょっと怖いですね。<br />押さえているものは、何でしょうかね?

    詩人たちの絵の下に置いてあった獅子像です。

    爪を露わにした左手でなにかを抑えて、周囲を威嚇しているような形相です。
    ちょっと怖いですね。
    押さえているものは、何でしょうかね?

  • こちらの獅子は右手でパイナップルを押さえています(~o~)<br />しかし、ホントは何でしょうかね?

    こちらの獅子は右手でパイナップルを押さえています(~o~)
    しかし、ホントは何でしょうかね?

  • 建物内の通路の隅に置いてあった壺です。<br /><br />&#40643;鶴樓ですから、鶴の絵が多いのでしょうか。<br />この鶴は黄色の鶴ではないですね。

    建物内の通路の隅に置いてあった壺です。

    黃鶴樓ですから、鶴の絵が多いのでしょうか。
    この鶴は黄色の鶴ではないですね。

  • &#40643;鶴樓を出て、最上階から見えた鐘の方へやってきました。<br /><br />あの赤い骨組みは、鐘を吊るためのもののようです。裸の鐘楼という感じでしょうか(~o~)<br />

    黃鶴樓を出て、最上階から見えた鐘の方へやってきました。

    あの赤い骨組みは、鐘を吊るためのもののようです。裸の鐘楼という感じでしょうか(~o~)

  • ↑の鐘のすぐ近くに来ました。<br /><br />鐘の中央には「千年吉祥」と書いてあります。地図上では「千年吉祥鐘」となっています。<br />しかし、清代以前の&#40643;鶴樓の模型を見ますと、こんなような鐘や鐘楼があったようには見えませんでしたね。かなり古ぼけては見えますが、いつどこで作られたものかは分かりません。それに、このような形の鐘と言えば、だいたい仏教系ですよね。現在の&#40643;鶴樓にどうして仏教系に多く見られる鐘があるのか?ちょっと分かりません。<br /><br />すると、この&#40643;鶴樓とはナンなのかと言うことを考えてしまいます。正門側にはラマ教の地域で見られるパゴダと、少し仏教と関係のありそうな?玄武があり、後ろ側にはこのような鐘があるというわけですね。<br /><br />鐘楼は仏教系のものと言っても、日本には鐘楼をもつ神社があると言われています。これは、明治時代以前にはそんなに珍しいことではなかったようです。神仏習合が行き渡っていた日本ならでは現象でしょうか。

    ↑の鐘のすぐ近くに来ました。

    鐘の中央には「千年吉祥」と書いてあります。地図上では「千年吉祥鐘」となっています。
    しかし、清代以前の黃鶴樓の模型を見ますと、こんなような鐘や鐘楼があったようには見えませんでしたね。かなり古ぼけては見えますが、いつどこで作られたものかは分かりません。それに、このような形の鐘と言えば、だいたい仏教系ですよね。現在の黃鶴樓にどうして仏教系に多く見られる鐘があるのか?ちょっと分かりません。

    すると、この黃鶴樓とはナンなのかと言うことを考えてしまいます。正門側にはラマ教の地域で見られるパゴダと、少し仏教と関係のありそうな?玄武があり、後ろ側にはこのような鐘があるというわけですね。

    鐘楼は仏教系のものと言っても、日本には鐘楼をもつ神社があると言われています。これは、明治時代以前にはそんなに珍しいことではなかったようです。神仏習合が行き渡っていた日本ならでは現象でしょうか。

  • 鐘の一部を大きく撮ってみました。<br /><br />↑の写真でもお分かりかと思いますが、いろいろな図柄や文字がたくさんあるのですよ!! この鐘を考えた人は、こんなことを考える時間があったわけですから、かなりのヒマ人だったことが分かりますね〜。<br /><br />それで、この鐘に近づいてみますと、李白や催顥(サイコウ)の名がありました。<br />真ん中の枠の上の方の枠の中に、「催顥絶唱 李白詩魂」と書いてあるのですよ。<br />催顥は?鶴樓の様子を歌い上げ、李白は詩の魂を奮い起こしたというのでしょうか。絵の模様もそんな平和な感じがしますね。<br /><br />右側の枠には「夏口城堡 三国盧兵」と書いてあります(夏口は、後に漢口に改称されています)。<br />私の勝手な想像ですが、三国時代に武漢地域で蜀漢・呉・魏の三国が戦ったことを描いてるのかなと思います(大いに外れてると思いますけど)。

    鐘の一部を大きく撮ってみました。

    ↑の写真でもお分かりかと思いますが、いろいろな図柄や文字がたくさんあるのですよ!! この鐘を考えた人は、こんなことを考える時間があったわけですから、かなりのヒマ人だったことが分かりますね〜。

    それで、この鐘に近づいてみますと、李白や催顥(サイコウ)の名がありました。
    真ん中の枠の上の方の枠の中に、「催顥絶唱 李白詩魂」と書いてあるのですよ。
    催顥は?鶴樓の様子を歌い上げ、李白は詩の魂を奮い起こしたというのでしょうか。絵の模様もそんな平和な感じがしますね。

    右側の枠には「夏口城堡 三国盧兵」と書いてあります(夏口は、後に漢口に改称されています)。
    私の勝手な想像ですが、三国時代に武漢地域で蜀漢・呉・魏の三国が戦ったことを描いてるのかなと思います(大いに外れてると思いますけど)。

  • もう一つの場面を見てみましょう。<br /><br />左側の枠には、上の方に「南興漢口・都会雄風」と書いてあります。漢口の発展の様子かなと思います。<br /><br />↑の右隣の枠には、「南朱港市 岳飛抗金」と書いてあります。<br />「南朱港市」のことは分かりませんけど(-_-;)、 岳飛が、北からの「金国」の進出に対して戦ったことが描いてありますね。<br /><br />こうしてみると、この鐘は仏教とかナンとかという歴史的なものではなさそうです。<br />中国の歴史ドラマを描いた観光用のもののようですね。<br /><br />★「千年吉祥鐘」の場所は↓にて<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25170256/src.html<br />★↓は石川県白山市美川町の徳證寺さんの鐘です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22553677/src.html

    もう一つの場面を見てみましょう。

    左側の枠には、上の方に「南興漢口・都会雄風」と書いてあります。漢口の発展の様子かなと思います。

    ↑の右隣の枠には、「南朱港市 岳飛抗金」と書いてあります。
    「南朱港市」のことは分かりませんけど(-_-;)、 岳飛が、北からの「金国」の進出に対して戦ったことが描いてありますね。

    こうしてみると、この鐘は仏教とかナンとかという歴史的なものではなさそうです。
    中国の歴史ドラマを描いた観光用のもののようですね。

    ★「千年吉祥鐘」の場所は↓にて
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25170256/src.html
    ★↓は石川県白山市美川町の徳證寺さんの鐘です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22553677/src.html

  • そいじゃあ、記念写真でも・・(~o~)<br /><br />「お父さん 腰揉んで」<br />そこで揉み始めると・・<br />「もっと上、もっと上・・」<br />って、注文が出るのですよ(^^;) それで、言われるままに移動していくと、<br />「ソコそこ・・」<br />だって。<br />「おかあさん、ここは肩だよ(-_-;)」<br />「ブツブツ言わずに揉んで」<br />まぁね、こういうカミさんであります。<br /><br />でもね、日頃一番頼りになるのもカミさんだもんね(*^_^*)<br />オトコはやっぱり、ブツブツ言ってはイケナイのであります。<br /><br />【お断り】“おかあさん”とは母のことではなく、当家のカミさんのことであります。

    そいじゃあ、記念写真でも・・(~o~)

    「お父さん 腰揉んで」
    そこで揉み始めると・・
    「もっと上、もっと上・・」
    って、注文が出るのですよ(^^;) それで、言われるままに移動していくと、
    「ソコそこ・・」
    だって。
    「おかあさん、ここは肩だよ(-_-;)」
    「ブツブツ言わずに揉んで」
    まぁね、こういうカミさんであります。

    でもね、日頃一番頼りになるのもカミさんだもんね(*^_^*)
    オトコはやっぱり、ブツブツ言ってはイケナイのであります。

    【お断り】“おかあさん”とは母のことではなく、当家のカミさんのことであります。

  • お友達と御一緒にもう一枚(^^)<br /><br />今日はお天気も良かったし、最高でしたよ(^-^)

    お友達と御一緒にもう一枚(^^)

    今日はお天気も良かったし、最高でしたよ(^-^)

  • この建物は、「白雲閣」です。<br /><br />入り口左の柱には「黄鶴楼美術館」と掲示してあります。<br />右の柱には「湖北中??研究院」となっています。<br />白雲閣は、今では美術館と研究所になっているのですね。<br /><br />この白雲閣の前を通り過ぎてさらに東の方へ行きますと、岳飛将軍の銅像があるとのことです。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    この建物は、「白雲閣」です。

    入り口左の柱には「黄鶴楼美術館」と掲示してあります。
    右の柱には「湖北中??研究院」となっています。
    白雲閣は、今では美術館と研究所になっているのですね。

    この白雲閣の前を通り過ぎてさらに東の方へ行きますと、岳飛将軍の銅像があるとのことです。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • これは歴代の黄鶴楼を描いたもののようにも見えますね。<br />中央が現代の黄鶴楼です。左下が清代のもののようです。あとは分かりません。<br /><br />上にも述べましたように、黄鶴楼は何度も破壊・再建を繰り返して来ましたので、その都度モデルチェンジもして、軍事的利用から娯楽的性格を持つようにもなってきたこともあって、だんだんと大きく立派なものになってきました。<br /><br />この一枚を見て、どれがどの時代の黄鶴楼なのかを当てられるようになったら、それこそ立派なものですね。もっとも、それでご褒美が出るとは限りませんけど(~o~)<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    これは歴代の黄鶴楼を描いたもののようにも見えますね。
    中央が現代の黄鶴楼です。左下が清代のもののようです。あとは分かりません。

    上にも述べましたように、黄鶴楼は何度も破壊・再建を繰り返して来ましたので、その都度モデルチェンジもして、軍事的利用から娯楽的性格を持つようにもなってきたこともあって、だんだんと大きく立派なものになってきました。

    この一枚を見て、どれがどの時代の黄鶴楼なのかを当てられるようになったら、それこそ立派なものですね。もっとも、それでご褒美が出るとは限りませんけど(~o~)

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 千年吉祥楼からの帰り道、こんな獅子を見つけました。<br /><br />この獅子は、あんまり獅子らしくないですね。

    千年吉祥楼からの帰り道、こんな獅子を見つけました。

    この獅子は、あんまり獅子らしくないですね。

  • こちらの獅子は、猫か虎が何か獲物を見つけて今にも飛び出しそうにしているのと、同じような格好をしていますね。<br /><br />獅子は猫科なんですから、当然ですね(^O^)<br />↑の獅子と同じ姿勢でないところが、面白いです。

    こちらの獅子は、猫か虎が何か獲物を見つけて今にも飛び出しそうにしているのと、同じような格好をしていますね。

    獅子は猫科なんですから、当然ですね(^O^)
    ↑の獅子と同じ姿勢でないところが、面白いです。

  • これは、「宝銅頂(銅頂とも)」と言って、黄鶴楼の屋根の上の中央部に立てられている塔なんですよ。<br />確か明代の黄鶴楼から、これが立てられていましたね。

    これは、「宝銅頂(銅頂とも)」と言って、黄鶴楼の屋根の上の中央部に立てられている塔なんですよ。
    確か明代の黄鶴楼から、これが立てられていましたね。

  • 東側から間近に見た黄鶴楼です。<br /><br />私たち恐妻家も、力を合わせてこのような楼閣をもちたいですね・・(^^)<br />その名も「全国恐妻家救済センター」というのはどうでしょうか??<br />入場資格は、女性の皆様と恐妻家に認定された男性のみにしたいと思います(~o~)

    東側から間近に見た黄鶴楼です。

    私たち恐妻家も、力を合わせてこのような楼閣をもちたいですね・・(^^)
    その名も「全国恐妻家救済センター」というのはどうでしょうか??
    入場資格は、女性の皆様と恐妻家に認定された男性のみにしたいと思います(~o~)

  • 黄鶴楼から出て、バスへと向かっています。<br /><br />今になってみると、黄鶴楼をもっと丹念に見て回るべきだったなと思います。<br />反省先に立たずとは、このことですね。<br /><br />しかし、黄鶴楼全体の印象は、何となく作られたた感じですね。建物の大きさ自体が清代ものよりさらに大きくなっていますから、「史実を再現するもの」になってないです(^_^;) 各種パネルや展示物も、再建時の宣伝的意図がかなり含まれているようにも感じます。<br />レプリカでいいですから、史実に近いものを展示して欲しいと思います。<br /><br />まぁ、日本のお城でも鉄筋コンクリートで再建され、城そのものの機能や居住性等を忠実に再現するよりも、いろいろな展示物で埋まっていますからね(ガラスケースの中で本物を展示していることも多いですが)。どちらも、似たようなモンかも知れませんね。<br />その点、高山の陣屋は、室内の様子などが当時を偲べる状態に再現してあって、好感が持てましたね。<br /><br />★↓は高山の陣屋の内部です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22039062/src.html

    黄鶴楼から出て、バスへと向かっています。

    今になってみると、黄鶴楼をもっと丹念に見て回るべきだったなと思います。
    反省先に立たずとは、このことですね。

    しかし、黄鶴楼全体の印象は、何となく作られたた感じですね。建物の大きさ自体が清代ものよりさらに大きくなっていますから、「史実を再現するもの」になってないです(^_^;) 各種パネルや展示物も、再建時の宣伝的意図がかなり含まれているようにも感じます。
    レプリカでいいですから、史実に近いものを展示して欲しいと思います。

    まぁ、日本のお城でも鉄筋コンクリートで再建され、城そのものの機能や居住性等を忠実に再現するよりも、いろいろな展示物で埋まっていますからね(ガラスケースの中で本物を展示していることも多いですが)。どちらも、似たようなモンかも知れませんね。
    その点、高山の陣屋は、室内の様子などが当時を偲べる状態に再現してあって、好感が持てましたね。

    ★↓は高山の陣屋の内部です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22039062/src.html

  • 黄鶴楼公園とお別れです。<br /><br />「天下江山第一楼」<br />ホントかな〜と思うようなスローガンですね。<br />「天下第一・・・」という表示は、中国ではよく見られると思います。<br /><br />スローガンで思い出しましたが、これまでたくさんのスローガンを見てきました。<br />特に重慶から三峡ダムに至る船上から、よく見ました。<br />先ほど見た詩人たちの詩ではないですが、漢詩や論語などの漢文はスローガンに向いていますね。<br /><br />「中国はスローガンの国」と言われますが、中国語のもつ性質にもよるかも知れませんね。<br />日本では、観光地にこのようなスローガンを書いたり掲げたりすることはまず無いですね。

    黄鶴楼公園とお別れです。

    「天下江山第一楼」
    ホントかな〜と思うようなスローガンですね。
    「天下第一・・・」という表示は、中国ではよく見られると思います。

    スローガンで思い出しましたが、これまでたくさんのスローガンを見てきました。
    特に重慶から三峡ダムに至る船上から、よく見ました。
    先ほど見た詩人たちの詩ではないですが、漢詩や論語などの漢文はスローガンに向いていますね。

    「中国はスローガンの国」と言われますが、中国語のもつ性質にもよるかも知れませんね。
    日本では、観光地にこのようなスローガンを書いたり掲げたりすることはまず無いですね。

  • 途中でトロリーバスを見ました。<br /><br />ヨーロッパでも見たような気がしましたが、日本ではあまり見たことがないような気がしますが、どうなのでしょうか??<br />環境が叫ばれる時代に向き合った取り組みをしていることは、とても素晴らしいことだと思いました。

    途中でトロリーバスを見ました。

    ヨーロッパでも見たような気がしましたが、日本ではあまり見たことがないような気がしますが、どうなのでしょうか??
    環境が叫ばれる時代に向き合った取り組みをしていることは、とても素晴らしいことだと思いました。

  • バスの駐車場の近くで大勢の人が工事をしていました。<br /><br />いったい何をしているのでしょうか?<br />大きな石を細いワイヤーに掛けて、4人で運びだそうとしています。

    バスの駐車場の近くで大勢の人が工事をしていました。

    いったい何をしているのでしょうか?
    大きな石を細いワイヤーに掛けて、4人で運びだそうとしています。

  • この人たちは石垣を積む石を運んでいたのですね。石垣を積むところって一度も見たことがないので、とっても珍しく貴重な光景を見せていただきました。<br /><br />石垣を積むって、最終的には人の手で石を揃えるんですよね??<br />ご苦労様と言ってあげたいです!!<br /><br />こうしてみると、大阪城や名古屋城などの石垣の規模も大きければ、一つ一つの石も大きい石垣などはどうやって積んだのか?想像もつきませんね。

    この人たちは石垣を積む石を運んでいたのですね。石垣を積むところって一度も見たことがないので、とっても珍しく貴重な光景を見せていただきました。

    石垣を積むって、最終的には人の手で石を揃えるんですよね??
    ご苦労様と言ってあげたいです!!

    こうしてみると、大阪城や名古屋城などの石垣の規模も大きければ、一つ一つの石も大きい石垣などはどうやって積んだのか?想像もつきませんね。

  • 武漢長江大橋を渡っていますよ。<br /><br />渋滞が激しいですね〜。これから一ヶ所の公園によって船に帰るのですが、中国の大都市ではどこでもこのような渋滞が日常化していますね。<br /><br />ちょっと前を見ますと、トヨタとかホンダの車も走っていますね。ちょっと嬉しいです。<br />また、右の方を見ますと、結構幅のある歩道があります。

    武漢長江大橋を渡っていますよ。

    渋滞が激しいですね〜。これから一ヶ所の公園によって船に帰るのですが、中国の大都市ではどこでもこのような渋滞が日常化していますね。

    ちょっと前を見ますと、トヨタとかホンダの車も走っていますね。ちょっと嬉しいです。
    また、右の方を見ますと、結構幅のある歩道があります。

  • 武漢長江大橋の上から見えた船着き場です。<br />これが「港」なんですよ。<br /><br />もちろん、ちゃんとした岩壁とコンテナなどの貨物を荷揚げする設備を備えた港もありますが、多くの場合はこういう感じですね。<br /><br />★↓は荷役設備を備えた港です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23135693/src.html

    武漢長江大橋の上から見えた船着き場です。
    これが「港」なんですよ。

    もちろん、ちゃんとした岩壁とコンテナなどの貨物を荷揚げする設備を備えた港もありますが、多くの場合はこういう感じですね。

    ★↓は荷役設備を備えた港です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23135693/src.html

  • 黄鶴楼から見えたクルーズ船が、橋の上からもみえました。<br /><br />重慶からたくさん見てきたクルーズ船ですが、長江を行き来するクルーズ船(宿泊可能な客室を多数備えて、数泊以上の航行をする客船)はいったい何隻くらいあるのかなと思いましたね。<br /><br />ご存知の方がおられたら、教えて下さいね。

    黄鶴楼から見えたクルーズ船が、橋の上からもみえました。

    重慶からたくさん見てきたクルーズ船ですが、長江を行き来するクルーズ船(宿泊可能な客室を多数備えて、数泊以上の航行をする客船)はいったい何隻くらいあるのかなと思いましたね。

    ご存知の方がおられたら、教えて下さいね。

  • 橋の上から城門らしきものが見えました。<br /><br />あとで分かったことですが、左側の古建築は「鐵門関」です。右側の古建築は「晴川閣」のようです。長江をはさんで、黄鶴楼と向かい合う位置にあることになります。<br /><br />昔はこの付近に岩場があったのではないかと思います。

    橋の上から城門らしきものが見えました。

    あとで分かったことですが、左側の古建築は「鐵門関」です。右側の古建築は「晴川閣」のようです。長江をはさんで、黄鶴楼と向かい合う位置にあることになります。

    昔はこの付近に岩場があったのではないかと思います。

  • この建物のある小さな山の周辺一帯は「亀山公園」となっているようです。<br /><br />で、この建物はその「亀山公園」の中にあるのですが、どういう建物かがちょっと分かりません(-_-;)<br />見た目に立派なだけにホテルのように見えますが、なんでしょうかね??<br /><br />亀山公園には、「亀山文化広場」というのがありますが、この建物かどうかは分かりません。<br />ご存知の方、教えて下さいね。

    この建物のある小さな山の周辺一帯は「亀山公園」となっているようです。

    で、この建物はその「亀山公園」の中にあるのですが、どういう建物かがちょっと分かりません(-_-;)
    見た目に立派なだけにホテルのように見えますが、なんでしょうかね??

    亀山公園には、「亀山文化広場」というのがありますが、この建物かどうかは分かりません。
    ご存知の方、教えて下さいね。

  • この高い塔は、「亀山公園」の中にある「湖北広播電視塔」のようです。<br /><br />通称は「亀山テレビ塔」と言われているようです。高さは293mもあるそうです。

    この高い塔は、「亀山公園」の中にある「湖北広播電視塔」のようです。

    通称は「亀山テレビ塔」と言われているようです。高さは293mもあるそうです。

  • この城門のようなものは、先ほど橋の上から見えた「鐵門関」です。<br />この鐵門関は三国時代に作られた門のようです。<br /><br />荊州城の「東城門」のように長い城壁の中に組み込まれた城門なのか、城壁を伴わない関門なのかちょっと分かりません。 すぐ左に小山があったことから、城壁を伴わなくても良かったのかな?と、勝手な想像をしています。しかし、後漢末期にこのあたりに「郤月城」が築かれたと言われていますから、<br /><br />この地域は黄祖と孫家の戦いだった「夏口の戦い」や、あの「赤壁の戦い」でも登場してくるところです。その14年後の「夷陵の戦い」で、呉軍が蜀漢軍に大勝して蜀漢が荊州から手を引くと、今度は魏が呉に手を出すようになって長江を挟んで争うようになります。この頃に作られたのが黄鶴楼であり、この鐵門関も呉と魏の争いの中で呉によって建設されたようです。ですから、いわゆる三国時代に建てられたと言うことのようです。<br /><br />この鐵門関そのものは、唐の時代になるまで繰り返し戦い渦に巻き込まれたようです。その後戦争?で破壊され、1990年頃再建されたとのことです。昔と同じところに再建されたかどうかは分かりません。また、このすぐ左側(長江側)には、晴川閣があります。<br /><br />★「夷陵の戦い」の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B7%E9%99%B5%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

    この城門のようなものは、先ほど橋の上から見えた「鐵門関」です。
    この鐵門関は三国時代に作られた門のようです。

    荊州城の「東城門」のように長い城壁の中に組み込まれた城門なのか、城壁を伴わない関門なのかちょっと分かりません。 すぐ左に小山があったことから、城壁を伴わなくても良かったのかな?と、勝手な想像をしています。しかし、後漢末期にこのあたりに「郤月城」が築かれたと言われていますから、

    この地域は黄祖と孫家の戦いだった「夏口の戦い」や、あの「赤壁の戦い」でも登場してくるところです。その14年後の「夷陵の戦い」で、呉軍が蜀漢軍に大勝して蜀漢が荊州から手を引くと、今度は魏が呉に手を出すようになって長江を挟んで争うようになります。この頃に作られたのが黄鶴楼であり、この鐵門関も呉と魏の争いの中で呉によって建設されたようです。ですから、いわゆる三国時代に建てられたと言うことのようです。

    この鐵門関そのものは、唐の時代になるまで繰り返し戦い渦に巻き込まれたようです。その後戦争?で破壊され、1990年頃再建されたとのことです。昔と同じところに再建されたかどうかは分かりません。また、このすぐ左側(長江側)には、晴川閣があります。

    ★「夷陵の戦い」の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B7%E9%99%B5%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

  • 「大禹神話園」<br />船に帰る途中に立ち寄ると言われたところはここでした。<br /><br />とにかく入ってみましょう。

    「大禹神話園」
    船に帰る途中に立ち寄ると言われたところはここでした。

    とにかく入ってみましょう。

  • これは龍と戦っている様子ですね。<br /><br />それこそ、神話の世界です。<br />龍は翼が無くても空を舞うのに、この龍には翼がついています(^o^)<br />翼のある龍を見たのは初めてですが、どういう種類の龍でしょうか??<br /><br />大禹というのは夏朝を起こした「禹」のことで、農業を重視して黄河の治水事業を進めるなど、徳のある、人々から尊敬された伝説的な帝のようです。<br />彼の神格化の過程にはいろいろあるようですが、そこは割愛するとして、彼の力を借りて長江の洪水を治めてもらおうという物語を、この大禹神話園のモニュメントを通して表しているそうです。<br /><br />★禹の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9

    これは龍と戦っている様子ですね。

    それこそ、神話の世界です。
    龍は翼が無くても空を舞うのに、この龍には翼がついています(^o^)
    翼のある龍を見たのは初めてですが、どういう種類の龍でしょうか??

    大禹というのは夏朝を起こした「禹」のことで、農業を重視して黄河の治水事業を進めるなど、徳のある、人々から尊敬された伝説的な帝のようです。
    彼の神格化の過程にはいろいろあるようですが、そこは割愛するとして、彼の力を借りて長江の洪水を治めてもらおうという物語を、この大禹神話園のモニュメントを通して表しているそうです。

    ★禹の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9

  • こんなものがありました。<br /><br />大昔の暮らしを表現しているのでしょうかね?<br />上の輪の中は、家族の姿のようです。<br />火をおこして、これから食事の用意でもするところでしょうか?<br /><br />まさに神話の時代ですね。

    こんなものがありました。

    大昔の暮らしを表現しているのでしょうかね?
    上の輪の中は、家族の姿のようです。
    火をおこして、これから食事の用意でもするところでしょうか?

    まさに神話の時代ですね。

  • ↑のものを反対側からみたものです。<br /><br />内容的には原始時代の様子ですが、身なりはちゃんとしていますね。

    ↑のものを反対側からみたものです。

    内容的には原始時代の様子ですが、身なりはちゃんとしていますね。

  • 左側の人は、権力を持った人のようですね。<br /><br />後で知ったことですが、このような神話に基づく像がまだまだたくさんあったようです。<br />その一つは天馬と龍に乗って長江を見つめる禹王の姿とか、日本の八岐大蛇顔負けの「九頭の大蛇」を退治する場面のモニュメントとか、その他たくさんの像があったようです。<br /><br />これらのモニュメントは、禹王の時代を描いているのかも知れないと想像してしまいました。

    左側の人は、権力を持った人のようですね。

    後で知ったことですが、このような神話に基づく像がまだまだたくさんあったようです。
    その一つは天馬と龍に乗って長江を見つめる禹王の姿とか、日本の八岐大蛇顔負けの「九頭の大蛇」を退治する場面のモニュメントとか、その他たくさんの像があったようです。

    これらのモニュメントは、禹王の時代を描いているのかも知れないと想像してしまいました。

  • 公園内に桜のような花が咲いていました。<br /><br />それにしても、現代になって殆ど伝説のとなっている神話の世界を、このような形にして展示するのは、どういうことなんでしょうかね?<br />もちろん、神話や昔話などを形にして展示してみようという気持ちは分かるのですけどね。

    公園内に桜のような花が咲いていました。

    それにしても、現代になって殆ど伝説のとなっている神話の世界を、このような形にして展示するのは、どういうことなんでしょうかね?
    もちろん、神話や昔話などを形にして展示してみようという気持ちは分かるのですけどね。

  • 大禹神話園は長江の岸辺にありますので、岸辺から長江を眺めることも出来ます。<br /><br />この大きな橋は、先ほど私たちが渡ってきた武漢長江大橋です。当時のソ連の援助を受けながら1957年(日本で言うと昭和32年)に完成したそうです。<br /><br />半世紀以上も前に、歩道付きでこれだけの大きな橋を作ったというのは、先を見る人材がいたということですね。なかなかのもののように思います。

    大禹神話園は長江の岸辺にありますので、岸辺から長江を眺めることも出来ます。

    この大きな橋は、先ほど私たちが渡ってきた武漢長江大橋です。当時のソ連の援助を受けながら1957年(日本で言うと昭和32年)に完成したそうです。

    半世紀以上も前に、歩道付きでこれだけの大きな橋を作ったというのは、先を見る人材がいたということですね。なかなかのもののように思います。

  • 少し遠くを見てみますと、先ほど見た黄鶴楼が見えます。左端の楼閣は白雲閣です。<br /><br />この川(長江)を挟んで呉と魏が、また晋と呉の軍隊がにらみ合いをしたとか。そして、<br />呉は晋の攻撃によって滅亡してしまったのです。<br /><br />★↓は、呉の滅亡の話です。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E3%81%AE%E6%BB%85%E4%BA%A1_(%E4%B8%89%E5%9B%BD)#.E6.99.8B.E7.8E.8B.E6.9C.9D.E6.88.90.E7.AB.8B

    少し遠くを見てみますと、先ほど見た黄鶴楼が見えます。左端の楼閣は白雲閣です。

    この川(長江)を挟んで呉と魏が、また晋と呉の軍隊がにらみ合いをしたとか。そして、
    呉は晋の攻撃によって滅亡してしまったのです。

    ★↓は、呉の滅亡の話です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E3%81%AE%E6%BB%85%E4%BA%A1_(%E4%B8%89%E5%9B%BD)#.E6.99.8B.E7.8E.8B.E6.9C.9D.E6.88.90.E7.AB.8B

  • 上でも書きましたが、この向こう岸にはかつて夏口城があり、岸に近いところには「黄鵠楼」が建っていたのですね。そして同じ頃に、こちら側には郤月城があり鐵門関があって、長江での軍の動き見張っていたというわけでしたね。<br /><br />城があれば街が出来る(^^)<br />武漢の街の起こりは「盤龍城」あたりから始まったと言われていますが、長江を挟んだ二つの城も、武漢の都市化の切っ掛けになったものと思われますね。<br /><br />★↓は「盤龍城」遺跡のあるところです。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=30.696549,114.265956&amp;spn=0.010794,0.010911&amp;iwloc=0004b55a82304531df672

    上でも書きましたが、この向こう岸にはかつて夏口城があり、岸に近いところには「黄鵠楼」が建っていたのですね。そして同じ頃に、こちら側には郤月城があり鐵門関があって、長江での軍の動き見張っていたというわけでしたね。

    城があれば街が出来る(^^)
    武漢の街の起こりは「盤龍城」あたりから始まったと言われていますが、長江を挟んだ二つの城も、武漢の都市化の切っ掛けになったものと思われますね。

    ★↓は「盤龍城」遺跡のあるところです。
    http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=30.696549,114.265956&spn=0.010794,0.010911&iwloc=0004b55a82304531df672

  • 大禹神話園を出る時に見つけた獅子さんです。<br /><br />「大禹神話園」の周辺の柵を守ってる仕事をしているようです(^^)<br />ホントに小さい可愛い獅子です。<br /><br />平らな頭が特徴的。<br />右手で何かの動物?を押さえ込んでいますね(^^)

    大禹神話園を出る時に見つけた獅子さんです。

    「大禹神話園」の周辺の柵を守ってる仕事をしているようです(^^)
    ホントに小さい可愛い獅子です。

    平らな頭が特徴的。
    右手で何かの動物?を押さえ込んでいますね(^^)

  • 船に帰る途中の道端の様子です。

    船に帰る途中の道端の様子です。

  • これも道端の様子ですけど、歩道の幅をすべて置物やテントで埋めてしまっていますね。<br />このお店は、荷物運びでもしているのでしょうか?

    これも道端の様子ですけど、歩道の幅をすべて置物やテントで埋めてしまっていますね。
    このお店は、荷物運びでもしているのでしょうか?

  • 子供を二人も乗せて走るお父さん?です(^^)

    子供を二人も乗せて走るお父さん?です(^^)

  • 漸く港までやってきました。

    漸く港までやってきました。

  • 港に入ろうと右に曲がったところの道端で店を開いている、焼き肉屋さん。<br />一本だけでも買ってあげたいし食べてみたいところですが、バスからでは手も出ません(^^;)<br />

    港に入ろうと右に曲がったところの道端で店を開いている、焼き肉屋さん。
    一本だけでも買ってあげたいし食べてみたいところですが、バスからでは手も出ません(^^;)

  • 港に着きましたので、これから船に乗ります。<br /><br />船から橋を渡って上陸する時には気がつかなかったのですが、船に渡る橋の両側の欄干に、空母やそのほかの軍艦を始め、各種の戦闘機他の軍用機の写真がずらり(数十枚以上)掲示してあったのに気づきました。これにはビックリ(&gt;_&lt;)。<br /><br />戦争の道具をご紹介するのは私自身も大きな抵抗感をもつのです。このようなものを外国人も通る橋の欄干に掲示する意図は分かりませんが、これも現在の中国の姿と思いますのでやや詳しくご紹介します。<br /><br />まず、この写真から。<br />この空母はアメリカの「セオドア・ルーズベルト」です。<br />基準排水量104,581トン 全長330 m 船体幅41m 全幅78 m  原子炉2基 蒸気タービン4機, 26万馬力, スクリュー4軸, 最大速力30ノット以上 乗組員3950人<br /><br />ちなみに、「アリュール・オブ・ザ・シーズ号」は、総トン数225,282 トン 全長361 m 船体幅46.9 m 全幅66m ディーゼルエレクトリック 8万1500馬力 スクリュー3軸 航海速力20.2ノットです。 <br />

    港に着きましたので、これから船に乗ります。

    船から橋を渡って上陸する時には気がつかなかったのですが、船に渡る橋の両側の欄干に、空母やそのほかの軍艦を始め、各種の戦闘機他の軍用機の写真がずらり(数十枚以上)掲示してあったのに気づきました。これにはビックリ(>_<)。

    戦争の道具をご紹介するのは私自身も大きな抵抗感をもつのです。このようなものを外国人も通る橋の欄干に掲示する意図は分かりませんが、これも現在の中国の姿と思いますのでやや詳しくご紹介します。

    まず、この写真から。
    この空母はアメリカの「セオドア・ルーズベルト」です。
    基準排水量104,581トン 全長330 m 船体幅41m 全幅78 m  原子炉2基 蒸気タービン4機, 26万馬力, スクリュー4軸, 最大速力30ノット以上 乗組員3950人

    ちなみに、「アリュール・オブ・ザ・シーズ号」は、総トン数225,282 トン 全長361 m 船体幅46.9 m 全幅66m ディーゼルエレクトリック 8万1500馬力 スクリュー3軸 航海速力20.2ノットです。

  • たくさんの空母が並んでいますね〜。<br /><br />一番手前の半分だけ写っている船を入れると、5隻もの大型空母が写っています。<br />名前の書いてある空母を写真の上の方から見ますと、先ずはあの有名な原子力空母「エンタープライズ」ですね。<br />スペックを見ますと、基準排水量75,700トン 満載排水量93,284トン 全長336 m 艦幅40 m 全幅76 m 原子炉8基 28万馬力 33.6ノット 乗員4600人 大西洋艦隊に所属のようです。<br /><br />上から2番目は、原子力空母「セオドア・ルーズベルト」で、スペックは満載排水量104,581トン 全長330 m 全幅78 m 26万馬力 乗組員3950人 大西洋艦隊に所属のようです。<br /><br />3番目は、原子力空母の「ドワイト・D・アイゼンハワー」ですね。<br />スペックは↑の「セオドア・ルーズベルト」 と同じ艦級ですから、ほぼ同様です。この船も大西洋艦隊に所属のようです。<br /><br />4番目は、上と同じ艦級の「ジョン・C・ステニス」です。スペックもほぼ同様です。 所属は、太平洋艦隊のようです。<br />「ジョン・C・ステニス」は、アメリカ西海岸のサンディエゴで見たことがあります。

    たくさんの空母が並んでいますね〜。

    一番手前の半分だけ写っている船を入れると、5隻もの大型空母が写っています。
    名前の書いてある空母を写真の上の方から見ますと、先ずはあの有名な原子力空母「エンタープライズ」ですね。
    スペックを見ますと、基準排水量75,700トン 満載排水量93,284トン 全長336 m 艦幅40 m 全幅76 m 原子炉8基 28万馬力 33.6ノット 乗員4600人 大西洋艦隊に所属のようです。

    上から2番目は、原子力空母「セオドア・ルーズベルト」で、スペックは満載排水量104,581トン 全長330 m 全幅78 m 26万馬力 乗組員3950人 大西洋艦隊に所属のようです。

    3番目は、原子力空母の「ドワイト・D・アイゼンハワー」ですね。
    スペックは↑の「セオドア・ルーズベルト」 と同じ艦級ですから、ほぼ同様です。この船も大西洋艦隊に所属のようです。

    4番目は、上と同じ艦級の「ジョン・C・ステニス」です。スペックもほぼ同様です。 所属は、太平洋艦隊のようです。
    「ジョン・C・ステニス」は、アメリカ西海岸のサンディエゴで見たことがあります。

  • これは、艦N.Oからして、アメリカの原子力空母「ハリー・S・トルーマン」ですね。  この船も、「セオドア・ルーズベルト」と同じ艦級ですから、スペックもほぼ同じですね。所属は、大西洋艦隊のようです。<br /><br />このような大型空母はとっても強力な破壊力と行動力を持っているのですが、一方で大きくて狙いやすいことから「浮かぶ棺桶」と言われている代物なのです。そのため一隻の空母を運用するために護衛の艦艇が何隻も同行し、海中では潜水艦が護衛につきます。<br /><br />このような空母一隻の建造費だけでも5000億円弱はかかるのに(為替相場で変わりますが)、護衛のミサイル駆逐艦ほかの艦船の建造費も、一隻の空母の作戦出動に伴う艦隊システム構築の費用に加えなければなりませんよね。<br /><br />それに加えて開発費・運用費・維持費・艦載機配備等々を、空母の就役から退役までの期間で考えますと(ライフサイクルコスト)、一隻の空母だけでも2兆5千億円を軽く超えると言われています。空母に伴う艦隊システム全体のライフサイクルコストを考えますと5兆円くらいになるのではないかと想像できますね。

    これは、艦N.Oからして、アメリカの原子力空母「ハリー・S・トルーマン」ですね。 この船も、「セオドア・ルーズベルト」と同じ艦級ですから、スペックもほぼ同じですね。所属は、大西洋艦隊のようです。

    このような大型空母はとっても強力な破壊力と行動力を持っているのですが、一方で大きくて狙いやすいことから「浮かぶ棺桶」と言われている代物なのです。そのため一隻の空母を運用するために護衛の艦艇が何隻も同行し、海中では潜水艦が護衛につきます。

    このような空母一隻の建造費だけでも5000億円弱はかかるのに(為替相場で変わりますが)、護衛のミサイル駆逐艦ほかの艦船の建造費も、一隻の空母の作戦出動に伴う艦隊システム構築の費用に加えなければなりませんよね。

    それに加えて開発費・運用費・維持費・艦載機配備等々を、空母の就役から退役までの期間で考えますと(ライフサイクルコスト)、一隻の空母だけでも2兆5千億円を軽く超えると言われています。空母に伴う艦隊システム全体のライフサイクルコストを考えますと5兆円くらいになるのではないかと想像できますね。

  • この船は、↑の写真にも写っていたアメリカの原子力空母の「エンタープライズ」のようですね。<br /><br />中国が日本のGDPを上回ったと言っても、10倍の人口と25倍もの国土を考えると、一人あたりの所得は大雑把に見ても日本の1/10ほどしかないのです。<br /><br />中国には軍備どころか、やるべきことは山ほどあるはず。教育・生活・産業・社会制度などを基礎から再構築する課題があるはずです。それは、日本でも経済レベルが違うとは言え、同じことが言えると思います。

    この船は、↑の写真にも写っていたアメリカの原子力空母の「エンタープライズ」のようですね。

    中国が日本のGDPを上回ったと言っても、10倍の人口と25倍もの国土を考えると、一人あたりの所得は大雑把に見ても日本の1/10ほどしかないのです。

    中国には軍備どころか、やるべきことは山ほどあるはず。教育・生活・産業・社会制度などを基礎から再構築する課題があるはずです。それは、日本でも経済レベルが違うとは言え、同じことが言えると思います。

  • 艦船N.O61と言う艦艇は、アメリカ海軍のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の15番艦にあたる「モンテレー」ですね。<br />主なスペックは、基準排水量7,652トン、全長172.8m、全幅16.8m、主機ガスタービン8万馬力、様々なミサイル装備を持ち高い防空能力があると言われています。<br /><br />この船とほぼ同じサイズの「あたご」型護衛艦の建造費が、一隻あたり1500億円弱と言われていますから、軍備というものは本当にカネの要るものです。<br /><br />ちなみに、あの22万トンの豪華設備を備えた「アリュール・オブ・ザ・シーズ号」でさえ、一隻の建造費は1300億円ほどといわれています。あの15万トンの高級客船の「クイーン・メリー2」でも、建造費は8億ドル(大雑把に言って700億円弱)なんです。<br />9万トンクラスの客船では450億円くらいと言われています(為替の変動で円表示は変わります)。太平洋フェリーの「いしかり」の建造費は120億円と言われています。<br />これらの客船は就航したあと働いて稼ぎますけど、軍艦や戦闘機など軍事機材は働くほどに税金を使うのですね。ホントに大変なことになります。<br /><br />客船から見れば親子ほどの小さなサイズのイージス艦は、建造費で見ればバカ高いものであることがお分かりになると思います。<br /><br />★↓は22万トンの「アリュール・オブ・ザ・シーズ号(全長361m)」です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/21136856/src.html<br />★↓は9万トンクラスの「サミット号(全長294m)」です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14325409/src.html

    艦船N.O61と言う艦艇は、アメリカ海軍のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の15番艦にあたる「モンテレー」ですね。
    主なスペックは、基準排水量7,652トン、全長172.8m、全幅16.8m、主機ガスタービン8万馬力、様々なミサイル装備を持ち高い防空能力があると言われています。

    この船とほぼ同じサイズの「あたご」型護衛艦の建造費が、一隻あたり1500億円弱と言われていますから、軍備というものは本当にカネの要るものです。

    ちなみに、あの22万トンの豪華設備を備えた「アリュール・オブ・ザ・シーズ号」でさえ、一隻の建造費は1300億円ほどといわれています。あの15万トンの高級客船の「クイーン・メリー2」でも、建造費は8億ドル(大雑把に言って700億円弱)なんです。
    9万トンクラスの客船では450億円くらいと言われています(為替の変動で円表示は変わります)。太平洋フェリーの「いしかり」の建造費は120億円と言われています。
    これらの客船は就航したあと働いて稼ぎますけど、軍艦や戦闘機など軍事機材は働くほどに税金を使うのですね。ホントに大変なことになります。

    客船から見れば親子ほどの小さなサイズのイージス艦は、建造費で見ればバカ高いものであることがお分かりになると思います。

    ★↓は22万トンの「アリュール・オブ・ザ・シーズ号(全長361m)」です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/21136856/src.html
    ★↓は9万トンクラスの「サミット号(全長294m)」です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14325409/src.html

  • この戦闘機は、ボーイング社が10年以上前に開発したX−32と呼ばれた試作戦闘機のようです。<br /><br />実際には2機生産されただけで、現在は実戦配備されていないようですね。

    この戦闘機は、ボーイング社が10年以上前に開発したX−32と呼ばれた試作戦闘機のようです。

    実際には2機生産されただけで、現在は実戦配備されていないようですね。

  • この写真の飛行機は、かすかに記憶に残っている型です。<br /><br />調べてみると、アメリカのB−2戦略爆撃機ですね。<br />いわゆる「全翼機」と言われる型で、あんまり普及はしなかったようですね。

    この写真の飛行機は、かすかに記憶に残っている型です。

    調べてみると、アメリカのB−2戦略爆撃機ですね。
    いわゆる「全翼機」と言われる型で、あんまり普及はしなかったようですね。

  • これは051C型といわれる中国海軍の駆逐艦のようで、高い防空能力を持つ最新鋭艦といわれています。<br /><br />艦の大きさも、上記の「モンテレー」や」自衛隊の「あたご」とそんなに変わらないことから、建造費・維持費等もずいぶん高額なものと思いますね。<br />中国版イージス艦とも言えるかも知れませんね。

    これは051C型といわれる中国海軍の駆逐艦のようで、高い防空能力を持つ最新鋭艦といわれています。

    艦の大きさも、上記の「モンテレー」や」自衛隊の「あたご」とそんなに変わらないことから、建造費・維持費等もずいぶん高額なものと思いますね。
    中国版イージス艦とも言えるかも知れませんね。

  • 艦橋に五星紅旗が翻っているところを見ますと、中国はこのようなアメリカ型の大型空母をもちたいという希望を持っているのでしょうかね??<br /><br />中国にとっての「将来の空母??」なのかも知れませんね。

    艦橋に五星紅旗が翻っているところを見ますと、中国はこのようなアメリカ型の大型空母をもちたいという希望を持っているのでしょうかね??

    中国にとっての「将来の空母??」なのかも知れませんね。

  • 中国の航空母艦「瓦良格号」(旧ソ連空母ヴァリヤーグ)のようです。そのスペックは、満載排水量67,900トン 全長305m 幅73m 蒸気タービン8万馬力 速力29ノット 乗員1690人<br /><br />300mの全長をもつ空母は、世界的にはアメリカの大型空母以外では、旧ソ連で建造された(アドミラル・クズネツォフ級)のこの種のものしかないと思います。その次がフランスの空母で、全長では265mほどになります(艦の能力等は度外視)。

    中国の航空母艦「瓦良格号」(旧ソ連空母ヴァリヤーグ)のようです。そのスペックは、満載排水量67,900トン 全長305m 幅73m 蒸気タービン8万馬力 速力29ノット 乗員1690人

    300mの全長をもつ空母は、世界的にはアメリカの大型空母以外では、旧ソ連で建造された(アドミラル・クズネツォフ級)のこの種のものしかないと思います。その次がフランスの空母で、全長では265mほどになります(艦の能力等は度外視)。

  • この戦闘機はロシア空軍の最新鋭機で、スホーイ35(su-35)のようです。ロシアでは今年から配備が計画されているようです。<br />中国もこの機種を購入する動きがあるようですが、確定したかどうかは分かりません。<br /><br />一機あたりの値段は50億円から80億円くらいかと思います。

    この戦闘機はロシア空軍の最新鋭機で、スホーイ35(su-35)のようです。ロシアでは今年から配備が計画されているようです。
    中国もこの機種を購入する動きがあるようですが、確定したかどうかは分かりません。

    一機あたりの値段は50億円から80億円くらいかと思います。

  • 中国の原子力潜水艦かと思います。<br /><br />アメリカの原子力空母にしても、最新鋭の戦闘機にしても、ここには出ていない原水爆にしても、それを作るには多くの政策決定者がおり、科学者・技術者の組織的協力があるわけです。<br /><br />科学の発達が、専門分野の一層の細分化等によって総合性をさらに失い(現在の大学でも教養課程の廃止・縮小の一方“儲かる学部”が重視される傾向にあり、教育の総合性が重視されにくい方向にあるようです)、専門家の視野を広い社会から狭い専門分野へと著しく狭いものにしているのは否めません。<br /><br />狭い分野に専門化された知識が戦争用具の高性能化・精密化に結びついたりして、地球環境の破壊とモラル破壊の危機を生み出しているのではないかと案じる向きもあるのです(&gt;_&lt;)(*_*)<br /><br />科学の発達には、その根底に「社会をトータルに見ること」「人を愛する(大切にする)」ということが大前提とされなければなりませんね!!<br />細分化された諸科学と人々の現実生活とを結びつける哲学などの役割が、今改めて求められるのかも知れません。諸科学の発達は、世界の人々の知識と暮らしの向上に結びついてこそ、その本来の役割を果たせるのではないでしょうか。←難しい問題なので上手く言えませんが(=_=)

    中国の原子力潜水艦かと思います。

    アメリカの原子力空母にしても、最新鋭の戦闘機にしても、ここには出ていない原水爆にしても、それを作るには多くの政策決定者がおり、科学者・技術者の組織的協力があるわけです。

    科学の発達が、専門分野の一層の細分化等によって総合性をさらに失い(現在の大学でも教養課程の廃止・縮小の一方“儲かる学部”が重視される傾向にあり、教育の総合性が重視されにくい方向にあるようです)、専門家の視野を広い社会から狭い専門分野へと著しく狭いものにしているのは否めません。

    狭い分野に専門化された知識が戦争用具の高性能化・精密化に結びついたりして、地球環境の破壊とモラル破壊の危機を生み出しているのではないかと案じる向きもあるのです(>_<)(*_*)

    科学の発達には、その根底に「社会をトータルに見ること」「人を愛する(大切にする)」ということが大前提とされなければなりませんね!!
    細分化された諸科学と人々の現実生活とを結びつける哲学などの役割が、今改めて求められるのかも知れません。諸科学の発達は、世界の人々の知識と暮らしの向上に結びついてこそ、その本来の役割を果たせるのではないでしょうか。←難しい問題なので上手く言えませんが(=_=)

  • 徳里級駆逐艦          <br />この艦艇の詳しいことは分かりません。<br /><br />いずれにしても、アメリカの軍備を展示して、それに対抗するかのような掲示をする姿勢は、どう考えても平和的とは言えませんね。<br /><br />儒教が教えるように、国の力とは民の力です。武器を造り揃えることではなく、人々の知識を高め、社会参加を促し、生活を豊かにし、平和的な国家を建設をすることが何より求められると思います。<br /><br />観光港の桟橋ですから、常識的には観光ポイントの写真など貼るのではないでしょうか?<br /><br />★↓はこれらの写真が掲示してあったところです(橋の両側の写真です)。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/24300966/src.html

    徳里級駆逐艦
    この艦艇の詳しいことは分かりません。

    いずれにしても、アメリカの軍備を展示して、それに対抗するかのような掲示をする姿勢は、どう考えても平和的とは言えませんね。

    儒教が教えるように、国の力とは民の力です。武器を造り揃えることではなく、人々の知識を高め、社会参加を促し、生活を豊かにし、平和的な国家を建設をすることが何より求められると思います。

    観光港の桟橋ですから、常識的には観光ポイントの写真など貼るのではないでしょうか?

    ★↓はこれらの写真が掲示してあったところです(橋の両側の写真です)。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/24300966/src.html

  • 飛行甲板の前端が上に反り上がっているのが特徴的ですね。<br /><br />軍備というものは、必要か?不要か? 必要とするならどの程度のものか??<br />それは本当に難しいですね。<br />ところが現実は、世界的な格差の拡大が広がる中で、人口爆発や食料・資源の限界も見えてきて、国や民族の利益を争う火種はますます増える傾向にあると言えます。<br />しかし、もう世界大戦の出来ない時代であることだけは、誰もが分かっている時代です。<br /><br />今やグローバルな経済戦争の時代ですが、一部の先進国の文化や制度・利益を基準にして世界に押しつけるのではなく、それぞれの国の文化や歴史・発展段階を尊重し合いながら、助け合える国家関係が築けないものかと思いますね。<br /><br />国際連合憲章も、国境を越えた経済戦争やメディア普及までは詳しく考えていなかったと思います。新しい時代の新しい国際関係をどう築いていくのか?こんなことも課題なのかも知れませんね。<br /><br />これからますます大事になるのは、競争や戦いで勝ち抜いて貧困を他人・他国に押しつけることではなく、思いやりと愛を高く掲げて共同することだと思います!!<br /><br />再度申しますが、戦争(最大の殺人合戦)の道具である軍艦や戦闘機などをご紹介するのは本意ではありません。<br /><br />それでも載せてしまったのは、私たちのような外国人観光客が利用する桟橋に、外国の軍備状況も含めてこのような写真を数十枚も掲示していることに、驚きと疑問を感じてしまったからです(&gt;_&lt;)<br /><br />ついつい熱が入ってしまいました。

    飛行甲板の前端が上に反り上がっているのが特徴的ですね。

    軍備というものは、必要か?不要か? 必要とするならどの程度のものか??
    それは本当に難しいですね。
    ところが現実は、世界的な格差の拡大が広がる中で、人口爆発や食料・資源の限界も見えてきて、国や民族の利益を争う火種はますます増える傾向にあると言えます。
    しかし、もう世界大戦の出来ない時代であることだけは、誰もが分かっている時代です。

    今やグローバルな経済戦争の時代ですが、一部の先進国の文化や制度・利益を基準にして世界に押しつけるのではなく、それぞれの国の文化や歴史・発展段階を尊重し合いながら、助け合える国家関係が築けないものかと思いますね。

    国際連合憲章も、国境を越えた経済戦争やメディア普及までは詳しく考えていなかったと思います。新しい時代の新しい国際関係をどう築いていくのか?こんなことも課題なのかも知れませんね。

    これからますます大事になるのは、競争や戦いで勝ち抜いて貧困を他人・他国に押しつけることではなく、思いやりと愛を高く掲げて共同することだと思います!!

    再度申しますが、戦争(最大の殺人合戦)の道具である軍艦や戦闘機などをご紹介するのは本意ではありません。

    それでも載せてしまったのは、私たちのような外国人観光客が利用する桟橋に、外国の軍備状況も含めてこのような写真を数十枚も掲示していることに、驚きと疑問を感じてしまったからです(>_<)

    ついつい熱が入ってしまいました。

  • 春分の日がもうすぐとは言っても、夜は早いです。<br /><br />「おかあさん、綺麗な船が見えるよ!!」<br />ホント、照明の綺麗な船がやってきました。ナイトクルーズをしているんですね〜。<br />船には「晴川閣」の文字が見えます。<br />これから武漢長江大橋の方へ行くのでしょう。<br /><br />そこからは晴川閣はもちろん、亀山公園や黄鶴楼公園のライトアップなどが見られるかも? また、高いビル群も見られるかも知れませんね。<br /><br /><br />このような平和な光景に見とれていると、先ほどの桟橋で見た多数の戦争用具写真の展示風景は、まるで地獄の沙汰のように思います。<br />争うのではなく、話し合い、譲り合って、平和な世界を築いて欲しいと願わざるをえません。

    春分の日がもうすぐとは言っても、夜は早いです。

    「おかあさん、綺麗な船が見えるよ!!」
    ホント、照明の綺麗な船がやってきました。ナイトクルーズをしているんですね〜。
    船には「晴川閣」の文字が見えます。
    これから武漢長江大橋の方へ行くのでしょう。

    そこからは晴川閣はもちろん、亀山公園や黄鶴楼公園のライトアップなどが見られるかも? また、高いビル群も見られるかも知れませんね。


    このような平和な光景に見とれていると、先ほどの桟橋で見た多数の戦争用具写真の展示風景は、まるで地獄の沙汰のように思います。
    争うのではなく、話し合い、譲り合って、平和な世界を築いて欲しいと願わざるをえません。

  • 私たちの船が次の寄港地に向かって移動し始めました。<br /><br />向こうに見えるのは天の川・・ではなくて、武漢の高層ビルのライトです。<br />まるで星の世界ですね(^^)<br /><br />武漢には高さ666mの超高層ビルが計画されているようです(実現するかどうかは不明)。そういう夢が持てる都市なんですね。<br />完成すれば、上海タワー(632m)や深&#22323;市の「平安国際金融中心(660m)」を越えて、中国一の高さ!!になるとか(武漢には606mのビルも計画されていますけど、それとは別なのかは分かりません)。

    私たちの船が次の寄港地に向かって移動し始めました。

    向こうに見えるのは天の川・・ではなくて、武漢の高層ビルのライトです。
    まるで星の世界ですね(^^)

    武漢には高さ666mの超高層ビルが計画されているようです(実現するかどうかは不明)。そういう夢が持てる都市なんですね。
    完成すれば、上海タワー(632m)や深圳市の「平安国際金融中心(660m)」を越えて、中国一の高さ!!になるとか(武漢には606mのビルも計画されていますけど、それとは別なのかは分かりません)。

  • 武漢の夜景に見とれていては、ディナーを食べ損なってしまいます(^o^)<br /><br />そう、丸いテーブルですからテーブルの人数分だけ一つのお皿に載ってきます。<br />テーブルが満タンになると、先に出したお皿から持って行かれてしまいますから、やっぱりちゃんと頂かないとね。

    武漢の夜景に見とれていては、ディナーを食べ損なってしまいます(^o^)

    そう、丸いテーブルですからテーブルの人数分だけ一つのお皿に載ってきます。
    テーブルが満タンになると、先に出したお皿から持って行かれてしまいますから、やっぱりちゃんと頂かないとね。

  • 早くもデザートです。<br />これも美味しかったですよ。

    早くもデザートです。
    これも美味しかったですよ。

  • コンテナ港が見えてきました。<br /><br />これだけを見ていると、海の港と見分けがつきませんね。

    コンテナ港が見えてきました。

    これだけを見ていると、海の港と見分けがつきませんね。

  • こちらは、工事現場のような感じですね。<br />武漢市の人口はおよそ1000万人で、中国で10番目の大都市です。地下鉄も開通しているとか。さらなる延長工事も完成する頃です。<br /><br />歴史豊かな、そして変わりつつある武漢です。<br />また来る機会があったら・・なんてことを考えてしまいました。<br /><br />きょうは武漢大学と黄鶴楼を見てきました。また、武漢の街の様子を車窓から見物できました。<br />そして、帰船時に気づいた殺人兵器の写真の数々・・(&gt;_&lt;)(*_*)(@_@)。<br /><br />そのいずれもが、現在の中国社会のありようを感じさせてくれました。それはひと言で言えるようなものではないですが、それにしても考えさせられる一日でした。<br /><br />明日は有名な廬山見物です。<br />どんな話題が見つかるのか?楽しみです(^^)<br /><br />(その17)に続きます。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10702491/

    こちらは、工事現場のような感じですね。
    武漢市の人口はおよそ1000万人で、中国で10番目の大都市です。地下鉄も開通しているとか。さらなる延長工事も完成する頃です。

    歴史豊かな、そして変わりつつある武漢です。
    また来る機会があったら・・なんてことを考えてしまいました。

    きょうは武漢大学と黄鶴楼を見てきました。また、武漢の街の様子を車窓から見物できました。
    そして、帰船時に気づいた殺人兵器の写真の数々・・(>_<)(*_*)(@_@)。

    そのいずれもが、現在の中国社会のありようを感じさせてくれました。それはひと言で言えるようなものではないですが、それにしても考えさせられる一日でした。

    明日は有名な廬山見物です。
    どんな話題が見つかるのか?楽しみです(^^)

    (その17)に続きます。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10702491/

この旅行記のタグ

関連タグ

40いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (6)

開く

閉じる

  • 白い華さん 2012/04/28 21:50:42
    日本人旅行者・・・が、珍しい〜! 「武漢の 見所! 黄鶴楼」。
    今晩は。
    訪れる!日本人観光客も 少ない・・・中国の 大都市!武漢。
    「10番目の 都市。そして、人口は、1千万人。 地下鉄も 走る」って、長江・・・が ある。ので、発展した、中国・内陸の 大都市。なんでしょうね。

    ホント、中国の 「日本では、有名!で ない・・・見所!満載の 旅」
    「長江 クルーズ旅行」は、そんな・・・珍しさ!も、 旅の セールス・ポイント。だと、感じます。

    歴史・・・と共に、 毎回、違う!デザインで、登場する 『黄鶴楼』は、
    素晴らしい〜!建築物。で 見応え!が ありますね〜。

    前回の 建物!に、 合わせて、 復元・・・も 有りましょうが、
    私は、1980年代・・・に 作った!と 云う、 現在!の『黄鶴楼』 も、なかなか、他・・・では、見られない、「細長い! 中国風 建築」が 面白く、 気に入ってしまいました。

    この・・・写真!も、 すごく、いい〜!ですね〜。
    立っている・・・場所。も、 しっかり、分かり、面白い。

    中に 一歩・・・足を踏み入れる!と、
    正面には、 「大きな 絵画」が 存在感!タップリ・・・に お目見え。

    「鶴が 飛ぶ!『黄鶴楼』の 絵」も 見事・・・ですが、
    絵画を グルリ・・・と 囲む!立派な 丸太・・・の 様な、木。
    目を引きますよね。「う〜ん、いかにも・・・中国。って 感じ」が して、ご夫婦で、武漢を 旅した・・・価値!を 感じました。

    西洋の 建物!より、 真っ赤!で 派手・・・だから。でしょうか〜?
    私は、 中国風の 建築物!が 好き。なんだと、最近、思います。
    アジアの 旅行。中国の 旅行・・・してみたい。デスネ〜。
    今年は、 いろいろ、忙しそう〜・・・な 我が家。
    あまり、海外旅行!は、 行けない・・・かなぁ〜。

    カメちゃんも ご夫婦で、 素敵!な 旅。を・・・。
      それでは また

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2012/04/28 23:55:20
    RE: 武漢は面白いところでした(^^)
    白い華さん こんばんは(^^)

    お忙しい中を来て下さってありがとうございます!!

    長江にはいろいろなパターンのクルーズがあって、それぞれが寄港地も違ったりするものを売りにしています。こうしたクルーズは(海洋のクルーズもそうですが)、飛行機や列車・バスでは遠すぎるところが少なくないですね。

    武漢は歴史もある大都市ですが、やはり日本人旅行者は少ないです。一般の旅行者は、上海を中心としてせいぜい南京までという場合が多いでしょうね。そういう点では長江クルーズはオススメですよ。

    > 「鶴が 飛ぶ!『黄鶴楼』の 絵」も 見事・・・ですが、
    > 絵画を グルリ・・・と 囲む!立派な 丸太・・・の 様な、木。
    > 目を引きますよね。「う〜ん、いかにも・・・中国。って 感じ」が して、ご夫婦で、武漢を 旅した・・・価値!を 感じました。

    何といっても、武漢は歴史ある街。
    古代から近代までたくさんありますからね〜。
    ガイドなどお願いしてしっかり見て回れば、かなりのことを勉強できるんじゃないでしょうか。
    黄鶴楼なんかも、そういう点では長い歴史の中での変遷を考えますと、とても貴重な存在なんですね。黃鶴の話は、正に中国的でしょうか。

    中国の旅の面白さは、城郭都市をはじめとした大陸ならではの特徴と、中国独特の政治・文化の形などですね。
    建物の方も、龍の顔や形にもちょっと愛嬌があったりして、どことなくヨーロッパとは違った親しみのようなものを感じるのは、そのためでしょうか。
    違ったところは勿論たくさんあるけれど、やっぱり親戚って感じですね(^^)

    中国が歴史的にはあれほどの文化・技術を持ちながら、近代において苦労の歴史を歩んでしまったことに関心を持たざるをえないですね。
    そんな中国の仏教・儒教・道教などの宗教や思想を思いますと、その半分は日本にも共通することがあるのかな?なんて、余計なことまで考えさせられてしまいました。

    長い歴史の過程では、中国とヨーロッパは世界の二大勢力でしたから、中国を旅して歴史の思いを馳せるのも大いに楽しいことかと思いますよ〜(^o^)

    武漢の次は廬山です。
    あの「廬山会議」の建物を見るわけではないですが、廬山に足を踏み入れただけでも、また一つ中国史に触れたような気がしました(^^)
    中国はやっぱり面白いですね!(^^)!

    また長いお話をしてしまいました(^^)
    これからもよろしくお願いしますね。
    カメちゃん
  • kaz-ykさん 2012/04/28 16:01:23
    暫くです
    カメちゃんさん  今日は

    小生のブログにお立ち寄り頂き、ご投票迄頂き、有難う御座いました。

    足跡を辿り 黄鶴楼ーーに、御邪魔しました。

    歴史のある国は、素晴らしい、名前、形、たたずまい 迫力に、圧倒されました。

    桂林、漓江止まりでしたので、そのあとを訪問したくなりました。

    円満なご夫婦、しっかり者の奥様、頼り甲斐あり、最高ですね。

    小生も倒れたら介護をして貰うと山の神に、一生懸命ゴマをすって来ましたが、強い筈の山の神が、足が弱くなり、鍛練の為、老人の冷や水で、散歩を初めた次第です。
    何方が、介護する事になるのか、少し計算が、変わり悩んでいます。

    3年前85才の老女に、若いのにしっかりして言われて3年、80才超すと
    旅も大変になってきました。

    中国へもう一回は、行きたいので、鍛えていますが TOO LATE

    ご来駕の御礼まで

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2012/04/28 21:42:00
    RE: いつもご無沙汰ばかりで・・m(_ _)m
    kaz-ykさん こんばんは

    ご訪問下さってありがとうございました。

    > 桂林、漓江止まりでしたので、そのあとを訪問したくなりました。

    kaz-ykさんも桂林を訪ねられたのですね。
    桂林は、風光明媚な上に歴史ある街でしたから、行ってみる価値のあるところでした。私も夢に描いていた桂林に行くことが出来て、本当に良かったと思っています(^^)

    中国は何といっても大陸の広大な国ですから、自然も大きく豊富なら、歴史も長く豊かで、見るほどに奥の深さを感じさせられます。
    そういう中国は、何度行っても魅力は尽きないですね。

    > 円満なご夫婦、しっかり者の奥様、頼り甲斐あり、最高ですね。

    嬉しいお話をありがとうございます。
    当家のカミさんはしっかりしていて有り難いけど、ちょっと威張りすぎ(^^;)
    私は20年来たくさんの薬に頼っている身ですので、ついついカミさんに
    負けてしまうのですよ(^^;)
    (もっとも、当家は結婚した時から「カカア天下」でしたけど・・(-_-))

    お話では、奥様のお御足が少しよろしくないご様子。
    それはご心配ですね。
    お見舞い申し上げます。
    実は、当家のカミさんも昨年秋以来長く歩くことが困難になって、この1〜2月に
    通院しました。今はだいぶ良くなって来たのですが、いつ何が起きるか?本当に分からないですね。

    > 3年前85才の老女に、若いのにしっかりして言われて3年、80才超すと
    > 旅も大変になってきました。

    kaz-ykさんも年上の先輩には敵わないようですね(^_^;)
    私も旅に出ると年上の方々に叱咤激励されるのですが、本当に敵いません(-_-;)
    「私は元々運動系の身体ではないので、お宅のようにはいきません」
    と申し上げても、通用しないですからね。
    先輩のお言葉には、頭を下げるしかないですね(~o~)

    > 中国へもう一回は、行きたいので、鍛えていますが TOO LATE

    リバークルーズでノンビリと・・
    そんなことも視野に入れられて、ぜひもう一度中国へいらして下さい。

    奥様には、医師への相談も含めてお大事になさって下さいね!!

    きょうは嬉しいお話を頂きまして、本当にありがとうございました。
    それでは、また・・
    カメちゃん
  • ガブリエラさん 2012/04/27 22:21:04
    相変わらず、仲良しですね〜(^_-)
    カメちゃん☆

    こんばんは♪

    ふふふ!
    色々「カカアデンカ」といいつつ、本当はとっても仲良しのカメちゃんご夫婦の感じ、伝わってきますよ(^_-)
    そういう所が、ほんわかしてて大好きです♪

    うちの父も、母のことを「おかあさん」って呼んでますよ〜(*^_^*)
    そういえば、母のほうが強いかも?!

    中国は、おもしろい石があるんですね\(◎o◎)/!
    石とか、岩とか大好きなので、実際見てみたいです♪

    建物も、おもしろい構造ですね!
    やっぱり歴史が長い分、色々見るものが多くて、素敵ですね(*^_^*)

    ガブ(^_^)v

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2012/04/27 23:11:35
    RE: 相変わらず、仲良しですね〜(^_-) ←カミさんあっての私ですから
    ガブちゃん こんばんは(^^)

    来て下さってありがとうございます!(^^)!

    > 色々「カカアデンカ」といいつつ、本当はとっても仲良しのカメちゃんご夫婦の感じ、伝わってきますよ(^_-)

    あ〜〜(^O^)、そんな感じになってしまったでしょうか?
    中国まで行っても、カカア天下に変化なし!!(^_^;)
    それで、ついつい「おかあさん」なんて呼んじゃう(^^;)
    もう少し凛々しくいかなくちゃと思うのですが、三男坊育ちはそれが出来ないのですね〜(-_-)

    > うちの父も、母のことを「おかあさん」って呼んでますよ〜(*^_^*)

    あららら・・(~o~) こりゃダメだ!!
    お父様にしっかりしてもらわないと、日本中がカカア天下になる(^_^;)
    だいたい、日本のオトコはダメだからね〜(^O^)

    > そういえば、母のほうが強いかも?!

    いやいや、絶対にお母様の方が強いです!!
    これは仕方のないこと(^_^;)。
    でもね、中国の女性はもっと強いみたいですよ〜(>_<)
    旦那にお茶を運ばせたり、掃除させたりするって言うからね!!(私もやってるけど(-_-))
    その点、日本の男性は中国の男性よりは幸せと言えるかもですよ〜(^_-)

    > 中国は、おもしろい石があるんですね\(◎o◎)/!

    中国の自然は本当に豊かですね。
    社会もいろいろあって、実に「豊かな表情」をしていますよ。
    ホント、中国は実に面白いと思います。

    嬉しいお話をありがとうございました。
    そいじゃ、また・・
    カメちゃん

カメちゃんさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 224円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP