2011/03/06 - 2011/03/19
1位(同エリア17件中)
カメちゃんさん
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旅はきょうで10日目。乗船してからは7日目になります。
きょうの寄港地は江西省の北端で長江沿いにある九江市です。九江市のことはその名前も知らなかった街で、歴史的なドラマの舞台としてもあまり聞いたこともなく、観光対象もこれといったものがないと思っていました。
ところが、「廬山」と聞くとピーンときます。
峨々とした山容もそうですが、あの「廬山会議」のあったところなんですね〜。
あの会議で毛沢東が権力を振りかざし、批判を封じ込めたことは有名です。それが「文化大革命」へとつながり、中国を奈落の底へ落とし込んだのでしたね(-_-;)
その廬山が中国のどこにあったのかは、恥ずかしながら私は知らなかったのです。今回の旅行で九江市にあることを知ったのでした。そして、幸運?にもあの歴史的な「廬山会議」が行われたところに行けるということで、この日が楽しみだったのです。
廬山とはどんなところか、出かけてみましょう。
【※】Google mapをご覧になるときは、「航空写真」でご覧下さい(“地図”ですと、アドバルーン・マークがずれることがあります)。またアドバルーンマークもクリックして見て下さいね。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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現在時刻は7時21分。
武漢の次の寄港地「九江市」にやってきました。
あの「九江大酒店」の文字を見ますと、今でも「酒屋さん」というイメージを持ってしまう私です(-_-) 飯店であれば「食堂」を想像してしまいます。もう、頭の切り替えの出来ない歳なんですね〜(=_=)
武漢と九江の距離は、直線で200?ほどです(重慶からですと、約910Km)。それを川の流れに沿って来ますとおよそ240?ほどのようです(重慶からですと、九江まで約1500Kmです)。 -
接岸完了のようです。
長江で船の止める時は、船首側を必ず上流側にするんです。
川の流れの抵抗を少しでも減らそうということでしょうかね?
武漢や重慶では超高層ビルが林立していましたが、この街ではそうしたビルが少ないですね。
★九江港の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.7238,116.001806&spn=0.034623,0.027122&iwloc=0004ac69cd25540f21289 -
こちらが船尾側(東側)の風景です。
九江市は江西省の北端の町です。
九江市の面積は岩手県の約1.2倍、市区部の大きさは、面積・人口共に千葉県船橋市より僅かに大きい程度のようです。
★九江市の詳しいことは↓にて。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%B1%9F%E5%B8%82 -
対岸側の光景です。
最近の近代化以前の中国の様子が察せられる様子ですね。
何時も思うのですが、川面からあの程度の高さで、洪水なんかの時は大丈夫なんでしょうかね。
それに、堤防というものがないですね。 -
私たちとほぼ同じコースでクルーズをしている「長江壹号」がやってきました。
この船も日本の旅行社が借り切っているようです。
★あの時も「長江壹号」がやってきました。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23368609/ -
船を下りてバスに向かう途中、現地のおばちゃんたちが歓迎してくれました。
お召しになっている赤い服は中国の伝統的なものかどうか解りません。
でも、赤い色と緑の模様などは中国らしい感じがしますね(^^)
ポンポンポンと響く太鼓の音も、九江に来たことを印象づけてくれます。
現地風の、こういう歓迎は本当に嬉しいですね。
正面の車の前に立っているおばちゃんは、船に乗り込んでいる人です(おそらくアメリカの船会社の人かと思います)。 -
バスに乗って移動をはじめた頃、こんな車が並んでいました。
組み立て途中??で屋根が付いていないです(^^;)
まさか、事故車にしても同じ型で3台はおかしいし??それとも雨漏りなんかクレーが付いた修理車??ちょっと解りませんねぇ(^_^;)
いずれにしても、屋根が付いていないし、ガラスも付いていないと、車両の強度的にも問題あるよね??それに。ビニールが被せてあるとは言え雨が降ったらどうするのでしょうか??
フロントグリルにはフォードのマークが付いていますけど、これからどうなるんでしょうかね?ほんと、これは面白い光景です!!
余計な話ですけど、昭和30年代にはトラックのシャシーにエンジンとハンドルなど足回りの付いた状態で、運転席をつけて自走して陸送していたことがありましたね。夏場はいいけど、冬場は大変でしたよね〜。 -
バスは九江市の濱江路大通りに出ました。
九江市では一番賑やかなところかと思います。 -
なんか、船のような形をした建物が見えてきました。
そうしましたら、前の方に「九江号」という船みたいな名前が付いていました。
この建物には「農工商超市 九江店」という看板が付いていましたから、どうやらスーパーマーケットのようです。金の鶏がカッコいいですね。
★九江号の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.727932,115.979769&spn=0.004328,0.00339&iwloc=0004c7475b67329d1a314 -
九江号の一番前です。
なるほど、これなら「九江号」と名付けられてもおかしくないですね。
普通なら港湾管理当局がデンとあってもおかしくないのに、港の真ん前に船の形をしたスーパーマーケットがあるなんて、ちょっと驚きですね。 -
九江市の港から2.6Kmほど下流の右岸に、高さ35mの六角錐の七階構造の仏塔がありました。「鎖江楼宝塔」と言うそうです。塔のなかには螺旋階段があるとのことで、結構見晴らしがいいようです。
ここは、ずっと昔、岩場が川にせり出していて船の通行に差し障りがあったため、明代の万暦十三年(1585年)にこのような塔と鉄の牛の像を造って、川を治めたというのです。早い話が、今で言う燈台のような役割を果たしたのですね(鉄の牛は洪水で塔が壊れたとき、長江に流されてしまったとか)。
鎖江楼塔の「鎖江」というのは、長江の龍神を鎖でつなぎ止めるという意味だそうです。
水運の安全は、いつの時代も大事な課題ですね。
★鎖江楼宝塔の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.738993,116.001889&spn=0.002164,0.001695&iwloc=0004c7478c011811de8e7 -
鎖江楼塔の隣にある鎖江楼です。
-
武漢にもありましたように、ここでも川沿いに公園がありました。
遠くに見える橋は、九江長江大橋です。
★九江長江大橋の場所は↓にて(「航空写真」にてご覧下さい)。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.748143,116.015786&spn=0.008355,0.008368&iwloc=0004c747a333c19be68a1 -
高架橋と高い煙突。
ちょっと撮影したくなる風景でした。 -
ホンダのディーラーでしょうか。
九江市のような中都市にもあるんですね。
すぐ前の2台の車は、スズキの車です。
そう言えば、重慶で見たタクシーもスズキの車が多かったですね。 -
立体交差橋付近から見た、九江駅近くの街の光景です。
-
ブタを満載しているトラックが前を走っていました(^^)。
下の一頭がちょうどこっちを向いていて、あどけない顔がかわいかったですよ。 -
ロータリー型交差点の真ん中に飾られている、人工の花です。
なんか、蓮の花みたいですね。
蓮の花って日本ではお寺さんでよく見ますが、九江市では「市の花」なんですよ。
★ロータリー型交差点の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.712316,116.013291&spn=0.004179,0.004184&iwloc=0004c7b0383b0a64801f0 -
どえらい立派な洋風建築が見えてきました。
これは、「九江法院」のようです。日本で言う裁判所ですね。
それにしても、立派な建物ですね。これは租借地時代に建設されたものかどうか解りませんけど・・。
こういう建物は近代化の流れの中で、現地の人々が欧米風のものを作ったと言うこともあると思います。もう一つは租界や租借地に当該国が造ったものもあると思います。また、そういう経験が現地の人々を「感化」して、このようなものを作ることに繋がったものかも知れませんね。
いずれにしても、アヘン戦争以来、日本を含む欧米列強にあれほどに踏みにじられながらも、結局欧米風の文化を追い求めていくところあたり、ナンとも言えない気持ちになりますね。
★確か重慶にも似たような洋風建物がありましたね(渝北现代农业园区管委会)。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&msa=0&ll=29.65268,106.58663&spn=0.002093,0.001867&iwloc=0004a567d19b98c775519
★↓はサンフランシスコの議事堂です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12369866/src.html
★九江法院の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.70563,116.022862&spn=0.00209,0.002092&iwloc=0004c7577beef4f0b15a1 -
武警九江支队(武装警察九江支隊)のビルのようです。
まぁ、機械翻訳なので解りませんが、中国には、「武装警察」という警察組織があるんですね? 日本で言う警察の「機動隊」のようなものかも知れませんね。
武装警察と知りますと、ちょっと怖いですね。こんな時はカミさんの影に隠れるのが一番です!!
★武警九江支队の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.704921,116.024272&spn=0.00209,0.002092&iwloc=0004c7579fce4ddd5f02e -
またまた、立派なビルが見えてきました。
こちらは「九江市財政局」のビルのようです。
面白いのは、玄関前の両側に獅子の像が置かれていることですね。
日本の役所でこのような獅子を設置したら、「何を考えとるか!!」と文句が出るでしょうが、そこは中国!(^^)!
こういう文化が面白くも楽しくもありますね。
★九江市財政局の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.702566,116.026633&spn=0.00209,0.002092&iwloc=0004c7578de1481f61a71 -
ここを通り過ぎると、いよいよ山道に入ります。
ここは「庐山脚下的观光车换乘中心」のようですから、マイカーをここにおいてバスなどに乗り換えるところかと思います。
★この場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.663807,116.076763&spn=0.004181,0.004184&iwloc=0004c757ae1de7452bcd1 -
山路を30分弱登ったところの道路脇に、このような大看板ががありました。
廬山は5A級の観光地なんですね。
全国文明風景旅遊区にも指定されているのですね。
「世界名山協会」と言うのは初耳なんですが、そんな協会があるんですかね?
「世界地質公園」というのもあるみたいですけど、これも初耳です。
私たちが訪れた中での5A景区は、あの漓江下りの光景です。あれは確かに良かったですね。重慶の「磁器口」と「石宝寨」、そしてあの瞿塘峡も4A景区でした。
★↓は「5A級」の漓江の眺めです。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22172191/src.html
★↓は、「4A級」の重慶の磁器口です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22897939/src.html
★↓は「4A級」の瞿塘峡の光景です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23365063/ -
こんな山道を登っていくのですよ。
向こうの山の上の方が白くなっています(>_<)
この山塊の最高峰は1474mですからそんなに高いわけではないです。ただ、南北に長い山脈を長手方向に沿って北から登っていきますから、長い山路が続きます。
この道路はGoogle mapによれば「北山公路」となっています。でも私は勝手にスカイラインと名付けます(^O^)
★廬山スカイラインは↓にて(航空写真でご覧下さい)
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.628841,116.040366&spn=0.008365,0.008368&iwloc=0004c757bc723444d87b0 -
土砂を積んだトラックに追いつきました。
これが、なかなか追い越す場所が無くて、だいぶ長いことトラックの後ろにつきました。トラックも辛いよね〜(^_^;) -
ズッと先に道路が見えてきました。
雪で山肌が白くなっています(>_<)
胸の隅っこでちょっとだけ心配になりましたけど、それ以上のことは分からないし気にもしませんでした。 -
「おかあさん、雪だよ(*_*)」
「廬山は寒いかも知れないから、厚着してきて下さい」
と言われてはいましたけど、こんなに白くなっているとは想像もしていませんでした。 -
廬山の上まで来たようです。
これは「廬山観光サービスセンター」とでもいうようなところですね。 -
「九江市公路管理局 廬山分局」
「九江市公路管理局 廬山分局 路政管理大隊」
この建物の形は洋風でしょうか? -
こちらには公安(警察)の建物がありました。
「執法為民」 「立警為公」
なんか説明的なスローガンですね。 -
廬山と書かれた牌楼が車窓に見えました。
廬山の正面玄関みたいな感じですけど、バスは通過してしまいました。 -
「廬山文化旅遊活動センター」 王光英
「廬山観光サービスセンター」とはちょっと違うのですね。 -
「廬山龍湾温泉」
私たちが観光に来た所から南に約20Kmほどのところにある温泉のようです。
中国にも温泉は随分あるようで、ある話では3000ヶ所ほどもあるとのことです。
北京市内にも温泉があるようですね(大深度掘削をしているようですけど)。
温泉養生や商談に、また健康・グルメに来て下さいということでしょうか。
中国では、温泉がどのような形で利用されているか、是非知りたいところですね。 -
老別墅的故事。
「老別墅的故事」ってなんか知らんと思って調べてみたら、どうやら別荘群のことらしいです。日清戦争中のころから、中国にとっての「外国風(主として西洋風)」の別荘が廬山に建設されはじめたようです。中国が塗炭の苦しみの最中にあっても、持てる人は持てたのですね。そして、建てる人は「文化人」だったと言うのです。文化人って、そんなにおカネを持っていたんでしょうかね?
1935年(昭和10年)以前だけでも300棟を超えるというんですから、スゴイですね。今では600棟を越しているそうです。日本風の別荘もチョットだけあるそうですよ(^^)
私も、ここに別荘を建てたいのですが、宝くじが当たらないのですよ(-_-;) 一等が3本トリプルで当ったら考えてみますね(~o~)(^O^)
(Nさんご提供の御写真です) -
廬山の観光ポイントが紹介されているパネルです。
なんかステキなところのようですね(^-^)
(Nさんご提供の御写真です) -
屹立する岩峰、高い絶壁がスゴイですね。
こんなところが見られるのかな?と思いますと、ちょっとウキウキしてきてしまいました。
(Nさんご提供の御写真です) -
ついでにこれも・・
廬山って、ホント有名なんですね。
廬山って、標高はそんなに高くないですけど(最高峰で1474m)、鋭い岩峰や奇岩、高い絶壁や絶壁迫る石門があることから、有名になったんですね。
そういうところですから、ロッククライミングなんかもやってるのかな?
(Nさんご提供の御写真です) -
如琴湖と湖心島に建つ九琴亭です。
中国の人って山の上や水面上、ちょっと突き出した小山の上に東屋風のものを作るのが好きですね。
★如琴湖の場所は↓にてご覧下さい。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.567084,115.968&spn=0.008623,0.008916&iwloc=0004c7d935136ca4e3a37
(Nさんご提供の御写真です) -
ちょっとUPで、九琴亭を撮りました。
こんなところで、茶でも飲みながら世間談義をしたり詩でも作って一人悦に入っているのでしょうかね?
廬山は風光明媚で避暑地でもあったことから、昔から有名な人がたくさん来ていたようです。秦の始皇帝も来たとか。李白や白居易ほか歌人はたくさん来ていますね。
また、避暑地になっていたところですから政・財界人の別荘がたくさん作られ、夏の間など大事な会議を廬山でやっていたというのです。
私なら、ここでカミさんの足でも揉みながら、ビールをチビッと飲んでみたいモンですね(最近は、ノンアルコールのビールが主体だけどね(-_-;)) -
花経
花経は廬山観光の一つのポイントのようです。
只今からここに入っていきます。
ちょっと期待ですね(^^)
★花経への入り口は↓のあたりかと思います。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.567084,115.967152&spn=0.008623,0.008916&iwloc=0004ac69d49850d810b19 -
ところがちょっと進んでいくうちに、ところどころに階段もある道が凍っていて滑りやすくなってきました。
-
この辺まで来たのですが、道が凍っているからということで花経探索を止めて引き返すことになりました(T_T)
なんたるこっちゃ!!(>_<)
確かに私たちは山歩き用の靴を履いているわけではないので、凍った石の階段や路面では今にも滑って転びそうです。それに、何と言っても私たちの平均年齢が非常に高いですから、体力・脚力共に弱いですからね。
引き返すのも、仕方ないですね。何とも残念でした。
花経のことですが、英語表示で見ますと「花の道」ということのようですね。
花経で調べてみますと、この先をどんどん行きますと高〜〜い断崖絶壁の上に出るようです。きっと深い谷が見られたでしょうね(=_=) また、岩のトンネルもあるみたいです。
3月では、時期がちょっと早かったということですね。そう言えば、武漢の桜も咲いてませんでしたね〜(>_<) -
それでまた、ここへ戻ってきました(;_;)
足元の雪は結構積もっていますからね。
あの島(湖心島)に繋がっている橋が「九曲橋」のようです。
あの橋くらいは渡っておきたかったなと、今になって悔やんでいます。 -
↑の湖の湖畔で、露天の土産物屋が頑張っていました。
花経に行けなかったモンですから、ちょっと暇つぶしです。
この赤い色は、中国らしい感じを醸し出していますね。 -
ここで、ちょっとだけ記念写真を(^o^)
実はね、私はこの近くで足を滑らせて尻餅をついてしまったんですよ。
カミさんがビックリしちゃったけど、別にどうってことはなかったですけどね(^_^;)
カメラだけは地面に当たらないよう、ちゃんと持っていましたよ(~o~) -
れは近くの土産物屋の裏側の庭にあった盆栽です。
これは、山の自然を謳っているのでしょうか?。
なかなか良いですね。廬山らしい感じの作品ですね。 -
これも廬山に似合った形ですね。
ドライアイスなどで白い霧でも流したら、まさに水墨画の世界を演出できそうですね。
ヨーロッパではこのような芸術は殆ど無いと言っていいでしょうね。
自然に親しみ、自然の造形に美を見出す東洋文化は、それはそれとして素晴らしいものと思いますね。
こうした文化は日本にもありますが、私たちが世界に誇れるものと思いますね。 -
これも廬山らしい作品ですね。
面白いもので、こういう自然を愛でて楽しんでいる世界では、人のあり方・社会のあり方をあんまり追求してこなかったですね。それが今になって大きなハンディとなっているんではないかと、勝手に想像しております(^^;)
しかし、いま東洋の自然を楽しむ文化に憧れる欧米人が増えて来ているようですね。 -
向こうの山に建つ家々は、おそらくは別荘又は保養所でしょうか。
別荘地は他にもありますが、蒋介石や毛沢東、それに周恩来らがこの廬山に別荘を持っていたようです。 -
牯岭街にやってきました。
このあたりの建物には、瓦屋根の建物とか、屋根が反り返った形とかの「中国的」な家があまり見当たらないですね。
別荘地であるからには、個人宅も商店も雰囲気を変えたいのでしょうかね? -
牯岭街に並ぶお店です。
この写真の右端にある家の1階の屋根がちょっと中国風ですね。
★牯岭街の位置は↓にてご覧下さい。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.568922,115.982451&spn=0.017245,0.017831&iwloc=0004ac69d2d45ab7e9da0 -
またまた記念写真を(~o~)
世界文化景観とありますが、廬山は世界遺産に登録されているのです。風光明媚なところですから、当然「自然遺産」だろうと思ったのですが、それがなんと「文化遺産」になっているんだって!!
そう、廬山は、晋の慧遠(えおん)が白蓮社という念仏結社を結成した仏教の霊山といわれているのです。多いときには300以上もの寺廟があったとか。また、文化・芸術・政治の面でも多くの人がここに立ち寄り、集まったようです。こんなワケで、文化的な世界遺産になったみたいですね。
京都には廬山の慧遠ゆかりの「廬山寺」というお寺さんがありますから、日本にも文化的なつながりがあったようです。
★廬山の詳しいことは↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%AC%E5%B1%B1
★廬山寺(ろざんじ)の詳しいことは↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%AC%E5%B1%B1%E5%AF%BA -
ちょっとした広場にあった牛のような像。
これは「牯嶺牛」だそうです。松阪牛ではないですね(^^)
このオブジェの詳しいことは分かりません。 -
牯岭街の北側の南向き斜面に広がる別荘街のようです。
別荘を持つということは、常住して管理してくれる人も必要なわけで、家を一軒建てるだけのおカネがあれば済むものではないですね。
いつの時代でも、どこへ行っても、国がどれほど貧乏であろうと、支配層を中心に富裕層というものはいるものですね(その代わり、非常に多数の貧困層が存在するわけですけど)。この廬山には20ヶ国以上の人や国の別荘や施設があったとも言われています。
さすが富裕層と申しますか、一般の民家に見られるような屋根や壁の汚れなどは、ここでは見られれないですね。やっぱり別荘ともなれば管理者もいることだし、壁の手入れもしているようですね。この別荘地が現在どのように利用されているかは分かりません。
★↓は、あまり綺麗とは言えない荊州市のアパートです。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23711876/src.html -
ちょっと上を見てみましたら、枝先が光り輝いていました!!
これは、枝先にに付着した氷ですよ。昨夜のうちに付いたのでしょうか?
あの蔵王の樹氷と同じ理屈で付いた氷ですよね。
これじゃあ、花経の道が凍るわけですね。
少々寒いことは覚悟していましたが、小規模ながらも樹氷が付くようなところとは想像もしていませんでした(-_-;)
これも観光の一つかもね。 -
氷が枝の右側に付いているのが分かりますか??
こんな樹氷を見たのは初めてでした。
このあと、皆さんとトイレに行ったのですけど、北向きの日陰の斜面の下にあったモンですから陽も当たらず、石の階段に積もった雪が凍っていましたよ(-_-;)
ホンの15mほどの距離なのに、滑らないように凄く気を使いました。 -
ここでは数少ない中国風のお店の前で、記念写真です(^^)
「FARM FOOD RESTAURANT」なんて書いてあるお店でしたから、ラーメン屋とはちょっと違うのでしょうかね?
急に話が変わってナンですけど・・
恐妻家なんて私くらいなものと思っていましたけど、実は先日面白い記事に出会いました。
それがね、あのソクラテスもひどい恐妻家だったというのです。
そればかりではなく、10世紀頃の中国・後梁の皇帝となった朱全忠も大変な恐妻家だったとか。
隋の文帝も恐妻家だったとか。皇帝のくせに家出しちゃったというのだから、かなりの恐妻家だね。
こんなにエライ人でも奥様に頭が上がらないなんて、ちょっと情けないよね〜。
でもね、なんだか嬉しくなってきましたね。私も安心して恐妻家でいられるような気がしてきました(^-^)!(^^)! -
この石塔を入れて、記念写真です(^o^)
ここは牯嶺鎮ですから「牯嶺」なんですね。 -
↑の石塔のところから南西に延びる商店街です。
石畳の街です。 -
↑の写真を撮ったところの右側に鉄板焼きとか炭火焼きとか書いたお店がありました。
なんかいろいろなものを焼いているみたいで、子供たちがなにか欲しそうにしていました。
この時間はお昼頃なんですけど、この子たちは学校帰りなんでしょうかね?
それに、この子たちは小銭を持っているようですね。 -
なにを焼いているのか見てみますと、左側は焼き鳥風です。
右側は鶏の肉か練り製品みたいな気がします。
でも、美味しそうですね。
私も食べてみたいのですけど、体調に自信がないですから我慢です。 -
私たちのお友達が子供たちとなにやら話していました。
お店のお姉ちゃんが持っているのは、肉団子とガンモドキみたいなヤツとソーセージのようなものですね。子供喜びそうなヤツですね(^^) -
子供たちが十数人やってきました。
集団下校か遠足か?そこは分かりませんが、女の子たちは赤色系の服を着ていて、とっても晴れやかな感じですね。
左端の男性が引率の先生かも?
そういえば、↑の女の子も赤系の服装でした(^^)
オシャレには慣れている感じですね。 -
おまわりさんの交通整理です(^^)
この日の特徴なのか、大人も子供も、現地の人も観光客も結構賑やかでした。 -
郵便局の建物もありました。
これは、日本でいう郵便貯金の勧めですかね? -
写真が前後しますが、ここでお昼を頂きます。
★昼食会場の「廬山西湖賓館」はこのあたりのようです。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.565824,115.97051&spn=0.008352,0.008916&iwloc=0004c7d926bc8fddb59be -
建物が洋風なら、彫刻も洋風ですね。
-
私たちの船一隻分のお客さんが入られて、大賑わいです。この時は、皆さんがテーブルに着こうとされていたのです。
大型客船の寄港でもそうですが、船が寄港しますと田舎のレストランや土産物屋は賑わいますね。大型客船が3隻も寄港したマサトラン(メキシコ)では、町中が大賑わいでしたね。 -
お昼を頂いたあと、含鄱口(ハンポーコウ)というところへやってきました。
この階段を上って行くと何かありそうですが、それはちょっと後回し(^_^;) -
すぐ近くに急な岩場を持つ山が聳えていました。
調べてみますと、どうやら「漢陽峰」のようです(間違っていたら教えて下さいね)。
このおじさんは土産物店のご主人でしょうか。随分ヒマそうでした。 -
↑とは反対の方を見ますと、たくさんのゴンドラが動いていました。
ちょっと乗ってみたいところですけど、私たちにはその予定がありません(-_-;)
★廬山含鄱口の場所は↓にて。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.544172,115.983675&spn=0.008354,0.008916&iwloc=0004c7db18f440c76193b -
遠くの山の切り立った岩壁を望遠で捉えました。
ひょっとして、廬山も漓江から見たような雨に溶けやすい石灰岩質の山かと思ったら、そうでもなくて隆起と褶曲によってできた山とのことです。
廬山から東北東へ直線で200Kmあまりのところに、このような山容に似ていて「天下の名景黄山に集まる」と言われる、「黄山(こうざん)」というところがあります。私は行ったことがないですが、ご存知の方も多いと思います。 -
↑の写真の全体像です。
遠くの山々は、おそらく五老峰かと思います(間違っていたら教えて下さいね)。
もし、そうだとすれば、そこには香炉峰、鶴鳴峰、双剣峰、姉妹峰、文殊峰の五つ峰があるというのです。五人の老人のように見えるというのです。
そのうちの真ん中の山が一番高い(最高峰1436m)そうです(廬山系で一番高いのは1474mです)。でも、真ん中の山がどれなのかが分かりにくいですね(^_^;)
この五老峰は西の斜面を見ているのですが、東側から見たら、山の形がかなり違うようです。
★五老峰の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.54098,116.025925&spn=0.066832,0.071325&iwloc=0004c81769a3489074af8 -
先ほど通った含鄱口の牌楼が下の方に見えました(^^)
牌楼をくぐって、階段を上り詰めたところにある青い屋根の建物は、「含鄱亭」と言うらしいです。
人はこういうところになにかを建てたりするものですが、中国ではこういった趣味が特によく見られますね。
廬山は寺院もたくさんあって「世界文化遺産」にもなっているのですが、「中国三大霊山」とか「中国四大仏教名山」に数えられることはなかったようですね。
★↓は絶壁の中に建つ東屋です(この写真の一つ前の写真にも写っていますよ)。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23367130/src.html -
含鄱口の見物を終えてバスに乗ったら、もう船に帰ることになりました。
「エエッ?もう廬山観光は終わりなの?」
って感じ(-_-;)
廬山に来たからには、あの「廬山会議」の会場跡を見なくっちゃね。
世界史的にも悲惨で重大な出来事であった大躍進政策の失敗を総括するはずの場が、その失敗を指摘された毛沢東の強引な巻き返しの場となって、現代中国を厳しい苦難の道へと歩ませてしまった運命的なところですね。これこそ、廬山の最大の観光ポイントではないでしょうか??
何と言っても、毛沢東は数千万人が餓死した大躍進政策の失敗を覆い隠したばかりか、政策の失敗を指摘した同志を、逆に「右傾機会主義」などとレッテルを貼って失脚させたんですからね。これが、数百万人が虐待と虐待死・餓死に追い込まれた「文化大革命」の遠因となった会議でもあったと言えるんすからね。
そんな大きな歴史の証人としての建物を見ることなく帰ってしまうなんて、何のために廬山に来たのか!!とガッカリしてしまいました。
写真は車窓から撮ったもので、高い崖の上にたつ東屋です。
路面の凍結で行けなかった「花経」の先には、これに似たようなところに行けたはずなのに残念でした。
★大躍進政策の詳しいことは↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96#.E7.B5.90.E6.9E.9C
★文化大革命の詳しいことは↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
★廬山会議の詳しいことは↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%AC%E5%B1%B1%E4%BC%9A%E8%AD%B0
★廬山会議の行われたところは↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.560458,115.973021&spn=0.008352,0.008025&iwloc=0004c709196df8246950a -
スカイラインから見た余家村方面の光景です。
今でも都市と農村の格差が大きな問題となっている中、こうした農村ではどのように暮らしているのでしょうか?
画像を拡大して隅々を見ますと、車(自家用車)が見当たらないですね。大都市では日々大渋滞を起こすほどの車があるのに、農村ではまだまだでしょうか? それとも、昼間のことゆえ、車で出勤してしまっているのでしょうか?
日本でも、東京オリンピックを過ぎた頃から、農村にもぼつぼつ車が普及(バンタイプ車が多かった)し始めていましたから、今の中国は日本で言うどの時代に相当するのでしょうかね? -
これらの村でも大躍進政策や文化大革命、そして現在の改革開放路線の影響を受けたことでしょう。
大躍進政策の失敗についてはいろいろ言われていますが、中国革命によって良くも悪くもようやく自立したというレベルの国であり、この時点で識字率20%そこそこで、封建時代の残滓がしっかり残っているという中国の人々の習慣や意識レベルを軽く見過ぎていたことが指摘できると思います。
孫文はそのことを認識していましたね。「中国民衆の民度はまだまだ低い」と。それは当然すぎることだと思います。 個人や地域、そして民族の体と心の隅々にまで染み込んでいる数百年・数千年の伝統と習慣は、たとえ革命によっても数年や数十年で簡単に変わるものではないですね。
一部の“利口な人”が人が地道な努力を忘れて先走り、社会を壊すことを繰り返してきたのも、歴史の教訓ですね。毛沢東はその典型的な人だったと思います。
同じことは(問題の内容とレベルは大いに違いますが)、日本でも言えますね。欧米的な政治・経済・教育・競争等の仕組みを入れたものの、それが日本人の国民性になじまないために、かなりおかしな国になってしまいましたね。 -
平地に降りたところで、廬山方面を振り返ってみました。
標高1000m〜1500m弱の山々です。 -
ちょっと面白い?ものを見つけました。
村落への入り口と思われるところに、簡素な牌楼が建っていました。
でも、道路から車が入れるようにはなっていませんね。 -
↑の写真のところから1分少々のところにも、同じような牌楼がありました。
そして、その付近には提灯で飾ってあります。
そして、やっぱり車へが入れるようにはなってませんね。 -
途中で見えアパート(マンション)です。
新しい建物のようですが、あの屋根の上の換気塔??が特徴的です(^^)
これを見ていますと、同じく換気塔(煙突)の多いフランスのシャンボール城を想起しませんか?(^O^)
★このアパート(マンション)の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.701818,116.025563&spn=0.002085,0.002229&iwloc=0004c864a4e5a495f7482
★↓はフランスのロワール渓谷沿いにあるシャンボール城です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%9F%8E -
これは交通警察の建物。
「交通警察」の文字は、日本と全く同じですね。とても親しみを感じます(^^)
日本人のおまわりさんが出てきてもおかしくないって感じです(~o~)
★交通警察の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.703691,116.023014&spn=0.002085,0.002229&iwloc=0004c758d1a89e309bc4c -
こんなところにトヨタのディーラー?がありました。
ハイブリッド車もありますね。
大きな建物は教会のようです。 -
↑に写っていた教会です。
「福音堂」と書いてあります。日本で言うと菓子屋さんみたいな名前ですね。
★教会の場所は↓にて。地図の中で右下の四角な建物は、広州トヨタの建物のようです。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.707037,116.019302&spn=0.002085,0.002229&iwloc=0004c7582a0e18afade75
★ここにも教会がありました。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23330664/src.html -
九江市も開発が進んでいるようです。
そして、あの「城中村」が九江市にもあるようです。
城中村ができるには、それなりのメカニズムがあるようです。
中国の土地は都市部では国有ですけど、農地と農民の宅地は「集団所有」とのことです。都市化は比較的安価な農地を買収して進みます。農地を失った農民は自分たちが住んでいる地域(共同所有地)に安い賃貸住宅を作って(自宅を増築することもあるそうです)、都市化で流入してきた農民工や低賃金労働者らを吸収し、その家賃収入で暮らすようになると言うのです。
ここには、土地の国有と集団所有という所有形態と、農民と都市住民の戸籍の固定制という問題が根底にあると言うことです。都市に働きに出た農民は、都市住民になれず結局低賃金で働かされ、↑のような安アパートに依存するわけです。
中国の経済発展を支えてきたのは、土地と戸籍の二元制であり、そのもとで低賃金・低保証で働いてきた農民工だったなんてことになりますね(>_<)
こんなワケで、都市化・工業化が進むほどに「城中村」も“発展”するわけで、最終的には都市景観の阻害者として排除されていく運命を辿ることになるわけです。
Google mapで城中村を探すときは、都市内で住宅が密集しているところをご覧下さい。そのうちの幾つかは「城中村」かも知れませんよ。
★↓は重慶の城中村(一八梯)です。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&msa=0&ll=29.55554,106.572919&spn=0.034195,0.032701&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b,0004a566281f46761dfb3,29.554233,106.569271,0,-32 -
街の中の様子です。
中国のどこでも見られる情景ですね。 -
船の待つところへ帰ってきました。
上に書いてある字は「客二号埠頭」という感じですね。 -
私たちの船を見ると、自宅に帰ってきた感じがします(^^)
これが船旅のいいところです(^_^) -
私たちの船のすぐ近くに、このような作業船が泊まっていました。
海の港でもそうですが、護岸工事ほかいろいろな仕事があるんでしょうね。 -
私たちの船は、次の揚州に向けて航行をしています。
「オオッ!! ちょっと大きな船がいるぞ!!」
これまでは河船ばっかり見てきましたが、これは「海洋型(私の勝手な命名です)」ですね。重慶からおよそ1500Kmやってきて、海洋型の船を見たのは初めてですよ。なんか、いよいよ下流域に来たなという感じがしました。
重慶港には1万トンクラスの船も行けるようになったと言われていますが、そのような貨物船は見たことがないです(喫水の浅い客船では8000トンクラスの船を見ましたけどね)。
★↓の太めの船が海洋型の船のようです(水面に影が映っています)。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.732031,115.986115&spn=0.002085,0.002229 -
この船もそうですね。
九江港までは、こうした海洋型の船が頻繁に来るということですね。当然、運んでくる物資も変わってくるかもですね。 -
今朝、車窓からみた鎮江樓宝塔です。
★鎮江樓宝塔の場所は↓にて(再掲)
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.738762,116.002648&spn=0.004169,0.004458&iwloc=0004c74796c1bcf94c4d6 -
↑の方でもこの橋のことに触れましたが、この橋は道路・鉄道が共用する橋としては世界最大級の橋といわれています。陸上部分も入れた橋の全長は4400mもあるそうです。
-
今朝、廬山へ向かう途中に高い煙突が見えましたが、この高い煙突のあるところは九江火力発電所のようです。発電能力等はわかりませんが、この地域での重要な発電所のようです。日本からの支援もあるようですね。
この九江市から80Kmほど下流で、原子力発電所の建設が進めれられているようです。福島の事故があって以来、一時期は建設が中断していたとのことですが、現在はどうなっているのでしょうかね?
ここでの話は日本の話と殆ど同じで、原発建設を受け入れるとさまざまな補助金が地域に交付されるとか。やっぱり住民を「カネという餌」で釣って原発を作るんですね〜(>_<)
そうさせないためには、住民が利口になるしかないのですね〜(*_*) でも、それは難しい課題ですね(-_-;)
★九江発電所の場所は↓にて
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=29.739116,116.043992&spn=0.03335,0.035663&iwloc=0004c864e1b960ebd179f -
↑の発電所に近い石油化学工場のようです。
Google mapで見ますと、石油タンクも多くあるなど、このあたりはチョットした工場地帯になっています。 -
こんな寺院のようなものが見えてきました。
調べてみますと「新港渡口尼姑庵」というところのようです。 -
九江発電所から6〜7?下流の長江水面上で、小型貨物船が寄り集まって停泊していました。
海ではないので、こんなことをしていたら下流側に流されはしないかと思うのですが、そこはどうなっているのか?不思議ですね。 -
自動車航送船と行き違いました。
相変わらず満船ですね。 -
造船所が見えてきました。
これは河船を建造しているのですね。
それにしても、これといった工場もないのにどうやって材料を運び込み、どうやって材料を加工し、どうやって進水させるのか?
それが未だに分からず、疑問だらけの私です(-_-;) -
↑の造船所のすぐ下流側にある「石钟山」というところです。
岩場の上には寺院や仏塔、東屋があるようです。 -
ここでも船を作っています。
相変わらず、地面で船を作っていますね(^o^)
これらの船の進水のさせ方を、じっくり見てみたいモンです!! -
これはまた、大きい船ですね。
この型は海洋型ですね。
これは進水後の艤装工事をしている段階でしょうか。 -
ここでも船を作っています。
-
九江からおよそ10Km下流にこんな工場が見えてきました。
製鉄所かも?と思いますが、確かなことは分かりません。
場所を特定できないのが残念です(-_-;) -
こちらには赤い屋根の新しい工場ができていますね。
ここも製鉄所でしょうか?
長江流域では、大きな工場が続々と建設されています。長江を利用したという物流が可能ですからね。 -
その物流を可能にしているのが、このような港湾設備ですね。
ここはこれまで見てきた港湾では、最大規模の設備を持っているように見えました。 -
だいぶ陽が落ちてきました。
本船がおよそ12〜13ノットで航行しているとすれば、このような工場群が10km近くにわたって延々と続いていることになります。 -
こちらには建物の形がビルのような形の工場?です。
新しい工場設備のような気がしますね。
Google mapこの地域の更新が長く行われていないようで、ちょっと場所を特定できません。 -
さぁ、今夜もショーが始まりますよ〜(^^)
最上階の一番前に広いラウンジがあるのですが、そこでいろいろな行事が行われるのです。こうやってショーを見るのもあと僅かとなってしまいました。
(Nさんご提供の御写真です) -
太鼓と鐘が鳴る中、お姉ちゃんが飛び出してきました(^^)
(Nさんご提供の御写真です) -
今度は獅子が飛び出してきました。
(Nさんご提供の御写真です) -
獅子が二匹になりました。
上海雑伎団の獅子もそうですが、こういう時の獅子の顔は、愛嬌たっぷりに作られていますね。
(Nさんご提供の御写真です) -
次はお姉ちゃんたちの舞です。
-
とっても綺麗な踊りでした。
-
場面が変わって、顔の真っ黒な怖い人が出てきました(-_-;)
(Nさんご提供の御写真です) -
それが、一瞬のうちに赤い顔に!!
(Nさんご提供の御写真です) -
今度は黄色のお面に変わりました。
-
また面が変わりました。
-
一瞬、向こうを向いた途端に・・
(Nさんご提供の御写真です) -
このお面に変化!(^^)!
ホントに早業ですよ!
(Nさんご提供の御写真です) -
またまた、お面が変わりました!!
扇子が顔の前を横切る瞬間にお面が変わってしまうんです!!
お面を取るだけなら分からないことはないですが、取ったお面を瞬間的に隠す(収納する)のはどうやっているのか?
いや、全く分かりませんね!(^^)!
(Nさんご提供の御写真です) -
下を向いて
(Nさんご提供の御写真です) -
頭をあげたらお面が無くなっていました。
大拍手でしたね!!
私は初めて見ましたよ!!
これは「変面」という芸なんです。
扇子や袖で一瞬顔を隠す間に面が変わるのですから、本当にビックリしました。
ホントに一瞬の技ですからね。
★↓は「変面」の実際の場面です。
http://www.youtube.com/watch?v=LKOtRHVkmNc
(Nさんご提供の御写真です) -
今度は女性たちの雅な踊りです。
-
綺麗な踊りですね。
竜宮城へ行った浦島太郎はこのような踊りを見て暮らしていたのでしょうかね?
ホント、そんな気がしましたよ。
(Nさんご提供の御写真です) -
真ん中で踊っている彼女は、踊りがとってもお上手でした。
-
恥ずかしながら、(たまたま指名されて)私も出演してしまいました(^o^)
こういうところに出るって、ホントに楽しいですね。
眼鏡を外しての撮影中だったので、眼鏡を忘れて出てしまいました(^O^)
(Nさんご提供の御写真です) -
お友達も、ご出演されました!(^^)!
堂々とされておられて、とっても良かったです(^-^) -
竜宮城の踊りはまだまだつづきます(^-^)
-
男性も加わって・・
(Nさんご提供の御写真です) -
今度は船長の登場です。
(Nさんご提供の御写真です) -
挨拶だけはでなくて、歌ってくれるのです。
言葉は分かりませんが、歌の調子は日本で言う演歌か民謡のような歌のようでした。
心も力も込めて精一杯歌ってくれたのは、本当に良かったですね。
船長がショー出演者の一人となって頑張ってくれたのは、私たちにとって初めての経験でした。
(Nさんご提供の御写真です) -
熱唱でした。
素晴らしい歌唱力です!!
(Nさんご提供の御写真です) -
引き続いて踊りです。
-
綺麗な踊りでした。
-
この子は本当に良かったですよ(^_^)
-
ここで時間となりました(-_-;)
およそ1時間10分ほどのショータイムでした。 -
お友達の記念写真です(^^)
-
こちらも記念の写真を(^o^)
-
私も記念の写真を撮っていただきました。
眼鏡の無い写真は珍しいです(^_^;)これも記念ですね(~o~)
きょうの廬山観光は雪のために予定のコースが見られず、チョット期待が外れてしまいました。
それに、廬山会議跡をはじめ蒋介石や毛沢東などの暮らしたところも見たかったですね。私なんかが歴史に触れると言うことは、そういうところを訪れるということ以外には不可能なことですから・・。
九江市にも「城中村」があると知って、やっぱり無視できない感じになってしまいました。城中村が今の形になる背景には、中国革命後に彼ら自身が作った二元的な制度があったとは、皮肉な話ですね。これは、人民公社時代の残滓が未だに残っているということですね?。
城中村の方々には失礼ですが、知れば知るほど中国の断面を教えてくれいるようです。城中村の今後に、これからも気が抜けません。
ディナー後のショーで、きょうも楽しい一日になりました。
明日は揚州です。
(その18)に続きます。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10708907/
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