2012/04/07 - 2012/04/07
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みにくまさん
熊本観光の2日目は、予報通り雲一つない晴天になってくれました。
そしてこの日は以前から行きたくて、今回の熊本旅行のきっかけとなった熊本城へ行くことにしました。
さらに熊本城では、最近完成した本丸御殿の中で当時の大名たちの食事を疑似体験できるという、その名も「本丸御膳」をいただくことになっています。
この旅行記は、本丸御殿の様子をお伝えします。
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熊本城・本丸御殿
現在の本丸御殿は、熊本城復元整備計画により、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、大御台所を復元したものである。
全国的にも類例にない地下通路「闇り通路」や障壁画のある「昭君之間」、巨大な小屋組みを見ることができる「大御台所」などが見どころとなる。
こちらの写真は大天守最上階の展望台から見たものです。
他の場所からだとなかなか全体を見渡すことができません。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 御膳立之間
料理の配膳に使われたと思われる部屋で、囲炉裏も設置されていました。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 御膳立之間
こちらのミニチュアは本丸御殿の本来の全体図だと思われます。
これを見ると、今回復元されたのが、ほんの一部だけだというのが分かります。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 御膳立之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 御膳立之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 御膳立之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 大御台所
部屋の広さは五間X五間(約100?)。
吹き抜けの構造となっており、大きな梁(赤松丸太)や屋根裏の木組み・仕上げは伝統工法によるものです。
上部には煙を抜くための煙出し窓が設けられています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 大御台所
尚、この部屋の2階部分には食事をできるスペースとなっており、「本丸御膳」をいただくことができます。
私たちもすでに本丸御膳をいただいたのですが、その内容については別旅行記で。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 竃(かまど)
絵図では2個口の焚口が向い合せに2ヶ所描かれていましたが、発掘調査にて確認した焼土などの痕跡から、4個の焚口が一列に並んでいたことを確認しています。
このため竃の形状は4連式とし、現存するもので年代や大きさが近いものを参考として復元しています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 竃(かまど) -
熊本城・本丸御殿
◎ 竃(かまど) -
熊本城・本丸御殿
◎ 式台之間
式台とは本来、書院造りにおいて「送迎の挨拶をする所」の意味で、玄関に相当する部屋です。
部屋の中には、闇り通路の玄関から上る階段がありました。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 屏風 花鳥図
細川家御用絵師の「杉谷行直」筆の花鳥図で江戸時代後期の作である。
薩摩藩が参勤交代の際に休息や宿所としていた、熊本市迎町の通称「薩摩屋敷」所有者の高田弥太郎氏から寄贈されたもの。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 麒麟の間
式台から広間への控えの間と思われ、大きな杉戸には麒麟の絵が描かれていました(24畳)。
ここでは復元工事の過程を上映しています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 鶴の間
大広間で最大の部屋。
闇り通路の玄関から上る階段がありました。
北西側に二間半の床の間が設けられ、床壁や襖には鶴の絵が描かれていました。
対面所としても使われていました。
こちら一番手前の部屋にはPCが並んでおり、熊本城に関する資料が閲覧できるようになっています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 鶴の間
〜御城内御絵図〜 明和6年(1769)頃(複製) -
熊本城・本丸御殿
◎ 鶴の間
〜象眼額本丸御殿〜
◎ 肥後象眼
慶長5年(1600)、加藤清正が肥後に入国したときに、尾張から連れてきた鉄砲鍛冶の林又八が、鉄砲製造とともに銃の装飾のため、銃身に紋などを象眼したのが始まりといわれています。
林又八は、加藤家改易後も肥後細川藩に仕え、鉄砲の銃身や刀の鍔などに金象眼したものを作り、その技法は江戸時代、「肥後象眼」として、また肥後細川藩の武家文化の一つとして見事に花開くことになります。
そして以後約400年の間、この技法は熊本で受け継がれ、今ではアクセサリーや小物類などにも「肥後象眼」の技法が使われ、熊本を代表する国指定の伝統工芸品となっています。
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熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間〜梅之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間〜梅之間
ずーっと向こう側に綺麗な部屋が少しだけ見えています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 大広間縁側
鶴之間から続く広間の南側の縁側です。
長さは十六間(31.5m)で若松之間の西側で拭板と呼ばれる廊下に続きます。
縁側の幅は、広縁(約3m)、落縁(約1.2m)、濡縁(約1.3m)の計5.5mです。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 梅の間
襖に梅の絵が描かれていました。
対面所としても使われていました(35畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間〜梅之間
〜釘隠〜 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間〜梅之間
〜路地〜
「御城内御絵図」には縁側の前に松と思われる樹木が1本と水槽が描かれており、発掘調査によって絵図と一致する水槽の遺構を検出しています。
水槽の東側には小段が付いており、防火水槽として使われていたと思われます。
大半は良好に遺っていましたが、壊れていた部分は砂漆喰にて修復しています。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 桐之間
北側に三間の床の間が設けられ、床壁や襖には桐の絵が描かれていました。
天井は格縁と呼ばれる部材を格子状に組んだ「格天井」です。
対面所としても使われていました(24畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 桐之間
〜旭日猛禽図(複製) 矢野雪叟筆
復元根拠資料「御天守密書」の筆者である、肥後藩御用絵師「矢野雪叟」の力作の一つ。
向かって左には波濤に洗われる岩の背後から旭日が昇りはじめ、右には風を待って今にも飛び立ちそうな鷲が描かれている。
矢野雪叟晩年の作であるが、年齢を感じさせない力強さがある。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 桐之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間
対面所(藩主の会見の場)。
西側に床の間と付書院、南側に違棚が備えられた書院造です。
床壁や襖に若松の絵を復元しています。
天井は折り上げ格天井、部屋境の欄間は筬欄間です(18畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 若松之間 -
イチオシ
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間
対面所(藩主の会見の場)。大広間にて最も格式の高い部屋で、慶長期の特色である鉤上段を設け、北側に床の間と違棚、西側に付書院と違棚、東側に張台構えが備えられた書院造りです。
床壁や襖に中国の故事「王昭君」の物語の絵を、天井に花木の絵を復元しています(18畳)。
★ トップ写真 ★ -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 昭君之間 -
熊本城・本丸御殿
◎ 茶室
織部好みの茶室。
加藤清正は茶の湯を千利休に学び、古田織部の高弟であった服部道巴を200石で召し抱え、家臣の茶の湯の稽古に当たらせたといわれています。
長六畳という特異な形態となっているのが特徴です。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 蘇鉄之間
壁や襖には蘇鉄の絵が描かれていました(18畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 團扇之間
闇り御門から上る階段が設けられ、部屋の中央には暖を取るためと思われる囲炉裏がありました。
壁や襖には團扇(扇子)の絵が描かれていました(24畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 家老之間
家老(家臣の中で最も地位の高い役職)などの控えの間と思われます(16畳)。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 杉戸絵
部屋正面に展示している杉戸絵は本丸御殿(昭君之間付近)の通路にあった杉戸絵を復元したものです。
また部屋左側にある杉戸は、藩主御用絵師「杉谷行直(1790〜1845)」が描いた杉戸絵で、実際に熊本城内のどこかの建物で使用されていたと思われます。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 杉谷行直筆の杉戸絵
〜海棠に山鵲図(かいどうにさんじゃくず)〜
美人にたとえられる海棠とめでたい鳥とされる山鵲を組み合わせて吉祥的な意味を持たせている。 -
熊本城・本丸御殿
◎ 雪之間
壁や襖には雪の絵が描かれていました。
対面所としても使われていました(22.5畳)。 -
熊本城・本丸御殿
他の方の旅行記を拝見して、一度は見てみたいと思っていた昭君之間をやっと見ることができました。
復元されたものとはいえ、当時の武家の御殿の様子を忠実に再現しており、非常に勉強になる場所だと思います。
◎ おしまい
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