2012/04/10 - 2012/04/10
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ドクターキムルさん
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上野公園は東京国立博物館前から都立美術館、動物園横までが工事中であり、噴水の周りで憩う姿は見られない。この中で、工事区域から外された国立科学博物館前の木立の中に野口英世銅像が取り残された感じで建っている。
野口英世(明治9年(1876年)〜昭和3年(1928年))は福島県猪苗代湖畔の農家に生まれ、清作(英世)が1歳半のとき囲炉裏に落ち左手を火傷した。
アフリカで発生した黄熱病の調査・研究に赴き感染し、51歳でガーナの首都アクラで死去した。野口英世は、黄熱病が細菌に因るとする細菌説を採り、光学顕微鏡でその姿を捉えようと努力しているが、死後にウイルスが原因と分かり英世の説が誤りだったことが判明している。
小学校の修学旅行で福島県猪苗代湖畔の生家を見たことがある。他の分野の博士から見ると、英世は山師的な印象を受け、大部分の論文も査読システムが不備であったと指摘されており、その業績も千円札の肖像になるほどのことではないだろう。だだ、努力の人として最低額面の紙幣の肖像に値しているのであろうか?
(表紙写真は野口英世銅像)
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「野口英世銅像」の看板。2014年10月に初めて気付いた。最近になって設置されたものであろう。
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「野口英世銅像
台東区上野公園8番
野口英世は、明治九年十一月九日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれた。三十一年、北里柴三郎主宰の伝染病研究所助手となり、三十三年十二月に渡米、三十七年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータ等の研究を重ね、国際的にも高い評価を受けた。大正七年からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染してしまい、昭和三年五月二十一日、現在のアフリカ・ガーナ国の首都アクラで没した。享年53歳。
野口英世銅像は総高約四・五メートル(台石を含む)、製作者は多摩美術大学教授吉田三郎。英世の写真に基づき、試験管をかざした実験中の姿を表現したもので、台石にはラテン語で「PRO BONO HUMANIGENERIS(人類の幸福のために)」と刻まれている。
銅像造立の活動をはじめて起こした人物は、福島県三春町出身の玉応不三雄である。玉応は英世の偉業を後世に伝えようと、昭和二十二年より募金活動を行ったが、国内の経済力が貧弱な時期にあって困難をきわめ、中途にして病に倒れた。
その後、日本医師会・北里研究所・野口英世記念会等が活動を引き継ぎ、昭和二十五年には東京都教育委員山崎匡輔を建設委員長にむかえ、山崎の周旋によって上野公園に造立されることが決定した。
昭和二十六年三月、現在地に造立。月は異なるものの英世の命日である同月二十一日に除幕式が行われた。
なお、銅像前面の標示石・敷石は昭和四十六年に会津会が設置したものである。
平成14年3月
台東区教育委員会」。 -
野口英世銅像。
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野口英世銅像。
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野口英世銅像。
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野口英世銅像。
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野口英世銅像。
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銅像前の銘。
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